1型糖尿病患者のぼやき。さかぞー監督のブログ。

1型糖尿病患者のぼやき。さかぞー監督のブログ。

膵臓のβ細胞を失ったことをきっかけに社会福祉士になりました/1型糖尿病(2014.4~)/社会福祉士(2016.4~)/糖尿病患者向け住宅建設計画中/元大学バドミントン部監督

膵臓のβ細胞を失ったことをきっかけに社会福祉士になりました/1型糖尿病(2014.4~)/社会福祉士(2016.4~)/元大学バドミントン部監督
Amebaでブログを始めよう!

先日以下のシンポジウムにて、1型糖尿病の当事者パネリストとして、お話しさせていただきました😀

 

【4/8(土)開催】「市民公開シンポジウム2023

社会的スティグマのない社会をめざして〜「自己責任」という社会的圧力に抗う方法を考える〜」
https://ssb45.peatix.com/view 

 

 

 

ご参加いただきました皆様、本当にありがとうございました。

 

さて、先日お伝えしておりましたとおり、シンポジウムの際の手元資料を、テキストベースでこちらの記事にてアップします。

 

貼れそうでしたら画像も少し付けたいと思います。

 

よろしくご確認くださいませ。

 

 

 

ここから(当日手元資料)

↓↓↓

 

【自己紹介】
・2014年4月、9年前にケトアシドーシスで倒れて救急車で運ばれ、入院先の病院で1型糖尿病と診断。
・3か月入院と言われるが3週間で退院。
・その半年後に結婚。
・2016年4月、社会福祉士の資格を取って転職。
・2020年、子どもに恵まれたことをきっかけに、団信の審査に通って、住宅ローンを組み、新しく家を買う。
・なんてことのない幸せを、当り前に享受しているように聞こえるかもしれないが、実際は社会的スティグマとの闘いの連続だった。
・時間があれば、私のツイッターやブログをお見せしながらお話しできれば。

【実名で話すことを決断した経緯】
・なぜ、患者名をイニシャル表記ではなく、実名でお話しさせていただくこととしたか。
・当事者の名前はイニシャル表記で良いですか?とご提案いただいた際、すごくほっとし、同時に悩んだ。
・なぜほっとしたか。社会に対して、糖尿病であることを隠したい気持ちがまだまだあるからだではないか。
・糖尿病であることを隠したい気持ち、つまり患者自身のセルフスティグマもまた、社会的スティグマを助長する要因になっているのではないか。
・今回のシンポジウムのタイトルが「社会的スティグマのない社会を目指して」とあるが、当事者として何ができるかを考えた時に、実名でお話しするべきであると決断。
・時間があればアノニマスとセルフスティグマについて、パネリストの皆さんや参加者の方から、ご意見やアドバイスをいただければ。

【話の進め方について】
・結婚、就職、住宅ローンにおける団信の審査といったライフイベントにおいて、社会的スティグマとどう向き合ってきたかについて。
・病気の受容について。
・結婚や就職や住宅ローンといった人生の重大局面でどう社会的スティグマと向き合ってきたかの実体験について。
・糖尿病患者は、そうした人生における重大な局面でほど、社会的スティグマに起因する、個人の努力だけでは乗り越えることができない困難に直面させられることについて。
・糖尿病患者として社会に望むこと。
・糖尿病患者さんに向けてお伝えしたいこと。

【病気の受容について】
・最初の気持ちは、一生自己注射しなければならないと聞いて絶望。
・これからの人生どうなるんやろうっていう途方に暮れた気持ち。
・自分の身体が1型糖尿病になったことを受け入れることについて。
・キューブラーロスの死の受容過程、ドローターの障害の受容過程について。
・身体が膵臓のβ細胞を失ったことの受容は比較的容易だったが、1型糖尿病患者として生きる人生を受け入れることは非常に難しかった。
・糖尿病患者である人生の受容には、社会的スティグマと向き合う覚悟がいる。
・糖尿病に対するスティグマは追儺の鬼のよう。生涯、鬼の面をかぶり続け、誤解や偏見や無理解っていう、石を投げつけられる覚悟がいる。
・肉体的な健康ではなく、社会的な健康を損なったことに対する覚悟がいる。
・それが、当事者として、糖尿病を受容する出発点。

【結婚について】
・結婚については、糖尿病はそれほど大きな障壁にはならなかった。
・ただし、糖尿病が結婚の阻害要因となることは多くあるという認識だった。
・結婚前は、自分は本当に結婚できるのか、非常に不安だった。

