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【郡山の乱】原正夫市長にNOを突き付けた市民~市長交代で子どもたちの被曝回避は進むか

任期満了に伴う郡山市長選は14日、投開票が行われ、4年前に続いて原正夫市長(69)に挑んだ元郵政官僚の品川万里(まさと)さん(68)が当選した。現職楽勝ムードが漂うなか投票率は45.01%と過去ワースト2位の低さだったが、震災以降の原市政に、女性を中心に市民が「NO」を突き付けた格好だ。郡山市民は市長選をどう見ているか、高線量の開成山公園を中心に聴いた


【市長を変えることに意味があった】

「とにかく変えたかったということではないでしょうか。品川さんへの希望というよりも、原さんへの失望が顕著に表れた結果だと思います。原さん楽勝ムードの中で投票率が伸びなかったことも幸いしたでしょうね」

郡山市の母親グループ「3a!安全・安心アクションin郡山」の代表で、これまで原市政に子どもたちの被曝回避策を求めてきた野口時子さん(48)は、市長選を振り返った。実際、当選した品川さんは4年前から67票増とほとんど変わらなかったのに対し、落選した原さんは1万8千票以上も得票を減らした。3割近い減少だ。任期の半分を震災対応に費やした原さんへの批判の多さがうかがえる。

「品川さんが市長になったからといって、すべてが劇的に変わるわけではないし、子どもたちの被曝回避策が急速に進むとは思えません。しかし、変わることに意味があるのです」

3a!の野口さんら9人は市長選2日後の16日、さっそく品川新市長と1時間ほど面会。告示前に引き続き、教室へのエアコン設置や市町村をまたいでの移動教室実施、長野県松本市長の菅谷昭さんとの連携など、子どもたちの被曝回避策に取り組むよう求めた。特に教室へのエアコン設置は、真夏に窓を開けることによって子どもたちが被曝することのないよう再三にわたって市議会に請願を提出しながら否決されてきただけに、新市長への期待は大きい。

「移動教室も、郡山市内にこだわらずに放射線量の低い猪苗代町を利用することを考えて欲しい。被曝の危険性を知りながら県外避難できず、郡山で生活せざるを得ない人が大半なんですから」と野口さん。今回、落選した原前市長は、新年度予算案で湖南地区への移動教室費を減額していた。

市長選は子どもたちを守る第一歩。これがゴールではない。品川新市長は、面会の中で市教委改革や音楽堂の建設凍結も口にしたという。27日から任期が始まる新市長の言動を、野口さんらは注意深く見守っていく。
民の声新聞-当選御礼
4年前の雪辱を晴らし現職市長を破った品川新

市長。だが、当選はゴールではない。子どもたち

の被曝回避にきちんと取り組むか、市民は見て

いる=郡山市長者


【郡山に住みながら、どうやってわが子を守るか】

高濃度汚染を受けて大規模な除染が実施された開成山公園。

満開の桜を楽しもうと多くの若者や子どもを連れた親たちでにぎわっている。

「そりゃ、もちろん被曝は心配ですよ。開成山にも来ないようにしてきましたし。でもね、桜をどうしても見たくて。子どもにもせがまれると駄目とは言えないんですよね…」

30代の母親は、6歳と8歳の娘を連れて公園を訪れた。モニタリングポストが0.4μSVを超す放射線量を示しているのを見て驚いたという。大規模除染を行っても、この数値。単純換算で年3mSVに達するレベル。「土とか、子どもは本当に触って欲しくないものに触れますからね、気が抜けません」と母親。これまで、夏休みなどを利用して、岐阜県に保養に出かけるなど娘の被曝回避には気を遣ってきたという。

「長期間の県外避難は現実問題として難しいです。だったら、郡山に住みながらどうやってわが子を守るか。気にしすぎるのも良くないし、難しいですね。前市長の原さんは、子どもたちのために積極的に取り組んでいるようには映らなかった。だから私は品川さんに投票しました」

郡山市は、公園内の桜をライトアップする演出。だが、園内は0.4-0.6μSVと依然として放射線量が高い。1.0μSVを上回らないと放射線量が高いと思わない市民が多くなったことは、原市政の〝成果〟だろうか。

幼稚園児の娘を連れて花見に来ていた30代の父親は、被曝について「最近は危機感が薄れてきていますね」と苦笑した。この男性は、市長選で現職市長が落選したことを知らなかった。投票にも行かなかった。実は彼のような市政にも被曝にも関心の低い市民が大半なのかもしれない。しかし、それでは子どもは守れない。
民の声新聞-開成山①
民の声新聞-花見
民の声新聞-ライトアップ

花見客でにぎわう開成山公園。だが、除染をして

も0.4μSV超。入り口付近では0.6μSVを超す。

子どもたちの被曝回避策が急がれる

=郡山市開成



【若いリーダーの出現に期待する声も】

市内の老舗酒店の経営者は、選挙結果に驚きの表情を隠さなかった。

「原さんは組織票をがっちりと固めていると聞いていたし、ギリギリでも勝つと思っていた。まさか品川さんが当選するとはね。うちにも良く買いに来てくれるんだけど」

だが本当は、若いリーダーの出現を期待している。震災以降、郡山が沈滞ムードに包まれているのは身を持って実感している。

「大阪の橋下さんのようなイキの良い若いリーダーに引っ張って欲しい。これまで、福島県をけん引してきた街だという自負はあるからね。その意味では、原さんも品川さんも70歳近いから、どちらも変わらないかな」

品川新市長は30日、修繕の完了した市役所に初登庁する。市議会で所信を表明するのは6月だ。市役所周辺は依然として高線量。子どもたちの被曝回避策にどれだけ取り組むか、注目したい。
民の声新聞-分庁舎①
民の声新聞-分庁舎②
郡山市役所分庁舎前の植え込みは0.8μSVを超す。

原発事故から2年以上が経ってもこの値。郡山の子

どもたちを取り巻く環境は、決して改善されてはいな

い=写真は全て4月17日に撮影

(了)

【25カ月目の福島はいま】原発から100km近く離れた県南地域の汚染も忘れるな~西郷村、天栄村

福島の県内地域。白河市に隣接する西郷村では、中学校の校庭に汚染土の入ったフレコンバッグが200以上も並べられていた─。福島原発から100km近く離れ、汚染の存在が忘れられがちな同村や天栄村、須賀川市を廻った。そこにはたしかに高濃度の汚染が存在しているにもかかわらず、事故前と変わらぬ日常生活もまた、続いていた。地元男性の協力を得て村々を巡って見えた25カ月目の現実。放射能汚染は決して、距離に等しく拡散するわけではない。そしてまた、現在進行形だ (写真はすべて2013.04.16撮影)


【6μSV超す西郷第二中学校のテニスコート】

高線量の小国小学校(伊達市霊山町下小国)かと見紛うような光景だった。

西郷村の西郷第二中学校。校庭の一角には、真っ黒いフレコンバッグが200以上も並べられていた。ロープが張られ「立ち入り禁止」と書かれているが、中学生たちの学ぶ空間に〝同居〟していることに変わりは無い。

同校によると、校庭ではなく裏山を除染した分だという。しかし、教諭に声をかけても「赴任してきたばかりで良く分からない」、事務室で尋ねても同様の回答。別の教諭に聞いてもらって、ようやく得られた回答だった。

この日はちょうど、校舎の裏手にあるテニスコートの除染作業中だった。真っ青なフレコンバッグが14個、積み上げられている。それぞれに放射線量が記入されており、ほとんどが2.0μSV以上。線量計を近づけると、やはり書かれている数値とほぼ同じになった。中には6.0μSVを超す数値も。福島原発から100km近く離れているのにこの放射線量。汚染が同心円状には拡散しないことが良く分かる。

現場監督に聞いた。「表土を5-10㍉剥ぎました。それをフレコンバッグに入れてから測定した数値を記入しています。6.0μSV?まあ、日常的にそんな高いわけではないですからね、ちょうど汚染濃度の高い土が集まったんじゃないですか?ただ確かに低くは無いですね。除染するまで子どもたちはこのテニスコートを使っていたわけですし…。これらは明日にも運び出します。どこに運ぶかは、運搬業者でないと分かりません」

