民の声新聞 -24ページ目

【17カ月目の福島は今】高線量の須賀川市・長沼地区を歩く 

原発事故から間もなく1年半。相双地区ばかりが注目されるが、中通りにも依然として放射線量の高い地域がある。JR東北本線・郡山駅から南に2駅。福島第一原発から70kmに位置する須賀川市もその一つ。広大な水田の片隅では0.6μSVを超え、スーパーマーケットの駐車場では18μSVを記録した。炎天下の須賀川市を線量計を手に歩いた。そこには、復興の名の下に隠され始めている被曝の危険性が浮かび上がっていた。


【スーパーの駐車場で18μSV超】

 福島原発から70kmも離れた須賀川市。東北本線・須賀川駅から国道118号線を車で30分ほど西に行った旧長沼町は、依然として放射線量が高い地域として、知る人ぞ知る〝ホットスポット〟が点在する。

 「ながぬまショッピングパーク・アスク」も、その一つ。

 出張修理の途中に立ち寄ることが多いという自動車整備工の男性(39)=西白河郡矢吹町=は、見慣れた広い駐車場の片隅に私を誘導すると、角を指さした。「あそこに直置きしたら、とんでもない数値になるはずです」。
 男性の言う通り、線量計を置いた途端に数値は一気に上がり、18μSVを超えた辺りで止まった。男性も、ここまで数値が上がるとは予想外だったようで、驚いた表情を見せた。

 「ここは、以前からドライバーの人気スペースなんですよ。誰だって広い駐車場の真ん中で弁当は食べたくないでしょ?だから、自然と隅っこが人気になるわけです。私もここでよく昼飯を食べたものです。最近来た時も7μSVぐらいあったので心配していていましたが、ここまでとは…」

 汚染に気付いたのも昼食時だった。原発事故後、車に載せていた線量計はどこへ行っても高い値を示し、すぐに警報音を鳴らした。あまりにうるさいので、アラーム設定を10μSVに変えていたという。

 「ある時、弁当を食べていたら線量計が鳴り出したんです。これはやばいと思いました。相双地区、飯舘村だけではない、須賀川も汚染されているんだと。でも、多くの人は汚染の実態を知らないまま生活を続けているんですよね」

 仕事柄、車で広範囲に移動することが多いため、行く先々で線量を測り、時には動画をネット上にアップした。郡山市のカルチャーパークは「市民の要望が多い」との理由で原発事故後1カ月ほどで再開されたが、入場口の地面は9μSVあったという。また、白河市内の中学校では、屋外で写生している所に通りかかった。生徒たちが座っている辺りで数μSVを計測したため、すぐに学校に連絡した。インターネットにアップした動画には「不安を煽るな」「復興の妨げになる」などと、批判のコメントも少なくなかった。だが、自身も5歳の娘と7カ月の息子の父親。長女は最近まで、マスクを離さなかった。原発事故で消防無線が避難を呼びかけたが、保育士として働く妻を残して逃げることはできなかった。だからこそ、せめてきちんと数値は把握したい、数値を多くの人に知って欲しいという想いがある。

 「何もしないで黙っている方が、よほど復興の妨げになると思います」
民の声新聞-アスク②


民の声新聞-ながぬまショッピングパーク「アスク」
スーパーマーケットの駐車場。やや低くなって雨

水が集まりそうな一角に線量計を置くと、18μSV

を超えた=須賀川市志茂字六角

【間もなく始まるコシヒカリの出荷】

このスーパーの裏には水田が広がり、稲穂が頭を垂れている。境の土手に線量計を置いたら軽く2μSVを超えた。ため息をついて立ち上がると栃木県黒磯市から車で50分かけて来ているという納入業者が声を掛けてきた。

 「2μSVですか…。これが高いのかどうなのか、危険なのか、正直なところ良く分からないんですよね。黒磯でも、場所によっては1.3μSVなんていうところもある。汚染は福島だけの問題じゃないんだね。この辺りの米も、昨年は検査に引っかかったものもあった。今年はどうなのかね。福島米は何だかんだ言ってかなり流通しているからね」。最後は思わせぶりな笑みを浮かべて車に乗り込んだ。

 市内の真ん中を東西に走る国道118号線沿いは、広大な水田が並び稲穂が頭を垂れている。その7割がコシヒカリ。福島県は全国4位の米どころと言われているが、須賀川市内でも3800戸以上が農業を営んでいる。

 国道118号沿い水田の一角では、線量計は0.6μSVに達した。同市内の土壌汚染は小さくなく、昨年10月の市の測定で、浜田地区で1kgあたり約21000ベクレルを記録。今年6月でも岩瀬地区の土壌は同16000ベクレルを超えた。
 福島県では、早場米の全袋検査が始まった。須賀川市の橋本克也市長は6月の市議会で、農地の除染について「国や県の実証実験の結果から、反転耕や深耕が有効な手法として推奨されておりますので、これらにゼオライトに代表されます放射性物質吸着剤やカリ肥料などの吸収抑制剤など土壌改良資材の併用により対応するとともに、反転耕や深耕が不可能な農地につきましては土壌改良資材により対応するなど、農地の条件に応じた適切かつ効果的な除染を実施し、生活空間全体の放射線量の低減化を図ってまいります」と答弁している。

民の声新聞-須賀川市の稲穂


民の声新聞-須賀川市の水田
全世帯の1/7が農業を営んでいる須賀川市。主要

品種コシヒカリの出荷が間もなく始まる

(いずれも8/22撮影)


(了)

フルーツ王国を支える桃農家の怒り~原発事故前の土地と信用を返せ

「フルーツ王国」福島に、実りの秋がやってくる。車道の両側に多くの果樹園や直売所が林立する飯坂温泉近くの「フルーツライン」では、桃から梨、ブドウにメイン商品が移り始めている。福島原発事故から1年5カ月が経ち徐々に客足は戻りつつあるというものの、事故前に比べれば売上の減少ぶりは著しい。農家は〝封法被害〟だと怒り、嘆き、除染の効果や検査体制の厳格さを強調する。真夏のフルーツラインを歩き、農家の本音を聞いた。損害賠償では取り戻せない、愛着ある土地を汚された怒りが充満していた。


【農家が欲しいのは金でなく事故前の土地】

 福島市内に生まれ育った女性は、「農家の嫁」として果物づくりに必死に取り組んできた。

 夫の父親が始めた果樹園は、通称「フルーツライン」の一角にある桃のほかリンゴやサクランボ、プラムなど、四季折々の果物が実る。ようやく「お宅の桃じゃないと駄目だ」と遠くから買いに来てもらえるようになった。家族が食べていくにも困らない程度の収入も得られるようになった。ここまで50年以上かかった。それをすべて台無しにしたのが、福島原発の爆発事故だった。

 「私たちが何か悪いことをしましたか?何も悪くないでしょ?果物というものは、作り手によって味が違うんです。除染して、土を入れ替えたりしたら、同じ味を作り出すのにどれだけ年月がかかるか分かりますか?東電幹部も政治家も、すべてを駄目にしたくせに現場にも来ないで浜通りばかりに顔を出す。中通りの農家の話も聴いてほしいですよ」

 昨年の価格の暴落ぶりはすさまじかった。これまで千円で出荷できていた桃は、百円でも買ってもらえなくなった。大幅な収入減は想像に難くない。税理士が過去の収入からはじき出した損害賠償額をJA経由で提出したのは今年に入ってから。そのため、請求額の半分も支払われていないという。

 「『どうせ農家は東電から金をもらえるんだろ?』という言葉を良く耳にするけど、冗談じゃないですよ。ふざけるなと言いたい。そもそも東電から支払われるのは請求額の80%だし、そこからJAへの負担金が差し引かれるから、結局は半分くらいしか手元には残らない。双葉郡の方々は、黙っていても預金口座に東電からお金が振り込まれるらしいですね。億万長者が何人もいるというじゃないですか。そういう人々と一緒にしないでいただきたい。そもそもお金の問題じゃないですから。私たちは金が欲しいんじゃない。原発事故前の土地と桃への信用を返してほしいだけなんです」

