流離の翻訳者 青春のノスタルジア -26ページ目

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

熊本・阿蘇地方に一泊二日の小旅行に行ってきた。阿蘇大観峰⇒阿蘇神社⇒道の駅・阿蘇⇒草千里と巡った。

 

平日だったからか7割くらいは外国人観光客だった。中国、台湾、韓国、インドなどなど。

 

大観峰からの眺めは壮大である。うっすらと霞がかかっていたが外輪山を一望できる巨大パノラマだ。パラグライダーが舞い上がっていた。

 

阿蘇神社2016年4月に発生した熊本地震で被災してから7年半、社殿のうち楼門、拝殿の復旧工事が完了しつつあった。

 

復旧の縁起をかついで引いたお御籤は「大吉」。気に入ったので持ち帰った。

 

「開運の兆しあり。好調の波に乗るときで、目上の人の引き立てがある。全ての状況が好転し、実力が認められ、地位も昇進するでしょう。云々」

 

そうあって欲しいものである。

 

 

 

 

 

 

(大観峰の説明文)

大観峰(だいかんぼう)は、熊本県阿蘇市にある山である。標高は935.9m。阿蘇北外輪山の最高峰であり、阿蘇カルデラやそのカルデラ壁、そして中央火口丘である阿蘇五岳をはじめ、九重連山も一望することができる。至近には国道212号がカルデラ内外を繋いでおり、「ミルクロード」(熊本県道45号)沿いの当山へのアクセスは容易で、駐車場も整備されている。阿蘇エリアで一、二を争う人気の展望スポットとして知られており、多くの観光客を集める。(Wikipediaより引用)

 

(拙・和文英訳)

Daikanbō is a mountain located in Aso City, Kumamoto Prefecture, Japan. It is 935.9 meters high, the highest peak of the Aso North Outer Ring Mountain, and so you can see the Aso caldera, its caldera walls, the central crater cone, the Aso Five Peaks, and the Kuju Mountains. As National Route No.212 connects the inside and outside of the caldera, access to this mountain along the "Milk Road" (Kumamoto Prefectural Road No.45) is easy, and a parking lot is also available. It is known as one of the most popular observation spots in the Aso area, and attracts many tourists. (Quoted from Wikipedia)

先日、久しぶりに下関の長府城下町を散策した。

 

まず、カフェ「アンティーク&オールディーズ 喫茶室」でアンティークを眺めて一息ついた。それから「下関歴史博物館」を観て長府毛利邸」へ。日本庭園の松の緑が目に鮮やかだった。それにしても今年の9月は暑い。

 

 

その帰りに懐かしいラーメン屋「天下一品・長府店」に立ち寄った。

 

8年ぶりくらいだろうか。学生時代よく通ったものだ。味は少しまろやかになった気がした。価格は学生時代の2.5倍になっていた。ラーメンも1000円の時代だ。

 

 

 

不思議なもので、翌朝学生時代の友人からメールが届いていた。出張で九州に来るらしく会えることになった。これも「天下一品」のお導きかも知れない。学生時代「一乗寺本店」にはよく通った間柄だ。

 

学生時代に下宿でしゃべったり飲んだりしていると大抵深夜になる。深夜になれば腹も減る。腹が減ると「天一行こか!」となった。何となくやみつきになる味だった。

 

 

無意味に時間を過ごした学生時代が今は懐かしい。

高校の図書館には独特な香りがあった。古書が饐(す)えたような黴臭い香りである。真夏でもあまり暑くはなくて何処か冷んやりとしていた。

 

古本屋にも同じような饐えた香りがある。学生時代よく古本屋を散策した。古本を眺めていて飽きることはなかった。これは焼き物と同じである。

 

新刊本の本屋にも香りがある。新しい本には独特な良い香りがある。新しい紙の香りとインクが混ざったような表現しがたい香りだ。

 

