僕とアインシュタインのヒーローズファクトリー -2ページ目

第9話  「柿本に会いに行こう」の巻

 次の日の朝六時に、僕は叩き起こされた。
「悪と戦うには、体力が第一だよ。」
偉そうなアインシュタインに、腕立て伏せを五百回やらされた。でも僕はワイルドだから、全然苦しくなかった。松井は食事係だからそこにはいなくて、藤原は僕より一足早く五百回終えていたが、そこで終わらず倍の千回に挑んでいた。筋トレが好きで好きでたまらないらしい。野口と柿本は二百回くらいでリタイアした。貧血を起こして倒れた野口を、同室の柿本が背負って部屋へ運んだ。柿本自身もかなり青ざめていたので、何か手伝ってやろうと声をかけたら、すっかり無視された。さすがに頭にきた。
「でも、柿本はいい奴っすよ。困った人見ると放っておけないみたいで、必ず助けてやるんです。それも、気付かれないようにやるんっすよ。感謝されるのが苦手だとか言って。でも本当はそうじゃないんです。ほら、例えば沢田さんとか野口さんって、プライド高いから、人に借りを作るのって嫌いでしょ。他人に世話になると、相手はいいことした気分でも、自分は何だか申し訳なくって気まずいってことあるじゃないですか。そういうのをわかってるんっす。周りを一番よく見てるのが、柿本だと思いますよ。」
 朝食の準備をしながら松井が語った。僕は朝の体力作りを終えて、松井のところへ来ていた。食堂の奥には調理場があり、そこで松井は七人分の食事を作っている。その調理場をのぞくことのできる小さなカウンターに寄りかかって、僕はハムをつまみ食いしていた。
「お前、俺が柿本に嫌われている理由、知ってるか?」
松井はレタスをちぎった。それから目玉焼きを作り始めた。
「ああ、知ってます。俺から見たら、本当にどうでもいいような理由なんっすけど。」
フライパンで目玉焼きを二個ずつ作る。慣れた手つきで、あっという間に七個の目玉焼きが出来上がった。
「それで?」
「実は、あいつには婚約者がいて、ヒロコさんっていうんですけど、ものすごい美人でね。もう、一度見たら忘れられないっすね。何ていうのかなあ、とにかく、素敵な人。やること全部、お世辞抜きで絵になりますね。」
チンと音がして、トースターからパンが飛び出した。松井はそれに目玉焼きとレタスを乗せながらぼやく。
「このトースター、不便だよなあ。一度に二枚しか焼けないんだもん。一人あたり二枚だから、七人分作るには七回も焼かなきゃならない。時間も手間もかかる。まあ、そのおかげで朝の体力作りをやらなくてすむんですけどね。」
それから松井は別のパンをトースターに押し込んだ。
「その婚約者と俺に何の関係があるんだ。」

「ああ、そうだそうだ。沢田さん昔、百人一首大会に出たでしょ。」
「俺が高二の時だな。」
「そう、その大会で、優勝したのが柿本、沢田さんは二位でしたよね。」
「そうだけど」
またチンと音がなり、パンが飛び出した。いまいましいトースターだ。ゆっくり話もできやしない。
「よし、出来た。すみません沢田さん、ほかの人呼んできてもらえますか?」
話はそこで終わった。結局のところ柿本が僕を嫌う理由は聞き出せなかった。

