研究とは??
昨日は火曜日。
火曜日は院での授業で、某国研究の演習を聴講してます。
演習なのに聴講なのは・・・実は、私は本来某国研究が
my研究テーマではなかったので、まだ色々と知らないこと
ばかりなのです。今年は耳慣らし、基礎知識の蓄積のために、
今年は聞いていけってことで先生と話して、聴講しておりますのネ。
まぁ、それが疲れるの、疲れるの・・・。
たった1時限なのに、研究的体力がかなり消耗される演習です。
どうも、某国の研究には慣れが必要で・・・。
私の学校の学長曰く「自分の研究のネタは、常に8つくらい持ってなさい」と。
私の記憶では、確か、常に思考力や想像力を培い、それを使うためにも、
それくらい、自分の中での種(関心事)に幅を持っていたほうが、研究の
詰まったときに可能性が生まれやすい、そういう意味で言っていた言葉だった
はずです。学長自身も、ノーベル賞受賞した恩師から聞き、心に秘めてきた
言葉だったとのこと。
それにしても、この某国が私のネタの一つに入るかは、まだ分かりません。
自分の「研究姿勢」だとか「研究の仕方」というのを、この学校に来てから
矯正する必要を感じ、今は再構築している過程ですが、その過程で、
そのうちネタの一つになるのかもしれません。
今はそうした過程の中で、悶々とその課題と向き合ってる最中です。
(ちょっと一服・・・)
それにしても、このブログで、ようやく本業の大学院話を書きました、ワタシ。
どこからか、「本業だろ、お前の」と、天罰が下りそうですネ。ネ?
また訪れたい場所①~トンガ編~
読者数が限りなく0に近いブログへようこそ、
数少ないうちの1人の読者のあなた。
今まで行った国の中で、また行ってみたい場所。
今まで行ったことの無い国の中で、また行って見たい場所。
第二弾の今宵は「昔行った場所」の中から、
トンガという島を紹介したいと思います。
まず、トンガの位置から。
みなさん、トンガという国はどこにあると思いますか?
知る人も、あまり多くないと思います。
私自身も行くまで、知らない「島国」でした。
そのトンガの場所は・・・
オーストラリアの近くですね。フィジーって国は聞いたことが
ある方もいると思います。フィジーの南に位置して、記憶が
確かならば、日本からフィジーまで8時間飛行機乗ったのち、
乗り換えて、しばらくするとトンガタプ国際空港に着きます。
夜に成田を出発すれば、確実に日の出が機内から見られますよ。
トンガは小さな島国です。国民は、みなさん、体が大きい。
国民揃って、ステキな笑顔に、大きな体。
日本の相撲界やラグビー界に選手を輩出することもしばしばです。
最初はそんな人びとに圧倒されることもしばしばですが、
慣れると皆、愛嬌らしく感じられます。
トンガは、夏の島なので、当然海が綺麗。
他にマングローブの森があるなど、自然に満ちている
ことなどは、この国のウリなのですが、
それに加えて、島が静かで過ごしやすいことが
海が綺麗など南の島によるある特徴の「プラスα」であると思います。
それは、トンガが適度に「観光地化」されていないことにより、
この島に安らぎという過ごしやすさを与えてくれているのでしょう。
自転車を借りることができたかは、ちょっと覚えてないのですが、
もしレンタルが可能であれば、周ってみるのも良い手かもしれません。
観光地も、少々時間がかかっても、自転車で行ってみようと思えば、
いけない場所ではありません。私は買って周りました。
なんせ、いい意味でこのトンガの本島は広くない(笑)
かといって、狭いわけでもない。
そういった中に、トンガの風土、歴史、不思議な水柱があがる
海岸などなど・・・見て感じることの出来るものはぎっしり詰まっています。
だからこそ、自転車乗って、回り甲斐があるってものなのです。
静かで、綺麗な海と緑・・・
それらに囲まれて自転車で周るのは、非常に格別な体験です。
まぁ、確かに他の島に比べれば、目立った観光スポットは多くなく、
またどうしても隣国フィジーが有名で、その環境も非常に優れたものです。
それでもこうして、肯定的に捉えるのは、私自身初めて行った国こそが、
その国、トンガだったからなのは事実でしょう。
そんなトンガという国に行ったのは、今から10年ちょっと前、
私がまだ14の頃でした。
実は、ある日、急に親父にチケット渡されて
親父「行ってこい」
私 「は?」
って感じで行くことになった国です。
たぶん、そのチケットを渡されなければ、
全く興味関心が湧かなかった国だったと思います。
恐らく、海外というところ、自体ににも。
10年という月日で変わったであろう、その国。
だからこそ、もう一度行ってみたいのかな。
いつになるか分からないけれど、ぜひ、もう一度。
そうそう、10年という月日で変わったといえば、私の中でそう強く感じた
経験があります。それは、同じく南の島である沖縄のある田舎でした。
10年って、街の光景をすっかり変えるに、十分な時間なのですよね。
その田舎は、すっかり人影も消え、街の建物は崩れ、10年前は人で
栄えていた港も船の出航する様はすっかり途絶えていました・・・。
都会(って、今は某田舎に住んでいますが)に住んでいた私にとって、
街が10年で変わるというのは、「当然」むしろ逆でした。
人が増え、建物が増え、街が活気づく、そういうものでした。
それを考えると、私が上で論じたトンガ論も、
今や変わっているのかもしれません・・・。
だから、また行ってみたい。そう思います。
