今日はムスコと一緒に塾に行って、学習相談をしてきました。家で動画を使った学習を始めたので、塾での勉強はそれと連動させて、効果的に進めていって欲しいとのお願いをしてきました。父親として出しゃばりすぎかなという感じもしましたが、黙っていたらムスコ本人も塾も積極的に動いてはくれません。集団指導ならばカリキュラムが決まっていますが、個別指導だとマイペースでいいので、甘えが出やすくなります。ムスコに対しても塾に対してもプレッシャーを与えるためには、父親の存在をアピールした方がいいのかな、と思いました。

 

 

塾は来週から通常授業に戻ります。中学校も来週から再開しますが、すぐに通常運転に戻れるかは不明です。引きこもり生活に慣れてしまって、学校に行きたくない生徒もいるのではないでしょうか。感染が怖いので登校したくないと言い出したら、無理に学校に行かせるわけにはいきません。緊急事態宣言が解除されても、三密を避けるとか、マスクをするといった注意は必要です。だから、強制ではなくて文字通り外出を自粛する人を非難することは出来ないでしょう。つまり学校を休む口実、言い訳、大義名分が出来たわけです。大切な我が子を学校なんかに行かせたくないという親だっているはずです。だから、足並みそろえてというわけにはいかないでしょう。それぞれのペースで少しずつ前進していって、皆がそろうのは2学期ぐらいからかも知れません。

 

 

それでも少しずついい方向に向かっているはずです。あせらず、じっくり。黙っていても季節は移り変わっていきます。

 

 

テレビやラジオ三昧の日々の中で、あることに気が付きました。それは今、私が好んで見たり聴いたりしている番組の出演者の年齢が、60代後半であることが多いということ。代表的な方をまとめると、以下のようになります。

 

 

1949年生 (71) 松崎しげる

1951年生 (69) 三宅裕司、吉田照美

1952年生 (68) さだまさし、グッチ裕三

1953年生 (67) 山下達郎

1954年生 (66) 坂崎幸之助、古舘伊知郎、松任谷由実

1955年生 (65) 明石家さんま、所ジョージ、西城秀樹、郷ひろみ、竹内まりや

1956年生 (64) 野口五郎、桑田佳祐

 

 

60代後半というと、私より一回り程度年上ということになります。会社員だったら既に定年退職されているような年ですが、上記の方々はみんな現役バリバリです。ほとんどが、私が小学校低学年で歌謡曲を聞き始めた時のトップアイドルだったり、中学生になって深夜ラジオを聞き始めた時にDJをしたりしていたような人たち。私にとっては憧れの存在であったり、年の離れた兄貴のような存在であったりします。彼らのファッションやライフスタイルなどに大きな影響を受けていて、それがもう40年近く続いているわけです。長年に渡って、笑顔や感動を届けてくれる人たちは、本当に尊敬します。

 

 

そしてこのような60代後半の方々に多大な影響を与えた人を一人挙げるとすると、それは1937年生(83)の加山雄三さんということになるでしょう。彼に憧れてギターを始めた人はごまんといそうです。ただ、ここまでいくと、私の父親世代ということになってしまいます。

 

 

例えば政治家や経済人などでは、7080代でも現役の人がいるでしょう。でもそれを見てかっこいいとか、憧れたりすることは、まずありません。スポーツ選手の場合だと、現役時代と比べてしまって、返って衰えを感じてしまうこともあるでしょう。その点で言うと、音楽を生業とする人たちは、年をとっても若々しくてカッコイイ人が多いです。

 

 

一回り程度の年の差というのは、適度に親近感が得られて、適度に人生の先輩としての威厳も感じられて、馬が合うのかも知れません。年が近すぎると敵対心が生じることが多くなるでしょうし、年が離れすぎると感性がずれる恐れが高まります。若い先生が生徒に人気を得られやすいのは、この年齢差のせいもあるでしょう。

 

 

例えばムスコは今14歳なので、26歳ぐらいの先生がちょうどいい年齢差。それぐらいの年齢の先生だったら、勉強だけでなく、ゲーム、音楽、スポーツ、恋愛など、いろんな話題を中学生と共有できそうです。例えるなら、人数が多い兄弟姉妹の一番上のお兄さんとかお姉さんといった感覚。一つ上の兄や一つ下の弟とはしょっちゅうけんかをするでしょうけど、一番上の兄貴は父親代わりの頼もしい存在。困った時には一番の相談相手になります。