 こうなったら本人に聞くしかない。男らしく真正面からぶつかってやる。うん、実に良い。男らしくてワイルドだ。

第8話 「藤原と相部屋」の巻

 広くて薄暗い部屋の、二段ベッドの下の段で僕は目を覚ました。よく見えなかったが、周りには箱らしいものがたくさん置いてあった。僕は寝ぼけていて、自分が貨物船に乗っているような錯覚に陥った。仕方がなかったのだ。あまりに突然の、信じられないような出来事に、僕は精神的にも肉体的にも疲れきっていて、幻の一つや二つを見たり、宇宙からの電波を受信したりしてもおかしくないような状況だった。
 僕は事故かなにかで家族を失い、意地悪な親戚によって外国人に売り飛ばされた少年になりきっていた。僕はこの薄暗い船の中で、たくさんの荷物と一緒に揺られながら、自分の運命を考えている。この船は僕を地獄へと連れていくつもりなんだ。父さん母さん、どうして僕だけ置いていったんだよ…。僕はこんな暗いところで独りぼっちさ。僕、暗いの苦手なんだよ。ねえ、父さん…。僕はポケットから小さなマッチ箱を取り出す。かすかな明かりを求めてその一本に火をつける。するとどうだろう。その炎の中に、家族が生きていた頃の、楽しい食卓の様子が浮かび上がったのだ。それをうっとりと眺めていたら、火が突然消えてしまった。嬉しさと同じくらい僕の鼻息も大きかったのだ。僕は今度は息を止めて、慎重にマッチをすった。今度は炎の中に、誰かの後ろ姿が見える。何だか忙しく動いているようだ。体が倒れては、また起き上がる。何だ、あの変な動き…。あっ!腹筋運動じゃないか!…でも父さん、腹筋なんかしてたかな?それにあんなに体もがっちりしてないはずだな…。炎の中で、その後ろ姿がゆっくりと向きを変え、僕のほうへ顔を向けた。
「おう、生きてるか?」
「父さん!」
僕は叫んで、がばっと体を起こした。辺りがぱあっと明るくなった。藤原が上半身裸で腹筋運動をしていた。
「悪いけど、俺はお前の親父じゃないぞ。」
「何だ、藤原か。」
「お前、会議中にいきなり白目むいて倒れたんだよ。覚えてないだろうけど。」
「ああ、覚えてない。」
「びっくりしたよ。それで、この部屋に運んで、そこに寝かしてからは、ものすごい寝言だろ。もう俺、本当に恐くてたまらなかったよ。」
「変な夢を見てた。しかしそんなにひどかったか、俺の寝言。」
僕は頭をかきながらベッドから出た。まだ頭がぼうっとする。藤原が動きを止めて真面目な顔で言う。
「お前、ひどいなんてもんじゃないよ。しまいにはマッチに火をつけて笑ってたんだぞ。俺、もうどうしたらいいかわかんなくて。」

「・・・腹筋してたのか。」
「『困ったときは筋肉に聞け』って、俺のじいちゃんがよく言ってたんだ。全然意味わかんないけどな、はっはっは。」
「お前のじいちゃん、確かボディビルダーだったよな。」
「そうそう。よく覚えてたな。さすが沢田。」
藤原はまた勢いよく腹筋運動を始めた。
「何がなんだかわからない。お前ら、どうかしてるよ。」
「そのうち慣れるさ。よし次はスクワットだ。はっはっは。」
藤原が豪快に笑う。僕も何だか笑ってしまった。少しだけ、気分が楽になった。この男がいたのは僕にとって救いだった。藤原がここにいなかったら、そしてこんなに馬鹿でなかったら、僕はきっと、もっと落ち込んでいただろう。
「ところで、この箱は何だ?」
「ああ、お前の荷物だよ。さっき届いた。この部屋は俺とお前で使うことになるから。お前が来るまでは一人部屋だったんだけどな、広いのはいいが、やっぱり寂しいからな。まあとりあえず、よろしく。」
「勝手に話を進めるなよ。俺は、お前らと一緒にヒーローなんかやる気はないよ。」
「そのうち慣れるって。俺だって、最初ここに連れてこられたときは、あいつら犯罪者だと思ったよ。でもさ、何だか楽しいんだ。砲丸投げよりもさ、ずっと楽しいんだよな。」
「でも、これじゃ誘拐されて監禁されたようなもんじゃないか。」
「監禁なんて、おおげさだなあ。ほら見ろ、テレビも電話もあるだろ。もちろん使える。それにこの部屋にあるものは、全部俺たちの私物だよ。今まで暮らしていた部屋と変わらないさ。」
 誰かがドアを叩いた。藤原が返事をすると、松井がひょこっと顔を出した。
「あ、沢田さん、大丈夫でした?」
「まあな。」
「そりゃ良かった。それで、夕飯なんですけど、食べられそうっすか?」
時計の針は既に午後七時をまわっていた。
「もうそんな時間か。沢田、食事係は松井なんだが、こいつの料理はうまいぞお。本当に。絶対食ったほうがいいよ。」
「でも、具合が良くないんなら、お粥か何か作りますけど。」
「沢田、こいつのお粥もうまいぞお。いや、本当に。」
藤原には妙な口癖があった。最後に念を押すような言葉をつける。いい加減な性格であるゆえに、日頃からあまり信用されないのだろう、そんな彼なりの苦しさを感じた。
「じゃあ頼むよ。皆と同じのを食べられそうだ。」
 松井の料理はうまかった。本当に。

