群馬境町山の会 "SAKAIMACHI Alpine club" -10ページ目

【山スキー】日白山

2018年3月9日土曜日

参加者:渡邊リーダ,桐林(筆,寺本

ルート:かぐら駐車場 - 二居峠 - 東谷山 - 日白山 - 林道 - 駐車場

 

日白山を越え,なだらかになった個所から降りる.渡邊リーダの軌跡.

 

先週の日白山につづき,今週は山スキーで行く.

桐林と寺本は,シールを履いて登る.2回目の体験であり,前回は吾妻耶山だった.

桐林は,OBの年代物のスキーを履く.Silvretta 300Kのビンディングが付いたもの.

響きがとってもいいドイツの代物.

寺本は,去年新調したピンテックが付いた板.軽い!!しかも,ビンディングのシンプルな構造美!

渡邊リーダは,ボードで参戦.ボードの時のリーダは,いつもより楽しげだ.

 

 

登り序盤,シールを履いてスコスコ歩くが,登りづらくてしょうがない.

知らない筋肉が悲鳴を上げる.後ろの高齢者(私たちよりという意味)にどんどん抜かれる.

鉄塔より高くなったかなという時点で,スキーを担ぎ上げることに.歩き方がへたくそで,急な傾斜に対応できず.

前回の日白よりも延長戦とも言えず,別の試合が始まるようなタイムに.とほほ.

 

どんどん時間が過ぎ,日白山頂上に午後を過ぎた.

これまでに,渡邊リーダがボードで2回ぐらい遊んでいた.

 

やっと本番,下り.

バーブテストの練習後,ここにトレースを付けれるのかとウキウキ気分もつかの間.

雪質が今まで体験したことのない,重くてターンがヌルーっとする牛のような感触.

転ぶな転ぶなと思うが,ターンが機敏にできず,ケツをつける.

 

ここを,スッスッスーっと思うように描けたら,どんなに楽しいことか.

地形を読み,木々の合間を駆け抜ける.転ぶたびに思っていた.

 

地王堂川に合流し,前日に雪崩れたであろうデブリを見た.

沢をごっそり,50 mほど滑らせたデブリが右岸側にあった.

堰堤が現れ,前会長のアドバイス通りに行くと,ナイスルート.踏め固められた林道をゆき,駐車場へ.

【日帰り山行】東谷山から日白山,地王堂川へ

2019年3月3日日曜日

参加者:大和会長,岡田,渡邊,桐林(筆,寺本

ルート:二居登山者駐車場 - 二居峠 - 東谷山 - 日白山 - 鞍部(日白山と1584.1mピーク) - 地王堂川沿い林道 - 駐車場

行動時間約7時間

 

東谷山から.左側ピークが日白山.まだまだ.

 

初めての山名を告げられ,どこの山か知らぬまま,メールを即返信.

谷川周辺の山であることをあとあと知る.

この日は,松本さんが金城山に入ってるとのこと.

 

宿場の湯前の駐車場は,登山者でいっぱい.

7時半ごろ,出発.

岡田さんは,経験済み,案内してもらった.

橋を渡り北上し,二居峠の看板が出てきたところで下界を離れた.その後,二居峠の東屋まで樹林帯を歩いた.

 

東屋以降,雪庇が綺麗に続く稜線歩きが始まる.

途中には鉄塔が立ち,風によって,音を奏でるのがわかる.

 

東谷山までひたすら登る.

谷川方面は,群馬側から雲が乗り上げて広く雲で覆われていた.

谷川岳は見えず.

雪は締まっていて,ワカンも必要なく,なだらかな斜面がずっと続く.

東谷山に近づくほど,白い景色が広がっていった.三角点は見つけられなかった.

 

東谷山の山頂.渡邊さんが,雪層を見ていた.

エネルギ補給をせずに黙々とやっていた.

 

日白山が遠くに見え,

人が山頂に立っては散り,戻ってくる人や平標方面へ行ってから下る人が10人ほどいた.

山スキーをしてる人が1人居た.前会長からのメールでも,山スキーとしても有名であることをあとあと知った.

 

日白山山頂で,お昼を取り,平標方面へ.

鞍部で,下った.