村役場の放射能対策課によると、村内の独立行政法人芝原牧場から20ヘクタールの土地を提供してもらい、汚染土の仮置き場として使用することを決定。東京ドーム4個分の相当する広さ。現在、搬入のための道路を整備しているという。「なるべく早くしたいが、仮置き場への搬入は早くても7月上旬になるのではないか」(同課)。それまでは、子どもたちとの〝同居〟は続く。テニスコートの汚染土は、村が別に確保した仮仮置き場に一時保管するという。「少しでも子どもたちから遠ざけたいということです」と担当者は話す。仮置き場に搬入された汚染土は、国の中間貯蔵施設が整備された際には、すぐに運び出すという。

25カ月経って、ようやく実施された除染。2-6μSVにまで汚染されたテニスコートを使用していた中学生の身体に悪影響が出ないことを祈るばかりだ。
民の声新聞-西郷村二中①
民の声新聞-西郷村二中②
民の声新聞
(上)西郷第二中学校では、校庭の一角に200以

上のフレコンバッグ。除染で生じた汚染土が詰め

込まれている

(中)(下)校舎裏のテニスコートでは、ちょうど除

染作業中だった。真っ青なフレコンバッグには放

射線量が表示されている。中には6.11μSVに達

する汚染土も

=西白河郡西郷村大字小田倉字上野原


【1年半以上も汚染土と〝同居〟続く福祉施設】

知的障害児入所施設・白河めぐみ園では、半年前と同様、敷地内の一角に独自に除染をした際に生じた汚染土が積み上げられ、ブルーシートで覆われた状態が続いていた。

「持って行き場が無いですからね。結局こうして、利用者と同じ空間に置き続けるしかないですよね」。男性職員があきらめ顔で話した。

同園では福島原発の事故から半年後の2011年9月、除染作業を行った。それから1年半余。結局、運び出すことはできなかった。「まさか、このまま〝永久仮置き〟が続かなければ良いけれど」と職員。ようやく村の仮置き場が確保されたが、それとて、小中学校が優先でいつ移送できるのか分からない。

園内に設置されたモニタリングポストは、0.4μSVを超えていた。男性職員が苦笑する。「今日は低い方で、普段は0.5μSVぐらいありますよ。下がったとはいえ、まだまだこの値ですからね」。これが、福島原発から100km近く離れた村の現実だ。

同村では、やはり半年前にも訪れた馬場坂集会所付近(小田倉馬場坂)で0.5μSVに達した。小田倉稗返の車道脇では、地表真上で2.0μSVを超した。中通りの汚染と言えば福島市や郡山市ばかりに目が向きがちだが、ここにも忘れてはならない汚染が存在する。そして、隣は栃木県那須町。汚染が県境で止まらないのもまた、現実だ。
民の声新聞-めぐみ園①
民の声新聞-めぐみ園②
民の声新聞-小田倉稗返
(上)白河めぐみ園では、除染で生じた汚染土が

1年半余も敷地内に置かれたまま運び出せない

でいる

(中)施設の雨どい直下では6μSVを超えた

(下)小田倉稗返の車道脇では、地表真上で

2.0μSVを超した


【地表真上で2.0μSV超す天栄村】

天栄村も訪れた。

農地が広がる中、空間線量は高さ1㍍で0.8μSVを超えた。畑とアスファルトの境目に線量計を近づけると、地表真上で5.0μSVに達した。

村役場横にある「総合農村運動広場」では、ジョギング用の周回コースで0.4μSV(高さ1㍍)だったが、駐車場のアスファルトの切れ目では2.0μSVを超えた(地表真上)。これほどの汚染地域を、中学生たちがヘルメット姿で自転車通学している。
今回の取材では、昨年8月に訪れた須賀川市長沼のショッピングセンター「アスク」にも立ち寄った。前回、地表真上で18μSVを超した駐車場の一角は、今回も14μSVに達した。除染など全く行われていないことが良く分かる値。日々、幼い子どもも買い物に訪れるスーパーマーケット。汚染が確かに存在するにも関わらず放置されている現実。福島原発事故はまだ、終わっていない。

民の声新聞-天栄村
民の声新聞-アスク①
民の声新聞-アスク②

(上)天栄村内では、高さ1㍍で0.8μSVを超した

(中)(下)須賀川市長沼のショッピングセンター

「アスク」。駐車場の地表真上で14μSV超の高線量


(了)

【浪江町ルポ(下)】1.0μSV超す浪江駅周辺と福島原発を見つめる慰霊碑

半年くらいでは何も変わっていない浪江町。浪江駅前の信号は虚しく赤信号と青信号を繰り返す。1日も早い帰還を進めたい国の思惑とは裏腹に、1.0μSVを下回らない駅周辺の放射線量と激しく倒壊した家屋。そして、福島原発が見える道路沿いに建立された慰霊碑。原発事故から25カ月経ってなお、再建のめどは立たず、進むのは常磐道の除染ばかり。真の日常生活を取り戻せる日は来るのだろうか


【「除染なんかできっこないよ」】

男性が思わず声をあげた。

自宅雨どい真下にある排水口。乾いた土の真上に線量計を近づけると70μSVを超した。

自宅前のアスファルト。ひび割れた間から顔を出す雑草では約28μSV。隣家の雨どい直下では40μSVを超した。自宅周辺は高さ1㍍でも3.0-4.0μSV。依然として放射線量は下がっていない。

「今住んでいる辺りの10倍か…。除染なんかできっこないよ」。男性がため息交じりにつぶやく。

わが家にデジタルカメラを向ける。撮影した写真は何枚になったろう。今では帰ることの無くなったわが家。仕事帰り、これまでは「浪江」の道路標識が目に入るとホッとしたものだが、今では切ない思いが込み上げるようになってしまった。すべては原発事故。原発事故さえなければ。

「こんなことを言ってはいけないことは分かっているけれど、いっそのこと、津波で家が流されてしまった方が良かったのかもしれない。まだあきらめがつく…」

厳しかった冬が過ぎ、雪が解けて再び建設業の仕事が忙しくなってきた。先日はビニールハウス設置のため川内村に出向いた。片道140km。住民が帰還したニュースばかりが流れる小さな村ではしかし、村役場の幹部が個や孫を沖縄に逃がしているとの噂が流れていた。線量計を持参しなかったことを後悔した。「この村で本当に農業などできるのだろうか」。ハウスは3日ほどで完成した。
民の声新聞-70μSV
民の声新聞-27μSV超
民の声新聞-地表真上
(上)男性宅の雨どい直下。乾いた土の真上で

70μSV超。あまりに危険すぎる汚染

(中)(下)自宅前の道路では、アスファルトの切

れ目で27μSVを超した=浪江町川添


【まずは道路から…。だが駅前は1.0μSV超】

廃墟と化した浪江駅。町民の間では「線路を挟んで東側は放射線量が低い」と言われているが、駅前ロータリーで車を降りると軽く1.0μSVを超した。町の再編でJRの社員が少しは片付けに来ているのかと思ったが、駅舎は半年前、いや3.11のままだった。「大地震のため終日、運転を見合わせます」と書かれたホワイトボード。終日どころか、2年以上も運転見合わせのままだ。

ロータリーの一角で、建設会社の作業員が腰をかけていた。福島県の委託を受けている業者だった。

「道路の被害状況をまとめるために写真を撮りに来たんですよ。まずは道路からだね。そうそう、ウシとかイノシシとか見なかった?あそこの信用金庫の駐車場に出たらしいよ」。まずは道路。そういえば国道114号線を南下している時、半年前は無人だった常磐道の建設現場では、ショベルカーが忙しそうに動いていた。傍らにはいくつものフレコンバッグ。除染を進めて道路を完成させ、まずは物流のトラックを通そうという計算なのだろう。わずか数分とはいえドライバーは高線量地帯を通過することになる。そして、タイヤなどで放射性物質も拡散させることは想像に難くない。