ところで、その沖縄といえば、離島もトンガのような環境にあるのでしょう。
小さいころ、離島に行ったことが、数えるほどですが、ありました。
確かに本島のような喧騒とは離れ、トンガのようだった気がします。
またいつか離島へ行ってみたいものです。それに関連して、
次回の映画な生活では、その「離島ブーム」に火をつけた
ある映画を紹介したいと思います。
追記:
トンガへ行った当時、従兄弟が国際協力関係の仕事で
その国に滞在していました。当時、従兄弟の働いている光景を見ていて、
そこでの色々な話を聞くことがありましたが、まさかその後、彼の仕事先を
対象にした勉強を大学ですることになるとは思いませんでした・・・(苦笑)
ところで、当時従兄弟にトンガで言われた言葉が、
10年以上経った今でも忘れられません。
「趣味は仕事にしないほうがいい」
これって、本当にそうなのでしょうかね。今の私には分かりませんし、
確証を得る術がありませんが、人それぞれって訳でもなさそうな気のする、
そんな言葉だと思えます・・・。
いつか訪れたい場所①~中国編~
~九寨溝・中国四川~
今まで行った国の中で、また行ってみたい場所。
今まで行ったことの無い国の中で、ぜひ行って見たい場所。
今日は「まだ行ったことない場所」の中から、いつか行ってみたい
場所をの紹介を、写真を交えながら、紹介したいと思います。
今回は中国国内からの紹介です。
上の写真の地、ご存知の方も多いと思いますが、
中国南西部四川省の「九寨溝」です。
写真のとおり、水中の木々が透き通って見え、
まるでそれは水中に宇宙が広がってるようで、
時が時に紅葉であれば、水中にまで紅葉が
広がっている感すらあります。
この光景を初めて見て、知ったのは、遅かったのですが、
チャン・イーモウ監督の映画「英雄(HERO)」での1シーンが初めてでした。
見てから一年間は、あれはCGだと思っていたので、
この地が実際にあるところだということを知ったときは、
そりゃぁ驚くほか、なかった・・・。
それにしても、地上の楽園って、まだまだあるんですね。
いつまでもあのような地は残って欲しいものです。
意外と、どこか私たちの知らない山奥に、ひっそりと
こうした光景は残っているのかもしれません。
でもそれは私たち自身の生活次第、環境破壊との
せめぎあいの中でどう生き残っていくということでもあり、
それはとても大変なことなのですが・・・。
実際、現地の人びととユネスコ世界遺産の保護のもと、
入場者数も規制されているようですし、地元住民が
飲み水として利用していた九寨溝の水は、最近は
飲み水としての利用をしなくなったとか。
でも遺産を残すには伝統ある中国(残した分だけ、破壊もしましたが笑)。
期待したいものです。
そして、私は私で、いつか、ジェット・リーみたいに
九寨溝をぴょ~~ん、ぴゅ~~んと飛べる、
その野望を叶えられるようになりたいです。
ってか、九寨溝飛んでたのって、ジェット・リーだったっけ?
トニー・レオンだったか?・・・もう3年前に見た作品・・・忘れてちもうた。
ユーモアとリアリティ、そして個性に富む場所~追記~
~The West Wing~
追記~日本との比較から~
先日書いたTWWの考察を行なっているなかで、
日本のドラマ作りに思うことが出てきたので、
それをここで書き残したいと思います。
先日のメモに書いたように、TWWは政治ドラマですが、
日本で政治ドラマは、再現ドラマ以外、流行らない、
つまり視聴率の取れないものだとして、テレビ業界では
あまり好まれてないようです。
昔、脚本家三谷幸喜が総理大臣のドラマをやった記憶がありますが、
当時、彼自身「日本で政治ドラマは視聴率取れないんだけどね」といった
主旨のコメントをしていました。そして見事にコケていました。
確かに、日本で安全保障ネタはとかくやりにくいものですし、
かといって内政ネタや経済外交ネタも「暗い」イメージ、
「悪い」イメージ、というか「つまらないよ」とかしか感じないためでしょう。
もしくは、国際政治史の学者である入江昭の指摘することのごとく
「理念無き戦後日本外交」をネタにしたドラマというのも、再現ドラマで無い限り、
ドラマ化するのは単純に心に訴えかけたりするといった部分にも困難があり、
おのずと面白みに欠けてしまうのではないでしょうか。
また、そういったことは「政治無関心」といわれる日本人の政治観とも、
無関係ではないのかもしれません。
それでも日本で政治モノっていったら・・・「時代劇」とか「大河ドラマ」が
例外として流行っているモノとして言えるんじゃないかと思えてきます。
まぁ、それも政治モノっていうには、ちょっと無理も伴いますが(笑)
結局、印籠・ご隠居・馬・花吹雪などなど、政治モノじゃなくて、ヒーローモノだと
言われると否定できませんし(苦笑)
あとは・・・時代が近代、恐らく1945年までを描いたものになるのでしょうか。
その一例が、太平洋戦争モノです。それらの多くは、肯定的・否定的といった
評価の部分では、色々と再考する余地があるものが多いわけですが、
そういう前提があるものの、日本の政治理念や文化論などで人びとに
訴えられるネタがあったわけです。つまり、政治ネタで人びとの心を
「掴める」のは、戦前までのネタのみであると言えるのでしょうか・・・。
そう考えていると、今後、日本のドラマで「現代の政治ドラマ」で
人びとの心を掴む作品が作られることなんてあるのかなぁ、と思えてきます。
結局、戦艦何とかとか、過去モノ、英雄(ヒーロー)モノ以外は無理でしょうか?
