乱歩酔歩--Random Walk official blog-- -12ページ目

秋ドラマ!

どうもこんばんは霧島です。

今日寒かったですね…!いつもは夕方から夜にかけて散歩するんですけど今日は小分けにしました。

適当に身体動かしてないと寒すぎた。

 

最近はまた久しぶりにドラマを追えているので面白いものをいくつかピックアップして感想など書けたらなと思います。

 

「全領域異常解決室」

 

 

 

 

あらすじ:最先端の科学捜査でも解明できない異常事件を解決する「全領域異常解決室」という捜査機関に、ある日突然出向を命じられた雨野小夢(あまのこゆめ)。神社の社務所のようなところを本部としており、室長代理の興玉雅(おきたまみやび)とともに不可解な事件を解決していくという一話完結型のミステリー。

 

漢字ばかりのタイトルが気になって観始めたのですが、好きなテイストでした。不可解な事件と思わせておいて最終的に「本当に怖いのは人間」というオチかと思ったらでもやっぱり説明つかないところがあると気づく…というような。

こういう「もしかしたら日常に潜んでいるかも…」というタイプのお話はとても好きなので面白く観ています。

キャラクターの出し方が巧妙でいい感じにミスリードしてくれるのですが、久しぶりに気持ちよく引っかかりながら観ることができていていいです。

現在6話まで放送されていて、また一段階物語の謎が進みそうなところなので引き続き楽しみです。

 

 

「ライオンの隠れ家」

 

 

 

あらすじ:両親を亡くし、自閉スペクトラム症の弟美路人(みちと)と二人暮らしをしている洸人(ひろと)。ある日突然「ライオン」と名乗る謎の男の子が家にやってきたことで、二人の平穏な生活は一変する。

 

冒頭からうっすら不穏な雰囲気が漂い、「なぜライオンがここに来たのか」にまつわるサスペンス的な要素もある作品です。

美路人の自閉スペクトラム症の特性もあり、ルーティーン通りの毎日を過ごしていた兄弟の生活に突如嵐のごとく現れたライオンは小学校に通う前の幼い男の子なのですが、最初は嚙み合わなかった彼らに次第に家族のような絆ができていく様は胸にぐっと来ます。もう三人でずっと仲良く幸せに暮らしたらいいじゃない…と思ってしまいますがそうは問屋が卸さないわけですね。嫌いじゃない。物語もそろそろ半ばを過ぎたところで背景にあるサスペンス要素も少しずつ明るみに出始めているので引き続き鑑賞しようと思います。

 

 

放課後カルテ

 

 

 

保険医として小学校に常駐することになった小児科医の牧野。不愛想で態度が悪く最初は生徒にも教師にも不評だったが、するどい観察眼で子ども(時には大人)のSOSに気づき助けていくヒューマンドラマ。

 

今季観ている中で一番刺さっています。子ども目線でも大人目線でも毎回刺さってボロ泣きしてしまう…。

原作は日生マユ先生(講談社・BE LOVE)の漫画です。ドラマがとてもよかったのでとりあえず1巻を読みました。16巻で最終巻だったようですが、最近その後を描いた17巻が発売されたようですね。ドラマにまとめるにあたり色々変わっているようなので、そのうち原作もちゃんと読みたいところ。

 

話をドラマに戻しますが、子どもたちが肉体的にも精神的にも無邪気に恐ろしいことをしている様子を見ながら「こういうこと、するよな~…!」とつい過去を振り返ってしまいます。病院ではなく小学校が舞台ということで、そう都合よく病気やけがばかりしないでしょうからどう展開していくのかなと思っていたのですが、人間関係や家庭の問題、そこに起因する問題行動などにも触れていてなるほどなとなりました。

ぶっきらぼうな牧野先生に救われた子どもたちが段々と心を開いていく様は見ていて温かい気持ちになりますし、変化が無いように見えて少しずつ変わっている牧野先生の姿にも胸が熱くなります。こちらも一話完結型ですが、毎回のカタルシスがしっかり描かれているので大きな謎に引っ張られなくても毎回楽しみに観ることができているように思います。

 

とりあえず今回は3作品。

秋の夜長ということで見たい作品もたくさんあるんですが…相変わらず気が付いたら一日が終わっています。こわい。

 

急にがくんと気温も下がってますので皆さんも体調などにはお気を付けください。私は元気です。

 

 

したらば!

