子育てを振り返ってみた 7. | ブログ.

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事実は小説よりも奇なり.
Truth is stranger than fiction.

息子りんの絵と猫と, 愛する人生と.
Rin’s arts,cats,and loved life.
















そして息子には
「健常も障害も関係無い

と思うようになってからも
それが何かは分からず








相変わらず
息子も娘たちも観察しながら
息子や娘たちや自分が 
興味のある事を探し続け
息子は養護学校の高等部となった








そして
入学前の説明会で進路指導の先生は
「親御さんたちは子どもたちに
仕事をしてお金を稼いで
自立させる事ばかりを望みがちだが
使う楽しみも見つけると人生が豊かになる」
と言われ
これは養護学校、進学校関係ない
人間の原点だとハッとしたら
その先生が息子の担任となった







そして
入学してすぐの説明会では
生徒たちは養護学校を卒業すると
障害者枠の一般企業や
作業所や専門学校や職業訓練校などの
進路があると説明されたが
わたしは面談ではこれまでの経歴を
涙を流して話し











息子には無限の能力がある気がしていて
今それを探していることを伝えると
先生も「応援します」と言ってくれ
その後も学校に相談しながら
息子を観察しながら
息子の才能を探し続けた











息子の16歳の誕生日は、TDLでお揃いのコーデをして、スタッフから朝から晩まで「Happy Birthday!!」のシャワーを浴び息子に「生まれてきてくれてありがとう」と泣きながら言うと、息子はその日でどんどん大人になっていった()











そして2015年の一年生の冬
初めての作業所での校外学習があり
第一、第二希望に一度聞いたことのある作業所と
一度行ったことのある作業所を書き
第三希望になってわたしは
学校から貰った冊子をやっと開いた








そして
野菜作り、資源ゴミ回収
部品の組み立て、パン作りなどが
作業内容になっている中で
「どんな作業が好き?」
と息子に聞くと息子は
「すべて嫌だ」
言った
 






そして冊子を更にめくると
家から比較的近くの目立つ場所に建つ
市内のある作業所が目につき
その作業内容に〝組紐〟とあり
息子に聞くと「それがいい」と言い
そこを第三希望に書いて提出すると








作業所の都合で第三希望に決まり
しかも小学校一年から仲良しの友だちも
同じような理由で第三希望に決まり
しかもたまたま校内で二人だけが
その作業所だとわかり運命を感じた













  
作業所体験が終わったその日二人の娘たちにも見せ凄いねと話した後、子ども達が三人でコタツに入り、息子は一生懸命大好きなMステで嵐を見ていた。すると口が達者な娘たちに息子が「凜得意な事何があるの?」「凜の話全然面白くないし、たまには面白い事言いなよ」と言われていて黙って見ていたら、息子が突然『組紐!!』と叫び、そこに質問の答えも旬ネタも予想外の笑いのセンスもあり大爆笑で、これは三人でハイタッチしているところ 笑()








そして五日間の実習で
通所者の方や友だちの組紐は
美しく緻密な商品で本当に素晴らしかったが
同じ配色で同じ配列でありながら
息子だけ組み違えや歪みがあり
商品でなく作品だと気づいたときハッとし












幼稚園の信頼できる先生
「りんくんは固定概念が無いから
配色のセンスが素晴らしい」
と言い
中学校の信頼できる先生からも
「りんくんは細かい作業が得意で器用ですね」
と言われたことを思い出し
また点と点が繋がっていった












そして
その後すぐランチをしたときに
知人が市内の絵画教室の話をし
わたしはその先生の
素晴らしいバランス感覚と
生徒と無限に成長したいと言う姿勢に
「長年探していた息子の先生はこの方で
息子の芸術的才能とは絵画の才能で
この教室に通うのでは」
とハッとした









そして
二週間後体験の為に
絵画教室に向かう車の中でわたしは
まだ息子の描いた絵を見ていないが
と泣き









横にいる息子も
「お母さん、僕、嬉しい」
と言い
息子は話せるが
滅多に自分の気持ちを言わないので
「ああ、これは本音だ…」
と思った






















そして 
まつやま絵画教室は静かで美しい空間で
松山先生も美しい佇まいの方で
息子はごく自然に中に入り
そして先生は息子に
「りんくんの絵を見せて下さい」
と一枚の紙と一本の鉛筆と色鉛筆と
犬の写真を一枚渡した











そしてわたしは事前に先生には
息子のこれまでの経歴と手の機能と
殴り書きのような絵を描くと話し
だから犬の写真を渡されたことで
また話した方がいいのかと思ったが
何も目鼻や犬の顔を描く必要は無い
と気づいたときハッとし
わたしは黙ってそれを見守る事にした










すると息子はすぐに鉛筆を持ち
一切の躊躇なく曲線をくるくると描き始め
次に色鉛筆で直線を力強く描き
息子は突然だけど物凄く自然に
爆発するような才能を見せ、先生は
「りんくんは触覚的な絵を描く」
と驚き、わたしは
と叫び鳥肌が止まらなくなった






















