母の願いは「保養」でわが子の被曝低減~郡山市で避難・保養相談会
福島県内で今も続いている被曝からわが子を守ろうと、母親たちの〝頼みの綱〟となっているものの一つに全国の支援団体が実施している短期間の保養プログラムがある。国や行政の「安全安心キャンペーン」の下、福島県内からは被曝への危機感は薄くなるばかり。被曝を口にすれば地元で「神経質」「変わり者」と揶揄されることも少なくない。一方で県外避難も難しい…。そんな母親らが、週末や冬休みを利用して子どもを放射線量の低い土地に連れて行こうと、郡山市内で開かれた避難・保養相談会に集った。
【3カ月間で1mSV超の積算被曝量】
本宮市の母親(35)は、被曝が2人のわが子を直撃していることに心を痛めていた。
今夏、市の実施したガラスバッチによる被曝量調査で、小学校6年生の息子の3カ月間(7-9月)の積算放射線量が1.14mSVもの高い数値を示したのだ。これは、同時期に調査した本宮市の子どもの中で最も高い値だった。単純換算で年4mSVを超す被曝量。市職員が改めて測定したところ、自宅周辺の放射線量が高く、室内でも0.5μSVに達することが分かった。県外避難が頭をよぎったが、夫婦共働きであることが足かせとなった。逃げたくても逃げられない苦悩…。せめて被曝の軽減になれば、とこれまでも息子を一人で何度か保養プログラムに何度か参加させたが、今回は今年5歳になる娘も同行できる保養先を求めて相談会場に足を運んだ。
「週末だけでも私と2人の子どもで保養に参加すれば、自宅にいて被曝することを避けられます。今回、山形県に行かれそうな場所が見つかったので良かったです」と、母親は支援団体から受け取った多くのチラシを手に笑顔を見せた。現在、同じ本宮市内で放射線量の低い地域への転居を夫と検討中だ。
福島市の30代の母親は、原発事故直後から兵庫県の「宝塚保養キャンプ」に小学生の子どもを参加させている。クラスで唯一、給食の牛乳を拒否して水筒を持参させるなどして、わが子の被曝回避に努めてきた。それでも時間の経過とともに、被曝に関する話題を口にしづらくなっているという。
「文科省からの圧力なのか分かりませんが、『子どもたちの健康に影響はない』との姿勢は校長が替わっても同じですね。前例のない事故で、この先どうなるか分からないのだから、危険性はあるというスタンスで臨むのが自然でしょう?健康被害が生じる可能性はあるわけですから。どうしてそれができないのでしょうか」
1歳の息子とともに来場した本宮市の別の母親(35)は、妊娠初期に見た放射線量の数値が忘れられない。
「自宅アパートの雨どい直下で90μSVもあったんです。もはや不安を通り越して恐怖でした。つわりがひどくて県外避難もできないし、この子の身に何かあったらどうしようって悩みました。原発事故は私の責任ではないんですけどね。やっぱりやれることは全てやってあげないといけませんから、せめて保養に参加したいのですが、子どもが小さいと受け入れてもらえる保養プログラムも限られてしまって…。難しいですね」。内部被曝検査の際、問診した医師は、90μSVという数値について「線量計の故障だろう」と軽く一蹴したという。
郡山駅から市役所へ向かう「さくら通り」には、依然
として0.7-0.9μSVもの高い放射線量を計測するス
ポットが点在する。県外避難が難しいのなら、短期
間の県外保養でも被曝低減になる
【保養先から郡山に戻れば被曝回避は〝少数派〟】
保養先から福島に戻ってきた際の苦悩について明かしたのは、郡山市で小学校3年生と5年生を育てる母親。
「保養先では、郡山の汚染や被曝の危険性について気兼ねなく話せるし、客観的に福島の現状を見られる。だから自宅に戻りたくないけど、再び戻って住まなきゃいけないのが現実。郡山に戻れば被曝を意識して回避しようとするなんて少数派です。保養に参加してリフレッシュして戻ってストレスを感じる。いつもその繰り返しなんです」
原発事故など無かったかのような街の光景。「屋外活動3時間ルール」の撤廃された学校の校庭では、子どもたちが落ち葉や土に触れながら遊んでいる。子どもの被曝回避のために声をかけたいが、無関心な母親を前にすると躊躇してしまうという。
「安全だと信じきっている人に対していたずらに不安を煽ることにならないか、余計なことなのではないかと考えてしまい危ないとは言いにくい」と表情を曇らせる。一方で、子どもたちの被曝を低減するためには、そのような無関心層にも保養プログラムの存在を知ってもらい、参加してもらう必要がると話す。
「関心がなければインターネットで検索することもないだろうし、情報にたどり着かない。そもそも『保養』という言葉を聞いただけで被曝とイメージが重なり敬遠してしまう母親もいます。どうやって保養の裾野を広げていくかが課題です」。他の母親たちと頻繁に議論を重ねているが、妙案はないという。
幼い子どもを連れた母親らの熱気があふれた相談
会場(上)
参加した各地の支援団体は、これまでの受け入れ
実績を写真などでアピールした。写真は「福島こども
保養プロジェクト@練馬」(下)
【国の責任で代替の住まいを用意するべき】
相談会を主催したのは、被曝を避けるために避難した人々と全国の支援団体で構成する「311受入全国協議会」(略称・うけいれ全国)。共同代表の一人、早尾貴紀さんは山梨県で福島の子どもたちを受け入れている。参加した親子の5組に1組ほどは県外避難を検討しているものの、仕事の都合や親の反対などから実際に動ける人は多くないという。
「最近は、首都圏からの避難に関する相談が増えてきた。今後は、千葉県の松戸市や東京都葛飾区など首都圏でも相談会を開きたい」
新潟県から参加した「福島サポートネット佐渡」はこの夏も、佐渡島で2週間の保養キャンプを実施した。メンバーは「これだけ保養プログラムへの関心が高いのか」と驚いた表情。相談に訪れた人の中には、ほとんど自宅に戻らずに保養プログラムを利用しながら各地を転々としている人もいたという。「本来なら、国が責任をもって子どもたちの被曝回避のために代替の住まいを用意するべきだ」と話した。
相談会は12月2日も、会場を伊達市の「りょうぜん里山がっこう」(伊達市霊山町大石細倉17)に移して開かれる。10時-14時。
問い合わせは共同代表の早尾さん☎070(6615)2989まで。
(了)
司法は福島の子どもたちを見殺しにするのか~収穫無き「ふくしま集団疎開裁判」控訴審
またしても司法は郡山の子どもたちの県外避難に前向きな姿勢を示さなかった。「ふくしま集団疎開裁判」控訴審の第二回審尋は26日、仙台高裁で非公開で開かれ、高裁は山下俊一氏の参考人招致を再度拒否。弁護団は保養先で福島の子どもたちの甲状腺から無数ののう胞が見つかった検査結果を新たに意見書として提出する構えだが、収穫を得られないまま時間だけが経過していく状況に、関係者の焦燥感は募るばかりだ。次回の審尋は年が明けて1月21日14時。来春にも高裁の決定が下される見通しだが、子どもたちに寄り添った決定になる可能性は低い。
【山下俊一氏の参考人招致を再度、拒否】
弁護団によると、審尋は約20分で終了。今回も郡山市側からの反論は何も無かったという。
弁護団は前回(10月1日)の審尋に続き、再度、山下俊一福島県立医大副学長の参考人招致を要求。しかし、「書面で読んでばかりでは理解できないだろうから専門家に来てもらって直接、話を聴いてほしいと矢ヶ崎克馬琉球大名誉教授も含めた招致を求めたが、今回も拒否された」(光前幸一弁護士)。
井戸謙一弁護士は「裁判所は、低線量被曝について本格的に検証する意思が無いようで落胆した」。郡山市側の代理人に関しては「全く反論してこないのはけしからん態度。必要に応じて反論するという煮え切らない反応だった。このまま黙っていれば裁判所が良いようにしてくれるだろうという目論見なのだろうか」と批判した。
郡山市の子どもたちが昨年6月、市を相手取って安全な環境での学習を求めて訴訟を起こして以降、福島地裁郡山支部は福島原発由来の放射性物質による被曝論争に応じないまま、野田首相が「冷温停止宣言」をした昨年12月16日に申し立てを却下。仙台高裁での審尋も、芳しい反応のないまま次回審尋で終了。3月にも下される見込みの決定は、期待されるような内容になる可能性は低い。
会見で、井戸弁護士は原発問題と司法の独立性について、「裁判官の多くが周囲の空気を読みながら仕事をする傾向がある。枠からなかなかはみ出せないのは事実」としながらも「一人一人が正しいと思ったことを判決としたいという思いを抱いて裁判官を目指したはずで、そこをどう刺激するかにかかっている。決して崩せない壁ではない」と〝裁判官の良心〟に期待を込めた。
