『NADIE(ノーバディ)』最優秀ドキュメンタリー賞 | MARYSOL のキューバ映画修行

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先ごろドミニカ共和国の首都サント・ドミンゴで開催された「第10回グローバル・シネフェスティバル」で、ミゲル・コユーラ監督の『ノーバディ(原題:NADIE)』が審査員全員一致で最優秀賞に選ばれました!

 

評価のポイントは〈僅かの資金と資材で撮った完全な自主製作映画でありながら、映画として極めて高い水準にある(話法、コラージュを含むモンタージュ、サウンドデザインなど)。詩的かつ人間的な気力に溢れている〉ところ。

 

この作品の断片的情報と映像は、前に拙ブログでも紹介したのでぜひご覧ください。

ただし『ノーバディ』として完成する前の情報と映像です。

http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-12168992858.html

 

下は、映画祭で作品について語るコユーラ監督(左)とラファエル・アルシデス(右)。

 

発言の要旨(聞き間違えてたらゴメンナサイ)

 

コユーラ:この映画は昨年12月にハバナで内輪の上映会をしたとき60人くらいの来場者があったが、それでも孤立感を味わった。批評家やジャーナリストに声をかけても、テーマのせいで関わり合いになるのを怖れる人がいたからだ。

 内容は(アルシデスの)個人史である以上に革命の歴史、それを彼がすごく正直に語っているするとどうなるか。キューバではある特定の人物名を挙げたり問題に触れるとブラックリストに載り“ノーバディ”と化すんだ。タイトルはそこから来ている。  

 このドキュメンタリーはまるで愛の物語みたいに構築されている。主人公は一人の女と二人の男。女はキューバ革命で、二人の男は始めは近い立場にいたが、やがて別々の道をたどる。そこからドラマが生まれるんだ。ドキュメンタリーだがアニメなどフィクションも取り入れ、ハイブリッドな構成だ。

 

アルシデス:これは伝記的作品ではない。キューバ革命に対する私の意見が綴られた映画だ。当初は皆が熱烈に革命を愛したが、次第に失望していった。革命をひたすら行い、革命を生き、革命を愛し、革命を信じた。神を信じるように。だが少しずつ分かった。この電車はどこにも着かない。我々は間違えた電車に乗ってしまったと。

 最初の失望は1968年。ソ連の戦車がプラハに入ったときだ。フィデルはそれを正当化した。それまで米国の侵攻を非難してきたのに。私も非難し憎んできたから、同意できなかった。何かがおかしいと感じた。

 次の失望は89年。デラグアルディア兄弟やオチョアが逮捕され、銃殺されたときだ。これで完全に幻滅した。私はオチョアの友人ではないが、近くに住んでいたから見かけてはいた。デラグアルディア兄弟とは長年の友人だった。彼らは大金持ちだったが、革命に資金援助し、財産を国有化されても留まった。それが後に麻薬密売人呼ばわりされたのだ。金に全く興味のない人間がいったいどうして麻薬取引に手を染めるだろうか。しかも金の行方については裁判でもその後も決して問われなかった。きっとソマトマックスや先端医療に使われたのだろう。(このあたりよく聞き取れず…)なぜ銃殺したのか?私には銃殺にする理由が見つからない。この時点で私は完全に革命から離れた。

            オチョア事件:http://www.mariategui94.com/tosyo/2005-8.pdf

 その前にも距離を置いていたときはあった。69年から87年の間はキューバの文学や文化から全く離れ、ペレストロイカの風が吹いたころ一度戻ったが、あの事件の後また90年に離れた。もう20年以上キューバでは本を出していない。

 

インタビュァー:貴方は国外追放者(エクスィシリアード)ですか?

 

アルシデス:というより“国内追放者(インシリアード)”だ。非常に残念だが言っておく。夢は葬られた。

 芸術作品が政府を変えることはないし、一冊の本が政府を倒すことはない。だから政府が特定の本を禁止するのは間違いだ。ちなみに、この映画祭では3本のポスト・コミュニズムと私が呼ぶ映画が出品されている。ミゲルのドキュメンタリー、レチューガの映画、そしてダルトンの(ドキュメンタリー)の作品だ。3本ともキューバ革命の(不幸な)エピソードについて語っている。芸術作品は変えはしないが影響する。

 

コユーラ:自主映画のメリットは誰にも妥協しなくてよい点なのだから、それを最大限に生かすべきだ。最も大事なのは、自分に疚(やま)しさがないこと。誰にも妥協しないことだと思う。この2年ほどキューバでは検閲がまた厳しくなり文化的に暗くなっている。でも技術の進歩のおかげで独立して映画が撮れるようになった。20年前は組織的にしか撮れなかったし、もっとコントロールされていた。だからこそマーケットにも妥協せずに作ることが大事だと思う。キューバ映画は批判はしても責任者の名前を出さない。例えばフィデルの名前を出すのは避ける。でも政治家を脱神話化することが大事だ。アルシデスも映画で言っているように、神聖な存在ではないのだから、誰にでも批判する権利がある。ドキュメンタリーは一市民の声なのだからその権利があるのに、長い間キューバにはなかった。

 

補足

アルシデスの発言にあったダルトンとは、エル・サルバドール出身のホルヘ・ダルトン監督のこと。(父はキューバ革命を支持した有名な詩人、ロケ・ダルトン)

彼のドキュメンタリー『En un rincón del alma(仮:魂の片隅で)』は「メンション賞」を受賞しました。

 

ダルトン監督:この映画の主人公はキューバと、キューバの詩人で小説家・シナリオライター兼ジャーナリストの“リチ”ことエリセオ・アルベルト・ディエゴ・ガルシア=マルス。両者に捧げたこの映画が、ぜひともハバナ映画祭で上映されることを願っている。キューバとキューバの人々のために作ったからだ。

 

しかしながら昨年のハバナ映画祭で上映されることはありませんでした。理由は不明。

 

En un rincón del alma(仮:魂の片隅で)』トレーラー

 

参照記事:http://www.elcineescortar.com/