わたしは
リハビリを辞めたと同時に
スピリチュアルな本を同じ本じを
同じタイミングで
幼稚園の年長に通う直前の息子(5歳)と次女(8歳)で、リハビリに解放されて、家族で川でよくバーベキューをしていた頃で、リハビリを経た息子はこうしてキラキラの笑顔で生きるようになり、うちは長女も次女も息子もアンパンマンが大好きだった
奇跡を見たりと
息子5歳の七五三。写真スタジオのスタッフさんには、敢えて息子の障害の事は伝えず撮影は始まり、多動などは無くなったし、麻痺などはない息子だったが、人の指示に従ったり模倣は苦手だったので、スタッフさんは、1歳児のようにアンパンマンの人形を持って息子を誘導してくれたのだが、ふと、人生に、人の指示に従ったり模倣なんて本当は必要無く、息子は『できない』のではなく『しない』で、更には『必要無かった』と思い、きっと息子はそれを最初から分かっていたなと思う(※)
長女10歳、次女8歳、息子5歳。チームの皆さん、愉快な仲間たち、大きくなりました 泣
長女1年、次女2年、息子半年の幼稚園生活全てを担任して下さった、わたしも子ども達も皆が大好きで、子ども達がお世話になった全先生の中でも一番の分かち合いがあった先生と息子(6歳)。先生は息子が初めての障害児の担任で、わたしたちが年度の途中に突然入園した事もあり、2ヶ月はわたしも息子と登園し、そこには奇跡のような体験があり正に地上天国だった。そして先生は卒園式の日には息子を抱きしめ号泣し、わたしに、『お母さん、りんくんを下さい!!』と言い、息子もわたしも娘たちも本当に愛して頂いた 涙(
※)そして
わたしは
リハビリを終えてしばらくして
やっと落ち着いて
鬱にもパニック障害にもなり
今までは
あんなに自分のやりたいことが明確で
やらずにいられなかったわたしが
周りの目や常識に埋もれ
自分のやりたいことが全くわからなくなり
廃人のようになっていった
だからわたしはまた
今自分が何をどれだけ飲みたいのか
コーヒーなのか紅茶なのか
コーヒーならホットなのかアイスなのか
コーヒーなら砂糖やミルクは入れるのかなど
一つ一つの欲求を
一瞬一瞬確認しながら生きることを
意識的に始めていった
そしてそれを子どもたちにもで
朝はパン、ご飯で
皆同じ物を同じだけ食べると決めず
毎朝毎朝食べるのか食べないのか
パンなのかご飯なのかシリアルなのか
ドレッシングは何をかけるのか
目玉焼きには今日は何をかけるのかなどを
一つ一つ聞くようになった
この世に本当に天使っているんだ、と思うくらい、異常に内面も外面も全てが可愛く天使のようなこの頃の息子で、ある日先生は、『幼稚園くらいになると大体の子どもたちが、栗は茶色、という固定観念で絵を描く事が多いのだけど、凜くんは、茶色とピンクで栗を描いていて、そのセンスが本当に素敵なんです✨』と目をキラキラさせながら教えてくれて、そういうたくさんの方の愛や視点で、この10年後に素晴らしすぎる息子の絵の才能が現れる(※)
そして
幼稚園に通いその後
特別支援学級支に通うようになった息子は
朝登校を渋ったり通学団を嫌がったり
間に合わなかったりするので
毎朝毎朝
今日は学校に行くのか行かないのか
行くなら何時間目に行くのか
行くなら車で行くのか歩いて行くのか
車ならわたしなのかじいちゃんなのかを
聞くようになり
息子は
少しずつ言葉は話せるようになってきたし
コミニュケーションも取れるようになってきたが
同じことばかり繰り返し言ったり
まだ上手く伝えられなかったり
まだ思っていることと真逆を言ったり
上手く伝わらず癇癪を起こしたり
ひっくり返って泣くことも
多かったので
息子の本音がどれなのかを
キャッチすることは
本当に至難の業で神業で
わたしは子どもたちを送り出したら
一日の全てのエネルギーや能力を使い切ったと
グッタリしていた
でも当時
精神世界にどっぷりはまっていたことや
元々感覚的に鋭かったことと
この息子のやりとりにより
言葉だけでなく
言葉の背景にあるエネルギーや感覚も掴み
だから
言葉という目に見えるものと
エネルギーや感覚という
目に見えないもの全体で
息子を理解しようとするようになり
わたしの感覚は
どんどん研ぎ澄まされていった
そしてこの
一見面倒臭そうなことや
面倒臭くて気が狂いそうな
本音を大切にすることは
子どもはもちろん人間が
心身共に健康的にありのままに生きるには
本当に大切だとわかったので
その後も今も
ずっと子どもたちにも自分にも
大切にし続けていて
今まで
無意識に直感や宇宙の流れに乗って
生きてきた部分も多かったが
まだまだ無意識に
常識や善悪や過去の後悔や未来の不安で
生きていることも多かったわたしは
こうして
一瞬一瞬を大切にしながら
宇宙の秩序や直感で生き始め
子どもにもそれを元に関わり始めた
小学校5年の長女、3年の次女、この日が入学式の息子で、息子は娘たちと同じ小学校の特別支援学級に在籍し、そこでも息子もわたしもいつも大切にされたが、リハビリや幼稚園の時のような、泣くほどの愛や理解や、スタッフや先生との境界線の無い美しい分かち合いは少なく、でもそれならわたしが、地上天国を創ればいい、と思うようになっていった(※)
◆息子に焦点を合わせた
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