ラモス夫妻と交わした映画の話 | MARYSOL のキューバ映画修行

MARYSOL のキューバ映画修行

【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

先日予告した通り、サンドラ・ラモスさんの個展に行ってきました。

サンドラさん(以後S)は、ご主人とお嬢さんと一緒に来場!

 

頃合いを見計らって、声をかけてみました。

「作品に和紙が使われていますが、何か理由があるんですか?」

 

S:「和紙は素材としてとても素敵だし、自然を大事にしたいから」

 

なるほど。作品に魚の骨とか貝が使われているのもそういうことなんですね。

 

さらに「日本との繋がりも関係しています」と補足されたので、

「やっぱり!」と思いました。

 

というのも、サンドラは1997年末に初来日し、札幌で制作および個展を開催(長期滞在)。

2003年にも府中市(東京)美術館で公開制作やレクチャーをしており

(私もそのとき彼女の作品を見て、話を聴きました。筋道だった話しぶりと博学さに感心!)、 日本とは浅からぬ縁を結んでいるから。

 

「マイアミに移られてどのくらい経つのですか?」

S:「4年よ。娘の教育を考えて移ったの」

 

「キューバの変化をどう思いますか?」

S:「人々にとってチャンスが増えて良かったと思うわ。まだまだ足りないけど」

 

「キューバを離れることで、創作のインスピレーションが湧かなくなる心配はありませんか?」

S:「それは大丈夫」  (ハバナへは行ったり来たりできるから?)

 

そのときご主人が「写真を撮ろうか?」と言ってくれたので、互いにスマホで撮影―。

           

で、ようやく「実は私、キューバ映画についてブログを書いてます。『低開発の記憶』がきっかけで」と自己紹介すると

 

S:「あれはスゴイ映画だわ。今も若い人たちに刺激を与え続けているのよ。続編もできたわよね?」

「そう。監督のミゲル・コユーラとは友達なんです。札幌で上映しました

S:「あら、私も彼のこと知ってるわよ」

 

う~ん、やっぱり世界は狭い!でも嬉しい!!

(翌日フェイスブックに写真をアップすると、メキシコ在住のキューバ人の友達から「サンドラとは知り合いだよ。でも、もう20年以上会っていないなぁ」とコメントが) 

 

写真撮影ごっこのあとは、ご主人としばしキューバ映画についておしゃべりしました。

今度は私が質問される番…

 

それにしても不思議です。

1本の映画がきっかけで、これまで多くのキューバの“有名人”と知り合い(マリオ先生とデスノエスのおかげ)、彼らの多くが知り合った前後にキューバを去っている、という事実。(戻った人もいますが)

 

12年前にブログを始めたときは、〈残った人=例えばアレア〉の理由のなかに、〈私が知り得ぬキューバの魅力を見つけられるのではないか?〉と期待したのですが―。

 

「エリック・グラス(キューバ映画の著名な芸術監督)もマイアミに来たよ」

 

サンドラのご主人からそう聞いて、驚くと同時に「キューバ映画大丈夫かなぁ…」と心配になりました。

 

会場に展示されていたサンドラの作品 「飛ぶ島(Isla Voladora)」 1997年

海と空

海にはサメ。キューバ島が筏に姿を変えて漂流している…

空には、サンドラが漕ぐ飛行機?

同乗するエル・ボボ、リボリオと一緒に微笑んでいる和装の女性。

彼女のイノセントな雰囲気に親しみとギャップを感じました。

スーツケースの中に、ユーモアとペーソスが同居する作品