こんにちは。お久しブリーフ。
春と秋が短くなり日本の四季が薄れつつあるように感じます。
数十年後には雨季と乾季のみになってしまうような危惧も少々抱いております。
私は相変わらず仕事の合間にちょくちょくと遺跡や遺構に足を運ぶ程度でなかなか本格的に城散策ができておりませんので、今回は趣向を変えて日本人のアイデンティティーを確立させたといっても過言ではない弥生遺跡へレッツラゴー!
昨年清須市にオープンした「あいち朝日遺跡ミュージアム」。
このあたりは愛知県でも最大規模の弥生集落が発見された場所なのです。
有料展示室には弥生期のジオラマがあります。
「城」の原点、「環濠集落」も発見されているようです。
元々は獣除けだったと云われていますが後に「堀」と「石垣」に発展するとは。
戦国時代から遡ること二千年程前から「外側」と「内側」で戦をしていたのですね。
「外側:自分達とは異なる存在・思考」=「敵」=「対立軸」という構図は今も昔も変わっていないのかもしれません。であるならばヒトとはあまり進歩していないようにも思えます。
10年前ですが現在の清州は高速のジャンクションができて交通量の激しいところなのです。清州城が「関東の巨鎮」と云われるくらいの規模だったことから清須界隈は昔から人が集まる地形だったのでしょう。
こんな変わったツボも多数出土しています。
発想としても新しい感じがしますネ。100均で売って欲しいです。
木製の道具&お守り。
中央にはツチノコがいます。
高床式倉庫(復原)。
何よりも大切な「お米」を収納することから転じて神殿の原点となった建物です。登呂遺跡のものにはネズミ返しがついていたような。
竪穴式住居(復原)。おそらく火にはめっぽう弱し。
寝る時は交代で火の番ですな。
内部は地面を掘り下げてあるので湿度は高めですが高所で休むよりも温度の低下は防げるのですね。動物的な感覚って大切です。
墳墓も何基か見つかっているようですが、居住地区とは明確に埋葬地区を分けてあるのが興味深いです。「屈葬の彼」は壮年の男性、身長160cmとのこと。
レプリカでないのなら何なん?モノホン?ナムさん!
大規模な貝塚も発見されているようでこの辺りの地名もずばり「貝塚1番地」。
帰りに売店で購入。
清須では何処へ行っても信長様がついてきます。
最後までありがとうございます。
年内には一度でいいから城散策することを目標に励みたいと思います。
*コレ楽しいです。
信長時代の岐阜城も。