【浪江町ルポ2013(上)】倒れたままの墓石と住めないわが家の屋根瓦修繕
【丹念に育てた木瓜の実も味わえず】
原発事故から3度目のお盆。蝉しぐれの下を汗だくになりながら登る。中通りでの避難生活が続く男性(59)の父親と、生後間もなくに亡くなった弟が眠る西台墓地。立派な墓石が並んでいるが、激しい揺れで倒れたままになっているものも少なくない。
「墓石って思いのほか重くてね、なかなか元通りにできるものじゃないんだよ」。男性が苦笑交じりに言う。震災前までは、お盆の墓参時には水で墓石を洗った後にワックスがけをするほど大切にしてきた。高齢の母親のことを思うと別の場所に墓を移すことも考えるが、場所をどこにするか、費用はどうやって捻出するかを考えると、なかなか具体化しない。「原発事故さえなければ、今まで通り自宅で生活できていれば、とっくに直せたよ」。
許可証の要る一時帰宅では、福島第一原発から10km圏内の自宅に立ち寄るのが精一杯。7月にも母親とともに一時帰宅し、庭に面した部屋の障子を張り替えた。「誰が見るわけでもないんだけどさ、何となく家の中が見えるのは嫌だな、と思ってね」。真新しい障子紙を指さし、男性は笑った。
庭で花や野菜を育てるのが好きだった男性。空間線量は、依然として4-5μSVに達する。しかし、大切に育てていた木瓜(ボケ)がきれいな緑色の実をつけていても、食べることは叶わない。「木瓜の中でも、この品種だけが実を食べることができるらしいんですよ。どんな味だったのかな…。原発事故のおかげで味も知らない」。
(上)浪江町に入るには町発行の許可証が必要。
民間警備員が許可証と身分証を確認する
(中)男性の父親が眠る墓では、重たい墓石が倒
れていた
(下)夏はアユ釣りを楽しんだという請戸川。川沿
いの道路は13μSVを超す
【繰り返される〝大本営発表〟への怒り】
川俣町へ抜ける国道114号。それに沿うように流れる請戸川は、真夏の陽光に水面を光らせながら、清々しく流れていた。ハンドルを握りながら、男性がため息をつく。「原発事故が起きて、これだけ酷く汚染されてしまったのに、この景色だけを切り取ればきれいな田舎の一場面だよね。葉っぱが赤茶けるわけでもない、川水が濁るわけでもない。だから余計に切ないよね」。
男性にとって、夏といえばアユ釣りだった。おとりのアユに針をつけてアユの群れがありそうな地点に放つ。縄張り意識の強いアユが、〝侵入者〟を追い出そうとして攻撃する習性を利用した手法。朝早く、または夕方になるとアユ釣りを楽しんだという。しかし、それも今は昔。子どもたちの川遊びも、遠い夏の思い出になってしまった。
「日本はいま、まるで戦時中の世の中のようだよ。あの頃、国民は『順調に勝利を重ねている』という大本営発表を信じ込まされた。放射能汚染も同じだよね。国も地元紙も被曝は無い、汚染も無い。除染をすればいずれ帰れる、福島に帰ろうの大合唱。こんな状態でどうやって帰れと言うのか」
男性の怒りは止まらない。賠償金引き上げを求める町の集団申し立てにも加わったが、東電の回答は引き揚げ拒否だった。「これだけの事故なのに、誰も責任をとらない。誰も逮捕されない。どれだけ考えても理解できないよ。つまらない事件でも逮捕され新聞に名前が載るのに、東電幹部も政治家もそのまま。冗談じゃないよ」。
告訴団にも名前を連ねているが、捜査は遅々として進まない。
(上)津島小学校の入り口付近では、3μSVを超
した
(中)(下)福島第一原発から10km圏内の男性宅。
庭の放射線量は依然として4.6μSV超。せっかく
育てた木瓜の実も食べられない
【住めなくても我が家…屋根瓦職人の悲哀】
「だいぶやられていますからね。相当、雨漏りしちゃってます」。浪江中学校近くの民家では、町内の瓦職人が避難先の南相馬市から駆け付け、修繕に取り掛かっていた。手元の線量計は2.5μSV前後を行き来している。爆発事故から2年5カ月を経てもなお、この数値。この職人とて、屋根瓦を直したところで住人が