「避難指示解除準備区域」に指定されている駅周辺は、町が真っ先に住民の帰還を想定している。たしかに、半年前と比べて車とすれ違うことは増えた。そのため、区域内の信号が稼働を再開し、一定の間隔で赤信号と青信号を切り替えている。しかし、以前より増えたといっても信号待ちをする車を目にすることはほとんど無い。時々すれ違うだけ。日常生活が戻るまでには、まだ年単位の時間が必要だ。
民の声新聞-浪江駅前
民の声新聞-浪江駅前②
民の声新聞-倒壊家屋
(上)比較的放射線量が低いとされる浪江駅周

だが、激しく損傷した店舗の前で1.5μSVを超

した

(中)(下)町への立ち入り制限が緩和されたため、

信号も再び動き出した。しかし、倒壊家屋は再建

のめども立っていない。この町に本当の日常生活

が戻る日は来るのだろうか


【福島原発の見える場所に津波犠牲者の慰霊碑】

国道6号を越え、請戸漁港まで車を走らせてもらう。

いまだ消えぬ津波の傷跡。乗用車が漁船が、あちらこちらで無残な姿を晒し、枠組みだけが残った建物が潮風を浴びていた。月に1回ほどのペースで一時帰宅をしている男性ですら、言葉を失う光景。波打ち際では、無数の海鳥が合唱したいた。

福島原発に続く「浜街道」に、津波で命を奪われた方々のための慰霊碑が建立されている。昨年2月に建てられた慰霊碑には、花やペットボトル、ワンカップの日本酒が供えられている。決して古くないから、遺族や友人が頻繁に訪れているのだろう。私も手を合わせた。

慰霊碑の数km先に、福島第一原発が見える。地震で自宅を崩され、津波で家族を失い、そして、放射性物質の拡散で避難を強いられている浪江町。原発事故から25カ月を経ても、町が3つに再編されても、状況は何も変わらない。取材に協力してくれた男性(59)が言った。

「何も変わらないよ。変わったことといえば検問所の位置だな。そして、警察官から民間の警備員になったことだけだ」
民の声新聞-幾世橋地区
民の声新聞-請戸漁港2013.04.15
民の声新聞-慰霊碑

(上)町内では比較的放射線量の低い「避難指示

解除準備区域」に指定された幾世橋地区。激しく

損傷した家屋が少なくない

(中)半年前と変わらぬ姿の請戸漁協。アスファルト

に横たわった漁船が、津波の威力の大きさを物語っ

ている

(下)原発労働者のために整備された〝浜街道〟。

津波で命を失った方々のための慰霊碑が建立され

ており、花や飲み物が絶えない。視線の先には福

島第一原発が見える

(了)

【浪江町ルポ(上)】除染は本当にできるのか~再編しても変わらぬ高線量

半年ぶりの浪江町は、何も変わっていなかった─。今月から放射線量に応じて3区域に再編された浪江町。しかし、町の山側は高濃度汚染が続き、とても除染など効果を発揮するとは思えないのが実情。比較的線量が低いとされる浪江駅周辺も軒並み1.0μSVを上回り、とても安心して立ち入れる状態ではない。町民の一時帰宅に同行し、原発事故から2年以上が経過した浪江町を取材した


【高線量続く津島地区、100μSV超も】

4月1日から町が3区域(①避難指示準備区域②居住制限区域③帰還困難区域)に再編されたことで、皮肉にも国道114号の通過が可能になった。取材に協力してくれた男性は、避難先の伊達市内から旧月舘町を経て、川俣町へ向かった。114号を走るのは、震災で町を脱出して以来のことだ。

2年以上も通過が認められなかった走り慣れた道。しかし、いまだ高線量であることも分かっている。再編が生んだ矛盾。計画的避難区域に指定され住民が避難を強いられている川俣町山木屋地区では、高さ1㍍で2.5μSV超、地面真上では10μSVを超した。

検問所で町発行の通行証を提示し、津島地区に入る。通行証はこれまで、一時帰宅の度に発行されていたが、再編後は3カ月間有効の通行証になった。2年超ぶりの津島地区。だが男性は、感慨に浸る間もなくマスクを着用した。車内にいても線量計の数値が上がっていく。県立浪江高校津島分校の入り口付近で車を止めて降りると、高さ1㍍で5.0μSVを超した。

原発事故直後、逃げる町民の車で大渋滞となった国道114号。男性も川添地区の自宅を出て、母親と共に津島地区の農機具店に身を寄せた。避難町民であふれる店内。原発から少しでも遠くへと、町も津島地区への避難を呼びかけていた。1時間ほどが経ったろうか。国道は相変わらず車で埋まり、反対側の駐車場も混乱をきたしていた。情報は届かず、時だけが過ぎて行く。「ここにいても駄目だ」。男性は再び車に乗り、国道114号に合流した。二本松市内の親戚宅を目指した。あのまま津島地区にとどまっていたらどれだけ被曝していただろう。津島地区の高濃度汚染が表面化したのは、ずっと後になってからのことだ。この日も、県酪農業協同組合津島事業所では、雨どい直下で100μSVを超した。

「あの時、津島地区で被曝した人たちは大丈夫なのかな…」。心配と、自分だけ逃げたという罪悪感と複雑な感情が交錯する。

赤宇木地区を過ぎ、小倉沢バス停付近では、林道入り口で12μSVを超した。もはや、測定すら虚しくなるほどの高線量。静かな森に、ウグイスの鳴き声がこだました。
民の声新聞-津島分校
民の声新聞-27μSV超
民の声新聞-100μSV
(上)高線量の国道114号。県立浪江高校津島分

校の入り口では5.0μSV超。

(中)国道沿いの地面は、地表真上で27μSVを

超した

(下)県酪農業協同組合津島事業所では、雨どい

直下で100μSVを超す高濃度汚染を計測した

=浪江町赤宇木字塩浸


【依然として20μSV超の昼曽根発電所】
国道114号をさらに南下する。昼曽根地区。前回、津島地区への出入りを制限するために設けられていたバリケードは解除されていた。請戸川のせせらぎを利用した東北電力の昼曽根発電所周辺は、依然として20μSVを超す高線量。地表真上では50μSVを上回る個所もあった。請戸川の汚染はどれほどか、想像もつかない。この水が、町の東側まで流れていることを忘れてはならない。

徐々に男性の自宅が近づく。半年前は3.11のまま時間が止まっていたコンビニは、きれいに片づけられていた。男性が自宅前で車を止める。降りると、線量計は4.0μSVを超した。男性の表情が曇る。頭では分かっていても、数字を見ると哀しみが募る。男性は自宅に入る前に、大切にしていた庭の草木を丹念に見てまわった。ため息をつき、そしてまた眺める。その繰り返し。住めないわが家を目の当たりにした悲しみはいかほどだろうか。
民の声新聞-バリケード①
民の声新聞-バリケード②
民の声新聞-バリケード③
(上)地上1㍍で7.0μSVを超す東北電力昼曽根

発電所前のバリケードは解除。その手前、津島

地区で通行証の有無を確認される

(中)(下)町内の数カ所に、新たな検問所が設置

された。ただし、通行証を確認しているのは警察

官ではなく民間の警備員


【先の見えない避難生活、募る不安】

男性の目は真っ赤だった。

「お先真っ暗だよ。放射能と同じで。全く先が見えないんだから」

原発事故で避難を強いられて以来、自らも建築作業に加わった自宅での安眠は叶っていない。前回の取材から半年が経過したが、状況は何も変わらない。「原発事故のこと、避難生活の不安は片時も頭から離れないよ。こういう気持ちは、実際に味わった者でないと分からないだろうね。どれだけ言葉を尽くしてもね」。酒もタバコもやらないのに、血圧は140を超すこともある。「両親とも高血圧だから遺伝かな?」と笑ってみせるが、先の見えない避難生活が与えるストレスは、想像に難くない。

