流離の翻訳者 青春のノスタルジア -29ページ目

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

昨日、奄美地方で梅雨が明けたらしい。こちらの梅雨もあと2週間ほどで明けるだろう。熱帯夜なのか2日ほど前からクーラーを使い始めた。いよいよ暑い夏がやってくる。

 

 

職場を去って丸一年になる。時間ができたため、以前からやりたいと思っていたことを片っ端から実行した。身の回りの環境も目まぐるしく変わった。一年前に今の状況を想像もしていなかった。

 

これからの一年は、もう少し落ち着いた、またもっと楽しい一年にしたい。今年前半を終えてそんなことを思う。

 

 

次の京大の問題は「雨」に関するものである。私は人との会話で天候の話から入ることが多い。まず共通の話題の天候の話で共感を得てから本題に入る方がスムーズに会話が進むと考えるからである。

 

 

 

(問題)

雨は降らなくても降りすぎても災いを招く。天気予報という言葉さえなかった時代、先の天気は自分で判断するしか術がなかった。だから人々は真剣に空を眺め、風を読んだに違いない。天気にかかわる言葉が豊かなのは、そのせいだろう。

(京都大学 1994年前期)

 

 

(拙・和文英訳)

Even if we have no rain or a lot of rain, it will cause a disaster. In the past, since there was not a word like weather forecast, the only way for people to judge the weather in the future was to judge it by themselves. Therefore, people must have earnestly looked at the sky and read the wind, which is probably the reason why there are so many words relating to the weather.

 

先日、梅雨の晴れ間を見計らって、皿倉山頂展望台に日暮れおよび夜景を観に行った。展望台までは山麓の駐車場からケーブルカー+スロープカーで10分余りである。

 

展望台の標高は622m。肌寒いくらいの風が吹いていた。天候にも恵まれ暮れゆく夕陽から深まってゆく美しい夜景を堪能することができた。

 

札幌市長崎市と並ぶ新日本三大夜景の一つ。「一億ドルの夜景」も大したものである。

 

 

 

 

今日の経済用語は「右肩上がり(Contango)」「右肩下がり(Backwardation)」というものだ。

 

ともに、商品先物取引で使われる用語で、コンタンゴ(Contango)は、決済期限が最も近い期近物が期先物に比べて安い(右肩上がりの)状態をいう。これは、限月間の価格差を利用した取引で「順鞘」のことであり、期先の限月の価格が高く、期中・期近と受渡期日までに残された期間が短くなるほど価格が安い状態を指す。

 

一方で、バックワーデーション(Backwardation)は、決済期限が最も近い期近物が期先物に比べて高い(右肩下がりの)状態をいう。これは、上記の取引で「逆鞘」のことであり、異常気象や大規模な事故など何らかの突発的な材料によって、期近のコントラクトの値段が跳ねてしまった時に起こる現象である。

 

 

(拙・和文英訳)

Both are terms used in commodity futures trading, and contango refers to a state in which the near-term contract with the closest settlement deadline is cheaper (rising to the right) than the futures. This is a “conjunctive sheath” in transactions that take advantage of the price difference between the contract months, and refers to a state in which the price of the contract month of the future is high and the price is lower as the period remaining between the middle/near the period and the delivery date is shortened.

 

On the other hand, backwardation refers to a state in which the near-term contract with the closest settlement deadline is higher (downward to the right) than the future. This is a "reverse sheath" in the transactions stated above, and is a phenomenon that occurs when the price of a contract in the near term jumps due to some sudden material such as abnormal weather or a large-scale accident.

 

ここ3週間ほど株式相場の動きを見てきたが簡単に動きは読めないものだ。友人が言うように「神のみぞ知る」ものと思われる。

 

当該企業の経営状況に加えて、国内外(主に日米)の景気指数の発表、金利の動き、為替相場の動き、政策当局者の発言、機関投資家・海外投資家の動きなど様々な要素が複雑に絡んでおり、それらを予想して利益を得ることは至難の業である。

 

ただ、日経新聞などが少しは深く読めるようになったことがメリットだったように思える。

 

 

先日の日経に「フィデューシャリー・デューティー(Fiduciary Duty)」という語が出てきた。

 

Fiduciary と言う単語は、以前あるトライアルを受験したとき「(製造)委託」の訳語の候補として調査したが結局 Consignment を採用したという記憶が残っていた。

 

 

 

「フィデューシャリー・デューティー(受託者責任)」の意味は以下の通り。

 

 

「フィデューシャリー・デューティー」とは、信認を受けた者が履行すべき義務のことをいう。これは顧客本位の業務運営を指し、金融機関は資産を預けている顧客に対し、利益を最大限にすることを目標に利益に反する行為を行なってはならないとするものである。フィデューシャリー・デューティーという言葉は、2014年に金融庁が「金融モニタリング基本方針」の中で初めて扱ったことで話題となった。

(SMBC日興証券「初めてでもわかりやすい用語集」から引用)

 

(拙・和文英訳)

“Fiduciary Duty” means an obligation to be performed by a person who has received confidence. This refers to customer-oriented business operations, and states that financial institutions must not engage in actions contrary to customers’ interests with the aim of maximizing profits to the customers who have deposited their assets. The term fiduciary duty became a hot topic in 2014 when the Financial Services Agency first dealt with it in the “Basic Principles on Financial Monitoring.”