 

 

rin

スタチュー・パフォーマンス

遊木です。

 

急に冷え込みましたね。

暑いか寒いかどっちかにして欲しい。

 

 

 

SNSでも軽く触れましたが、3年ぶりに『横浜ユーラシア スタチュー・ミュージアム』を観に行きました。

 

 

 

“スタチュー”とはStatue、つまり彫像や立像のことを指します。(『自由の女神』は Statue of Liberty)

このイベントは、「彫刻や人形になりきるスタチュー」(Living statue =人間彫刻)の演者が、日本大通りでパフォーマンスを披露するというもの。

 

「ハマの新しい風物詩をつくる」というテーマで実施されているようですが、個人的には3年前より、イベント全体のパフォーマンスの幅が拡がり、見に来ているお客さんの数も増えている印象でした。

 

基本的には、「彫像化しているパフォーマーにお布施をすると動き出す=設定に沿った演舞をしてくれる」というシステムで、お布施をした人に合わせてアドリブで演舞を変えてくれる特徴があります。(最初から動いていて、お布施をすると特別なモーションをしてくれる場合もある)

特に小さい子相手にはサービスしてくれるので、周囲で見ている観客もほっこりします。

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は、休憩に入る移動中に、他のスタチューに乱入して共演する面白いアドリブもありました。

 

 

その場のアドリブや、ナマのパフォーマンスを楽しむエンタメは他にもありますが、『スタチュー・ミュージアム』は、“動かない演技”を楽しむのが特徴です。

 

「動かないのに楽しいの?」と感じそうですが、まさにスタチューの面白さは、現地に行かないと体験できないもの。 是非、一度見て欲しい。

動かない演技なのに、写真で撮るより、動画を回す方が実態がわかる矛盾も面白いです。

 

また、『赤い靴の女の子』や、今回初公開となった『ペリー提督』は、横浜でやるからこそのパフォーマンスで、街に実際にありそうな像=“その土地ならでは”を取り入れやすい媒体でもあります。

町興しや観光との相性も良さそう。

 

 

 

気候に影響を受けやすい難点はありますが、昨今、「ナマの体験の価値」が上がっている流れを考えると、このイベントを新しい風物詩にしようとしたのは、先見の明があったように思えます。

初回はコロナ禍の最中だったにも関わらず、よく始めてくれたな、と。(コロナ禍だったからこそ、屋外でのイベント強化となったのかもしれない)

 

余談ですが、イベント主催の『横浜ユーラシア文化館』、共催の『横浜都市発展記念館』、『横浜開港資料館』は、いずれもメイン会場である日本大通りのすぐ傍にある施設です。

 

 

スタチューパフォーマンス協会の沿革を見ると、神奈川を中心に活動しているようですね。

まだまだ新しい文化ではあるようですが、徐々に活動の幅を広げ、今後、もっと様々な人に見て欲しい私の推しジャンルのひとつです。

 

みなさんも、機会があったら是非一度!

 

aki

サブカル×アート

須々木です。

芸術の秋!

 

 

 

 

 

 

というわけで、先日

「ポケモン×工芸展 ― 美とわざの大発見 ―」(東京会場)

に行ってきました。

 

石川県金沢市の国立工芸館で2023年に開催されていたときから気になっていましたが、東京(麻布台ヒルズ)での開催がスタートしたので、満を持して行ってきました。

金沢のあと、国内を巡回すると思っていたら海外に行ってしまって、「当分見ることはできないな…」と思っていましたが、すぐ戻ってきてくれてよかった。。

 

ポケモンが世に浸透していく過程を見てきた世代として、ちょっとした感慨深さも感じつつ、同時に素晴らしい匠の技を堪能できました。

ポケモンが関係なくても、アートや工芸には興味があるし、展覧会なども行ったりするので、相乗効果で面白さ、興味深さ倍増です。

作品の素晴らしさは、是非会場で直接見てもらいたいです。

 

 

↓わかりやすいレポート記事(Tokyo Art Beatより)

 

 

 

 

 

ポケモンに限ったことではありませんが、近年のサブカル系コンテンツの展開は、単にゲームやアニメやグッズとして消費するにとどまらない面白さがあるので、サークルとしても取りあげることがあります。

