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すいません、GW中も仕事がありまして。
更新が追い付きませんでした。
今月もいままで通り、文化財の紹介をします![]()
群馬県上野村。のどかで自然にあふれた山村です。
先に紹介した上野村の文化財についても、ご覧ください![]()
ほかにも「乙父のおひながゆ」は上野村で現在も行われているひな祭りの行事ですが、ひな祭りの原形である「上巳の節句」「桃の節句」の意味合いを残す貴重な民俗行事とされています。だから今でも旧暦のひな祭りに近い4月3日に行われ、国の選択無形民俗文化財となっています。
この行事、前に一度訪ねたことがあるのですが、子どもたちと一緒に河原で料理して遊んで、とても楽しかったです。
今でこそ静かな村ですが、山中領と呼ばれたこの地域を治めた名主の家が残されています。
それが「旧黒沢家住宅」。
今では珍しい、石置き屋根の古民家が上野村には残されています。
そして重要文化財に指定されています。
なので訪ねました。
旧黒沢家住宅を訪ねる
旧黒沢家住宅は上野村の中心部からやや西のはずれ、日航機墜落事故の「慰霊の園」のすぐ近くにあります。
日航機墜落事故については「亀甲石産地」のときに語ったので、そちらをご覧ください。
黒沢家は神流川によって形成された段丘の平坦面上にあります。
こんな場所です
。
神流川の段丘上に建つ、旧黒沢家住宅(中央、対岸から)
入場料が必要です。
ぜひ、文化財の保全に役立ててくださいとの気持ちを込めてお支払いします。
中に入ると目の前にデーンと巨大な建物が。
静かな山村には不釣り合いな巨大さ。
外観はこんな感じ
。
写真ではわかりにくいですが、古民家としてはかなり大きいお宅です。
まあ、このブログでは何度も申し上げてますが、古民家といって重要文化財になるようなお宅は、当時の名主級のお宅がほとんどですから。
大きいに決まっているんですよ。
それでも大きすぎる![]()
稀に見る巨大さですよ。
標準レンズで画角に納めるのが大変でした。
では、黒沢家の中へ…
それでは、中に入ります。
黒沢家住宅はその大きさもさることながら、部屋数の多さも驚き。
古民家にしては驚きの13室(おかって、ちゃのまを含む)![]()
それではお邪魔します。
かつての勝手口から屋内に入ると、
そこは土間。
実はこのお宅、名主だっただけに式台があるんです。
お役人などの特別なお客様用の玄関です。
しかし、式台からは上がらせてもらえない。
まあ、他の古民家でも式台から上がらせてもらえたお宅はありませんが。
式台の先にある特別あつらえのお部屋については後ほど、ご紹介します。
さらにこのお宅には、式台以外に「むらげんかん」なる入口もあるんです。
訪ねてきた村の人のための玄関。
村民も「お客様」として扱っていたんです。こういうのは珍しい。
私たちはお客様じゃないのか!というのは冗談として脇においといて![]()
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そういうわけで、一家の生活空間から見学していきます。
上がらせていただきます。
「おかって」とあります。
囲炉裏がありました。土間からのお上がりにあたり、こちらは食事などの準備の空間だったとのことです。
その向こうに大きなパネルが。
巨大パネルで、保存工事の内容や様子が紹介されていました。
保存工事は大変重要な事業で、いまどきは特に人件費や原材料費が上がっていて難しくなったとのこと。
でもこれを行わないと老朽化する一方だし、地震にも耐えられなくなってしまうのです。
大きな地震が続いていますから。
さて、おかってから一段上がって、ちゃのまがありました。
ここにも囲炉裏が。
こちらは一家が集う部屋だったようです。
天井が吹き抜けになっていて、広い空間を確保しようとした様子がうかがえます。
ちゃのまには巨大な神棚もありました。
床の間や仏壇の前身とされる「押板」も見られました。
これがあると、比較的古い様式のおうちなんだな、と感じます。
その向こうにあるのが「女部屋」や「主人部屋」という、要は家人の寝室・支度部屋ですね。
床の間や天袋、押し入れなどがあって意外と整った感じの部屋でした。
普通、古民家での家人の使用する部屋といったら地味でして、天井や欄間などはないことが多いのです。
簡単なものとはいえ欄間や床の間もあるなんて、ちょっと驚きました。
床の間の天袋上には欄間彫刻があって、それも驚きました。
そして、この民家で重要な構造の一つ、廊下(入側、いりか)がありました。
式台から上がってすぐに「おしらす」という部屋が設けられていて、そのおシラスから客間へ行く境に主人部屋や女部屋と客間を区切るように、廊下があるのです。
こういった構造はたまに見られます。家人の空間と客を接待する空間を物理的・意識(心理)的に区切るための設備と考えられています。
ちなみに“おしらす”といいますが、いわゆる奉行所での取り調べを行う「お白州」とは違い、あくまで来訪した客人が一息きつけるように設けられた部屋、とのことでした。
ここから先の客間の意匠が、また素晴らしいのでご覧ください。
まずは「休息の間」。
身支度をほどき、荷物などを置いてくつろいでもらう準備をするための部屋です。
そこから「下段の間」「上段の間」と続くのですが、襖やら釘隠しやら欄間やら、贅を尽くした印象の豪華な部屋が続きます。
地元の著名な絵師に描いてもらったという襖絵。
達筆すぎて何が書かれているのか読めない書。
いい仕事してますね~、な欄間や釘隠し。
ちなみにこの欄間、上段の間側から見たところと下段の間から見たのでは画題が違うんですよ。
凝ってるでしょ?
この部屋に泊まれるのは幕府のお役人だけとのこと。上野村はかつて幕府直轄領だったからでしょう。
私も泊ってみたいですね。
2階は養蚕のために設けられた空間で、今は民具を展示していました。
ここへ上がると、屋根裏の架構もじっくり観察できます。
やはり古民家らしく、大きな屋根を支えている割に棟や梁、柱が細い。
いずれの柱も棟や梁を支えているから、大黒柱という柱はもちろん、ないのです。
その代わり、材の数が多いです。たくさんの材で大きな屋根を支える、これこそ古い民家です。
というわけで群馬の秘境・上野村に残された古民家を見学しました。
上野村は山村だっただけに、主に炭焼きや林業で生計を立てていたそうで、耕作はあまり行われておらず雑穀やコンニャクイモがほとんどだったとのこと。
そして19世紀頃には養蚕も行われるようになって、黒沢家のように、民家に養蚕用の空間を設けるようになったそうです。
上野村は、かつてはあまり豊かだったとは言えない村のようですが、現在は多くの文化財が残されるほどの文化的に豊かな村です。
ぜひ皆さんも一度、上野村を訪ねてみてください。





















