第10話  「柿本の恨み」の巻 | 僕とアインシュタインのヒーローズファクトリー

第10話  「柿本の恨み」の巻

 柿本と野口の部屋は廊下の突き当たりだと松井に教えられて、僕は体ひとつで乗り込んだ。

 実は少しわくわくしていた。遠くから憧れの眼差しを向けられることはあったにせよ、恨みを買うことはまずなかった僕が、初めて愛や憎しみの渦巻く世界に飛び込んだのだ。これが青春だと思った。

 ドアを開けると、そこには柿本だけがいた。

「あ…野口は?」
「トイレ。」
柿本は僕に背を向けてぶっきらぼうに答えた。
「お前、何で怒ってるんだ?」
言った。ついに言ってやった。

「僕は優勝したんだ。」

柿本はまだ僕に背中を向けたままだ。
「なのに、何で沢田ばっかり騒がれるんだよ。優勝できなかったくせに、ちょっと顔がいいからってさ!僕が載ったのは『月刊 百人一首とともに生きて』で、沢田はいろんなファッション誌ってどういうことだよ!」
「そりゃあ、俺、ワイルドで素敵だもん。」
僕がそう言うと、柿本は振り向いて僕をにらみつけた。耳まで真赤になっていた。
「ああ、どうせ僕は百人一首しか出来ないさ!数学も出来ない、運動神経だって最悪さ!だからって、あの扱いは何だよ!ヒロコまでが、沢田のことをかっこいい、かっこいいって話すんだ。僕は頑張ったのに!」
 気が抜けた。何て馬鹿らしい恨みだ。僕がワイルドでかっこいいのは当然のことじゃないか。それを恨むなんて、時間と労力の無駄でしかない。僕が素敵だということは、地球という惑星が誕生してから四十六億年、ずっと変わらないことであって、僕が生まれる前から決まっていたことなのだ。人間ひとりにどうにかできる問題ではない。そう柿本に言ってやりたかったが、ますます怒らせても面倒なので、やめておいた。
「でも、その婚約者とはうまくいってるんだろ。だったらいいじゃないか。」
「そうだけど…でも、すごく悔しかったんだ!」
柿本は少し涙ぐんでいるように見えた。僕は思わず笑ってしまった。
「笑うな!この、ワイルド馬鹿!」
「何だ、その『ワイルド馬鹿』って!」
「ワイルドって言われると、調子に乗ってなんでもやるからだよ!どうせここにだって、それで来ちゃったんだろ!」
「そうだよ、だまされたよ!ワイルドって言われたよ!」
頭に血が上った。本当は恥ずかしかったのだ。確かにワイルド馬鹿だ、僕は。「ワイルド」と付くものなら何でも見境無しだ。でも、それを柿本に言われたくなかった。貧弱で百人一首しか取り柄のない奴に、僕のワイルドを追求する姿勢を馬鹿にされる筋合いはなかった。僕は拳を固く握った。それがゆっくりと上がってくる。あと一言でも柿本が僕を悪く言ったら、この拳は火を吹いただろう。


「そのくらいにしておけよ。」
 トイレから戻った野口に腕をつかまれて、僕はすぐに自制心を働かせた。こういったところも、ワイルドでオトナな僕の魅力だ。柿本なんか、まだ鼻息を荒くして僕をにらんでいたもの。
「野口君、沢田が悪いんだよ!このワイルド馬鹿が!」
「落ち着け。沢田には悪気はなかったんだし、なあ、いい加減許してやったらどうだ?」
野口の話し方は、不思議な落ち着きがある。不思議なことに、相手の感情までも抑えて落ち着かせてしまう。なぜだろう。声が低いからだろうか。数学が得意だからか。数学が得意だからなのか?
「許す許さないの問題じゃないよ。僕、気付いたんだ。今まで僕はずっと沢田を恨んできたけど、そうじゃない。ただ純粋に、嫌いなんだよ、この能無しがさ!」
「何だと?」
「沢田さーん、みんなを呼んできてって頼んだのに、どうなってるんですか?誰も来ないんですけどー!」
松井が食堂から叫んでいる。苛立ちを感じたまま、僕はほかの連中を呼びに行った。