久々の長距離走
こんにちは
最近はブログを書くこともめっきり少なくなってきてしまいました。。。
仕事している時間が長くなったのと、(忙しいとは書きたく無いので変な表現になっていますが・・・)
時間が出来たら走っているのでブログから遠ざかってしまいました。
先週は3日間の出張。
出張中もチャンスがあれば走ろうとスーツケースにマラソンシューズを入れて持っていったのですが、なんと短パンを忘れていってしまいました。
ワールドカップのデンマーク戦を見終わった後、1時間位走れるぞ!!と、着替えたら短パンが無い・・・
思わずトランクスのまま走ろうかとも考えたのですが出張先で捕まったらめちゃめちゃカッコ悪いのでやめました。
今朝は久しぶりに長距離走。
で45歳のランナーさんが教えてくれた30km 走にチャレンジしました。
ふくらはぎの痛みと相談しながら抑えめのペースで10km は53分。ハーフでは1時間56分35秒でした。
本気でハーフを走った事は無いもののこのタイムはベストタイム。
どうせならベストタイムを出したいと、20km から21km で無用にペースアップしたのがまずかった。
ハーフの距離を超えた瞬間、安心感からペースを落とすとそれ以上ペースを上げる事が出来なくなりました。
23km 過ぎからは足が重く一歩一歩出すのが辛い状態が続きました。
最後はkm 8分のペースまで落ちてゴール。
良かった点:
* 30km歩かずに走って3時間を切れた。
2日酔い、炭水化物不足、ふくらはぎに不安を抱えながら夏のこの時期に3時間を切れたのは、自信につながりました。
* ふくらはぎの痛みが少なかった。
* 無用なペースアップが失速につながることを学んだ。
20km まではこの体調ならフルの距離を走れるか?と頭によぎりましたが21km までのペースアップが結局最後まで響きました。
マラソンはつくづくペースを維持するスポーツだと感じました。
改善点:
* 後半のペースダウン
最後は階段を下りるのも危なっかしい程ギリギリの走りでした。
炭水化物不足を除いても、まだ30km手前でエネルギー切れを起こしてしまっています。
LSD などの距離走・時間走をもっと積んでいかないとと思います。
情熱力セミナー参加
こんにちは
昨日はDW30の仲間、日浅さん の第一回「情熱力」セミナーに参加しました。
ごっついいがぐり頭のおっちゃんが2人、笑顔で出迎えてくれ、名刺交換をするとなんとCEO(社長)の人。
さすが、日浅さん、どんなつながりなんだろう?
それにしても社長に受付させるとは・・・
と思っていたら単純に私が会場間違えただけでした。
3分間ほどお互い?マークを頭に浮かべながら笑顔で話していました。
もう一階階段を登ると、今度は
が笑顔で迎えてくれました。
知っている人の笑顔は、ホームグラウンドに帰ってきた安心感がありますね。
さて、日浅さんにとっても初セミナーとのことでしたが、なかなか面白いセミナーでした。
飲み会の幹事を例に大切にすることをディスカッション。
みんな集まったらあとは勝手に盛り上がれ~という強引な考えをもつ私でしたが、
他の人の心配りを見て「うーん、なるほど」を連発してしまいました。
飲み会の幹事ひとつをとっても、いろいろな人が違った視点を持っている。
単純なことをどんな切り口でこの人はとらえているのだろう??と深めていくワークはやっていてとても楽しいワークでした。
コミュニティを作ることで違う人の考えが加わっていく。その最初の一人になってください。
シンプルなメッセージの中に日浅さんの熱い想いが凝縮されているように感じました。
飲み会は、東京駅付近まで移動してエレベータで8Fへ。
せまいエレベータのなか上にあるエレベータの表示を見ると8Fのところにテプラで
失笑
と貼っています。
「何それ?」と一人で動揺していたら・・・
ただの読み間違えで
笑笑
でした。。。
足の状態
こんにちは
今日整体院に行って、足の状態を見てもらいました。
どうやらアキレス腱炎ではなさそう。
ふくらはぎの軽い肉離れのようですね、
との事。
まずはアキレス腱炎ではなく安心しました。
しかし、まだ痛みが残っているので今日もトレーニングは中止です。
ふくらはぎの肉離れの場合、軽度であれば1-2週間で完治するようです。
しばらくは腹筋などで様子を見てみます。
残念な決断
こんにちは
最近、毎日のマラソンがストレス解消になっていたのですが・・・
どうやらアキレス腱を痛めてしまったようです。
ふくらはぎが痛み始めて2週間。
1km 程走ると痛みが無くなるので、大した事は無いだろうと思っていました。
(その間、26km走ったり インターバル走やったり、かなり無理なメニューをこなしてしまいましたが・・・)