川添地区の自宅には月1回ほどのペースで訪れているが、その度に室内は荒れている。この日も、ネズミの糞やかじった跡が至る所で見られた。「片付けてもしかたないよね。もう住めないことは分かっているんだ」。先日、東電から不動産賠償手続きの書類が届いたが、記入は進んでいない。「誰が被害を査定するのか。東電側の人間がやれば、低く査定するに決まっている。信用できないからね。で結局、長引けば長引くほど東電が有利に事は運ぶ。亡くなってしまう人もいるだろうし、妥協する人も出てくる。悔しいな」。現在、東電からは精神的苦痛への賠償名目で、月に10万円が振り込まれている。母子2人で年間240万円。避難によって通信費やガソリン代などがかさみ、生活費もあがった。〝原発成金〟などと揶揄する声もあるが、程遠い生活だ。
「今後、除染が行われて放射線量が下がったとしたら、再びこの家で生活しますか?」

私は自宅の前で最後に尋ねた。

男性の表情が歪んでいく。

何秒かが過ぎ、男性は言葉を振り絞るように話した。

「難しいところだなぁ。高濃度に汚染されて本当に除染が出来るのかどうか疑問。よほど除染の技術が済んでいるのかね。それに、これだけ荒れ果ててしまって、住み直すとしたら修繕費用も莫大なものになるだろう。答えは出ないな…。もちろん、ここで生活したいよ。自分で建てた家だもの。でもね、100%無理なんじゃないかな」

庭ではツバキが美しい花を咲かせていた。スイセンやボケなどの草花を愛おしそうに眺める男性。「これ何だか分かる?」と指さしたのはウドだった。ミョウガもニラも庭で作り味わってきた。

「ボケは実のなる品種でね、美味しいらしいんだけど結局、放射能汚染で食べることができなくなってしまった…」

男性は来年、還暦を迎える。
民の声新聞-立て看板①
民の声新聞-立て看板②
「放射能は高レベル、補償は低レベル」。幾世橋

地区の立て看板には、いまも住民の怒りが渦巻い

ている。安倍首相は、この看板こそ目に焼き付け

るべきだ


(了)

僕は放射能のせいで転校させられた~伊達市の小学生が語る「被曝」と「別れ」

まだ9歳の少年は「放射能のせいだ」と下を向いた。高線量で知られる伊達市立小国小学校から苦渋の転校。涙をこらえた別れに、原発事故さえなければ、と悔しさが募る。8日から始まる新しい小学校生活を前に、少年が胸の内を語ってくれた。原発事故で、多くの子どもたちが被曝の危険にさらされ、不本意な別れを強いられてる現状を知って欲しい。


【上を向いて涙をこらえた別れのあいさつ】

慣れ親しんだ小国小学校の教室。黒板の前に立った少年(9)の頭は真っ白になってしまった。

「どうしよう。言葉が出てこない」

前日、担任の女性教諭から「明日、みんなの前でお別れのあいさつできるかい?」と尋ねられてから、何を言おうかいろいろと考えた。朝食を食べ終えてから、お母さんにも相談してみたんだ。だから大丈夫なはずだったんだけどな。困ったな…。

考えれば考えるほど、言葉が出てこない。鼻の奥がツンとしてきた。あふれてくるのは言葉ではなく涙。

「駄目だ。ここで僕が泣いてしまったら、みんなも悲しい気持ちになっちゃう。明るくバイバイしなきゃ」

そうだ、上を向こう。上を向けば涙はこぼれない。

必死にこらえながら、前日から考えていた別れの言葉を、クラスメートに伝えた。

「3年間ありがとう」

「残り少ないけれど、仲良くしようね」

それだけ言うのが精一杯だった。気付いたら、クラスメートも上を向いていた。誰もが幼い胸に抱いた怒りと疑問。「なぜ、僕たちは離れ離れにならなければいけないのだろう。原発事故さえなければ…」。

転校前の〝大役〟を終えた少年は、帰宅すると母親に告げた。

「お母さん、やっと言えたよ。僕、泣きそうで、どう言って良いのか分からなくなっちゃって時間がかかっちゃった」

母親は「よく頑張ったね」とだけ言うと、それ以上、何も言わなかった。いや、言えなかったのかもしれない。本当にこれで良かったのか。いまだに胸が痛む。
民の声新聞-転校①
民の声新聞-転校②
担任教諭をはじめ、クラスメートからは惜別のメッ

セージカードが1人1人の写真とともに寄せられた。

これからも大切な友達だ


【小国小の先生たちが被曝回避に努めてくれたら…】

母親にとっては苦渋の決断だった。

「小国小学校の先生たちが子どもたちの被曝回避に努めてくれれば、転校なんかさせなかったかもしれない」

実際、6歳と5歳の姉弟は、霊山町の幼稚園に通わせ続けた。駐車場で1.0μSVを超すなど放射線量の高さは心配だったが、それ以上に保育士たちが子どもたちのためにあらゆる手段を講じてくれたことがうれしかった。外遊び後は洋服を着替える、ブラッシングで身体に付着した放射性物質を落とした。遊具も業者に依頼して磨いた。小国小学校にはない、目に見える形での努力がそこにはあった。保護者の気持ちに沿ってくれるのが、本当にうれしかった。

「子どもなりにコミュニティはありますから、できれば引き離したくない。だからなおさら、小国小学校の先生たちには子どもたちのために頑張って欲しかったです」

本来なら、原発事故直後に県外避難を考えていた。だが、まだ7歳を過ぎたばかりの少年は、下小国地区から離れることを大泣きして嫌がった。そうしている間にも、自宅周辺や小国小学校の高濃度汚染が日に日に明らかになっていく。とにかく少しでも線量の低い場所にと、伊達市内の西部地区に避難。市の用意したタクシーで通学する日々が始まった。

「でも、この子が3年生になった頃から、自分でおかしいなと思うことを口にするようになったんです。『学校の辺りの砂を使って砂鉄の勉強をさせてはいけないよね』とか『低学年の子が雪に寝っころがっていたけど大丈夫なのかなぁ』とか。幼いながらも、自分の置かれている状況を理解してきたんだと思います」

持久走の練習は、母親の意向で休ませた。しかし、学校側は昇降口に少年を立たせて見学させた。少年の頭は混乱した。「放射能を浴びないために休んでいるのに、昇降口で見学していたら意味が無いじゃないか」。

お母さんが僕のためにしてくれていることを、学校の先生たちは全然やっていない。少年の胸の内の疑問符は大きくなるばかり。この機を逃すまいと転校を切り出した母親に、少年は泣くことも拒むこともしなかった。
民の声新聞-通学支援
避難先から伊達市の用意したタクシーで小国小

学校へ通い続けた少年。8日からは徒歩で20分

かけて新しい小学校に通う


【転校なんかしたくない】

「本当は、転校なんかしたくないんだ」

少年はポツリと言った。

新学期が近づくにつれて、緊張が増す。クラスメートとうまく話せるだろうか。早く仲良くなってみんなと遊びたい。「あーあ」と母親の前でため息をつくことも珍しくない。

母親は母親で、転校が実現しても安心することはできない。避難先は下小国地区との比較では放射線量は低いが、それでもまだまだ安心できる数値ではない。最寄駅前のモニタリングポストは、依然として0.3-0.4μSVを表示し続けている。

それに学校給食。伊達市は今月から、学校給食に市内産の米を使用する方針を決めている。親子にも押し寄せた「地産地消」の波。母親は、御飯と牛乳は自宅から持参させることにした。おかずだけは給食で出されるものを食べさせる。「子どもの社会は、皆と同じことをしていないと仲間外れにされてしまう面があるから難しい」。今後も食材の安全性について、行政を質して行くつもりだ。

「転校することになって腹が立たないかって?腹は立つよ。当たり前じゃん。放射能にね。放射能を作った人も馬鹿だね」

あまり多くを語らない少年が、唯一口にした怒り。「福島は除染なんかちっとも進んでいないのに、除染が進んでいると言っている馬鹿がいる」とも。まだ10歳にも達しない幼い子どもに被曝や別れを強いているのは、命よりカネを優先させている大人たちだ。これ以上、子どもたちに涙を流させてはいけない。