ふと一人旅に出たくなるときがある。喧騒の巷を離れて綺麗な景色を眺めたり、ひとり露天風呂などに浸かっていると、思わぬ発想が浮かぶ。実に貴重な時間だ。

 

 

自宅から車で15分ほどのところに海上空港がある。送迎には何度も行ったがまだ一度も利用したことがない。

 

昨年以来、旧友たちと会う機会が多くなっている。また今年に入ってからは自分の周りの環境の変化が目まぐるしい。何故かしら「旅」が多くなりそうな予感がある。

 

 

 

 

以下の京大の問題は「旅」に関するものだが、なかなかユニークだ。「幽体離脱」ではないが、「心の到着」をどう表現するか?

 

 

(問題)

パリの空港で、トランクに腰かけた一人の男が、ぼんやりと頬杖をついてた。私が「どうかなさいましたか、どこかお加減でも悪いんですか」と聞くと、「いや、いま遠くから着いたところなんですけどね。身体は着いても、心がまだなので、ここで心の到着を待っているところです」という答えがかえってきた。

(京都大学 1997年前期)

 

(拙・和文英訳)

At the airport in Paris, I found a man sitting on the trunk and vacantly resting his cheek on his hand. When I asked, “What are you doing here? Is there anything wrong with you?” he answered, “Thank you for your concern. Actually, I've just arrived from a distant place. My body has already arrived, but my mind hasn’t yet, so I'm waiting here for my mind to arrive.”

 

日頃、新聞や本を読んだり、こうしてブログの文章を考えたりする生活が続いていると「文字」があることが当たり前のように思えてしまう。

 

しかし、日本人にとっては身近なアイヌ語は、特定の文字で表記する方法が定まっておらず「アイヌ語には文字がない」といわれることもある。

 

YouTubeでアフリカの狩猟民族・部族のドキュメンタリーを時々見るが、彼らの言語にも文字があるとは思えない。

 

 

 

世界には6500以上の言語が存在するらしいが、その中で独自の文字体系をもっている言語は実は400ほどらしい。従って、文字を持たない言語が6000以上もあることになる。

 

「文字を持たない」ということはどういうことなのか?一つは、文字がないため、民族や共同体の歴史や文化を子孫に伝えることが難しいということだ。また、文字がないために、文明の進化についていけなくなるつまり、文字がないと教育に大きな支障をきたすことになる。

 

今世紀末までに、現存する言語の約半分は死語になる危険性を孕んでいるというが、そのほとんどは、文字を持たない言語なのである。

(以上、「日本英語検定協会」HPに掲載の内容を一部改訂して引用)

 

 

以下の京大の問題は、そんな「文字を持たない言語」関するものである。

 

(問題)

世界には文字を持たない言語がたくさんあるらしい。毎日文字に囲まれて暮らしている私たちからすれば、さぞ不便なことだろうと思ってしまいがちだ。しかし、文字があろうがなかろうが、ことばの基本的な働きに変わりはない。文字のある言語のほうがない言語より優れているなどと考えるのは、とんでもない思い上がりだろう。

(京都大学 2015年前期)

 

(拙・和文英訳)

There seem to be many languages in the world which do not have letters. Since we are living every day while being surrounded by letters, we are apt to think that it would be so much inconvenient without letters. Nevertheless, whether there is a letter or not, the basic functions of a language are the same. Therefore, it would be outrageously presumptuous of us to think that our language with letters is superior to those without letters.