途中で不思議と開けていた場所を通った.

電線が空に現れ,右側に砂防提見つつ林道に乗った.

 

雪が固まりつつあり,新雪のフカフカが遠い記憶のように感じるようになってしまった.

【ひたすら歩くトレーニング】吾妻山 - 鳴神山

2019年2月25日月曜日

参加者:桐林(筆)、寺本、小堀(送迎のみ)
吾妻山ー鳴神山往復
 
仙人ヶ岳から足利市のどこかの山から。右側奥に見えるのが吾妻山
しかも紅葉真っ盛りのころの写真。
 
桐生市にある低い山の連なり、吾妻山から鳴神山。
鳴神以降もかなり長く縦走できる。
平日であることもあり、ここを往復している人は一人のみだった。
しかも、鳴神からの往復で、かなり珍しい。
M気質な人なんだろうと勝手に思い込む。
頻繁にやっていると言っていたので、また会うことも期待できる。
 
1回目は、三峰山を通りすぎ、
まだかまだか鳴神山!とニセピーク1こ目下りで遭遇?
軽く挨拶程度で通りすぎる。
2回目は、岡平で休憩中に会う。
往復していて2回も会うことは稀なので、びっくり。
 
足が鈍っていて、登りも下りも足が重い。
寺本とは岡平と大形山の中間で会う。
疲れていたため、大形山には同行を拒否。
 
久しぶりの吾妻鳴神間。
平日は静かで一人を堪能。
伐採の林道がが新しくできたり、倒木が増えたりと、変わっていく道。
 
変化を感じるトレーニングでした。
約5時間半(吾妻公園の登山口より)
トレーニングすれば、もっと、短くなる!!
 
 
 

濃霧と強風の阿蘇高岳

平成31年2月3日 日曜日

参加者:渡邉

 
計画発案当初は、仙酔狭ばってんアイスクライミングすっと考えていたが、
平成28年4月16日の熊本地震やその後の豪雨の影響により崩落及び亀裂の補修工事による全面通行止めが、

現在も続いており、別ルートで通行可の行儀松から入山する事にした。

 

 「阿蘇山登山情報」 http://www.pref.kumamoto.jp/kenhoku/kiji_10328.html でご確認ください。

 火口の規制情報は、「阿蘇火山火口規制情報」http://www.aso.ne.jp/~volcano/でご確認ください。

 

舗装路脇の駐車場に到着後、そそくさと記帳所に登山届を投函し、

天気予報では午後から雨が次第に強くなるとの事で開始時間を早めて日の出前に出発した。

鹿の鳴き声を頻繁に聞きながら進み、日の出とともに辺りが見えてきたが高度を上げるにつれてガスが濃くなった。

1170m付近で1月31日に降った雪が残っていた。稜線に到着すると、予報通りの南西の風が勢いよく吹いていた。

1470m付近で凍結箇所がちらほら出てきていたが高岳東峰まで、この時期特有の凍氷と水が混在する条件の中進んだ。

景色が皆無であった。

天狗の舞台でリングワンダリングを楽しんだのち、煽ってくる風雨に身体を傾け預けながら高岳火口を回り込み復路を進んだ。

風景が皆無であった。

何も見えなかった。

時と場所を選ぶと云う言葉が身に染みる。

稜線漫歩にうってつけの場所なのだが時を間違えたが最後、稜線迷歩であった。

厳冬期の霊峰天山

平成31年2月2日土曜日

参加者:渡邉

 

天山とは佐賀県が誇る一千メートル級の山であり、都会人のお気軽ハイキングスポットである。

北麓には県内唯一のスキー場も隣接し、降雪条件が揃えば天然の雪がリッパに楽しめる。と謳われている。

 

とは言え、山岳ばってん時と場所を選っと厳冬期並みの山容ばがばい見っとっと。

 

逸る気持ちを抑えつつも天川駐車場から登り、凍結した登山道を歩いて数分後、

 

天山山頂に到着した。

 

霧氷のびっちり付いた石碑が冬らしい趣を感じさせてくれる。

南北朝時代の多々良浜の戦いで自害した阿蘇惟直卿の墓は大正時代に建てられたもので阿蘇山へと向いている。

 

