自叙伝 85.そしてその後も週に一回息子は絵画教室で絵を描きわたしと松山先生は隣りで色々な話をしたそして先生の言葉はやはりわたしの深いところに触れやはりわたしはいつも泣いていた先生はいつも普通の言葉で話すだからそれは一見特別な言葉には聞こえないでも先生の使う言葉は他のひとと使い方が違いだから聞きなれた言葉でありながらそれは初めて聞く言葉のように新鮮でもしかしたらそれがその言葉の本来の姿なのではないかと何度も思ったそしていつも理由がなく涙があふれ先生は絵を通じて人生の本質を語っていてこの世界こそ人間にとって普通の世界なのかもしれないそう思うようになった自叙伝 1.『自叙伝 1.』息子が生まれたのは助産所だった1999年の冬助産所の畳の上で4歳の長女2歳の次女夫わたしの母が見守るなか息子は生まれたそれはまるで儀式のような静寂で二人の娘た…ameblo.jp自叙伝 84.自叙伝 86.