 まだ寒さ厳しい今年初め、枝に雪が残る中、除染をした。なぜ、被害者である自分たち農家がこんなことをしなければならないのか、激しく腹が立った。「東電社員に、スーツの上から雨具を着て実際に参加して欲しかった」。せん定した枝は、除染後であっても燃やしてはいけないと、行政から指導されているため最近まで処理できずにいたという。「除染後の枝は、燃やしても環境に影響が出ないと聞きましたよ。そもそも、昨年こそ除染もせずに燃やしていたんですから。おかしなことだらけです」。

 自身も母親。「子どもになるべく食べさせたくないという気持ちは分かる」。しかし、現状はやはり〝風評被害〟であると語気を強める。

 「数値の見える化?では何ら検査をしていない他県産と10ベクレルと書かれた福島産の桃が並べてあった時、普通は他県産を買うでしょ?数値が低ければ買いますか?結局は福島産というだけで避けられてしまうのではないですか?今年は検査が徹底しているので安全なのに…」

 今年の桃は雨が少なかったため比較的小ぶりながら、糖度は高いという。
民の声新聞-福島桃
たわわに実った桃。生産者は「厳格な検査体制の

下に出荷しているから安全」と強調する

=福島市飯坂町のフルーツライン


【激減した観光バスでの桃狩り】

 福島県の桃の生産量は全国の約20%。全国生産量の1/3を誇る山梨県に次いで2位だ(3位は長野県の13%)。中でも「あかつき」は県内生産量の50%を占める代表品種で、贈答用としても長年、重宝されてきた。

 ある果樹園では、夏休みになると親子連れを乗せた観光バスが駐車場を埋めていたが、昨年はゼロ。今年も「例年の1/10どころではない」と激減している。桃の木がある一帯は、土が全て銀色のシートで覆い尽くされている。本来なら根元の周囲だけしか覆わないが、土の汚染防止をアピールするために全面的に覆うことを決めた。しかし、客の呼び戻しにまではつながっていないのが実情だ。

 ある農家の女性は、同じ母親として福島県外の母親の気持ちに理解を示した。

 「もちろん安心して福島の桃を食べては欲しいけれど、逆の立場になったら私も同じ行動をとるでしょう。私だって、子どもを育てた時にはいろいろなことに気を遣ったもの。特に子どもたちには私は勧められないです」。この女性は、首都圏の小売店の多くが検査結果を掲示せずに桃を販売していると聞き、大変驚いていた。「当然、検査結果も添付して売られているものだと思っていた」。

 別の女性は、桃をむきながら「安全ですから、多くの人に食べてもらいたいわね」と話した。「甘くて美味しいですね。でも、子どもたちには食べさせられないという大人の気持ちも分かってください」と言うと「そうね…」と深いため息をついた。果樹園を作り上げた夫は6年前に他界、息子が引き継いだ。もうすぐ巨峰の季節がやってくる。
民の声新聞-桃の果樹園
ある果樹園では、地面をシートで覆っている。

「土がむき出しでは日々汚染しているのではない

かとお客さんが心配する。農家なりに努力してい

るというアピールです」


【除染していない医王寺は0.7μSV】

 源義経の子、継信・忠信兄弟の菩提寺として知られる医王寺は、除染を一切行っていないためか境内の放射線量が0.5-0.7μSVと高い。1689年、「奥の細道」の旅程で立ち寄ったとされる松尾芭蕉の句碑も建立されているが、やはり0.5μSV。地面真上では0.8μSVを超えた。

 住職も弱り顔をするばかり。「除染など、まったく順番が回ってきません。通学路などが最優先なのでしょう。原発事故から手つかずです。0.7ありましたか…」

 門番をしている女性は、家庭菜園が趣味だが子どもたちには食べさせられないという。「あの子たちは福島の食材は使いません。先日もナスを作ったんですが、土を全部入れ替えて栽培したらようやく食べてくれた。やっぱり土からの被曝が怖いですからね。桃も今年も売れなかったのではないでしょうか」

 飯坂町に50年以上暮らしている男性は「放射線量が下がったと言われているが、実際には大して下がっていない。私の家だって雨どい直下で1.0μSVあるし、空間線量だって0.3-0.4μSVはあります。除染なんかしていませんよ。第一、除染で生じる汚染土や汚染水の持って行き場がないから、行政からは除染しないように言われているんだから」

 近隣の家族は、幼い子どもを連れて山形県に移住した。同じ福島市内に住む娘夫婦は、友人らとグループを作って県外から野菜などを取り寄せている。「私のような年齢では良いんですが、やはり子どもたちが心配ですよね。まだ福島はこういう状態なんだと、多くの人に知ってもらいたいです」
民の声新聞-医王寺
除染を一切していないという医王寺。源義経公ら

の像がある広場では0.7μSVに達した

=福島市飯坂町

(了)

【17カ月目の福島は今】外遊びを再開した2回目の夏休み~保護者は諦めと葛藤と

街から子どもの姿が消えた昨年の夏休みから1年。早くも、福島市内の公園では子どもたちの歓声が響いていた。「もう放射能なんか気にしないよ」と言い切る小学生。健康被害への不安を抱えながらも子を公園に連れてきた母親や祖母。原発事故から17カ月目の福島には、放射線量への慣れと苦悩と諦めと葛藤が渦巻いていた


【苦悩の末に孫を公園に連れ出した祖母】

 少年は歓声をあげながら祖母の自転車を飛び下りた。

 福島市の新浜公園。少年が一目散に向かったのは噴水池。

 「あーあ、もうびしょびしょだ」。祖母が目を細める。少年は、水遊びが出来る喜びを全身で表すかのように水面を足で蹴ったり、両手で水をすくったりして遊んでいる。悲鳴とも歓声ともつかない声をあげながら走り回った。はち切れんばかりの笑顔。しかし、祖母の表情は複雑だった。

 「自宅は信夫山の麓、福島テレビの近くです。あの辺りはまだまだ放射線量が高くて、今まであまりこの子を屋外には出さないようにしていたんです。通っている小学校の屋外プールも使わないくらいですから。でも、小学校1年生なりにストレスが溜まるんでしょうね。家の中で暴れるんですよ。手が付けられなくなってしまう。だから、時々こうやって遊ばせに来るんですよ。やっぱりうれしいんだね」

 本当は連れて来たくはない。しかし、家の中では満足に身体を動かせない…。被曝の不安を抱えながらの外遊び。だからせめて、濡れるのは承知でTシャツを着せたまま遊ばせた。時間もなるべく短く。「この環境で上半身裸になるなんてとんでもないです。まったく、どうしてこんなことになってしまったのかね…。一人8万円のお金をもらったってしょうがない」。

 孫のシャツがびしょ濡れになったのを機に、祖母は「おうちに帰ろう」と声をかけた。わずか十数分でも満足した表情の少年。再び祖母の自転車にまたがり「バイバイ」と手を振りながら自宅に帰った。

 別の女性は、生後10カ月の孫をベビーカーに乗せていた。男の子は、真夏にしては涼しい風を受けてスヤスヤと眠っていた。

 「初めて外に出したんですよ。中学生のお兄ちゃんは反対したんだけどね。『ばあちゃん、大丈夫か』って。でも、外の風が気持ちいいのかね、すっかり眠っちゃった。家では泣いてばかりなのに…」

 その兄は、夏休みを利用して鹿児島県に保養に行った。小学5年生の妹はもうすぐ、北海道に保養に行く。嫁は、割高でも福島県外の食材しか使わない。被曝の懸念が無いはずがない。それでも、孫を屋外に出してあげたかった。嫁に叱られるのは承知の上だ。

 「この子の将来が本当に心配。原発が憎いよ」。女性は険しい表情でそう言って、自宅に帰って行った。

 公園の片隅に設置されたモニタリングポストの数値は0.2~0.3μSV。しかし、実際にはそんなに低い放射線量ではないことなど、この街では常識だ。
民の声新聞-新浜公園
真夏の陽射しの下、水遊びを楽しむ少年。祖母は

「身体のためになるべく短時間で」と十数分ほどで

帰宅した=福島市新浜町


【危ない、だけでは何も前に進まない】

 公園では、田村市の小学生たちがお弁当を食べていた。公民館の事業で、新聞社やヤクルト工場などを見学するプログラム。声をかけると、女の子たちが不思議そうな表情でこちらを見つめた。