RWの活動拠点である横浜の臨海部は、そういったイベントもたびたび開催されて、特に昨年の夏は「ポケモンワールドチャンピョンシップス2023」開催にあわせて、街中ポケモンでした。

 

 

↓昨年の夏の関連ブログ記事(ポケモンイベント関連)

 

↓2ヶ月前の関連ブログ記事(初音ミク×アートの展覧会など)

 

 

 

 

 

以前の投稿記事の中でも書いたことがありますが、サブカル×アートが生み出す化学反応は、見れば見るほど面白い。

いろいろなものが融合しコラボする現代ならではという感じですが、いわゆるハイカルチャーとサブカルチャーの垣根を超えた反応は見ごたえ十分です。

 

アートがサブカルチャーを取り込む流れ(村上隆的な)が先行していたように感じますが、日本のサブカルが海外で受け入れられるに伴って、サブカルがアートに主体的に食い込んでいく流れも強まってきている気がします。

日本ではかなり明確な住みわけがなされていたように思いますが、欧米ではより不可分のものという感覚なんでしょう。

大英博物館が日本のマンガをテーマにして展覧会をしたりしましたし。

 

 

 

 

 

 

サブカル(≒エンタメ)とアートの関係性は、今後どうなるのか?

どんどん融合して境界がなくなっていくのか、一定の住みわけがなされた状態を維持していくのか?

 

サブカルとアートは、発想や思想や価値観の土台に差があると思っているので、個人的には、時々コラボし行き来しつつも、一定の住みわけ状態を維持するのではないかと思っています。

サブカルを取り込んだアート、アートを取り込んだサブカル、アートとサブカルの境界線に位置づけられる作品などは現れても、サブカルやアートという概念的な差は維持されると思っています。

 

ただ、それでも現在は、何らかの過渡期であり、幕末の開国で西洋文化と日本文化が起こしたようなある種の外圧による変化が、サブカルとアートの境界でも起きているような気がします。

作品自体の素晴らしさ、面白さもさることながら、そう言ったものを肌で感じつつリアルタイムで鑑賞できることも面白いです。

 

というわけで、面白いので、サブカル×アートをテーマとするミュージアムをつくってください!(懇願)

インバウンド需要を考えても、絶対ヒットすると思うんですよね…

今回の「ポケモン×工芸展」があちこち巡回しまくったあと、腰を据えることができるようなミュージアムがあると良いと思うんですよね。

 

 

 

 

 

sho

 

 

48時間映画祭に参加したよ!2024

こんにちは、遊木です。

 

 

SNSでは匂わせていましたが、48時間映画祭にちょろっと参加させて頂きました。

夏野は去年に引き続き二回目、遊木と霧島は初めての参加です。

 

 

▼映画祭のサイト

 

 

 

▼大会の概要(去年の夏野の記事より引用)

この映画祭では、事前にメンバーを組んで、チームエントリー。

映画祭がスタートすると、まず各チームに、テーマや登場人物の設定、使用必須の小道具、台詞など、条件が与えられます。

それらの条件をクリアする映像作品を、48時間以内で脚本、撮影、編集まで行い、完成させるのがルール。

2001年から世界各都市で開催されている、グローバルなコンペティションです。

 

 

 

去年同様、横浜創作オフ会で知り合った、『おとめ座蝶映河団』代表の髙畑颯人/雪夜彗星さんにお声がけ頂きました。

夏野は引き続き脚本担当として、遊木と霧島は撮影見学という形での参加です。

 

撮影現場にお邪魔したのが映像ド素人の二人だったので、業界のルールや慣習もわからず、何かとご迷惑をおかけしたと思います。

にもかかわらず、カメラを覗き込める距離での見学、機材や撮影方法の解説など、本当に親切な対応をして頂きました。

終始和やかな現場で、休憩時間には別の撮影現場のお話や、現在取り組んでいる活動についてなども伺うことができました。 どの話題も大変興味深かったです。

 

貴重な体験をありがとうございました!

 

 

 

というわけで、こちらが本日、大阪市立男女共同参画センターで上映される『ライフ・ノイズ』の予告編とポスターです!

 

 

 

 

オフショットもご紹介!

