子育てを振り返ってみた 3. | ブログ.

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事実は小説よりも奇なり.
Truth is stranger than fiction.

息子りんの絵と猫と, 愛する人生と.
Rin’s arts,cats,and loved life.





























わたしは

リハビリを辞めたと同時に

スピリチュアルな本
三人の知人から紹介された











わたしは
今までそういう
目に見えない世界は
不信感や怪しさを感じ
踏み込まずにきたが











でもその時は

同じ本

同じタイミングで

三人の人に紹介されるという
また有り得ないことが起こり












わたしはもう
この流れには逆らえないと
その扉を開けた











するとその本
2歳違いで
同じ誕生日で
双子ではないかと思うような
妊娠出産を経験した
二人の娘たちのことや












息子の脳障害のリハビリに
奇跡的な流れで出会い
アメリカでの初診の案内の日付が
息子の4歳の誕生日当日











その日は現地で
ボランティアさんや
研究所のスタッフに
一日中祝ってもらうなど












わたしにたまに起こる
不思議な出来事の事が書いてあり
それがシンクロニシティと
呼ばれることを知り












その時のわたしの
知りたいことがそこにあり
わたしは面白くて興奮し
夢中になった













幼稚園の年長に通う直前の息子(5歳)と次女(8歳)で、リハビリに解放されて、家族で川でよくバーベキューをしていた頃で、リハビリを経た息子はこうしてキラキラの笑顔で生きるようになり、うちは長女も次女も息子もアンパンマンが大好きだった












そして
それをきっかけに
坂を転がるように
その世界をまた
ノンストップで突き進み










わたしはその後
10年くらいで












アドラー心理学、東洋医学
代替療法、量子力学、自然療法
物理学、パーソナル心理学
児童心理学、ヒーリング

レイキ、リンパマッサージ
公文、七田式、右脳教育
音楽療法、瞑想、オステオパシー
ホメオパシー、脳科学、アセンション
記述式内観、フラワーレメディ

霊界、天使界、前世療法
無条件の愛、ヨギ、禅、OSHO
インドの聖者、東洋哲学
引き寄せの法則、宇宙の法則
など











何百冊もの本
周りが心配するくらい 
夜の寝る間も惜しみ
狂ったように読み続けた














そして
不思議なことに市内に
リアルで話せる友だちも何人もいて
たくさんの分かち合いもあったが 
何せわたしはこの集中力なので
それだけでは物足らず










その時の流れとしてブログを始めたことで
全国や海外にもたくさんのスピ友ができ
なぜかわたしはふざけてグルと呼ばれ
東京や大阪や名古屋でオフ会をしたりして
それも本当に楽しかった










次女は息子を笑わせるのが本当に上手で、いつも息子は次女の言葉にケラケラと笑っていて、わたしはこの頃から、どんどん精神世界にはまっていき、鬱やパニック障害の症状も出始め、自分を自分で育て始めた













そして
その中でも
だんだんわたしは











わたしの結婚式
精神を病んでいた身内が
10年以上ぶりに
親族の前で笑顔を見せ
皆が奇跡だと泣いて喜んだり









研究所のリハビリでも
一生寝たきりだと宣告されていた
同じインフルエンザ脳症で
障害を負った女の子が
6年の厳しいリハビリの結果










健常児以上に美しく
這い歩き走り、字を読み書き
礼儀正しく知的で
研究所や障害を卒業した
女の子の奇跡を目の当たりにしたり








息子にも他の子どもたちにも
たくさんの魔法にかかったような

奇跡見たりと










たくさんの奇跡を
体験していたので
シンクロニシティに加え
奇跡や脳科学や直感などに
興味を持っていった










息子5歳の七五三。写真スタジオのスタッフさんには、敢えて息子の障害の事は伝えず撮影は始まり、多動などは無くなったし、麻痺などはない息子だったが、人の指示に従ったり模倣は苦手だったので、スタッフさんは、1歳児のようにアンパンマンの人形を持って息子を誘導してくれたのだが、ふと、人生に、人の指示に従ったり模倣なんて本当は必要無く、息子は『できない』のではなく『しない』で、更には『必要無かった』と思い、きっと息子はそれを最初から分かっていたなと思う()










また
これらの世界に触れるたびに
なぜこの世には
罪と罰があるのか?
善悪はあるのか?
どこに無限の愛や
無条件があるのか?