(了)

【24カ月目の福島はいま】いまだ放射線飛び交う福島市~汚された白鳥飛来地と子どもの外遊び

春分の日の3月20日、福島市の福島競馬場周辺を歩いた。わが子の被曝と将来に心を痛める母親、孫と散歩する女性、阿武隈川に白鳥見物に来ていた男性など、多くの人に話を聴いた。多くの人が原発事故後も福島市で暮らしているという現実と、依然として解消されない高濃度汚染。子どもたちを取り巻く環境は、少しも改善されていない。行政の安全キャンペーンに隠された真実が、そこにあった


【〝福島出身〟をわが子の戸籍から抹消したい】

母親が苦笑交じりに口にした言葉に、私は言葉を失った。

「もしも将来、この子が福島出身だということを戸籍から抹消できるような制度ができるとしたら、そうしてあげたいかな」

福島市が霞町の市民会館内に開設した屋内遊び場「さんどパーク」。渡利地区から自家用車で訪れたという母親の周囲を、1歳の娘と3歳の息子が元気に走り回っていた。

決して福島が嫌いになったわけでは無い。ただただ、わが子がこうして福島で育っていることで差別を受けなければいいと願うあまりの想い。世間では、いじめの報道が増えている。「今の世の中って、何か一つ〝欠点〟を見つけたらいじめる風潮があるでしょ?」。

夫は九州の出身。仕事さえあれば、生活の後ろ盾さえあれば、九州に逃げたい。「私だって子どもを守りたい。でも、借金までして避難することはできないですよね」。

東京で暮らす友人からは、一向に福島県外に避難しない自分に「あんた馬鹿じゃないの?」との言葉を浴びせられた。夫婦共働き、おまけに自分は通信系の仕事で、震災後の回線復旧に追われる日々。悩みながらも、仕事を投げ出して避難することはできなかった。「どうしてこちらの気持ちが分からないのかな。でも、これが逆の立場だったら、自分も同じように見てしまうかもしれませんね」。

当事者でなければ分からない苦悩や葛藤。子どもの外遊びも、天気の良い日は近所の除染が済んだ公園で、風が強かったり天候の悪い日は屋内遊び場で、と使い分けている。これが今の自分にできる最大限の努力なのだ。

「甲状腺や内部被曝の検査結果をもらうたびに『この結果、本当なのかよ?』って、もちろん疑問や怒りが生じます。でも、私としては今を信じて生きて行くしかないんです」
民の声新聞-ペリカン①
民の声新聞-ペリカン②
民の声新聞-ペリカン③

福島駅東口の駐車場「ペリカンパーク」。側溝は

高さ1㍍でも2-3μSV、堆積物に近づけると24

μSVを超す。瀬戸孝則福島市長は「仮置き場が

確保できないので側溝の除染ができない」

=福島市栄町



【阿武隈川沿いの草花を無邪気に触る子どもたち】

もう、何度足を運んだだろう。

福島市東浜町。福島競馬場の裏手から阿武隈川のサイクリングロードを歩く。

世間では「原発事故から2年も経った」と言われるが、手元の線量計は軽く1.0μSVを超す。

散歩中の中年男性が私に声をかけてくる。「この辺りは放射線量が高いでしょ。0.5(μSV)くらい?え?1.0(μSV)超してるの?うわー」。こんな会話もこれまで、何度も交わしてきた。高線量だけが変わらない。高校生風の男の子が3人、自転車で通り過ぎて行く。部活動中の女子高生が走り去る光景も、これまで何度も目にしてきた。

そしてまた、この日も…。春の陽気に誘われるように、女性が2人の孫を連れて散歩をしている。女の子たちは無邪気に走り回り、歓声をあげながら土手の草を触り始める。

その様子を遠くから見ていた私は、余計なお世話かとためらいながらも、やはり声を掛けずにはいられなかった。

「この辺りは放射線量が高いですよ。気を付けてくださいね」

「孫たちがタンポポとかの草花に興味を持っているのよ。だから少しだけ。家に帰ったら手洗いやうがいを必ずさせているから。ありがとう。」

この会話の後、それまでは孫たちのしたいようにさせていた女性は一転、「ほらほら、この辺りは危ないから触るのをやめようね」と咎めるようになってしまった。

しばし立ちすくんだ。果たして声をかけて良かったのだろうか。混乱する価値観。しかし、子どもたちを被曝から守るためには、これだけは譲れない。福島市で生きていくということと、被曝の危険を甘受することは違うのだ
民の声新聞-阿武隈川①
民の声新聞-阿武隈川②

地上1㍍の空間線量が至る所で1.0μSVを超す

阿武隈川のサイクリングロード。散歩中の子ども

たちが楽しそうに草花を触っていた

=福島市東浜町


【福島第一原発から60kmでも20μSV超】

阿武隈川は有名な白鳥飛来地。見物客を怖がることも無く、「あぶくま親水公園」で多くの白鳥が羽を休めている様子が対岸からも確認できる。

多くの親子連れが白鳥を眺め、写真に収めている。

「孫が白鳥を見たいというから10年ぶりに来たけど、あの頃と同じだなぁ」。男性が目を細めて言った。男性のふるさとは双葉町。若い頃、仕事を求めて町を飛び出し、福島市へ。現在は蓬莱団地で暮らしている。まさか50年後に町が放射性物質で汚染されてしまうとは夢にも思わなかった。

白鳥と阿武隈川を眺めながら、男性は「もう、街には帰れないな…。本来なら彼岸だから線香をあげに行きたいのだけれど」とつぶやいた。先日まで町長を務めた井戸川克隆さんとは同級生。「彼はガキの頃から頑固者だったな」と笑った。

10年前と変わらぬ光景。だが、一つだけ大きく変わったことがある。見物客の傍らの草むらで放射線量は0.4μSVを超す(高さ1㍍)。

河川敷では、除染作業が行われている。ここは、花見山見物の観光客を運ぶための臨時バスの発着所として利用される。命を守るためではない。花見山観光のための除染。さらに土手を上がり車道に出る。車道の向こう側には、福島市のごみ焼却施設「あぶくまクリーンセンター」の余熱を利用した風呂や温水プールがある「ヘルシーランド福島」。ランドを左手に見ながら、歩道を三本木橋に向かって歩く。歩道の脇の雑草から放出される放射線に、右手に持った線量計が激しく反応し、バイブレーションの振動が止まらない。

あまりに反応が激しいので、立ち止まって線量計を地面ギリギリにまで近づけてみる。放射線量はあっという間に20μSVを超した。思わず声が出た。信号待ちの車の中から、こちらを見ている人がいる。これもまた、原発事故から2年後の福島市の現実。原発から60km離れていれば安全だと思っている人がいたら、大きな勘違いだ。
民の声新聞-白鳥①
民の声新聞-白鳥②
民の声新聞-白鳥③

白鳥見物の親子連れでにぎわう「あぶくま親水公園」。

車道に上がると1.0μSVを超す。さらに地面真上で20

μSVを超す個所も。阿武隈川周辺の汚染は想像以上

に深刻だ=福島市渡利


(了)


【小国小学校】校舎を取り巻く放射線と児童の疲弊と母親の葛藤~伊達市

高濃度汚染が深刻な伊達市の小国小学校。隣接する農地の除染によって50μSVを超す放射線量は計測されなくなったが、依然として1.0μSVを超す個所が点在する。依然として改善されない状況に、とうとう新入生がゼロという事態を迎えた。転校を強いられた児童もいる。一方で、子どもの負担を考えて避難先からの通学をやめ、自宅に戻ろうかと考えている母親も。市教委や学校が子どもを守ろうと一貫した信念を持たないから、子どもたちが振り回される。いつまで子どもたちを苦しめるのか