そして息子は
何十回何百回何年教えても
出来ない事は一切出来なかったが
そこでは一切先生もわたしも教えず
わたしたちはただ
彼が無限の才能を自由に発揮する
環境を整えるだけで











爆発的に、一瞬で、
絵を描き







それだけでなく
一切教えたことの無い敬語を
先生に突然使い始めるなど
芸術的才能以外の奇跡も起こり
それらは16年育ててきて
初めて出会う息子ばかりだった












また息子は
「洋服をたまに前後ろ反対に着たり
暑くても寒くてもそれを脱ぎ着で調整せず
そのままで居続ける」
と話すと先生は
「芸術の世界は他人の目を気にしない事は
皆が一生かけて手にしたい感覚で
りんくんが着の身着のままである事
どんな環境も道具も全て受け入れ
それに馴染みそれに同化する能力に繋がり
それはこの世界では素晴らしいんです

と言った











また
わずかな平仮名と数字しか書けない
息子のサインを見ると先生は
「わたしたちがこのように書くと
とてもわざとらしいが
りんくんは一切の作為がなく美しい」
と言い












この世界では
一般的に悪や劣や問題とされ
それを無くすことに躍起になってきた
世の中やわたしの天地が全て一瞬でひっくり返り
「これは凄いことが始まった…」
と思った




























そして息子は
絵画教室に週2回通いながら
養護学校を通っていたが
だんだん学校に行き渋るようになり
それを二年連続同じ担任の先生に話すと
「色々な考え方があるがわたしは
学校は天職を見つける場所だと思うので
天職が見つかった凜くんは
マイペースに来たらいい」
と言われ、これも学校の原点とハッとした












そして
学校にマイペースで行くようになった
養護学校二年の夏にふとわたしは
「健常も障害も関係なく
息子が社会性を養いながら
楽しく成長していく場所はないのか…」
と思ったら息子も突然











そして
息子は小さい頃から
娘たちより買い物が大好きで
お使いや買い物やお店の人との対話を
楽しく学んできた事を思いだし
息子が行きたいところは
徒歩1分にあるコンビニとハッとし
息子はその後何年も毎日のようにコンビニに通い
そこで温かく優しく楽しい
店員さんに見守れながら
生き生きと彼らしく成長していった












そして
たまにそっと後を付けたり
店員さんたちに挨拶に行ったりすると
店員さんたちはいつも楽しそうに
息子の成長や変化を教えてくれ
それは店員さんの楽しみでもある
と言われたときわたしはそれが有難くて嬉して
いつも泣き、時には泣き崩れた








 


そしてそれは
息子が大好きなラーメン屋でも起こり
「やはり息子が輝きながら成長する場所は
健常も障害も関係の無い
フラットな場所だとわかり
それは二人の娘たちもわたしも
世の中全ての原点ではないか」
と思った










次女は器用で理解力と観察力と冷静さと、笑いのセンスとトーク力があり、常識的で慎重な面もあるが、わたしが「ああなりそうだな、こうなりそうだな」と思ったら、即それが起こるという事も本当によく起こり、かなり感覚的な面もあり、この一年、覚醒しそうだなとずっと思っていたら、先日それが起こり、これからの無限の才能も楽しみにしている()







そして養護学校二年の10月
まつやま絵画教室の
第一回の絵画展が開かれることになり
息子も出展することになった











わたしはずっと
リハビリを無償でお世話になった
ボランティアさんたちに
息子の大きな成長があれば
当時皆さんに配っていたお便り
風便り』を書いて送り
恩返しがしたいと思ってきたので
「ああ、その時がやっときた…」
と思った







だから先生に
「ボランティアさんだけでなく
お世話になった先生方や
遠方に住む親戚や友人や
リハビリの時の仲間や養護学校など
来れる来れない関係なく
応援してくれていた全ての方にDMを渡したい」
と伝えると











DMは生徒さんに
一人20枚ずつ配られていたが
「りんくんの家は幾らでも持って行って下さい」
と言われ、結局わたしは150枚を貰い
「ああ、こんな日がくるなんて…」
と泣きながら手紙を書き
DMと共に送った











そして5日間の絵画展が始まり
息子や息子の絵やわたしに会いに
結果180名の方が来て下さり
それは朝から晩までわたしは
食事やトイレに行く暇も無いくらいの
想像以上の方が来て下さり











皆さんこの報告を喜んでくれ
息子の成長した姿に
息子の絵に泣き
相変わらず諦めが悪く
猪突猛進に必死に生きていた
わたしにしがみつき
わたしを抱きしめ泣いていた









中には交通事故に合ったばかりで
来れないと聞いていた人や
旦那さんが酷い鬱で家の中が大変な人や
子どもさんの障害で悩んでいる方
家族を亡くされたばかりの方など
台風や嵐の真っ只中の方もいて
「愛子さんに会いたかった」
「愛子さんとりんくんを励みに生きていた」
と言い皆さん泣いていた