 

 

小中学生が好きになるYouTuberというのも、もしかしたら12歳ぐらい年上の人が多いような気がします。あるいは20代後半のアーティスト。米津玄師やあいみょんとかがそれぐらいの年代でしょうか。そんな中から30年、40年と続けて、憧れたり尊敬したりできるような存在が出てくるかどうか。それぐらい続けば一過性の流行ではなく、一つの文化として後年まで語り継がれ、歌い継がれていくことになるのではないでしょうか。

 

 

まあ、何と言うか、事実は小説よりも奇と言うべきか、呆れて言葉が出ないと言うべきか。ここ1週間ばかりの黒川某氏をめぐる一件には、人間の業というものを感じざるを得ません。一般人ですら自粛警察に叩かれる恐れがある中で、渦中の人物が新聞記者宅で賭けマージャンに興ずるなんて、どのような考えで出来たのでしょうか。いろいろな人がいろいろな考えを述べられているでしょうが、私が考えたのは主に以下の三つ。

 

 

   賭けマージャンをすることに対する罪の意識がなかった。

   新聞記者の自宅での賭けマージャンならバレないと思った。

   バレてもいいと思った。あるいはバレて欲しいとすら思った。

 

 

もし①だとしたら、かなりヤバイです。不要不急の外出を慎むようにと言われているのに、それを平気で無視して賭博行為を行う人が検事長だとしたら、日本の検察制度に対する信頼は完全に失墜します。

 

 

普通に考えれば②が本命でしょう。恐らく新聞記者の間では、賭けマージャンをしていることは周知の事実。でも記者も同席していてグルになっているので、新聞が記事にすることはないだろうとの甘い考え。新聞が記事にしなければ、テレビでニュースになることもないだろうと。その間隙を突いたのが文春。もともと文春は朝日新聞とはライバル関係にあるし、週刊誌の雄として、新聞社の不正を暴きたいという考えもあるでしょう。雑誌記者は外出自粛要請などものともせずに、ネタを探し回っているでしょう。渦中の人物ならばマンツーマンでマークしているはず。バレなければいいとか、バレることもないだろうとか考えるのは、甘すぎます。

 

 

さらに面白いのは、産経と朝日という左右の両極がともに雀卓を囲むという呉越同舟であったこと。さしずめ、検事長の右側に産経で左側に朝日の記者が座っていたのではないでしょうか。

 

 

個人的には、意外と③の可能性が高いのでは、と思っています。普通だったら検事長がマスコミに追い回されることはないでしょう。もしかしたら、定年後の悠々自適な生活を夢見ていたのかも知れません。息苦しさに耐えられなくなって、破れかぶれで賭けマージャンに救いを求めた可能性はあります。欲望は理性を超越します。依存症になってしまうと、命を賭しても、やってしまうことがあります。公職を辞すれば、好きなだけマージャンをすることだって出来るようになるでしょう。それを許さない安倍首相もろともにクビになるのを覚悟で新聞社の誘いに乗った。そんなシナリオも考えられます。

 

 

様々な対立軸が見え隠れする中での今回の騒動なので、様々な陰謀が蠢いていることも容易に想像できます。黒川検事長に黒田総裁で、真っ黒けっけやないか!とツッコミを入れたくなる安倍政権。黒字の黒なら縁起がいいでしょうが、腹黒の暗黒宇宙。どこまでも、闇は深いです。でも最も深いのは、人間のこころ。池の水は抜けばきれいになりますが、人間の欲望は尽きないので、いつまでも濁ったままです。

 

 

所さんの早起きのすすめが効いたのか、ムスコが3日続けて早起きしました。朝7時ぐらいに起きてから好きなことやって、8時ぐらいに朝ご飯を食べて、9時から3時間勉強したら、あとは好きなことやっていいよ、という話をしたら、ちゃんと朝起きて来ました。朝ご飯は、前日に何を食べたいか本人の希望を聞いたところ、そばがいいとのこと。それで3日連続、朝食はそばです。朝ご飯をおいしく食べるということは、一日を楽しく過ごす上でとても重要なことです。給食が楽しみで学校に行くことがあるように、朝食が楽しみで朝きちんと起きるということもあるのでしょう。一日三回のご飯は、単なる栄養補給ではなく、楽しい時間として捉えることで、人生が豊かになることでしょう。朝から手の込んだ料理は作れませんが、なるべくムスコの希望に沿ったものを作ってあげたいなと思います。

