おはようございます、たけちです。
2026年・令和8年9月20日日曜日
みなさん、いかがお過ごしになりますか?
たけちは、今日、ひさしぶり半日旅に行ってきます。
行先はずばり
最寄りの世界遺産です。
ひと昔前までは複数世界遺産をもつ広島県や鹿児島県を羨ましく思っていましたが、
いまや福岡県も世界遺産を2つもつ県になって、なんか感無量です
まだ、行ったことにない世界遺産に行ってきます。
この模様は後日当ブログにて!
さて、今日は
呉なずむ街の観光 後編です。
リニューアル大和ミュージアムを楽しんだたけち
大和ミュージアム前のゆめタウンで昼食&涼みましょう。
昼食はゆめタウンのフードコートでまぜ麺を頂きます。
これは・・・なかなかの辛さ
外は暑いのでこれくらいがいいのかもしれませんね
そして、本屋で涼んだ後、歩いて💦次の目的地へ
次の目的地は
旧海軍墓地 長迫公園
ここは1890(明治23)年に、戦没などによる海軍軍人などの埋葬地として開設
1986(昭和61)年に国から市に無償で譲与され、「長迫公園」として整備されました。
この墓地には、戦前に建立された墓碑が169基、「戦艦大和戦死者之碑」等80基の合祀(ごうし)碑が建立されています。
また、映画「男たちの大和/Yamato」の撮影が行われた場所としても有名だそうです。
(一部「呉市オフィシャルwebSite」から引用)
映画は結構前に観たのであまり覚えていませんが💦
まずは重巡「最上」の慰霊碑前で合掌
「最上」は、1944年10月のレイテ沖海戦で西村艦隊の一員としてスリガオ海峡に突入して大破
日本海軍駆逐艦による乗員救出後、同駆逐艦の雷撃により処分、沈没
航行不能で仕方がないといえども、味方の手によって処分はやるせなかったのではないかと思います😫
次に戦艦「扶桑」の慰霊碑前で合掌
「扶桑」も1944年10月に米軍がフィリピンのレイテ島に上陸した際、西村艦隊としてレイテ湾に突入しようとしたが、25日未明、レイテ湾南方のスリガオ海峡で米艦隊の待ち伏せ攻撃を受け、転覆、沈没
なお、扶桑の本来の意味は、中国の伝説で東方の果てにあるとされる巨木のことであり、扶桑国は中国の東の果てにある巨木のある国、つまり、日本のことらしいです。
重巡「鈴谷」の慰霊碑前で合掌
「鈴谷」は1944年10月25日、サマール島沖追撃戦(レイテ沖海戦)で空襲を受け、酸素魚雷が誘爆、沈没😨
特務艦「間宮」の慰霊碑で合掌
特務艦「間宮」は1944年12月20日、サイゴンからマニラ方面へ糧食輸送中、海南島東方の南シナ海においてアメリカ潜水艦シーライオンの攻撃を受け、沈没
因みに特務艦とは「糧食を各艦艇に補給」することを任務にしていました。
兵站は大事ですよね🤔
戦艦「伊勢」の慰霊碑前で合掌
戦艦「伊勢」は1945年7月24日、アメリカ軍機動部隊艦載機による呉軍港空襲により艦橋に直撃弾を受け、着底
伊勢の砲塔には弾が装填されたまま最大仰角で停止し、暴発危険回避のため呉市街を向いたまま発射、発射後、伊勢は完全に動力を失い停止
このときの主砲発射が奇しくも日本帝国海軍戦艦の最後の大口径砲の発砲となったのです😅
戦後、引き上げられて一時住宅!?として利用されるものの、スクラップ破棄されることになります。
戦艦「日向」の慰霊碑前で合掌
戦艦「伊勢」の姉妹艦である「日向」は、1945年3月19日の呉軍港空襲で爆弾3発(二番砲塔左舷後部、左舷缶室、艦後部)が命中し、航行不能となり、呉港外で浮砲台となります。そして、7月24日の呉軍港空襲でアメリカ軍空母機の波状攻撃を受け、7月26日、着底大破
戦後、解体され、その戦歴を終えることになります。
奇しくも戦艦「伊勢」と戦艦「日向」はこの呉で晩年を迎えることになったのですね。
そして、最後は戦艦「大和」の慰霊碑前で合掌
戦艦「大和」の最後は御存知のとおりです。
戦艦「伊勢」や戦艦「日向」と比べれば、当時であれば「戦って名誉の戦死?を遂げた」というところでしょうが、それがいいのかどうかは戦後の人たけちには分かりかねます。
2026年の呉なずむ街の観光はこうして終わりました。
ここは他の空母や艦艇の慰霊碑もありますので呉に観光しに来た際は是非お詣りしていただければなぁ、と思います。
大和ミュージアムから歩くと結構遠いので、タクシーがおすすめです。
大和ミュージアムの近くであれば、てつのクジラ館もおすすめですよ。