厳しい表情で記者会見に臨んだ弁護団。「司法の
壁は厚いが決して崩せない壁ではない」と勝利を
誓った
【保養先での検査で甲状腺から無数ののう胞】
新たに提出された書面には、福島の子どもたちの深刻な健康被害を示すものがあった。
弁護団によると、7月から8月にかけて約3週間、滋賀県の琵琶湖周辺に保養にでかけた福島の小・中学生の健康調査を行ったところ、甲状腺からのう胞が見つかったという。
健康調査は滋賀県の医師ら10人のチームによって行われ、血液検査や甲状腺のエコー検査などを実施。29人のうち19人からのう胞が発見され(うち1人は、二次検査を要するB判定)、17人は両葉性多発性のう胞だったという。29人の子どもたちは南相馬市など警戒区域外から参加していた。
井戸弁護士は「来日しているヘレン・カルディコット博士(オーストラリアの小児科医)が京都で講演を開いた際に検査結果を伝えたところ『聞いたことが無い』と驚き『あり得ない。オーストラリアで言えばニワトリの歯だ』と表現していた。そのくらい、われわれは前例の無い事態に直面しているということだ」と話した。見つかったのう胞は、一つ二つではなく、「無数にあった」(井戸弁護士)という。弁護団は、検査を実施した医師から意見書として結果をまとめてもらい、エコー検査の写真を添えて仙台高裁に提出する構えだ。
茨城県土浦市から裁判支援に駆け付けた生井兵治さん(元筑波大学教授)は「植物も人間も、あらゆる生物は仕組みは同じ。人間の被曝や突然変異だけみないことにしている科学者は、科学者ではない」と訴えた。
「空気中の放射性物質を植物が吸い込むと、1㎤あたりの濃度は260万倍に濃縮される。それを牧草に置き換えたらどうか。乳牛が汚染された牧草を食べればさらに濃縮が進み、その牛の乳を人間が飲むとさらに濃度が高くなる。とんでもない濃色の連鎖になるんだ」と、生井さんは内部被曝の危険性を語り、子どもたちの被曝回避を求めた。
郡山市内の安積黎明高校前では0.6μSV前後
(上=11/17撮影)
土浦市から駆け付けた、元筑波大学教授の生井兵治さん。
「弱い放射線量でも植物は突然変異を起こすことは学会
でも常識だ。あらゆる生物は仕組みが同じ。人間も低線量
被曝の危険を直視するべきだ」と訴えた(下)
=仙台弁護士会館
【地元・宮城からも「福島の子どもを守れ」の声】
審尋に先立ち、郡山市や東京から駆け付けた支援者らが、地元・宮城県の支援者とともにデモ行進。10月1日の初回審尋時同様、市心部を練り歩き「子どもを守れ」「きれいな大地で学びたい」「みんなで疎開、子どもはすぐに」と声をあげた。
デモ行進に参加した仙台市若林区の女性(31)は、「宮城県も女川原発を抱えているのに人々の関心が低い」と表情を曇らせた。震災後、市の緊急雇用で避難所の管理人を努めたが、放射線被曝を口にするのは難しかったという。「地震や津波の被害が大きく、それどころではなかったのも事実ですが、行政から送られてくるモニタリングポストの数値を張り出すのが精いっぱいでした。お母さんたちが子どもたちの被曝についてようやく口にするようになったのは、夏になってからでした」。
現在、北海道か西日本に移住するべく貯金を続けているという。
「女川原発が事故を起こしたら、宮城県の人々は大変な被害を受ける。だからこそ、福島の子どもたちの被曝は他人事ではないのです」
しかし、支援者の想いとは裏腹に、1年半にわたる法廷闘争も何ら収穫を得られないまま年を越そうとしている。
「原告の中には、裁判所の決定を待ちきれずに母子避難をしている人もいる。大変な苦労をして子どもを守っている。忸怩たる思いで郡山市に残り、生活を続けている人もいる」と柳原敏夫弁護士。井戸弁護士は「いつまで裁判を続けるのか」との指摘に「おっしゃる通りだ。何とかしてもう一度、裁判官の認識を変えたい」と答えた。光前弁護士は「裁判所というところは、はっきりとした健康被害が出ないと理解しない側面がある。しかし、健康被害は発生してほしくない。非常につらい」と苦しい胸の内を明かした。
高裁の決定が下される頃には原発事故から丸2年。司法がのらりくらりと被曝から目を逸らしている間に、時間だけが過ぎていく。
仙台駅周辺を練り歩いたデモ行進(上)。参加者は
藻い思いの表現で、子どもたちの被曝回避・疎開
実現を訴えた(下)
(了)
先の見えない避難生活への怒りと失望と希望と~なみえ十日市祭で聴いた浪江町民の本音
「元気だった?」。友との再会に肩を叩き、涙を流しながら抱擁をした。浪江町の秋の風物詩・十日市。今年も、避難者の多い二本松市内で開催された。地震と津波と放射性物質に襲われた浪江町民は、ふるさとに帰りたいという願いと、帰れないのかもしれないというあきらめの中で葛藤を続ける。会場を歩き、浪江町民の本音を聴いた。先の見えない避難生活、膨らむ政治への失望感、福島原発で成り立っていた商店街の現実…。避難生活は間もなく、21カ月を数える。
【町の再生に欠かせない「脱原発」後の経済基盤】
「浪江町に帰りたい。でも正直、帰れないような気もします」
ステージの真ん中で、浪江小6年生の女子児童は言った。
町の中心部で理髪店を経営していた60代の女性は、大きくうなずいた。「辛うじて建物は残ったけれど室内はめちゃくちゃ。後片付けもできていない。帰ったところで何もできないよね…」。町内でもひと際放射線量の高い津島地区に住んでいた女性も「除染なんて本当にできるのでしょうかね。東電から多額のお金をもらっているかのように思われているのかもしれないけれど、補償も進んでいないのですよ」と話した。
二本松駅前で引き続き居酒屋を営んでいる男性は「戻りたいけど無理だろうな。戻ったとしても商売が成り立つかどうか」と苦笑した。男性の店だけでなく、周囲の商店も一様に福島原発があったことで成り立っていた一面も否定できないからだ。「原発の〝恩恵〟を受けていたのは事実でね、それが無くなってしまったら…」。商工会の関係者も「町の経済は東電に頼ってきた。原発を失って今後、どうやって経済基盤を作っていくのか。それもないのに町民を戻しても駄目ですよ」と話す。
相馬市に避難している漁師の男性(29)は「船籍は請戸港だし、生まれ育ったふるさとは捨てられない。必ず町に戻りますよ」と力強く話した。
200以上あった仲間の漁船のうち、無事だったのはわずか7隻。自身も先日、港から300m離れた場所でスクリューを発見した。本来ならばシラス漁が終わり、正月用のマコガレイを水揚げしている時期。避難先では日当12000円のがれき撤去作業に従事し、生計を立てている。「前向きにがんばらないと何も始まらない」と自分を奮い立たせながら、「その日」を目指す。「海が好きでこの仕事に就きましたから、あきらめられないんですよ」と笑った。
浪江小学校6年生が作った「なみえカルタ」。
すべて過去形になっているのが哀しい
【コミュニティを分断しない代替地を】
浪江町出身の歌手・牛来(ごらい)美佳さん(27)は、娘(7)と共に避難している群馬県から駆け付けて「浪江町で生まれ育った。」などを披露した。国の示した3分割案には「何年かかっても全員が一緒に帰れるようにして欲しい。全部で浪江町ですから。3分割なんて納得できません」。
鉄工所を経営していた男性(44)は、会場の一角で仲間と「なみえ焼きそば」を販売した。太麺が特徴の焼きそばは、常磐道の開通や浪江インターチェンジ完成を前に町への集客の目玉になるはずだった。自身は南相馬市で溶接の仕事を続けているが、収入は1/4に落ち込んだ。「借金をするなら年齢的に今しかない」と家族のためにいわき市内に家を購入した。
「浪江のような田舎はコミュニティの結びつきが強いんですよ。それを分断しての再生などあり得ません。3分割案は人のつながりまで分割してしまいます。早い段階で政治の力で町ごと移転できるような代替地を用意して欲しかった」
一方で、「最近は『前向きに頑張っている』という報道が増えている。被曝は依然として存在するのに…」と不満も漏らした。避難先の二本松市も放射線量が低いわけではなく、十日市祭の会場となった二本松市市民交流センターは0.5μSV超。近くを流れる川べりの芝生では1.0μSVを超す。避難しても被曝が続く現実。「本来なら二本松市民だって県外に逃げなきゃいけない状態でしょう。国の〝安心安全〟発表なんて信じていません。大丈夫と言いながら、決まって後から影響が出てくる。今までずっとそうだったじゃないですか」。