例えば、現代だとしたら、、アメリカのように「超大国」という条件が無いと
ダメなのでしょうか?それこれと考えていると、結局、現代日本の内政・外交に
ダイナミズムというか、躍動感が無いってことが日本製政治ドラマの大きな
阻害要因となっているのかなと思えます。加えて、もともと日本政治って
淡々としていて、それこそ「こそこそ」って部分がありますし、それらは
日本古来の文化みたいなものですので、「これは面白い!」って言えるような、
劇的なものってあまり期待できないのですけれど・・・。
「あざーす」
あ、評価の分かれるところではあるけれど、ある意味、小泉政権になってから、
ある種の「躍動感」は出てきましたが・・・じゃあ、小泉政権下で、
いっちょ超大国でも目指してもらいますか?そうしたら、TWWのような
重厚感かつ面白みのある政治ドラマができそうな気がします(苦笑)
もっとも、たとえ目指したとしても、たとえそうできたとしても、
それは1000年くらい先の話になりそうですが・・・。
ユーモアとリアリティ、そして個性に富む場所
(2005.5.8修正版)
今日は、映画な生活番外編、海外ドラマのご紹介。
~The West Wing~
紹介するドラマはアメリカドラマ「The West Wing(以下、TWW)」。
アメリカ大統領が主に活動する場、ホワイトハウスの「西館(West Wing)を
舞台として、内政・外交問題に取り組むアメリカ大統領と彼を支える
職員の日々の姿を描くドラマです。
主役は、マーティン・シーン。コッポラの大作映画「地獄の黙示録」で
有名な方ですよね。むしろ、「メジャー・リーグ」の暴投投手を演じた
チャーリー・シーンのパパと言った方が良いか。
(下の写真、左から二番目です)
このTWWは、アメリカではNBCという放送局で放映されているらしく、
現在シーズン6まで続いている長寿番組です。
日本のNHKでも「ザ・ホワイトハウス」という邦題で
地上波・BS2にて放映されていました。今はシーズン3までが終わり、
翌シーズンが放映されるか、されないかは未定なままです。
なお、私がこのドラマを見たのは日本放映分のシーズン3まで。
それを前提の上でのお薦め文になりますので、ご承知ください。
(TWWに関する詳細は、私のなんかより、はるかに数多くの、
かつ良質の関連HPがありますので、そちらを参照してみてください。)
アメリカドラマ通の方はご存知の通り、アメリカドラマは「第何々シーズン」と、
日本のドラマに見られない「長さ」が特徴。日本で有名な「X-FILE」や
「アリー my love」、「ER」や「フレンズ」なんか、無茶苦茶息長いですよね。
ただ当然、長く続くには、視聴者の趣向変化や放映当時の
社会情勢とも関連して、評価基準が毎年変化していくという条件の上に、
製作者側と視聴者側に「根気」が必要となり、
またドラマそのものの「質」の持続も必要となります。
そんな条件下でも、このドラマが高い評価をあげられるのには、
アメリカ政治をダイナミックに描く過程もさることながら、
出演するキャストの個性を生かしたこと、また彼ら個々人に
焦点を合わせたストーリーを演出することで、ドラマ中に
「人間臭さ」を放つことを可能とした部分にあると思います。
そして「政治ドラマ」という堅苦しいテーマに対して
「ユーモア」に富んだ描写が和みを与えている点が大きいのでしょう。
まず「政治ドラマ」としてのTWWを見てみたいと思います。
政治ドラマですから、その中では当然、根回しや脅迫といった
「政治的策略」といったことが度々出てきます。
こうした姿は日本も同じでしょう。
ただそこで大きく日本との違いを見せるのは、外交に関する描写です。
内政ネタもそうですが、外交政策の描写は特に顕著に
「非常にアメリカらしい政治思想」があらわれてきます。
シーズン3製作直前には911テロが起こったため、911がドラマ制作に与えた
影響も大きかったのでしょうか、シーズン3以降には顕著にそうしたアメリカ
政治思想がつぶさに見受けられました。
例えば、テロに対してどう国家が立ち向かうか、アメリカという超大国をどう見るか、
諸外国とどう向き合うか、細部まで挙げると、死刑や性差別、MD(ミサイル防衛)や
核開発、地雷問題といった国内外問題とどう向き合うかという部分で
視聴者の国籍問わず、賛否両論が起こるドラマではあります。
(まぁ、政治ドラマなんて元々そういうものですが、特にこういう
時期なので、テーマに対しては顕著に賛否が分かれると思うのです。)
私にとって印象的だったのが、911テロが起こる前に製作された
シーズン1で描かれた対テロ政策の議論と、テロ後のシーズン3で描かれた
対テロ政策の議論の温度差の違いでした(S1-2,3,S3-19~21)。
そこでは微妙かつ繊細にテロに対する考えの動きが見られます。
まぁ、ちょっと話が逸れますが、そもそもM・シーンが演じる大統領が
民主党大統領なので、「小さな政府」を志向する共和党派の人にとっては、
毛嫌いになるドラマかもしれません(笑)
次に、「人間ドラマ」としてのTWWを見てみたいと思います。
一般的に、ドラマや映画というものの性格は二つに分かれると考えられます。
一つは、主人公が強い個性を光らせ、製作者側もそれを意図しているドラマ。
いま一つは、共演陣が主役級の強い個性を光らせているドラマです。
このTWWは後者です。マーティン・シーンは確かに強い個性の
持ち主ですが、それに負けらず劣らず、共演者陣の持つ個性が
非常に色とりどりで、共演ならぬ競演になっています。
そして、マーティン・シーンは、共演者の“競演”に、ピリリとした刺激を
与える「スパイス」としての役割を果たしているという感がします。
