民の声新聞 -20ページ目

【国分川】千葉県松戸市の河川汚染が浮き彫りにする、隠れたホットスポットと水面下での汚染の拡散

事態は想像をはるかに超えて深刻だった。千葉県松戸市を流れる国分川で確認された1.0μSV超のホットスポット。野鳥・カワセミの観察や撮影場所として知られる川のヘドロは高濃度に汚染され、しゅんせつ工事によって搬出されていた。汚染土砂は今後、業者が他の土砂と混ぜて使われるか廃棄される。行政も住民も把握しきれないホットスポットの存在。そして、水面下で拡散している二次、三次汚染。原発事故から間もなく丸2年。収束どころかじわじわと汚染が広がっている事態を国分川は浮き彫りにしている。


【しゅんせつ土砂は8000ベクレル超】

「ええ、確かに2月中に国分川のしゅんせつ工事を行いました。ヘドロの搬出量は約350㎥です。現在は、水分を抜くために施工業者の敷地内に仮置きされています。こんなに汚染されていることが事前に分かっていれば、しゅんせつ工事はできませんでした。しかし、しゅんせつ工事のたびに放射線量を測るわけにもいかないのが現実です」

取材に応じた松戸市河川清流課の職員は答えた。空間線量が1.33μSVに達した個所の汚泥は、汚染度が8000~10000Bq/kgあったという。職員は「あくまで参考までに測定したものであり、メモもとっていないので不確実な数字」と強調したが、高濃度に汚染されたヘドロが市も住民も気付かないまま搬出され、業者によって別の工事現場などで使われている実態は認めた。8000~10000ベクレルという数値は公表されていない。水面下で横行している汚染の拡散。こんな恐ろしいことはない。

汚染の発覚は偶然だった。

同市は、国分川を自然な形で保とうとあまり手を加えないでいたが、4月から川の管理を千葉県に移すため、伸びきった雑草を刈るなど整備を進めてきた。しゅんせつ工事もその一環で、支流の合流地点を中心に溜まったヘドロを取り除いた。雑草が刈り取られ、川も近くまで降りられるようになったところに、汚染された川底のヘドロの一部がしゅんせつ工事の過程で残された。「そこで空間線量を測定した方から市に連絡が入ったのです。そこで実際に測ったところ、最高で1.33μSV(地上1㍍)ありました」(河川清流課)。

偶然が重なって表面化した川の汚染。しかし、確認された時にはすでにヘドロの搬出は終わっていた。「業者に確認したが、搬出したヘドロの仮置き場は0.1μSV程度で問題ない値とのことだった」と同課職員は言うが、どのような測り方をしたのか不明。しかも、業者の仮置き場には同社が扱う別の場所から運んできた汚染されていない土砂も保管されており、それらと混ぜ合わされたうえでの数値。なぜ「問題ない」と即答できるのか。

高濃度汚染が確認されたにもかかわらず、市は「この先、土砂を業者がどのように処分するかまで口出しできない」と静観する構え。廃棄されるのか別の工事現場で使われるのか。8000ベクレル超の汚染土砂が知らぬ間に拡散していく。市民にはしゅんせつ土砂が汚染していたことも他で使われることも知らされない。伝えられるのはホットスポットの存在だけだ。
民の声新聞-国分川③
民の声新聞-国分川①
高濃度汚染が発覚した国分川。土手を降り、しゅんせつ

土砂の上に立つと手元の線量計は1.0μSVを超した

=千葉県松戸市紙敷


【「被曝を気にしていたら住めねえなあ」】

今回、汚染が確認された国分川は、カワセミが観察されることで知られ、近所のアマチュアカメラマンたちが高価な望遠レンズを連日、構えている。

毎日のようにカワセミを撮影しようと川を眺めているという70代の男性は「市職員が来て測定してたよ。3カ所が高かったって新聞に出ていたね。ほら、あそこにロープが張られているでしょ、あそこですよ」と指さした。ロープをくぐり、土手を降りると手元の線量計の数値が上がっていく。そもそも市民が降りるように整備されていないので、場所によってはヘドロが盛られているだけで危うく靴が埋まりそうになる。気付いたら、数人の男性が集まり、私を見守っていた。

「まあでもさ、放射線や被曝を気にしていたら住めねえやなあ。引っ越すわけにもいかねえし」と60代の男性。孫を連れて散歩に来るという60代の女性は、ホットスポットの存在を知らなかった。「そんなに汚染されているのなら、連れて来ない方が良いわね。いくら通り過ぎるだけと言ったって、浴びないに越したことはないわけでしょう?教えてくれてありがとう」と表情を曇らせた。
そうしている間にも、犬の散歩をする親子、自転車で走り去る高校生など、多くの人が国分川沿いを通って行く。ちなみに、土手を上がりきったアスファルトとの境目でも0.3μSV前後。子どもを近づけるような場所ではない。

民の声新聞-国分川④
民の声新聞-国分川②

川底のヘドロは本当に1万ベクレル程度の汚染で済んで

いるのか、早急に詳細な調査をするべきだ。しかし、松戸

市が行うのは立ち入り規制と空間線量の測定のみ。除染

も河川法の壁があり実施できない

【除染できぬまま見守る行政】

高濃度汚染が確認されても、松戸市ができるのは一週間ごとに空間線量を測定しながら推移を見守ることくらい。除染を行うにしても堤防決壊を防ぐなどの観点から川の周囲を掘ることを河川法が禁じており、汚染されたヘドロや草木を取り除いて埋めることもできない。「川は治水が第一ですから、木を植えるにも規制がああるのです」(松戸市河川清流課)。

川から撤去して別の場所に仮置きするとしても、地権者の了承を得るまでに相当の労力と時間がかかることが容易に想像できる。汚染土の持って行き場が無いのは、福島も千葉も同じだ。

ある職員は「今回はたまたま汚染が見つかっただけで、川全体が汚染されているわけではありません。川面近くまで市民が下りるような場所ではないですから」と盛んに強調した。だが、事前に分かっていればしゅんせつ工事が許されないほどの汚染であることも事実。裏返せば、原発事故から2年が経過しても表面化しないままの汚染個所が少なからず存在するということだ。しかも、遠く離れた千葉県で。

だからこそ、詳細な測定や汚染調査が必要なのだ。「大した汚染じゃない」と結論づけるには、あまりに性急すぎる。


(了)

【那須塩原市】汚染は福島だけじゃない~保養相談会に訪れた親たちの苦悩

場所によっては福島県内と同等、もしくはそれ以上の汚染が確認されている栃木県那須塩原市。2月24日に開かれた保養相談会には、「県境で汚染物質が止まるわけがない」と、わが子を守りたい親たちが集まった。周囲に気遣いながら、考え過ぎだと揶揄されながら、せめて保養プログラムで子どもを放射線量の低い土地に行かせたい─。会場には親たちの切なる願いがあふれていた。被曝や汚染は福島だけの問題ではない。


【娘のため50万円かけて自宅を除染】

70万円。

那須町の夫婦は、除染の見積もり金額にため息をついた。

町から20万円を上限とした補助金が出るが、それでも50万円。3人の娘(2歳、5歳、8歳)を子育てしている家庭には、大きな負担だ。「本当に余計なお金だけれど、子どもが心配ですから」と母親は苦笑するしかなかった。原発事故後、1年以上にわたって鳥取県内に母子避難をしていたが、戻ってきた以上は何もしないわけにはいかない。町による測定では、室内も含めた自宅周辺の放射線量は0.4μSVを超した。2階の室内でも0.2μSV超、山林に近い子ども部屋の外は0.6μSVに達した。近所の人からは「そうやって心配する方がよっぽど身体に悪い」と揶揄されるが、気持ちは変わらない。

中学3年生の娘と小学4年生の息子の母親は、塩谷町から相談会に訪れた。「放射性物質は福島との県境で止まるわけがないのに、行政は汚染がないフリをしてばかり。周囲の人と放射能の話をしても浮いてしまいます」と話す。日光市の夫婦は、小学2年生と4歳の息子を連れて来場した。「ママ友の中には全く意識していない人もいるけれど、子どもの身体に何かあったら誰が責任をとってくれるのか。親が守ってやらないといけませんよね」と母親。大田原市の父親は、小学4年生の娘と1年生の息子を何度か、保養プログラムに参加させている。「周囲からは心配性だと言われていますよ」と苦笑した。
民の声新聞-那須塩原②
民の声新聞-那須塩原③
那須塩原市内で初めて開かれた保養相談会。

訪れた人は「放射能の話をしづらい雰囲気がある」

「考え方の違うママ友との付き合いが難しい」などと

苦悩を口にした=東那須野公民館

【生産者の手前、被曝や汚染を口にできない】

「親として大事をとるのは当たり前です。でも、個人でいくら行政に立ち向かっても、けんもほろろに跳ね返されてしまう。そこで、2011年6月30日に会を立ち上げたんです」

那須塩原市の親たちでつくる「那須塩原 放射能から子どもを守る会」代表の手塚真子さん(43)は話す。

牛乳や野菜など生産者が多い土地柄。被曝や汚染を公然と口にすれば、風評加害者だと責められかねない。そんな現実を見続けてきた。誰もが心の中では心配しながら、何事もなかったように暮らしている。「みな、口をつぐんでいるから分からないけれど、潜在的に被曝を心配している人は多いと思いますよ。実際、私たちの会にこっそりと入会している人もいますから」