 「放射線量ですか?うーん、去年の夏休みは今よりもっと意識していたけれど、今年はもう全然、考えなくなりました。もう1年以上経ってるし、全然何とも無いし…」

 子どもたちは、食事を済ませると遊具の周囲で歓声をげた。その姿を見守りながら、引率の田村市職員は言った。「当初は予定に無かったが、思いのほか涼しいのでここで昼食の時間にしました。短時間ですから。心配なさる方も多いけれど、昨年に比べれば放射線量はぐっと下がりましたからね。徐々に原発事故以前の姿に戻して行かないといけません。危ない危ない、だけでは何も進まないです」。

 公務員の女性は原発事故前、この公園で娘を遊ばせながら近くの図書館で借りた本を読むのが楽しみの一つだった。被曝を避けようと昨年はやめていたが、1年ぶりに双子の娘と公園を訪れた。

 「感覚がマヒしてしまったのか、自分の心をごまかしているのか…。この公園も一応、除染されたようですし。ここで生活している以上、仕方ないという部分もありますね」

 小学生になって初めての夏休みを迎えた娘たちは、仲良く遊んでいる。「常に室内で遊ばせるのとこうやって外遊びをさせるのとどちらの方がリスクが高いのか良く分からないですね。避難した方が良いのだろうけれど、私も福島で働いているし、住宅ローンもまだ30年近く残っていますから。なかなか簡単にはできないですね」

 そうやって話している間にも、次々と親子連れが入ってくる。街から子どもの姿が消えていた昨夏とは一変した今年の夏休み。ある母親は言った。「これでもまだ、少ない方ですよ。原発事故前はもっと多くの子どもたちが遊んでいましたから」。

 職を追われた大臣の言葉通り、1年前は死んだような街だった福島市。こんなにも早く子どもたちの歓声を聞くことになろうとは想像だにしなかった。放射線量は依然として高い。時の流れとは本当に恐ろしい。
民の声新聞-初めての公園
涼しい風を受けて眠っていた男の子は、祖母に

促されてようやく目を覚ました。「早く帰らないと

嫁に叱られる」と女性は苦笑交じりに家に向かった


【商店街を活気づけるのは子どもたち】

 市中心部で開催された「福島七夕まつり」。色鮮やかな飾り付けの中に、「ぷりきゅあになりたい」「サッカー選手になりたい」など、子どもたちの夢が綴られた短冊が見える。その中にも「原発いらない。つつましい生活を取り戻そう」「一日も早く帰村できますように」「放射能に負けないぞ」などと、原発事故や被曝への大人たちの想いもあった。母の願いだろうか「早く砂場でたくさん遊べますように」「外でいっぱい遊べますように」「何事も無く元気に成長しますように」と書かれた短冊も。

 長年、通りで靴店を経営する女性は「昨年は、本当に子どもたちの姿が無かった。今年の夏は、かなり戻ってきてくれてうれしい」と目を細めた。商店街の仲間との会話では、除染の話など被曝の話題が日常的に上る。現在の状況が、子どもたちの身体にとって決して好ましくないことなど良く分かっているつもりだ。それでも、やはり子どもの姿が通りに見られないのは寂しかった。

 「古くから店をやっていた人が次々といなくなって、後ろ向きになっていたところにあの震災。商店街を活気づけてくれるのは、やはり子どもなんです」

別の店では、浜通りのワカメなど水産加工品が人気だったが、津波で軒並み仕入れ先が工場を流されてしまったという。停電で町中が薄暗かった震災直後、人通りのほとんど無かった昨夏を思うと、少しずつ街に戻ってきた子どもたちの姿はうれしいという。

 「もちろん、被曝してほしくないし心配です。でもやっぱりうれしいんですよ。これでもまだ少ないですけどね」

 近くの青果店では、最盛期を迎えた桃「あかつき」が一個400円で売られていた。

 「昨年のように送り返されることはなくなったけれど、それでも、お中元の件数は原発事故前の半分です。安心して食べて欲しいです」と経営者。県による検査は一部をサンプリングしたもの。数値表記も無い。桃が終わると梨の季節がやってくる。
民の声新聞-福島七夕まつり
3日間にわたって開催された「福島七夕まつり」では、

母親の想いが綴られた短冊も多く見られた


(了)

母子避難と虐待を考える② ~原発事故がなければわが子に手をかけなかったか 

7/27号「避難先で逮捕された母親は、原発事故がなければわが子に手をかけなかったか~母子避難と虐待を考える」について、実際に首都圏に母子避難をしている女性からメールが寄せられた。一方、逮捕された母親を良く知るという方からは、母親の素行自体を疑問視するコメントも。依然として福岡県警久留米署に拘留されている母親。来週にも起訴されるか否かの判断が下る

【避難母子が孤立せず悲しみを共有できるように】

 九州での虐待ですが、事件についてよく分からない。
 以前から虐待があったのか、いつからあったのか、兄弟や家族構成、福島での暮らしと何がどう変わったのか…。一概には何とも言えないと思います。
 一方で、孤立した母親の不安、心細さ、疲労、ストレス…。そういったいろいろなものが積み重なり構築されるやり場のない感情。その矛先が子どもに向いてしまう恐れは私も日々感じています。
 些細なことで強く叱りつけ、「叱る」ではなく怒ってしまったり、あと一歩道を踏み外したら、ブレーキがきかなくなったら、私だって娘に手をあげる可能性は日常の中にゴロゴロ転がっているように思います。他人事では無いんですよね。

 ただ、原発事故がなければ虐待に至らなかったのか、私には疑問です。
 やり場のない感情を、最も身近で、自分より弱い存在の子どもに対してぶつけてしまう、ぶつけ方の度が過ぎてしまう。それは子どもを一人の人間とみていないからではないでしょうか。夫婦やパートナー間でのDVも、相手を敬わない、一個人として扱わない、自分の所有物としてみなす。そういったことが原因のひとつにあるように思えます。

 子どもへの虐待も親のそういった意識が問題ではないでしょうか。
 イライラした時、ストレス発散にお皿を割れるお店があるそうですが、お皿ではなく子どもにイライラをぶつけるのは、極端な話、お皿と子どもを同一レベルでとらえている…ということですよね。
それは母子避難しなくても、他の理由でも、周囲から見たら何が原因か分からないことでも起こり得たのではないでしょうか。可能性の話になるとキリがないですが…。
 私自身も、娘を一個人として敬い、親として叱り躾ける。それができているか、と言えば大いに不安です。
 道を踏み外さないでいられる、ブレーキがかかるのは、自分の精神的な脆さ、弱さ、娘の肉体的な脆さ、弱さを心に留めているからかな、と思います。
 良い警鐘になりました。
 心が疲れ果てて、ブレーキがかからなくなっては危ない、と。やっぱり、他人事じゃないですね。同じような事件を起こさないためにも、多くの避難している母子が孤立することなく、不安や悩みを打ち明けられ悲しみや憤りを共有できれば良いな、と改めて思いました。
 そのために必要なことは何なのか、他の避難ママと話していきたいと思います。

民の声新聞-母子避難
母子避難をしている母子も参加した文科省への

抗議行動。今回の事件では「困ったことが無いか

声を掛けていたのに」と憤る人もいる


【困ったことが無いか声かけしていたのに…】

 確かに原発事故がなければ、避難しなくて良かったし、そのためのストレスも受けなかったかも知れない。でも、そのストレスの1つに小さくなって暮らしている、というのはどうだろうか。

 今回の虐待の女性の近所に住んでいるが、皆、大変な経験をした方だからと家財道具の寄付や、困ったことが無いか声かけもしていた。だけど、この女性は通行中の子供にクラクションを鳴らし睨み付ける、当て逃げをする、深夜に大音量で音楽を鳴らすなどをしていた。

 世話好きな年配の方にも怒鳴るなどして怖がられていた。それでも、差別していたなど、近所の人間が悪く言われなければいけないのだろうか?