※監督からネット上での掲載許可を頂いています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後になりますが、参加したRandom Walkメンバーの感想です。

 

 

▼夏野あかり(脚本)

シナリオとして参加しました!
昨年もお誘い頂いたので、高畑組には二回目の参加です。

お題の発表を受けて、脚本をあげるまでの制限時間は、およそ四時間。
アイデア勝負。だけど当然、崩壊しちゃいけない。撮影は翌日。
ロケ地、役者、スタッフ……様々な条件の中で、シナリオを考えます。

オンラインのシナリオ会議は、賑やかで、発見も沢山。
こういう映像がいいよね、こういう風に見せたいよね……など、シナリオ担当だけではなく、監督や、演出、役者の方なども交えて、アイデア出し。
アイデアを組み合わせて、一つのシナリオに仕上げていくのが、とても楽しかったです!

仕上がった映像を見て「あのシナリオがこういう風に映像になるんだ!」と感動。
やっぱり映像はいいな〜と、思える体験になりました。

 

 

▼遊木秋勇(見学)

今回のお誘いで現場を見学させて頂き、感じたことの一つが、「映画と漫画の画角の作り方は、かなり似ている」という点です。

特に、漫画のデジタル作画が主流になった昨今、簡単に拡大縮小が出来る点や、3D素材を配置してアタリを取る手法などが、キャストを配置して、レンズを絞る様と重なりました。

かつて、さいとうたかを先生は劇画調の漫画が出始めた頃、「一人で映画がつくれる!」とテンションが上がったそうですが、まさに、映画と漫画は「気持ち良い画角の作り方」が、感覚的にかなり近いように思えます。

 

一方で明らかに違うのは、光と音の作り方でした。

音は言わずもがなですが、光の作り方が、想像以上に「違うなぁ~!」と感じました。

漫画の陰影表現は、結局のところ自分の手で描くしかないので、その分自由度も高く、濃くするのもゼロにするのもある意味簡単です。 一方、実写の陰影は現実のあらゆる光源に左右されるので、正しい知識と経験が必須のように感じました。

デフォルメが土台にある漫画と、リアリティが土台にある映画では、いわゆる“っぽく見せるための嘘”もまったく違う箇所があり、光の表現がその代表のように思えます。

 

ただ、やはり一番の違いは集団で制作しているか否か、ということでしょう。

今回お邪魔した現場は、とても和やかな雰囲気で、撮影時のコミュニケーションもテンポよく行われている印象でした。

集団ならではの苦労やハプニングもあるでしょうが、それ以上に、一緒に制作しているからこその閃きや相乗効果が大きいように感じます。

漫画家も編集さんと打ち合わせしたり、アシさんと意見交換する人もいるでしょうが、基本的に単独プレイなので、対話相手で一番多いのは内なる自分なんですよね……。

 

とにかく、今回は大変有意義で楽しい経験をさせて頂きました!

 

私が初めて映像を制作したのは、大学の授業です。

以降も、たま~にAfter Effectsをいじったり、GoProを持ち出したりしていますが、実写に関しては「何をどうしたら、何が上達するのか」ということがてんでわからず、積極的には取り組んできませんでした。

今回の現場見学の経験を活かして、ちょっと映像作品作ってみたいな……。

 

 

▼霧島凜(見学)

映像に関して全く知識がなく、お誘いいただいた時に「取材兼ねて遠くから見学させて頂きてえ〜」と思ってたのですが、当日はかなり間近で色々拝見することができてとても勉強になりました。

 

やはり漫画畑の人間なのでまず最初に気になったのは脚本。
前日完成したというシナリオを読ませていただいて、第一印象としては内容がすごくわかりやすくまとまっているなと思いました。

48時間での制作ということで、映像自体の長さも短いためキャラクターの説明などで尺をとることができないので、これくらいのわかりやすさは観客としてもちょうど良さそうだなと。

 

撮影はとてもテンポ良く行われている印象でしたが、人数が多いことや高価な機材を扱うこともあって、コミュニケーションの重要性を改めて実感しました。(普段黙々と1人で作業してるので)

その場その場で化学反応が起きているような様も側から見ていて面白く、大人数で一つのものを作る醍醐味のように思います。

 