月曜日、全く走らなかったにも関わらず痛みが引かず、
今朝踏切が締まりそうになった時に走った時、痛みでびっこを引いてしまったので、
携帯でふくらはぎの痛みについて調べてみました。
痛みの場所、(ふくらはぎ下部、アキレス腱上部)
症状(我慢はできる、走ると腱があたたまって治る)
が一致していることから、どうやらアキレス腱炎の可能性が高そう。
調べてみると、3週間ほどの安静が必要との事です。
走らないのはとても辛い決断ですが、レースまではまだまだ4カ月以上あるのでここで無理する必要はない。
むしろ、痛みが出て休めるのも来月までなので早めの治療をすることにしました。
くやしいなぁ ; ;
生きているって素晴らしい―鬱を超えて思うこと
こんにちは
本日のインタビューは共感・社交・運命・収集・包含の強みを持つ
です。
優しさあふれる笑顔に社交性の強みが滲み出ている高山さん。
コーチ仲間の集うランチ会では、企画からチャキチャキとリードして当日は常に話題の中心にいらっしゃいました。
今回はそんな高山さんの外見からはまったく想像ができなかった壮絶なお話を伺いました。
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医療の現場でリハビリを担当しているので、80を超えた高齢者と話す機会が多くあります。
話をする時には、なるべく楽しかった思い出を引き出そうと
「何が楽しかったですか?」
と聴きますが、「楽しかったー」という人は圧倒的に少ないんですよねー。
だけど楽しかった想い出であゆ魚釣りの話をされることもあります。
社交的では無いおじいちゃんが顔をくしゃくしゃにして嬉しそうに話して、そんな時は私もとっても嬉しくなります。
パートナーの話しもなるべく聴くようにしますが、
「顔も見たくない」という人と
「よかったー、かっこいい人だった」
と言う人に二極化しますね。
たぶん街中で見かけても振り向くような男性ではなくてただのおじいちゃんだと思うんですけど、
「かっこよかったんよー」と言ったおばあちゃんの顔は本当に幸せそうでしたね。
りょうさんは大丈夫ですか??
奥さんの事ちゃんとほめてあげないとだめですよー。
皆さんが共通して言っている事は、人生は短いって事ですね。
90歳を超えた人も人生はあっという間だったと言っています。
私も40歳。人生の折り返し地点まで来ています。
いつまでも元気でいるというわけにもいかないでしょうが、人生楽しかったーと言って終えたいと思います。
毎日を丁寧に生きるという今年の目標はそんな思いもあるのですよ。
病院は、負の波長の世界です。
痛い、やめて、もういやの繰り返しです。
自分が引きずられないように自分が明るく楽しくして、プラスの波長を投げかけるようにしています。
患者さんにリハビリ室に来てもらってちょっとすっきりするようにしたいと思っています。
人は歩けるようになることへの執着が凄くあるのです。
人は寝たきりになると足の筋肉が衰えていきます。長く寝たままの生活が続くとふくらはぎの筋肉が短縮してきて尖足という状態になってきます。
足が常につま先立ちのような形になっていくのです。
数ヶ月も寝たきりになって、トイレに行くときも這って移動する人に少しずつ座ってもらったり、足の裏を地面につけるようにしてもらったり、右ひざを伸ばしたりと少しずつリハビリをしていきました。
その人にとって見たら目線がいつも地面ギリギリの低い位置だったのですよね。
その人が私に寄りかかりながら立ち上がった時は目線が自分の背の高さにまでなったのです。
その時の彼女の感激した姿に思わずもらい泣きしそうになりました。
他にも、自分で水が飲めた、ご飯が食べられたという喜びがあります。
自分が関わる事で人が良い方向に変わるのは嬉しいですね。
そこに私が存在している意味があるように思えます。
私の家は父と母はしょっちゅう喧嘩をしていて、皿が飛び交うような家でした。
私の両親は不仲だったのですが、母は私たちがいるから別れられないと言っていました。
その頃は子供心に、別れればいいじゃん、私たちのせいにしないでと思っていました。
27歳の時には鬱と診断されました。
当時は理学療法士になるために専門学校に通っていました。
精神科の授業を受けていた時に鬱についての講義があったのですが、鬱の内容が私の症状と一緒だったのですね。
まるで私自身を説明されているような感じだったので、これは一度ちゃんと医者に診てもらった方が良いなと思いました。
当時学生ながら結婚していたのですが、日中はフルタイムで働き、夜は専門学校に通い、プラス
して家事をするという三足のわらじを履いていた時期でした。