またそれらは、個々のキャストに詳細な「設定」という「個性」を
与えたことで増幅され、そうして政治ドラマという性格とともに、
人間ドラマの性格を大事にされたドラマに仕上がっています。
具体的には、威厳ある大統領の弱い部分、ホワイトハウスの
スタッフの個々人が抱える強さと弱さ、そしてそれを支えあう様。
またそうした表現に加えて、彼らが持つユーモアさ。
時に笑い、時に悲しみ、また力を得て笑う。
そこにあるのは、まるで普段の私たちの生活、
例えれば、家族の姿そのものなわけです。
(エミー賞授賞式光景)
このように、TWWはドラマであるとはいえ、「アメリカ政治」を知り、
また考える一手段にはなるでしょう。
そして繰り返しますが、何よりTWWには政治モノとして見るほかに、
キャスト個々に焦点を当てた人間ドラマとして見る見方も存在します。
そうした「二重奏」が、ドラマの質を非常に高いものへと
昇華させていると思えます。
こうして作られ、長いシーズンを重ねたシリーズモノには
「ドラマそのものの『質』の持続」という課題が付き物です。
でもこの課題をクリアできている点もTWWの長所です。
数シリーズもドラマを続けていると「飽き」がきますが、それを
巧みにこさせないシナリオ作りに成功できているのではないかと
思います。よくあるシナリオの焼き増し?というんでしょうか、
似た感じのストーリーが行なわれていない。それがドラマの
質を持続させてこれた理由なんじゃないかと思います。
(当然、視聴者の好みの問題もかかわりますが・・・(^^;))
また「狭い」ホライトハウスという空間の中を「広く」見せる巧みな
カメラワークは同時に、ホワイトハウススタッフの仕事ぶりに躍動感を加えます。
こうしたカメラワークとともに、セットの精巧さなどの脚本以外の要素も
ホワイトハウス内の豊富なリアリティを描き出すのに寄与しています。
その質の持続には、シーズン4まで脚本の中心にいたAaron Sorkinという
脚本家の貢献度が非常に高かったためだという評価があります。
つまりシーズン5以降は、他のドラマになってしまった感じがする、といった
声が出ているくらいです(苦笑)私はシーズン3までしか見てませんが、
どうなることやら・・・。
さて、とにもかくにも、長くなりましたが、
このThe West Wing、お薦めです☆☆☆☆☆。
(これは・・・東館East Wingの写真ですね)
でも・・・実はまだ日本語版DVDは発売・レンタル開始がされていません。
もうすぐレンタル開始という情報もありますので、しばしお待ちください。
再放送は?という疑問があるかもしれませんが、NHKなので、再放送も
滅多にされません。なんせ、NHKは韓国ドラマの啓蒙活動で忙しいですし(笑)
なお、英語版はシーズン5までamazon.uk等で購入できるようですが・・・。
英語堪能な方は、英語版挑戦してみてください。
私はシーズン1で壊滅的な結果に終わりましたが(笑)
母性と父性、女と男のカタルシスか
(2005.5.7修正版,2005.5.9再修正)
~ALL ABOUT MY MOTHER~
P.アルモドバルの映画、ALL ABOUT MY MOTHER。
映画一発目は、このスペイン映画について。
まず、簡単にストーリーを追ってみましょう。
女(セシリア・ロス)は息子を女手ひとつで育て、17年経ちました。
また一方で、女は臓器移植コーディネータとしての仕事を確立していました。
そうして、二人は平穏な日々を暮らしていました。
作家を志す息子は、ある日、母である女に言います。
「父さんのことを教えて」と。
母は苦悩します。父のことを教えるべきか。
ある日、女と息子は、ある劇場までやってきました。
劇「欲望という名の電車」を演じる「その女」。
息子は「その女」の熱狂的なファンでした。
「その女」が描かている壁の前で、
女は待ちます。そして思います。「父親のことを話そう」と。
息子も待ちます。そして思います。「『その女』のサインが欲しい」と。
そして「その女」は来ました。
しかし「その女」は車に乗り、行ってしまいます。
息子は「その女」が乗る車を追いかけますが、
彼はその車の後続車に轢かれ
永遠に父親のことを知ることはありませんでした・・・。
息子の「命」は、他の人へと受け継がれていきました。
女は、息子の「命」の行く先を見届け、そして仕事を離れ、
一人、バルセロナへ向かうことを決心します。
息子の死を伝えるため、元夫を探しに・・・。
でも、それはまた女自身と元夫、
そして周囲の人びとの生き方を見つめなおし、
立ち直してゆく旅となったのでした・・・。
<以下、ホントに“ほんの少しだけ”ネタバレ含むので、ご注意を~>
この映画は「女」という片方の“性”を追うことを中心としています。
出演陣の8、9割は女優。出てくる男も、命を落とすか、男であることを
やめ、女として生きることを選択します。それゆえ、この映画は
「母親であるすべての人、女であるすべての人に捧げられた映画」という
キャッチフレーズで売り出された映画でした。
でも私は、それは、この映画が描いている「一側面」しか表わしていない
評価なんじゃないかと思えてきます。
むしろ、母親、女である人々を追う過程で、実際この映画の中では
母性と対峙する父性、女であることを求めようとする父性の持ち主、
女でありたいと思う男、それでも男であることを認識させられる男、、
父を想う青年、父親を想う娘・・・
そうした対立において生まれている葛藤を、皆がどう解いていくか、
そして、それをどう浄化させていくのか、そうした旅路を追っている
映画なのではないでしょうか。
印象的なのは、映画の最初の方と最後の方に出てくる