あと使っている機材…普段それこそ画面の向こうでしか見たことがないようなものがたくさんで、それだけで興味深かったです。

個人的にはマイクで音を収録している時の機材の感じ(腕の角度とか)がかっこよかったので模写したかったです。

 

「映像は同じシーンを何度も撮る」というような話をよく聴いていましたがまさにその通りで、体力はもちろんのこと忍耐力も必要そうだな…と思いました。

これは撮影陣も演者さんもそうですね。

 

漫画に通じるところも多々あるなと感じたのですが、1番印象的だったのは光の作り方でした。
演出の一つとして光や影を使うことは漫画でもありますが、朝昼夜の光をライトを使って作っているのは映像ならではという感じで面白かったです。

 

今回は本当に貴重な体験をさせていただき大変勉強になり楽しかったです。ありがとうございました!

 

 

 

 

 

改めて、今回はRandom Walkにお声かけ頂き、ありがとうございました!

もし機会がございましたら、今度は何か一緒に制作したいですね。

 

 

Random Walk

本当は漫画の「チ。」の感想でも書こうと思ったのだが。

須々木です。

 

時事ネタと言うほどではありませんが、先日は衆議院選挙がありましたね。

タイムラインを見ていると、知っている人も結構「投票してきた」ツイートをしていたりします。

しかし、「年輩の方々と比べて、若い年代の投票率が低くてヤバいね!」みたいな話題はよく聞きます。

実際、世代間で投票率の偏りが大きければ、候補者も「年寄りが票を入れてくれそうなことを言っておこう」となるわけで、日本の根本的かつ厄介な問題である少子化には明らかにネガティブな影響を及ぼすのでしょう。

とは言いつつ、各個人は各個人の考えで行動するので、投票に行くかどうかは当然自由。

社会の大義のために投票に行くべし!など現代で通用するわけがありません。

 

投票に行かない人が行かない理由は、平たく言えば「自分が1票入れてもなにか変わることなどないだろう」でしょう。

これに対し、熱心に論理的に説得を試みる人もいたりしますが、個人的には「ごもっとも」と思います。

「その1票で大きく変わったことは歴史上いくつもあるんだ」と言う反論もあるかもしれませんが、それもちょっと弱い気がします。

というか、投票に行かない人は、そんなことに興味はないでしょう。

「1票を投じて未来が変わる」は、「宝くじを買って未来が変わる」に期待するのとだいたい同じという気がします

 

とすると、逆に「自分はなぜ行くのか?」となります。

確かに、育ってきた環境、特に親が投票に行くか行かないかの影響は大きいでしょう。

それでちょっとだけ考えたところ、新ネタとして「この1票に価値があると思いたいだけではないか」という考え方もあるのではないかと思いました。

「たくさんの票が投じられる中で、自分の1票に大した価値はない」とすると、これは「たくさんの人間がいる中で、自分一人の人生など大した価値はない」とほぼ同じ気がします。

多数に埋没する個人の価値は如何ほどかと。

それで大抵の人は、理屈とは別の次元、すなわち願望込みで「一人一人に価値があるんだ!」と言いたくなるわけです。

漫画でもアニメでも小説でも歌でも繰り返し語られ、叫ばれてきたわけです。
 

ただ、1票には価値があまりないかもしれませんが、その1票を積み重ねた先に当選があります。

1人でできることは限られている、というか、たぶんほとんど何もないけれど、集団になればもう少し足搔くことができます。

学生が5分勉強して受験に合格する確率が変わったりしないでしょうが、その5分を積み重ねないと何も変わりません。

1日の頑張りで人生は変わらないと思いますが、それを積み重ねないと何も変わらないでしょう。

 

ゆえに、1票を軽んじるのは、小さなことの積み重ねを軽んじることに相当し、小さなことの積み重ねを軽んじていると成長のチャンスを逃して碌なことにならない。

ということで、屁理屈をこねた結果、やっぱり投票には行こうという結論に落ち着きました。

あくまで個人的見解として。

 

あと、小さなことをしっかり積み重ねていこう、と。

今更ですが。

 

 

※オチなし。

※本当は「チ。」の漫画を最後まで読んだので感想でも書こうと思いましたが、思いっきりネタバレなので自粛しました。1人では変えられなくても、1つの世代で変えられなくても、積み重ねれば何かが起きるのだ。

 

 

sho