名宝を訪ねる ~日本の宝 『文化財』~

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日本はやっぱり素晴らしい!日本の文化財を巡り、堪能し、その魅力を紹介するブログ

城跡だけじゃない、仏像だけじゃない、建築だって、遺跡だって、化石だって大好き!
日本の長い歴史の中で生まれたさまざまな『文化財』が大好きなんです。日本の文化財を見れば、日本ってすごい!と強く感じます。文化財のここがおもしろい、すごい、好き、をうまく紹介できればいいな、って思ってます。どうぞご覧になってください

大高城跡、桶狭間古戦場と訪ね歩いたら、ここもぜひ訪ねたいと思っていた場所があります。

 

それがこの沓掛城跡

 

桶狭間に入る前日、今川義元が滞在したお城なのです。

義元はココから桶狭間へ向かったのです。

しかも遺構が現在までしっかり残っている、そうであればマニアなら必ず押さえておきたい史跡ではありませんか。

 

そういうわけで桶狭間の戦い関連の史跡として、沓掛城跡を訪ねました。

 

 

沓掛城跡(現在の入り口。侍屋敷跡の駐車場から)

 

名鉄前後駅から、歩けば40分ぐらい、近くまでバスもありますが最寄りバス停からだと15分くらい歩きます。

暑い日で大高城から桶狭間古戦場跡を経て前後駅まで歩いたものですから、これ以上歩くのも億劫で前後駅からはタクシーを使いました。

 

近代的な高層団地群を抜け住宅が少なくなってくると、緩やかな起伏が続く丘陵地が広がっていました。

一面の畑が広がる中をタクシーは細い小道へ曲がりこみました。

 

するとやがて、小さな集落があり、そこには似つかわしくない整備された駐車場が現れました。

 

それが公園として整備された沓掛城址の一角だったのです。

 

現在の沓掛城平面図

 

この沓掛城、遺存状態がとても良好なのです。現地案内図にあった古図と比較しても、ほとんど当時のままなのです。

それだけでも十分貴重な城跡だと思います。

 

沓掛村古城絵図(名古屋市 蓬左文庫所蔵)

 

タクシーを降りて目の前にある遊歩道の階段へ進むと、早速、堀跡が見られました。

桶狭間の戦い関連の史跡で、遺構の保存状態が良いのはこの城跡が随一です。

堀跡の発掘はされていないようですが、かなり幅のある大きな堀です。

 

本丸北側の堀跡

 

堀を渡り、最初に目についたのが通路右手に見える侍屋敷の跡です。

低いですが土塁が残っていました。

 

一見、単なる草地ですが、ここに城跡周辺に広がっていた侍屋敷群があったのかも、と想像すると土塁も草地も全く重みの違ったものに見えてきます。

 

侍屋敷跡

 

そして本丸へ。

土塁の上から全体が見渡せました。

 

土塁だって、削平されたところもあるようですが、部分的にはずいぶんな高さのまま残っているのです。

 

北西側土塁上から見た本丸全景

 

親子連れならボール遊びができる、広々とした芝生の広場になっていました。

そして、発掘調査で見つかった井戸跡もあります。

 

南東側から見た本丸

 

堀跡も埋もれて、だいぶ浅くなっていますが面影は中世のままです。

 

本丸東側の堀跡

 

 

本丸西側の堀跡

 

そして、大手側の入り口まで来ました。

大手から見て右手が二の丸だったそうです。

芝生広場ですが、地下には遺構が残されているのではないでしょうか。

ここを義元が歩いたのかもしれないと思うと、同じところを歩いている自分に興奮してしまいます。

 

大手側入り口

 

来たルートを戻り、今度は諏訪曲輪へ向かいました。

 

本丸から諏訪曲輪へ

 

現在は本丸から木製風にあしらったコンクリート製の橋が架かっています。

発掘調査か何かで橋の跡が見つかっているのでしょうか?

 

ここを渡ると一段高い、諏訪曲輪へ出られます。

 

諏訪曲輪

 

ここは周囲より高台になっているのですが、物見台のような役割でもあったのでしょうか?

 

 

これで沓掛城跡を一周しました。遺構の状態がよく残された、見ごたえのある城跡でした。

しかも桶狭間の戦いと関連のある遺跡で、国指定史跡でないのが残念なくらいです。

発掘報告書が出てないのでしょうか?

 

出土品には瀬戸大窯期の陶磁器群と一緒に、年代を確定できる「天文十七」(天文17年=1548年)と書かれた木札が出土しているそうです。

瀬戸大窯期編年の絶対年代を決めることができる重要な発見ではありませんか。

 

こんな貴重な出土品もあるのですから、ぜひ国が保存に関わって欲しい遺跡です。

 

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沓掛城跡(平成29年4月・豊明市指定史跡 愛知県豊明市沓掛町東本郷)

 

 

沓掛城は標高21mほどの丘陵の東端に位置する、連郭式の平城です。永禄3(1560)年の桶狭間の戦いの際、今川義元が入城し織田信長との戦いに備えた城とされています。その当時の城主は今川方の近藤景春で、落城後は簗田出羽守政綱、織田越中守信照、川口久助などが在城したと『張州府誌』や『尾州古城志』などの古文献に記され、慶長年間(1596~1615)に廃城になりました。

昭和56(1981)年~61(1986)年に発掘調査が行われ、16世紀を中心に大きく三期の変遷があったことが明らかになっています。

名古屋市の蓬左文庫には『沓掛村古城絵図』が残されており、本丸・二の丸・侍屋敷・内堀・諏訪曲輪などの主要な遺構はおおむね原形を保ち、戦国末期の旧態をとどめていることがわかります。

 

 

 

 

 

参考ホームページ:

豊明市指定文化財ホームページ:https://www.city.toyoake.lg.jp/3356.htm#kutsukakesyutsudo

 

 

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