性格が真面目で丁寧で100%こなそうとしていたので、病院の先生からはキャパオーバーだったんだと言われました。
生真面目で物事をきっちりしないと気が済まないので、100の仕事に対して80位だった時「これぐらいできたからいいや」を許せないのです。
他人は80しかしていない自分の事どう思うかなーと考えて、できない自分を責めたりしていました。
鬱の症状が出ていた頃は、呼吸するのも面倒くさい、生きていたくないと思っていました。
夜なかなか寝付けず、そのくせ3時か4時には目が覚め、ぼーっとしているのです。
寝ているような気がするけどあまり眠れてない・・・という状態が延々続いて朝になっちゃいます。
日中は辛くて、「頑張ったから今日は眠れるはず」と思ってもまた同じ状態が続くのです。
今の私はとにかくいろいろ楽しみたい、生きていて良かったなーと思いますが、
当時は辛い状態から抜け出せるとは思っていませんでした。
誰を見ても私よりもかわいく見えて、誰もが私より幸せに見えました。
自分が着るもの、持っているものが貧粗な感じがして、私は誰からも愛されていないと感じていました。
残った人になるべく迷惑がかからない方法で死ぬための情報も集めていました。
山で死体が発見されたら捜索などでお金がかかる、
海から引き揚げられるとブクブクで汚いし、
上から落ちたらぐちゃぐちゃになるじゃないですか。
唯一見つけたのが、失血死です。
血が足りなくなって死ぬのが一番綺麗な死に方と医療器具を使って道具を作り
リハーサルまでした事がありました。
今思うとばかなことをしたと思うのですが、洗面所に血を流して。
だんなに対するアピールだったのですね。
だんなは私が大学を卒業してすぐに働いていた出版会社の先輩でした。
当時彼には遠距離恋愛の彼女がいたのですが、遠くの彼女よりも近くの私みたいな感じで結婚しました。
「おいとかじゃなくてちゃんと名前で呼んで」という私の願いも聞き入れられず、彼からの愛情を感じることができませんでした。
洗面所の血を見てもだんなは心配するでもなく、彼からは必要とされていないのかなーと感じてました。
ちょうど専門学校で実習している頃だったので、
実習が終わるまでは死んじゃいけない
実習が終わったら行った事が無い四国に行って、その旅行から
帰ってきてから死のうと思っていました。
それまでに身辺を整理しようとクローゼットを整理していた時、私が小学校2年生の頃に母の書いた文集が見つかりました。
「あれ?こんなところに文集がしまってあったんだ」
とちょっと懐かしさと意外さを感じながら文集を見て初めて
「私は親に愛されていた」
と感じました。20年間封印されていた母の私に対する想いに触れて、なんだか暖かいものが胸に広がりました。
「これは私を守っている何かが知らせようと思って知らせたに違いない。私は死ななくていいんだ。」と吹っ切れたのです。
死ぬのはやめようと思ったものの、まだ完全に立ち直ったわけではなく四国で崖と海の間を一人で運転していた時、このままスピード出してガードレールに突っ込むと海に転落して死ねるかも・・・いやいや危ない危ないなんて考えたりもしました。
本格的に鬱から抜け出したのは、妊娠がきっかけです。
その頃、先生に「もし子供ができたら鬱の薬って飲んでいいのですか?」と聞いていたのです。
だから妊娠したいという希はあったんですね。
先生には、妊娠したら睡眠薬はいいけど抗鬱剤はやめた方がいいと言われていました。
専門学校も卒業し、就職して時間的にも楽になった頃に妊娠が分かり、薬は止めました。
つわりはしんどくて、体が辛くて辛くてしょうがなかったのですが、その分夜に眠れるようになりました。
自分の体の中にもう一つ命がある。とても不思議な感覚でした。
出産したら、おっぱい・おむつ・だっこ・おっぱい・おむつ・だっこ…で忙しくなり鬱は離れて行きました。
私の人生を振り返ると、10代よりも20代、20代よりも30代の方が楽しかったですね。
40代はもっと楽しく、よりよい40代を送れるのだろうなと感じています。
これは自分の人生にオーナーシップを持てているのが大きいと思います。
離婚は私から切り出しました。
子供のことを考えると、一緒にいた方がいいのかなとも思うのですが、ずーっと愛されずに一生過ごすんだ、別れた方が楽になるなー、子供たちのせいにして、私が生きたいように生きられないのは嫌だと思ったのです。
相談するとみんな離婚はやめろって言います。
仮面夫婦でいいから一緒に暮せと。
子供にも迷惑かける、元主人の家族にも迷惑をかけてしまう。
でも何より自分の人生なんだから、と離婚を決めました。
決断を後悔していないかと言われると、これでよかったかな?
