本当は漫画の「チ。」の感想でも書こうと思ったのだが。
須々木です。
時事ネタと言うほどではありませんが、先日は衆議院選挙がありましたね。
タイムラインを見ていると、知っている人も結構「投票してきた」ツイートをしていたりします。
しかし、「年輩の方々と比べて、若い年代の投票率が低くてヤバいね!」みたいな話題はよく聞きます。
実際、世代間で投票率の偏りが大きければ、候補者も「年寄りが票を入れてくれそうなことを言っておこう」となるわけで、日本の根本的かつ厄介な問題である少子化には明らかにネガティブな影響を及ぼすのでしょう。
とは言いつつ、各個人は各個人の考えで行動するので、投票に行くかどうかは当然自由。
社会の大義のために投票に行くべし!など現代で通用するわけがありません。
投票に行かない人が行かない理由は、平たく言えば「自分が1票入れてもなにか変わることなどないだろう」でしょう。
これに対し、熱心に論理的に説得を試みる人もいたりしますが、個人的には「ごもっとも」と思います。
「その1票で大きく変わったことは歴史上いくつもあるんだ」と言う反論もあるかもしれませんが、それもちょっと弱い気がします。
というか、投票に行かない人は、そんなことに興味はないでしょう。
「1票を投じて未来が変わる」は、「宝くじを買って未来が変わる」に期待するのとだいたい同じという気がします
とすると、逆に「自分はなぜ行くのか?」となります。
確かに、育ってきた環境、特に親が投票に行くか行かないかの影響は大きいでしょう。
それでちょっとだけ考えたところ、新ネタとして「この1票に価値があると思いたいだけではないか」という考え方もあるのではないかと思いました。
「たくさんの票が投じられる中で、自分の1票に大した価値はない」とすると、これは「たくさんの人間がいる中で、自分一人の人生など大した価値はない」とほぼ同じ気がします。
多数に埋没する個人の価値は如何ほどかと。
それで大抵の人は、理屈とは別の次元、すなわち願望込みで「一人一人に価値があるんだ!」と言いたくなるわけです。
漫画でもアニメでも小説でも歌でも繰り返し語られ、叫ばれてきたわけです。
ただ、1票には価値があまりないかもしれませんが、その1票を積み重ねた先に当選があります。
1人でできることは限られている、というか、たぶんほとんど何もないけれど、集団になればもう少し足搔くことができます。
学生が5分勉強して受験に合格する確率が変わったりしないでしょうが、その5分を積み重ねないと何も変わりません。
1日の頑張りで人生は変わらないと思いますが、それを積み重ねないと何も変わらないでしょう。
ゆえに、1票を軽んじるのは、小さなことの積み重ねを軽んじることに相当し、小さなことの積み重ねを軽んじていると成長のチャンスを逃して碌なことにならない。
ということで、屁理屈をこねた結果、やっぱり投票には行こうという結論に落ち着きました。
あくまで個人的見解として。
あと、小さなことをしっかり積み重ねていこう、と。
今更ですが。
※オチなし。
※本当は「チ。」の漫画を最後まで読んだので感想でも書こうと思いましたが、思いっきりネタバレなので自粛しました。1人では変えられなくても、1つの世代で変えられなくても、積み重ねれば何かが起きるのだ。
sho