日頃、新聞や本を読んだり、こうしてブログの文章を考えたりする生活が続いていると「文字」があることが当たり前のように思えてしまう。
しかし、日本人にとっては身近なアイヌ語は、特定の文字で表記する方法が定まっておらず「アイヌ語には文字がない」といわれることもある。
YouTubeでアフリカの狩猟民族・部族のドキュメンタリーを時々見るが、彼らの言語にも文字があるとは思えない。
世界には6500以上の言語が存在するらしいが、その中で独自の文字体系をもっている言語は実は400ほどらしい。従って、文字を持たない言語が6000以上もあることになる。
「文字を持たない」ということはどういうことなのか?一つは、文字がないため、民族や共同体の歴史や文化を子孫に伝えることが難しいということだ。また、文字がないために、文明の進化についていけなくなる。つまり、文字がないと教育に大きな支障をきたすことになる。
今世紀末までに、現存する言語の約半分は死語になる危険性を孕んでいるというが、そのほとんどは、文字を持たない言語なのである。
(以上、「日本英語検定協会」HPに掲載の内容を一部改訂して引用)
以下の京大の問題は、そんな「文字を持たない言語」関するものである。
(問題)
世界には文字を持たない言語がたくさんあるらしい。毎日文字に囲まれて暮らしている私たちからすれば、さぞ不便なことだろうと思ってしまいがちだ。しかし、文字があろうがなかろうが、ことばの基本的な働きに変わりはない。文字のある言語のほうがない言語より優れているなどと考えるのは、とんでもない思い上がりだろう。
(京都大学 2015年前期)
(拙・和文英訳)
There seem to be many languages in the world which do not have letters. Since we are living every day while being surrounded by letters, we are apt to think that it would be so much inconvenient without letters. Nevertheless, whether there is a letter or not, the basic functions of a language are the same. Therefore, it would be outrageously presumptuous of us to think that our language with letters is superior to those without letters.