自身、三児の母。将来起きるかもしれない健康被害や結婚差別を考えると、やれることもせずに見過ごすことはできないという。「ちゃんと守って、それでも起きたことならまだ仕方ない。でも将来、子どもから『お母さん、あの時何してたんだよ』と言われるようなことにだけはしたくない」。会員は100人を超えた。原発事故から半年後の2011年9月には、約9000人分の署名を市議会に提出。学校の表土除去を実現させた。それまで市は、表土除去を実施する基準として「1.0μSV」を掲げていたが、それを撤廃させた。一方で、行政と対立してばかりではいけないと、食品検査にスタッフを派遣し、市職員と協力して検査を行っている。

「親はくたびれていますよ」と手塚さん。最近では、疲弊したお母さんたちのためのリフレッシュプログラムにも取り組んでいる。
民の声新聞-那須塩原①
民の声新聞-那須塩原④

(上)東那須野公民館近くの側溝は3.0μSV超

(下)公民館入口でも、除染が終了したばかりと

いうのに0.3μSVを超えた=那須塩原市東小屋


【周囲に内緒で相談会に訪れる親たち】

相談会は2月24日、「311受入全国協議会」が主催して開かれた。北海道や兵庫県など、全国の受け入れ団体がテーブルを並べ、取り組みを説明した。

参加者の一人は「『このような相談会はありがたい』『栃木の子どもたちも福島と同じように受け入れてくれて感謝します』などと言ってくれた。中には『周囲に黙ってこっそり来ました』と顔をこわばらせながら来場した人もいました。周囲との温度差に悩んでいるんですね。でも、ここで悩みを口にするだけでも意味はあると思います。すっきりとした表情で帰られましたから。近所に東電関係者や農家がいて放射能の話ができない、と苦しんでいる方もいました」と振り返った。

「協議会」の早尾貴紀さんは「福島県から一歩出ると、危機意識が無くなってしまう。福島県外での相談会は宮城県白石市に続いて二回目だが、白石市でもそう感じた」と話す。被曝の話題はタブーとなりつつある福島。県外ではなおさら、被曝への不安を公言しにくい雰囲気があることはよく理解している。それらの人々にどうやって保養プログラムや受け入れ先の情報を伝えるか、常に意識しながら活動している。
会場となった公民館は子どもも含め年間3万人が利用する。前日に除染が終了したが、依然として周辺の放射線量は0.3-0.4μSVもある。除染前は、雨どい直下で10μSVを超すこともあった。「地形的に雨水が溜まることから浸透式のアスファルトにした。そのことが結果として裏目に出てしまった。今後もこまめに測定していきたい。それで放射線量が上がるようなら、役所に要請しなければいけない。数字で闘うしかありません」と館長(57)。館内には、原発や被曝に関する書籍が多数並べられていた。「賛否どちらも知ったうえで行動できる市民になって欲しいんです」。

那須塩原市は汚染地だと公言してはばからない館長。那須塩原駅から一駅、西那須野駅からほど近い太夫塚公園では、芝生の窪みで5.0μSVを超した。間もなく除染が始まるという。

ここは福島ではない。栃木だ。
民の声新聞-西那須野①
民の声新聞-西那須野②
西那須野公民館に隣接する太夫塚公園。周囲の芝生

より一段下がった水路のような窪みで5.0μSV超。間も

なく除染が行われると看板で告知されていた

=那須塩原市太夫塚、2/25撮影


(了)

【ベラルーシ視察報告会】学んだのは復興?福島市も積極的に子どもたちの保養に取り組め

ベラルーシ共和国で実践されている保養プログラムを絶賛しながら、市の施策には取り入れない─。23日に開かれた「ベラルーシ視察団」の報告会では、福島市の復興に向けて子どもたちの避難や保養よりも、避難者を呼び戻し〝明るく前向きに〟原発事故を乗り越えて行こうとの市側の姿勢が垣間見えた。ネット批判も飛び出した報告会では「百聞は一見にしかず」と視察の意義が強調されたが、本気で視察を生かすのならば、同国にならって保養プログラムに力を入れるべきだ。今年も実施予定のベラルーシ視察。今度は何を見てくるのか。〝明るく前向き〟のスローガンで子どもたちの被曝は回避できるのだろうか。


【ベラルーシと福島の違いを強調】

福島市医師会の男性理事は、ミンスクの小児がんセンターで聴いた「チェルノブイリ原発事故後は甲状腺がんが10倍以上に増えたが、現在は下がっている。だが、当時6歳だった子どもの発症率が高く、原発事故との因果関係を否定できない」、「1986年と87年に白血病が急増した。こちらも原発事故が原因だろう」、「長期的な低線量被曝について、日本と共同研究をしたい」などの現地の医療関係者の言葉を紹介。モズィリの産院では「母親からは、チェルノブイリ原発事故関係の不安は聞かれない」、「出生率は下がっていたが、今は回復している」、「高線量地域での出産例はあるが、死産も奇形児もほとんどない」などと言われたという。一方で、視察団を乗せたバスを地元の交通警察が先導したこと、KGB(旧ソビエト連邦国家保安委員会)の影響が色濃く残っていることにも触れた。

市立中学校の男性教師(理科)は、チェルノブイリ原発から約26kmのストレチェヴォ中等学校を視察した際の様子を披露。「事故直後の放射線量が毎時1350μSVで閉鎖されたが、除染技術の向上で8年前に再開された。持参した線量計の数値は0.077μSV。全く問題ない環境だった」「食品の放射線量を測ることと運動の大切さを教わった」と話した。現地の50代教師からは「当時、チェルノブイリ原発事故の発生は秘密にされていた。誰も何も知らなかったから、子どもたちは屋外で遊んでいた。避難できたのは4カ月後のことだった」と言われたという。

女子短大生(20)は「子どもたちが皆、笑顔だった」と振り返った。モズィリ教育大学では、学生らが「正しい知識を子どもたちに教えることによって被害の拡大を防ぐことが教育者の重要な役割だ」と話していたとして「私も福島で子どもを産み、育て、福島に貢献したい」と話した。

副団長として参加した福島大学の清水修二教授は、ベラルーシの基本知識として「福島と違い、相当な量のストロンチウムやプルトニウムが土壌から検出されている」「土地は国有のため帰還を考えないが、日本は土地が私有財産。避難しても帰ることを前提に考えている」「ベラルーシでは、約12万人の子どもが年間被曝線量が500mSVを超した。福島では、放医研の一歳児調査で最大でも30mSVだった。相当な差だ」と話し、違いが多くあると強調した。
民の声新聞-ベラルーシ②
民の声新聞-ベラルーシ③

視察団参加者が、医療や教育など分野ごとに報告。

「どこまで本音が聴けたか分からない」との指摘もあ

った


【瀬戸市長も視察参加者もネット批判】

福島市の担当者によると、今回の視察に関わる予算は旅費、滞在費、コーディネーターへの謝礼、帰国後の報告会経費などを含め約2700万円。昨年9月の市議会に提案された補正予算案に盛り込まれ、承認された。

15人の市民公募枠に対し、81人が応募。参加の動機や視察の狙いなどをテーマにした作文を、清水教授や市職員らで採点。上位者にさらに面接を行い、絞り込んだ。「思いのほか狭き門になった」(市職員)。この15人に市側から市医師会に所属する医師、保育士、教師、PTAに参加を依頼。さらに市政記者クラブに加盟するメディア(福島民報、福島民友、産経新聞、共同通信、テレビユー福島)が記者を同行させた。担当者によれば、地元紙の2社に市負担で同行取材を依頼する計画もあったが、公平性に欠けるとの理由で取りやめたという。

報告会の冒頭、瀬戸孝則福島市長は挨拶の中で「原発事故後、様々な情報が茶の間に入った。そこで、自分の目で感じるのが、言っちゃ何ですが一番信頼できるのではないかと考えた。今回の視察をこれからの復興の糧にしたい」と話し、インターネットを中心に飛び交うネガティブな情報を暗に批判した。

視察参加者も「ベラルーシは、情報が一本化されていた」、「インターネットで検索をすると、悪い情報が真っ先に出てくる。日本は情報統制が出来ていない」、「福島にマスコミが入りすぎたおかげで、ゼロリスクを求める悪い風潮が出来上がってしまった」などと発言。被曝の危険などネガティブな情報に惑わされることなく明るく前向きに復興して行こう─とのムード醸成に一役買った。来場者の女性は、質疑応答でマイクを握ると「マスコミは無責任に不安をあおっている。県外の人々も、絆などと言いながら震災がれきや放射性廃棄物を受け入れない。本当に情けない」と語気を強めた。

ベラルーシからは心臓学病院長などが来日。「福島市内の学校にはモニタリングポストが設置され、放射線量をしっかりと測っている。とても感心しました」などと話した。
民の声新聞-ベラルーシ①
多くの市民が集まった報告会。ベラルーシ視察の

