【関心領域】単調さに潜む恐ろしさとあと引く日常への違和感
こんにちは今日は先日見た話題の「関心領域」についてです。他にも色々見ていますが、飛ばしてこちらについて書いていこうと思います。A24がまた挑戦的な映画を出してきたなという印象を受けたこちらの映画。予告を見て面白そうだと、我々がいかに無関心かを突きつけてくる映画だろうと感じて見に行きました。感想を先に言ってしまうと、かなり眠かった。こんなことを言ってはいけないのだけれど、ちょっと寝不足だったのと映画に抑揚がなかったのとで危なく寝てしまうところでした。でもこれは結構的を得た感想だと後から思います。なぜなら聞こえてくる違和感以外は何気ない日常の一コマだから。当時は裕福かもしれませんが、あの家族の暮らしぶりは現代においては割と普通なところがあります。きちんとした家、服、食事、生活、日常への愚痴、ちょっとしたことへの怒り。大抵の人が今当たり前にやっていることそのものでした。だからこそ退屈だった、単調で眠くなった、と思いました。見ている間「思ったより聞こえてこないな」と思いました。たまに聞こえてくる叫び声、銃声、綺麗な空に映える異様な煙、夜を明るく照らす炎異様さは感じ取れても思っているより怖くはない。そんなふうに思ってしまいました。でも見終わって、数日経って、頭の中にあの家があの生活が鮮明に思い出されるのです。自分にとっても身近で普通なあの風景が。もちろんあんなに裕福な暮らしはしていません。広い庭付きの大きな家に住んでいる人は少ないです。でもきっと見る人は何も違和感を覚えないはず。それをずっと引きずっています。壁の向こうでどんなことが行われているのか想像しかできないのに、映し出されているものにはとても共感している。壁の向こうの恐ろしさをわかっている気でいるけど、本当はわかっていない。最後の方に差し込まれている現在のアウシュビッツ収容所のシーンの静けさが今も頭に張り付いています。この映画見る人によってかなり感想変わると思いますが、数日経ったらもっと変化していく気がします。結局私たちは無関心の上に生きていると思わざるを得ない。過去のことをどうすることもできないけど、今起きていることもどうすることもできない。その現実がさらに無関心へと導いているような気がしました。自分は優れている?恵まれている?もっとそれが欲しい?結局自分のことは自分で守らなければならない。この世界を作っているのは自分でしかない。自分さえ良ければそれでいいのか。考えれば考えるほど深みにはまっていきます。そこまでの恐ろしさは直接的にはありませんし、眠くなると思いますが色々と考えるきっかけにはなります。いろんな人に見てほしい映画だと思いました。楽しい映画の方が好きだけど、映画にはいろんな表現方法があって、映画にしかできない表現方法もあるから。これは一種の抗議で、無言の抵抗かもしれない。そう思ったら映画に対する見方も変わります。私はそういうメッセージ性をちゃんと感じ取れるようになりたいと思いました。閲覧ありがとうございました。