高校の頃に住んだ町のバス停のそばに一軒の本屋があった。小さな新刊本屋である。私より少し年上のきれいな姉妹が居た。

 

その本屋の独特な香りを今も思い出す。「香りの記憶」というものは長い間残るもののようである。

 

 

昨今、メールやpdfなどの電子データで文書を受け取ることが多くなったが、私は依然として「紙」が好きな方である。重要な文書は印刷して「紙」にして読む。赤鉛筆やマーカーでマークしたり、項目ごとに分類してファイルに綴じたり……。

 

 

以下の京大の問題は、そんな電子文書(書籍)に関するものである。

 

 

(問題)

近年、電子書籍の普及が急速に進んできた。アメリカほどではないが、日本でも、パソコンや耳慣れない機器で文章を読む機会は増える一方である。しかし、中高年層に限らず、紙の本でないとどうも読んだ気がしないという人も多い。論文でも小説でも普通にコンピュータで執筆される時代だけれども、きちんと製本された真新しい本には、何とも言えない味わいがあるらしい。

(京都大学 2014年)

 

(拙・和文英訳)

In recent years, electronic books have become widespread in a rapid pace. Although not so much as in the United States, even in Japan, there are more and more opportunities when we read texts on a personal computer or other unfamiliar devices. However, not only middle-aged and elderly people, but also many young people feel that they have not read a book completely unless they read it in paper. Although papers and novels are usually written by computers these days, it seems that brand new books that are properly bound up have a taste beyond description.

 

櫻井よしこ著「異形の大国 中国」に以下の記述があった。首相の靖国神社参詣に関連して記載されたものである。

 

 

(本文)

日本の「死者の文化」とは

 

事実、日本人は死者との対話の中で暮らしてきた民族だ。だからこそ、私たちは命日にはお墓に詣で、お盆には迎え火で精霊となった愛する人々、ゆかりの深い人々の魂を迎え、対話し、送り火で送り出し、次の年のお盆までの別れとなしてきた。幽明漠とした、生死の境も定かならぬ次元での生者と死者の対話を大切にしてきたのがこの国の文明である。

 

日本のために戦い、若くして子孫も残さずに亡くなった霊は、当初は親兄弟に弔ってもらっても、時間の経過のなかで、やがては忘れられていく。彼らの魂を慰めるため、いかに時が移っても忘れられる心配のない地を、日本人は創り出した。それが民間の有志が全国各地に建てた招魂社であり、各地の招魂社を統合して生れた靖国神社である。

(櫻井よしこ著「異形の大国 中国」新潮社p.77より引用)

 

(拙・和文英訳)

What is the “culture with the dead” of Japan?

 

In fact, Japanese people have lived in dialogue with the dead. That is why we have visited the grave on the day of the dead, welcomed the souls of the dead who became spirits whom we loved and had a deep relationship with, by making a welcoming fire, talked with them, sent their souls by making a ceremonial bonfire, and said farewell to them until the next year’s Obon festival. It is the civilization of Japan that we have valued the dialogue between the living and the dead in a vague dimension where the boundary between life and death is uncertain.

 

Spirits of the dead who fought for Japan and died at a young age without leaving any descendants are initially mourned by their parents and siblings, however, they are eventually forgotten over time. In order to comfort their souls, Japan created a place that would not be forgotten no matter how much time has passed. These places are called “Shokon-sha” (shrines for invocation of the dead) built by private sector’s volunteers all over the country. The Yasukuni Shrine was born by integrating such “Shokon-sha” shrines in each region.

 

少し考えさせられる文面である。

 

 

朝は少し秋らしくなっている。空気が冷たく新鮮で清々しい。

 

日本古代史関連の本に並行して、櫻井よしこさんの往年のベストセラー「異形の大国 中国」を読み始めた。同氏の新刊「異形の敵 中国」読む前に読んでおこうと思ったからである。

 

習近平国家主席より前の2005~2008年頃のものだが、中国に対する批判やタカ派的な記述が凄まじい。櫻井さんはテレビで時々見かけていたが、穏やかなお顔の裏側にこういう過激な思想をお持ちであることを初めて知った。

 

 

 

台風に伴う雨が過ぎて猛暑も一服、夜に虫の音が聞こえるようになって2週間ほどになる。虫の声が様々あるようにそれを表す単語も以下の通りさまざまである。

 

Last night, I heard a cricket chirping in the garden.