市民公募枠は5倍を超す高競争率だった

=福島市・桜の聖母短大マリアンホール講堂


【瀬戸市長は保養プログラム採用に言及せず】

ベラルーシの取り組みで、多くの視察参加者が絶賛したのが保養プログラムだ。

国内には14カ所の児童保養施設があり、1.0μSV以上の「汚染地域」に暮らしている子ども(幼稚園児~18歳)は年1回、24日間利用できる。親も同伴でき、施設までの交通費や滞在費は一切無料。施設には医師や保育士、調理師などが常駐し、ホールボディカウンター(WBC)での測定や甲状腺などの検査も必ず行われる。キノコなど汚染された食べ物を日頃口にしている子どもは内部被曝線量が上がるといい、24日間で排出されるような食事が用意されるという。

会場からも「市として同様の取り組みをする意思があるのか」と、瀬戸市長に質問があった。しかし、ステージ上の瀬戸市長から回答は無し。保養プログラムに積極的に取り組むとの言葉は最後まで出なかった。逆に、市役所の一角に市民相談コーナーを新設すること、市の西部地区に市営住宅を50-100戸建設し、山形県などに自主避難している親子を呼び戻すことなど、新年度予算での取り組みをアピールした。

さらに「側溝の除染をやりたい。だが、汚染土の仮置きを地権者に受け入れてもらえないため進められない」とボヤキも。「水道水は1ベクレルまで測っている」「学校給食は他所と比べても安全だ」などとPRも忘れなかった。

福島市は新年度も、再びベラルーシ視察団を派遣するという。

同行した市議会議長も「学ぶべきことが非常に多かった」と手放しで評価したが、そんなに学んだのなら、行政として全ての子どもたちに保養の機会を均等に与えるべきだ。単に「復興を成し遂げていた」「子どもたちは明るかった」だけでは、数千万円もかける価値は無いと言わざるを得ない。
民の声新聞-ベラルーシ④

福島駅西口のモニタリングポスト。放射線量が下

がっているから保養の必要はないと市長は考えて

いるのだろうか



(了)

【23カ月目の福島はいま】進まぬ除染、続く汚染。「私が息子を守る」と闘う母親~二本松市

〝智恵子の里〟二本松市を、ほぼ1年ぶりに歩いた。民家の高濃度汚染は依然として続き、至る所で線量計の数値が上がる。行政は5か年計画で宅地除染を始めているが、汚染土などの仮置き場の確保に難航、スムーズに進んでいないのが現状だ。冷笑にもめげずにわが子を守り続ける母親、自己除染費用を何とか東電に賠償させようと奔走する市職員。原発事故から2年が経過しても、収束はおろか被曝との闘いは緒についたばかりだ。

【自分がやらなきゃ誰も子どもを守ってくれない】

「ウチの放射線量は、原発事故以来ずっと高いんだよ」

JR東北本線・安達駅からほど近い二本松市油井地区。女性(68)に手招きされて民家の庭先に向かう。言われるままに雨どいに線量計を近づけると、線量計の数値は一気に10μSVを突破した。傍らで見守っていた女性が「原発事故の直後は30μSV近くあったんだよ」とつぶやく。別の雨どいでは、7.0μSV前後。中学2年生になる孫には、なるべく近寄らないように言い続けている。しばらくブルーシートで覆っていたが、いつまでもそうしているわけにもいかず、外してしまった。市には昨年9月の段階で除染同意書を提出しているものの、実際に除染作業が行われるのはいつになるのか、予定は全く立っていない。孫がマスクを嫌がらずに使い続けていることだけが、せめてもの救いだと言った。畑で収穫した野菜に孫が箸をのばそうとすると、皿ごと引っ込めてしまう自分が哀しい、とも。

その中学生の母親(48)は、チェルノブイリ原発事故当時に文献を読み漁った経験から、福島原発事故以降、息子を守るためにできることは全てやってきた。マスク常備は当たり前。玄関に衣装ケースを置き、洋服をはたいて脱ぎいれるようにさせた。知人には「そこまでする必要があるのか」と冷ややかな視線を浴びたこともある。だが「よそはよそ。ウチはウチ。自分がやらなきゃ、誰も子どもを守ってはくれませんよ」と言い切る。

専用ファイルも作った。資料は全て保管していくつもりだ。甲状腺検査の結果は「問題なし」。ガラスバッジによる積算被曝線量(2012年5月~7月)も0.13mSVで、健康に悪影響はないとの結論だった。だが、将来の健康被害への不安は払拭されない。「県の問診票だけは、まだ提出できないでいるんですよ。事故直後はなるべく屋外に出させないように気を付けていました。それを明記したら、将来病気になったとしても補償の対象外にされてしまうのではないかと思うと…」
取材中、あまり怒りを前面に出さなかった祖母が、最後にひと言だけ怒りを込めて話した。

「原発事故は終わった?冗談じゃない。こういう場所に何カ月も住んでみて欲しいよ。マスクもせず、福島の野菜を食べて。俺らと同じ生活をしてみれば分かるだろうよ」
民の声新聞-二本松①
民の声新聞-二本松②
民の声新聞-二本松③
(上)(中)雨どい直下で10μSVを超した民家。「原発

事故直後は30μSVくらいあったよ」と祖母は嘆いた

(下)母親は、息子たちの健康管理のために専用ファ

イルを作った。「将来、健康被害が起きた場合に『原発

と無関係』とは言われたくないです」

=二本松市油井


【あきらめた桃づくりと汚された水田】

「放射線量?高いのは分かっているけど、気にしていたら住めねえっぺよ」

50代の男性は布団干しの手を休めて苦笑した。

長年、育てた桃の木は事故後、切ってしまった。無機質な幹だけが、寒風吹きすさぶ農地の真ん中に立っている。死んでしまった木を前に「あのまま作り続けていれば、補償金もらえたんだろ?切らなきゃ良かったよ」と冗談交じりに話す。横浜に暮らす娘からは「やっぱりウチの桃が一番美味しい」と言われたという。「家の除染?ウチは小さい子どももいないし、優先順位が低いんだろうな。当分先じゃねえか?」。補償金はさておき、再び桃づくりをはじめようかと考えている。数年後にはまた、娘に桃を食べさせてやれるだろうかと考える。

先祖代々続く専業農家の男性(65)は原発事故直後、雨どい直下に線量計をかざすと2.0μSVを超したと振り返る。「すぐに役場に行ったが、門前払いだったよ」。昨年は稲作を中止した。父親から受け継いだ土地がどれだけ汚染されているか、想像もつかない。

30代の息子は郡山に暮らしているが、妻と小中学生の子どもは新潟県に避難させている。孫の顔を見る機会も少なくなったが、放射線を思うと仕方ない。自宅前の水田の一角が10μSVあったと告げると「まだそんなに高いか」とつぶやいた。

この男性宅、庭先で手元の線量計は0.3μSV前後を示した。低いように思えるが、単純換算で年2.0mSVに達する値。さらに「あの頃は高かった」と言った雨どいに近づけると、3.0μSVを突破した。高濃度汚染は過去の話ではない。現在進行形だ。
民の声新聞-二本松④
民の声新聞-二本松⑤
民の声新聞-二本松⑥
(上)セブンイレブン福島安達店の駐車場

(中)二本松市役所入り口に敷き詰められたタイル

隙間から生えているコケに線量計をかざすと1.4

μSVを超した

(下)市職員も認める六角川の高濃度汚染。1.8μSV

を超すような場所に子どもを近づけてはいけない。川

底土壌の汚染はいかばかりか


【除染のネックは仮置き場の確保】

二本松市は、市内を空間線量率の高い順に3つにグループ分けして18歳未満の子どもがいる世帯を対象に宅地除染を始めている。現在、第2期除染の実施中。安達駅周辺は第3期に分類されるが、いつから着手できるか見通しが立たない状況という。

「とにかく住環境から汚染物質を取り除こうと、表土除去と雨どいの洗浄を行います」と放射能測定除染課の男性職員。除染で生じた汚染土などは、民家の敷地内に一時保管するが、移動のあてはない。広い土地の地権者の同意が得られず、市としての仮置き場が確保できていないからだ。

「汚染物質を自分の土地に置きたくないという感情は当然だと思います。ましてや、他人の家から生じたものなら尚更でしょう。国に早く中間貯蔵施設をつくってもらい、そちらに移動させたい。遅くても5年後には移動させたいと考えています」

市民の中には、市の除染を待ち切れずに自分で業者に依頼する人もいる。だが、費用は自己負担。東電も賠償する意思はない。「東電に相談したが、けんもほろろに門前払いされた」と悔しがる市民の姿を少なからず見てきた。「なぜ被害者が自分の金で掃除をしなければいけないのか」と、男性職員は市内にある東電の賠償相談窓口に出向いたが「本店に伝えます」「お話は承りました」などと木で鼻を括ったような対応ばかりだったという。「そもそも看板すら出さず、直通電話の番号も公表していない。それで何が〝相談窓口〟だ」と怒りを隠さない。

市内に高線量スポットが点在するのは良く分かっている。「しかし、動きたくても動けない事情もあるのです」と職員。法の壁や縦割り行政の弊害だ。

二本松駅前を流れる六角川。河川敷は高さ1㍍で測っても2.0μSV前後と高線量。市は川底の汚泥が高濃度に汚染しているために周辺の放射線量が下がらないとみているが、川の管理者は福島県。「河川法」によって市が川底の汚泥を除去することはできないという。