第7話  「チーム結成!」の巻

「よし、それでは諸君、いよいよ本題に入ろうと思う。まず、我々のチーム名を決めたい。徹夜して原案を考えてきた。あくまでも原案だ。しかし私がわざわざ徹夜して考えたから、質問も意見も受け付けません。さあそれでは発表です。完璧な男たちのそろったクールな我々のチーム名は、…『爆走戦隊グレンジャー』だ!」
アインシュタインがいやに清々しい顔でそう叫ぶと、いつ用意したものか、僕達の頭上で大きなくす玉が割れた。そして「祝 爆走戦隊グレンジャー」と書かれた布が下がった。しばしの沈黙。さすがに皆、この老人の頭のおかしさに絶句しているのだと思った。なぜ、健全に生きてきたこの僕が今更「爆走」して「グレ」なければならないんだ。そんなのはさっき僕がやっつけたバイクの五人組にやらせておけばいいじゃないか。あいつらこそぴったりだ。そんな真似をこの僕にさせようなんて、あきれて物も言えない。しかし、そんな僕のデリケートな心をかき乱すように、どこからともなく拍手がわきあがり、歓声が飛び交うのだった。

 山田と名乗るスーツの男が手を叩きながら、日の出を眺めるような顔で右斜め四十五度の宙を見つめていた。柿本も同じような顔で、唇をかみしめ小さなガッツポーズを作っていた。
「嘘だろ…」
 開いた口がふさがらない。しかし僕の底知れぬむなしさをよそに、藤原や松井は興奮して飛び跳ねていた。