 

高校で「家庭科」の男女必修化が実施されたのは1994年のことらしい。

 

私が高校の頃は、女子が「家庭科」の時間は、男子は「武道(私の高校は柔道)」だった。

 

まあ、中学の「技術・家庭」が男女共修化され、WORDやEXCELを習うらしいから随分時代も変わったものだ。

 

 

高校で料理など習ったことがない我々は、学生時代よく「闇鍋」と称する酒盛りに興じていた。とにかく何でもかんでも鍋に放り込んで煮て喰っては飲んで騒ぐのである。

 

牛肉、豚肉、鶏肉、魚介類の他、出来合いのハンバーグ、餃子や焼売なども放り込み、野菜も適当に入れて、醤油・味噌などで味付けて煮込むのだが、味はと言えば……、これがなかなか美味かった。

 

大学に入学したての頃、友人の下宿(別荘)で10名近くが集まって、闇鍋で大酒を飲んで悪酔いし、翌日二日酔いの頭で後片付け・掃除をしたことを今も思い出す。

 

 

私の場合、そんな調理方法が、若干の変化を遂げつつ現在に至っているが、今でも時々思い出したように料理を作ることがある。

 

 

 

以下の京大の問題は「料理をすることの意義」に関するものである。

 

(問題)

私の意見では、現代の若者は性別を問わず自分で調理できることが大切である。料理をおいしく仕上げるためには豊かな想像力や手先の器用さが要求されるので、心身の健康にとても良い。食材に意識的になれば自然への関心も高まる。さらに、料理で友人をもてなすことができると、あるいは人と共同して料理ができると、絆が深まることは間違いない。

(京都大学 2012年前期)

 

(拙・和文英訳)

In my opinion, it is important for present young people, regardless of gender, to be able to cook by themselves. Cooking delicious dishes requires rich imagination and skill with the hands, which is very good for your physical and mental health. The more conscious of foodstuffs you become, the more interested in nature you will be. Further, if you can entertain friends by cooking, or cook in collaboration with other people, your friendship or relationship with them must be deepened without fail.

 

昔々、福岡・天神に「APETITO(アペティート)」というカフェがあった。何回か行った記憶があるが、今は場所が移っているようである。

 

APETITO はスペイン語で「食欲」のことらしい。

 

 

 

英語の appetite「食欲」以外に「(生理的・精神的)欲求、好み」の意味がある。英英辞典の定義は以下の通り。

 

Appetite:

1) Your appetite is your desire to eat.

食べることに対する欲求(食欲)

 

2) Someone’s appetite for something is their strong desire for it.

モノに対する強い欲求

 

 

金融・証券用語の「リスク選好」を英語で Risk Appetite と言う。定義は以下の通り。

 

 

「リスク選好」とは、意思決定者(投資家)が一定のリターンを獲得するのに許容可能なリスクの大きさに関する嗜好を表す。

 

同じリターンを獲得するのに受け入れるリスクを小さくしたいと考える選好を「リスク回避的」といい、大きなリスクを受け入れるほうがよいと考える選好を「リスク愛好的」、リターンが得られるのであれば受け入れるリスクの大小は問わないことを「リスク中立的」という。多くのモデルでは、リスク回避的な投資家を仮定することが多い。

 

投資家がどの程度リスク回避的であるかは「リスク回避度」によって表され、リスク回避度の高い投資家は、とったリスクに対してより高い見返りを要求する。これを「リスク・プレミアム」という。

(みずほ証券「ファイナンス用語集」より引用)

 

(拙・英文和訳)

“Risk appetite” describes the preference of a decision-maker (investor) regarding the magnitude of risk acceptable to obtain a certain return.

 

The preference to reduce the risk accepted to obtain the same return is called “risk aversion,” the preference that thinks it is better to accept a large risk is called “risk-loving,” and the preference to accept the risk as long as the return can be obtained is called “risk neutral.” Many models often assume risk-averse investors.

 

The degree to which an investor is risk-averse is expressed by “risk aversion,” which means that investors with high risk aversion demand a higher return on the risks taken. This is called a “risk premium.”

 

 

以下、英文例を記載する。

 

The deterioration in liquidity decreased the risk appetite of investors further and affected credit markets overall as well as stock markets.

 

流動性の収縮は、投資家のリスク選好を一段と減退させ、その影響が、証券化市場を含むクレジット市場全体や株式市場などに拡がった。

 

東京で働いていた頃、「ハナキン」という語があった。

 

「花の金曜日」を略していった語で、週休二日制が定着して、サラリーマンが土・日の休日をひかえ、金曜日の夜は心おきなく楽しめるようになったところからいう。

 

確かに金曜日は飲み会が多く何となく心ウキウキしていたが、果たして本当に楽しめていたのか疑問である。

 

これに対して「トリキン」という反対語があった。これは「取り残された金曜日」のことで、金曜日の夜もオフィスに残って黙々と残業することをいった。

 

 

ちょっと昔の経済用語に「根拠なき熱狂(Irrational Exuberance)」というものがある。

 

1996年12月に当時のFRB議長アラン・グリーンスパンが米国株価の上昇にバブルの兆しを牽制する際に使った言葉である。

 

同時期の米国株式市場において、S&P500種株価指数の年間上昇率が約21%、また株価収益率が平均して予想利益の19倍強という中、アラン・グリーンスパンは、12月5日の講演で、上がり続ける株式相場を「根拠なき熱狂」と形容した。

 

以来、2000年にかけてのネット関連企業を中心とした「ネット・バブル」「トランプ相場」の発生と破裂に際して、この言葉が繰り返しメディアで取り上げられたことからバブルの同義語として定着した。

 

 

 

But how do we know when irrational exuberance has unduly escalated asset values, which then become subject to unexpected and prolonged contractions as they have in Japan over the past decade?