◇   ◇   ◇


 福岡県警久留米署幹部によると、7月23日に傷害容疑で逮捕された母親は26日に福岡地検に身柄を送検され拘留が決定。「8月14日が拘留満期だから、そこまで取り調べることになるだろう」。子どもたちは、児童相談所に保護されているという。

 母子避難中の事件だったが、夫を福島に残しての避難か否かについては「被疑者のプライバシーに関わることなので答えられない」。また、福島に住んでいた頃から日常的に子への虐待が繰り返されていたのかについても「公判を控えていることなので話せない」とするにとどまった。


(了)

【16カ月目の福島は今】 放射線量を気にしていたら生活できない~郡山市を歩く

原発事故から500日以上が経ち、福島で暮らす人々の放射線量への警戒感はかなり薄れた。いや、意識から取り除かないと生活していかれないのが実態。県外避難が一巡し、様々な事情で福島にとどまっている人々も、放射線量が高いことは分かっている。それでも福島で生きていくには、放射線による健康被害の懸念など無いものにしないといけないのだ。昨年から続けてきた郡山取材は2度目の夏を迎えた。郡山市民は放射線量に慣れたのではない。目をつぶることでようやく歩き出せているように映った。



【取り壊したガレージは2μSV超】

 郡山市役所の裏手に、広い農地がある。現在、立派に育っているのはサツマイモとキュウリ。ミョウガも作っていたが、放射性物質による汚染を懸念してやめてしまった。手入れもできず、伸び放題になってしまっている。畑の周辺は、手元の線量計で0.6-0.7μSV.。

 「0.7もあるのか…高いな。除染?そんなの何もやってないよ。行政の除染もない。第一、除染したところで取り除いた草や土を持って行く場所はあるの?ないでしょ?やりようがないよ」

 父親から農業を引き継いだ男性(52)が苦笑した。自身が小学生の頃は父親が酪農も手がけ、肉食用の牛や豚も飼われていた。「収穫した作物からは100ベクレルを超える放射性セシウムは検出されていない。出荷価格も安定してきた。事故直後は葉物がまるで駄目だったから」と話すが、先行きは不透明だ。

 原発事故後に取り壊したガレージのがれきを測定してもらったら、2μSV.を超していた。処分したくてもなかなか業者が見つからず、ようやく放射性物質を処理できる産廃業者に引き取ってもらえたという。

 降り注いだ放射性物質がこの先、どの程度の健康被害をもたらすのか、農地周辺の道路は子どもたちも通る。この先、何をすれば良いのか、何もしないまま半減期を待てば良いのか、さっぱり分からないことが漠然とした不安をかき立てる。

 農地の横に、道具小屋がある。

 「昨年は、トタン屋根からの雨水が溜まる辺りで5μSV.以上もあったんだ」と男性。指さす辺りに線量計をかざしてみると、1.3μSV.前後だった。「ああ、下がったね。何もしなくてもどんどん下がるものなんだね」。男性はうれしそうな顔を見せた。 

 5μSV.から1.3μSV.へ。そして小数点が持つ魔力。

 しかし、喜んだのもつかの間。1.3μSV.が決して低い数値でないことにすぐに気付いた。

 「やっぱり高いね…」
 猛暑が過ぎれば、収穫の秋がやってくる。

 農地の除染予定は、ない。
民の声新聞-郡山市①
郡山市役所近くのサツマイモ畑は、0.6-0.7μSV。

主は顔をしかめた。「除染なんかしてないよ。だっ

て、除染したところで汚染土の持って行き場がない

だろ?」


【放射線量の高さを意識したら息もできない】

 郡山市役所に隣接する市のこども総合支援センター「ニコニコこども館」には、吹き抜けを利用した屋内遊び場があり、子どもたちの歓声が響いている。県教職員の宿泊所だった施設を利用して、国のまちづくり高h金で2009年にオープン。雨天時の遊び場を、と屋内遊び場を設けた。市想定の3倍近いペースで利用者は伸び、今年6月8日には通算利用者が80万人を超した。「震災の影響はゼロではないだろうが、原発事故以前から多くの市民に利用してもらっていました」と郡山市こども部の担当者は話す。

 「放射線量?まったく気にしていません。もともと自然界に存在していたものでしょ?気になんかしていたらキリがありませんよ。我慢できない人は、とっくに避難したんじゃないですか?ここは涼しいから良く利用しています。この暑さじゃ熱中症になてしまいますからね。被曝回避のためではありません」
手作り弁当を持参してママ友と訪れていた20代の母親はきっぱりと言った。その言葉に、ママ友も大きくうなずいた。私を見る眼差しは、にらみつけるようでもあった。

 神奈川県茅ケ崎市出身の女性(33)は、2歳を過ぎた息子を遊ばせていた。

 放射線量に対する不安は、実は小さくない。

 昨年は、夫を郡山市に残し、茅ケ崎市の実家に母子避難をした。郡山に戻る日、地元の友人から「〝汚染地帯〟に帰るのか」「幼い息子だけでも茅ケ崎に置いていけ」と言われた。自分自身、新幹線を降りるとき、放射線量の高さを考えたら胸がドキドキしたことを良く覚えている。意識しないわけがない。

 「でもね、考え始めたら普通の生活が送れなくなってしまいますよ。呼吸さえできなくなってしまう。だから考えないようにしています…」

 夫は仕事の都合で郡山を離れるわけにはいかない。避難をするなら再び母子避難だが、「昨年、しばらく離れていたせいか、息子があまり夫になつかないんですよね」と、夫と子どもが離れ離れになることを思うと二の足を踏んでしまう。であれば、普通の生活を送ろうと考えた。移動は今まで通り自転車で。息子との散歩も今まで通り。それに、郡山には共通の悩みを抱えたママ友がいる…。

 「ママぁ」

 甘えん坊の息子が両手を広げて近づいてきた。よいしょと抱き上げる。「そろそろおうちに帰ろうか?」。息子にとってはここ郡山がふるさと。たとえ〝汚染地帯〟であっても。
民の声新聞-郡山市②
屋内遊び場で遊ぶ子どもたち。公園など屋外では

被曝の恐れがあるが、多くの母親が屋内遊び場を

利用している理由を「熱中症回避のため」と答えた

=ニコニコこども館

【郡山で生活していく以上、しょうがない】

 「原発事故から1年以上も経つと、感覚がマヒしてしまうのかな?」

 30代の父親は、息子と手をつなぎながら話した。厳しかった冬が過ぎ、暖かくなるにつれて子どもと外出する機会が増えた。

 「事故直後は、いろいろと考えましたよ。この子に健康被害は出ないのか、とかね。でも、最近は放射線量も落ち着いてきているし、ここで生活していく以上、しょうがないという部分もありますよね」

 開成山公園には、「除染を実施しました」と書かれた看板が至る所に設置されている。

 しかし、「開拓者の群像」前では依然として0.65μSV、バラ園に至っては1.1μSVを上回っている。JR郡山駅から開成山公園まで歩いたが、0.3μSVを下回ることはなく、公園に近づくにつれて放射線量は上がっていく傾向はこれまでと変わらない。

 進まない除染、放射線量を見なくなった大人たち…。一見すると、震災前と変わらない郡山の夏。しかし、確実に放射線は存在する。
民の声新聞-郡山市③
開成山公園内のバラ園。郡山市が除染を行った

が、7/23の計測では1.10μSV。依然として高線

量だ


(了)

2年ぶりの相馬野馬追~伝統と被曝のはざまで

相双地区に千年以上伝わる「相馬野馬追」が28日、南相馬市で始まった。3日間に渡る、馬と人の神事。放射線量は依然として高いが、2年ぶりの通常開催。伝統と被曝とのはざまで、多くの人が悩み、葛藤し、実現を決めた。参加者は何を思うのか。野馬追に携わる人々に聞いた。


【除染をしても0.4~0.5μSV】

 「やるからには、目一杯やりたいね」

 南相馬市原町区三島町の自宅前で、愛馬「ブラックボス」を鼻面を撫でながら副軍師・山田光男さん(65)は目を細めた。
野馬追は、幼い頃から憧れの的だった。

 今年で43回連続して馬に乗る。

 「出られる人は幸せですよ。お金もかかるし。生涯を野馬追に賭けたいくらいだよ」

 野馬追に過去6回出場している愛馬は、大震災から一週間後に岡山県に避難させた。1年4カ月ぶりの南相馬。この日のために、16万円かけて輸送した。3日間の祭りが終わったら、また岡山に戻す。