トンネルのシーン。その長いトンネルに入った者たちの、
長い長い旅路は、映画が終わってもトンネルの線路の如く、続きます。
結果として、少しその葛藤が解けたとしても、決定的に
全てが解決した、という映画ではありません。
これからも続いていくことなのでしょう。
ただ、日々の笑い、嘲り、痛み、嗚咽、といった生活の中で、
女と、それを取り巻く人々が、徐々に、また微かでも光明を
見出していく過程、それがこの映画のミソでした。
だから「決定的な答え」だとか「結論」を求めてる方、
また「煩雑なストーリーがニガテ」な方には、
あまり口に合わない映画かもしれません。
またP.アルモドバル映画は元々クセが強い映画が多い、
というかほとんど(笑)。
そういうわけで、新しい映画を見てみたい、と思う方、
また母性、父性に悩みを持つ方、
女と男ということに悩みを持つ方、
こうした方々にとって、見て、
色々得るものがある映画になるんじゃないかと思います。
この映画がアカデミー外国映画賞の受賞したとき、
女性の出演陣が映画のほとんどを占めているため、
アルモドバルを囲む人々が、彼以外、全員女性ばかりであった光景が
非常に印象的でした。
そこからも見えるように、アルモドバル映画=女の映画と言われます。
先ほど挙げたキャッチフレーズの如く、「母親であるすべての人、
女であるすべての人に捧げられた映画」はアルモドバル映画の特徴でしょう。
その上、映画に出てくる男は女として生きることを望みます。
だから男性は見づらい映画かもしれません。
またある種、女性にも見づらい映画なのかもしれません。
男性は・・・ウーマンリブ、って言うんですか?そういう映画だとか、
フェミニズムっぽい匂いがするから嫌だというかもしれません。
また女性は、こんなに女は弱くないだとか、色々と抵抗感も
あるかもしれません。
繰り返しますが、この映画は、確かに女性の映画であるものの、
女、母性といったものを追っていく結果として、
男、父性を合わせて追うことへと繋がり、
女性と男性の映画、母性と父性の映画であると思えます。
だからこそ、この映画が「女のための映画」というのは、
決して正しいとは思えません。
そして、一見特異的なテーマを追いかけている映画のようで、
意外と普遍的なテーマを追いかけている映画なんじゃないでしょうか。
お勧めです☆☆☆☆。
追記:
・・・にしても、映画の本題とは少し違いますが、
子を育てるって大変なこと、そして母性や父性といった
「親」という使命の難しさをこの映画で気が付かされます・・・
当たり前だけれど、簡単には親になれんな、と繰り返して
思わされ、唸っている自分がいました・・・。
韓国対日本という構図(4)~JとKという国内L編~
④自国リーグ所属チームの国際試合での成績
さて、日韓サッカーの「パワー」の分析・評価も、今回で最後。最後は、国内リーグチームが、国際的にどこまでの成果を得ているか、を分析することから、両国の力を探ってみようと思います。
(こんなマークの大会らしい) (旧トヨタカップ。今年から変更らしい)
両国リーグの起源にひとまず触れてみましょう。Jリーグと、Kリーグと、なんか似た名前の両国リーグ。そういえば、Jリーグ発足時に蹴球流行に乗ろうとして、Jリーグにかけて「Jポーク」だっけか、肉のCMがやたら流れていたのが思い出されます。今やそれも忘れJポークは「ポークでハッスルハッスル」になってる気がしますけど・・・。
Jは1993年に設立されました。今のお子ちゃまたちは知らないでしょうが、今会長なのにキャプテンって名乗ってる川淵三郎が必死に立ち上げましたし、当時は浦和と名古屋が糞弱かった時代。黄金期ヴェルディにハーフラインからリフティングで交わされ続け、点を決められるという、ヴェルディにとっちゃ伝説的ゴール、浦和にとっちゃ伝説的醜態を思い出さす、良き一時代です。いつか、あれを超えるプレーを浦和に見せてもらいたいなと、個人的に期待します。
KはJより10年早い83年に設立されました。よくスポンサーも変わるし、本拠地も変わるので、名前がコロコロ変わるのが特徴。ちなみに今強いチームは水原三星。韓国版レアルとか呼ばれ、サムソンという韓国企業の「まねー・ぱわー」で選手獲得に躍起になってました。ところで、最近の蹴球社会を見ていると、ふと思います。金満チームの代名詞はレアルから、チェルシーへと変わり、いつか「何とか版チェルシー」になるんじゃないでしょうかね、油モビッチ(チェルシーオーナー)さん。
では、話を本題に戻しましょう。それぞれの国内リーグチームが国際的経験を積む場は、まずアジアで代表的なものとしてAFCチャンピョンリーグがあります(上記のマーク、以後AFCCL)。そこを勝ち抜くと、クラブ世界選手権とトヨタカップ(上記マーク)が合体した「FIFAクラブワールドチャンピョンシップ トヨタカップジャパン」があります。これは今年が初開催ですが、数年先まで日本での開催予定とのこと。その後は、恐らくは欧州もしくは日本に替わるFIFAのマーケット戦略に「適した地」へと戦いの場を移すことになるのでしょう。
AFCCLは2002年からの開催されており、。日韓両国からそれぞれ2チーム、日本からの出場チームは前季のJと天皇杯の覇者が出場します。2002-2003AFCCLは、日韓両国の代表は、日本が鹿島アントラーズと清水エスパルス、韓国がテジョンシティズンと城南一和でした。でもともにグループステージ敗退(本戦のグループリーグです)を喫しました。
翌年2003-2004シーズンには、日本からは横浜Fマリノスとジュビロ磐田、韓国からは全北現代と城南一和が出場しました。日本の2チームはグループステージで敗退しましたが、韓国の2チームとも準決勝へ進出、城南一和は決勝まで進出し、結果準優勝の成果を得ました。