大堀地区から本宮市内に避難している男性(52)も、原発事故など無かったかのような東京の雰囲気に驚いたという。
「新聞もテレビも何でもないことになっちゃってるもんな…。忘れるのが人の常だけれど、こうやって福島の被曝は忘れられていくんだね。でも、政治がそれでは困るな」
浪江町出身の歌手・牛来美佳さん。群馬県に母子
避難している(上)
歌などを披露した浪江小の子どもたち(中)
原発事故後につくられた民謡「ふるさと浪江」。
帰りたいけど帰れない町民の想いを表現した(下)
【民を守れない政治への失望と怒り】
震災後、初の総選挙が12/16に実施される。しかし、政治に対して募るのは失望感ばかりだ。
20代男性は「復興予算もあんな状態で…。政治家にはまったく期待していない」と言い切る。「東京でフカフカの椅子に座っては、被災者がどのような思いで汗水流して頑張っているか、分かるわけがないよね」。
50代の男性も「どこもあてになる政党も無いしね…。民主党は除染を進めてきたけれど、10μSVが仮に10分の1になったとして、それでもまだ1.0μSVある。年間1mSVなんてどうやって実現できるのかね。20年後?30年後?その頃、俺は80歳だよ。下の世代は戻らないだろうから年寄ばかりの町さ。でもね、期待はできないけれど政治に頼るしかないもんな」とあきらめ顔だ。
「ふくしまの再生なくして…と言い切った野田首相はなぜ衆院を解散してしまったのか。言葉を貫いて欲しかった」と批判したのは、先の鉄工所経営者。「〝第三極〟なんてもてはやされているけれど、被災地に目が向いていないでしょ。被曝とか復興とか、そういう言葉が橋下さんや石原さんの口から聞かれました?こうして私たちは忘れられていくんですよ」と怒る。
二本松市内に仮の工房を設けて活動を継続させている「大堀相馬焼」の組合。浪江は陶芸の町でもあった。「一番ひどい時に比べて放射線量は半分になった」と関係者が話す町内の工房は、依然として15μSVもの高線量。帰還のめどは全く立っていない。「300年以上の歴史を絶やすわけにはいかないです。でも、組合員もバラバラになってしまい、避難生活も先が見えない。これからどうなってしまうのか分かりません」。
冒頭の女子児童は「未来の浪江町の希望の光になりたい」とスピーチを締めくくった。彼女たちの被曝を回避して光を灯すのはわれわれ、大人の責務だ。
会場の「二本松市市民交流センター」に設置された
モニタリングポストの数値は0.5μSV超(上)。
会場横の六角川。芝生上では1.0μSVを超した(下)
(了)
【20カ月目の福島はいま】~高線量の郡山カルチャーパークと開成山公園
福島県・中通りでも特に放射線量の高い郡山市。遊園地や開成山公園のように子どもが多く出入りする施設も、依然として高線量が続いている。除染は進めど緩やかにしか低減されない放射線量。しかし、ここで暮らす人々の間には、あきらめにも似た空気がさらに広がっている印象を受けた。県外避難がひと段落し、「福島へ戻ろうキャンペーン」の大合唱。郡山の子どもたちは今日も、被曝を強いられている。
【放射線量を意識したら郡山では暮らせない】
須賀川市から来たという母親は、遊園地入口で私の線量計が0.6μSVを超したことを告げると驚いた表情を見せた。「そんなに高いんですか…。そこまで調べていなかった」。それでも、幼い2人の息子に促されるように、園内へと消えて行った。子どもたちは無邪気に歓声をあげている。管理事務所前に掲示された放射線量は0.52μSVだった。
JR東北本線・安積永盛駅の西、東北自動車道・郡山西インターチェンジから3分の場所にある「郡山カルチャーパーク」。市の外郭団体・観光交流振興公社の運営する施設で、遊園地や屋外プール、体育館や会議室などを備えている。園内への入場自体は無料。遊具を利用する場合でも100~300円と安価で、震災前までは山形県からも幼稚園児の団体が訪れるなど、一定の人気はあったという。
「震災でめっきり、利用者は減ってしまったね。ここの放射線量が高いことはうちらでも良く分かっている。被曝の危険を抱えながら遊ばせに来る人はいないわな」。閑散とし、秋色の落ち葉ばかりが目立つ「ドリームランド」園内で、初老の男性スタッフは苦笑した。
園内に入らずとも、広大な駐車場で1.2μSVを超す。園内も、0.5-0.6μSV。木枯らしのような寒風のためか、園内に子どもの姿がほとんど見られなかったのは幸いだった。「でもね、家でテレビを見させていても、子どもだってストレスたまるしね…」。郡山市内に住む30代の父親は、1歳と3歳の息子を遊ばせながら力なく笑った。
「原発が爆発した直後は山形県に避難していましたよ。でも、帰ってきました。放射線量が高いのは分かっているけれど、数値を気にしていたら郡山はどこも暮らせないですよ。それに、県外に逃げたところで、宮城や栃木、茨城だって汚染されているわけでしょ?どこに行っても同じです。モニタリングポストもあてにならないしね」
高線量の「郡山カルチャーパーク」。駐車場では
地上1㍍の高さで1.2μSV超。ドリームランド園内
でも0.6μSVを超した。来年3月の再開園までに
放射線量は下がるだろうか…=郡山市安積町
【駐車場の落ち葉は12μSV超】
管理事務所の職員によると、同パークは全ての芝生をはがすなど除染は行ったという。それにもかかわらず、施設内は依然として高線量。駐車場には大量の落ち葉がたまっているが、線量計を近づけると12μSVを超した。幼い子どもが落ち葉に触れたら…。考えただけでも恐ろしい。敷地の端に設置されたモニタリングポストが表示している数値は0.3μSV程度。公式な数字だけでは分からない深刻な汚染がここにはある。
事務所裏には緑色のコケや落ち葉が詰め込まれた透明なごみ袋が放置されていた。線量計の数値は36μSVを突破した。揺らぐ「除染をしたから安全」という除染神話。取り除いても処分できない汚染物質が放置されている実態。同パークは11月末で今シーズンの営業を終え、来年3月16日の再開園まで子どもたちが立ち入ることはないのがせめてもの救いだ。果たして、来春までに放射線量は低減されるのだろうか。
今月23日には、閉園を前に「ドリームランド感謝祭」が開催される。これだけ汚染されている遊園地に、あきらめ顔の親たちがわが子を連れて集うのか。子どもの命を守るなら、感謝祭に行ってはいけない。
「カルチャーパーク」駐車場にたまった落ち葉に線
量計を近づけると12μSV超(上)。管理事務所裏
に放置されたごみ袋は36μSVを超した(下)。施設全
体の深刻な汚染を如実に表している
【どうせ子ども産めないんでしょ?と女子高生】
郡山市の〝超ホットスポット〟開成山公園は今月末までの予定で、大規模な除染作業が進められている。土を入れ替え、取り除いた表土はフレコンバッグに入れて園内の一角に埋め立てている。
園内にいくつか設置されているモニタリングポストは0.3-0.4μSVを示しているが、手元の線量計は公園の遊具周辺で0.6-0.8μSVと高線量。野球場の外野芝生は依然として1.0μSVを超した。何回も訪れている開成山弓道場の雨どい直下は、いまだに10μSVを軽く超す。「除染神話」の下、開成山公園は閉鎖されることもなく、誰もが自由に出入りできる。
午後3時すぎ、幼い息子と散歩をしていた母親に被曝の心配はないか尋ねた。母親は怪訝そうな表情を浮かべると、毅然とした口調で答えた。
「放射線量は意識しないようにしています。強いてそうしているのではなく、この程度の線量なら子どもの健康に影響ないと考えていますから」
2人の近くに設置されたモニタリングポストが示した放射線量は0.358μSVだった。
女子高生(17)は、女友達と自転車を止め、ベンチで談笑していた。公園内は放射線量が高いから危険だと話しかけると、友人と顔を見合わせて弱り顔をした。
「放射線量は気になるけれど、昨年春の一番ひどい時に屋外で散々被曝しちゃったから…。どうせ将来ガンになるのなら今を楽しんだ方が良いかなって。子どもも産めない身体だって聞いたし。だって、奇形児が生まれちゃうんでしょ?」
県外に避難した友人もいる、被曝を意識していないわけではない、でも…。少ない言葉に凝縮された女子高生の哀しみ。大人には子どもの被曝回避に努める義務がある。
除染作業が行われている郡山市の開成山公園。
横を走る車道は0.5μSV超。駅伝のコースにも
なっている
(了)
【20カ月目の福島はいま】復興と伝統の陰で置き去りにされた被曝回避~須賀川・松明あかし