 

 

勉強の方も、何とかやれています。いきなり問題を解くのではなく、動画視聴からスタートするということも良かったのでしょうか。1教科90分という時間制限をオーバーしても、最後まで頑張って日課をこなしています。

 

 

この方式で進めていった場合、英語と数学の1学年分の学習は、約1ヶ月で終わらせることが出来るペースです。そうすると、8月末までには学校の勉強を追い越して、3年分の学習が終わることになります。促成栽培なのでしっかり定着できているわけではないでしょうが、とりあえず教科書で学ぶべきところは一通り聞いたことがあるというレベルまでには持って行けそうです。

 

 

受験までの9か月のうちの最初のクールは、このような感じで進めていこうと思っています。まずは英語と数学の教科書レベルの学習を、みんなに追い付け、追い越せという感じでどんどん進めていく。13時間勉強するということを体にしみ込ませ、生活のリズムを生み出していく。そこから自信が芽生えていったり、もっと勉強したいという意欲が出てきたりしたら、学習の場を求めて学校に行きたい、というようになるかも知れません。少なくとも、劣等感から学校に行きたくないという気持ちは、多少なりとも薄まるでしょう。

 

 

続いて9月からの第2クールは、もう少し勉強時間を増やして、英数以外の教科にも手を付けていきたいですね。学習の幅を広げて、複数の教科で学んだことの記憶が絡み合っていく。縦横無尽に頭の中にクモの巣を広げていくイメージです。べとべとしてひっかかるところが多ければ、記憶の奥底に落っこちていくことが少なくなります。

 

 

そして12月からの最終クールでは、受験対策を絞り込んでいって、苦手分野をカバーしていくのがいいでしょうか。これまで定期テストを受けていないので、テスト慣れしていません。実践的なテスト勉強をすることで、本番での取りこぼしが少なくなるようにしていきたいです。

 

 

まとめると、第1クールは英数で学習の柱を立て、第2クールで学習の幅を広げ、第3クールで隙間を埋めていくという3部構成。そうそううまくいくものではないかもしれませんが、計画を立てることは重要です。うまくいかなければ軌道修正すればいいだけのこと。まずは大まかなロードマップが見えてきたのは、大きな収穫でしょう。

 

 

昨日は担任の先生にお願いして、進路相談をさせてもらいました。学校の再開が決まる前にと思って、急遽前日にお願いしたのですが、うまく時間を取ってもらうことが出来ました。

 

 

結論を先に言いますと、すごく良い情報をいただくことが出来ました。先日のブログで書いた仮想志望校のうち、新宿山吹高校は先生が以前担任をしていた不登校の子が進学したことがあるとのこと。定時制なのでお昼過ぎから登校するコースなどもあるし、クラスも時間割もない自由な校風なので、いろんな生徒がいて、不登校経験者の入学も珍しくないそうです。

 

 

そして入試科目が英語、数学、国語の三つだけというのもいい知らせです。国語はさして勉強することはないし、漢字は捨てているので、実質ほぼ2教科の勉強だけで受験が出来るのです。さらに都立高校の二次募集の際も、受験科目は3教科とのこと。ならば、とりあえず山吹を第一志望と考え、英数をしっかり勉強すれば、合格の可能性が見えてきます。

 

 

それでは、来年2月の受験までの9か月間で、どのぐらい勉強したらいいでしょうか、と相談したところ、中学校の授業のコマ数で言うと1科目あたり1年で135時間を設定しているそうなので、それを3年分ということで3倍すると、405時間。これを9ヶ月で割ると45時間。つまり1ヶ月で45時間。さらに一か月30日として割り算をすると、一日あたり1.5時間という数字が出てきます。要するに、毎日英語と数学を90分ずつ、合計3時間勉強すればいいとのことです。計算結果がすごくきれいな数字なので、何かに導かれたような気さえします。受験まで9ヶ月というこのタイミングも、特別意図したわけではありませんが、虫の知らせがあったのかも知れません。

 

 

このことをムスコに話すと、意外とそれぐらいの勉強時間でいいのかという感じで、前向きに捉えてくれました。

 

 