 アインシュタインはどこから取り出したのか、片目だけ黒く塗ってあった大きなだるまに、自信満々にもう一つの目を書き入れていた。巨乳アイドルの水着大会じゃあるまいし、何なんだこの騒ぎようは。信じていた冷静な野口までが…。彼はじっと椅子に腰掛けたまま、涙ぐんでいた。僕は違う意味で涙ぐんでいた。
「そして、これから様々な悪と戦っていくにあたり、いくつか決まりを言っておく。一つ、『我々に関する一切を一般庶民に知られてはならない』。一つ、『しっかり働き、寄り道をせずに帰ってくること』。一つ、『全てにおいて、ヒーローと名乗るに値する行為に心がけ、常にそれらしい雰囲気をかもしだすこと』。この三つを絶対に守ってほしい。」
「ちょっと待ってください。ここで暮らせってことですか?僕には住む家も仕事も」
「『僕』って言うなっ!」
 いきなりアインシュタインに怒鳴られた僕を、柿本がわざとらしく「ぷぷっ」と笑った。
「いいか、私たちはワイルド路線で行くんだ。ワイルドな男は絶対に『僕』なんて言わん。『俺』もしくは『俺様』と言え!そして明日から君の仕事は魚屋だ。それから、言葉づかいはもっと荒く。いいな!」
叱られたのは初めてだ。僕は完璧だったから、誰も僕のやることに口を出せなかったのだ。何だかむかっとした。しかしアインシュタインの言うことも一理あると思った。確かに、自分のことを「僕」と呼ぶようではワイルドの「ワ」の字も感じさせられない。
「まったく、君は何にもわかっちゃいないのさ、『ワイルド』の何たるかを…。」
アインシュタインは首を振って大きくため息をついた。僕は悔しくて悔しくてたまらなかった。
「それにね、ここで暮らすのは全然悪いことじゃない。広い部屋のほかに、朝と晩の食事はこちらが用意する。食費も家賃も払う必要はない。諸君が稼いだ金は、全て諸君のものだ。趣味に使うのもいいし、貯蓄するのもいいだろう。」
そうか、悪くないな、と僕は少し安心した。けれどすぐに気が付いた、安心している場合じゃない、と。僕はここで暮らさなければならないらしい。アインシュタインは明日から僕を魚屋で働かせる気だし、僕の生活はすっかりこの気違いに管理されることになる。
「ぼく、いや俺には借りているアパートがあるし、仕事もあるんです。」
「大丈夫。手は打ってある。明日になれば、アパートに君の部屋は無いし、仕事に行っても君の居場所は消えているはずだ。何も心配いらない。安心しなさい。」
「そんな…」
「良かったな、沢田。万事OKさ!」
藤原がそう言って右手の親指を立てた。
「そう、万事OKさ!」
アインシュタインも右手の親指を立てた。
「お前ら、これでいいのか?何もかもめちゃくちゃじゃないか!」
「そんなこと言われても俺たち…」
松井が困ったように僕を見た。
「半年前からここで暮らしてるんっすよ。」
もうだめだ。そう思ったとき、子供の頃からの思い出が走馬灯のように僕の頭の中を駆け巡った。

 僕の意識はそこでぷっつりと途切れている。

第6話  「新生活の始まり」の巻

僕は奥の部屋に通された。奥といっても、工場の造りはとても複雑で、初めに入った部屋には入り口を除いても八つほど扉があり、僕は入り口から右に四つ目の扉をくぐっただけだから、おそらく、さらに奥にいくつも部屋がこしらえてあるのだろうと思う。とりあえず、僕の入ったその部屋は、正面にホワイトボードが置いてあり、机と椅子が無造作に並べられていて、どうやら会議などを開くときに使われる部屋のようだった。

アインシュタインのような頭の老人を囲んで僕達は椅子に腰掛けた。スーツの男はホワイトボードの横に立っていた。彼は書記らしい。老人が立ち上がってぺこりと礼をした。
「それでは第一回作戦会議を始める。今日は最も重大である我々のチーム名を決議し、これからの活動方針の確認をする。その前に、皆が互いを理解し、これからの戦いに必要不可欠なチームの団結力を育むために、簡単な自己紹介をしてもらおうと思う。」
アインシュタインは話を続けた。
「まずは私から。司令官の原田ダイゴロウ、生まれも育ちも葛飾柴又です。あだなはアインシュタインです。みなさんはそれとなく感付いているかも知れませんが、この頭はもちろんアインシュタインがモデルです。趣味は裁縫です。よろしく!では次は沢田君。」
僕は自己紹介なんかするつもりはなかった。この集団と関わるなんてごめんだと思った。しかし、僕を見つめる皆の輝いた目を見たら、自己紹介くらいなら良いだろうと思ってしまった。
「沢田ゲンジです。趣味は散歩です。」
藤原が拍手をしてくれた。皆が「ワイルドだね!」「素敵だね!」と暖かい声援を送ってくれた。しかし、そんなさわやかな声援の中に、「バカ」「アホ」という中傷の声が混じっていたのを僕は聞き逃さなかった。その声の主は柿本だった。
「次は、藤原君。」
「はいっ!私の名前は藤原ヨシマキであります!砲丸投げをやっています。二年前の世界陸上では六位入賞を果たしました。趣味は筋トレです。」
「次、野口君。」
「野口ヒデキです。趣味はこれといって特別なものはありませんが、強いていえば音楽鑑賞で、主にクラシックを聴いています。よろしく。」
嘘だ。僕は知っている。野口はいつもイヤホンをしていたが、クラシックを聴いているんじゃない。野口が聴いているのは落語だ。野口はたまに口元に不敵な笑みを浮かべる。真相を知らない人なら、それを見て、野口は天才だからすごいことを考えているのだろうと思うのだが、本当は落語を聴いて笑っているだけなのだ。
「次、松井君ね。」
「はい。松井カツオっす。趣味はお笑い番組を観ることと料理です。皆さん仲良くしてください。」
「次に、柿本君。」
「柿本です。趣味は、特にありません。百人一首が得意です。それから…」
そこまで言って柿本は一度黙り、ゆっくり僕を見た。柿本の目は血走っていて、ものすごく敵意が感じられた。僕は少し驚きながらも、柿本の目をじっと見た。逃げるわけにはいかなかった。柿本は僕をにらんだまま、ゆっくりと口を開いた。