400年の伝統を誇る須賀川市の奇祭「松明あかし」が10日、開催された。伊達正宗との合戦で討ち死にした須賀川城の兵を弔う「鎮魂の祭り」。重さ3㌧もの大松明をはじめ20本以上の松明が燃える火祭りに今年も多くの観光客が訪れたが、依然として放射線量が低くないうえに市内産のカヤを使っての開催。大人たちは子ともたちの被曝回避よりも復興や伝統を優先した格好だ。
【神経質になったらキリが無い】
天気予報が外れ冷たい雨が降り出した須賀川市の中心部に、女子高生たちの「ワッショイ、ワッショイ」という勇壮な掛け声が響いた。「姫松明」。須賀川産のカヤが市内を練り歩く。
担ぎ手として参加した女子高生は首を傾げた。「被曝ですか?全く心配ではないと言ったら嘘になるけど…。家でも学校でも話題になることはないですね」
「中止?そんなものハナからあるわけないじゃなですか?もういいですか?」。約1カ月かけて大松明を作ったボランティアグループ「松明をもりたてる会」のメンバーは、「被曝」という言葉を耳にすると、みるみる表情が変わった。別の関係者が改めて取材に応じた。
「この祭りは400年の伝統があります。地元では絶やさないのが当たり前なんです。いくら原発事故があったからと言っても、『なぜ中止にしないのか』という問いかけは愚問ですよ。昨年だって中止という言葉は一切出ませんでしたから」
松明に使われるカヤは昨年は県外から調達したが、今年は須賀川市内で採れたものを使った。東北本線沿線で空間線量が0.3μSV前後、西側の地区では1.0μSVを超すことも珍しくない中で、市内のカヤを使っても大丈夫なのか、子どもたちに被曝の危険性は無いのか。この男性は「うまく付き合っていくしかないんですよ」と答えた。
「我々ではどうすることもできないんですから。現に放射性物質は存在するわけですしね。だから、100ベクレル以下のカヤしか使わないという基準をもうけたんです。神経質になったらキリが無いですよ。じゃあね、自然放射線量ってどのくらい存在するのか答えられますか?原発事故が起きたから100とか500とか言うんでしょ?もともと存在しているものなんでしょ?」
女子高生らに担がれて須賀川市内を練り歩いた
「姫松明」。担ぎ手の女子高生は「被曝?ほとん
ど気になりません」と話した
【「復興」の掛け声に消される被曝への不安】
須賀川市滑川に自然食レストラン「銀河のほとり」を開く有馬克子さん(53)=郡山市出身=は「あまり大きな声では言えないんだけど」と前置きしながら、松明あかしの開催に否定的な考えを示した。市内でも開催には賛否両論あるが、「復興」の掛け声に押されて、反対意見を言いにくくなっているという。「開催したいという自由は奪えないし、あれも駄目、これも駄目ではねぇ…。でも、子どもたちのことを考えると、賛成はできないのよね。主催者側の人たちも、心の中では心配しているんじゃないかしら」
14歳から26歳までの5人の子どもの母親。自然食レストランを始めて15年になる。河川工事などで現在の場所に移転をし、再オープンの準備を進めていたのが昨年の3月11日だった。「3.11は運命の日ね」と有馬さん。以後半年間は開店もままならず、支援物資の拠点として情報発信にも努めてきた。県外避難をした人、須賀川に残った人、様々な選択を見守ってきた。
「私の中にもいろんなものが共存していますよ。なるべく早く地消地産にもどしたいという自分もいるし、福島県民がくたびれているところに『もう大丈夫だ』と唱える人を送り込んでくる政府にも腹が立つ。いろんな考えの人を否定し合ったって仕方ないし、愛をもって許し合わないとね。どちらが正しいかなんて論争したって平行線のままでしょ?皆、早く立ち直りたいという想いでは一致しているはずですから」
店内にはカタログハウスから寄贈された放射線測定器がある。敷地内で収穫された米や野菜を測定し、検出されたかったものだけを提供する。これまで自ら収穫した野菜から放射性物質が検出されたことはないという。「もちろん、ゼロではないでしょう。でも、食べてしまっても自然療法で体外に排出させることができます。それも、みけんにしわを寄せながらではなく、明るく楽しくね」。
中学生の娘の甲状腺に、小さいのう胞が見つかった。「検査技術の進歩で、昔なら見つからなかったものまで見つかってしまうということもるんでしょうけどね…。娘が病気にならないように、明るく楽しく取り組んでいきたい」。明るい口調の裏側にある不安。福島県立医大は増床を進め、小児科の体制を拡充させている。来るべき甲状腺疾患の増加を予見しているのではないか、と胸は痛む。新しい薬の実験台になるのではないか、親は子のためにふさわしい医療を選べるのか…。
「もしかしたら将来、ほとんど病気が出ないかもしれないし、その方が良いに決まっています。でもね、今の段階で『絶対に安全安心』を口にするなんておかしいですよ。論理的に無理がありますよね」
頭がおかしいと揶揄されたり、強く非難されることも少なくないという。
「病気にならないと自分のこととして考えられないのね。でも対立ばかりしても…。それは〝あちらの方々〟の思う壺ですから」
どうすれば良いんだ!」という有馬さんの言葉が綴ら
れている=須賀川市滑川
【「被曝は気にならない」と言い切る中学生】
須賀川商工会議所青年部の男性が明かした。「当初は、昨年同様に県外のカヤを使って開催する話で進んでいました。『燃やしても大丈夫なのか』という市民の声が少なくなかったようです。でも、最終的には市内産のカヤでやることになった。いろんな力が働いたのでしょう」。
伝統、復興の陰で置き去りにされる子どもたちの被曝回避。
祭りが中止されればタクシー、旅館、飲食店など、観光客相手の商売への打撃は計り知れない。
高校生との応援合戦に向けて気勢をあげていた須賀川第一中学校の男子生徒は、私の顔を睨み返すようにきっぱりと言った。
「被曝っスか?全然気にならないっス。初めは少し気にしていたんスけど、途中から全然気にならなくなったっス。家でも学校でも話題にならないっス。祭りに参加できてうれしいっス」
午後7時前、太鼓の音とともに大松明に御神火が点された。折からの雨で時間がかかったが、ようやく火柱のように燃え始めた。歓声があがる。須賀川のカヤが灰になった夜。
〝愚問〟を口にし続けた1日が終わった。会場で私の〝愚問〟に賛意を示した須賀川市民は、1人もいなかった。
かし」。多くの人が「きれいな福島よ再び」と祈りを
込めて書き込んだ。中には「原発の無い社会を」
と書かれたキャンドルも
(了)
白河市からの自主避難は「放射脳」か~妻子逃がす男性の怒りと落胆
妻や3人の娘を被曝から守るため、周囲の冷笑と闘っている男性が福島県白河市にいる。妻子を新潟市内に母子避難させているが、周囲からは「大げさだ」と嘲笑されている。依然として、放射線量が低くなったとは言えない白河市。むしろ、場所によっては高い値が計測されるのにもかかわらず、むしろ同じ福島県人から非難の言葉を浴びる現状に、男性の怒りは募る。男性は問う。「どこまでの惨事なら、白河市からの自主避難が許されるのか」─。
【西郷村で目の当たりにした〝黒い雨〟】
短い動画がある。1年7カ月前のあの日の午後。経験したこともない揺れに、白河市内の店舗前のアスファルトには、一瞬にして亀裂が入った。道路は波打っていた。電線がビュンビュンと音をたてて揺れていた。店舗内はあらゆるものが倒れ、大きなダッシュボードがいとも簡単に位置を変えていた。とっさにカメラを回したAさん(40)が近所の人を前に叫んでいる。「これはやばいっすよ」。だがしかし、この揺れが長い被曝との闘いの幕開けになろうとは、知る由も無かった。
「あれだけの揺れですから、学校も倒壊していると思っていました。だから覚悟はしました。きっと死んでるだろうと」
妻は、卒業間近の長女のクラス会のため、小学校に出かけていた。携帯電話は不通。ようやくツイッターで妻や娘の無事を知ったのは、しばらく後のことだった。2人の妹は下校途中で、急な下り坂で揺れに遭遇していた。今年で10周年を迎えた店舗の倒壊も、家族の死も免れたのは不幸中の幸いだった。しかし、安心したのもつかの間、徐々に被曝への関心が強くなっていく。
避難への思いが一気に高まったのが、一通のメールだった。店の顧客に宛てられた、福島原発の労働者からの言葉は衝撃だった。
「全県避難になるかもしれない。事態はそれだけ深刻だ」
逃げよう─。慌てて妻に荷物をまとめさせた。妻と2台の自家用車に分乗し、3人の娘とともに幼馴染の親戚のいる南会津を目指した。途中、西郷村で〝黒い雨〟が降った。「何だ?この真っ黒い雨は?」。危機感はさらに高まった。南会津に着いた時、ワイパーは黒くなっていた。