 

天山 - 七曲峠 - 彦岳を往復し、天山七曲峠間の登山者計10名と往路と復路で度々ご挨拶した。

県民体育大会の縦走コースだったり

九州国体山岳縦走コースだったり

九州自然歩道として

親しまれている歩きやすい縦走路でした。

 

晴れの天気予報だったが、山の天気は生憎の曇り空で、薄っすらと有明海が一望できた。

 

お昼過ぎの天山はいつもの穏やかな山容に戻っていた。

 

帰路につき、午後3時過ぎに駐車場を去ろうとした頃、車で来た一般観光客が

「ここでほんとによかっ?」と言いながら登山口を確かめて天山へ歩いて行った。

 

天山とは佐賀県が誇る一千メートル級の山であり、都会人のお気軽ハイキングスポットである。

【低山ハイク】古湯温泉の城山(じょうやま)

平成31年2月2日土曜日

参加者:渡邉

 

古湯温泉は、肥前小城郡天山北麓に位置する古来より親しまれている五大温泉郷の一つで、

徐福伝説を起源にすれば2200年の歴史となるらしい。

 

南北朝時代の多々良浜の戦いで敗走した九郎惟成公の傷を癒し、

家臣の原隼人が山に築城したと言い伝えられている。

 

城山展望台からの眼下に古湯温泉郷が見渡せる。天気がいい日には、くじゅう連山も見えるらしい。

 

城山公園として登山道が整備されており、とても歩きやすいが、

 

プラスチックの丸太階段は滑りやすいので要注意。

 

今回は最短距離から歩いたが、

散策コースとして古湯温泉から淀姫神社経由でも登山道が整備されており、

ちょこっとハイキングと歴史散策ができる良い低山と感じた。

【アイスクライミング】霧積温泉

2019年1月26日土曜日

参加者:渡邊、桐林(筆
場所:霧積温泉周辺
 
 
初めてのアイスクライミングを渡邊リーダに、桐林は連れていってもらった。
前回の例会時にアイスやってみたいです!と言ってみたところ、竹川さんに電話して借りてみればの助言。今まで会ったことなく、メールのやり取りのみ。緊張しながらコール。
断れることなく、借りることができた…。有難うございます!
 
霧積温泉付近の駐車場に着くと、先客。日が出ていないため、少しの仮眠後、出発。すぐに、これか!という氷!写真の右の氷が下まで発達すれば、豪華な滝のカーテン。10時を過ぎる頃には、とりつく人で賑やかなゲレンデとなった。
 
桐林は、渡邊リーダにアンカーをつくってもらい、トップロープで左の滝に取りついた。ぜんぜん登れない…。
ヤマケイテクニカルブックの4コマ説明を読み、シミュレーションをしていたが、歯が立たない。エイヤエイヤと、手で登ってしまう。絶対にトップロープじゃなきゃできない荒業。ロッククライミングのときと同じように体の使い方がうまくないとすぐ疲れてしまう。足!足!足!!!蹴りこむことを意識しながら、登ろうとするが、やっぱり頼ってしまう手。疲れてしまった。
 
氷に取りついている人たちを渡邊リーダ共に観察。
うまい人はロッククライミングのように体の動きが柔らかい。カチコチになって登っていた桐林と比べ、はるかに力の無理がない。重心移動が違う。今回は、いろんな人たちの動きや道具の使い方、トップロープの作り方をまじまじ観察した。やってはいけないことを渡邊さんから教わった。
 
とりつく滝がないため、裏側の氷に移動。
前より傾斜が緩く、短いルートで、練習。
足足足と唱えながら、足に重さを持っていき、アイスバイルで水平方向を押さえる。アイゼンの前爪を意識する。前爪に乗せてしまうのがやっぱり怖い。足が震える。滑るときのことを考えてしまうとダメ。信じるしかない。
 
初めてのアイスを経験してきました。ロッククライミングと比べ、自由に動き回れるのが楽しい。移り行く自然と、今の形しかない氷に向き合えるのもおもしろいところでした。
 
帰りは明るい中。至るところに氷が発達!
長いところだと、30 mか? 1パーティが取りついてました。
ロングコースを登れたら、さぞ自己満足感に浸れるでしょうねぇ…。

【積雪行動】富士山(馬返 - 佐藤小屋 - 6.5合目)「吉田口登山道」

2019年1月13日((日)) - 14日((月))

参加者:渡邊,入江,桐林(筆,小堀

ルート:馬返 - 佐藤小屋(泊) - 6.5合目(予定 7合目)

吉田大沢.標高2650 m付近か.青い空が広がる.