  



母校の小学校で養護教諭の実習をしていた長女は、関わったクラスの中で、表現力が乏しく世の中を斜めに見ていた心配なある生徒が1ヶ月後には、感想文を用紙の裏まで書き、心配をかけるどころか長女に、「先生の事をこれからも見守ります」と、もう生徒や子どもや人間どころではない事を言ったらしく 笑、その1ヶ月だけ保健室には怪我や病気の生徒が極端に少なかったらしく、 わたしはそれはあなたの才能よと言った()








そして
それだけでなく
その5日間は朝から晩まで
シンクロと奇跡が
これでもかとこれでもかと降り注ぎ
わたしはDMを送っていないのに
わたしの高校の恩師と再会したり
14年前息子のリハビリの見学に
家にいらしたことのある方がみえたり
そこでのわずかな滞在時間で
10年以上ぶりの再会を
果たす方たちがみえたりなど












もうそれは有り得ないような
シンクロや奇跡が
画廊のあちこちで
朝から晩まで幾つも幾つも起こった











そして
ずっと小学生の頃から仲が良い
息子のお友だちはそこにいる息子が
今まで見た事のない息子だったようで
りんくんはいくつなの?

今度りんくんに会うのが恥ずかしい」
とお母さんに言ったらしく











松山先生も
「絵は見てもらわなければ
この世に無いのと同じで
見てもらえば見てもらうほど
それが自信になり、りんくんは大人になる」
と言い









新聞の取材も二社あり
息子の中学校の校長先生
中学校に絵を飾りたいと言って頂き
後日寄贈させて頂き
学校新聞でも紹介して頂き
息子や絵を見て貰えば貰うほど
どちらも輝いていった











そして
絵も幾つか購入してもらい
その売り上げで受け付けなど
お手伝いをしてくれた友人らに
息子がお寿司やラーメンを奢ると
皆がまさかこんな日がくるなんて
と泣き












先生へのお礼として売上で
先生の絵を購入させて頂くと
それは先生も喜んで下さり
わたしたちも嬉しくてたまらない
貴重で豊かな体験となり










息子はさらに売上でお母さんに
と言い
行くといつものラーメンが輝いて見え
「二人で美味しいね」
と言いながら食べ
「最後の餃子は食べていいよ」
と言うと息子は餃子を箸で掴み
わたしに食べさせてくれ優しさに泣き










諦めなければ
こんな奇跡が待っているのかとわかり
これが養護学校の先生が言っていた
お金を稼ぐ幸せと使う幸せで
豊かな人生ということだなと思った








さらにその後も
わたしの同級生でもあった市長に
息子と表敬訪問に行き
また新聞の取材を受け
その経験で息子は大人になったり











こちらもわたしの同級生で
息子の元支援学級の担任でもあった
市内で小学校教諭をしている友人から
ゲストティーチャーの依頼があり
先生方が泣き生徒たちは目をキラキラさせ
息子の絵をきっかけに
世の中と繋がり皆さんに喜ばれ












息子はその度に大人とか
成長という枠を超えて
人間の最も純粋な覚醒した輝きを
放つようになっていった


























そしてその後も
まつやま絵画教室に通い
わたしは息子が絵を描く横で
先生と話し
先生の言葉はいつも深いところに触れ
わたしはいつも泣いた












先生とわたしは
同じ市内に住み年代は似ているが
性格も生きてきた環境も性別も違い
先生は芸術の視点から語り
わたしは子育てなどの視点から語り
そこも違うが

   









でも
普通の言葉を使うところや感覚や
常に無限や今ここを意識し
無限に成長する生き方は似ているからか
会話をしていても
否定や違和感を感じたことが一度もなく
それも奇跡だと思った










それはわたしはその頃から
元夫との離婚話が始まり
彼とは感覚も使う言葉も距離も
どんどん離れていき
わたしは常に否定をされ続け
一切やり取りが出来なくなっていたから
余計にそれは奇跡と癒しで










先生とのやり取りや
教室やその無限の世界や非日常は
本当に奇跡と癒しでしかなく
わたしは少しずつ
日常も非日常へと移行させながら
息子だけでなくわたしも
どんどんその世界を広げていった











それはそこに
息子の溢れる無限の才能や
純粋で温かい人との繋がりや
無限の豊かさや
息子の自立や奇跡や
娘たちやわたしの人生に大切なものや
これでもかこれでもかと降り注ぐ
シンクロニシティがあるからだった











そしてさらに
無限の芸術や先生との対話には
この〝子育てを振り返ってみた〟の
全てがここに繋がっていたのか
と実感したからで










わたしはこの世界に触れ
全くの別次元、別世界、別視点で
絵を描く息子だけでなく
普段の息子も二人の娘たちも
自分も人生も
もう一度真っ新な気持ちで
どっぷり向き合い生き直していった











そして4年経った頃には
息子も教室に通わなくなり
わたしの癒しも一段落したからか
教室の時間に一区切りをし
また新たな世界へと
旅立っていった