結局、知人の親戚宅には一泊もせず、さらに西へ向かうことになった。
「南会津でも近いんじゃないかと思って、新潟に向かいました」
Aさんは、妻と娘を被曝させるわけにはいかないという想いで一杯だった。3月15日。死を覚悟した未曽有の揺れから4日が経っていた。
激しい揺れであらゆる物が倒れ、散乱したAさん
の店舗。幸い建物自体は倒壊しなかったため、
現在は営業を再開している
=白河市内(Aさん提供)
【「中越沖地震で世話になった」と支援申し出た男性】
北陸自動車道・黒崎パーキングエリアにようやくのことで着いた時、日付は変わり午前1時になっていた。辺りは雪。途中、磐越自動車道は利用できず、大渋滞の一般道で新潟を目指した。津川インターチェンジから高速道路に入った。ほっと一息をつけたPAは、深夜にもかかわらず福島ナンバーの車が目立った。知り合いなどいなかったが、誰彼かまわず情報交換をした。誰もが危機感を抱いていた。何がどうなっているのか、どこまで逃げれば被曝を免れるのか。ガソリンスタンドでは、2-3時間は並ばないと給油できないという話もあった。仕事柄、燃料だけは潤沢だったことは幸いした。
夜が明け、Aさんは再び車を走らせた。娘たちは身を寄せ合って寒さをしのいだ。着いたのは、激しい風雨が吹き荒れる新潟市巻町。かつて、原発新設の是非をめぐって日本初の住民投票が実施された町。通年営業の民宿を探し、一泊した。翌日、地元の不動産業者をまわり、アパートの賃貸契約を結んだ。福島からの避難だと話すと、厚意で敷金や礼金は免除された。一緒に巻町まで逃げた友人は、数日して白河市に戻った。
ここで、思いもかけない出会いがあった。
コインランドリーで洗濯をしていたときのこと。1人の男性が入ってきた。辺りを見渡し、Aさん夫妻に話しかけた。「外に停まっている福島ナンバーの車、おたくの?」。Aさんが原発避難者だと告げると、男性は「中越沖地震のとき、福島の人々には本当に助けてもらった」と、ポケットから小銭を出し、洗濯機の代金を支払った。副業としてこのコインランドリーを管理しているオーナーだった。同い年ということも手伝い、意気投合するのに時間はかからなかった。男性は、Aさんが恐縮する言葉に耳も貸さず、契約したばかりのアパートの住所を聞くと、翌日、ワンボックスカーに一杯の家財道具や食料を積んで現れた。クーラーボックスの肉はあふれ出しそうになっていた。使いきれないほどの布団も毛布もありがたかった。この男性とは今も、交流を続けている。
都市ガス業者は、Aさんがガスコンロを持っていないことを知ると、無料で貸与してくれた。新潟の避難生活は、比較的温かい雰囲気で始まった。だが今、Aさんは激しい怒りと悔しさを抱えている。福島原発から80kmも離れた白河市からの自主避難がどれだけ白眼視されるか、思い知らされることになったからだ。
白河駅周辺では、依然として0.4-0.5μSVの放射
線量が計測される。原発から80kmも離れているが、
被曝の危険性は低くない
【「金に余裕があるから逃げるのではない」】
改めてアパートを借り、妻子を残してAさんは白河市に戻った。娘たちには「いのちを守るためだ」と話した。アパートは民間借り上げ住宅となり、光熱費だけの負担で済むようになった。転入した学校の給食費も負担しなくて済んでいる。
だが、厳しい視線が〝身内〟から浴びせられる。
白河市で耳までふさぐことのできるマスクをして生活しているAさんに、近所の人は「放射脳」だと冷笑する。「俺はここに住んでいるんだ。放射能と口にするな」と怒られたこともある。娘ばかり3人の父親だけに、被曝回避には全力を尽くしてきた。「この危機感は他人にはわからないでしょうね」とAさん。「金銭的に余裕があるから逃げられるんだよね」という言葉は聞き飽きた。
地区の会合では、嘲笑のタネにされることが多い。
「奥さん、まだ帰って来ないの?大変だねぇ」
「新潟って、そんなに居心地が良いの?」
「家賃を払ってもらっているんだろ?結構なご身分だな」
避難先には福島県人が少なくないが、大半が福島市や郡山市からの避難者。白河市からの避難に「妻は少なからず負い目を感じている」とAさんは話す。白河市内は原発事故の影響をあまり受けていないように思われがちだが、Aさんの店舗外の地表に線量計を置くと、今でも0.4-0.5μSVを計測するという。私の線量計でも、小峰城で同様の放射線量を計測しており、被曝の危険性は決して低くない。避難先で定期的に開かれる自主避難者の集いでも「福島の現状、自主避難者の想いがあまりにも伝わっていない」という声が多いという。
「どこまで酷い事故なら逃げることが正しいと言ってもらえるのか?もし4号機が倒壊したら、みんな逃げるのだろうか?」
9月、小学校3年生の末っ子の尿検査を依頼したら、放射性物質は不検出。避難させて本当に良かったと実感した。
妻子を守る闘いは、始まったばかり。
原発事故後、佐藤雄平福島県知事には失望させられることが多かったというAさん。
「仮に放射性物質がゼロになったとしても、妻や子を、あんなリーダーがいる県には戻したくない」
(了)
冷笑に負けない~福島市の母子が味わった被曝と自主避難への強い風当たり
幼い家族を守ろうと、周囲の冷笑にもめげずに暮らしている親子が福島市内にいる。子どもたちの被曝回避を口にすれば露骨に変人扱いされ、自主避難先から戻ってきたことを裏切り者のように中傷される。この1年半の苦しみを、母子は涙ながらに語った。原発事故直後、安全ばかり強調した国や県。自主避難者への偏見と無理解…。話すほど怒りは高まるが、母子の願いはただ一つ。「幼い家族を守りたい」
【避難先で浴びた質問「東電からいくらもらった?」】
子どもを守るのに、どうしてこんな想いをしなければならないのか。
A子さん(35)は母子避難先の山形県南陽市では「東電からずいぶんと金をもらったんだろ」と質問攻めに遭い、避難を中断して帰った実家のある町内会では「何で戻ってきた?」と責められた。小学4年生になった娘は「どうせもう、被曝しちゃってるんだから、しょうがないんでしょ」と口にする。
娘との母子避難が実現したのは、昨年10月のことだった。
娘が限界に達していた。日々、被曝を最小限に抑えようと注意することが増えていたA子さんとぶつかることが多くなっていた。
「もう被曝しているんだから、どうせ病気になるんだから、土でも何でも触らせてよ」
南陽市への避難が決まったときには、娘が誰よりも喜んだ。自由を謳歌した。「これで、やっと空気を吸える」「土を触っても良いんだよね?」「水道水を飲んでも良いよね?」。冬になると積もった雪に大喜びして遊んだ。A子さんは当初、半年ほどで福島市に帰ろうかと考えていたが、気づけば半年をあっという間に過ぎていた。だがしかし、母子ともに徐々に気持ちが後ろ向きになっていた。避難生活は10カ月で終了した。
「年配の方には非常に親切にしていただきました。でも、多くの人が『福島の人は東電からいくらもらっているの?』と好奇心丸出しで聞いてくるんです。次第に福島から来たといえなくなってしまいました。知り合いになった福島の人と公園で話していれば『山形には、昼間から公園で遊んでいるお母さんはいないよ』と陰口をたたかれました。結局、よそ者なんですね。周囲の方が温かくしてくだされば、もう少しは避難生活を続けられたかな」
娘は多くは語らなかったが、転入した小学校でつらい思いをしているようだった。別の地域に転居しようかと考えたが、避難者には「1県1アパート」の原則がある。A子さんは民間借り上げ制度を利用したので、光熱費だけの負担で済んでいた。そのため、転居するなら家賃を自己負担するか山形県以外の県に移るかの選択を強いられた。持参した線量計は、アパートの周囲の地面に置くと0.3μSVを示した。自宅周辺の除染が始まるとの情報もあった。「福島市と大差ないのなら帰ろうか」。娘もうなずいた。失意のまま、母子は今年4月、福島市の実家に戻った。原発事故から1年が経っていた。
避難先で被曝を心配せず雪遊びをしたA子さん
の娘。しかし、避難生活は10カ月で終了した
=山形県南陽市(A子さん提供)
【被曝より避難より水や食料、だった事故直後】
A子さんの母親・B子さん(55)は当初、原発が爆発したと聞いてもピンとこなかった。
今まで原発のことなど意識したことがなかったし、第一、事故が起きたからといって、60km以上も離れた福島市にまで放射性物質が飛んでくることなんて無いと思っていた。そんなことより、今日一日の食料を、水をどうするか。大地震以降、その日その日を生きるのに精いっぱいだった。近所のヨークベニマルは、夜になっても水や食料を買い求める人でごった返していた。誰もが今日を生きることしか頭になかった。被曝のことなど、頭の片隅にすら無かった。そんなとき、思わぬ話が舞い込んできた。