「昨晩、庭でコオロギが鳴いているのを聞いた」

 

Honey bees were buzzing around the flowers.

「ミツバチが花の周りをブンブン飛んでいた」

 

Chirring of cicadas in chorus

「蝉(せみ)時雨(しぐれ)」

 

Deep silence, the shrill of cicadas, seeps into rocks.

「閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉の声」(松尾芭蕉)※翻訳者不詳、定訳

 

たまに図書館にふら~っと行くことがある。ほとんど本を借りたことはないが、3年ほど前にある本を借りた。

 

東京で働いていたころの同期が小説を書いたと聞いたからだ。ネットで探してみるとちょっと前の本でかなりレアである。そこで図書館に探しに行った。

 

たしか奈良時代あたりの歴史小説だった。最寄りの図書館にはなく、市内の別の図書館からの取り寄せとなった。そこまでして借りた本だったが、結局30ページほど読んで放り出してしまった。

 

私にはあまり興味が持てなかったが、以下のような小説だ。

 

三宅 連城 著「王城の朝」

 

 

 

私の場合、専門書など仕事で使う本であれば借りて読むことはない。赤線を引いたり書き込みをしたり、本を汚してこそ本を読むことだと思っている。

 

 

「和英標準問題精講」からかなり昔の東大の英作文の問題である。

 

(問題)

本は借りて読むものと決めてかかっている人は、本当の読書の喜びとは縁のない人と言ってよい。そういう人は、読書をただの暇つぶしとしか考えていないのである。

(東京大学)

 

(拙・和文英訳)

It can safely be said that a person who assumes that books are to be read by borrowing is one who has nothing to do with the real pleasure of reading. These people think of reading as nothing more than killing time.

 

 

9月に入ってから昨日までの雲一つない猛暑が続いていたが今日は少し鎮まった。久しぶりの曇りである。しかし、まだまだ残暑は続く。

 

 

8月に大学の教官をしている大学時代の友人から勧められた古代史関連の書籍を、昨日から少しずつ読み始めた。

 

一度読んだはずだと思っていた「隠された十字架」(梅原 猛著)を50ページほど読んだがまったく記憶がない。実は読んでいないのかも知れない。でも内容は実に面白い。

 

法隆寺建立の謎。法隆寺に秘められた7つの謎。聖徳太子の謎…。まるで推理小説を読んでいるみたいである。

 

今年の秋は遥か古代のロマンを追いかける旅となりそうである。

 

 

同書の「はじめに」にこんな言葉が記されていた。

 

人間の魂は、かつて真理の国にいて、真理をはっきり見ていた。しかし、今や人間は現象の国に生れて、真理をはっきり見る眼を失った。それ故、この現象の国で、真理を認識するためには、かつて彼の魂がそこにいた真理の国を想起すればよい。(プラトン「メノン」)

 

 

(拙・英文和訳)

The human soul was once in the land of truth and saw the truth clearly. But now man was born in the land of phenomena and lost his eyes to see the truth clearly. Therefore, in order to recognize the truth in this land of phenomena, one has only to recall the land of truth where his soul was once there. (Plato "Menon")

 

 

「和英標準問題精講」(緑標)「はしがき」に印象的な文章が記載されていたので、以下に紹介し英訳を試みる。

 

 

「はしがき」

一つの国語を他国語に移す練習は、外国語を学ぶための有力な方法として、また、知的訓練の効果的な手段として、古くから欧米の学校で行われ、わが国においても、和文英訳は学校の課程でも入学試験でも大きなウェートを持っている。

