石渡氏の英語教育には基本的な理論があるわけではありませんが、松本亮氏の言っていた英語で考える事を度々勧めています。
しかし、人間が思考する場合には思考言語で考えており、日本人だからどんな日本語でも理解できるのでなく、思考言語で理解できることしか納得できません。
自分の考えている事が十分に言葉で表現できない場合があるのも、思考言語での考えと日本語の表現のかい離です。
英語でも理解できても、うまい日本語で表現できない場合があるのは、その英語を英語で考えているからでなく、それは思考言語で理解できたが日本語で表現できない場合です。
こう考えると日本人が日本語で考えるのも難しい事なのです。これを英語学習者に英語で考えろと言うのは厳密には大変に難しい事を要求しています。
次のような書き込みをしました。石渡氏のブログのコメントは500語以内と言う制約がありますのでこうまとめました。
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タイトル:英語で考えるのは難しい
石渡さんは“英語で考えろ”と言いますがそれは現実的に可能でしょうか。
元日産のゴーン社長は次の質問にこう答えています。
質問: フランス語、英語、ポルトガル語など何カ国語も操るゴーンさん。考えるときはその国の言葉で考えるんですか。
ゴーン氏: それはないですね。考えるプロセスは言語とは別の行為だと思います。思考内容は体、言語は洋服のようなものです。キャスパー(透明なお化け)は洋服を着ないと人の目に見えないと同じで、考えは言語にしないとわからない。誰かを見ただけではその思考まで見透かせないでしょう。言語は考えを具現化するもの。私が考えることは英語でもフランス語でも表現できます。
厳密に心理学的に言えば言語と思考は別であり、少なくともマルチリンガルの方は思考言語で考えております。だから思考が混乱しません。言語が無くとも、思考そのものは出来ます。しかし、その思考した結果を他者に効率よく伝えるには、言語による記号化が必要だと思います。
こう考えると英語で考えると言うのは大変難しい事だと思います。石渡さんの英語で考えると言う意味をマルチリンガルの方の場合も含めてどうするのか、分かり易く説明してください。
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石渡氏のブログのコメントはカプランのオーナーである栄光学園の守秘に関する条項が読まされます。しかし、メールアカウントも書き込めませんから、ブログで返事を書いてもらわないと、返事はもらません。
コメントの書き込みが終了した事は確認できますが、実際に届いているのか、それよりも過去にどのようなコメントが届いているかはまったく読者には知らされません。
本来ブログは読者とのある程度の対話ができる仕組みがあるのですが、渡部氏のブログはカプランのサイトの一部として作られているため、私が使っているココログのよないろいろな機能が使えず、大変閉鎖的な作りとなっています。
どこのブログシステムを使うかはどうでも良いのですが、一方的な意見を述べるだけのブログはネットワークの媒体として使うのは良い使い方とは言えません。
石渡氏自身はほぼ無制限のように、かなり長いブログを書いているのに、コメントは500語以内でなければシステムが受け付けないのも大変に閉鎖的で横柄です。ギガ単位のメモリーに電子的なネットワークの時代に500字と言う制限がどうして必用なのか大変に理解に苦しむ事です。
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