すぐに帰れるわけではないことは良く分かっている。
「帰還、帰還と言うけれど、容易じゃありませんよ。だって、仮に戻ってきたとして、じゃあ畑仕事できますか?食べられますか?そんな状態で戻ってきて住んだって、そんなの人間らしい街ではありませんよ」
表情は柔和なままだが、心の内を吐き出すような言葉。さらに、屋根瓦の修繕を依頼してきた住人の気持ちも思い遣った。
「恐らく、今さら直したところで、家の中は相当傷んでいるでしょうね。でもね、退職金つぎ込んで、ようやく手に入れた大切なわが家。これ以上濡らしたくないと思うのは当然です。複雑ですね…」
水道や電気、ガスなどのライフラインが復旧していない浪江町。浪江中学校の校庭には、伸び放題の雑草を避けるように一時帰宅した町民のための仮設トイレが設置されていた。貯水タンクが併設された水洗トイレ。手元の線量計は5μSVを超えていた。昨年9月に訪れた時より2μSV下がったが、依然として高線量に変わりない。
除染をすれば線量が下がると言うが、除染で生じた汚染物はどこに隔離するのか。放射線量が2μSVを超す津島中学校の校庭は、汚染物の仮置き場になっていた。
下がらぬ放射線量にライフラインの整備…。警戒区域への帰還は、国や地元メディアが喧伝するほど簡単には進まない。
(上)(中)昨年9月には7μSVを超していた浪江中
学校の校庭。依然として5μSVを上回る。ここで
も3.11で時が止まっている
(下)除染で生じた汚染物の仮置き場になってい
た津島中学校の校庭
(了)
【被災ペット】警戒区域の犬や猫を救え~「にゃんだーガード」
福島第一原発の爆発事故の被害者は人間だけではない。警戒区域内に残されたペットを救おうと活動を続けているのが「にゃんだーガード」。飼い主と離れ離れになった犬や猫たちは100匹以上。仮設住宅では飼えないと持ち込まれたペットもいる。福島県三春町のシェルターには、原発事故に巻き込まれた犬や猫たちの戸惑いや哀しみが広がっているようだった。
【HIVキャリアの猫は別室に隔離】
逃げ出さないよう、二重にされた扉を開ける。閉めたら必ず施錠。そして、一部屋ごとに手を消毒。かつて、宿泊客をもてなした客室で、猫たちが思い思いに生活している。
何匹かの猫が、女性スタッフにすり寄ってくる。「普段は忙しくてあまり構ってあげられないからでしょうか。甘えてますね」。
屋外に設けられた馬房のような大きな特製のケージでは、犬たちが暑さに辟易した様子でくつろいでいた。吠える犬、こちらを伺う犬。人懐っこい「マリ」が私に近づいてきて甘える。名札には「富岡町で保護」「浪江町で保護」と書かれている。シェルター近くで保護された犬もいる。首輪がついており、明らかに飼い犬だったはずだが、飼い主が探している様子もないという。
保護するだけでなく、警戒区域内に餌を置きに行くことも。「誰かが餌を与えなければ死んでしまう」とスタッフ。また「TNR」(トラップ、ニューター、リリース)と言って、捕獲して不妊手術を施したうえで再び、生活圏に戻す取り組みも行っている。HIV(エイズウイルス)を持つ猫も少なくなく、保護された後の検査で18匹がキャリアだと分かった。うち、白血病も患っている猫は5匹。徐々に増えてきているため近々、部屋を増やす予定だ。
警戒区域内から保護された犬や猫。検査でHIV
(エイズウイルス)を持っていることが判明した猫は、
別室に隔離されている
【ペット禁止の仮設住宅からの持ち込みも】
「にゃんだーガード」が被災ペットの保護を始めたのは、原発事故直後の2011年4月。当初は田村市内に拠点を設けていたが、現在の三春町山田に移転したのが昨年5月。三春街道沿いの旅館だった古い建物を購入し、犬や猫を保護している。スタッフ4人は全員女性。1人が常駐し、3人は自宅から通っている。4人には、運営する社団法人から月給が支払われているという。
現在、犬は9匹、猫は約100匹が飼い主や里親を待っている。仮設住宅の入居者が、ペットの持ち込みを禁じられているためにやむを得ず手放すケースもあるという。