 昨年は、福島原発事故の直後で大幅に規模を縮小して開催された。メインの甲冑競馬や神旗争奪戦は中止された。実質、2年ぶりの祭事。

 「早い時期から市役所の職員と何回も除染について話し合ったよ。雲雀ヶ原祭場地の砂は入れ替えたし、草も2回刈り取った」

 それでも、市内には依然として放射線量の高い地点が点在していることや、住宅地では除染が進んでいないことも分かっている。祭場地は、除染前と比して放射線量はほぼ半減したが、それでもまだ0.4~0.5μSVの高さ。「高い場所では1.8μSVくらいあったんじゃないかな」。葛藤の中での開催。幼い子どもを参加させて良いのか、見物させて良いものか…。

 午前9時、副軍師のもとに御使番が迎えにやってきた。

拍手で家族に見送られながら、愛馬にまたがる。御神酒を口に含む。出陣だ。

 山田さんらが放射線量の高さを心配することなく野馬追を開催できるようになるまでに何年かかるのか。

 アスファルトを踏む蹄鉄の音が、静かな住宅街に響いた。

 「相馬流れ山」の流れる相馬太田神社に到着したのは約1時間後。白装束の男たちが神輿を出す。照り付ける陽射しの下、3日間にわたる伝統行事が始まった。
民の声新聞-野馬追①
御使番と共に相馬太田神社に向かった副軍師の

山田さん(右)。高い放射線量と伝統との間で葛

藤が続いた=南相馬市原町区


【海の男が苦悩する海洋汚染と地域経済】

 騎馬隊の中に、トライアスロンの日本代表としてシドニー、アテネの両五輪に出場したプロトライアスリート・西内洋行さん(36)の姿もあった。

 南相馬に生まれ育ち、南相馬の海でトレーニングを積んできた。

 事故が起きるまで、福島原発の存在を強く意識することはなかった。子どもの頃、社会科見学に行き「原発は絶対に安全です」というPR冊子をもらったことを覚えている。

 「甥っ子が、事故の2カ月前に社会科見学に行ったばかりだったんですよね。やはりPR冊子をもらってきたそうです」

 安全だ、と喧伝され続けてきた福島原発はしかし、巨大地震と津波で手の施しようのない危険な建物になった。愛する海は、放射性物質に汚染された水の大量流出で酷く汚されてしまった。

 「南相馬の海で練習することができなくなってしまいましたからね」

 海を汚された怒り、悔しさは想像に難くない。しかし、それでも慎重に言葉を選ぶのは、福島原発が地域経済を担ってきたという現実を知っているからだ。

 「多くの人が原発で働いてきたわけですし、東電の社員には、一緒にトライアスロンに出場した人もいる。悪いのは、隠蔽を図ろうとするごく一部の上層部ですからね」
 野馬追は、4年ぶりの5回目の出場。

 「自分たちの代で途絶えさせるわけにはいかないから」

 乗馬の練習も積んできた。

 共に出場するアドマイヤジェットは、中央競馬で3戦2勝の韋駄天。喘息が原因で引退したが、名門ノーザンファーム生まれの快速馬だけに、29日の甲冑競馬では一着も期待できる。

 祭りが終われば、9月に佐渡で開催されるアイアンマンレースに備える。

 「海の男」は怒りを胸に秘めて、今は野馬追に集中する。
民の声新聞-野馬追②
4年ぶりに野馬追に参加したプロトライアスリート

の西内洋行さん。慣れ親しんだ南相馬の海を汚

されたことへの怒りや悔しさは想像に難くない

【今年は何としても開催したかった】

 今回が初陣の男性(32)は、結婚を機に中通りから妻の故郷である南相馬市に移り住んだ。放射線量が決して低くないことは良く分かっている。「あえて線量の高い所には行かないけれど、過敏になったら生活が成り立たないですからね。あまり気にしないというのが現実かな」。電気店を営む女性も「一時期、兵庫県に避難していたけれど、商売をやっていると移住というわけにはいかないんですよね。お客さんから『まだ避難しているの?』って連絡が入っちゃうし…」と苦悩を口にした。

 野馬追には20年間参加しているベテラン組頭の男性も「今年まで中止にするなんて考えられなかったよ。何としても今年はやりたかった。野馬追は1年の節目のようなものだから」と話した。

 堀川史恵さん(18)は、父、兄と共に参加している。「85歳になる祖父も、足が不自由なのに『出たい』と言って道具を磨いています。昨年の中止は本当に悔しかったしさびしかった」。野馬追では、女性は20歳を過ぎたら参加できないため、来年が最後の騎乗になる。

 「もちろん、放射線量の高さを指摘する声もよく理解できます。でも、野馬追は特別なのです」

 長老の一人は、自分に言い聞かせるように言った。

 「今、心配しているのは内部被曝です。水や食べ物は、地の物は食べません。でも、外部被曝は、少々浴びても排出してしまう。ウランやプルトニウムなどのアルファ線は怖いですけどね、そうでなければ大丈夫です。ええ、一生懸命に勉強しましたよ」

 人体に悪影響を及ぼしかねない放射線の存在を否定する人はいない。福島市内から駆け付けた女性は、彼らの気持ちを代弁した。「そんな事言われなくなって分かってるよって、みんな言うでしょうね」。それでも伝統を守って開催する相馬野馬追は地域のつながりの象徴なのだという。

 今日29日は甲冑競馬や神旗争奪戦、明日30日には、馬を素手で捕まえて神社に奉納する「野馬懸」が行われる。

 主催者の一人は言った。

 「先人が尊い遺産として残してくれた野馬追を継承していかなければならないのです」

 私が浜通りの街で目にしたものは、理屈や正論を超越した伝統を守ろうとする気概だった。
民の声新聞-野馬追③

民の声新聞-野馬追④
0.4μSV前後だった雲雀ヶ原祭事場(上)。4月17日

に訪れた際は0.7μSV前後だった。除染をしても大

幅な線量低減は実現していない

(了)

避難先で逮捕された母親は、原発事故がなければわが子に手をかけなかったか~母子避難と虐待を考える

福島原発事故の影響を受けて福岡県に母子避難をしている母親が、わが子の首を絞める「虐待」の罪で逮捕されるという哀しい事件が起きた。原発事故さえなければ起こらなかった不幸な事件ではないかと考えた本紙では、実際に母子避難を続けている女性、福島県内で子どもを守る活動に従事している女性、保育園の現場で子育ての諸問題に直面している専門家に話を聴いた。母子避難を強いられなければ、母親は〝暴走〟しなかったか─


【避難者は避難先で小さくなって生活している】

 「他人事ではないね」

 小学生の息子と共に郡山市から神奈川県内に母子避難をしている女性(39)は、今回の虐待事件をニュースで知り、同じように母子避難をしている母親らと話し合ったという。

 「確かにその母親が避難前から虐待していたとも考えられます」と前置きしたうえで、「母子避難の母親はかなりのストレスを抱えている方が多いと思います。子ども達も環境が変わり、子育てに悩むお母さんも少なくないはずです。その悩みや相談ができる友人や場所があるならばまだいいですが、知り合いもいない避難先では中々難しいと思います」と、母親の心情をおもんぱかる。「虐待はあってはいけないし、福岡のお母さんを擁護する訳ではありませんが、やはり原発事故がなければこの虐待は防げたのではないかと考えてしまいます」

 女性は、「避難している人は、避難先でなぜか〝小さくなって〟生活しているように思う」と指摘する。

 「差別の心配、色々な支援を受けている事への申し訳なさ、自分達だけ遠くへ避難してしまっていることへの罪悪感…。堂々と〝普通の生活〟を送って当たり前のはずなのにそれができない。特に自主避難者は、小さくなって目立たないように生活しているように思います」

 そして「そういったストレスが虐待の一因になってしまっているんではないでしょうか」と分析する。「虐待まで行かずとも、イライラして子どもにあたってしまい、自己嫌悪に陥ってしまうという事はあると思います。避難生活が長くなり、こういった虐待の問題が今後増えてしまいそうで心配です」

 避難して孤独な母親をなくそうと、女性は都内で交流会を主宰するグループに参加している。参加者は増えているが、放射能に関して母親一人一人の考え方に違いがあり「言いたい事は全部言える訳ではなく、もやもやとした気分を引きずる事もある」と難しさも口にする。
民の声新聞-短冊
母子避難をしている方々の願いは、家族が再び