と思うことはあります。
誰のせいにもできないし、子育ての責任も負わなければならない。
でもそれは敢えて自分で背負わないといけない事です。
すべては自分の選択の結果です。
いろいろ考えることはありましたが、最終的に一人になりたいと思ったのは私です。
その後の生活は簡単なことではありませんでしたが、
この大きな決断を自分がしたというのが自分にとって大きな事でした。
自分の目の前の環境は自分が選んできた結果だと思うのです。
今は人のために何かをする事が私の喜びに変わってきています。
何かしてもらいたい、周りが悪い、政治が悪いでは無くて、いい結果を得る事が出来る、
そして与える事ができるようになった自分って大きくなっている気がします。
うつ状態の人はつらい状態にいる人です。
生きている方がしんどいからそこから逃げたいと思うのです。
でも絶対死んじゃいけない。
生きていると必ずいいことがあるから耐えてほしい、と伝えたいです。
生き残ることができて思うことは、どんな事があっても寿命を全うするまで決して死んではいけないということです。
つらい状況は永遠には続きません。いつかは抜けます。
もちろん、人によって違うかもしれないが、いつかは抜ける事には変わりはありません。
これから生きていく時間には、こんなにおいしいものを食べたとか、新しい人との出会いだとか、
知らなかった、見た事無かったことを経験できた、といったハッピーな経験がきっとあります。
私自身、去年も負の感情の方が多かったのです。
しかし過去に鬱を乗り越えているので、底辺にいるときでも
「いつか抜けられるはず」という自信がありました。
私の場合、メンタル面で辛い時、「私なんて」という言葉が出てきます。
調子のいい時は、他人と比べる必要がない事を理解しているのですが、
しんどくなってくると、なんてみすぼらしい服をきているんだろう?と
周りがすごくよく見えてきてしまいます。
そこで、「どうせ私なんて。」とつながっていくパターンです。
その症状になると呼吸をするのが面倒だから、体がしんどくなってきて、
「はぁ」とかため息をついてしまいます。
なのでため息が増えてくると「あれ、ちょっとまずいかなー?(鬱状態に入ってきたかな?)」と思い始めます。
でも、こういう状況もいつか抜けるというのは経験的に知る事もできました。
もうちょっと頑張れば大丈夫。ほら、私、元気満々になってきた。といった具合です。
何か劇的な事があって鬱から抜けるわけではないのです。
日々の生活の中でも体調によりメンタル的にしんどくても、ちょっといいなといった浮き沈みがあり、
段々と沈む部分がすくなくなってきていつの間にやら元気満々というパターンが多いです。
そして抜けてみると抜けた先に、なんていい事がたくさんあるのだろうと気づきます。
何をしてもありがたい。
自分で食事ができる、周りと関わりができる。
些細な事が幸せ、という自分でいられるようになっていきます。
トンネルには入りたくないと思っているが、トンネルに入っしまう事もある事を知っている。
一度は死を覚悟をしたので、抜けることができたあとの人生は私にとっておまけの人生です。
そしてそのおまけの人生がすごく楽しい。
最近は欲が出てきて、子供たちがどんなふうに大きくなるの
見てみたいと思っています。
どんな友達と出会って、どんな恋愛して、どういう人と結婚するのかなー、と考えると
今はもう死にたいとは思いません。
感情を味わいつくすように、楽しいときは楽しみたい。
泣きたくなるような想いもつまっていますが、無機質に過ごすのではなく
気持ちにふたをしないで素直になっていいんだなと思いました。
自由になって、お付き合いする人が現れて。好きな人と一緒にいるとこんなに楽しかったのかと新しい発見もありました。
感情の交流があるととても幸せです。
パートナーって重要です。パートナーとすごくいい恋
愛をしたいですね。
楽しい事をして
おいしいご飯を食べて、
寿命を全うした後向こうの世界でたくさんの思い出話ができようにいろいろな経験をしたいと思います。
今まで42名の方にインタビューのご協力をいただきました。
インタビューの様子は、
人生のハイライトインタビュー集の目次
をご参照ください。
↑↑↑
毎週木曜日に、行動を起こすためのちょっとしたアイデアをお送りします。
ありがとうございます。
6/9までの無料video seminar ご案内
コーチの大先輩、株式会社パレードM&Cの北野哲正さんと、
株式会社キャリッジウェイコンサルティングの今井孝さんが、
“新しいコミュニティ”を立ち上げるそうです。
今井さんは、福島正伸さんの
『究極のコンサルタント養成講座』を主催しており、
コミュニティ運営に凄いノウハウをお持ちの方です。
また、北野さんは次々とコラボレーションを成功させ、
クライアント獲得、セミナーやワークショップの
集客で素晴らしい実績を上げられています。
その2人が、
----------------------------------------------------------------------
「コーチ、コンサルタント、セラピスト、
カウンセラー、セミナー講師などの
“コンサルタント型ビジネス”に従事する方
のための支援コミュニティ」
