⛩【菊と稲荷】六甲の神功皇后・5:地獄谷の向こうにある神域。 | 神仏広告代理店

神仏広告代理店

【菊と稲荷】

【菊と稲荷】の始まりの物語はコチラです→『プロローグ。』

 
 
 

<あらすじ>

 

『怖いと思われている稲荷の誤解を解いてほしい』 

 

その言葉と共に、六甲山の高取神社で

 

「神様」という存在に、接続してもらった私。

 

 

前からついていたという高野山の清高稲荷大明神さま

 

子狐眷属の姿も確認できるようになり、

 

奇妙な共同生活(?)が始まっていた。

 

 

 

***

 

 

 

2018年の春に、
 
六甲山の神功皇后を書きかけて放置していました。
 
その物語を、改めて。
 
 
 

これまでのお話。

 
 
 
子どもの頃からいつも見ていた、
 
西宮の甲山と六甲山。
 
 
 
その両方に兜などを埋めた伝説がある「神功皇后」
 
 
 
甲山には、国家平安守護のため
 
山頂に如意宝珠及び兜を埋め、
 
平安祈願で武器と甲を埋めた。
 
 
 
 
そして六甲山には、
 
 
 
 
6つの兜と首を6つの山に埋めた。
 
 
 
女傑。神功皇后。
 
その伝説を追う時間が始まっていた。
 
 
image
 
 
菊「1、2、3、4、5、6
 
……ちゃんと6つ描いてある!」
 
 
image
 
 
西宮神社会館の舞台を飾る大きな絵。
 
それは西宮神社を中心とした俯瞰図です。
 
 
 
 
上段には連なる山々。
 
 
 
 
真ん中ちょい右の、丸っこい目立つ山が "甲山"
 
その後ろになだらかに、控え連なるのが "六甲山"
 
 
 
 
"六甲山" は山の名前ではなく、六甲山系の山々をまとめてそう呼びます。
 
なので、一番高いところは ”六甲最高峰” と呼ばれています。
 
 
 
 
 
菊「…………」
 
 
 
 
 
たまたま見た、この西宮神社会館の俯瞰図。
 
 
image
 
 
菊「明らかにこの絵でも、甲山は特別扱いって気がする……」
 
 
 
 
六甲最高峰の標高は931m。
 
甲山の標高は309m。
 
 
 
 
ちょうど1/3くらいの小ささ。
 
 
 
 
なのに特別な存在感があるのは、
 
昔々の神奈備(神の坐す山)だからだろうか。
 
 
 
 
実際、神功皇后も甲山を "祈りの場" として扱っている。
 
 
 
 
甲山には、国家平安守護のため
 
山頂に如意宝珠及び兜を埋め、
 
平安祈願で武器と甲を埋めた。
 
 
 
 
そして六甲山には、
 
 
 
 
6つの兜と首を6つの山に埋めた。
 
 
 
 
 
 
菊「…………昔の六甲山って、どんな場所だったんだろ」
 
 
image
 
 
六甲山には、役行者が開いた修験道がある。
 
 
image
 
 
山の奥ではなく、山麓に滝があり、
 
そこで身を清めて修験者は神域である山に入った。
 
 
 
六甲修験道の途中に、
 
白山神社や六甲比命神社の巨大磐座もある。
 
 
 
 
修験道もあるという事は、身近だけど "霊山" だという事。
 
 
 
 
西宮神社会館に大きく飾られる俯瞰図にも
 
きっちり6つの山々として描かれているその姿を見て、
 
脈々と受け継がれる、古来からのその山の意味を調べたくなった。
 
 
 
***
 
 
 
家の本棚から地図を出し、眺めてみる。
 
私はもう六甲山には200回以上入っている。
 
 
 
 
駅から徒歩15〜30分ほどで登山口につき、
 
そこからいきなりバリエーション豊かなハキングコースが始まる六甲山。
 
 
 
 
とにかくすぐに山に入る事ができるので、
 
私は息子たちが幼稚園や学校に行っている間に、
 
友人たちとハイキングを楽しんでいた。
 
 
 
 
"六甲山の銀座通り" と呼ばれる
 
ロックガーデン中央尾根から有馬に抜けるコースは、
 
数年前の山ガールブームの時には、GWに渋滞が起きるほどの人気コース。
 
 
 
 
その登山口は、阪急芦屋川駅から徒歩30分ほど。
 
 
 
 
町にほど近い山々……にも関わらず……
 
 
菊「"地獄谷" とか呼ばれてるんだよね」
 
 
 