一緒に暮らすことだ


【母親も子どもたちもどちらも犠牲者だ】

 いわき市に生まれ育ち、子どもたちを被曝から守ろうと活動している女性(42)は、「子どもへの虐待は、母子避難をしている母親のストレスの蓄積において、私達が危惧していた部分の一つ。なんとも悲しい事件」と話す。

 「『どんな理由であれ、虐待は許されない』という考えも正論と言えば正論です。ただ、そんな正論は誰だって分かっていること」としたうえで「幼い子ども達を抱え母子避難していた母親の心理に寄り添ってくれる”絆”は、あったのでしょうか」と怒りを込める。「正論を並べて人の心を見ようとしないのは悲しいです」

 避難した母子の孤立、いつ帰れるか分からない先の見えない不安、そして、唯一の支えであるはずの夫の浮気や夫婦間の亀裂…。日々の活動を通して、母子避難にまつわる様々な問題が見えてきているという。「母子避難者の中には、旦那さんと意思疎通が出来ないままに避難した人も少なくありません」

 この女性は、「絆」という言葉が安易に使われることに違和感を覚えるという。原発事故さえなければ、起こらなかったであろう悲劇や見えなかったであろう人間の汚さ狡さを多く目にしてきたからだ。
 「原発事故後、外部の人達は福島県に住む人々に強く自主避難を勧めました。しかし今、自主避難した人々を”放射脳”と言ってのける人達も多くいます。避難先でも、瓦礫問題などで福島県からの避難者への風当たりが強くなったり、様々な問題がある。同じ福島県に住む人の中には、『放射脳だから悪い』というような心無い言葉を口にする人さえいる。目先だけの復興にとらわれ、大事な部分を見失っているのでしょう…」

 今回の事件も、母親も子ども達も犠牲者だと考えている。
「氷山の一角であり、避難先で苦しむ人や一人で重い荷物を背負いすぎてる人は沢山います」

 そして、苦労している母親たちに、一人で頑張りすぎないよう呼びかけるかのように締めくくった。

 「人間って、自分で思うよりも弱い生き物です」
民の声新聞-自主避難

昨年12月、文科省で自主避難をした方々が

「他と同等の損害賠償を」と抗議行動を起こした。

母子避難を強いられている女性たちもマイクを握り、

涙ながらに窮状を訴えた


【母親は周囲から適切な援助を受けられたのか】

 「震災後、母子5人で福島県から久留米市へ避難したことで、この母親には相当のストレスがかかっていたであろうことは想像に難くありません」

そう話すのは、静岡県内の保育園で副園長として日々、子育ての最前線にいる男性(42)だ。

 社会的な生活で遭遇し得るストレス要因を数値化する「ホルムス/ラーエスケール」に当てはめてみると、「仕事上の変化:39」「経済上の変化:38」「生活環境の変化:25」「習慣の変化:24」「労働時間などの変化:20」「娯楽の変化:19」「社会活動の変化:18」「家族の集まりの回数の変化:15」「食習慣の変化:15」等がほぼ同時期に発生したと考えられるという。

数値の合計は、213ポイント。このスケールでは、年間100ポイント以下に抑えることが心身ともに健康に過ごせる目安であり、300ポイントを超えると何らかの病気を引き起こし得ると想定している。「あくまで報道からの類推に過ぎないが、この母親はとても危険な状態であったと言えます」。

 昨年秋頃に児童相談所が介入した時点では身体的な虐待は無くネグレクト(育児放棄)のみであったこと、今回も長女に暴行したことを「よく覚えていない」などと供述しているとの情報から、母親はうつ状態だった可能性があるという。

 「児相などが、母親の健康状態をどのように捉えていたのかが気になるところです」。

 一方で、この母親のストレスと、原発事故および避難生活との間に明確な因果関係が存在するか否かについては「そうとは言い切れない」と指摘する。
男性は、「結婚や就職を機にうつやノイローゼを発症する方もいます。そうした方々を『弱い』『甘えている』と言う風潮には私は断固反対する立場ですから、この母親の窮状は理解したい」と話す。しかし、苦しみながらも克服して心身ともに健康な生活を営み続けられる人もまた、大勢いるのも事実だ。

 「今回のケースで言えば、2歳から5歳の子ども4人と母親だけで避難している辺りに、何らかの要因が隠れているように思えます。家族や親族の援助(物的・心理的の両面で)は得られていたのか、そうしたものが既に困難な状態であったのならば、児童相談所などの関係機関は適切なアセスメントを行えていたのかが気になるところ」と分析。「もし、避難生活をしていたことで、それまで受けていた援助が受けられなくなった、もしくは避難後に援助が必要な状態になったが適切に対応してもらえなかった、という事情があったならば、間接的に『避難生活が引き起こした虐待事例』と呼ぶことは出来るかもしれません」。

 男性はあくまで「虐待してしまったこと自体は正当化できない」との基本姿勢だが、「この母親を糾弾し処罰することだけでは問題の本質的解決にはつながらない」とも。
 「避難生活をしている方が、援助を受けられない(受け難い)状況があるのならば、援助者の増員、法改正等を含めた改善の働き掛けが必要だ」

民の声新聞-福島市の小学生
福島市内の小学校に通う子どもたち。原発事故

による〝被害〟は被曝だけではない


(了)

【原発県民投票静岡】集まった17万8千の署名~原発立地県の「民意」は届くか

浜岡原発再稼働の是非をめぐり、県民による投票を目指して署名集めをしていた「原発県民投票・静岡」は23日、法定署名数(約6万2000筆)を大幅に超える17万8240筆の署名を静岡県内各地の選挙管理委員会に提出した。福島原発事故後、電力消費地である大阪市や東京都で同様の署名活動が展開されたが、原発立地県で住民投票を求める署名が法定数に達したのは初めて。再稼働の是非は自分たちで決めたという民意は県議会に届くのか。答えは9月に出る。


【寄せられた署名は「地鳴りのようなうねり」】

5月13日から署名集めを続けてきたスタッフがこの日、静岡県内各地の選管を訪れ、署名簿を提出した。寄せられた署名数は、選挙人名簿登録人員数(有権者数)の5.79%にあたる。有権者数に対する署名率が最も高かったのは函南町で16.44%、次いで東伊豆町(13.85%)、下田市(13.43%)。逆に低かったのは小山町で0.43%、ついで御殿場市(1.56%)、浜松市浜北区(2.21%)だった。

各選管は、受理した署名に不備がないかチェックをする。代筆されたものや居住地以外で書かれたものなど明らかに不備と分かるものは既に事務局側で取り除いており、今後、さらに不備が見つかったとしても法定署名数を下回ることはない見込み。各選管での確認作業を終えた署名簿は一度、事務局に返され、改めて県の選管に提出される。県知事は20日以内に意見を付けた条例案を県議会に提出しなければならず、9月に予定されている県議会で審議されることになりそうだ。

静岡県庁で記者会見を開いた代表の鈴木望さん(前磐田市長、63)は「地鳴りのようなうねり、山が動いていくようなマグマを感じる。自分たちの想いを言わせてほしい、聴いてほしい、政治に反映させてほしいということの表れだろう」と、まず最初の関門をクリアした喜びを語った。

一方で、署名数の伸びなかった御殿場市では「私は静岡都民ですから」と断られるなど、原発立地県での署名活動の難しさも実感したという。

「準備期間が短かったこともあり、草の根が届かなかった地域や意識の掘り起こしができなかった地域があった。特定の党派とか組織に頼れば、もっと数字は伸びただろう。しかし、署名は目的でなくあくまで手段。選挙のように数の多少が直接、結果に結びつくものではない。右も左も関係ない地元住民による運動で集められた県民の声を、ぜひ知事や議会は尊重してほしい」
民の声新聞-署名簿
選管に提出された署名簿。法定署名数を大幅に

上回る17万8240筆が集まった

=静岡市葵区弥勒の興禅寺


【空港建設をめぐる住民投票条例案は否決】

署名活動の中心として奔走してきた興禅寺住職・成澤聰さん(57)はこの日の朝、積み上げられた署名簿を前に「昨日の夜になって、提出されていない署名簿がまだ受任者の手元にあることが分かりましてね…。深夜まで集計作業が大変でした」と苦笑。「でも、17万8千という数字は、素直にうれしいですね」と頬を緩ませた。