----------------------------------------------------------------------
を立ち上げるとのこと。
名称は、
==================
「コンサルタント・ラボラトリー」
⇒ http://consultant-labo.com/index.html
==================
とのことです。
特に、
「集客が上手くいかない。」
また、
「コンサルルビジネスをもっと発展させていきたい。」
という方にとっては、
非常に有益なコミュニティとのことです。
具体的なコミュニティに内容としては、
==================
・成功しているコーチや
コンサルタントへの取材ビデオの提供
・コミュニティ内でのサービスやメニューの告知
・人脈づくり
・定期的な会員限定のシークレットセミナーetc・・・
==================
いずれは、クライアントを集客しての
マッチングサービスなでも
提供していくことを計画中だそうです。
そのコミュニティについての説明、
そして、今井さんと北野さんの対談による、
「コンサルタントビジネスの可能性」
のビデオが無料で公開されるそうです。
⇒ http://consultant-labo.com/index.html
6月9日(水)までの公開だそうです。
今井さん、北野さんの創業時の話、
集客方法、そして、
----------------------------------------------------------------------
コンサルタント型ビジネスで2人が
成功してきた“最大のポイント”
----------------------------------------------------------------------
についても公開しています。
本当に伝えたいものを本当に伝えたい人に伝える、その伝えたい人に出会う手法がマーケティング
私はこのビデオを見て、マーケティングとは友人探し=>親友探しに似ているのだと思いました。
夢がひとつ叶いました。42.195km 走破
こんにちは
漠然と思い描いていた夢、今日ひとつ達成する事ができました。
いつかは走りたいと思っていたフルマラソン、
家族の協力もあり、本日夕方5時から長時間走にチャレンジしました。
フルマラソン4時間切りを目指していましたが甘かった。
タイムは4時間39分47秒
35kmの壁どころか、28kmの時点で早くもエネルギー切れを起こし、後はふくらはぎ、左もも裏、右もも、右足裏といろいろなところをつりながらもゴールしました。
コンビニによったり、途中歩いたりして極端に遅い部分もありますが、13kmを過ぎて私のタイムは右肩あがりにタイムがかかっているのがわかります。
ちなみに18kmの時に7分34秒かかっているのは、自動販売機に立ち寄った時です。
アクエリアスがある~と150円入れて出てきたのは、なんと炭酸入りのアクエリアス。
ショックが尾を引き、その後ペースを回復できませんでした。。。
マラソンは30km ~ 35km 以降は体内のグリコーゲンが完全に無くなって極端にタイムが遅くなるそうです。
私の場合はこれが28Km の時に来ました。
28km で途中歩いて、そこから再び走りだした時に足を前に出す事が気持ち的に嫌になっていました。
ふくらはぎと太ももに3kg ずつの重りを乗せられているような感覚で、足のいろいろなところで痛みが出ました。
もちろん、正式な大会ではありません。
精度90% の距離計での表示。
もしかしたら38Km しか走っていないかもしれません。
でも、私の中では大きな自信となりました。
課題もいろいろ明確になりました。
成果としては、
* 体内グリコーゲンが無くなった時の感覚が体感できた事。
* 痛みが出た場合は、立ち止まって屈伸運動をする事により、痛みを我慢して走るよりも格段にタイムが良くなる事。
* 今後の課題練習が明確になったこと
です。
私の場合、はじめの15km のペースを維持できていれば4時間7分ペースでした。
ここでは、スピードを出している感覚は全くなく、「全然余裕なペース」のつもりでした。
ところが15kmを過ぎた頃からスピードが落ち始め、28kmで完全にダウンでした。
33km で家族に電話して声が聞けた時、体の中から「まだいける」という声が響きました。
37km で再びガス欠になりましたが、10m 毎に増えていく距離計に何度も勇気をもらいました。
今私に足りないのは、後半バテバテになった時脂肪から直接エネルギーをもらえる体にする事。
つまり、有酸素運動を中心としたLSD (Long slow distance) と呼ばれるトレーニングを行う事です。
特にバテバテの38km 以降の7分30秒のペースで行うことが大切。
このペースはまさしく有酸素運動のペース。これよりも早かったら無酸素運動が絡むので効果が半減します。
この事がわかったのも、実際に体感したから。
自分の中の達成感、これは一生の宝物になります。
世界へとどけ、バンザイ堂
着想・最上志向・コミュニケーション・社交性・ポジティブ
今回の強みハイライトインタビューは、
マスターコーチの安海将広さんです。
