G.W.最終日の午後、「1984」を観劇し、その後、岩波ホールで映画『マルクス・エンゲルス』を見ました。
時代的には後者が先で、1840年代ヨーロッパを背景に生まれた共産主義思想の原点を描いているのに対し、前者はそれから約1世紀後、スペイン内戦でソ連(スターリン)の共産主義に裏切られたジョージ・オーウェルが仮想した“ディストピア(反ユートピア)”。全体主義の恐ろしさと愚かしさが描かれています。
キューバ革命は、なぜユートピアからディストピアに変容したのか? どこで道を誤ったのか?
その理由(原因)をキューバ映画を通して探ってきた私にとって、「1984」の劇中の言葉やエピソードは、自分が見聞きしてきたことと重なり、予想以上にリアルでした。
例えば・・・
言葉:思想犯罪(=反革命)、非個人化、存在を消す(友人の監督の発言)、
異端(=アルフレド・ゲバラの主張) 等々
エピソード:2+2=4(2+2=5)、憎悪の奨励(=acto de repudio)、配給制度、
監視社会(=革命防衛委員会)、記憶・記録の消去、銃殺(→オチョア事件)など
街かどの落書き サンドラ・ラモスの作品
写真から消されたカルロス・フランキ
そして、主人公ウィンストンがセルヒオ(『低開発の記憶』の主人公)に重なりました。
例:日記を書く。過去を記憶し過ぎている。自分を取り巻く世界に疑問を抱く。マイノリティ。
さらに、十代からずっと抱いていた疑問も解けました。
キーワードは「二重思考」。
これこそが全体主義の罠であり、カラクリでした。
ちなみに、キューバでは「二重モラル」が問題になっています。
しかも、劇を見たおかげで、ブログを書いてきた意味や今後の方向性も見えました。
映画『低開発の記憶』を読み解くために書き始めたブログですが、書くことは考えること、考えることこそ全体主義に対する抵抗、「修行」だった、ということに。
さて、それから数時間おいて見た映画『『マルクス・エンゲルス』ー。
期待したほどの共感はなかったものの、キューバ映画の基本精神である「批判精神」を、マルクス主義の精神として把握でき、ICAICが「批判精神」にこだわる理由が納得できました。
あらゆる権力=体制は批判を怖れ、嫌います。
体制批判から始まった革命とて、勝利し権力に転じれば、変質するのが常。
それを監視するのがジャーナリズムの役目ですが、共産党がメディアをも支配する一党独裁体制のキューバで、ジャーナリズムの役割を自覚し、実践してきたのは映画でした。
ICAIC(キューバ映画芸術産業庁)の功績―。
そのひとつは、革命の全体主義化にブレーキをかけてきたことではないでしょうか?
とはいえ、アルフレド・ゲバラ、グティエレス・アレア、エスピノサなど主要創設メンバーが亡くなった今、ICAICも単なる官僚組織になってしまった、と言われています。
先月の「若手映画監督作品上映会」の事件は、そんなICAICと新世代の映画人の対立を露わにしました。
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https://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-12368655083.html
さらに一昨日、若い映画人たちによる公開宣言が発表されました。(内容は後日紹介したい)
http://www.elcineescortar.com/2018/05/07/palabras-cardumen-declaracion-jovenes-cineastas-cubanos/
私もキューバ映画から学んだことを反映し、全体主義を阻止すべく、ブログを通して彼らを支持する所存です。
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