静岡県では2001年、静岡空港建設をめぐって反対運動が起こった。建設の是非は住民投票で決めようと、当時の有権者数の10%近くに達する29万余の署名が集まったという歴史がある。県議会に出された条例案は継続審査を経て否決された。

それだけに、成澤さんは「空港反対署名を超える30万筆の署名を集めよう」と心に期して活動を続けてきた。「静岡は文化の通過地。自分たちの主張を押し殺して受け入れる土地柄がある。問題をなるべく見過ごしたい、直視したくない気風があるようだ」と悔しさも滲ませた。

スタッフの一人をして「成澤さんだから、皆がついて来られた。人格者です」と言わしめるほど人望が厚い。「ゆうべなんか、スタッフからお礼を言われて涙を流していたんですよ」

段ボール箱に入れられた署名簿を車に積み込みながら、「暑いのは大変だけど、晴れてくれて良かった」とまぶしそうに空を見上げた。

走り続けた2カ月間。

闘いの舞台は県議会へ。

「もっと浜岡原発のことを知ってもらうために活動を広げていきます。県民が、賛成、反対両方の考えを精査して投票できるようにしたい」

署名集めの達成感に浸る間もなく、頭の中は次の作戦でいっぱいだ。
民の声新聞-成澤さん
集まった署名を車に積み込む成澤さん。

「浜岡原発は、どこかできちんとけじめをつけな

ければいけない。議員がきちんと仕事をしてくれ

れば、こういう運動も必要ないんだ」


【議員を選ぶ投票は良くて原発の是非は駄目?】

原発の是非をめぐる住民投票に対しては「住民の意識が未成熟のまま投票を実施すると賛成が多数を占め、結果的に原発推進派を利することになる」との批判が少なくない。

「日本で国会がつくられた時の議論とまったく同じですよ。国民は愚かだから投票なんかさせたら大変なことになる、と。愚民思想はあれから何十年経っても変わらないんですね」

スタッフの一人として県民投票実現を目指している静岡市議の宮澤圭輔さん(33)はため息をつく。

「では、国政選挙は良いのか、と言いたいですよ。議員を選ぶのは良くて原発再稼働の是非を投票するのはいけないのか。新しい事を始めようとすると必ず反対の声があがりますね。仮に賛成が多数になってもやらなきゃいけないんです」

静岡市内在住の女性スタッフ(39)も「署名活動を通して、みんな口には出さないけれど浜岡原発について思うところがあると良く分かった。そういう人たちが意見を述べられる場としての投票は必要だと思う。原発立地県で投票が実現しなかったら、私たちはただの納税者にすぎないのか、主権者ではないのかということになってしまう。若い世代の人たちに自分で考えることをしてほしいんです。だから、何としても県民投票を実現させたい」と話した。

投票そのものに反対する声があることは、成澤さんもよく分かっている。

「もちろん、再稼働に賛成する答えが出たら、真摯に受け止めなければならないでしょう。しかし、だからといって何もしないのか。浜岡原発については、どこかできちんとけじめをつけなければいけないんです。それが今なんです。そもそも議員がきちんと県民の方をを向いて仕事をしてくれていれば、こんなことをしなくても良いんです。それが私の答えですよ」

(了)

浪江町に帰りたい、本当に再び住めるの?~浪江町の子どもたちの叫び

福島原発の爆発事故、放射性物質の拡散により全町民避難を強いられている浪江町。中通りや福島県外に避難している小中学生のうち、約1200人が自由に綴ったふるさとへの想いを、本人の直筆そのままに一冊にまとめた冊子がある。「なみえの子どもたちの想い」。決して読みやすい字ばかりではないが、それが逆に、子どもたちの率直な怒りや哀しみを伝えている。希望と絶望に満ち溢れた子どもたちの想いを紹介する


【大人になったとき、浪江町はどんな町になってほしいですか?】

・原発事故の前のように、放射能の心配のないきれいな浪江町になってほしい

・大人になったら、というしつもんがとてもかなしいですが、しょうらいはぜったいしんさいまえのなみえにもどっております

・この町に生まれて良かったと思う町になってほしい

・田んぼやはたけの米ややさいを食べたい

・浪江町がまえのような町になっていてほしい。でも、もうそれは90%ムリなことだと思います

・川に鮭がのぼる、祭りでにぎわう、3月10日までの平和だったあの浪江

・もう、もとの浪江町にはもどらない。じょせんしてもじょせんしきれないとおもう

・ぼくたちが働いて絶対に昔のようにしたい

・ほうしゃのうがなくて、じゆうな生活ができる町

・緊急事態の時にすぐに対応できる町

・わらびがとれるきれいななみえ町になってほしい。じいちゃんは、わらびときのことりのめいじんです

・マスクをしないで、浪江町の空気を吸えるぐらい浪江町の空気が前のようになってほしい

・原子力発電所のない浪江町。ふあんのない浪江町

・自分のふるさとだと、ほこりに思える町

・戻れる保証は無いと思います

・私は帰る気がないため、とくにありません

・何も思いうかばない。町はなくなっていると思う

・大人になって帰れるの?

・希望が持てない

・原発が遠い所にある町

・今は、何も考えることができない!

・書いたところで、どうにかなっているものなんですか?
民の声新聞-浪江町


民の声新聞-浪江町②
多くの子どもが「震災前の浪江町に戻っていてほしい」

と期待を寄せた(上)。しかし、中には「日本の地図から

無くなっていると思う」と書く子も(下)



【町長にお願いしたいこと】

・はやくかえらせてください

・浪小においてきたランドセルは、もってこれないんですか?

・あと何年ごに帰れますか?

・役所ばかり除染しても帰れないし、意味ないじゃないですか。お金の無駄ですよ

・若い世代の話も聞いてほしい

・ぼくたちのみらいを考えてください

・はやくせんせいやともだちにあいたいです

・除染はむりなので、ほかに家をつくってください

・浪江中学校の友達といっしょに卒業式ができるようにしてください

・苅野小学校のじょせんと通学路のじょせん

・なみえ町のじょせんは無駄なのでしなくていいと思う

・浪江町をなくさないでください

・僕は心に深い傷をおったんだ

・ちゃんと仕事しろ!

・なみえのせきにんをとってください

・防護服でもなんでもきるので、1回くらい私たちを町に入れてください

・学校からランドセルを持ってきてください

・津波で全てをなくしたので、残った請戸小学校だけでも見たいです

・自分の家あってひなんして、いわきで7回目です。もういやです。はやく、おちつく家ほしいです

・あまり今の学校にはなじめなくて、震災などでお金が無く、塾にも通うことができなくなり、成績も落ちてきていてとっても不安です

・東京電力にボロクソにもんくをいってください

・志望校の情報がなく不安

・ぼくたち子どものこともちゃんと考えてもらいたい

・アンケートを書いていて涙がでてきました

・子どものいけん、気持ちも聞いてください

・新潟でも甲状腺の検査ができるようにしてください

・ネコをさがしてください

・浪江町に帰れるわけないのに、帰れるって言うな
民の声新聞-浪江町③


民の声新聞-浪江町④
「浪江町に帰りたい」と町長に望む声が圧倒的に

多かった(上)。除染に関しては、その効果を疑問視

する子どもが少なくなかった


【町は「大人以上に悩み、苦しんでいることが見えてきた」】

アンケートは今年1月、小学1年生から中学3年生までを対象に郵送で実施された。

回答者数は1217人で、回答率は71.7%。

浪江町の担当者は、寄せられた子どもたちの想いについて「子どもたちは、大人以上に悩み、苦しんでいることが見えてきた。ふるさとへの強い想いと復興への願いを持っていることも分かった」としている。全文を原文のままで掲載したことに関しては「たくさんの子どもたちの想いを、そのまま町民の皆さんに見て欲しかった」と話している。

(了)