「え?避難?事態はそんなに深刻なの?」
息子の勤める福島市内の外資系保険会社に、東京本社から「バスを用意するから避難したい人は申し出るように。ホテルでの宿泊代も会社で負担する」とのメールが届いたのだ。マスクも1年分用意するという。3月14日のことだった。
自宅のテレビでは、地元テレビ局のアナウンサーが「レントゲン撮影と同程度の放射線量ですから大丈夫ですよ」と呼びかけている。枝野幸男官房長官(当時)は「ただちに人体に影響ない」と繰り返していた。避難するべきか、B子さんは大いに悩んだ。家族会議も開いた。しかし結局、いつまで避難生活が続くのか先が見えないこと、逃げることで周囲に大げさに映るのも嫌だということからバスへの乗車を見送った。後で確認したら、会社が用意したバスに乗った社員や家族は一人もいなかったという。
「国もメディアも、被曝の危険性をきちんと教えてくれれば孫も守ってあげることができたのに…」
インターネットを通じて同じ福島市渡利地区の高濃度汚染が伝わってきたのは4月に入ってからだった。家族間で被曝の話題が増えるようになった。孫は少し遅れて新学期が始まった小学校への通学を再開していた。自宅の周囲の放射線量は18-20μSVもあった。テレビでは、内閣官房参与・小佐古敏荘氏が涙ながらに開いた記者会見を伝えていた。
0.8-0.6μSVもの放射線量を計測する福島市内
の文知摺観音付近。放射線や被曝の話をすると
「変人扱いされる」とB子さんは話す
【避難者は裏切り者、というレッテル】
母子3代で味わった自主避難の苦労。
「こんなにいじめられるくらいなら、いっそのこと原発事故の爆発でひと思いに死んでしまった方が良かった」とA子さんは話す。「子供を守るための避難で苦労をしていることがメディアでぜんぜん報じられないのが悔しいです。政府の指示も無いのに勝手に避難している、大丈夫だと言っているのに避難しているという位置づけでしょ?子どもを守りたいだけなのに」。
B子さんは、所有する600坪もの土地を、除染で生じた汚染土の仮置き用に使ってほしいと市に申し出たが、いまだに実現していない。これまで家庭菜園として活用してきたが、汚染を思うと野菜作りをする気分にはならない。「自宅の敷地内に仮置きすると言っても、庭の無い方もいるでしょう。そういう方に使ってもらいたいのですが、行政の腰は重いですね」。おまけに、子どもたちを被曝から守ろうと声をあげると、町内の住民から面と向かって「頭がおかしい」と誹謗されるという。B子さんらが暮らす自宅の庭では、私の線量計は0.7μSVを超した。
「国も県も嘘つき。初めに本当のことを言えば良かったんです。専門家は今からでも良いから本当のことを言って欲しい。孫を守りたいんです」
A子さんは、娘の通う小学校の保護者から「よくも戻って来られたな」とののしられた。「そんなに被曝を気にするのなら帰って来なければ良かったのに」とも言われた。避難すると張られる「卑怯者」「裏切り者」のレッテル。苦しみ悩んだ末に戻ったふるさとで受ける仕打ちにA子さんもB子さんも涙が止まらない。これがすべてではないが、これもまた、被曝地・福島の一つの現実。A子さんはつぶやいた。
「やっぱり私は裏切り者なのかな…」
(了)
【19カ月目の福島はいま】汚染軽くない県南地域~西郷村、天栄村、白河市
福島の県南地域、西郷村、天栄村、白河市を歩いた。福島原発から80kmも離れているが、放射性物質による汚染はいささかも低いレベルではなく、場所によっては福島市や郡山市よりも高い放射線量が計測される。除染によって生じた汚染土の処理に苦心しているのも同じ。あまり汚染問題が報道されず、住民の意識や関心も高いとは言えない県南地域。しかし実際に歩いてみると、被曝の危険性について決して楽観視できない現状が至る所から見えてきた。
【汚染土との同居続く西郷村の福祉施設】
「『原発事故は収束した』と政府は言う。しかし、どこが収束しているというのか。聞いてみたいものだ」
福島原発から90km近く離れた西郷村の知的障害児入所施設「白河めぐみ学園」でも、原発事故による放射性物質の拡散との闘いが続いている。
施設を運営する社会福祉法人は昨年9月、施設内の除染作業を行った。しかし、汚染土の処理問題が浮上。村の指導も二転三転し、結局、校庭の一角に保管せざるを得なかった。
「被曝を危険性を認識しているからこそ、除染をしたんです。施設内に設置されたモニタリングポストがいまだに、0.6μSVを超していることも分かっています。しかし、汚染土の持って行き場が無い。一時、3㍍の穴を掘って埋めるという計画もあったのですが、やぱり駄目だという話になった。われわれは、決定力の無い行政の犠牲者ですよ」
校庭の一角にある盛り土。ブルーシートで覆われ、黄色いロープで立ち入りを規制しているが、ロープに近づくと手元の線量計は1.0μSVを超した。福島市でいえば、信夫山周辺と同レベルの放射線量。ブルーシート真上では4.3μSVを上回った。しかし、「仮置き場がない」との理由で、放射性物質と知的障害児との〝同居〟は1年以上も続いている。
法人関係者は静かな口調ながら、憤りの言葉を何度も口にした。
「国も県も福島原発との距離で汚染の度合いを考えている。こんな滑稽なことがありますか?もし距離や行政単位で被曝の危険性をとらえられるのなら、なぜ90kmも離れたこの村でこんな事態になっているのでしょうか。ここより原発に近いいわき市はどうなりますか?」
実際、施設にほど近い馬場坂地区でも、0.4-0.7μSVもの放射線量を計測する地点はある。長閑な山村には、残念ながら確実に放射能汚染が存在した。
福島原発から約90km離れた西郷村でも、場所に
よっては0.6μSVを超す。そのため、除染をして
も汚染土の処理ができず、1年以上も校庭の一角
で知的障害児たちとの〝同居〟が続いている
=ともに「白河めぐみ学園」(上・中)
馬場坂地区でも放射線量は低くない。村民の安全
は確保されていると言えるのか(下)
【0.5μSV超の天栄村立中学校】
天栄村役場の裏手にある村立中学校では、間もなく体育祭が開かれる。
しかし、校内に設置されたモニタリングポストの数値は0.55μSVを示している。校庭を歩いてもみても、手元の線量計はやはり、0.5μSVを超した。ここでも子どもたちは日々、被曝の危険にさらされている。
草木の手入れをしていた女性は「放射能といったって、元々存在したものかもしれないしね…。どれだけ身体に害があるかもよく分からない。危ない危ないと言ってもねえ…」と首を傾げた。
校門の向かい側にある栗の木からは、秋らしくいくつもの栗の実が落ちている。
「シバクリと言って、小ぶりだけれど甘くて美味しいんですよ。先日も栗拾いに来ている人がいました。良い季節になりましたよね」と女性。内部被曝しないのかと水を向けると、女性は少し考えて、「ここではもう、原発事故は風化してしまっているというか、あきらめてしまっているというか…。そんな状態なんですよ」と小さな声で話した。
「ここで生活するしか無いんですよ。どこかに行くこともできないじゃないですか。ここで生活する以上は、福島の食べ物を食べないというわけにもいかない。どうすれば良いんでしょう…」
東北新幹線から西に2-3kmの仁戸内地区は地元でも知られた高線量地区。不法投棄の禁止を呼び掛ける看板が設置された水田の脇では、茂みに立つと手元の線量計は1.0μSVを超した。茂みを離れても0.5μSV超、地表では1.4μSVを計測した。ドライバーの休憩所にもなっているというこの場所では、まさに放射性物質が「不法投棄」されている。
0.5μSVを超す環境下での生活を強いられている
天栄中学校(上、中)。
仁戸内地区には1.0μSVを超すホットスポットがある(下)
【白河市内の河川敷では地面真上で5-6μSV】
JR白河駅前の小峰城は、3.11の揺れで石垣が10カ所にわたって崩落。改修工事が進められている。
子どもたちが走り回り松ぼっくりを拾っている広大な芝生は、0.45μSV前後。駅舎に並行して設けられている駐車場でも同様の数値が計測された。
秋になり、芝生の広場ではイベントが催されることも多い。家族連れで芝生に直に座るのは、被曝の危険が伴うことを認識する必要がある。