安海さんは、形式だけの朝礼を社員の会話を増やし、ヤル気を高め継続していく
アヅミ式朝礼
http://azumisiki.com/
を生み出したマスターコーチです。
私が東京駅でアヅミ式朝礼を導入している居酒屋に行った時は、スタッフの挨拶や注文の声が通りに響いていました。
レストラン街の中でそのお店だけが満席で、他店に比べ、活気があり、ひときわ賑わっていたのがとても印象的でした。
今回は安海さんのホテルのようなご自宅マンションの東京タワーと富士山が見渡せるラウンジでインタビューをしました。
僕は今バンザイ堂というものを作りたいと思っているんだよね。
バンザイ堂はゴールや目標を設定しにくる場所なんだ。
そこにはコーチみたいな人がいていろいろ子供たちに聞いてくれるわけ。
子供が、「こういう目標もっているんだよね」って言うと
やりたい気持ちを引き出してくれるような会話をしてカードに残すの。
それでね、うまくできたらそのカードをもう一回バンザイ堂にもってくると、
「どんな風にしてできたの?」
「へぇ~、そうなんだ!良く達成できたね」
「じゃぁ、一緒にバンザイしようか?」
「バンザーイ」
ってやって達成したことを一緒によろこぶわけさ。
そして目標に応じて10バンザイとか20バンザイとかもらえるの。
それをバンザイ銀行にあずけてさ、
誰かの力が必要になったときに
「ほぅ、君は10000バンザイも持っているんだ。そんなにバンザイもっている君が
何かやるんだったら手伝ってやるよ」
みたいな感じでさ、信用を積み上げていく方式を作りたいと思っているんだよね。
お金よりも、信用が大事だってことを子供の頃から教えてあげたいんだ。
アヅミ式朝礼とバンザイ堂は世界に発信していきたいね。
僕は最初損害保険の営業マンだったんだ。
学生時代は競技ダンスに熱中して全日本で3位になったことがあるの。プロになら
ないかって誘われたんだけど、いろいろ考えて保険会社に就職したんだよね。
その頃は生意気ざかりだったね。
最初からサラリーマンは向かないな、いつか独立したいなって思ってたなぁ。
高三の頃、大先輩の話を聞く機会があってその時に、
「30歳までに何かを成し遂げよ、チャンスは人生に3回は来る。
ただそのチャンスが通り過ぎてからあれがチャンスだったと気づく人が多い」
って言われたのが印象に残っていて、
チャンスは逃さないようにってアンテナは常に張っておこうと思ってたんだ。
結構いろんな勉強会に参加してた。異業種交流会にも参加して、人脈と情報は集めてたかな。
損害保険の営業の仕事は、多数の代理店の取りまとめをやるんだよね。
新入社員の僕が担当した代理店の方は僕の父親以上の年の方が多かった。
当然新入社員の若造の言うことなんか聞いてくれない。
若かったから、
「なんでこんなにいい商品なのに売ってくれないんですか?」
「そんなにいいならお前が売ってみろ」
「わかりました、僕が売ります」
って会社を飛び出しちゃったんだ。
損害保険の販売研修生で、、3年間で保険代理店になるまで固定給プラス歩合の制度があるんだけどその研修生になったんだ。
周りからは「何で社員で入れたのに、わざわざ研修生に?」
なんて言われたりもしたけどね。
今から振り返ってもあの会社を辞めるって決断をした時が転換期だった。
自分の人生を決めなおすのに、日常の業務をやりながら決めるのは無理だと思っ
て、平日2日間会社を休んだ事があった。
その間にセミナーとかに出て、人生は一回しかないからやりたい事やろうよという気持ちになってやっぱり辞めようって決めたんだ。
辞めると言う事を部長に言う時は、もう本当、清水の舞台から飛び降りる気持ちってこれかーって感じだよね。
目をつぶって飛び降りるって感じ。その感覚は結構好きなんだけどね。
一回辞めるって言ってしまったら後は楽だよ。
行くしかない、退路が絶たれたわけだからね。だからあとはどうやって稼ぐかになるから。
まずは会社を辞めて月収50万を目標にしたんだ。
この目標って毎月100万円の保険の新規契約が必要で結構高いハードルだったんだけど、一度その数字を超えるとKeepできるようになったね。
社員を辞て研修生になったって意地もあったから200人位いた研修生の中で1番に
なることは僕にとって当たり前の事だったんだよね。
累計は常に一番だったけど、月間では2番、3番に落ちる事があって、そんな時は
心の中で僕らしくないって思っていた。
今月あと30万足りないなーって時もGoalを強く意識していくとラッキーが舞い込
んでくるんだよね。
両手を強く組み合わせて「お願い!」って念じていると本当に保険の電話がかか
ってきたりすることもあったりするんだよ。
だけど次は大スランプ時代に入ったんだ。
月収が少しずつ増えていく時は、ドキドキ・ワクワク感が強くあるんだけど
目標がどんどん大きくなって年収が自分でもこのくらいあればいいなあと思うようになると「もういいや」って気持ちになったんだよね。
月間目標を大きくしても「この位の努力をすれば達成できる」っていうのが慣れて分かってくるんだよね。
そうなると、面白くない、ヤル気が出ない、エネルギーが沸かない
大きな数字の目標を作っても本気でそれを実現したいと思わない。
俺、このままくさってしまうのかなという気持ちで体のまん中あたりがぐちゃぐちゃする感じ?