という
ふとした時に思い出すが
大抵は忘れていた
子どもの頃からの疑問
わたしは思い出すようになり










ここにその答えがあるのを感じ
人生の点と点が繋がるようになり
癒されていき夢中になった















長女10歳、次女8歳、息子5歳。チームの皆さん、愉快な仲間たち、大きくなりました 泣














また
リハビリを辞める直前に
子育てには
子どもに何をしてあげるかも大切だが
健常児障害児関係なく
子どもの幸せや成長に
大切なのは









親が幸せかどうか
親がどう在るか
だと気づいたことも
ここに繋がっていき










名前がそうであるように
ということも
わたしのテーマとなっていった










そしてわたしはある日
友人らと出かけた江ノ島の海を見て
突然還りたいと号泣するという
その後もそんな体験を
度々するようになり









わたしは人生を
深く考え感じるように
なっていった














長女1年、次女2年、息子半年の幼稚園生活全てを担任して下さった、わたしも子ども達も皆が大好きで、子ども達がお世話になった全先生の中でも一番の分かち合いがあった先生と息子(6歳)。先生は息子が初めての障害児の担任で、わたしたちが年度の途中に突然入園した事もあり、2ヶ月はわたしも息子と登園し、そこには奇跡のような体験があり正に地上天国だった。そして先生は卒園式の日には息子を抱きしめ号泣し、わたしに、『お母さん、りんくんを下さい!!』と言い、息子もわたしも娘たちも本当に愛して頂いた 涙(

)













そして

わたしは

リハビリを終えてしばらくして

やっと落ち着いて

鬱にもパニック障害にもなり 














今までは

あんなに自分のやりたいことが明確で

やらずにいられなかったわたしが 

周りの目や常識に埋もれ

自分のやりたいことが全くわからなくなり

廃人のようになっていった













だからわたしはまた

今自分が何をどれだけ飲みたいのか

コーヒーなのか紅茶なのか

コーヒーならホットなのかアイスなのか

コーヒーなら砂糖やミルクは入れるのかなど

一つ一つの欲求を

一瞬一瞬確認しながら生きることを

意識的に始めていった














そしてそれを子どもたちにもで

朝はパン、ご飯で

皆同じ物を同じだけ食べると決めず

毎朝毎朝食べるのか食べないのか

パンなのかご飯なのかシリアルなのか

ドレッシングは何をかけるのか

目玉焼きには今日は何をかけるのかなどを

一つ一つ聞くようになった












この世に本当に天使っているんだ、と思うくらい、異常に内面も外面も全てが可愛く天使のようなこの頃の息子で、ある日先生は、『幼稚園くらいになると大体の子どもたちが、栗は茶色、という固定観念で絵を描く事が多いのだけど、凜くんは、茶色とピンクで栗を描いていて、そのセンスが本当に素敵なんです✨』と目をキラキラさせながら教えてくれて、そういうたくさんの方の愛や視点で、この10年後に素晴らしすぎる息子の絵の才能が現れる()












そして

幼稚園に通いその後

娘たちと同じ小学校

特別支援学級に通うようになった息子は

朝登校を渋ったり通学団を嫌がったり

間に合わなかったりするので













毎朝毎朝

今日は学校に行くのか行かないのか

行くなら何時間目に行くのか

行くなら車で行くのか歩いて行くのか

車ならわたしなのかじいちゃんなのかを

聞くようになり











息子は

少しずつ言葉は話せるようになってきたし

コミニュケーションも取れるようになってきたが

同じことばかり繰り返し言ったり

まだ上手く伝えられなかったり

まだ思っていることと真逆を言ったり

上手く伝わらず癇癪を起こしたり

ひっくり返って泣くことも

多かったので













息子の本音がどれなのかを

キャッチすることは

本当に至難の業で神業で

わたしは子どもたちを送り出したら

一日の全てのエネルギーや能力を使い切ったと

グッタリしていた













でも当時

精神世界にどっぷりはまっていたことや

元々感覚的に鋭かったことと

この息子のやりとりにより

言葉だけでなく

言葉の背景にあるエネルギーや感覚も掴み














だから

言葉という目に見えるものと

エネルギーや感覚という

目に見えないもの全体で

息子を理解しようとするようになり

わたしの感覚は

どんどん研ぎ澄まされていった















そしてこの

一見面倒臭そうなことや

面倒臭くて気が狂いそうな

本音を大切にすることは

子どもはもちろん人間が

心身共に健康的にありのままに生きるには

本当に大切だとわかったので












その後も今も

ずっと子どもたちにも自分にも

大切にし続けていて













今まで

無意識に直感や宇宙の流れに乗って

生きてきた部分も多かったが

まだまだ無意識に

常識や善悪や過去の後悔や未来の不安で

生きていることも多かったわたしは













こうして

一瞬一瞬を大切にしながら

宇宙の秩序や直感で生き始め

子どもにもそれを元に関わり始めた














小学校5年の長女、3年の次女、この日が入学式の息子で、息子は娘たちと同じ小学校の特別支援学級に在籍し、そこでも息子もわたしもいつも大切にされたが、リハビリや幼稚園の時のような、泣くほどの愛や理解や、スタッフや先生との境界線の無い美しい分かち合いは少なく、でもそれならわたしが、地上天国を創ればいい、と思うようになっていった()













子育てを振り返ってみた 2.


子育てを振り返ってみた 4.


















◆息子に焦点を合わせた

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