2004-2005AFCCLは今現在グループステージが行われています。日本からは昨年度同様、横浜Fマリノスとジュビロ磐田、韓国からは水原三星と釜山アイコンスが出場しています。日本の磐田はグループステージ敗退が決まっていますが、横浜はグループ2位で、厳しいながらもまだ最終節の結果如何で、準々決勝進出の可能性が残っています。韓国の釜山はグループ通過を決め、水原は最終節次第と、横浜同様の望みを持っています(以上,2005.5.6現在)。
こうしてみてみると、国内クラブレベルでは、韓国のチームが高い結果を出しているといえます。2002-2003は日韓両国クラブは敗退を喫したものの、2003-2004は韓国クラブの準優勝とベスト4、2004-2005は1チームが既に準々決勝進出を決めています。また準々決勝進出を決めていない水原は、磐田を押さえての現結果です。
よって、国内リーグのレベル比較という点からすると、韓国の優勢が結論として出せるのではないかと思います。
またこれはもう一つの事実をあわせると、実証性が高くなります。それは、KからのJへの人的流出です。TBSが横浜と清水の試合を「韓流対決」といって放映していましたが、それが今の大きなJの傾向です。つまり外国人助っ人における韓国人選手の割り合いの増加です。これは韓国人選手の力量という部分とともに、Jクラブにとって、移籍金や年俸等の契約面でのリーズナブルという点が魅力的だったということが、大きな要因となりました。
力量か、契約条件か。どちらが決定的要因かはそれぞれの選手次第ですが、今回の連載(1)で挙げた朴智星の例のように、韓国から日本へ移籍し、その後、欧州の舞台で活躍するようになるなど、市場価値的な安価を狙ったという韓国人選手獲得であった、というだけでは決して韓国人選手の増加は説明できません。日本人相当もしくはそれ以上の能力を買われた側面はあると捉えてよいでしょう。こうした部分からも、韓国人選手のJでの好評価は確かであり、韓国の優勢を肯定的に捉える側面となるといえます。
ただし、こうした流れには韓国側の事情もあります。Kでの年俸は、韓国経済の影響もあり、非常に安いのが現状です。例えばKの最高年俸(昨季)は金度勲(元神戸/現城南一和)で、4億ウォン(日本円で約4000万円)です。一方、日本最高年俸は1億の楢崎(名古屋)だったはずです(以前の新聞での報道の記憶ですので、今は違うかもしれません)。そのため、Kの選手が好条件のJに仕事の場を求めたという場合がありますし、また他のケースとしては、欧州に行くために、スカウトの目に留まりやすくなるよう、Jの舞台にPRの場を移したという事情もあるようです。例として、横浜の安ジョンファンは、今後欧州に行くことを期待しつつ、横浜でプレーを続けることを韓国各紙に語っています。
なお、補足ですが、考えられる反論をいくつか載せておくことも大事ですから、載せておきたいと思います。まず、日本側から出場した2チームは「昨季の覇者」であって、「現状最高のチーム」ではないこと。磐田がその批判にさらされたのは周知の事実です。すなわち、J覇権を取ってないチームがAFCCLに参加することには、浦和などのチームから批判が起きました。また実際、現在のJでも磐田のみならず、横浜も成績が停滞しています。横浜については、ベストメンバーが怪我と過密日程のために揃わないという要因もありますが。
以上、こうした点もありますが、それは韓国も同じこと。今年のみならず、前年、前々年の結果を総合的に見ると、結果として韓国の優勢は事実と評価できるでしょう。
結論:
哀しいですが、4つの分析枠と使って説明すると、韓国対日本という構図からは、韓国の優勢が見受けられます。若年層での活躍が著しい日本、W杯での審判疑惑のついた4強の韓国ではありますが、全体的な評価からすると、韓国の優勢というのが実情だと見て、正しいのではないでしょうか。
新たな問題??
なら日本はどうする!?この「よく出る」問題に突き当たります。では、次回、蹴球生活では、この問題を、おなじみの日本代表に限って、議論してみたいと思います。
あ、モウリーニョネタもいつか。
韓国対日本という構図(3)~選手活躍度編~
③強豪国での選手の活躍度
では、選手が進出した先で活躍できているか、が問題になります。まぁ、これは来年以降の「選手の進出度」に大きく影響していくものです。これら、活躍・貢献度は、数字で表わせても表わしきれない部分があります。FWはよく得点と言われますが、貢献度はFWでも前線からのチェイシングにあったり、DFでも得点力を求められたり、サイドの選手はディフェンスとアシストなど、多様であったり、結局「数字で表わす」ことは限界があります。よって、ここでは各メディアでの評価、チーム内での評価、チームのリーグ内順位及び対外試合(チャンピョンズリーグ:以下CL、UEFACUP)などを総合的に見てみるほか、ありません。
スペインの二人、大久保と李天秀は、成功しているとは言い切れません。衝撃的デビューだった大久保は、その後鳴かず飛ばず。言語の壁が大きく、戦術理解やチーム内での融合という部分に障害となっているようです。これは日韓両国の選手が常に抱える壁なのですが、それにどれだけ早期に順応するかは、各々の順応性に依ります。順応性が早かったのが、中田という例はよく挙げられますよね。李も大久保同様の状態のようです。彼は以前スペインの別チームに所属していましたが、それでも同様の悩みを抱えている模様。試合にも出られていません。この二人、現在はスペイン残留より、母国Lへの復帰が囁かれています。どうも日韓の選手にとって、スペインは鬼門のようです(苦笑)