やらなければならない事、これをやればいい結果になると分かっていることでも
できなくなっちゃうんだ。
一度ゴールを達成してしまうと、もうクリエイティビティが湧き出ないんだよね。
朝がくればなんとなく起きて、なんとなく生きている。
全てがルーチンになってつまらない。
そんな気持ちで仕事を取り組んでいるもんだから信頼を失うことが起こったりして苦しかったね。
ある先生に「ちょっと苦しいんです」って言ったら
「いやな気持をトコトン味わいなさい。バネも大きくジャンプしようと思ったら
思いっきり縮めないと飛べないでしょ?
今の時期は次に飛躍するための勉強する時期だと考えなさい。本当に嫌だと思う
まで味わいなさい」
って言われたんだ。
その時にこの嫌なエネルギーをトコトン味わってみようと思ったんだよね。
月収がどんどん増えて、十分潤うぐらい稼いだ時にもっと数字を大きくしていき
たいというエネルギーがある人が事業家に向いていると思うんだ。
僕はある程度達成して、次の数字を達成するためにはこうすればいいと分かった
瞬間に脳の働きが止まったんだよね。
そこにはお金以外の価値観が必要だった。
ちょうどコーチングを始める少し前位の時期だったかな?
コーチングの出会いも面白かったよ。
セミナーの打ち上げに一緒について行った時、
「安海さん、こんなのあるんだよ」ってコーチングを紹介されたんだ。
もうその場ですぐ申し込んだね。
僕、その頃までにいろんなセミナー出ていたけど長続きしなくて自分でだらしな
いなって思っていたの。
でも他の人もそうなんだよね。
で、思った。「俺だけが悪いんじゃないんだな」って。
研修で変えるのに無理があるんだって、なんかないかなーって探していた時期だったんだ。
フォローが大切だっていう所までは行きつけたんだけど、そんな時期に週一回、電話、30分って聴いてピンときたんだよね。
1997年か1998年頃かな?それ以降はまっている感じだね。
ねぇ、究極のコーチってどんな人だと思う?
例えばりょうさんが究極のコーチだとするでしょ、
僕はりょうさんの事知らないの。
なのにりょうさんの事を僕が考えるだけでやる気が沸いてくる。
メールのやり取りとかセッションとかはもちろん無いんだけど、その人が存在す
るだけで影響を及ぼすって究極のコーチだよね。
コーチって、何をする人なの?って考えた時クライアントの頭の中の「私らしい」に輝きを与える人だと思う。
光があってあそこに行きたいって思っているけど、日常生活でその光がくすんで
しまう、ところがコーチと話す事でもう一度ブラッシュアップされるとまた行き
たくなる。
そんな人がコーチだよね。
本当にやりたい事を一緒に探し続ける人。
今は脳のしくみを学んでいて、今回のインタビュー受けて、自分がやってきた事は、勉強していることを地でやってきたんだなと思うよ。
人間は思った通りの人生を送るんだって。
どんなに高い目標を掲げても本心は「えー無理だよ」って思っていたら実現しない。
だいたいちょうどいい所に落ち着いてしまうんだよね。
目標を立てるとか、ゴールを設定するっていうのは本当に大切で、これを達成するって決めると無意識にその達成する答えを探し始めるんだよね。
そして、ゴールってたくさんあっていいんだ。
人生の様々な局面で大きいゴールから小さいものまで含めて、いろんなゴールを
設定していいんだ。
ゴールを1個しか設定してはいけないなんていうルールは無い。
ゴール設定の大切さ、重要性を教えて、子供を地域で育てる仕組みが、バンザイ
堂でできたらいいなと思うんだよね。
スランプになって自分の価値観を見直した時、出てきた答えが子供と社会だったんだよね。
そしてインタビューで僕はやっぱりバンザイ堂やりたいんだなってはっきりした。
今まで42名の方にインタビューのご協力をいただきました。
インタビューの様子は、
人生のハイライトインタビュー集の目次
をご参照ください。
↑↑↑
毎週木曜日に、行動を起こすためのちょっとしたアイデアをお送りします。
ありがとうございます。
行動を起こすヒント その97 有言実行する