 
確かにこの辺りはロックガーデンと名のつく通り、
 
岩がむき出しのエリアである。
 
 
 
"遭難ケルン" とも書いてあるが、地形がややこしくて迷いやすい。
 
だから私もこの辺りには、一人では行かない。
 
 
 
 
菊「…………」
 
 
image
 
 
以前 、"六甲修験道" を通して歩いた事があった。
 
 
 
とてもとても気持ちのいいルートで、
 
「役行者さんってセンスいいな✨」とか話していたのを思い出す。
 
 
image
 
 
危険な場所もそんなになくて。
 
 
 
ただ、六甲比命神社の辺りは、昔は梯子もないだろうから、
 
修験者のような人達でなければ厳しいルートだっただろうなと思う。
 
 
image
 
 
菊「六甲全山縦走大会でも使う東西のルートは、歩きやすいんよね」
 
 
 
でも南北のルートが割と危険で。
 
 
 
「地獄谷」とか「荒地山」とか、
 
実際に昔は罪人が送り込まれたような場所もある。
 
 
 
 
修験道コースのように、山の中に入ってしまえば道はいいが、
 
その東西をつなぐコースにたどり着くまでの、海側からの道が険しい。
 
 
 
 
菊「なんとなくだけど……」
 
 
 
 
"祈りの場" の神奈備として扱われた "甲山" に対して、
 
昔の人々にとっての "六甲山" という霊山は……
 
 
 
 
地獄谷を超えていく
 
"死の世界" としての位置付けだったのでは……?
 
 
image
 
 
その時にふと思い出した。
 
高野山を見つけた時の空海の話。
 
 
 
 
 
当時の高野山には、登山道なんてありませんでした。
 
 
 
暗い藪の中の道無き道を、
 
狩場明神から託された白黒の犬に連れられて
 
高野山までたどり着いたのが空海さん。
 
 
 
暗くてよく見えなかったから、
 
犬の鳴き声を頼りについて行ったって、
 
高野山でお坊さまが教えてくれた。
 
 
 
 
菊「……! 役行者さんって、どんな時代の人だっけ」
 
 
役行者 634年生まれ。
 
 
 
 
 
菊「空海さんは……」
 
 
空海 774年生まれ。
 
 
 
 
 
菊「……じゃあ、神功皇后は……」
 
 
推定だけど 300年代あたり……
 
 
 
 
 
 
菊「……役行者さんが修験道を開くまで、
 
六甲に “道” ってあったのかな……」
 
 
image
 
 
古くからの山の民が住んでいたかもしれないけど、
 
今のような道はなかったはず。
 
 
 
 
菊「だって修験道を開いた役行者さんより、
 
神功皇后は300年も前の時代の方……」
 
 
 
 
 
 
道なんて……なかったんじゃないのかな……
 
 
 
 
 
 
暗い藪の中の道無き道
 
 
暗くてよく見えなかったから、
 
 
犬の鳴き声を頼りについて行った
 
 
image
 
 
そんな時代に……
 
 
 
 
わざわざ兜と首を、
 
6つ山に埋めに行く意味って……なんなんだろう。
 
 
image
 
 
今の時代とは異なる過去の世界。
 
 
 
そこに想いを馳せた時、より深まる謎がそこにあった。
 
 
 
 

《続く》

 

 
***
 
 
人気記事はコチラです♪
 
 

2018年冬の連載『コトシロヌシ』はコチラです。

【菊と稲荷】コトシロヌシ・1:届いたサイン

 

2019年春の連載『ヒルコノミコト』はコチラです。

【菊と稲荷】ヒルコノミコト・1:清め祓いし場所。

 

2019年秋の連載『留守神様』はコチラです。

***
 
 
『清高稲荷神社』さま☆『清高稲荷大明神・親善大使』にして頂きました☆
 

 

毎月8日あたりに清高稲荷社境内・参道のボランティア掃除を実施中♪

お時間、ご予定の合います方は是非ご参加頂ければ幸いです。

 

※2020年4月はお休みでした。今後の予定も未定です。

 

集合場所:清高稲荷社境内
開始時間:13:00〜14:00の一時間程度

 

 

 

『御影カード』配布しています♪
image

清高稲荷大明神blogはコチラです♪→【高野山】〜清高稲荷大明神〜
 

 
***
 
 
『三輪坐惠比須神社』さま☆専属デザイナー・プロジェクトリーダーをさせて頂きました☆
 
image
 
女子神職さんのblogはコチラです♪→『三輪恵比須神社 ご神木に♥な女子神職』