さて、今月で満三年。そうです、博士過程の満期でございます。

 

一応、やる事は全部やったのであとは論文を書くだけ。書いてますよー

 

お金の問題があるので一日でも早く卒業してDrになりたいわけですが、なかなか進みません。

 

学位論文ってクソ大変。

 

だって英語なんだもの

 

 

はっきり言いますが、大人になってそれなりに社会経験がある人で研究所勤務の経験があって、かつ国立大学を出るくらいの基礎学力がある人なら誰でもイギリスで「博士号」なんて取れます。

 

自分のやっていることは「その程度」の事だと、ここまでたどり着いて分かりました。

でもこれを20代でやるのは凄いなと。色々未熟だし、自分自身のコントロールも下手な時期にやり遂げるってのは結構凄いです。

 

多分、MBAとかもっと簡単です。っていうかあれは「賢さ」なくても誰でもとれそうです。お金があれば。まぁ言っても修士号ですからね。日本で工学部の人が修士号とるのと大差ないかと。

 

一応、最終学年の面談とか口頭試験があってそれをパスしたので、あとは論文出すだけ。

評価はかなり高いものを頂きました。トップクラスのPhDになると言われました。どの先生からも「本当に手がかからないし、自分でドンドンやるし、論文ガンガン書くし、素晴らしい」とおほめ頂きましたが、

 

「え!?それがPhDじゃないの?」

 

まぁ周囲を見ているとそうでもない。こいつらホンマにトップエリートなんか?と疑いたくなるような人たちゴロゴロ。特にアフリカ、中東、レベルはかなり低い人が多い。

 

研究領域には実験系と理論系(シミュレーション含む)に分かれるわけですが、前者はアホでも勉強しなくても手を動かしさえすれば何らかの結果が出てくるんですね(もちろん優秀な実験屋もいます!)、一方で後者は基本的にインプットが大切でインプットあってのアウトプットなんです。つまり机にかじりつくお勉強が結構大切なんです。言わずもがな偏差値的な部分がより強調されるのが後者です。まぁ、文系と理系だと思ってください。文系にだって優秀な人はいますが、基本的に偏差値弱者は文系に進学しますよね。「気合と根性で暗記すれば私でもなんとかなるかしら」みたいな層です。

 

前者のPhD学生は手はかかってもゴールまで一応自力でみんなたどり着くんですが、後者は「もう私どうしたら良いかわかりません」みたいな状況の人もいて、先生が代わりにプログラム書いてあげたり、理論作ってあげたりする場合があるそうです。

 

これがグローバルでのPhD取得の状況です。

発展途上国からの国費等の留学者はやっぱりかなりレベルが低いです。「内積計算して」っていっても「ポカーン」ってのもあるくらい。そういう人たちは母国に戻ると準教授待遇でポストが待っているので、お飾りでもなんでもいいのでPhDが必要です。そういう時に先生が出てきて助けてあげるわけですね。

 

なので、日本の厳しい(理科系しか知りませんが)博士基準の気持ちで行けば、イギリスだと「トップクラスの博士号」だと言われて卒業できますよ。きっと。

 

私はとりあえず、ジャーナル三つ(理論を展開してそれを実験で証明する系)書いて、国際会議一回行ったので日本基準でも合格ラインかなと。国際会議はもっと行けって言われたけど、「旅行している暇はない!」と言って潤沢な予算のある研究室でしたが、すべて蹴りました(笑)

 

これだけ苦労して、勉強しまくって(多分3年間で2000時間くらいは勉強に突っ込んだ)、論文書いてそれでドクターって呼ばれるだけ(笑)あんまり意味は有りません。分かってはいましたが。

 

じゃあ何が良かった? と言われると

・数学ができるようになった(ので)

・技術的問題に対して理論的に考察・回答を出せるようになった

・基礎学力が付いたので、分野とわず話についていけるようになった

・統計学をほぼマスターした

・ベイズ統計学も結構できるようになった

 

ってくらいです。お金にならないっすね。でもそれは理解していました。

 

じゃあなぜ博士に行ったのか…

 

「逃げなかった記憶が欲しかった」

 

んだと思います。修士の時は早く卒業して就職したいと思っていました。研究の内容の理解度は凄く低かったんですが、付け焼刃で何とか逃げました。でもずっと残っていたんです。

 

「よくわからなかったけど逃げのびた」

 

っていう記憶が。だから、少なくともその分野で修士号を取ったのでちゃんともう一度理解したいって思っていました。なので、全部じゃないですが今回の博士号の間に少し勉強を延長してその辺りも理解できるようにしました。

 

昔から「分からない」「できない」事を放置して、知らん顔して逃げるってことが嫌いでした。生き方としては不器用ですけど、ちゃんと向き合って無理な事と、向き合わずに逃げるのでは納得の仕方が違います。

 

世の中の仕組みは全然まだまだ分かりません。だけど知ろうとする努力を今後も続けていくつもりです。この三年間で努力すれば少しだけ自然の摂理の理解が広がりました。このことが自分にとって一番の財産です。

「頑張れば、なんでも分かるようになる!!」

 

 

以下三年間やったうえでの研究に対する個人的な意見です:

 

PhDは「何か新しいものを世の中に提供する」ことが初めて試されるアカデミアの場です。そこにおいて新しいものを生み出すために、まず必要なことは「過去の踏襲」です。つまり最低限の教科書のお勉強なくしては新しいものなど生み出せるはずもないんです。

 

以前、ほかの領域の研究者に言われました

「勉強ばかりして研究しない奴いるんだよね。研究してこそ博士課程だ」

 

それは、勉強しなくても雰囲気で誰でもできるような研究領域だからです。インプット無しに浮かんでくるアイディアなど誰でも思い浮かべられる平凡なアイディアにすぎません。それだけ低レベルの研究領域だという事です。

 

普通の研究はやはり基礎学力が必要です。無い人は基礎学力が必要です。領域によっては低レベルな場合があって、データ取ってプロット取ってエクセルの線形近似で直線引いて「相関有り!」ってやっていればなんとかなっちゃう領域もありますが、最近流行りのAIやりたいとかそういう事なら、勉強は必要です。

 

私は学部、修士の時に「論文読んで勉強しろ」って言われましたが、論文は勉強する材料としては不適です。あれは教科書を読んで十分理解している人が、「はいはい、そうそう」と思いながらさらっと読めるようになっている訳です。研究のコアな部分を除いては何も勉強はできません。

 

基礎的な書籍→論文→足りない知識の書籍→論文→足りない知識の書籍

 

この繰り返しで、ようやく「論文から学べる」頭ができます。

 

さて、あと論文も数ページ書けばドラフト完成です。

何とか二か月以内には提出して五月から働きだしたいものです。

 

 

それではよしなに。