もちろん、「すべての道はローマに通ず」とことわざにもいうように、和文英訳も文法・語い・聞き方・話し方・読解・外国留学などとともに、語学学習へ通じる一つの道にすぎない。しかし、一つの道にすぎないとはいうものの、作文は実際に手を動かして書くのであるから、英語の知識を確実にし、語いを豊富にするための欠くことのできない過程である。

ユークリッドは、天文学者トレミーに幾何学を修める近道を問われたとき、「幾何学に王道はない」と言った。この答えは英作文にも当てはまる。玉砂利を敷きつめ打ち水をした王道はないのである。英作文上達の近道は、あくまで、文章の基本となる構文や文型や語法を一歩一歩と地道にマスターしていくことである。(後略)

1937年9月

 

 

(拙・英文和訳)

“Preface”

The practice of transferring one language to another has long been practiced in Western schools as a powerful method of learning a foreign language and as an effective means of intellectual training. Even in Japan, Japanese-English translation has a large weight in both school courses and entrance examinations.

Of course, as the proverb says, “All roads lead to Rome,” Japanese and English translation is just one path to language learning, along with grammar, vocabulary, listening, speaking, reading comprehension, and studying abroad. However, although it is only one path, writing is an indispensable process for ensuring knowledge of English and enriching vocabulary because writing is actually done by hand.

When Euclid was asked by astronomer Ptolemy about a shortcut to studying geometry, he said, “There is no royal road to geometry.” This answer also applies to English composition. There is no royal road that is paved with gravel and sprinkled with water. The shortcut to improving English composition is to steadily master the basic syntax, sentence structure, and phraseology step by step. (the rest omitted)

September 1937

 

先日、アマゾンで「和英標準問題精講」(原 仙作著・旺文社)の中古品を入手した。「英文標準問題精講」(赤標)「英文法標準問題精講」(青標)に並ぶ(緑標)の4訂版(1981年)である。

 

 

パラパラとめくってみると実によく構成されている。ただ感じたのは書籍自体がこれほどに小さく、文字がこんなにも小さかったのか、ということだった。

 

当時はこんなに小さな本のこんなに小さい字がはっきりと読めたわけだから、随分と年をとったものである。

 

秋には、この本に掲載された問題にも挑戦してみよう。読むべき本がまた増えてしまった。

 

 

こちらは昨日が始業式だったようである。街角に子どもたちの姿とチャイムの響きが戻ってきた。

 

 

今日は最近よく耳にする経済用語を一つ紹介する。「フレンド・ショアリング(Friend-shoring)」というもの。

 

(日本語)

「フレンド・ショアリング」とは、ある国が同盟国や友好国など近しい関係にある国に限定したサプライチェーンを構築することを意味する。この概念は、2016年ごろよりアメリカと中国の間に生じている貿易摩擦を背景に、アメリカが自国の経済安全保障を目的として始めたサプライチェーンの強化体制を指すものとして登場した。

 

直近では、コロナ禍による物流の停滞やロシアのウクライナ侵攻による小麦やエネルギー供給の危機などもあり、アメリカだけではなく様々な国がサプライチェーンの見直しを迫られている。そして、同志国との安全で信頼できる関係をより重視していこうというそんなフレンド・ショアリングの動きが拡がりつつある。

 

(拙・和文英訳)

“Friend-shoring” means that a country builds a supply chain limited to the countries with which it has close relations, such as allied or friendly countries. This concept emerged as indicating the supply chain strengthening system that the United States started for the purpose of economic security of the United States against the backdrop of trade friction between the United States and China since around 2016.

 

Recently, due to the stagnation of logistics because of the COVID-19 pandemic and the crisis of wheat and energy supply due to Russia's invasion into Ukraine, not only the United States but also various countries are being urged to review their supply chains. And the movement of such friend-shoring is spreading to place greater emphasis on safe and reliable relationships with comrade countries.