僕とアインシュタインのヒーローズファクトリー
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第19話 「犬が苦手」の巻

僕と藤原は彼らから少し離れたところにしゃがみ込んで砂いじりをしていた。
「藤原、お前行って助けてやれよ。」
「やだよ。腹筋がまだダメなんだ。」
「男の癖に、そんなこと気にするなよ。」
「だったら沢田が行ってこいよ。」
「俺はお前らとは無関係だよ。」
「ここまで一緒に来といて、何言ってるんだよ。」
 形勢はどんどん不利になっていた。柿本は倒れたままで、松井が必死でヒロコさんを守っているがもう限界のようだ。黒い犬の勢いは激しくて、とても一人で太刀打ちできそうにない。野良犬の力は思ったよりすごい。
 野口は周囲などお構いなしでボールを犬に拾わせている。いつのまにか犬を「ジョー冶(ジョージ)」と呼んでいる。

 見るに見かねた藤原がついに立ち上がった。
「俺は行くぞ。お前も、いろいろあるだろうけど、少しでも人の心があるなら助けてやれ。多分俺一人が行ったところでどうにもならないだろうから。」
「お前が行けば大丈夫だよ。」
「なあ、沢田。お前のすごいところは、どんな状況にあっても絶対にプライドを捨てないところだ。でもな、いざという時にそのプライドを捨てることができる男こそ、本当に強い奴だと、俺は思うんだよ。」
「何が言いたいんだ?」
「お前から見れば、確かに俺たちは馬鹿かも知れない。だが、よく見てみろ。俺たちだって、プライドの一つも持ってるさ。」
「だから、何が言いたいんだよ。」

「俺な、犬が大の苦手なんだ。」

そう言い残して藤原は戦地へと向かっていった。

第18話 「犬と戦う」の巻

 僕たちは空き地に到着した。雨はまだ降っていない。なぜか一般庶民の誰にも目撃されなかった。でもやっぱり恥ずかしい。これが普通の感覚だ。それなのに柿本、松井、野口は堂々としている。その堂々とした態度が男らしいか、ワイルドかと考えると、決してそうではないのだ。

 僕はその三人の後ろに隠れるようにしていた。ふと隣を見ると、僕と同じように隠れている男がいた。

「藤原お前、何で隠れてるんだよ」

「だから、タイツは苦手だって言っただろ。俺の腹筋の形、まだ今ひとつなんだ。これじゃあ人に見せられない。恥ずかしいだろ」

「ボディービルダーかよ」

「目指すところは通じるものがあるんだ」

僕と藤原がこそこそ喋っているうちに、三人は犬に向かって走り出していた。


 その戦いは何とも見苦しいものだった。

 まず柿本が黒い犬に飛びかかる。砂埃をかぶりながらそれなりに奮闘する。

 野口は空き地の隅で斑点のあるデブ犬に餌をあげている。

 その隙に松井がヒロコさんを安全な場所へ連れて行こうとするが、それを見た柿本がひどく妬いて文句を言う。

 すかさず柿本は背後から黒い犬に体当たりされて倒れる。

 そして黒い犬は再びヒロコさんに向かっていく。

 斑点のデブ犬は実に可愛いやつで、簡単に野口になついてしまった。野口は面白くなって、芸を仕込み始めた。もう、。そんな野口を誰も止められない。

 

 何という悪循環だ。どうしようもない。


 しかし僕は黙って見ているしかなかった。手を貸してしまったら、それこそ僕の最期、この集団に属していることを認めることになる。僕は「こんな連中とは決別し、あの工場から逃げてやる」という夢をまだ諦めていなかった。