【無数の汚染土と除染しきれない現実】

異様としか言い様の無い光景だった。

伊達市立小国小学校(霊山町下小国)。

真っ黒いフレコンバッグが数十、いや、百はあるだろうか。学校に隣接した農地に並べられている。それぞれに、白いインクで放射線量が記載されている。除染で生じた汚染土。2月の段階で50μSVを超していたプール横の用水路も、雑草がきれいに刈り取られていた。これで、子どもたちは少しは安心して通えるようになるのかと線量計を手に用水路に降りてみる。すると、淡い期待は一瞬にして打ち砕かれた。除染をしてもなお、1.0μSVを超す。用水路のさらに奥にまで線量計を突っ込むと、4-5μSVに達した。「除染」と言いながら、表面的にしか取り除くことのできない汚染。卒業式のリハーサルだろうか。子どもたちの合唱が聴こえる体育館の裏手に回ると、雑草の茂った一帯は1.3μSV前後と依然として高線量だった。学校側は「ロープを張り立ち入りを禁じている」と言うが、そこに立ち入るか否かではなく、放射線が飛び交うような環境が、体育館やプール、校舎を取り囲んでいるのが実情なのだ。

除染作業を請け負った業者は「線量が高かった用水路ののり面もきちんと除染しましたよ。市の仮置き場に移動させるまでの間、農地にこうして保管します」と話した。作業は、車道をはさんだ反対側の農地に移っている。だが、フレコンバッグが並ぶ農地を歩いてみると、校舎のちょうど反対側で2.0μSVを超した。これでも除染をしたというのか?こんな劣悪な環境下で通い続けた12人の6年生は22日、卒業式を迎える。そして新学期。今のところ、小国小学校の門をくぐる新入生はいない。
民の声新聞-小国③
民の声新聞-小国②
民の声新聞-小国④
小国小学校に隣接する農地では、除染作業が終了。

汚染土の入ったフレコンバッグには線量が記入され、

3.0μSV超も。しかし、除染が終わったはずの農地で

は、依然として2.0μSVを超す個所もあった。児童た

ちを取り巻く環境は、まったく改善されていない

=伊達市霊山町下小国


【二重生活に疲弊するわが子、心痛める母親】

やっぱり戻るべきか─。母親として何がわが子にとって最良の方策なのか。苦悩と葛藤が続く。

小国小学校に2年生の息子と4年生の娘を通わせるAさん(39)は、自宅が特定避難勧奨地点に指定されたことを受け、2011年11月から伊達市西部の民間借り上げ住宅に避難している。子どもたちは市が用意した通学用タクシーで登校。下校すると本来の自宅に戻り、両親や祖父母らと合流。夜9時頃に避難先のマンションに戻るという二重生活が続いている。

自宅は小学校から徒歩圏内だが、通学路での被曝を避けようとスクールバスを利用している。だが、息子は「歩いて帰りたいな」とポツリ。せめて少しでも被曝量を減らそうという親心が実は子どもたちを疲れさせているのではないか。悩んでも結論は出ない。

「子どもたちは、二重生活で疲れてしまっています。『もう、ここで寝たい』って言う気持ちも分かります。放射線量からの避難をとるのか、子どもたちの精神的な疲弊を重視するべきか。本当は遠くに母子避難したいんですけどね」

だが、家族は母子避難に反対している。夫の考えは「今の放射線量ならば内部被曝に気を付けていれば大丈夫なんじゃないか」「むしろ外遊びをさせて子どもたちのストレスを取り除いてあげる方が良い」。結局、母子避難に踏み切れない自分にももどかしさが募る。「手に職でもあれば避難するんですけど、生活できるのか不安ですし、家族がこれだけ反対していると強行突破できないんですよね」。自宅を新築してまだ3年。住宅ローンも始まったばかりで避難に反対する夫の気持ちも理解できるという。

転校させることも考えた。だが、転校先で友人関係をうまく作ることができるか。そう考えると不安が先に立ってしまい二の足を踏んでしまう。結局、残された選択肢は「母子避難をやめて下小国に戻る」だった。

「戻る方向になるでしょうね。通学タクシーは打ち切ると市教委から言われているし、地産地消の学校給食を食べさせないためにお弁当を持たせることも考えているので、送迎と弁当作りの負担は大きいです。除染が完全に終わるまで、学校丸ごと疎開させてくれれば良かったんですけどね」

玄関先で最高3.2μSVあった自宅の放射線量は除染で下がったというものの、2階のベランダでは依然として0.4μSVに達している。自宅も学校も、決して環境が改善されたとは思っていない。でも、もはやこれしか道はない。Aさんは追い詰められてしまった。

「遠くに行きたいですね。保養でお世話になった愛知県に行きたい」

苦悩が解消されないまま、春休みが始まる。そして新学期。子どもたちはどちらの家から登校することになるのだろうか。
民の声新聞-用水路①
民の声新聞-用水路②
民の声新聞-ガラスバッヂ
(上)(中)除染が済んでも、依然として4.0μSVを

超す用水路。これでも安全か?

(下)放射線が飛び交う中、子どもたちはガラスバ

ッジをランドセルにぶら下げて小国小学校に通う


【行政への不信感募らせる住民】

飲食店主は、行政への不信感を口にした。

「学校の除染をしたと言っても、通学路は終わっていない。通学支援もあったけど、伊達市から外へ避難してしまうと対象にならなかった。そもそも、特定避難勧奨地点の指定が始まってから、すべてがうやむやにされているんですよ。そんな状態で小国小学校にわが子を入学させようとする親がいないのは当たり前です」

校舎から少し離れた林道の中腹に、稲わらや堆肥、牧草などの農業系汚染廃棄物の仮置き場がある。敷地の入り口付近ののり面は、1.4μSVを超す高線量。雨水でさらに低い土地へ汚染が拡散することは容易に想像できる。だが、伊達市は小国小学校の一時移転や集団疎開など、まったく検討すらしていない。現在の校舎で、4月以降も子どもたちは学校生活を送る。
民の声新聞-体育館①
民の声新聞-体育館②
1.3μSVを超す体育館裏。子どもたちが日常的に

立ち入らなければ高線量を放置しても良いのか

(了)

【花見山公園】経済原理の前に覆い隠された被曝の危険

依然として高線量の福島市・花見山公園に、間もなく花見シーズンが訪れる。もはや重要な観光資源になっており、町をあげて観光客の呼び込みに力が入る。原発事故から2年が経過し、話題となるのは被曝回避ではなく「復興」。あと一カ月もすれば、復興の象徴として多くの人が訪れる花見山公園。だが、決して忘れてはいけない。ここは汚染地だ。



【除染は市所有の駐車場のみ】

臨時送迎バスが利用する花見山公園入口の駐車場では、3月23日までの予定で除染作業が行われている。

「除去した土は、持って行き場が無いので駐車場に埋めています。特に表示はしませんが、杭を打ってあるので、どこに埋めたかは分かるようになっています」と業者。周辺の砂は、明らかに異質な色で、除染が行われたことをアピールしているかのようだ。手元の線量計は0.23μSV。確かに放射線量は下がっている。しかし、隣接する菜の花畑は、高さ1㍍で0.6μSV。場所によっては1.0μSVを超える。
周辺の住宅でも除染が次々と行われており、庭の一角に仮置きされた汚染土を覆うブルーシートがまぶしい。住宅も市有地も、除染をしても結局、敷地内に保管するしかない。
まだ開店していない茶屋を横目に花見山を登る。両脇の木々は、ようやくつぼみが膨らんできたところ。観光客の姿もない。しかし、除染が行われていないせいか手元の線量計の数値は高い値を示し続けている。福島市によると、渡利地区では住宅除染が優先されており、また公園自体が民有地のため除染の予定はないという。桜が満開になるころには多くの観光客がお弁当を食べるベンチでは、0.9μSVを示した。こんな高線量の山に幼い子どもを連れて来て本当に問題ないのだろうか。