里親が現れても再び捨てられてしまうことのないよう、面接をしたうえで自宅にも訪問。本当に飼い続ける意思があるのか、飼える環境にあるのかを念入りに確認する。その上でお試し期間を経て、問題がない場合にだけ引き渡される。新しい飼い主が見つかることはスタッフたちにとっては何よりの喜び。これまでかわいがってきた寂しさをぐっとこらえて、別れを告げる。残念ながら新しい飼い主が現れることなくこの世を去った犬猫たちもいた。
被災ペットの保護を続けている「にゃんだーガード」。
餌やトイレ用の砂などは、寄付で賄われている
=三春町山田字福内
【被災ペットの存在を風化させないで】
「福島原発は、高校の授業で教わりました。『あれが爆発したらヤバい』と。まさか、本当にそのような事態になるとは…」。郡山市富久山町のAさん(21)はツイッターで活動を知り、「動物たちのために役立ちたい」と今年1月からスタッフとして加わった。午前7時半の朝礼で一日が始まり、家路につくのは午後7時。犬の散歩は朝晩2回。約1.8kmの道のりを歩く。「大勢のボランティアの方々がお手伝いに来てくれると本当に助かります」。一匹一匹、体調を確認し、必要があれば日誌に記入する。
原発事故直後に比べ、送られてくる餌などが少なくなっているという。
「関心が低くなっているのがよく分かります。人間だけでなく、こういう子たちがいることを風化させないでほしいです」とAさんは話した。
※餌の送り先やボランティア登録などは「にゃんだーガード」のホームページ(http://nyanderguard.org/index.html )まで。
何よりの喜び。それでもやはり、胸中は複雑。引き
渡しを翌日に控えたジロを、スタッフが寂しそうに
抱きしめた
(了)
【3度目の夏休み】屋内遊び場を駆ける子どもたち~ペップキッズこおりやま
夏が来た。原発事故後、3度目の夏休み。福島県郡山市内の屋内遊び場は、被曝の不安から屋外での遊びを避ける親子連れでにぎわっている。外遊びを奪われた子どもたち。怒りを発散させるように走り回る。今なお、払拭されない被曝への不安。福島に〝本当の夏〟がやってくるには、まだまだ時間がかかる。原発事故はまだ、終わっていない。
【除染した公園でも払拭されない被曝の不安】
駐車場の整理にあたる初老の警備員が苦笑した。「原発事故さえなければ、こんな所で遊ぶ必要も無いのにね。今日も満車だよ」。雨模様も手伝ってか、平日にもかかわらず館内は親子連れでいっぱいだった。「これでも、土日に比べれば空いてる方ですよ」とスタッフ。子どもたちは、汗で髪の毛を濡らしながら走り回っている。
「午前中に来て、いったん休憩して午後にもう一度遊ぶ。一日2回利用してますよ。外遊び、特に土いじりにはまだまだ不安は無くならないですね。だから、こういう施設は重宝していますよ」。小学校1年生と3歳の孫が遊ぶ様子に目を細めながら、男性は笑った。
別の母親は須賀川市の出身。結婚して郡山市内で生活している。小学校2年生の娘と生後10カ月の息子を週に1回は連れて来るという。
「除染したとはいえ、公園でわが子を遊ばせて良いものか…。今でも不安はあります。ママ友とも、そういう話題になりますよ。かといって、家で毎日DVDを観るなどして過ごしてばかりでもいけないので、ここに来ます。上の子は、本当は小学校にあがるまでには自転車に乗れるようにしたかったんですけど、屋外で遊べる状況でなかったですからね…。仕方ないです」
県外避難も考えた。家族会議も開いた。しかし、最後には夫の仕事がネックになった。また、恐怖心も避難をためらわせたという。
「外(県外)に出ようかと本気で考えました。でも、福島ナンバーの付いている車で県外へ行くのが怖かったんです。どんな仕打ちを受けるか分からなかった。それも、避難に踏み切れなかった一因です」
多くの子どもたちでにぎわう「ペップキッズこおり
やま」。原発事故から2年以上が経過しても、親
たちの被曝への不安は消えていない