 僕と藤原は彼らから少し離れたところにしゃがみ込んで砂をいじっていた。

第17話 「初めての指令本部」の巻

 辺りの眩しい光は消え、部屋の照明は普通の蛍光灯の明かりになった。
「みんな、遅いんだよ。僕は10分前からこうして待ってたのに。」
「ずっと立ってたのか?」
「やあ!諸君!登場シーンの演出を考えていたんだが、今のはどうだね?」
アインシュタインがスポットライトをいじりながら言う。
「いいっすね!神秘的で、かつ男らしさがキラリと光る。」
「うん。ヒーローって感じがよく出てたよ!」
それを聞いてアインシュタインは満足そうに頷いた。
「山田君。私の演出はなかなか評判がいいようだね!」
「ええ!先生!これで行きましょう!」
「そうだ!これで行こう!さあ諸君も、賛成なら拍手を…」
「そんなことより現場はどこですか!!」
柿本が叫ぶ。場内が静まり返った。
「柿本の奴、ずいぶん気合入ってるな。」
藤原がつぶやいた。
「だって柿本が一番こういうの好きですもん。」
松井が小さく言った。
「…ええっと、ではみんな、このモニターを見て。」
大きな液晶テレビに、どこかの空き地が映った。どうやってこんなものを用意したのか、すごく気になったのだが、時間の無駄だろうから深くは考えないようにした。
 空き地では、若い女性が野良犬2匹に挟まれて身動きが取れなくなっていた。なかなか大きい犬だ。一匹は白い体に黒い斑点がある太った犬で、よだれをだらだらと垂らしている。もう一匹は体の引き締まった黒い犬。こちらのほうが賢そうだ。
「あの女性を救うことが君たちの任務だ。犬は結構手強いから、油断しないように。」
山田がモニターを指して現場までの道順を説明した。
「ところで諸君、雨具は用意したんだろうね」
アインシュタインが言う。
「そんなにひどい雨じゃないし、ちょっと濡れたって大丈夫ですよ。」
「だめだ!クリーニング代が高いから、スーツを汚すな!」
「だって傘差して戦ったりしたら片手がふさがって面倒臭いじゃないですか。それにヒーローが傘差すってのもなあ」
藤原が笑う。
「この大馬鹿者がぁぁっ!!!」
なぜかアインシュタインが激怒した。


「カッパを着ればいいじゃないかっ!」


そんなことでどうしてこんなにこの人は怒っているんだろう…。なんて考えている間に例の女性がますます追い詰められていく。
「あの人も災難だなあ。あんな大きな犬に囲まれちゃってさ。…それにしても美人だなあ。」
松井の言葉に、皆が一斉にモニターを覗く。
「ほんとだ。すごい美人だ。」
「うん、美人だ。……あれ?あの人って」
「まさか。似てるだけじゃないのか?」
僕はその女性が何なのか知らなかったが、皆の顔つきはみるみるうちに変わった。
「間違いないよなあ…。」
皆の視線が柿本に集まる。もしかして、彼女が…。


「ヒロコ!!!」


柿本は顔色を変えて部屋を飛び出していった。皆も慌てて後を追う。遅れてついていった僕の後ろから、スーツを汚すなと叫ぶアインシュタインの声が小さく聞こえていた。

第16話 「ヒーローらしい立ち姿」の巻

 衣裳部屋の奥に小さな扉があって、そこが指令本部へつながる廊下への入り口になる。

 全身タイツに着替えた僕たちがその細い廊下をさらに進むと、ついに鉄でできた重い扉が現れた。

「さあ、ここは力が要るぞ。」

藤原と野口が重い扉を二人掛かりで引く。いよいよという時になって、僕は柿本を思い出した。

「おい!柿本がいないじゃないか!」

皆の動きが一瞬止まった、と思ったが、藤原と野口は何も変わった様子無く再び扉を動かし始めた。

「沢田も松井も手伝ってくれ。前より重くなってるよ」

松井が慌てて扉にしがみついた。

「馬鹿!それじゃだめなんだよ!この扉はデリケートなんだからな。ほんの少し持ち上げるつもりで横にスライドするんだ!そうしなきゃいつまでも開かないんだよ!」

「すいません!」

ほほう。扉ひとつ開けるのにもテクニックがあるんだなあ・・・って、僕はそんなことを知りたかったわけじゃない。

「待てよ!だから柿本は・・・」

「よし!せええのっ!」

ごごごごうっと低い音がして、重い扉がゆっくりと開く。そりゃもうまるで映画のように、隙間から眩しい光が溢れてきた。

 そしてその光の中に、明日の方角を見据える一人の男の影があった。浮き上がる細いシルエット。男は腰に手を当てて、足はちょうど肩幅くらいに開いていた。そのなんとも美しい立ち姿!

 まさに・・・ヒーローだった。これが、これこそがヒーロー・・・。

 男はゆっくりと僕たちのほうを振り返る。釘付けになっていた僕たちはごくりと唾を飲み込んだ。かすかになびく髪。さわやかさ抜群じゃないか・・・!そしてこちらにやさしく微笑みかける男らしい顔・・・。


・・・・?