阿武隈川とJR東北本線が交差する羅漢橋付近では、近くの白河中央中学校の生徒たちが部活動などで利用する遊歩道がある。取材に同行した男性は「昨年、ここで写生会が開かれていたので学校に連絡したんですよ。だって、アスファルトの真上で10μSVを超していたんですから」と振り返る。
実際、男性が昨年計測したというアスファルトに線量計を近づけると、溝の雑草で5-6μSVに達した。空間線量では0.4-0.5μSV。土手では0.6-0.8μSVだった。
その白河中央中学校では、敷地内のモニタリングポストは0.137μSVを表示していた。モニタリングポストは2台設置されていたが、放射線量が表示されているのは1台だけだった。
校門横の駐輪場前で手元の線量計は0.3μSVを超した。敷地に沿って周囲を歩いてみたが、やはり同様のレベル。市教委はさらに詳細な調査を行い、子どもたちの被曝防止に努める義務がある。
0.4μSVを超す小峰城(上)。阿武隈川の河川敷
から東北本線を撮影する男性。手元の線量計は
0.7μSV超(中)。白河中央中学校の駐輪場では
0.3μSVを超した(下)
(了)
続・浪江町ルポ~破壊されつくした漁港と高濃度汚染の森
再び浪江町に入った。漁港は大津波に破壊され尽くし、森は福島原発からの放射性物質で高濃度に汚染されていた。国は町を3つに再編し、放射線量の低い地域からの帰町を進めたい意向。一方で浪江町は向こう5年間は帰らない方針を打ち出しているが、5年後の帰町さえ、実現するか不透明な状況だ。町を東西に走る国道114号線を中心に請戸漁港から昼曽根地区まで車を走らせてもらった。深刻な破壊と汚染こそ、野田首相は実際に目にするべきだ。
【漁協の2階に打ち上げられた漁船】
浪江町の東端、請戸漁港。
潮の香りなど忘れてしまうほどの惨状が広がる。
「ほら、あれ!」
同行した町民の男性が指さす方向を見上げると、床と柱だけになった建物の2階部分に別の漁船が打ち上げられていた。大きな揺れに続いて町を襲った大津波。コンクリートの漁協を破壊し、漁船を持ち上げるほどの威力に言葉を失う。足元のアスファルトもめくれ上がり、綴じ込まれた帳簿や伝票類が散乱している。漁協の眼前には、大きな木造の漁船「興洋丸」が船体を横たえている。「本来であれば漁船がずらりと並んでいるんだけどね…」。男性が海を眺めながらつぶやく。秋になると鮭でにぎわった漁港がいまや、無人の廃墟になってしまっている。
放射線量は0.2μSV前後。常磐線・浪江駅の東側は放射線量が比較的低く済んだ代わりに、地震や津波被害が激しかった。
漁港から浪江駅に向かう途中の幾世橋地区で、何枚もの抗議看板と再会した。周囲は激しく損壊している家々が多い。新しく建てられたとみられる住宅は外観はきれいなままだが、原発事故による放射性物質拡散により、主を失ったまでいる。
「原子力ムラ
村長:デタラ目ハルキ
議長:会津黄門さまさま
原発とめるな!」
「放射能と民主党政治の一刻も早い除染を!」
原発事故さえなければ、生活や漁業の再建も少しずつでも進められていたはず。幾世橋地区は、放射線量が低いとはいっても0.3-0.4μSV。決して子どもたちが安心して暮らせる環境にはない。国は先日、浪江町に再編案を提示、放射線量の高さに従って町を3つの区域に分けて帰町を進める意向を示した。男性が、遠くに見える福島原発の煙突に向かって言った。
「あそこに見えるのが原発だよ。まだ収束さえしていない原発から数kmの距離に再び暮らせと言うのか。もう安全だから生活しろって?町民を何だと思っているのかね。腹立たしいよ」
男性は、くるりと身体を南相馬市方向に向けて、高くそびえる鉄塔を指さした。1960年代から誘致と反対運動で町を二分してきた、東北電力の「浪江・小高原発」建設予定地だ。町議会は昨年12月議会で誘致決議を白紙撤回している。
大津波の直撃を受けた請戸漁港。漁協は大破し、
漁船「興洋丸」がいまだに横たわる(上)。
漁港の2階部分にまで運ばれた漁船が津波の威
力を物語る(中)。散乱した手書きの伝票類が哀
しい(中)。
漁港からほど近い幾世橋地区には、いくつもの抗
議看板が立ち並んでいる(下)
【昼曽根発電所で20μSV超】
町を東西に横断する国道114号線(富岡街道)を西に向かった。自家用車の車中でも、徐々に手元の線量計の数値が上がっていく。
ハンドルを握る男性が震災直後の混乱ぶりを振り返った。
「この道は、川俣町から福島市内へ抜ける一本道。当時は避難しようとする車が長く連なって、ノロノロ運転でした。本来なら津島地区まで30分もあれば行けるのだけれど、2時間くらい要したんじゃないかな。そのぐらいパニックに陥っていたのでしょうね」
福島県が「請戸川上流にある請戸川随一の景勝地」として「ふくしまの水30選」に指定している不動滝(室原)の辺りまで来ると、放射線量は6-7μSVに達した。高さ9mの滝を目指したが、1年半も放置されたままのため途中で行く手を遮られてしまった。原発事故さえなければ、木々を抜けて清流を楽しめたはずのオアシスも、もはや高濃度に汚染され、除染の効果すら疑わしく感じる。
長い仙人沢トンネルを抜けると、水田用水を賄うために国が建設した大柿ダムが広がる。トンネル内は照明が機能していないため真っ暗。東京ドーム14-16杯分もの貯水量を誇ったダムも、もはや機能していない。管理事務所入り口では10μSVを超した。単純換算で、年間被曝線量が80mSVにも達するレベル。空間線量でこれだけの値なのだから、土壌汚染の深刻さはどれほどなのか。詳細な調査が必要だ。
葛尾村に抜けるT字路にある大柿簡易郵便局には、国のモニタリングポストが設置されている。表示されている放射線量は12.55μSV。手元の線量計も郵便ポスト前で11μSV超、脇の草むらでは13μSVを超した。
さらに数値がはね上がったのが、東北電力の昼曽根水力発電所だ。
発電所の建屋を見下ろすように請戸川に橋が架かっているが、そこに立つと20μSVを一気に突破した。請戸漁港が約0.2μSVだったから、実に100倍。同行した男性が、あわてて車に戻る。この先の津島地区には小中学校や高校があり、非常に歩者線量が高いが、ここで114号線は通行止め。モニタリングポストの数値には表れない放射線量を確認することは叶わなかった。しかし、昼曽根地区でもこの汚染。津島地区の汚染が生易しいものではないことは想像に難くない。
震災で建設が中断している常磐道に上がってみると4μSV前後に達した。眼下には、伸び放題になったセイタカアワダチソウが黄色いじゅうだんのように広がっていた。雑草で黄色く色づいた浪江町。放射線量を下げる目途は全く立っていない。
高濃度に汚染されている東北電力の昼曽根水力
発電所。場所によっては24μSVを超える(上)。
大柿簡易郵便局では13μSVを超した(中)。
国道114号線は、津島地区に入れないよう通行止
めになっている(下)。
これらの汚染が除染によって生活可能なレベルに
低減され得るのだろうか…
【人を人として扱わない東電への怒り】
男性の自宅では、特別警戒中の福島県警の3人の警察官に職務質問を受けた。「空き巣など、いろいろとありますから念のため」と話す警察官の目はしかし、鋭いまま。「これは何ですか?」。警察官の1人が私の線量計をのぞき込んだ。「私も線量計を持ってはいますけど性能が良くないみたいで…」と胸ポケットのカード型線量計を出して見せた。男性の自宅前で4-5μSV。これだけ線量が高いのに警報音も鳴らない線量計を胸ポケットに再びしまった若手警察官。マスクもしていない。
男性宅に隣接する民家の雨どい。真下の草むらに線量計を近づけると70-80μSVもの高線量を示した。男性宅の雨どい直下でも30μSV前後。男性の表情がみるみる曇る。
「数値は聞かなきゃ良かったかな。忘れようかな…。来れば来るほど悲しくなるね。これが現実なんだけど。もうこの家には戻らないと決めているんだけどね…。やっぱり現実の汚染を目の当たりにすると寂しくなるね」
町内での仕事にはどうしても限界がある。ハローワークでの募集も、原発関連の仕事が目立ったという。男性もかつて、福島原発内の仕事に従事したことがあるという。
「当時はチェルノブイリ原発事故直後でね、私が携わったのは原子炉に関する仕事ではなく建屋の外壁補修などの仕事だったんだけれども、やっぱり建屋の屋上に上がるのは嫌だったね。でも、中での仕事には被曝を管理する手帳が必要だし、ピンハネされて決して給料が良いわけではない。それに周囲の視線も好意的ではないからね…結局、1カ月ほどで辞めてしまったよ」