【就職について】
・41歳の時に社会福祉士の資格を取って転職。
・憲法25条で、健康で文化的な生活、つまり健康については、ナショナルミニマムとして、国家が保障している。
・憲法で保障されている健康は、WHO憲章前文の健康の定義のはず。
・健康とは、肉体的、精神的のみならず、社会的にも満たされた状態。
・自分は適切な治療により日常生活を送れているが、社会的に健康でないのではないか。
・社会からの誤解や偏見や無理解により、理不尽に尊厳や権利を奪われて、社会的健康を著しく損なっている。
・そうした、個人の努力だけでは乗り越えることができない困難に直面した人の、社会的健康を取り戻す仕事をしたい。
・就職試験の際は、小論文でも集団面接でも集団討議でも最終面接でも、自分が1型糖尿病を発症したが故に、そうした考えを持つに至ったことをアピール。
・1型糖尿病のことを前面に出して、就職活動に臨み、無事希望する法人に就職。
・どうすれば、1型糖尿病患者であることを、就職活動で自分を有利に売り込むためのアピールポイントにできるか。そういうストーリー仕立てができるか。
・就職活動を通し、社会的スティグマに対するカウンターアイデンティティとしての1型糖尿病患者像が、自分の中にできていった。

【住宅ローンについて】
・1型糖尿病患者が団信の審査に通るのは非常に厳しい。
・自分は本当に住宅ローンが組めるのか、ものすごく不安だった。
・自分にもしものことがあった時のリスクヘッジのためにも、有利な金利で融資を受けるためにも、団信の審査には何としても通りたかった。
・実際に団信の審査に複数回臨んだ経験について。
・ネット審査では、1型2型等を問わず、糖尿病+強化インスリン療法、のセットでばっさり落とされる印象。
・糖尿病患者が団信付加の住宅ローンを組むには、ネット審査ではなく、対面審査に活路。
・結果、メガバンクの対面審査で団信の審査に通り、最優遇金利で住宅ローンを組む。
・1型糖尿病の当事者である私が、団信の審査に通って住宅ローンを組めるに至った顛末を書いた三年前くらいに書いたブログ記事が、未だにアメーバブログの団体信用生命保険の公式ハッシュタグ記事で1位を取ることがある。
・それくらい、糖尿病患者が団信に通ることは社会的スティグマに阻まれて難しいのでは。

【社会に望むこと】
・糖尿病に限らず、病気であろうとなかろうと、障害があろうとなかろうと、何者であろうとなかろうと、誰しもがあらゆる可能性に挑戦できる世の中であってほしい。
・不確かな偏見により、尊厳や権利を理不尽に奪う世の中であってほしくない。
・誰であろうと、努力が当り前に報われる社会であってほしい。
・シンポジウムのタイトルにもある「自己責任という社会的圧力に抗う」について、問題の解決を、患者自身の意識や考え方を変えたり強化したりするとか、患者個人に変容を求めているだけでは、スティグマはなくならない。
・糖尿病という社会的スティグマに侵されている社会の側にこそ、大きく変容すべき。

【糖尿病患者さんにお伝えしたいこと】
・あなたのせいではなく、社会的スティグマにより、尊厳や権利が理不尽に奪われているからこそ、あなたは困難に直面している。
・でも、理不尽に奪われた尊厳や権利を回復するためには、患者自身がそれぞれのできる範囲で闘って、ソーシャルアクションを起こしていく必要がある。
・糖尿病患者向け住宅の建設について。
・糖尿病患者は、災害弱者でもある。
・震災等の災害発生時に、たまたま低血糖やケトアシドーシスで倒れていたりすると、特に単身で生活している患者さんであれば、亡くなってしまうかもしれない。
・そうした、災害等の有事の際に備えた、糖尿病患者同士の自助や互助の仕組みを構築。
・糖尿病患者に適した備蓄。当事者同士のピアサポートの拠点づくり。
・1階をピアサポートのカフェ、2階と3階を住居にする予定。
・1階は、IDDM Caffeさんに入っていただければ。
・当事者のこうした活動もまた、世の中から社会的スティグマを払拭していくきっかけにもなる。

【最後に】
・もうすぐ1型糖尿病を発症して9年になる。
・発症当初は発症前よりも幸せな人生を送ることが目標だった。
・それは実現できた気がするので、これからは発症前の自分をもっと超える人生を歩めるように生きていきたい。
・膵臓のβ細胞以上に大切なものを、もっとたくさん見つけられる人生にしたい。
・今回は敢えて、1型糖尿病の当事者パネリストとして参加させていただくにあたり「血糖値」「HbA1c」というワードはまったく使わずにお話しさせていただいた。
・ツイッターhttps://twitter.com/sakazo_kantoku
・ブログhttps://ameblo.jp/sakazo/