「お前っ!柿本かっ!」

第15話 「実戦の日が来た」の巻

 ある日、部屋で藤原の腕立て伏せを眺めながら読書をしていると、建物の中に大きなサイレンが響いた。そしてスピーカーから、割れんばかりのアインシュタインの声。


「緊急連絡!緊急連絡!諸君たち、待ちに待った初仕事だ!今、3丁目の空き地で若い女性が野良犬2匹に襲われている!至急、戦闘スーツに着替えて本部に集合!・・・なお、今日の降水確率は70%だから、雨具持参!以上!」


ぶつっと放送が切れた。

「なあ藤原、ヒーローってのは、傘なんか差して戦うのか?」

「まあいいじゃないか!それより、いよいよだぞ!」

藤原はひどく張り切っている。僕たちは廊下の突き当たりにある衣裳部屋へと走った。そこには既に野口と松井の姿があり、二人ともずいぶん楽しそうに全身タイツへと着替えていた。

「これを着るんだよなあ。正直、俺、苦手なんだよ」

藤原がぼやいた。僕は嬉しさのあまり大きな声をだしてしまった。

「何だよ!お前!まだ洗脳されてなかったのか!そうだよ!いい年してこんなの着れるかよ!藤原、まだ間に合うぞ。俺たち二人だけでもここで引き返そう!」

「・・・何言ってるんだ、沢田。」

野口が不思議そうに僕を見た。

「だってこんな格好で外を歩いてみろよ。いい笑い者どころか、警察に捕まるよ。」

すると皆が笑い出した。僕は腹が立った。

「いいか沢田。ヒーローなんだぞ。正義の味方なんだぞ。俺たちは運命に選ばれたんだ。そこらへんの一般庶民とは違うんだよ。お巡りさんが俺たちを捕まえるわけがないじゃないか!」

「そうっすよ。むしろ、彼らは俺たちに憧れてお巡りさんになったんですから。」

「そうなのか野口!?俺、そんなの知らなかったよ!」

藤原が驚いて目を大きく開く。

「・・・すいません。今のちょっと嘘です。」

松井が申し訳なさそうに頭を掻いた。

「何だ・・・嘘かよ。びっくりしちゃったよ。それにしても沢田、一般庶民の目を気にするなんて、お前も心が狭いなあ」

藤原が言う。

「ヒーローとしての自覚が足りないんですよ」

松井もちょっと馬鹿にしたように言う。

「そういう問題じゃないだろ!お前らがやってることは現実逃避だよ!馬鹿げてると思わないのか?」

「逃避なんかしてないさ。いい大人の俺たちが、全身タイツを着て、これから野良犬と戦いに行くんだ。馬鹿げていようと、これが現実だ。」

野口まで・・・!僕はもう何も言えなかった。


第14話  「これって通信機なの?」の巻

 会議室の中では、いい大人が嬉しそうに全身タイツをまとって騒いでいた。
「おっ沢田!来たな!大丈夫か?」
青いタイツに包まれた藤原の笑顔はまぶしい。嬉しくて嬉しくてたまらないっていう顔をしている。
「よし、沢田君が戻ってきたことだし、今度は諸君に小型通信機を配る。」
全員に黒い塊が配られた。それはものすごく大きな腕時計だった。時計の文字盤の真ん中には白いボタンがあり、そのボタンに「」のマークがついている。
「なあ、このマーク、玄関にある呼び鈴じゃないのか?」
「僕もそんな気がする…。」
皆の不安げな表情などお構いなしで、アインシュタインは説明を始めた。
「見ての通りだが、真ん中の白いボタンを押すと、私のいる指令本部と連絡が取れるようになっている。画期的な通信機だ。では早速、使ってみよう。」
僕たちは顔を見合わせた。どう見ても、普通の家の玄関にある呼び鈴だ。小さい頃、よく他人の家にいたずらをした。いまだに覚えている。呼び鈴を鳴らし、家の人がでてくる前に逃げる。ただそれだけのことに、小学生の僕は最高のスリルと興奮を味わったものだ。ああ、若いって素晴らしい。
 僕達の誰一人として、ボタンを押そうとしなかった。アインシュタインは焦りを見せた。
「何だ!どうしたんだ?どうしたっていうんだ!!」
「…あの、これって、通信機なんですか?」
柿本が遠慮がちに尋ねた。
「だからそう言っとるだろう!ほら早く、誰か使ってみたまえ!さあ!さあ!」
アインシュタインが苛立ち始めた。藤原があわてて白いボタンを押す。皆が息をのむ。