その後も、福島原発で働く人からいろいろな話を耳にした。食堂が東電社員と協力会社作業員とで分かれていて、作業員は絶対に東電社員用の食堂には入れない。50代にして癌で亡くなった作業員など、急死の話題は事欠かなかった。それらの死は表面化せず、東電も原発との因果関係は認めなかったという。「人を人として扱わない体質が東電にはある。黒人を奴隷として扱ったのと同じだ」。
原発事故でわが家を追われてから2度目の年の瀬が近づく。
「昨年は『明けましておめでとう』なんていう気分にはなれなかったね。今年はどうしようか…」
バラバラになってしまった旧知の住民へ、旧住所で差し出す年賀状は無事に避難先へ転送されるのか。男性はふるさとの現状をビデオカメラに収めて避難先に戻った。「除染をすれば再びここで生活できるようなことを国は言っているが、どう考えても無理だろうよ」。庭のゆずが緑色から黄色っぽい色に変わっていた。しかし、ゆずを口にすることはできない。
防犯目的もあり、検問所での警戒は厳重。この日
の担当は神奈川県警だった(上)。
使われることのなくなった福島民報浪江支局。室
内の様子が揺れの大きさをうかがわせる(中)。
棚には福島原発関連の記事スクラップが並んでい
た(下)
(了)
【浜岡原発】県民投票実現せず~民意の直接反映拒んだ静岡県議会
16万余の署名をもって示された「浜岡原発の再稼働に意思表示をしたい」という静岡県民の想いに、議会は「NO」を突き付けた─。原発立地県で原発再稼働の是非をめぐる住民投票が実現するか注目された「原発県民投票条例案」は11日、静岡県議会本会議での無記名投票の結果、原案・修正案ともに否決された。条例案の「不備論争」に終始した県議会は、揚げ足取りを隠れ蓑にして浜岡原発再稼働への余地を残したとも言える。これで、東京・大阪の電力消費地に続いて原発立地県でも住民投票が実施されないこととなり、米軍基地同様、原発政策も地域住民にはアンタッチャブルだということが浮き彫りになった
【県議の7割超が県民投票実施に反対】
超党派で提出された修正案に対する採決は賛成17、反対48。全県議の実に7割以上が住民投票の実施に反対した。
議長が条例案の否決を告げると、傍聴席で採決を見守った関係者はうつむいてため息をつき、涙を流した。この瞬間、半年あまりにわたった市民団体の活動は終止符を打った。
条例案をめぐる県議会の議論は終始、住民投票の実施に否定的だった。
集中審査を行った総務常任委員会では、直接請求を行った市民団体「原発県民投票・静岡」の鈴木望代表や大学教授らが参考人招致されたが、「投票資格を18歳以上と規定するなど条例案には法律上の不備が多い」「実施費用が13億円もかかる」「条例案の内容が署名者に十分に伝わっていない」などとして全員一致で条例案を否決。
この日の本会議には、投票資格を20歳以上とするなど公職選挙法に準拠させ、投票実施時期も「国が再稼働の検討を始めたとき」と定めた修正案が提出されたが、議席の過半数を占める「自民改革会議」が「そもそも、国策としての原発政策に住民投票がふさわしいのか」「大幅な修正案が請求代表者や署名者に受け入れられるのか」「投票の実施にあたって議会の関与がない。県知事だけが判断して良いものか」などと会派をあげて反対。「公明党静岡県議団」も修正案には賛成したものの「一時の感情で拙速な投票を実施してしまうと、県民投票そのものの価値を下げてしまう。中部電力による安全対策がすべて終わってから実施するべき」と消極的な姿勢もにじませた。
「民主党・ふじのくに県議団」は会派で意見がまとまらず、一部議員が修正案に賛成した。賛成討論に立った議員は「浜岡原発に万一のことがあったら直接被害を受けるのは県民であり、自分たちの意見を伝えたいという思いは至極当然」「条例案は否決されるとの報道が続いているが、議会の良心を信じている県民は多い。二者択一の〇と☓の間を埋めていくのが、われわれ議会の役割ではないか」などと呼びかけた。だが本会議だけ、それも、わずか数十分間だけの議論では、議員の気持ちを変えるまでには至らなかった。
県民投票条例案を採決する静岡県議会。無記名
投票の結果、7割以上の議員が反対した
【県も県議会も揚げ足取りに終始】
採決後の記者会見で、鈴木代表は「浜岡原発の再稼働の是非について意思表示をしたい、自分のふるさとの将来に関する重大事について意見を言わせてほしいという県民の願いが実現されず極めて残念。18万余の民意はどうすれば実現できるのか、暗澹たる気持ちだ」などと発言。「このままでは県民の願いがむなしいものになってしまう。川勝知事は県民投票の実施そのものには賛成してるのだから、ぜひ12月議会に知事提案で県民投票条例案を提出してほしい」と求めた。
川勝知事が賛成意見を付して県議会に条例案を提出して以降、議論の大半が「条文の不備」に終始し、本質部分の議論はほとんど行われなかった。鈴木代表は「知事の『不備発言』によって議論が混迷してしまった。ミスリードだった。市民が作る条例案には理想論も含まれているものだ」などと批判。会見に同席した事務局の中村英一さんも「市民団体を設立した3月以降、署名活動や条例案作成に関しては何度も、県職員と議論を重ねてきた。その中では法的不備など一切存在しなかったし、適法ということで署名活動も堂々と行った。それが条例案を提出した途端に不備を指摘されるとは、こちらとしては全く理解できない。住民投票という制度そのものが未成熟であり、誤解されている」と話した。
鈴木代表は「東京や大阪でも同レベルの条例案を提出しており、まさか不備論争に終始するとは思わなかった。議論が深まらなかったことは返す返すも残念」と悔しがった。実際、県会議員らは「県民の想いには真摯に向き合わなければならない」「署名をした方々には敬意を表する」などとしながらも、市民団体が作った条例案の揚げ足取りに終始。県側もホームページで大々的に「不備」を指摘するなど条例案潰しに躍起になった。
しかし、静岡県自治行政課の作成した文書「直接請求制度の概要」には次のように記載されており、直接請求者は必ずしも完璧な条例案を作る必要はないと定めている。
「条例の制定案は法制執務的観点からみて完全である必要はなく、立法技術上の多少の不備は問わず、形式が一応整備されていれば足りると解されている。なお、不完全な場合には、長の意見をも勘案して議会において修正すれば足りる」
議会において修正すれば足りる…。しかし、議会はその責務さえも放棄して、門前払いはできないと言いながら結果的には門前払いをした格好となった。
本会議終了後、大手メディアのぶら下がり取材を
受ける鈴木望代表(上)。改めて開かれた記者会
見でも「不備論」に終始した議会への失望や落胆
の言葉が並んだ(下)
【県民投票反対=浜岡再稼働賛成の構図】
一連の議論では、「不備論争」を隠れ蓑にした議員らの本音も垣間見えた。
総務常任委員会を傍聴した女性は「議員の中には『いま県民投票を実施すれば再稼働反対が大勢を占めるだろう。結果が見えているのにやる意味が無いではないか』『私のバックにはいろいろな団体があり、原発が再稼働しないと影響が大きい』と発言する人もいた。私たちが闘っていたのは県議会ではなく、その背後にある経済界、原子力ムラだった」と振り返った。鈴木代表も「個人的には県民投票をやってもいい、という議員もいた。中央の原発政策が当然、影響しているのだろう」と話した。関係者の一人は「これが立地県・静岡の難しさなのかもしれない。自宅の近所に中部電力の社員がいるが、やはり原発に異を唱えにくい雰囲気はある」と話す。
川勝知事は、記者クラブメディアのぶら下がり取材に対し「市民団体がもう一度、適切なリーダーを立てて条例案を出し直して欲しい。知事として12月議会に条例案を提出する意向は無い」と答えたという。県民投票実施に賛意を示しているにもかかわらず、条例制定に積極的に動かない知事。誰もが皆、民の声に寄り添うふりをしながら、実は県民投票で再稼働反対が大勢を占めることを恐れている。静岡市内在住の女性は「県民の署名は何だったのか。どれほど多くの署名で民意を示しても、結局は議会の思惑で決まってしまうではないか」と涙を流した。
結局は選挙で議会構成を変えない限り、民の声は届かない。
しかし、原発政策というシングルイシューだけで地方議員を選出することもまた、問題は残る。
だからこそ、それを補完する意味での直接請求制度が存在するのだが、それを審査するのは議会…。静岡市議の宮澤圭輔さんは指摘する。
「間接民主制が不完全だから直接請求を行うのに、請求内容の是非を決めるために結局、間接民主制の議会に戻ってしまう。これでは通るはずがない。大いなる矛盾だ」
(了)