「僕は沢田君が嫌いです。」


場の雰囲気が一気に悪くなった。何て迷惑な奴だ、皆そう思っていたに違いない。明るい未来のために、皆がさわやかな心持ちで臨んだ記念すべき第一回目の会議なのに、柿本は空気の読めない奴だ。そういうのが一人いるだけでも困るんだよなあと僕は心の中でつぶやいた。それに僕が柿本に嫌われる筋合いはない。
「はっはっは。明るくいこうよ。さあ、それでは最後に、山田君。」
スーツの男が一歩前に出て一礼した。
「山田タケオです。趣味はドライブです。よろしくお願いします。」

第5話  「ヒーローになる」の巻

「なあ、君たちは何をするつもりなんだ?」
 僕が紳士的に尋ねると、藤原が笑いながら僕の背中をばしばしと叩いた。藤原なりのコミュニケーションなのだろうが、ちょっと痛い。こういうのを「傷だらけの友情」と呼ぶのだな、と思う。しかしそれにしても痛い。
「そんな、他人事のような言い方するなよ。俺達五人でヒーローなんじゃないか。」
「えっ?」
「『えっ?』てお前、ヒーローになりに来たんだろ?」
「それはそうなんだが、そのヒーローっていうのは・・・」
「正義と平和のために悪と戦うヒーローに決まってるじゃないっすか!」
僕の嫌な予感が確信に変わった瞬間だった。それに追い討ちをかけるように、今度はアインシュタインのような髪型の老人が現れた。


「そう、諸君はこの世界を守る使命を持って生まれたヒーローなのだ。」

 やられた。スーツの男にまんまと騙された。僕はすぐにこの場所から逃げなければと思った。しかし、僕がそんな考えを起こすのを予測していたのかどうかは知らないが、藤原と松井が両脇から僕をしっかりと捕えていた。僕は向かうところ敵なしだから、藤原や松井と殴り合った場合、僕が必ず勝つだろう。しかし相手が二人となると少し厳しい。二人というのが野口と柿本なら問題ないのだが。それから、二人を振り払ったところで、どうやって外に出たらいいのかもわからない。
 僕は完全に彼らの手中にあった。少し混乱気味で気弱になっていた僕は、ここから生きて帰ることはもう出来ない、いや、死んでも帰してはもらえないだろうと思った。

第4話  「仲間達との出会い」の巻

 扉を開けた途端に、パン、パン、と乾いた音がして、紙吹雪やら紙テープやらが僕めがけて飛んできた。驚いたのは、目の前に「WELCOME 祝 沢田ゲンジ君」と書かれた垂れ幕が下がっていたことだ。

なぜ僕の名前が…?
「少し驚いているだろうね。そう、我々は以前から君のことを知っていた。なあ諸君。」
男がそう言うと、クラッカーや紙吹雪を持って僕の周りではしゃいでいた連中の動きが止まった。一人一人の顔をよく見ると、僕の知っている男ばかりだった。