…ぴいぃん ぽおぉん…


 乾いた音が響いた。
 やっぱり呼び鈴じゃないか。


 藤原の腕時計の中からガサガサと音が聞こえた。皆がそれをのぞき込むと、それからカチャッという音が聞こえて、
「はい!どちら様ですか?」
と嬉しそうなアインシュタインの声が飛び出した。顔を上げると、満面の笑みのアインシュタインが、受話器を耳にあててこちらの様子をうかがっていた。
 
使い方まで呼び鈴そのものじゃないか…。

 

戦闘スーツで終わらせておけばいいものをという感想を抱きつつ、皆、無口でそれぞれの部屋へ戻った。
 本当に、どうしようもない所に来てしまったなあ、と考えずにはいられない。けれど僕は、二段ベッドの下の段で横になり、藤原の筋トレを眺めながら、ここからの逃亡計画ではなく、これから柿本とどう和解するか、それから家具をどう配置すればこの部屋はおしゃれな感じになるだろうか、なんてことを考えているのだった。



これにて第一部 完。

第13話  「野口って変わったなあ」の巻

 廊下に出て、冷たい灰色の壁に額を押しつけた。大きなため息がもれる。テレビのニュースや新聞で、数々の卑劣な犯罪や無惨な事故を見てきたが、こんな連中の存在は全く知る由もなかった。このような集団こそ真っ先に撲滅すべきなのだ。野放しにしておくから、僕のように誠実な人間がひどい目にあう。


 僕の肩を誰かがトンと叩いた。
「落ち着いたか?」
野口だった。野口は水の入ったグラスを僕に手渡し、僕に並んで壁に寄りかかった。
「そんなにここが気に入らないか?」
僕は冷たい水を飲み干してから答えた。
「やっぱり普通じゃ考えられないよ。お前らみんな、ピラミッドの頂上にいる人間じゃないか。こんな所にいるべきじゃない。本当なら社会の先端で活躍してるはずだろ。」
「その言葉なら、そっくりお前に返すよ。お前今まで、何してた?適当な会社に就職して、仕事にやりがいも感じずに、適当な毎日送ってたんじゃないのか?」
その通りだ。僕は大学を卒業して、適当な会社で、適当に仕事をしていた。僕は何しろ完璧だから、適当に仕事をこなして、五時になったらすぐ帰るような毎日を送っていても、業績は常にトップだった。しかし確かに、やりがいなんて感じていなかった。僕は仕事なんかより、ワイルドさの追求で忙しかったから。
「じゃお前は?お前は何してたんだよ。」
「俺か?何もしてなかったよ。毎日、好きなことばかりしていた。就職するでもなく、勉強するでもなく。理由は、おそらくお前と同じだろうな。」
「何だ、それ?」
野口はふうっとため息をついた。
「将来の夢が、ないんだよ。うぬぼれてるみたいだけど、実際、俺もお前も器用だからさ、何をやったってうまく行くんだよな。そうすると、自分にはこれしかないっていうものが、見えてこないんだよ。」
僕は少し驚いていた。野口という男は、僕の知るかぎりでは最も自信過剰で秘密主義で、いつも他人を冷たく見下しているような人間だった。それが今はどうだ。
「だからここは、何ていうかな、軽井沢なんだよ。」
「軽井沢?」
「あんまりいい例えじゃないけどな。こうして世間からすっかり離れて、自分の夢とか、将来とか、じっくり考えるんだ。ここはそういう場所だよ。俺たちは学生時代にちやほやされすぎて、忙しかった。今は運良く与えられた休暇を、満喫しておけばいいんだよ。」

僕はまじまじと野口を見た。
「野口、変わったなあ。」
「そうか?」
「でも、本気であの衣装着て、得体の知れないヒーローなんか気取るつもりなのか?」
「気持ちはよくわかる。だが、そのうちお前もここの楽しさがわかってくるよ。恥ずかしいって言えば、少し恥ずかしいけどな。よし、そろそろ戻ろう。皆が待ってるよ。」
そう言って野口は壁にもたれていた体を起こした。
「やっぱり野口変わったよ。昔はあんなに現実的で、理屈っぽかったのに。」
「そうだなあ、ここに来てから、理屈っていう定規で物事を測ってないな。しかし、かのヴォルテールも『無駄は必要だ』と言っている。」
野口に肩を押されて、僕はしぶしぶ会議室のドアに手をかけた。