=郡山市横塚
【被曝から目を逸らさないと生きて行かれない】
「ペップキッズこおりやま」は原発事故から9カ月後の2011年12月23日、東北最大の屋内遊び場としてオープン。施設は、郡山市を中心にスーパーマーケットを展開する株式会社ヨークベニマルが郡山市に5年間、無償貸与。一部をNPO法人に委託しながら市が運営している。
オープンから3カ月で利用者が10万人を突破。10カ月後の2012年10月には30万人を超え、現在では52万人に達している。一日の利用者は平均800人。土日は倍の1600人にも上るという。利用できるのは生後6カ月の乳児から12歳まで。90分ごとの入れ替え制。料金は無料で、コインロッカーも完備されている。
「マスクに長袖姿が目立った事故直後と比べると、かなり屋外で遊ぶ姿が見られるようになりました。でも、未就学児を持つ親は、やはり被曝の危険性について考えるのではないでしょうか。私だって、郡山産の米は食べたくないので会津から取り寄せていますから」。ある職員は母親らの気持ちを代弁するように語った。
「皆、被曝への不安を抱えながらも、一方で忘れたい、打ち消したいんです。親は原発事故や被曝の危険性を忘れようと努力していると思います。人は忘れないと生きて行かれないですからね。子育てに母親の影響は大きいんです。母親が不安に感じると子どもも不安になる。だから、関心が無いのではなく、見ないようにしているんだと思います」
小学校1年生の娘を連れてきていた母親は、被曝の危険性と背中合わせの生活での葛藤を口にした。
「子どもは砂などいろいろなものに触れるので、不安はかなりあります。でもね、子どもは遊びたいから外に飛び出して行ってしまう。それを無理矢理止めることもできないですしね…」
一日のうちで最も混雑するという午後2時の回が始まると、館内はあっという間に子どもたちの歓声と熱気に包まれた。
(上)水遊びもできる砂場は70㎡の広さ
(下)館内には屋内外の放射線量が掲示されている
【砂遊びは除染済みの校庭だけ】
絵画教室の講師をしている女性は、汗だくになりながら甥っ子を追いかけていた。
「放射線量を気にしたり危機感を募らせている人は、とっくに県外避難をしていますよ。でも出たら出たで、福島に残った人との関係はぎくしゃくしてしまっています。中には戻って来たいと考えている人もいるけど、まだ放射線量が高いからね、戻るタイミングを決めかねているみたい」
小学校2年、4年、5年生の三児の母親は「小学校の校庭は除染して砂を入れ替えたので良いが、校庭以外では絶対に砂遊びはさせません」と言い切った。
原発事故後、3度目の夏休みは佳境を迎えた。そして、子どもたちは今日も、望まない被曝を強いられている。
(了)
【28カ月目の福島はいま】自宅除染は済んだけれど…消えぬ息子の被曝不安~二本松市
5カ月ぶりに訪れた二本松市の民家は、宅地除染が終わり、放射線量が低減していた。しかし、庭に埋めたフレコンバッグの耐用年数は3年と言われ、隣家との関係もギクシャクしたまま。3人の息子のうち1人は内部被曝線量が高く健康被害への不安が募る。宅地除染が済めば終わり、ではない現実がそこにはあった。
【自宅除染に参加した10代の2人】
今まで洗濯物を干せなかった場所に干せるようになった。
「少し安心しました」と母親(49)は笑顔を見せた。
除染作業は5月下旬、6日間にわたって行われた。作業員は6人。うち4人は会津若松市、残りの2人は郡山市の男性だった。驚いたのは、郡山市の2人が18歳と19歳だったことだ。
「18歳の男の子は、既に結婚していて今年、子どもが生まれたんだそうです。被曝は気にならないの?って尋ねたら『気になんねえ、嫁も気にしてねえ』って。ため息が出ました。そんな若い人が除染作業をしているなんて」
さらに驚いたのは、6人が作業着のままワンボクスカーに乗り込み、帰って行ったことだった。息子の衣服を常に二度洗いをしている母親にとっては、信じがたい光景だった。