【スティグマとセルフスティグマ(時間に余裕があれば)】
・私も含め、糖尿病患者の中には、自分は糖尿病だから就職活動で理不尽な不利益を被るんじゃないだろうか、保険の審査に通らないんじゃないだろうか、住宅ローンを組めないんじゃないだろうか等、言われなき不安を感じた経験をされた方も多いのではないか。
・結婚や就職、団体信用生命保険の審査等、人生の大事な局面においてほど、糖尿病という病名に起因する差別や偏見や無理解に直面し、本来であれば享受できるはずの権利や挑戦できるはずの機会を理不尽に奪われた経験をされた方もいるのではないか。
・糖尿病患者であると思われることを、恥ずかしく感じた経験をされた方もいるのではないか。
・糖尿病患者を生活習慣病呼ばわりし、政策のスケープゴートとして、我々糖尿病患者を自己責任のなっていない者という名目により追儺の鬼の面を被せ、生活習慣病といったパワーワードを用いた煽動的な世論操作により忌避感情を高めさせられた市民に、鬼に向かって石を投げるよう仕組まれた構造そのものが、社会的スティグマではないか。
・そうした、社会的スティグマに打ちのめされた体験や、そもそも発症前は深く考えもせずに追儺の鬼に向かって石を投げる側であった経験が、社会的スティグマを内在化させ、己の内なる地獄の底から怨嗟の声を上げ呪詛を吐き続ける元となっているのが、セルフスティグマではないか。
・糖尿病患者自身がセルフスティグマに苛まれ蝕まれることが、結果的に社会的スティグマを助長するという、悪魔のような負の連鎖があることに、アノニマスでの発言に安堵した気持ちの裏側から気づかされた。
・もしかすると糖尿病に対する社会的スティグマにより、自身の尊厳や権利が理不尽に奪われたり脅かされたりしていることに気づいていない糖尿病患者が多くいるのではないか。

【実名で話すことを決断した経緯についての補足(時間に余裕があれば)】
・自分の意識の中にある、糖尿病を恥ずかしく思う気持ちに気づかされたから。
・私は1型糖尿病を発症してからずっと、九年近く、病気のことをオープンにして、むしろ1型糖尿病であることを前面に出して、結婚や転職や団信の審査に通って住宅ローンを組むといった、人生における大きな局面を乗りきってきたが、それにも関わらず、私の意識の奥底には、糖尿病であることを社会に対して隠したいっていう感覚が、根深くあった。
・糖尿病っていう病名からイメージされる、様々な偏見や無理解や差別といった社会的スティグマに、自分の尊厳や権利がこれまで理不尽に奪われたって、ブログやツイッターで息巻いて憤ってきたはずの自分の意識の中にすら、そうした社会的スティグマが内在化して、自分を自分で貶めるような感覚、つまりセルフスティグマに苛まれている自分がまだまだいるということを、アノニマスに安堵した自分の気持ちの裏側に見た。
・糖尿病に対する偏った認識を刷り込まれている大多数の市民というか人々に対して、自分が糖尿病って思われるのは煩わしかったり面倒だったりすることばっかり。
・誤解や偏見や無理解のせいで、理不尽に不利益を被ったり、恥ずかしい思いをさせられたりすることだってある。
・そうした嫌な思いをしないためにも、できれば自分が糖尿病患者であることを不特定多数の人に公開するのは避けたい。
・でも、だからといって、そういう糖尿病であることを隠したい気持ち、つまりそれは、糖尿病患者に対する社会的スティグマが、患者自身に内在化したセルフスティグマであるが、そうしたセルフスティグマが患者の意識の中に根強くあるからこそ、そこにつけこまれ、そのせいで糖尿病に対する社会的スティグマがさらに再生産されて助長されていっているのではないか。

【ツイッターやブログのスクショ(時間に余裕があれば)】
・スティグマについて
・糖尿病患者が就業制限のある会社について

 

 

 

↑↑↑

ここまで(当日手元資料)

 

 

 

♣1型糖尿病患者である私が、団信付加の住宅ローンを組み中古戸建てを購入するまでの、あれやこれやをブログ記事にしてみました。三年近く前の記事になりますが、住宅ローンを組むにあたりスティグマや社会的障壁に直面され悔しい思いをされている方々への、少しでもエンパワメントになりましたら幸いです。