イングランドは日本の稲本がいます。アーセナル黄金期に加入した彼も、その後、フラム、WBAと移籍し、怪我の調整もあってプレミア1部(プレミアリーグの下、日本のJ2相当)で調整していました。ですが、WBAに籍を戻したものの、ベンチ止まりの日々で、残留が危ぶまれます。ところで、稲本同様プレミア1部にソルギヒョンという韓国代表FWがいます。彼はベルギーリーグでそこそこの活躍を見せ、プレミア1部に移籍しました。でもプレミア1部での活躍、評価が難しいところです(よって、以下ではJ2相当については評価しませぬ)。
イタリアにはご存知、日本人選手しかいません。中田、中村、柳沢と。その中で試合にコンスタントに出てるのは、中村のみ。柳沢は戦術上の問題で左サイドでの起用が多いのですが、チーム内での評価はそこそことのこと。でも、それは彼のFWとしてのDF力を評価されているのか、「観光客目当て」の評価なのか、非常に微妙なところです。実際、出場試合数は数えるほどです。中田については・・・過去の素晴らしい成績は確かなもの。ただ今はイタリア国内での評価は、過去ほどよくありません。中田自身、以前、某誌で「イタリアにきて失ったもの」があったことを認めています。それが今の彼自身の“長い”不調をもたらしているようで・・・。中村は試合に出て、それなりの活躍をしています。ただ目立った結果を得ているかというと、そこまで大きくはないと評価できます。抱えた肉体的不安もあることも一影響となっているのでしょう。
フランスは、1部に中田浩、2部に松井がいます。1部の中田に関しては、まだチームに溶け込むこと、コミュニケーションに課題が残っているように見受けられます。加入してまもないので、評価する時期にもなってないでしょう。
ドイツには高原がいます。2部には、昔、韓国代表・ブンデスリーガーとして活躍し、後に1998フランスW杯での韓国代表を率いた車範根の息子、車ドゥリがいます。高原は、病気から復活し、主力として活躍しています。HSVのそこそこの成績も彼の活躍に起因しているところはあるでしょう。ただ、どうも「続かない」。点決めては、鳴かなくなる・・・で、思い出して?は点を決める。これが彼の株価を決定的に上げることに繋がらない要因になってしまっています。
ポルトガルは両国選手はいません。昔、中田が「技術は俺より上」と認めていた財前がどこかのチームにいたっけな。
オランダ、ここには日韓両国の選手が1部リーグで活躍しています。今季L優勝したPSVには韓国代表朴智星、李榮杓、フェイエノールトには小野がいます。小野のチーム内での地位は知られたとおり。核になりきっています。ただチームの成績が上がらず、また小野自身の癖みたいな怪我が、やや影を落としているか。あとフェイエは最近目立った結果を得ていません。小野が加入した年に獲得したUEFAカップが最高の成績でした。リーグ内、かつ欧州カップ戦での成績と貢献という両方の意味で、圧倒的なものを得たと評価できるのが、PSVの二人でしょう。彼ら、朴と李は元韓国代表ヒディング(2002日韓W杯4位)によって、PSVに引き抜かれました。去年一年はチーム内での位置疎通に若干問題があったようで、チームメイトからの批判があったりしましたが、今年はそれも改善され、今や主力。このメモを書いている最中に、欧州クラブの頂点を決めるCLの準決勝にて、朴1得点、李1アシストという結果をもたらしました。皮肉にも、『ヒディング+韓国=大会での準決勝敗退』と、日韓W杯の際と同じ結果となりましたが。ただ、小野もメディアから評価が高いのですが、点も取れ、個人技能力も高い朴と李の評価が、それ以上に高い。CLのPSVの快進撃は、ロッペン・ケジュマン(ともにPSVからチェルシーに昨シーズン後移籍)が抜けた中でも、コクーが加入したことにもたらされたまとまりにあったわけですが、そこに良いスパイスとして朴と李の力があったことは、オランダメディアも認めていることのようです。
こうしてみてみると、日本の選手の欧州進出度は高いけれど、決して評価が高くないよう。反して、韓国選手の欧州進出度は低いけれど、その中の質が高い。特に、CLという、国内リーグだけでない「国際経験」を得ていくことが出来る環境に、今は韓国選手のみ、日本選手では過去に中田、小野、稲本がその経験を持つだけという状態にあります。これは、正直、日韓の選手に大きな差になってしまいそう、そんな気すらします。それは、また今後の移籍市場にも大きく影響するためです。
よって、選手進出度と活躍度から見てみると、これまた、韓国優位な状況にあるようです・・・。うむ・・・。
韓国対日本という構図(2)~選手進出編~
②強豪国への選手の進出度
強豪国とはどこぞや、という定義ですが、ここでは欧州に限りましょう。というのも、結局、多くの選手が南米より欧州を目指していることには間違いないからです。治安・待遇・年俸などなどが良いしね。で、ここではUEFAランキング(各国のクラブ同士の過去10年の対戦成績で決まる、FIFAランキングよりは少し信用できるもの)を参考にして、強豪国ベスト10を見てみると、次の国が挙げられます。
スペイン・イングランド・イタリア・フランス・ドイツ・ポルトガル
オランダ・ギリシャ・ベルギー・スコットランド
そこで、日韓の選手がどこの国へ、何人進出しているかを見てみましょう。
(以下、A代表経験者に限って算出.ギリシャ以下は在籍0なので、未掲載.)
スペイン 日1 韓1 イングランド 日1 韓0※
イタリア 日3 韓0 フランス 日1※ 韓0
ドイツ 日1 韓0※ ポルトガル 日0 韓0
オランダ 日1 韓2 計 日8 韓3
※英プレミア一部、仏二部、独ブンデス二部にそれぞれ1人ずつ在籍.