「仮に県が汚泥除去をするにしても、やはり仮置き場の確保が課題になるから、なかなか進まないでしょうね」。
コンビニの駐車場、市役所のタイル…。歩くほどに、放射線量の高さを思い知る。ホットスポットの存在を知った市民から連絡があったらどうするか、その問いに職員は少し考えて、答えた。「実際に職員が出向いて線量を測り、記録します。どうしても早く何とかしたいと言う人には、『除染セット』を差し上げるので自分でやっていただくしかありません。希望があればつるはしやスコップもお貸しします」

放射能測定除染課の片隅には、ブルーシートや手袋、フレコンバッグやマスクなどが入った袋が積み上げられていた。避難もままならず、二本松市で暮らすには自ら除染をしなければならない。「自分がやらなきゃ誰が守ってくれるのか」という母親の言葉が頭をよぎる。まるで戦場だ。


(了)

【暁まいり】伝統行事と高線量の信夫山~被曝と復興のはざまで広がる言葉は「しょうがない」

依然として高線量の福島市・信夫山で2月10、11の両日、伝統行事「暁まいり」が行われた。宅地除染が行われるなかを巨大なわらじが奉納され、若者が走る。参加者は口々に「放射線量を気にしていたら福島には住めない」と言い、主催者も「福島を盛り上げるためには何か動かないと」と話す。復興の向こう側に隠された被曝。誰もが被曝の危険性は認識しながらも、「しょうがない」と覆い隠す。二日間の行事を通し、被曝と復興のはざまでジレンマを抱える市民たちの苦悩が伝わってきた。


【「明るく前向きに考えよう」と祭りに参加する若者】

午前9時すぎ、長さ12㍍、重さ2㌧の大わらじが、90人余の担ぎ手に担がれ、信夫山麓の御山地区を出発した。目指すは山頂の羽黒神社。1月11日に、昨年奉納した大わらじを解体して約1カ月。「測定したが下限値以下だった」(御山敬神会)という稲わらを使って作り上げられた大わらじが、白装束の男たちの手で福島市内を練り歩く。

福島駅前などでは、天狗の神楽も披露された。休憩時には、多くのお年寄りなどがわらじに触れ、手を合わせた。関係者らは、300年とも400年とも言われる伝統を絶やすわけにはいかないと口々に言う。しかし一方で、出発地近くの「三本松」バス停で、手元の線量計は軽く1.0μSVを超した。信夫山周辺は、依然として高濃度汚染が続いているのが実情だ。

「みんな分かっているさ。関心ないような顔をしているけどね。」

御山地区に住む70代の男性は大きくうなずいた。

酒を飲み交わせば、放射能の話題になる。「除染は口封じなんじゃないか、アリバイ作りなんじゃないか、と誰もが頭に来ているよ」。特に信夫山周辺は、宅地除染をしても雨などで山から汚染物質が流れ込み、再び放射線量が高まることを知らない人はいない。この男性の自宅も、昨秋の時点で庭が1.8μSVもあったという。

しかし、担ぎ手として参加した男性らは、口々に被曝の危険を否定した。

「無関心ではないけれど、気にしても仕方ない。どうしようもないじゃないですか。明るく前向きに考えましょうよ」(27歳)。「飯坂に住んでいるけれど、いちいち測定して気にしていたら住めないよ。まあ、時間の経過でマヒしている部分もあるけどね」(50代)。

医療機関で働く30代の放射線技師も「浴びないに越したことはないけれど、洋服一枚で外部被曝を防げるレベルの低線量ですからね。気にしすぎる方が身体に良く無いんじゃないですか。中国にもブラジルにも放射線量の高い地域があるけれど、早死にしているわけではありません。私が仕事で浴びている放射線量の方がよほど高いですよ」と笑顔で話した。
民の声新聞-大わらじ①
民の声新聞-大わらじ②

福島市内を12kmにわたって練り歩いた大わらじ。

長さ12㍍。重さ2㌧。90人余の男たちが担いで信

夫山の羽黒神社に奉納した


【自宅を新築しちゃったし…葛藤する母親】

大わらじは、信夫山のふもと、黒岩神社から先は、担ぎ手に加えて一般市民もロープを引きながら羽黒神社を目指した。「夫がわらじを担いでいるし、子どもも参加したいと言ったので来ました」。30代の母親は、幼稚園の年少と小学1年生の二人の息子と共に羽黒神社を目指した。「まだ放射線量が高いことは分かっています」と話す母親。「でも、自宅を新築しちゃったし、受け入れるしかないんですよ。もちろん、被曝は心配だから、子どもにはマスクをさせていますし、ドングリを拾わないように注意するようにしています。危険なポイントを避けながら生きて行くしかないですよ」

25年以上にわたって大わらじの奉納に参加し、「担ごう会」を復活させたという50代の男性は「羽黒神社に参拝するのは、足腰の丈夫を祈願するお年寄りが多いからね。子どもたちはそんなにいないでしょう。それに、今年は暁まいりの開催にあたって市が除染をしました。放射線量は下がっているはずです」と苦笑した。「山ですからね、除染しているといっても…」と市職員は話したが、森林除染の難しさは、実は多くの市民が分かっている。実際、麓の駒山公園のモニタリングポストは、依然として1.2μSVを超す数値を示し続けている。
大わらじの奉納が無事に終わると、担ぎ手たちは万歳三唱で締めくくった。集まった見物客らも両手を挙げて万歳をする。盛り上がる伝統行事の陰に隠れた高濃度汚染をしかし、忘れてはいけない。
民の声新聞-大わらじ④
民の声新聞-大わらじ③
民の声新聞-信夫山

(上)宅地除染が行われている中、羽黒神社に向

かった大わらじ。市職員も「山林はどれだけ下がる

か…」と懐疑的

(中)幼い子どもたちも、大わらじの奉納に一役買

った。「放射線量が高いのは分かっているのでマス

クをさせている」と母親は話した

(下)信夫山中腹の駒山公園のモニタリングポスト

は、依然として1.2μSV超。これで安全と言えるのか


【高線量下を走る女子中学生】

わらじが奉納された翌11日。雪が舞い、気温も0℃前後に下がった極寒の信夫山を、130人の男女が走った。

福島青年会議所(JCI)が主催した「第一回暁まいり 福男福女競走」。麓の黒沼神社から約1km先の羽黒神社を目指す。奇抜な衣装に身を包んだグループや、地元テレビ局の女性アナウンサーの姿もあった。開会式で、JCIの理事長は「われわれが楽しい事業をすることで、苦しんでいる子どもたちに夢や希望を持ってほしい」とあいさつした。

スタート前、伊達市の女性(22)は満面の笑みで「被曝?被曝したらしたでしょうがないですよ」と話した。「やっぱり福島を離れたくないんです。それに、福島の男性と結婚するとしたら、相手だって被曝している可能性があるわけでしょう?そしたら、もう考えてもしょうがないですよね」

エストニアから来日、福島の女性と結婚して福島市内で暮らしている男性(26)も「放射線?全然気にならないね。この程度の数値なら大して高いとは思わないよ」と首を振った。

39歳の男性は、3歳と6歳の二児の父親。「1.0μSVくらいで気にしていたら、福島市には住めないですよ」と苦笑する。「もちろん、子どもたちは被曝しないように注意はしています。以前、信夫山に遊びに来たこともあったけれど、線量が高いことを思い出してすぐに帰りましたしね。でも、全く外出させないわけにもいきません。ホットスポットには近づかないように気を付けて生活していくしかないんですよ」。
初代福男の座を射止めたのは、毎日のように信夫山を走っているという男性。そして、初代福女は中学生だった。閉会式で、自身も学生服姿で走った応援団員の学生が「頑張れ頑張れ福島」とエールを送った。会場のあちらこちらから「こういうイベント良いよね」「毎年やって欲しいね」という声が聞こえてくる。復興も大切だが、被曝回避も重要な問題。しかし、「がんばろう福島」のムードの中では、「被曝」などかき消されてしまう。

「まつり継承委員会」の委員長として今イベントの準備を進めてきた男子スタッフ(32)は「何もやらなければ何も変わらない」と話す。

「避難で子どもたちが減っていて、市のシンボルである信夫山の広場にも子どもたちが来なくなってしまいました。こういうイベントをやらなくても、部活動で子どもたちは信夫山を走っています。それならば、多くの人が集まり、メディアにも取り上げてもらえるイベントをやろうと思いました。開催すれば、否定的な意見も表に出てくるでしょう。そんなに人が集まるのなら除染をもっと進めようということにもなるでしょう。とになく、動かない事には仕方ないと思います」
民の声新聞-福男福女競走①
民の声新聞-福男福女競走②

福島市民を中心に130人が参加した「福男福女競走」。

放射線量が依然として高いなか、初代福女の座を射止

めたのは女子中学生だった=黒沼神社

(了)

【23カ月目の福島はいま】高濃度汚染が放置されたままの本宮市~線量低減のめど立たず

高濃度汚染の通学路。小学生は言う。「放射能?もう慣れちゃったよ」。行政も手をこまねいていて、汚染は放置されたまま─。福島第一原発から60km離れた本宮市。ちょうど福島県の「へそ」に位置するこの町は、依然として高濃度汚染が続いているにもかかわらず、5か年計画の宅地除染が始まったばかり。線量低減化や子どもたちの被曝回避の取り組みは十分ではなく、ホットスポット対策も市民任せ。今日も放射線が通学路で子どもたちの身体を貫いている。