それでは毎日3時間の勉強をどのように進めていけばいいのか。ここはとりあえず、通っている塾のトライが映像授業を提供してくれているので、それを利用することにしました。映像を45分ほど見て、その後の45分で問題を解いていくという、塾で実際にやっているスタイルを自宅でもやることにしたのです。映像授業の良い点は、速度を1.4倍にすることが出来るのと、分からないところは繰り返し見られるところです。さらに、映像授業の講師は選ばれた方でしょうし、事前準備をして撮影に臨まれているでしょうから、内容的にも充実しているみたいです。単に勉強するだけだったら、学校に行くよりもよっぽど効率的に出来そうです。(確か、このようなオンライン授業を全国的に普及させるべきだということは、藤原和博さんが本に書かれていましたね。)ムスコにとっては、パソコンで授業を見ている間にお菓子をつまんでいようが、だらしない格好をしていようが怒られないのも、自宅学習のいい点ですね。

 

 

さっそく昨日からこの方式で勉強を始めました。偉そうに言うと、映像授業という「ツール」を使って、90分勉強を行うという「ルール」が出来たわけです。あとはこのツールとルールをどうやってマネジメントしていくか。学校の先生や塾の先生にも協力してもらって、三位一体のサポート体制でマネジメントしていこうというのが、私の目論見。みんなから見守られて、励まされていたら、やる気になるでしょうし、やらざるを得ないことになるでしょう。不登校だと自分だけの世界にこもりがちなので、どこまで周りの人間を巻き込めるかが、成功の決め手になりそうです。

 

 

昨日の日曜日は、所ジョージさんが出演するテレビ番組が4本も放送されていました。スタジオ収録が難しくなっていて、出演者の自宅からのリモート中継が盛んになっている現在、世田谷ベースで収録する番組を13年以上放送している所さんは、家暮らしの達人としても注目を浴びています。特にその生活スタイルを自律神経との関係で科学した日テレ「所さんの目がテン!」が秀逸でした。さすが所さんのレギュラー番組の中でも最長の30年以上続いている番組です。テンポがいいので見ていて飽きないし、とても役に立つ情報を提供してくれます。あまりにいい番組だったので、ムスコにも見てもらいました。

 

 

Tverではまだ見られるので、実際に多くの人に見てもらいたいところですが、ポイントだけかいつまんで説明すると、所さんの生活の中で、特にいいところは、以下の三つだそうです。

 

   早起きして朝日を浴びて、ゆとりを持って日常の行動を行うこと。

   好きなことに没頭する時間を持つこと。

   単純作業で達成感を得ること。但し長時間続けるのは良くないので、適度に休憩を入れること。

 

 

このような生活を送ることで、呼吸が整い、自律神経のバランスが良くなり、ストレスが軽減されるというのです。

 

 

さらに所さんの人生哲学がすんばらしいです。

 

彼は番組の中でこのように語っています。

 

「楽しいと思う人は何をやっても楽しいし、つまらないと思う人は何をやってもつまらない。楽しいことの方がエネルギーがわくので、つまらないことも面白く思える自分を作り上げることが大事」

 

 

人生を楽しんでいる所さんならではの名言です。ムスコに十分伝わったかどうかは、分かりませんが、私を含め多くのおやじが所さんの生活に憧れていることは、分かっているようです。ムスコのエレキの先生も、所さんっぽいところがあるそうです。お金にも時間にも心にも余裕があって、家族を大切にしている所さんは、おやじの鑑ですね。

 

 

給付金を前倒しにして、ムスコにパソコンを買おうと決めてから、ムスコと一緒にパソコン選びをしています。5万円の予算で買えるものとなると、数はかなり絞られますが、それでもいろいろな条件を比較して選ぶということは、結構大変なことです。

 

 

ムスコはネットの評判を気にしすぎるところがあります。自分の評価軸がないから仕方がないのかも知れないですが、情報が多すぎるという問題もあります。ムスコは本当はゲーム用にハイスペックなものを買いたいのですが、今回の目的の1番はオンライン授業で使うこと。そうしたら、それほど高いものを買う必要はありません。でも安物は使い物にならないと、実際に使う前から思い込んでしまって、だったらもう買わなくてもいいと言い出しました。人生初のマイPCなので、後悔したくないという気持ちが先立ってしまっています。

 

 