 

しかし、「根拠なき熱狂」が過度に資産価格を押し上げ、その後日本で過去10年間起きたような予想外の長期にわたる縮小にさらされてしまう局面を、我々はどうやって知るのだろうか?

昨日も日経平均は500円以上値上がりし、33年ぶりに33,000円台を回復した。

 

数字のゴロ合わせが面白いが、1990年7月以来というからバブルがピークを越えた平成初期のことである。遥かなる時の流れを感じる。この勢いは果たして何処まで続くのだろうか……?

 

 

 

株式に関する指数をもう一つ紹介する。

 

「Fear & Greed Index」は、アメリカのテレビ局CNNが提供している投資家心理に関する指標をいう。直訳すると「恐怖と強欲の指数」となる。

 

Fear & Greed Index は0から100までの数値で表示される。

  0~25  :         Extreme Fear(極度の恐怖)

25~45  :         Fear(恐怖)

45~55  :         Neutral(中立)

55~75  :         Greed(強欲)

75~100:         Extreme Greed(極度の強欲)を意味する。

 

0に近づくほど投資家心理が冷え込み、必要以上に株が売り込まれていることから株価が割安になっていると判断され、逆に100に近づくほど投資家心理が過熱しており、適正な株価を超えて株が買われていることから、株価が割高になっていると判断される。

(以上、ネット上の記述を一部修正して引用)

 

https://edition.cnn.com/markets/fear-and-greed

 

(拙・和文英訳)

The "Fear & Greed Index" is an index on investor sentiment provided by CNN, an American television station. The literal translation is "indices of fear and greed."

 

The Fear & Greed Index is displayed as a number from 0 to 100.

  0~25  :  Extreme Fear

25~45  :  Fear

45~55  :  Neutral

55~75  :  Greed

75~100:  Extreme Greed

 

The closer the index is to 0, the cooler investor sentiment would be, and the more stocks are sold than necessary, which is judged to be undervalued, and conversely, the closer it is to 100, the more overheated investor sentiment would be, and the more stocks are being bought beyond the appropriate stock price, so the stock price is judged to be overpriced.

(Quoted with some corrections to the descriptions on the Internet)

先週末の日経に、世界で株高に勢いがついており、米S&P500種株価指数が、直近の安値からの上昇率が2割に達し「強気相場」入りしたことを報じていた。

 

この記事の中で、「取り残される恐怖(FOMO)」で投資家が全般に強気に傾き始めたとの記述があったが、私もその一人である。

 

FOMOとは Fear Of Missing Out の略で、元々は社会学の用語のようである。

 

 

FOMO(フォーモ、取り残されることへの恐れ)とは、「自分が居ない間に他人が有益な体験をしているかもしれない」、と言う不安に襲われることを指す言葉である。また、「自分が知らない間に何か楽しいことがあったのではないか」、「大きなニュースを見逃しているのではないか」と気になって落ち着かない状態も指すことから、「見逃しの恐怖」とも言う。社会的関係がもたらすこの不安は、「他人がやっている事と絶え間なくつながっていたい欲求」と言う点で特徴づけられる。

 

FOMOはまた「後悔に対する恐れ」とも言え、それは社会関係、画期的体験、高収益な投資、その他の満足すべき出来事の機会を逃すかもしれないと言う、やむにやまれぬ心配を引き起こしかねない。言い換えれば、FOMOは「状況がどう変化しうるか想像できる」がゆえに、時間の使い方を間違えることに対する恐れを恒久化する。

(以上、Wikipediaより引用)

 

(拙・和文英訳)

FOMO (fear of being left behind) is a term used to describe the anxiety that others may be experiencing something beneficial while you are away. It is also called “fear of missing out” because it refers to a state of restlessness because it refers to the state of being restless because “something fun may have happened without you knowing” or “you may be missing out on big news.” This anxiety caused by social relationships is characterized by the desire to be in constant connection with what others are doing.

 

FOMO can also be described as a “fear of regret,” which can cause unavoidable worries that opportunities may be missed for social relationships, breakthrough experiences, highly profitable investments, and other satisfying events. In other words, FOMO perpetuates the fear of misusing time because it "can imagine how things could change.