こんにちは!今日は三重県桑名市長島町にある願證寺をご紹介します。国道一号線を南へ500m程、狭い路地を入ったところにポツンと見えてきます。お寺は元々誓来寺といったそうですが、木曽、長良、揖斐の三川分流工事により長良川に水没したといわれる願證寺が近くにあったことから明治以降、こちらのお寺が願證寺を名乗るようになったそうです。
元々の願證寺の形をよく留めているものと思われ、長島一向一揆と言えばこのお寺というくらい有名なお寺です。以前にご紹介した三河安城の本證寺と同じ城郭伽藍を備え、戦いのためのお寺という感じです。
今回伺った時は何と改修工事中で、足場が組んでありましたので内部を拝見することはできませんでしたが、マニアの私はかえってこの方がテンションが上がります!
この辺りは長良川と木曽川の河口で川に挟まれた輪中地区のため土地は低く、三川分流工事がされる前はよく氾濫したそうです。しかしながらそのために守るのには容易で、信長をもってしても3回目の遠征でようやく有利に戦いを進めることが出来たそうです。ただ、一向宗との戦いでは敵味方とも多くの戦死者を出しましたので石碑が建っていました。織田軍も勝ったとは言えない戦ですね。
信長の重臣で美濃三人衆の一人、氏家卜全は討死、柴田勝家も負傷したそうですので、かなり激しいゲリラ戦が展開されたのでしょう。
現在は改修工事中につき、門が曳家で移動してありました。こういう技術を目の当たりにできたことが非常に嬉しいです。
近年ですと伊勢湾台風の時には浸水しているものと思われますが、それ以前にも被害があったのでしょうか。かなり傷みが進行しています。下の写真は窓枠の支えが外れてしまっています。
普段めったに見ることが出来ませんのでワクワクしました。中央の水平方向に渡っているのが元の床レベルです。
窓枠は左が下がっています。
奥の方にきらびやかな壁が見えます。
元々の礎石でしょうか。現在の建屋になる前にも改修工事をしたのかもしれません。
付近の家々も水害から守るために2m位の高さの石垣の上に建ててあります。
これから田植えが始まり、初夏には一面緑の絨毯となります。お寺も綺麗になりましたらまた手を合わせに来たいと思います。
南無阿弥陀仏。
ではまた次回。