 

1日目

1月13日(日)の深夜に群馬を出発.

前日の夜に雨が降り,朝方,雪へ変わったようだ.富士吉田はうっすらと雪が付いていた.

馬返までは2cmほど積もっていた.

 

出発準備をしていると,マークXパトカーがパトロールに来ていた.計画書を渡す.

その後,2ドアの白ディーゼルランクルが来た.富士山についてのアンケートを受ける.

登山歴や富士山の8合目以上の計画書義務化などなど,色々聞かれる.

所属を聞いたがうやむやに.佐藤小屋の人に聞いたところ,市役所の人だと聞いた.なぜ,所属をハッキリ言わないのか疑問.

 

吉田口登山道は,去年の台風の影響で倒木があった.

往年を思わせる茶屋が倒壊していたりと,スバルラインの建設によって時代が変わっていくことを身をもって知る.

茶屋があるところは,景色が良く,休憩に適している.朝方雲海があったが,徐々に薄くなっていった.

 

10時半ごろ,佐藤小屋着.

テントを張り,一次休息.その後,雪上訓練.

・斜面での滑落停止態勢の確認

・ビーコンからのプローブを使い,救助者の掘り出し

・簡易ハーネスをつくり,危険な箇所でのガイド

 

2日目

6時ごろ,佐藤小屋を出発.

吉田大沢の派生末端から入る.大きなシェルタを超え,吉田口登山道の反対の尾根沿いに行く.

 

左側に,雪崩の動きを抑制する建築物をみることができた.

尾根が広くなってきた場所でツェルトを使った休憩をする.今回は,風が穏やかのため恩恵は小さい.

強風時になったら,ツェルトがどれだけありがたいかわかるはずだ.

 

予定時間を過ぎていたため,早めに吉田口登山道へ渡る.

約2800mほど.今回の最高到達点.

大沢を下り気味にトラバースする.

雪の状態が場所場所で変わっていくことがわかる.

 

この小屋前で小休止後,下る.

良い斜面があったためキノコ?をつくり,雪を使った確保点を習った.

 

その後佐藤小屋でテントをたたみ,家主と奥さん,息子さんに挨拶して下る.

2日を通して,晴天.風も穏やかで,登山日和.

ケガもなく,吉田のうどんを食べ,群馬へ帰った.

【日帰り山行】南八ヶ岳「赤岳」(美濃戸山荘 - 行者小屋 -)

2019年1月12日(土)

参加者:石井,桐林(筆,寺本

ルート:美濃戸山荘 - 行者小屋 - 地蔵尾根 - 赤岳 - 文三郎尾根 - 行者小屋 -美濃戸山荘

タイム:9時間(休憩含む)

 

赤岳山頂.風はない.雲海があれど,山々を遠望できた.

 

八ヶ岳山荘を横切り,車で美濃戸山荘の駐車場へ.SUVの走破性に脱帽.

これで1時間のコースタイムを省略.往復2時間が浮いた.

今回のタイムを考えると,八ヶ岳山荘から出発で,12時間ぐらいになったと考えると恐ろしい.

 

桐林と寺本は,初の南八ヶ岳.主峰,赤岳(2899 m).

日帰りで堪能できるって素晴らしい.

いっつも眺めてばかりいたあの山へ行けるとは!

 

行者小屋.帰りの状態.3連休初日とあって,テントも賑やか.

 

南沢コースを行き,やれ,阿弥陀,やれ,横岳,おお!赤岳と,

退屈な道が一気に変わる.

ゴジラのようなあの黒い凹凸に感動しながら,首を回す.

 

赤岳頂上付近,横岳方面.寺本の元気ぶりがわかる.先頭写真が多かった.

 

地蔵尾根は赤岳頂上まで標高を500 m以上上げる.