「特定避難勧奨地点」がもたらした地域破壊~高線量の伊達市・下小国地区

誰が決めたか「特定避難勧奨地点」。依然として1~2μSVと高線量の集落は、年間積算放射線量が20mSVを超えるか否かで分断され、無用の対立が生まれてしまった。指定から外れた住民は、指定を受けた家と同様の各種減免措置をと訴える。指定を受けられた住民もまた、指定されなかった住民への気遣いで疲弊している。原発事故を境に、挨拶を交わすことさえ少なくなったという。自然豊かな山村、伊達市霊山町下小国地区。線量計を手に歩いた。



【2.2μSVでも指定されず】

なぜこんな目に遭わなければならないのか。

取材に応じた母子は、にらみつけるような視線で言いようのない怒りを表していた。

下小国地区に戦前から4代続く酪農家。50頭の乳牛と、その堆肥を活用したアスパラガス。

原発事故がすべてを狂わせた。

生乳は出荷停止になった。自慢の生乳を日々、500kgも畑に廃棄した。汚染された牧草は行き場を失い、畑の隅に高く積み上げられたまま。多くの農家に利用されてきた牛の堆肥も、使用自粛が続いている。50頭の乳牛から排泄される糞は膨大な量になるが、日々増えるばかり。

「今はもう、汚染された飼料を与えていないから堆肥として使えるはずなんですけどね」

4代目の息子(29)が苦笑交じりに話す。臭い、雨で流出する…。日々感じる近隣からの圧力。原発事故さえなければ。そこに追い打ちをかけたのが、「除染の効果で放射線量が下がった」として見送られた特定避難勧奨地点の指定だった。

「玄関前で2.2μSVありました。さほど数値の変わらないはずの目の前の家は指定された。幼い子がいても指定されない家もあるらしい。なぜ地域で一括指定をせずに家ごとにするのか。しかも説明会もない」

60aあるアスパラガス畑は、昨夏には5μSVもの値を示した。だが、指定から外れたことで住民税や固定資産税の減免は受けられない。生活は原発事故以前のままで、生乳やアスパラガスの売れ行きだけが落ちた。

伊達市役所には、顔を覚えられてしまうくらいに足を運んだ。どれだけ制度の弊害を訴えても受け入れられることはなかった。正論を声高に叫べば叫ぶほど、頭のおかしい、うるさい市民というレッテルを張られた。

「『特定避難勧奨地点』になんか指定されなくて良いから、せめて周囲と同等の減免措置を受けさせてほしい。私たちは原発事故後も同じように税金を払い、水道光熱費を負担してきた。手にしたのは、『精神的被害』という名のわずかな補償金だけ…。原発事故当時にさかのぼって返してもらいたいくらいだ」

東電の補償金も、アスパラガスを出荷して初めて、従来の単価との差額をようやく得られる。特定避難勧奨地点の指定を受けられれば、せめて各種減免措置を受けられれば、腰を据えて立て直しを図れる。

自宅の前に、生後わずか1カ月の仔牛がつながれていた。

汚染された草を口にしてしまう恐れがあるため、放牧は許されない。

その姿が酪農家の悲哀を表しているようで、哀しかった。
民の声新聞-乳牛
民の声新聞-牧草
下小国地区で育てられている乳牛。原発事故の

影響で5頭が死んだ(上)。下は行き場のないまま

仮置きされ続けている汚染牧草。空間線量は軽く

1μSVを超える


【自宅裏の雨どい直下で最高136μSV】

土木建築製材業の男性(68)は、近くマイカーを買い替える予定でいる。あえて新車ではなく、中古車を選んだ。これまでの蓄えを活用するだけなのに、特定避難勧奨地点に指定されたことによる〝特需〟だと評判が立つのを避けるためだ。

「何を言われるか分からないからね」

実際、指定を受けられなかった住民から「あんたはずるい。卑怯だ」となじられたことがある。「俺たちだって、なりたくて指定されたわけではないのにね」と苦笑する。だからこそ、彼らの心情にも配慮をし、不公平をなくそうと動いている。

特定避難勧奨地点に指定されたことで固定資産税などの減免措置を受けてきたが、それも3月末まで。最近、納付書が届いた。その背景には、指定の有無にかかわらず全住民が平等に措置を受けられるよう求めた請願書があるという。請願は市議会で採択されたが、男性は「仁志田市長は逆手に取ったんだ。だったら平等に課税しよう、と。逆だろう」と憤る。

自宅前には、主を失った牛舎が残っている。酪農家は特定避難勧奨地点に指定され、避難していった。わずかに家畜の香りが残る牛舎。近所の若い夫婦も避難先で出産したと耳にした。その裏で、進まない除染。学校敷地内の放射線量が下がったと喧伝される一方で、通学路は高線量のまま。文科省が、あえて放射線量の低い場所で測定するのを目の当たりにしてきた。

「山下某は年100mSVまで安全だと言うが、安全なら除染も避難も必要ないだろう。俺たちは彼を辞めさせるために署名活動もしたんだ。車だって、万が一のために保険に加入する。放射能も万が一のために被曝を回避する策を講じないと。来月から始まると言われている除染にも期待していないよ」
男性の妻が、自宅の草木を燃やした灰に線量計をかざすと、軽く17μSVを超えた。放射能汚染の現実。妻は言う。「伊達市の健康管理アドバイザーとかいう人が放射線より酒やたばこの害の方が健康に悪いと盛んに講演していますよね。でもそれは、あくまで平常時の話でしょう。これだけの高線量の中で、私らはそんな話は聴いている場合じゃないんですよ」

原発事故直後、国内の鉱石関連会社が売り出した線量計を購入した。自宅裏の雨どい直下で、最高136μSVを記録した。私の線量計でも85μSVを超した。自主的に高圧洗浄などで除染したとはいえ、自宅周辺は1.0μSVをわずかに下回る程度。「次に行かれるのはいつ?」。福島市内に住む可愛い孫を呼ぶことはなくなった。
男性は全国の原発推進派にあえて問う。

「除染で生じた汚染土や焼却灰を全国に運んで、自宅の庭に埋めてほしい。それでも良いなら好きなだけ原発稼働に賛成すれば良い。かつて、原発に反対すると『アカ』と呼ばれたものさ。でもね、結果として反対していた連中の主張は正しかったんだ」
民の声新聞-ひまわり
民の声新聞-85mSV
ほとんどの地点で1.0μSVを下回ることがない

下小国地区。ある民家の雨どい直下では85μSV

を上回った


【なぜ隣近所に気兼ねしなければいけないのか】

昨年6月に始まった特定避難勧奨地点の指定。

夫と専業農家をしている女性も指定を受け、息子夫婦は避難した。「一番高い時で3とか5(μSV)あった」と過去形で話すが、取材中も手元の線量計は2μSVを超した。自身も避難を考えたものの、90歳を超える親がいることもあり断念した。生産した農作物は、他地域のものより10分の1に買い叩かれる。特定避難勧奨地点に指定されたとはいえ、バラ色の生活が送れているわけではない。

「なぜ隣近所に気兼ねして生活しなければいけないのか。私も被害者ですよ。今までみんなで仲良くやってきたのに、あまり出入りしなくなってしまった。こんなもの、無くて良いあつれきですよ」

孫はやはり地元の学校で勉強したいと、避難先からタクシーで小国小学校に通い、卒業した。タクシー代は伊達市が負担しているが、健康被害は無いのか、心は傷ついていないか、日々心配しているという。「口数がすっかり少なくなってしまったからね。だから、せめて私くらいはなるべく明るく振る舞うようにしているんですよ」

バス通りに面した酒店の男性経営者は、生まれも育ちも小国地区。

「みんな数値に慣れっこになってしまっている」と嘆いた。「1.0μSVでも低いと感じる人がいるくらいなんだから。東京の人から見れば、どうしてそんな所にいまだに生活しているんだろうと思うだろうな。感覚がズレちまっているんだ」

間もなく大規模除染が始まろうとしている。一時的に下がった放射線量を掲げ、国や行政が安全性を喧伝するのは想像に難くない。

「放射線量が1.0μSVを下回ったら、ますます皆は安心してしまうだろう。でも、ここから農作物を出荷しても誰も買わないのが現実。タダでやると言っても受け取らないだろう。どちらが本当なんだ。特定避難勧奨地点のおかげで人間関係も悪化している。東京にいる政府の人間は、もはや福島のことなどどうでも良いんだろうな」

(了)