【「放射能には慣れちゃったよ」と小学生】

本宮市役所から東北自動車道方面に向かって歩くと、下校途中の小学生たちと出会った。通学路の端に積もった雪をつかみ、ボールのように固めてぶつけ合って歓声をあげている。

本宮まゆみ小学校の6年生という男の子に声を掛けると、少し警戒した様子でしかし、きっぱりと言った。

「放射能?前は気にしていたけどね。うん、原発事故のすぐ後は。でも、今は全然気にしていないよ」

あっという間に、友達の男の子たちに囲まれた。

「放射能とか、被曝の話を聴きたいんだってさ」

声変わりしたばかりの、幼い表情に似つかわしくない低音が響く。「放射能?もう、慣れちゃったよ」。

私は思わず聞き返した。「慣れちゃった?」。

男の子がうなずき終わるのを待たずに、周囲の子どもたちも一様に「そうだよね」と声をあげた。一人の男の子が「学校でも家でも放射能の話をすることはないよ」と口にする。もっと面白い話が聴けると思ったのに、とでも言いたげに、私を囲んだ輪が次第に解けて行った。

だが、この子どもたちが日々利用している通学路では、アスファルトの切れ目に生えた雑草に線量計を近づけると、1.0μSVどころか、場所によっては軽く2-3μSVを超した。通学路から少し入った脇道では、4-5μSVに達した。単純換算で、年間被曝線量が30-40mSVに達するレベルだ。それを伝えると「え?この辺りって放射線量が高いんですか?」と驚いた表情を見せた子どももいたが、それも一瞬だった。「放射線量が高い」と言われても、その意味が分からないのだろう。すぐに雪合戦が再開された。これが福島第一原発から60kmも離れた中通りの、事故から2年近く経った現実の姿なのだ。
民の声新聞-本宮市②
民の声新聞-本宮市⑤
市役所に向かう幹線道路沿いの空き地。放射線量は

地面真上で7.0μSVを超した。だが、住民は高濃度

汚染を知らずに暮らしている。市も汚染を把握しなが

ら結果的に放置しているのが実情だ=本宮市本宮


【深刻な土壌汚染。国道沿いで7.0μSV超】

JR東北本線で郡山駅から約15分。本宮駅を降りると東京の喧騒とは比べ物にならないほど、静かな町だ。「ここは何にもないからねぇ」。少し腰の曲がったお年寄りが自嘲気味に笑う。だが、お年寄りと立ち話をしている場所からほど近い駐車場では、地面真上で0.7μSVを超した。「それは、健康に害を与えるのかね?」。お年寄りが心配そうな表情で尋ねる。私は少し考えて、やはり「被曝の危険がありますよ」と答えた。落としよりは哀しそうな顔をした。そして「わざわざ遠くから来て、ご苦労なことだね」とねぎらってくれた。「私はもう、この年だからね。孫もいねえし」。

市役所に設置されたモニタリングポストの数値は0.2μSV前後だが、東北本線の線路脇では地面真上で1.0μSVを超す。民家の雨どい直下では4.0μSV超。国道4号に面した広大な敷地では、7.0μSVを上回った。福島で、被曝の問題が報じられるのは相双地区とせいぜい、福島市や郡山市くらい。本宮市が高濃度に汚染されていることなど、ほとんどのメディアでは取り上げられることは無い。だが、実際に線量計を持って歩けば至る所で高い放射線量を確認した。

本宮市役所を過ぎ、本宮まゆみ小学校を越えると東北自動車道に着くが、安達太良サービスエリアの手前、水田が広がる辺りでも、地面真上で軽く5.0μSVを超えた。安達太良サービスエリアは、車でなくても裏の従業員通用口から徒歩で中に入ることができるが、通用口周辺の土も同様に軽く3.0μSVを上回った。たしかに空間線量は驚くほどの高さではないが、土壌汚染の深刻さを知るには十分だった。
民の声新聞-本宮市③
民の声新聞-本宮市④
(上)本宮市役所のモニタリングポストは約0.2μSV。
(下)しかし、本宮まゆみ小学校の通学路では、局所

的に0.6μSV前後に達する


【ホットスポット見つかったら「除染方法教えます」.

「本市は除染に関して、このように5か年計画を立てておりまして…」

取材に応じた本宮市「放射能除染・モニタリングセンター」の職員はそう言って、昨年11月に改定された「除染実施計画 第3版」を広げた。

それによると、市内を大字ごとに13地区に分け、1時間当たりの空間線量率の平均値(μSV)と、ガラスバッジによる年間被曝線量の平均値(mSV)を足した係数を基に優先順位を決め、宅地除染を始めているという。

現在は、優先度第一位の和田地区(0.86μSV+0.63mSV=1.49)で、3月末までの工期で除染作業中。その後、長屋地区(同0.75+0.53=1.28)、高木地区(同0.74+0.52=1.26)の順に入札、発注をしたうえで宅地除染に取り掛かる。剥ぎとった表土などは、フレコンバッグに入れて地区ごとに1カ所設けられる仮置き場に保管される。

これでいけば、今回歩いた「本宮地区」は13番目(同0.56+0.37=0.93)。優先順位第二位の長屋地区でさえ未だ入札すら行われておらず、住民説明会を開くのも、早くて4月になりそうだという。いつになったら除染作業に着手できるのかめどが立たない状態。これでは、本宮地区の除染は再来年にならないと行われない。それまで汚染が放置され続けることになる。

「行政も業者も何しろ初めての事ですから、試行錯誤しながらの作業になっているのが実情です。人手不足も否めません。慣れてくれば作業ペースが上がり、もう少し早く順番がまわってくるかとは思うのですが…」

職員は申し訳なさそうに答えたが、問題はそれまで汚染が放置されること。子どもたちへの外部被曝の危険性が低減されないことだ。

しかも、ホットスポットが見つかったと市民から連絡が入っても、市は対応しないという。「現状では、個別対応はできません。実際に職員が行ってみることはあるかもしれませんが…。いずれにしても、除染の手法をお教えして、市民の方にお願いする形になります」。高濃度汚染に気付いた人が自分で処理しろ。やや乱暴に言えば、それが本宮市の姿勢だ。

民の声新聞-本宮市①
民の声新聞-本宮市⑥
民の声新聞-本宮市⑦

(上)本宮駅近くの民家。雨どい直下で4μSVを

越した。

(下)東北道・安達太良サービスエリア近くの道路

では、水田との境目で6μSVを上回った


(了)

【双葉町】正論より安定した生活の確立を求めた町民たち~深かった井戸川町長と町民の溝

井戸川克隆前町長に対する不信任議決、そして町長による議会解散を受けて3日に投開票が実施された双葉町議会選挙。福島県郡山市の町役場支所に設けられた投票所で、一票を投じた町民たちに井戸川前町長への思いを聴いた。「井戸川町長の主張は正しい、でもね…」と町民たちは口々に言う。丸2年が経とうとしているのに先が見えないままの避難生活に、いら立ちは募るばかり。正論を通そうとした前町長。目の前の生活安定を望んだ町民。両者の溝はあまりにも深かった


【きれい事では何も進まない】

「町長の言っていることと、われわれ避難者との間に、考え方の相違があるんだよ」

郡山市内の民間借り上げ住宅に暮らす男性(62)は、ストーブに手をかざしながら話した。

5人で暮らしていた家族は、いわき市も含め3カ所に分かれての生活を余儀なくされている。あと何年、こんな生活を続けなければならないのか。ふるさとに帰れるなどとは思っていない。でも、何の見通しも立たないのも不安だ。バラバラになってしまった家族や地域の人々が、元のように一緒に生活できる空間を早く作って欲しいと訴える。

「82歳と85歳になる両親はいつも『いつ帰れるの?』って聞くよ。現実は帰れないさ。そんなことは分かっている。でもさ、30年とか50年とかこのままで、後はその時に考えましょうなんて言われてもね…。30年後って俺は92歳になっちゃうよ。それまでの生活はどうすんのよ」

58歳の女性は、やはり郡山市内の民間借り上げ住宅に85歳の母親と二人暮らし。原発事故のせいで転々とし、現在の住まいが7カ所目。大震災まで、福島第一原発の電気工事を請け負っている会社で事務員をしていた。未曽有の揺れで、手を6針縫う大けがをしたという。

「あれだけ汚れたところには帰れないでしょ?だからきちんとまとめて、先が見えるようにしてほしいのよ。世の中、きれい事では何も進まない。じゃあ実際、何が出来てるの?何が進んだの?」

前町長の理念には共感する部分も少なくない。でも、先の見えない不安定な避難生活にも辟易している。顔見知りのお年寄りも、日焼けした顔がすっかり、青白くなってしまったという。自身もあと2年で定年。将来の不安が募るばかり。

「引くところは引いて、議会とも仲良くやって、住民を引っ張って欲しかったですよ。東電や国とも精力的に交渉して、とるもの(賠償金)もとってきてもらわないとね。それなのに、上でごちゃごちゃやってては、どうしようもないでしょ」