 一番体格のいいのは、僕と一緒にラグビーをやっていた藤原ヨシマキ。
 一番腕っぷしの弱そうなのが、僕が百人一首大会で二位をとったときに優勝していた柿本シヅヲ。
 それから、数学計算大会に同じ日本代表として参加し、この僕を差し置いて優勝してしまった野口ヒデキ。
 最後の一人は、僕がクイズ選手権に出場したとき、体力勝負のクイズで僕と互角に戦ったが、結局敗れてしまった松井カツオ。


 藤原が僕の肩を叩いた。
「久しぶりだな、沢田。元気だったか?」
「ああ。お前は?」
「俺はラグビーやめて、砲丸投げやってるんだ。俺にはこっちのほうが合ってるみたいだよ。二年前の世界陸上見たか?俺、六位だったんだよ。すごいだろ!いや、すごいのはその後なんだよ。何だか、にわかに親戚が増えてさ、日がわりでいろんな奴が色紙とかカメラとか持って押しかけて来てたんだ。しかも帰り際、どさくさにまぎれて俺の物を記念に取ってくんだな。気が付いたら家ん中、俺と布団とキュウリ一本だけになっちまってさ。もう、おかしいの何のって!」
藤原が「わっはっは」と笑う。僕もふふん、と笑う。ワイルドな男たちに、長ったらしい会話なんていらない。数年間の空白があったとしても、現在に至るまでそれぞれが人生という険しい道を力強く歩んできたことを、僕らは互いに感じ取れる。藤原の「わっはっは」と、僕の「ふふん」ひとつで僕たちは十分、わかりあえるのだ。本当は何もわからないのだが、僕達の友情のために、わかったことにしておく。素敵な嘘の一つもつけないようじゃ、ワイルドな男とは言えない。


「笑い事じゃないぞ。全くこの男は脳天気で困るよ。」
野口が言った。いつも冷静で、的を得たことしか言わない。
「脳天気とは何だよ!」
「部屋にあるものが自分と布団とキュウリ一本になる前に普通は気付くだろ。」
「『シンプル・イズ・ベスト』だよ。なかなかおしゃれだろ?」
藤原はなぜか得意気だ。
「何だよそれ。」
「あれ?知らないのか?『シンプル・イズ・ベスト』って言葉。」
「知ってるよ。その言葉の使い方が間違ってると言ってるんだ」
「ははーん。野口お前、『イズ』が島の『伊豆』だと思ったんだろう。」
「…あいかわらず馬鹿だなあ。」
「馬鹿って何だよ!」
「野口さん、やめてくださいよ。藤原さんは馬鹿じゃないっすよ。ただ気さくなだけ。それよりも、久しぶりに沢田さんに会えたんだし、まずは再会を喜びましょうよ。」
松井だ。何かあれば、その場を丸くおさめるのはいつも松井の役目だった。クイズ選手権でも、ほかのチームに反則があってもめたとき、なぜか松井が番組スタッフに混じって仲裁に走っていた。
「ああ、そうだな。沢田、頑張ってたか?」
「それなりにな。」
「これからずっと、この五人でやっていくわけっすから、仲良くしましょうね。なあ、柿本。」
松井がそう言うと、柿本は僕をちらっと見た後わざとらしく目をそらした。僕は柿本の態度はたいして気にかけなかったが、それより「これからずっとこの五人でやっていく」という言葉に不安を感じた。

第3話  「ゲンジ君 拉致される」の巻

 その男はスーツ姿で、商社マンか何かに見えた。
 僕はスカウトされたと思った。ついに来たと思った。そりゃあもう、すごく嬉しかったのだ。嬉しかったのだが、この僕をテレビや雑誌みたいな薄っぺらいもので世間にさらしてしまうのはあまりにもったいないので、断ることにした。しかし男はなかなか引き下がらない。


「君のような人を探していたんだ。今度はワイルド路線でいこうと思っていたんだが、君はまさにそれだ。チームのリーダーにふさわしい。どうだい、見てみるだけでも。きっと我々とともに戦う気になるさ!」