民の声新聞-花見山①
民の声新聞-花見山②
民の声新聞-花見山③

4月6日から交通規制が始まり、本格的な花見シー

ズンを迎える花見山公園。市職員も放射線量の高

さは認めるが「くにが警戒区域に指定していない」と

意に介していない=福島市渡利


【高線量を理由に開放しない発想は無かった】

福島市観光課の男性職員の回答は、全く予想しないものだった。

「福島市は警戒区域にも何にも指定されていない。つまり、放射線量は国の基準を下回っているということです。こうして問われるまで、放射線量が高いということを理由に一般公開を中止するという発想は全然ありませんでした」

男性職員はまた、「慣れてしまったのでしょうか。ここに住んでいる者としては、今の放射線量が高いと感じないんですよね。実際、原発事故直後は福島市内でも空間線量で10-20μSVありましたから」とも話した。この職員は、花見山公園が1.0μSVを超すのが珍しくないほど高濃度に汚染されていることを知っている。だが、それでも「放射線量は高くない」「国の基準を下回っている(警戒区域などに指定されていない)」と言い切る。そこには、経済原理も横たわっていた。

花見山公園は、震災前年の2010年春には過去最高の32万人が訪れた。福島市にとって、いまやドル箱の観光資源なのだ。「三春の滝桜や会津若松の鶴ヶ城などと違い、桜を間近で楽しめるのでリピーターは多い」(同職員)ため、震災で減ったとはいえ一昨年が9万人超、樹木保護を理由に開放区域が限定された昨年は10万4千人が訪れた。今年は、満を持しての全面再開放。花見をメインに据えた日帰りバスツアーも多く組まれ、福島市内の回遊性が増すのは市も認めるところ。さらに「飯坂や土湯など、福島市内の温泉や旅館にとっては、花見山公園での花見を機にお客さんを増やしたいという思惑があるのも事実」と市職員。福島市の最新の広報紙も、トップ項目で花見山公園を取り上げている。もはや、被曝の危険という正論を超越する観光資源になってしまっている。

だが、市職員が漏らしたひと言が、実は市民の本音を如実に表しているのではないか。

「花見山公園の開放より、住宅除染をどんどん進める方が先ではないかという指摘があるのは事実です」
民の声新聞-花見山除染①
民の声新聞-花見山除染②
民の声新聞-1.0μSV超
市有地である駐車場は、除染で表土が剥がされ

新しい砂が撒かれた。汚染土は駐車場の一角に

埋められている。そのため放射線量は下がったが、

少し離れただけで1.0μSVを超すのも現実だ

【データは隠さず全て公表を】

花見山公園のある渡利地区は、高濃度汚染がたびたび大手メディアでも報じられてきた。実際、「渡利学習センター」の裏手を流れる「くるみ川」の河川敷では、依然として1.9μSVを超す高線量。民家の雨どい直下では、20μSVを上回ることも珍しくない。渡利小学校の校庭では、0.4μSVを超した。原発事故から丸2年を経過しても、現在進行形の被曝が続いている。

地区の一角にある公園では、30代の母親が、2歳の息子と5歳の娘を遊ばせていた。数回にわたって砂を入れ替えた公園の放射線量は、0.2μSVを少し超える。「除染をしている公園ですしね、いちいち気にしていたら生活できませんから」。何度耳にしたか分からないセリフ。「市内に室内遊び場が多くできたんだけど、つい近場に来ちゃうんですよね」とも。大熊町出身の父親は、もはやふるさとには帰れないと福島市内に新しい住居を購入したという。

「決めるのはここに住んでいる人。結果的に大げさになっても良いから、全てのデータを公表してほしいですね。隠されるのが一番嫌です。どの場所が、どれだけの放射線量があり、どれだけ危険なのか。それらがすべて公表されて、あとは個々が判断すれば良いんです」

真新しい砂に入れ替えられた公園では、姉弟が走り回っていた。

民の声新聞-花見山公園除染①
民の声新聞-花見山公園除染②
観光客用の駐車場でも、住宅でも、除染で生じた

汚染土は敷地内に仮置きされる。中間貯蔵施設

に移動させるめどは立っていない


(了)

【24カ月目の福島はいま】3.11から2年、鎮魂と怒り。未だ復興の道筋見えず

あの日から丸2年。福島県内では亡くなった人々への鎮魂と先の見えない避難生活に怒りの声が交錯した。巨大な揺れと津波に加え被曝の三重苦。いつになったら放射線量が下がるのか、あと何年仮住まいを続ければ良いのか…。厳しい冬を2回越え、間もなく春が訪れる。だが、原発事故の傷跡はあまりに深く、復興は容易ではない。中通りの3.11を歩いた。


【先の見えぬ仮設住宅での避難生活】

女性の怒りに満ちた言葉が、相双地区から避難を強いられている人々の胸中を代弁していた。

「家があるんだよ、自分の。でも原発事故のおかげで帰れない。自分の家があるのに仮設住宅を出られないんですよ。何十μSVもあるんだから…」

JR白河駅近くにある双葉町の仮設住宅。集会所では追悼の炊き出しが行われ、サンマのつみれ汁などが振る舞われた。献花台には朝から花が絶えず、多くの人が津波などで亡くなった故人の冥福を祈った。

福島第一原発から数km圏内の双葉町を襲った巨大な揺れに、電気工事中の作業員は電柱にしがみつき、パーマ中の女性はカーラーをつけたまま店外に飛び出した。道路が隆起し、バイクが転倒。そして津波と放射性物質の襲来…。あれから2年経っても、自宅での団らんは叶わない。

男性は「車を買い替えたら『余裕があるな』と言われた。冗談じゃない。車は移動に必要なもの。余裕があればとっくに仮設から出ているよ。国も県も何もしてくれない、東電だって100%賠償しているわけではない。何割もカットされているんだから。生活に余裕がないからここから出られないんじゃないか。誤解されては困る」と語気を強めた。農耕具も、領収書が保管されていなければ賠償の対象外。「挙げ句にひと山ナンボだよ」(男性)。一時帰宅の際に日頃使っていた農耕具を写真撮影し、東電に提出した女性もいた。しかし、認められなかった。「ただでさえパニックなのに、領収書なんかきちんと揃えられますか?」。女性の怒りはもっともだ。

仮設住宅近くの民間借り上げ住宅に暮らす60代の男性は、そこに落ち着くまでにいわき市や南相馬市など8カ所の避難先を転々とした。娘の嫁ぎ先である兵庫県加古川市に身を寄せたこともあった。「娘の旦那にガソリンを用意してもらって、車で半日かけて行ったよ」。だが、町がその後どうなったのか、原発は大丈夫なのか、遠く離れていては情報を得るのが難しい。ほどなくして福島に戻ってきた。

自宅は福島第一原発から3km。夜中は、タービンの音が聞こえたという。息子は今でも、原発内の免震重要棟で働いている。愛犬の散歩に出かけようと立ち上がった瞬間から始まった悪夢。ただただしがみつくのが精一杯だったことを良く覚えている。

「2年か…あっという間だったな」

男性はそれ以上、言葉が出なかった。
民の声新聞-郭内①
民の声新聞-郭内②

双葉町民が身を寄せる仮設住宅。集会所には特設

の献花台が設けられ、集まった人々は2年前を振り

返った。先の見えない避難生活はいつまで続くのか

=福島県白河市郭内


【村に残されたペットも犠牲者だ】

JR松川駅近くの仮設住宅では、飯舘村の人々が避難生活を送っている。同村は立ち入りは自由にできるようになったが、依然として放射線量が高いことから自宅などに寝泊まりすることは禁じられている。福島第一原発から約40km離れた県立相馬農業高等学校飯舘校では、3.6μSVに達する。浪江町や双葉町のように許可が無くても立ち入れるからといって安全ではないのだ。

間もなく70歳になる女性は、他の住民とともにお揃いのジャンパーを着て仮設住宅内を回り、高齢者の話し相手になっている。「月一回開かれるサロンは好評なんだよ」。だが、住み慣れた村の話になると表情が曇った。

「ここは、入居する時からペット禁止が条件だったんだ。だから、自宅に犬や猫を残したまま避難している人もいるんだよ。週に一回くらい、自宅に帰って世話をする。犬や猫もかわいそうだよね。家族同然なのに。動物だって犠牲者なんだよ。人間だけじゃないよ」。人けのない、静まり返った村で飼い主を待つペットの胸中はいかばかりか。