第12話  「戦闘スーツのフィット感」の巻

 第二回作戦会議。アインシュタインが大きな袋を抱えて現れた。
「今日は諸君に嬉しい知らせがある。諸君が首を長くして待っていた戦闘スーツが、ついに出来上がった!今日はそれを見てもらおうと思う。」
アインシュタインは誇らしげな顔で袋を開ける。そして山田が衣装を取り出して皆に見せた。
「まず、リーダーである『グレンジャーレッド』のスーツがこれだ!」
それは、子供の頃にテレビで見たのとそっくりだった。妙に光沢のある赤い生地で作られた全身タイツ。腰には白いベルト。胸元にはワンポイントの刺繍がほどこされいる。稲妻のようなマークの真ん中に青い糸で「G」と縫いつけてあった。あんなの着たら恥ずかしいだろうなぁ、とため息が出た。
「これを沢田に着てもらう。」
「えぇっ!?」
「おめでとう!頑張ってくれたまえ!」
アインシュタインは強引に、僕にその衣装を渡した。
「そして、これが『グレンジャーブルー』。そして『グレンジャーグリーン』、『グレンジャーイエロー』、最後に『グレンジャーホワイト』だ。デザインは五着とも同じ。胸元の刺繍の『G』は、もちろんグレンジャーの『G』だ。そして色なんだが、ブルーは藤原、グリーンは野口、イエローは柿本、ホワイトは松井にやってもらう。頑張ってくれたまえ。」
それぞれに衣装が渡された。藤原や松井が歓声を上げる。
「全員統一して、白い長靴と白い手袋を着用する。ヘルメットも今から配る。サイズが合ってるか、確認してほしい。」
 試しに着てみた。ピッタリだった。すごく着心地の良いことに驚いた。肌の滑りは良いし、通気性も優れていて暑苦しくない。そして何より、動きやすいのだ。デザインや、こういう服を作ること、作る人間はひどく問題ありだが、運動着として評価するならこの衣装は最高だと思った。
「いいなあ、これ…。」
思わずつぶやいてしまったのを、アインシュタインは聞き逃さなかった。
「気に入ってくれたかい。実は、このスーツは私が作ったんだ。手縫いでね。」
「すごい…。」
裁縫が趣味と言うだけはあった。手縫いとは思えないほど、縫目は細かくそろっていた。
「嬉しいよ。君もやっと、我々と一緒に戦う覚悟ができたようだね。」
アインシュタインがにやにやして言う。
「やめてくれ!俺はお前らとは違うんだ!こんな所、すぐに出ていってやる!」
「照れるなよ沢田。本当は、ちょっと楽しそうだなあとか、思ってるんだろ?」
「そうっすよ。一体何が不満なんすか?」

「だって、こんなの普通じゃないだろ!」

僕がそう叫ぶと、皆の動きが止まった。少しは応えたかと思ったが、そうではなかった。
「当たり前だ。我々は一般庶民を守る戦士、ちびっこが憧れる『ヒーロー』だ。普通なわけないじゃないか。ほら、こんな素敵なスーツを着て、平和のために戦えるんだ!そこらへんの一般庶民とは、まるっきり訳が違うよなあ。はっはっは。」
そうだよなあ、と笑いが起こる。僕は頭痛を感じて、よろよろと部屋を出た。

第11話 「バイトをする」の巻

 八時十五分、僕は新しい仕事先に連れていかれた。送り迎えは山田の車、魚屋の親父はアインシュタインの古い友人で、監視の目はとても厳しく、逃げ出すのはかなり難しそうだった。
「逃げようなんて思うなよ、にいちゃん。自慢じゃないけどな、おいらは空手五段だ。にいちゃんの、そのがっちりした腕の一本や二本、軽くポキポキっとやるからな。お前さんはここでしっかり稼いで、立派なヒーローになるんだ。」
親父がそう言ってにやっと笑った。悔しかった。


 一週間ほど、僕はおとなしく働いた。いつの日か必ずこの地獄から逃げ出してみせると心に誓い、まずは細かい調査で情報を集め、それから脱出計画を練ろうと思ってのことだ。しかし脱出に役立つような新情報は全く得られず、魚の名前には無駄に詳しくなった。
 藤原は工事現場で、野口と柿本は進学塾の講師として、そして松井はベトナム料理店で働いた。