 スーツの男が言うことの意味はよくわからなかったが、「ワイルド路線」という言葉はとても僕らしかったので、見学だけならいいかなと思ってしまった。
男は周囲をひどく気にしていたが、商店街の人々は後片づけに精一杯で、僕のことなど忘れてしまっていた。男はそれが好都合だと言ったが僕は悲しかった。
 僕は男の車に乗り込んだ…。


僕は小さな工場の前に立っていた。錆びて壊れかけた門の向こうに茶色い建物と大きな煙突が見える。芸能プロダクションに連れて行かれるとばかり思っていたのに、まるでそれとは程遠い場所に来てしまった。僕は何か、目には見えない大きな力…それも絶対悪いほうのものと対峙しているような気がして、背中がぞくっとした。
 僕がそこから足を進めるのをしぶると、男はにっこりと笑った。

「君は、すごくワイルドだ。」

ワイルドと言われたら帰るわけにはいかない。
 僕は工場の門をくぐった。少し歩いたところに扉がある。扉は家賃の安いアパートにあるようなもので、そのど真ん中に釘が一本打たれ、「ヒーロー工場」と書かれた札が下がっていた。
「なかなかいいだろ!」
 男が自信満々に言う。僕は帰りたくて仕方がなかった。男は僕のそんな気持ちを察したのだろうか、今度は妙に真剣な眼差しで僕を見つめてきた。
「君が不安なのはよくわかる。しかし我々には世界でもトップクラスのワイルドボーイである君がどうしても必要なんだ。ワイルドでクールな君なら、わかるだろ?」
僕は本当はわからなかったのだが、『ワイルドでクールな僕だからわかるような、いや、わからなければならないような気がした。
 そして僕は、最も危険な世界へ続く扉に手を伸ばしてしまったのだった。

第2話  「ゲンジ君 商店街を救う」の巻

 僕は暇な時などは、近くの商店街を歩いていることが多い。

 廃れかけた人通りの少ない商店街の雰囲気は僕の理想そのものだ。人の少なさ、儲からない店の並び、不景気の大きな波にさらわれながらも、それに屈せず力強く生きる人々。そして何より、その街並みをしかめっ面で歩く僕!背中に哀愁が漂う。渋い。ワイルドだ。やはり商店街に限る。僕の理想そのものだ。

 そうやってあの日も、僕はその商店街でワイルドさをムンムン漂わせていた。


 しばらく歩いて、そろそろ家に帰ろうかと思った時、遠くから爆音が響いてきた。暴走族が何度か商店街を荒らしに来ていると話に聞いたことはあったが、僕が実物を見たのはその時が初めてだった。

 やたら大きな黒いバイクは、よく磨かれて光っていた。五台のバイクが、それぞれ店に突っ込んで手当り次第壊していく。破壊音が響く。やめてくださいと弱々しく叫ぶ人々。暴走族の男たちは興奮して歓声を上げる。しかしこんなに暴れたらせっかく磨いたバイクが汚れてしまうではないか、さてはあいつら相当な馬鹿だな、僕は密かにそう考えていた。同時に、暴走族を背景にしてみてもやっぱり僕は素敵なんじゃなかろうか、そうかその手もあったなあと思い、口元に薄笑いを浮かべてしまっていた。


 そのうち、物を壊すのに飽きた彼らは、人を狙い始めた。

 たちまち一人の足腰の弱い老婆が、彼らに囲まれてしまった。皆、助けようとはしたものの、かなうわけがない。僕も黙ってみていたが、運の悪いことにその老婆と目が合ってしまった。老婆は助けてくださいと言わんばかりの目で、僕を見る。僕は本当は面倒くさいから嫌だったのだが、「暴走族と戦う一匹狼」も何だかワイルドだと思ったので、とりあえずやってみることにした。こんなときでも自分を客観的に見て、素敵さを追求できるのも、僕の良いところだ。