入居者たちが好んで散歩に出かけるという近所の公園は、依然として高線量。松川工業第一公園は地表真上で1.2μSV。第二公園でも同0.8μSVに達した。避難先が高線量という不幸。女性は「どこにも行くとこねえから、ここに住むしかねえ。しかし、なんも悪いことしてねえのにな」と哀しそうな表情をした。震災から丸2年などと感傷に浸っている状況ではない。いつまで〝仮〟の生活が続くのか。
民の声新聞-飯舘村
民の声新聞-松川①
民の声新聞-松川②
(上)飯舘村の仮設住宅には、棟ごとに中学生が

作った花のプレートが飾られている

(中)(下)仮設住宅近くの松川工業第一公園では、

地表真上で1.2μSV超。避難先が高線量という酷

い例だ=福島市松川町


【あまりに深い原発事故の傷跡】

安倍晋三首相は記者会見で「被災地には希望の光が確実に生まれつつある」と語った。しかし、福島県内に本当に「希望の光」は降り注いでいるだろうか。

依然として放射線量の高い伊達市では、市立小国小学校の新入生がついにゼロになった。二本松市や本宮市では、除染作業が進まず、通学路など至る所でホットスポットが存在する。郡山市では、地震で損傷したボウリング場の解体工事すら行われていない。福島ばかりではない、福島第一原発から100km離れた栃木県那須塩原市でも、高濃度汚染が確認されている。

また、原発事故がなければ起きなかった分断、住民同士の軋轢も見られる。「仮設住宅の入居者と、民間借り上げ住宅の利用者の交流がうまくいっているのは白河ぐらいじゃないか」と話すのは、双葉町の仮設住宅入居者。東電社員であることを理由に周囲から責められ、とうとう退職してしまった人もいるという。伊達市の下小国地区では、特定避難勧奨地点の指定をめぐり、指定を受けられた住民と受けられなかった住民との不仲が尾を引いている。原発事故がもたらした傷跡はあまりに深い。
民の声新聞-酒店
民の声新聞-黙とう
民の声新聞-春蛍
(上)大地震で店内が酒浸しになってしまった郡山

市内の酒店では、転倒防止のため棚にロープを張った

(中)午後2時46分、郡山駅前でも一斉に黙とうが

ささげられた

(下)郡山の伝統和紙を使って行われた「春蛍」。

復興に関する文字が炎で浮かび上がった。子どもたち

の被曝回避は今後も長く続く課題だ



(了)

【双葉町長選挙】進まぬ補償にいらだつ町民~浮き彫りになった世代間での考え方の違い

井戸川克隆前町長の辞職に伴う双葉町長選挙は10日、投開票が行われ、獣医師で2月の町議選で再選したばかりの伊澤史朗氏(54)が圧勝した。前回より20ポイント近く下げた投票率は過去最低。初めから結果の見えていた選挙戦は盛り上がりに欠いたが、世代間での考え方の違いを浮き彫りにした。3.11前夜に誕生した新町長は、帰還に向けて大きくかじ取りをすることになりそう。それが本当に町のためになるのだろうか

【国は早く土地と家を買い上げてくれ】

「選択の基準?やっぱり双葉町のことを分かっている人でしょう」

郡山市内に避難している60代女性の言葉が、今回の選挙を如実に表していた。

井戸川前町長が再出馬を表明し、体調不良を理由に取りやめ。結局、立候補したのは現職の町議に元町議、元県議と山梨県の男性。この時点で伊澤氏の勝利は決まっていた。

間もなく80歳になるという男性は、元県議が掲げた「福島市内に仮の町をつくる」という公約に対し「福島市はとにかく寒い。多くの人がいわき市を選ぶのは、気温もあるんだ。浜通りと中通りは全然気候が違うからね」と否定した。さらに「福島のことは福島の人間でなきゃね。まあ、山梨の人は第一種放射線取扱主任者の免許を持っているということだから悪くなさそうだけど…」とも。

郡山市内の仮設住宅にクラス男性(68)は「とにかく補償だ」と話した。

「もう帰れないんだから、あきらめるしかないんだ。だからこそ、国が土地や家を買い上げてくれたら、その金で新しい土地で暮らすことができる。いつまでも仮設住宅では落ち着かないよ」

一時帰宅のたびに土足であがるようになってしまった自宅。カビ臭さが鼻をつく。もはや、人の住めるような状態でないことは、自分自身が一番よく分かってる。新しい町長には、早く国との交渉を始めてもらいたいと願っている。
民の声新聞-双葉町長選①

一票を投じる男性。町民たちは一日も早く〝仮〟

の生活が終わることを切に願っている

=福島県郡山市の双葉町役場福島支所


【戻りたい高齢者と戻らない若者】

町役場が拠点を置いている埼玉県加須市から応援にきていた男性職員は「福島県内に避難している人と県外に避難している人とで考え方、井戸川前町長への評価がまるで違う。これがウチの町の特徴でしょうね」と苦笑した。

いわき市在住の30代男性も、世代間での考え方の違いを口にした。

「井戸川さんは正しかったんです。僕も除染は無駄だと思う。除染をしたって帰れるわけがないでしょう。そんなものに多額の予算をつぎ込むのなら、新しい町づくりに使って欲しい。でも、上の世代はやっぱり住み慣れた双葉町に帰りたいんです。だから除染を否定する井戸川さんを支持できない。気持ちは分かりますけどね」

地元メディアの記者が解説する。

「井戸川さんは、加須市での支持率は非常に高いんです。でも、ここ郡山では逆。やぱり皆、帰りたいんですよ、ふるさとに。県内避難者は年齢層が高いですから。それに、目に見えて症状が出ているわけでは無い。そうすると、いくら井戸川さんが『福島は危険だ』正論を吐いても伝わらないんです」
実際、投票所では「井戸川さんは駄目。独断だから」「国の大事な会議を欠席するようでは駄目ね」などの声を多く聴いた。

ある男性は言った。

「30年後に町に戻る?そしたら俺は110歳だよ。生きてるわけねえっぺ。俺は双葉町の墓に入りたいんだ」

原発事故がもたらした分断がここにもある。
民の声新聞-双葉町長選②

盛り上がりに欠いた選挙戦。投票率は20ポイント

近く下がり過去最低だった


【フクイチで迎える3.11 内部被曝は2万cps】

郡山の投票所には、原発事故以前から今も福島第一原発で働く30代男性の姿もあった。

妻と共に一票を投じた男性。妻に「3.11はどう過ごすか」と尋ねると「黙とうするくらいかな。でも、この人は明日も原発での仕事があるから心配なんです」と表情を曇らせた。

原発労働者を取り巻く労働環境の過酷さは、既に多くのメディアが報じているが「本当に酷かったですよ。食事も最初は非常食やビスケット。それがパンになり温かいカップラーメンになり…。今ではかなり良くなりましたけどね」と振り返る。

しかし、妻が案じるのは夫の健康だ。事故以降、どれだけ被曝をし、健康に悪影響を及ぼしているのか想像もつかない。ただでさえいわき市への避難を余儀なくされている身。不安は尽きない。

「そりゃ、相当取り込んでいると思いますよ。何せ、作業員が次々と行き交う通路の両脇に座ってパンをかじっていたんですから。内部被曝線量は定期的に測っているけれど、一番高い人で200万cpsだったかな。俺は大したことなくて2万cps。まあ、排泄されるしね、大丈夫でしょう」

淡々と話す夫の横で、妻は新しい町長への期待を口にした。

「この2年間、何も進まなかった。進めるように努力しているのかもしれないけれど、私たちには伝わっていないんです。他の双葉郡の人たちと比べて遅れていて、恥ずかしくて双葉町出身だと口にできないくらいです。これで、少しでも一歩でも前に進めれば良いと思います。もう、双葉町に帰れるとは思っていませんから」

(了)