そして、吐き捨てるように言った。

「定年後は、ある意味自由だからどこにでも行かれるよ。でもね、お金は誰が出すの?原発事故さえ無ければ双葉町で暮らしていられたんだから」

民の声新聞-双葉町①
民の声新聞-双葉町②
郡山市内に設けられた投票所では、午後5時まで

避難している町民が一票を投じた。町民の選択は

約3時間かけて車で埼玉県加須市に運ばれた。町

選挙は3月10日に実施される=郡山市朝日


【避難先が0.9μSVのダブルパンチ】

5000万円を投じて建設した保育園。美しいステンドグラスが自慢だった園舎は、開園一周年を待たずして廃墟と化した。須賀川市内で避難生活を送る女性園長は「会議に出席しないなど、普通、社会では許されないですよね。叩かれてもきちんと会議に出て、持論を主張するべきだったと思いますよ。おかげで何も進んでいないじゃないですか」と井戸川前町長の言動を批判した。

将来の帰還に向けて進めようとする国の姿勢には大きく首をかしげる。「だいたい、汚染された廃棄物をよその県に持って行くなんて、そんな失礼な話は無いですよ。もう、双葉町には帰れないんだから、町の中に貯蔵するしかないんです。そのうえで、〝仮〟ではなく〝永久の〟町を作って町政を進めて欲しいですよ」と話す。

その園長が「歌の先生」と慕う女性は、猪苗代町での避難生活を経て二本松市の岳温泉に居を構えた。「井戸川さん?あの人は町民のためなんか考えていないよ。人の話を聴かないで、何でも独善で進めてしまう。辞めるタイミングも悪いしね。もっと早く辞めていれば、こんな選挙もしなくて済んだのに」と手厳しい。郡山市大槻町に住む女性は、5人の孫を含む12人家族を切り盛りする。一度、同町内に部屋を借りたが、手狭なため、少し離れた現在の部屋を借り直した。前町長へは言葉すくなだったが、家族が多いだけになおさら、一日も早く安定した生活空間の確保を望んでいる。

「放射線量なんて、高いのは福島市や郡山市ぐらいだと思っていた」と苦笑する保育園長は、避難にあたって両市を避けて須賀川市を選んだ。しかし、玄関先で線量計をかざすと0.9μSV。中通りの深刻な汚染を目の当たりにし、愕然としたという。ふるさとを追われ、ようやく落ち着いた先も被曝の危険性が低くない放射線量。だからこそ、町民たちは一日も早い「新双葉町」を、放射線量の引く土地で作り上げることを望んでいるのだ。
民の声新聞-双葉町③
民の声新聞-双葉町④

(上)町議選の選挙ポスターに「町民の代弁者とし

て」と記した候補者も。果たして新しく選ばれる町

長は、町民の代弁者として働くことができるだろうか
(下)投票所の一角には、双葉町のために折られた

千羽鶴が飾られていた


【届かなかった前町長の想い】

30代の女性は、3歳と5歳の二児の母。放射線量の低い土地を求め、現在は石川郡で夫と4人で避難生活を送っている。

「私はツイッターなどで井戸川さんの想いを知ることができたけれど、多くの町民、特に年配者には伝わっていないと思う。町のホームページに掲載されたメッセージも、最後になってようやく出てきたという感じ。忙しそうにしているけれど、結局、何をしているのかが分からなかったですね」

日頃からわが子の被曝回避を意識しているだけに、井戸川前町長が年間被曝線量1ミリシーベルトにこだわる姿勢など、支持できる部分は多かったという。

「でも、あまりにも手法が悪かったですね。ワンマンで人の話を聴かないし…。懇談会の場で、もっと情報発信するよう伝えたんですけどね。忙しいから無理だと言われてしまいました。現実問題としては、もう町には帰れないだろうし中間貯蔵施設の建設もやむを得ないと思います。だからこそ、双葉郡の他の町と協調性を持って住民を統率してほしかったのですが…。残念です」

町議選に一票を投じたものの、当選議員の中から町長選に立候補する者が出ることは分かっている。井戸川前町長の理念には賛同していただけに、新しい町長への不安は大きい。

「果たして、本当に住民のためになるようなリーダーが選ばれるのかどうか…。そこが気がかりです」

別の50代の女性も、前町長を支持していた一人。

「一生懸命に頑張っていたと思いますよ。東京の大学に進学した息子も言っていました。『被曝の問題にしても、井戸川町長はきちんとしたことを言っている』って。あまりに正しいことを言い過ぎて、干されてしまったのではないですか?」


◆町によると、双葉町民は1月8日現在、福島県内に3704人、県外には3250人が避難している。福島県内の避難先としてはいわき市が最も多く約38%。次いで郡山市約20%、福島市約12%、白河市約7.3%の順。町選管によると、新しく選出された町議の中から町長選挙への立候補者が出た場合、今回の落選者が法定得票数を上回っているため繰り上げ当選となる。その場合の補選は夏の参院選と同時に実施される見通し。なお、25歳以上であれば、双葉町民でなくても町長選挙に立候補することができる。


(了)

もう、わが子を小国小学校には通わせない~児童を守らない学校に見切りつけた伊達市の母親

40代の母親はきっぱりと言った。「4月からは別の小学校に通わせます」─。福島原発事故で拡散した放射性物質による汚染が深刻な伊達市霊山町下小国地区。その一角にある小国小学校も、例外ではない。敷地のすぐ横の排水溝で50μSVを超すなど、子どもたちへの影響が心配なほど放射線量が高い。にもかかわらず、国も市も「除染で安全が確保された」として、避難住民の帰還を促し始めている。不本意ながら、避難先から同校に子どもを通わせてきた母親はついに、子どもを守ろうとしない学校に見切りをつけた。それまで転校を全力で拒んできた3年生の息子も、首をたてに振る。「健康被害が出てからでは遅い」と、母親が決意に至った胸の内を語った。


【「線量下がった」と通学支援打ち切る市教委】

もはや、我慢の限界だった。

福島原発の水素爆発からもうすぐ2年。これまで、わが子のために様々な場面で学校と闘ってきた。

もちろん、早くから転校させたかった。わが子を高線量の校舎に通わせることに唯々諾々としてきたわけではない。原発事故からほどなくして、息子に転校しようと提案した。あなたを守りたい一。この母の言葉をしかし、息子は号泣しながら拒否した。「学校だけは変えたくない」。これまで見せたことのない、大声での号泣だった。その姿に母親は、転校させることをとりあえずあきらめた。その代わり、内部被曝回避など、全力で子どもを守ろうと誓った。

「下小国から今の住まい(伊達市内の比較的放射線量の低い地域)に避難をするのがやっとでした。無理やり、親に従わせることはしたくなかったんです。息子の意思を尊重したかった。子どもには、子どもなりのコミュニティが学校にはありますからね。その分、被曝回避のためにしてあげられることはは全てやってあげようと思いました」

下小国地区の一部が「特定避難勧奨地点」に指定されたことを受け、市の通学支援も始まった。息子は毎日、片道3000円を超す道のりを、避難先からタクシーで小国小学校に通ってきた。だがこれも、勧奨地点の解除を受けて3月末で打ち切られることが決まっている。保護者に対し、1月24日付で市教育長名の通知が配られた。そこにはこう、記されている。

「自宅に戻られても影響無いレベルになります…」

説明会を開くでもなく、紙切れ1枚で打ち切りを告げる市教委。胸の中で、何かが音をたてて動き始めるのが分かった。改めて、息子に転校を求めてみた。返事はYESだった。今度は泣かなかった。いつかこの日が来るだろうと、避難先の学習塾に通わせるなどの努力も実った。

「本心ではいやみたいですけどね」と苦笑する母。しかし、あと3年も高線量の学び舎に通わせることなど、出来るはずがない。4月に1年生になる妹も、兄と同じ小学校に入学する予定だ。
民の声新聞-通学支援
避難先からタクシーで毎日、小国小学校に通学

している小学生。特定避難勧奨地点の指定解除

を受け、通学支援は3月末で打ち切られる

(保護者提供)


【校長自ら「これ以上は気持ちに沿えない」】

原発事故以降、この母親は小国小学校幹部の言動に落胆させられ続けた。

「子どもたちだけでも、放射線量の低い地域に移してほしい。それが駄目ならせめて体育の授業だけでも」という願いは、ことごとく跳ね返されてきた。

昨年7月、PTAなどが校舎周辺の放射線量を測定したが、数値が保護者に開示されたのはずっと後になってからだった。業を煮やした母親は昨年10月、知人の協力を得て自ら放射線量を測定。敷地内の至る所で、空間線量が1.0μSVを上回った。屋外プール脇のコンクリート表面の汚染は、27万ベクレルに達していた。11月には市議会議員が測定をしたが、結果は同様に高いものだった。

母親らの求めもあり屋外プールを使った水泳の授業は中止されたが、秋の持久走大会は校庭で行われた。母親は息子を本番だけ走らせ、練習は参加させなかった。息子は「みんな走っているのに、どうして僕だけ…」と口にしたが、ていねいに説明した。だが、わが子を思っての行動が、徐々に教師らの反感を買うようになった。電話連絡は数えきれないほどあった。直接、教頭や校長と話すことも少なくなかった。そのたびに、時間を惜しまず被曝回避への想いを言葉で伝えた。しかし、母の想いと教師らの心が交わることはなかった。それどころか、校長はこんな言葉を言い放ったという。