だから私が勝手に選ぶのではなく、ムスコ本人にもじっくり調べてもらうことにしました。CPU、メモリー、ストレージなど、パソコンのスペックについて、そもそもの意味や役割などを学びながら、何が自分にとって最適なものなのかを選んでいくというプロセスは、今後の日常生活でも役に立つことでしょう。今は価格コムなどの便利なサービスがあるので、金額の比較をすることは容易になりましたが、金額以外の比較事項もたくさんあります。お店で買うのなら目の前にある商品の中から選ぶことになるのでしょうが、ネットで探すとなるとべらぼうに選択肢が広がるので、その中から一つ選ぶというのはむしろ難しくなっています。

 

 

調べるといろいろ勉強になります。CPUはやっぱりIntelだろうという先入観がありましたが、今はAMDの方が売れているらしいこと。ストレージはSSDがいいのか、HDDがいいのか。メーカー的には、hpLenovoDellなどがコストパフォーマンスが良さそう。

 

 

そんな感じで、良さそうな機種を6つほど選んで比較表をまとめました。これはいわば、私自身が今まで仕事で何度もやってきたようなマーケティングの基本のようなもの。普段の買い物でここまでやることはありませんが、1万円以上の高額商品ならやった方がいいでしょう。衝動買いの防止にもなります。

 

 

あとは、出来たらお店に足を運んで、実機の確認をしたいところです。やはり画面の見やすさやキーボードの感触などの質感は、オンラインでは分かりません。通販を買って荷物を開けたらがっかりということは、珍しくありません。

 

 

外出自粛要請はまだ解けていないですが、気晴らしも兼ねて、近いうちに近くのヤマダにでも行こうかな、と思っています。

 

 

ようやく我が家にも厚生労働省からマスクが届きました。幸いにも我が家にはまだ不織布のマスクが結構残っているし、姉からお手製の「アネノマスク」をもらったので、マスクには困っていません。さらに私の花粉症は収まったし、外出する機会も減ったので、マスクの消費量も減ってきています。もちろん、せっかくいただいたものなので、機会があれば有難く使わせていただこうとは思っています。

 

 

それにしても、布製の白マスクは久々に見たような気がします。これを見て、テレビのクイズ番組などで使われるバッテンマスクを思い出したのは、私ぐらいでしょうか。そうです、「ドレミファドン」などで使われていた、✖印が大きく書かれたマスクです。間違えた答えを言ってしまって、次の解答権がなくなるとつけさせられるマスクです。

 

 

そう考えると、今回のマスクは、感染防止はもちろんですが、口封じのために配られたような気もします。マスクを配ったんだから、文句を言ったり、減らず口を叩いたりするんじゃないぞと。結果的に逆効果になってしまったのは、なんとも皮肉ですが。

 

 

そもそもアベノマスクというように、個人名が冠される時点でおかしいですよね。安倍さんが作ったわけでもないし、お金を出したわけでもないし、そういうブランド名のマスクがあるわけでもないし、だから安倍さんに恩義を感じる必要はないわけです。実際に作った人とか、届けてくれた人とか、鶴の一声によって現場で大変な思いをされた方には、感謝や同情はしますが・・・。

 

 

こうなってしまったのも、アベノミクスなどという、聞いていて恥ずかくなるような言葉を、自らも悦に入ったように使っていたことがいけないのでしょう。この言葉には自分が経済を牛耳っているかのような傲慢さが表れています。あるいは、王様が自分の治世をアピールしているかのように聞こえます。

 

 

実るほど頭の垂れる稲穂かな・・・偉い人ほど謙虚にするべきです。いい結果が出た時には、自分をアピールするよりも周りのことを立て、悪い結果が出た時には自分が前面に出て責任をかぶる。そういう人がリーダーだったら、困難に直面しても一致団結していけるのではないでしょうか。アベノマスクなどと茶化されるのは、驕れるものがしっぺ返しを食らった結果でしょう。それとも後世から振り返ったら、経済対策の失敗例として自らの責任を明らかにするために、個人名を冠した潔さのしるしとしてアベノミクスという言葉が認識されるのでしょうか。

 

 

いずれにしても、とっとと首相を辞めていたら、こんな一大事に一国のリーダーなどという大変な重責を負わされずに済んだのに、と思います。実際にはありえないですが、仮に自分が今首相だったら、どんなにつらいだろうかと想像すると、ぞっとします。きっと逃げ出したくなるでしょう。それとも政治家というものは、こういうピンチにはアドレナリン出まくりになるのでしょうか。東日本大震災の際の菅さんなども、空回りするぐらい出しゃばっていましたからね。そう考えると、戦争が大好きな政治家がいることも理解できます。

 

 