行動を起こすヒント その97 有言実行する
こんにちは
河口湖マラソンを完走すると宣言してから約一ヶ月。
友人からも「マラソンどうですか?」と声をかけられるようになりました。
そんな言葉をもらえる度に、パワーをもらえる気がします。
今回の行動を起こすヒントは、その97 有言実行する
をお届けします。
昔、私会社に入った頃です。
技術の私は営業とお客様の所に同行して、製品の説明をしていました。
「じゃあ、この製品の使い方のセミナーを今度開いてくれる?」
私にとっては初めての製品。まったく使い方は知らない製品でしたが、
営業はその場で「はい。わかりました」と即答・・・
当時は営業に対して何てことをするんだ!失敗したらどうするの?という気持ちでしたが、
その後の説明会のために、私は恥も何も殴り捨てて方々に電話。
このツールを使いこなしている人を探り当て、セミナーのための資料を作りました。
何とか製品の使い方セミナーが実現できました。
そして今、管理職となり、お客さんとやり取りする中で私は当時の営業と同じ事をしています。
会社組織として働いて、お客さんと商談をするときには
「何が実現できて、何は実現できないか?」という情報を正確に提供することを
求められます。
ビジネスの世界では、「実現できない」が多すぎると市場から退場させられます。
売れている会社は多少のトラブルを抱えながらも「有言実行」を実施しつづけています。
昔の私は相手の期待を裏切りたくないという気持ちが強かったので、有言実行よりも
無言実行の方が男らしいとか考えていました。
しかし、私の無言実行とは安全策ととっているに過ぎません。
お客さんの前に宣言するという事がなければ
セミナーをするほど短期間に実力をつける事もなかったと思います。
会社組織では「有言実行」がベースになっている事が多いのはそれだけ効果が高いから。
これは、「有言」する事によって目標がその場にいる全員で共有ができ、
他の選択肢をなくすことによりエネルギーを集中させるので、効果が出やすくなります。
そして「有言」する事によって応援してくれる人も多く集まるようになります。
ちょっとサボろうかな~と思ったときに、「私もがんばろうと思います!」というメールをいただいたり
思わぬ情報を手に入れる事が起こったり。
効果が高い有言実行なら、利用しない手はありません。
あなたの夢も、「有言実行」しませんか?
10km タイムトライアルに挑戦
マラソンするのに、持ちタイムを計ってトレーニングを決めると言う事で10km タイムトライアルにトライ。
目標タイムは45分。多摩川の土手沿いは200m毎に表示があるので、正確に54秒ペースを刻もうとしたが、暗くて全然表示が読めなかった。
2km は8分45秒位のペースだった模様。
オーバーペースで、5km タイムトライアルに切り替えようかなーとずっと考えながら走った。
3km の所で胃の上が異常に痛くなった。200m 1分ペースに落ち込んでしばらく走る。
5km の通過タイムも暗くて時計が良く読めなかった。22分55秒~23分ジャスト位で通過したと思う。
7Km 超えてずっと苦しいと思っていたが8Km を過ぎた時にランナーとすれ違い思わず挨拶で手を上げた。
どっかの記事で35km過ぎの苦しさを回避するには、沿道の人に挨拶をすると脳が「辛い」という考えに新たな刺激を受けるので苦しくなくなる、脳はマンネリ化させないで新たな刺激を与える方が良いと書いてあったが、確かにその通りだった。
突然胃の上の痛みも無くなった。
確か8km の通過タイムが33分位?
8.6km 位からペースアップ。
最後200mのラストスパートのつもりで相当速度を上げたら勘違いであと9.8km 地点だった。あと200m 暗くてゴールがどこにあるかわからず探しながら走った。
Goal タイムは47"05 。
またしてももどかしいタイム・・・
どせなら46分台の記録が欲しかった。
持久係数x5 にするとフルマラソンで3時間55分25秒のタイム。でもこのペースで走るのは相当きつい。
2km のタイムは8"06 だから全力の86% ペース。