「われわれは最善のことをやっています。これ以上、お母さんたちの気持ちに沿うことはできません。ここは伊達市の学校です。私たちは公務員ですから。何なら、私立学校もありますよ」

この学校の教師たちは教え子を守る気などない─。母親は確信した。「念には念を押した対応をしたいのが親というものでしょう。それを『嫌なら私立小学校に行け』と言わんばかりの物言いをするとは…」。
民の声新聞-下小国②
民の声新聞-下小国④
手元の線量計で55μSVを超えたプール横の排水溝。

通学路では0.7μSV超。それでも市教委は、汚染が

「自宅に戻られても影響無いレベル」との認識だ

=小国小学校で2012年12月16日撮影


【軽く一蹴された「市長への手紙」】

伊達市の幹部は取材に対し「55μSVと言っても、全ての地点ではないでしょ?」と答えた。局所的に非常に放射線量が高い個所があるだけで、総じて考えれば児童たちの身体に影響を及ぼすような状況ではない、というスタンス。「これまでも除染を行ってきているし、今後も除染を進めていきたい」と市幹部は繰り返す。

では、わが子を守ろうと奔走する母親は心配性なのだろうか。

「結局、大丈夫じゃなかった、あのときこうしておけば良かったと後悔したくないんです。自分が正しいと思ったように動かなければ、子どもは守れません」と母親は語る。「健康被害が出てからでは遅いんです」とも。わが子を高濃度汚染から少しでも遠ざけたいと思うのは、当然のことだ。それすら否定されるのだとしたら、誰が子どもを被曝から守るのか。
母親は昨年、仁志田昇司市長に宛てた「市長への手紙」の中で「校長や教頭は自分の立場ばかり守ろうとしている様にしか感じません」「小学校の敷地に線量が高いところがあるにもかかわらず、自分たちで下げる努力もしない」などと訴えた。「特定避難勧奨地点」が地域丸ごとではなく世帯ごとの指定になったことで住民が分断された、とも綴った。

12月中旬、仁志田市長から返事が届いた。だが、母親は木で鼻をくくったような文章に、ますます怒りが高まったという。

「小国小学校では校長を中心に教職員が一丸となって、放射線に関する諸問題に対処しております。保護者の方の要望に対しても、その意向を考慮しながら児童の安全を守るための具体的な対策を実施しております」

まずは市長自ら、小国小学校の放射線量を測定してみることだろう。高線量を実際に確かめてもなお、児童たちが置かれた状況に問題が無いのか。考えをお聞かせ願いたい。


(了)

【特定避難勧奨地点解除】伊達市は下小国地区の住民の被曝回避に努めよ~現場は責任のなすり付け合い

「特定避難勧奨地点」が解除された伊達市霊山町下小国地区。依然として放射線量が高いにもかかわらず、伊達市は住民説明会も開かずに文書を郵送するのみ。「国が決めたこと」と繰り返すばかり。住民の安全や健康を確保するのが行政ではないのか。都合が悪くなると国に責任の所在をなすりつけるような伊達市の姿勢に、住民からも怒りの声が上がっている。小国小学校の一時移転も含め、市には住民の被曝回避に努める義務がある。除染だけを進めれば安全は本当に確保されるのか


【指定も解除も国の判断、と言い放つ伊達市幹部】

「特定避難勧奨地点については、指定をしたのも解除をしたのも国。伊達市としての判断は無い。むしろ、市は一貫して『戸別の指定ではなく、地域単位で』と国に言い続けてきた」

市役所で取材に応じた伊達市幹部は、勧奨地点の指定が昨年12月で解除されたことに対し、「あくまで国が主体」と強調した。

指定に際し、国が基準とした「年間20mSV」や「1時間当たり3.8μSV」に関しても「国が判断したこと」と繰り返すばかり。市として住民説明会を開く予定も意思もないという。「年間1mSVが基準ではないのか」と質すと、幹部は「ノーコメント」と苦笑しながら口をつぐんだ。

一方で、「(市民の)安心安全のために多角的に取り組んでいる」とも。「多角的」の中身として、幹部は①年間5mSV以下を目指す除染②ガラスバッジやホールボディカウンター(WBC)による外内部被曝検査③学校給食などの食品管理─を挙げた。さらに「再び原発事故が起きないとも限らないので、今回の経験を無駄にすることなく、避難などのマニュアル作りが必要になるだろう」とも。しかし、依然として放射線量の高い下小国地区に関しては「とにかく除染を進めて行く」と繰り返すばかり。小国小学校の児童の集団疎開についても「そういう考え方もあるかも知れませんね」と答えるにとどまった。

「あくまで国の判断」と強調した市幹部。しかし、仁志田昇司市長は広報誌に掲載しているコラム「市長日誌」2012年12月号の中で、次のように記している。

「除染の進行度合いによっては特定避難勧奨地点の解除を国に申請したい」

そして12月14日、国の原子力災害現地対策本部が「当該地点の解除後1年間の積算線量が20mSv以下となることが確実であることを確認できた」として、解除を発表する。伊達市の判断はあったのだ。いや、むしろ解除を積極的に求めたのは伊達市側ではなかったか。

下小国地区では、依然として至る所で1.0μSV超の高線量が確認できる。だが、仁志田市長は「除染が進み安全だから自宅に帰れ」と避難した住民に迫る。その「安全」の基準は20mSV。今、市長がとるべき施策は、子どもたちを放射線量の低い土地に一時避難させることだ。住民を戻すことではない。じっくりと時間をかけて除染を行い、年間1mSVに限りなく近づけるまで、子どもたちを小国小学校で学ばせてはいけないのだ。
民の声新聞-除染①
民の声新聞-除染②
(上)西松建設による除染が行われている下小国では、

青いフレコンバッグに入れられた汚染土が一時保管さ

れている。この後、石田地区の仮置き場に運ばれる

(下)表土を削っても0.6μSV超。作業員の一人は「砕

石を敷き詰めて、どれだけ抑えられるか…」と語った


【沼に放ったコイから1300ベクレル】

そんな市の姿勢を住民も良く分かっていて、不信感や怒りが高まっている。

「復興委員会」の役員の一人は「解除を知ったのは報道。市は説明も開かず、文書を送ってきただけ。勧奨地点制度でコミュニティは壊され、しかも環境は全然変わっていない。なぜ解除をしたのか、国や県と一緒に説明をするべきだ」と話す。

勧奨地点が毎時3.8μSVを基準にした戸別指定だったため、自宅周辺が1.0μSVや2.0μSVと高線量であっても指定を受けられない住民の不満が高まり、指定を受けられた住民との間に様々な確執が起きた。勧奨地点に指定されれば、家族一人につき毎月、10万円が支給される。夫婦二人暮らしでも、年間240万円に達する。この金が、被害者同士を対立させる最悪な状況を生み出した。

その格差をなくそうと住民が動き出した矢先の指定解除。復興委員会は先日、「解除はまだ早い」「説明会を開け」と市や国に申し入れたが、伊達市はやはり「国が決めたこと」と言い、国は「市からの要請があった」と責任のなすりつけ合い。「誰も責任をとろうとしない。だからこそ、国・県・市の三者が同席しての住民説明会が必要なんだ。それなら責任逃れはできないだろう」と役員の男性は怒りを露わにする。

指定を受けられなかった人のために、と委員会では東電に対する損害賠償請求の申し立てを行っている。指定を受けた人と同額の月10万円を求めているが、どうなるか先が見えない状況。「仮に和解が成立しても壊れてしまったコミュニティは戻らない。でも、こういう我々の抵抗で、少しは気持ちを理解してもらえるのではないか」と役員は話す。

下小国地区には長らく、「ふなっこ会」と呼ばれる釣りの会がある。

お金を出し合い、本宮市の業者から購入したコイを沼に放して、週末に釣りを楽しんできた。酒やつまみを持ち寄り、釣ったコイを食べながら様々な話題で盛り上がった。農業の話、地域の話…。情報交換の場は原発事故後も続いていたが、釣ったコイを口にすることはできなくなった。1300ベクレルもの放射性セシウムが検出されたからだ。

メンバーの一人は言う。「この数字が、下小国の汚染をよく表している。また春が来たら釣りを再開する予定ではいるけれど、『放射能さえなかったら…』という言葉が多くなったね」。
民の声新聞-下小国①
民の声新聞-下小国②
(上)福島交通の路線バス「下小国」バス停

(下)小国小学校横の用水路。

いずれも1.0μSVを上回っている


【地区に一斉避難指示を出して欲しかった】

幹線道路に面する飲食店も、勧奨地点の指定を受けられなかった。

自宅も兼ねた店舗周辺は、伊達市の測定で2.6μSV。その後の除染で放射線量は低減されたとはいえ、裏山は手つかずのまま。被曝の不安は依然として少なくないという。

「国があいまいな基準を作ってしまった。商売をしているし、今さら避難は難しい。あの時、市が地区全体に一斉に避難指示や命令を出してくれたら動けたと思う」と店主は話す。高校生の娘の携帯電話には、原発事故当時、友人から「避難するよ」というメールが続々と届いたという。娘から「うちはいつ避難するの?」と問いかけられ、答えに窮したと振り返る。