こうしてみると、日本選手の強豪国進出度は、数字上では、明らかに韓国より上。ひとまず、日本選手が高評価を得ている、ということが出来るでしょう。
もう一つ、どういったチームに所属しているか、つまり「強豪チームに在籍している選手が多いか」は大事な計算要素となります。これは所属チームとともに、その選手個人の活躍度・貢献度が大きく影響しますので、次回(3)選手活躍度編との総合評価をすることにしましょう。では、次回もう一度考察してみたいと思います。
ところで、こうした選手移籍には「+α」が移籍における重要要素となります。スポンサーだの、移籍金だの・・・日韓両国の経済(貨幣価値や選手の平均年俸などなど)を考えると、日本選手は「スポンサー」や「観光客誘致」といった市場的価値を、韓国選手は「スポンサー」と「安価な移籍金」という市場的価値も加味される部分になるのでしょう。
韓国対日本という構図(1)~国際試合編~
①国際試合での成績
(2002W杯開幕戦の光景) (2002W杯共催決定の瞬間の光景)
日韓両代表の国際試合での成績を、ここ4年間の主要大会を成績を参考にすると、以下の通りになります。
日本(左) /韓国(右)
2000アジアカップ 優勝 /ベスト8
2001コンフェデ 準優勝 /予選L敗退
2002日韓W杯 B16 /4位
2003コンフェデ 予選L敗退/不出場
2004アジアカップ 優勝 /ベスト8
これだけ見ると、アジアレベルでは日本の圧倒的優勢にも関わらず、2002日韓W杯の韓国の劇的な成果が目につき、韓国が強いのか、日本が強いのか、確かなことが言えません。もしかすると「韓国はアジア以外には強く、日本はアジア以外には弱いのか」という仮説が生れてきます。
その良い例がドイツ代表アジアツアー(2003年冬)での、対日本・対韓国戦の結果と言えます。
ドイツは対日本戦を3-0で圧勝した後、渡韓し、韓国戦に1-3で破れました。確かに仮説は正しいようです。でも当然、ドイツは移動やモチベーションと、選手構成といった点を考慮しなければならず、タイトルマッチでもない、この二連戦を単純に比較することはできません。故に、仮説を証明できても、しきれない感じは残りますが、W杯も含めて考えてみると、あながち、この仮説は外れていないのかもしれません。
ところで、少し話が逸れますが、W杯での韓国の快進撃は、審判の誤審ならぬ“迷”審が理由なんじゃないか、という話があります。これについては長くなるので、後日論じますが、これは決定的な理由ではないでしょう。
では、直接対決はどうか?日本サッカー協会HPを参考にして、2000年以降の直接対決を見ると・・・0-1,1-1,1-0,0-1,0-0と、日本の1勝2分2敗と負け越しています。でも点差は全て一点差。また実際の内容もまちまちです。最後の0-0の試合は、日本が退場者出したにも関わらず、韓国が攻めきられず、日本が優位な試合展開をしました。ただ、意外と、この二カ国の試合はアジアカップでは行なわれてないんですね。東アジアサッカー選手権という、東アジアの王者を決める大会では0-0だった訳ですが、それ以上に本気勝負のアジアカップでの試合が無い。そういうわけ部分では、親善試合で判断するのも難しい部分が残りますが。
いずれにしても、若干判断しきれないところもありますが、国際試合成績、二国間の直接対決を見てみると、世界レベルの大会では韓国が優勢、直接対決では韓国が“やや”優勢であるということができるでしょうか。
ところで、ここには、U20やU23といった若年層の成績やフットサルといったサッカー種目は含めていません。本来ならば、こうした「全体的なサッカー種目」から、「力」を計ることも大事です。サッカーの強国ブラジルやスペインはフットサルにも力を入れ、もちろん若年層の11人制サッカーも強い。若年層は将来のA代表に繋がることから、A代表の力を計るのに、とてもいい指標になります。
ただし、注意すべきは、若年層で好成績を残しても、A代表の好成績には必ずしも直結しないということが、アジアやアフリカ諸国で多く見受けられる傾向としてあることです。アジア・アフリカ諸国では前者が技術力や戦術力、後者が技術力や身体能力を基礎とした若年層のサッカー「チーム」育成を非常に進める傾向があるのに対して、欧州・南米の傾向は、A代表に即直結する「選手個人」の育成に力を入れているという特徴があります。例えば、イングランドの若手は10代中盤でプレミアに多く在籍・活躍していますが、ユースやオリンピック(イングランドの場合、五輪は英国での出場になるため、参加そのものが難しい)よりも、個人の育成に役立つ、プレミアでのプレーを優先させます。つまり、欧米において、若手はユースの大会に出場させるよりも、欧米のチームでの戦いの場に出させた方が将来的利得が高いという判断をします。たまに例外があります(1999U20選手権ではスペインがほぼベストメンバーで参加し、決勝で日本を下して優勝.メンバーには現バルサのシャビ等が出場.ラウル(現レアル)が出場した1995年大会のように、スペインは積極的な場合が多い.)が、ほとんどそういう傾向だと見てよいでしょう。つまり、結果として欧米のチームはユース年代で、必ずしも好成績は得ず、むしろアフリカ・アジアの国が好成績を取る場合が多くなるのです。時に、日本は1999で準優勝しましたが、それが必ずしも「日本サッカーは世界No.2」というのは困難だということになるわけですが、結局、ユース年代の成績というのは、あくまで、将来を計る指標として、参考にする程度が適切というところになるのでしょう。
近年のユース本大会を見ると日本が韓国より優秀な成績を取り、一方でアジアレベルの大会、つまり本大会予選では常に韓国が日本の上の成績でした。これは日韓両A代表の成績との奇妙なパラドックスを成しています。こうしたパラドックスは、日本と韓国の力の差を如実に表わすどころか、どう評価を下すべきか、その難しさを表わしています。そのため「やや韓国優勢」という僅差が力の差の表現として、やや曖昧ながらも、正しいのではないでしょうか。

