 
 僕は何も言わず彼らに近づいていき、気付かれないようにドリルでバイクのタイヤに穴をあけた。彼らが僕の気配を感じたときには既に五台のバイクはタイヤがつぶれて動かなくなっていた。彼らは真赤になって僕に襲いかかってきた。しかしバイクがなければ何も恐くはない。僕は余裕を持って彼らを叩きのめした。

 実に余裕だったので、ここで少し僕のワイルドさをアピールしようと思い、激しくTシャツを破いて、さりげなくたくましい肉体をさらしてみたが、期待通りの反応は返ってこなかった。お年寄りには刺激が強すぎたかもしれない。ちょっぴり恥ずかしくなったので、僕を殴ろうと構えていた一人の胸元をつかみ、俺のTシャツ破くんじゃねえよ怒鳴ったら気持ちがすっきりした。

 ほかの一人がナイフを出したときは、さすがに危険を感じたが、その男を指さして「お前はもう死んでいる」とハッタリを使ってみたら相手はかなりうろたえたので、さては小心者だな、それなら話は早い、と思い切り暴れてみたら彼らはすぐに逃げ出した。
 僕がタイヤをパンクさせてしまったものだから、彼らはバイクを押して帰らなければならなかった。かわいそうな気もしたが、まあ良い。僕には関係のないことだ。大切なのは、商店街を救った僕の素敵さなのだ。皆が僕にありがとうございましたと言う。ここで返事一つしないのがまた渋い。少しくらい愛想が悪くても大丈夫。きっと皆、僕のことを素敵だ、格好良い、ワイルドだと思っていたに違いない。何だ、これじゃまるで僕はヒーローじゃないか。そうか、僕はスーパーヒーローなんだ。そう思ったとき、僕は一人の男に声をかけられた。


「君、ヒーローにならないか?」

第一話 「沢田ゲンジというひと」の巻

 僕は何をしても完璧な人間だ。

 

 上には上がいるとは言え、学力においても、スポーツにおいても、僕の能力は世界に十分通用する。

 高校卒業までの十八年間、ほとんどの試験で偏差値八十以上をとった。国際的イベントである数学計算大会にも参加し、優勝はできなかったものの、かなり良い成績を残した。百人一首大会で全国二位を取ったことだってある。高校生の時には学校の代表としてクイズ選手権に出場し、もちろん優勝した。それに僕は、バスケット、野球、サッカー、ラグビーなど、数多くの無名のチームを先導し、育て上げて日本一にした。特にラグビーは、この僕のダイナミックかつ繊細な身のこなしでどんなタックルも軽くかわし、一試合で四十五回もトライを決めたことだってある。


 僕の魅力は頭の良さ、運動神経の良さだけにとどまらない。実は、ルックスも最高なのだ。

 ラガーマンとして培ったたくましい肉体。ナチュラルに程良くついた筋肉が文句なしに素敵だ。腹筋は六つに割れているが、いやな印象は与えない。マッスルボディが嫌いという人にも、しつこさのない僕の肉体は非常に人気が高い。

 さらに、極めつけは男らしさにあふれ、目、鼻、口、全ての形や配置が見事に整った顔である。僕の流し目で一度に三十人くらいの女性が失神するだろう。僕ににらまれたら、どんな男も小便をもらすだろう。


 僕を形容するなら、当てはまる言葉は腐るほどあるが、一番しっくりくるのは「ワイルド」だ。「ワイルド」という響きはまったく素晴らしい。いや、そうじゃない。「ワイルド」という言葉が僕を形容したとき、初めてそれは素晴らしい響きとなりうるのだ。
 そしてワイルドと言えば一匹狼だ。もちろん僕は皆に好かれたが、誰ともあまり関わらず無口でいることにしていた。実際、一匹狼でいる無口の僕は素敵だったし、人に気を使わなくても良かったのでなかなか楽だった。一匹狼は癖になる。


 こんな僕の素敵さが、不幸の始まりだった・・・。