「放射線は目に見えないし匂いもないから、正直、ピンときていなかった部分もある。店もあるし。テレビでは、枝野幸男官房長官(当時)が『ただちに影響ない』と繰り返していたしね」。娘の身体に何か影響は出ないのか、そして、下小国地区に住んでいることが将来、結婚に悪影響を及ぼさないのか。有形無形の影響が心配だと話す。

「今回、勧奨地点に指定されなかった人は、国が責任をとりませんよっていうことでしょ、結局。これで娘に何かあったら誰が責任をとるのかね?」

怒りとあきらめが複雑に絡み合ったような表情で、静かに、しかしきっぱりと店主は怒りを口にした。下小国地区が依然として高濃度に汚染されていることは、住民こそが一番良く分かっているのだ。


(了)

【ふくしま集団疎開裁判】裁判官はすがる思いで訴訟起こした母親の想いを聴け~申し立ては却下の公算

「ふくしま集団疎開裁判」の第3回控訴審が21日、仙台高裁で開かれた。今回で結審し、3月にも決定が下される。現在も日々、被曝を強いられている子どもたちと、わが子を守りたい母親らが郡山市を相手取って起こした訴訟は、原発事故から丸2年で一つの区切りを迎える。裁判官は、弁護団が提出した膨大な意見書から浮かび上がる被曝の実態に向き合い、子どもたちを守る決定を下すべきだが、申し立ては却下される公算が高い。


【被曝の実態と向き合わない仙台高裁】

弁護団によると、この日の審尋も約20分で終了。高裁側は次回期日を設けず、結審。郡山市側の反論は今回も無し。弁護団が新しい証拠の提出をしたいと求めると、「3週間以内に提出するように」と期限を設定したという。年度をまたぐと高裁での担当裁判官の顔ぶれが異動で変わってしまう可能性があることから、弁護団は3月末にも高裁が決定を下すとみている。これまでの審尋の流れからは、福島地裁郡山支部同様、却下される公算が高い。その場合、最高裁に舞台を移すか否かは決まっていないという。

仙台市内で開かれた記者会見で、井戸謙一弁護士は「一回も反論をしてこない郡山市は、反論などしなくても司法が救ってくれると確信しているのだろう。そう思われている裁判所も情けない限り。決して楽観はできないが、希望はゼロではない」と話し、光前幸一弁護士も「裁判官は悩んでいる様子はない」と、福島の子どもたちの被曝と正面から向き合っていない仙台高裁の様子を口にした。柳原敏夫弁護士は「裁判所の態度に落胆することに慣れてしまった」と苦笑。「不承不承ながらも、高裁が妥協や譲歩をする決定を下す可能性は大いにある。一部救済でも勝ち取りたい」と望みを語った。

弁護団としては、残された3週間で新たな意見書を提出する予定。南相馬市のグループ「安心安全プロジェクト」が郡山市内の子どもたちの毛髪や衣服の放射線量を測定した結果、非常に高い放射線量を計測したことなどを書面で提出する。また、昨年秋に郡山市民を対象に実施された福島県の甲状腺検査の結果が、間もなく公表される。柳原弁護士は「私がつかんでいる情報では、ほとんどの子どもがA2判定(5ミリ以下の結節や20ミリ以下ののう胞が見つかる)と聞いている。裁判官は子どもたちの置かれた状況が分かるだろう」と話す。

しかし、これまで弁護団が提出してきた膨大な意見書から、福島の子どもたちを取り巻く環境がいかに危険かは十分に推測できる。どれだけ緻密な意見書を提出しても被曝の実態と向き合おうとしない仙台高裁の裁判官。彼らが決定の中で被曝の危険性が存在すると明記するとは到底、思えない。

民の声新聞-弁護団1.21
民の声新聞-母親の手記
(上)3回目の審尋後に行われた弁護団の記者会見。

弁護団からは「仮に却下されたとしても、司法が一定

の危険性に言及してくれれば画期的なこと」との声も

=仙台市青葉区の教会

(下)原告の母親が弁護士に託した手記。「皆で郡山

から避難し、皆で郡山に帰って来れるでしょう。だから

こその集団疎開なんですよ」と訴訟に踏み切った想い

を綴っている(集団疎開裁判HPより)



【すがる思いで「集団疎開裁判」に踏み切った母親】

昨年11月、原告の母親の一人が弁護団に託した手記がある。長男が受験を控えていたことや子どもたちが転校を嫌がったことなどから自主避難できなかった苦悩を綴っている。

「決断できない自分の弱さも、説得しきれない夫や親族の反対も、集団疎開なら全て解決してくれると思ったのです」

「郡山市内の小中学校を総移動させるなんて非現実的であると思いながらも、自分では解決できないから集団疎開にすがりついたのです」

柳原弁護士は「却下されるのではないかという覚悟はあると思うが、もはや自分の子どもだけでなく福島の子どもたちが置かれた状況に『こんなおかしなことが許されて良いのか』という思いが強くなっているのではないか。私たちは正しい情報と正しい正義をつかんでいると信じている。まだまだ〝脱被曝〟の声が高まっていないので、市民の皆さんに声を上げてもらって、母親たちを後押ししてほしい」と話す。

「確かに原告の親たちは疲れてきてはいるが、決して後ろ向きにはなっていない」と話すのは井戸弁護士。「私憤から公憤へ怒りの質が変わってきているのではないか。福島に残った人たちからは『行政は安全だと言うばかり。危険だとひと言言ってくれたら良いのに』という言葉を耳にする。申し立てが却下されたとしても、一定の被曝の危険性に言及してくれたら画期的なのではないか」。

弁護団の一人は「国も地方公共団体も安全だと言っている中で、裁判官が避難に前向きな決定を下すのは難しいのが現実。日本の司法制度の中では、裁判官の独立が実現していない」と指摘する。「訴訟はあくまでも手段の一つ。裁判という旗が立っていることで、能力のある人や情報が集まる。原告の親の中には、今回却下されたら別の形で訴訟を起こしたいと話している人もいるんですよ」と裁判の意義を説いた。

母親の手記は、こう締めくくられている。

「どうか子どもたちのために、思いやりのご判断をお願いします。遅すぎたなどということがないよう、一刻も早く結論が出るよう祈っています」

2011年6月から始まった母親たちの闘いは、原発事故から丸2年の今年3月、一つの区切りを迎える。今日も、子どもたちは被曝を強いられている。
民の声新聞-和太鼓
民の声新聞-1.21仙台アクション

(上)地元宮城県の和太鼓集団「3D-FACTORY」

の有志たちが、和太鼓の演奏で裁判を支援

=勾当台公園

(下)一番町や青葉通りなどを歩いたデモ行進。福

島の被曝、裁判の存在を知って欲しいと声をあげた



【わが子の被曝に苦悩する母親を描く画家】

審尋後に行われた交流会では、福島県伊達市霊山町に生まれ育った画家・渡辺智教さん(38)も「絵を通して、ありのままの福島の実態を伝えたい」とマイクを握った。

原発事故以来、高線量が続いている同町。小国小学校には毎日、子どもたちが通う。通学路の放射線量は軽く、1μSVを超す。地元産の食べ物を通した内部被曝への不安など、母親の苦悩を見続けてきた。

「福島の実態が全国に伝わっていません。『わが子を守りたい』と大きな声で言えない母親たちの想いは〝見えざる福島〟です。私の絵を通して、福島の声を知って欲しい」

昨年は全国を回り、福島の現実を話した。4月にはスペインに渡り、チェルノブイリ原発事故の追悼行事に参加し、「福島の証言者」として6都市9会場で講演をした。しかし、まだまだ福島の実態が全国に伝わっていないという。

「福島の声が届けば動いてくださる方は全国に多くいます。私の絵を拡散していただいて、福島の子どもを対象にした保養プログラムなどの動きがさらに広がるとうれしいです」。作品「梅雨~夏の時期に」では、マスクをした母親が、やはりマスクをした息子の頬に両手をあてている姿を、「がんばろう福島・復興の陰で」では、復興の名の下に被曝を強いられている子どもたちの様子を描いている。「除染の実態」は、除染特需にほくそ笑む大手ゼネコンへの批判を表した。いずれもオブラートに包むような描き方でなくストレートに現実を表現している。

デモ行進に先立って勾当台公園で開かれた集会では、即興で筆を走らせる「ライブペインティング」でわが子を胸に抱く母親の姿を描いた。やや前傾姿勢で、両腕でしっかりと愛おしそうにギュッと抱きしめる姿は、わが子を被曝から守りたい、安全な環境で学ばせたいと立ち上がった郡山の母親たちと重なる。

2月からは、自らの被曝回避と情報発信を兼ねて兵庫県明石市の民間借り上げ住宅に移住する。福島から関西に避難した家族とも交流しながら、大手メディアだけでは伝わらない福島の実態を描き続ける。
民の声新聞-渡辺智教②
民の声新聞-渡辺智教③
「子どもを守りたいと大きな声で言えない母親の苦悩

を知って欲しい」と描き続ける渡辺智教さん。デモ行

進前の集会では、即興でわが子を胸に抱く母親の姿

を描いた。今月末に伊達市から兵庫県に移住する



(了)