 その日は土曜日だった。午前中に仕事が終わったのだが、春の陽射しがあまりに優しくて、僕は夢心地になった。そして「蝶…そうよ私はアゲハ蝶…」などと錯覚を起こし、ふらっと川原のほうへ一歩踏み出したところ、僕はすかさず魚屋の親父に投げ飛ばされ、迎えに来た山田の車にそのまま放り込まれて、気付いたときには会議室の椅子に座っていた。


第二回作戦会議」と書かれた横断幕が目の前に掲げられていた。

第10話  「柿本の恨み」の巻

 柿本と野口の部屋は廊下の突き当たりだと松井に教えられて、僕は体ひとつで乗り込んだ。

 実は少しわくわくしていた。遠くから憧れの眼差しを向けられることはあったにせよ、恨みを買うことはまずなかった僕が、初めて愛や憎しみの渦巻く世界に飛び込んだのだ。これが青春だと思った。

 ドアを開けると、そこには柿本だけがいた。

「あ…野口は?」
「トイレ。」
柿本は僕に背を向けてぶっきらぼうに答えた。
「お前、何で怒ってるんだ?」
言った。ついに言ってやった。

「僕は優勝したんだ。」

柿本はまだ僕に背中を向けたままだ。
「なのに、何で沢田ばっかり騒がれるんだよ。優勝できなかったくせに、ちょっと顔がいいからってさ!僕が載ったのは『月刊 百人一首とともに生きて』で、沢田はいろんなファッション誌ってどういうことだよ!」
「そりゃあ、俺、ワイルドで素敵だもん。」
僕がそう言うと、柿本は振り向いて僕をにらみつけた。耳まで真赤になっていた。
「ああ、どうせ僕は百人一首しか出来ないさ!数学も出来ない、運動神経だって最悪さ!だからって、あの扱いは何だよ!ヒロコまでが、沢田のことをかっこいい、かっこいいって話すんだ。僕は頑張ったのに!」
 気が抜けた。何て馬鹿らしい恨みだ。僕がワイルドでかっこいいのは当然のことじゃないか。それを恨むなんて、時間と労力の無駄でしかない。僕が素敵だということは、地球という惑星が誕生してから四十六億年、ずっと変わらないことであって、僕が生まれる前から決まっていたことなのだ。人間ひとりにどうにかできる問題ではない。そう柿本に言ってやりたかったが、ますます怒らせても面倒なので、やめておいた。
「でも、その婚約者とはうまくいってるんだろ。だったらいいじゃないか。」
「そうだけど…でも、すごく悔しかったんだ!」
柿本は少し涙ぐんでいるように見えた。僕は思わず笑ってしまった。
「笑うな!この、ワイルド馬鹿!」
「何だ、その『ワイルド馬鹿』って!」
「ワイルドって言われると、調子に乗ってなんでもやるからだよ!どうせここにだって、それで来ちゃったんだろ!」
「そうだよ、だまされたよ!ワイルドって言われたよ!」
頭に血が上った。本当は恥ずかしかったのだ。確かにワイルド馬鹿だ、僕は。「ワイルド」と付くものなら何でも見境無しだ。でも、それを柿本に言われたくなかった。貧弱で百人一首しか取り柄のない奴に、僕のワイルドを追求する姿勢を馬鹿にされる筋合いはなかった。僕は拳を固く握った。それがゆっくりと上がってくる。あと一言でも柿本が僕を悪く言ったら、この拳は火を吹いただろう。


「そのくらいにしておけよ。」
 トイレから戻った野口に腕をつかまれて、僕はすぐに自制心を働かせた。こういったところも、ワイルドでオトナな僕の魅力だ。柿本なんか、まだ鼻息を荒くして僕をにらんでいたもの。
「野口君、沢田が悪いんだよ!このワイルド馬鹿が!」
「落ち着け。沢田には悪気はなかったんだし、なあ、いい加減許してやったらどうだ?」
野口の話し方は、不思議な落ち着きがある。不思議なことに、相手の感情までも抑えて落ち着かせてしまう。なぜだろう。声が低いからだろうか。数学が得意だからか。数学が得意だからなのか?
「許す許さないの問題じゃないよ。僕、気付いたんだ。今まで僕はずっと沢田を恨んできたけど、そうじゃない。ただ純粋に、嫌いなんだよ、この能無しがさ!」
「何だと?」
「沢田さーん、みんなを呼んできてって頼んだのに、どうなってるんですか?誰も来ないんですけどー!」
松井が食堂から叫んでいる。苛立ちを感じたまま、僕はほかの連中を呼びに行った。