どうでもいいですけど、大阪のあべのハルカスは安倍さんとは関係ないですよね。

 

 

おうち時間が増えて、手持ち無沙汰なこともあるのでしょうか、自分のルーティーンをYouTubeなどで公開する人が増えているようです。ダラダラした生活にメリハリをつけるために、何かしらの決まり事を作るのはいいことだと思います。ただイチローのような超一流の人のルーティーンだったら興味がありますが、普通の人のルーティーンは正直どうでもいいですし、それを動画で見せられるのは、どうなんだろうと思ってしまいます。

 

 

とかなんとか言いながら、私のルーティーンを少しだけ披露すると(動画じゃなくて文章だから許して)、朝風呂に入って鏡の前でスクワットなどの軽い運動をすることと、寝る前に布団の上でストレッチをすることです。他にもいろいろルーティーンのようなものはありますが、他人に言えないようなものもありますので・・・。

 

 

このブログを書いているのも、一つのルーティーンです。2017年の9月に書き始めて、2年半以上続いています。たまに自分でもいいこと書けたと思う時もありますが、相変わらず、いいねの数は一けた台なので、承認欲求は満たされません。でも、そもそも自己満足で書いているので、誰かに読まれようが読まれまいが、あまり気にせず書いています。なかなかネタが浮かばずに書けない日も多いですし、どうでもいいような下らない話が多いですが、頭の中の邪念を吐き出すためには、文章に書き下ろすことは効果的です。吐瀉物のような文章なので、大勢の人にお見せするようなものではありません。ティッシュにくるんで汚物入れにでも入れておいてもらえるとありがたいです。

 

 

今日もこうしてブログを書くことが出来て、ルーティーンが一つ終わりました。やれやれ。

 

 

最後に、面倒くさいルーティーンを定着化させるコツを一つご案内。それは「ついでにやる」ということです。私の例で言うと、風呂に入るついでにスクワットをする、とかです。既に習慣化されていることに紐づけて、新しい習慣を身に着けていくのが効果的だということです。ほかにも、外から帰ってきたらうがいをするという習慣は、私は昔からついていて、やらないと気持ち悪い感じがします。無意識の反射行動的にやるようになったら、本当のルーティーンと言えるのでしょう。

 

 

今日は久しぶりに中学校に行ってきました。自習用教材などのプリントをもらうのが目的で、生徒が取りに行ってもいいし、保護者が取りに行ってもいいことになっていました。ムスコは自分で行くと言っていましたが、起きるのが遅くて指定の時間に間に合わなかったため、私が行くことになりました。

 

 

受け渡しの指定場所は体育館の入口。長机が置かれて、その前に透明ビニールの幕が張られています。ムスコが中1の時と中2の時の先生方がいたので、ムスコの近況について軽く話をしました。書類の受け渡しをするため、ビニール幕を通り越して至近距離に近づきます。私は特に気になりませんが、こんなことでも気にする人は気にするのでしょうね。

 

 

小学生の時は、「バイキン」だとか「エンガチョ」とか言って、汚いものや臭いものを忌み嫌ったものです。平気で鼻くそほじって、それを食べたりする人もいるくせに、トイレでうんちをするのは恥ずかしいことと見なされていました。それでトイレを我慢してうんちを漏らしたりしたら、笑いのタネです。でも実際には多くの人が似たような経験をしているのではないでしょうか。

 

 

お店のレジのように店員さんの立ち位置が変わらないのなら、幕の効果もあるでしょう。でも人が移動する場合には、幕などあってもなくても大して変わりなさそうです。ならば、ウルトラマンのように、体の周りにバリヤーでも張りますか?それとも風船太郎のように、風船の中に身を包みますか?

 

 

お店のレジのクリアボードは今後スタンダードになりそうです。防犯効果もありそうですからね。でもさすがに学校にはなじまないでしょう。机の周りにパーテーションでも置きますか?カンニング防止にもなりそうですけどね。

 

 

今後のことが見渡せないので、先生たちも混乱されているようです。早く元の生活に戻してほしい。学校現場からはそんな声が聞こえてきそうです。

 

 

 

それじゃ、裏技でも出しますか?

 

 

「エンガチョ切った!」

 

 

はい、これでもう大丈夫。

 

んな、わけないか。

 

 

 

(ちなみに、男の子がエンガチョ切る時にする指のポーズ、訳も分からずやってましたが、性的&聖的な意味があったんですね。)