ここで傾斜がぐっと上がる.

後ろを振り返るたび,行者小屋が小さくなっていき,周りの景色が広がっていく.

辛いけど,気持ちがいい.

 

赤岳頂上より,南アルプス方面.地上付近の雲海と,山々より高い位置の雲の狭間に景色がある.

 

ひさしぶりのピーク.この360度の展望は,やっぱり良いね.

桐林は山梨出身.やっと下から見ていただけの存在を,今度は逆に見られていた位置から見る.

北の八ヶ岳.

 

凝縮された八ヶ岳のサイズ感が堪らなく良い.

 

文三郎尾根を下っている最中,赤岳主稜を登っているパーティがいた.

じねんじょ山の会ということを,登ってきた名古屋山岳同志会の人たちが言っていた.

若い人たちがたくさんいて,羨ましい.

 

帰りは,もくもくと歩く.

赤岳の黒光りした岩を振り返りながら,いつかまた来るよと,期待をもって去りました.

【富士見山行】明神山(鉄砲木ノ頭)

2019年1月4日(金)

参加者:桐林(筆、桐林(父

ルート:山中湖交流プラザきらら - 展望台 - 明神山(往復)

目的:でっかい富士山をみること

正月から山梨は連続して晴れ。右に見えるのが山中湖。山頂は、広場。
 
久しぶりに実家山梨に帰り、富士山の大きさに改めて感嘆した。
これは、もっと近づいて、赤城のすそ野と比較しよう!と、悪だくみをしてみたくなった。
また、親孝行をして、今流行りのWIN-WIN関係になろうというのも...。
 
ネットで素早く探索。
三つ峠、明神山が良さそうだ。父親が歩けるギリギリ2時間か。
明神山は三国峠からも、展望台からも入れるが、往復1時間。
もうすこし歩きたい、そこで山中湖交流プラザきららからにした。
 
富士山を見に行こうと父親を誘ってみると意外にも、乗る気。
何を持ってったほうがいい?バックどこだっけ?と、子供のようにはしゃいでいた。
町中を歩くようにしているようだが、断然、山の中の方が気持ちがいい。
ちょっとでも、よさを分かってもらえたら、幸いだ。
 
展望台より、車で来ることができる。
 
行きの道を間違え(復路で判明)、別荘の脇道を進む。霜柱を踏みつけながら、獣道をゆく。
アーモンドチョコレートみたいな糞は、鹿のだよと教えてあげる。イッパシの山屋のように...。
おかしな道だなと思いながらも、下から見えた頂上方向へ進む。
歩きづらいだろうと思いながら、単なるハイキングコースより湿っていて、それもいい。
15分ほど歩くと、車道へ出た。ハイキングコースの標識を見つけた。
一つ尾根の向こう側が正解だった。そもそも道を一本入り間違えていた。素知らぬ顔で、通り過ぎた。
 
展望台は、次から次へ新たな観光客がやってきた。
場違いな感じを抱きながら、水を飲みかわす。まだ大丈夫みたいだ。
10分ほど休憩。
うーん、この富士山は見慣れているあの優雅な線のすそ野ではない。
河口湖からのFUJIがいい。帰りに運転しながら、そう思っていた。
 
展望台からは、ススキが密生した登山道をゆく。
火山性の小石で滑りやすい。傾斜も、キツイ。
父親が下を向きながら、険しい顔をしていた。水を与える。
あと何分で頂上か?という問いかけがあったため、切り上げタイムを言い渡す。
いつも多めに教えるようにしている。小さく見積もったときの悲惨さを知っている。
徐々にススキが見える面積が減っていき、建物や樹海部分が大きくなっていく。
ゴミ集積場が左手に見えるのが、少々残念。
 
山頂では、御殿場の老夫婦と話し込み、甲斐駒ヶ岳、白根三山、北岳の思い出話を聞いた。
また、三つ峠が最高とのアドバイスを頂いた。
今回は接待であるため、お湯をテルモスに入れてきて、コーヒーを飲んだ。
温暖化の影響か、あったかい中での、冬のハイキングだった。
 
その後、吉田のうどんを食べ、実家へ戻った。