2月に訪れた際、10μSVを軽く超えていた雨どい直下も、除染作業によって0.3μSVにまで低減した。「それでも0.3はあるんですけどね」と苦笑する母親。取り除いた土などの汚染物は、25袋のフレコンバッグに入れられて自宅敷地内の花畑だった場所に埋められた。「何でも、そのフレコンバッグは3年間しか耐久性が無いらしいんです。大丈夫かしら…。ブルーシートを敷いているとはいえ、地下水が湧いてくるような土地ですから」。
そして、何より残念なのが、隣家の反応だった。
汚染物を埋めた土地の横は、隣家のベランダ。埋め立てが終わると、隣家の奥さんがつぶやいた。
「もう、洗濯物を干せなくなっちゃった。ショック」
戸がピシャリと音をたてて閉められた。「ウチが汚染物質をバラまいたのならともかく、何も悪くないのに…」。今も隣家とはギクシャクしたままだ。
(上)10μSVを超えていた雨どい直下は、大幅に
放射線量が低減された。しかし、それでも0.3μSV
を上回っている
(下)除去した汚染物は、敷地内の花畑だった場所
に埋められた。すぐ横は隣家のベランダ。除染以降、
隣家との関係はギクシャクしているという
【次男の内部被曝線量は4332Bq】
一番の気がかりは、中学3年生、短大生、社会人の3人の息子の体調だ。
特に東京の短大に通う次男は、3人の中で最も内部被曝線量が高かった。今年2月下旬に受けたホールボディカウンター(WBC)検査で、放射性カリウムが5299ベクレル、放射性セシウム134は4332ベクレルだった。放射性セシウム137は下限値(210-250ベクレル)以下だった。長男の放射性セシウム134=26.66ベクレル、三男の同=15.05ベクレルと比べると、その高さが分かる。
「陸上部員だったので、原発事故のあった3月も、よく屋外を走っていました。他の2人はあまり屋外に出なかったから、その影響でしょう。健康被害が出なければ良いのですが」
また、将来の結婚への心配も少なくないという。
「福島出身だということで結婚してもらえないんじゃないかと、気がかりです。風評被害とは思わないけど…」
自宅の除染は済んだものの、一歩敷地外に出れば
ホットスポットが点在する=二本松市油井
【東京では原発事故はもはや他人事か】
兼業農家。米は30kg換算で60袋生産する。県の全袋検査の結果、これまでに100ベクレルを超す放射性セシウムは検出されていない。横浜のレストランで使ってもらえることも決まった。「すごく美味しいと言ってくれたんです」と表情が和らぐ。一方、流通はさせていないが、豆やキュウリ、ナスなども生産している。こちらは、一部の野菜が100ベクレルを超したこともあった。祖母は「なんだか畑仕事をやる気が起きなくてね」と苦笑する。
「原発事故はまだ終わっていないんです。福島では、ローカルニュースは必ずと言っていいくらいに原発関連のニュースから始まります。東京ではどうですか?そんなこと無いでしょう。他人事なんでしょうね」
原発事故は現在進行形…。母親は何度も繰り返した。
(了)
【参院選2013】僕が子どもを被曝から守る~山本太郎さんが当選、闘いの場は永田町へ
ただ一人、福島原発事故による被曝が今なお存在することを公言し、食品の安全基準が高すぎると訴えていた山本太郎さん(38)=東京選挙区=が、21日に投開票された参議院選挙で67万票近くを得て当選。子どもたちの被曝回避へ、闘いの場を永田町に移す。当選直後の会見で、山本さんは「僕が先頭に立って、子どもたちを被曝から守る」と明言した。
【今も子どもたちは被曝させられている】
「福島の子どもたちを守ってくれますか?」
当確に沸く選挙事務所で、私はどうしてもこれを質問したかった。いや、参議院議員になった山本太郎さんにまず聞きたかったのは、この一点だけだったと言ってもいいかも知れない。
彼は大きくうなずいて答えた。「もちろんです」。
私はもう一度、念を押した。「本当に守ってくれますか?」
彼ははっきりと答えた。「もちろんです」。
「国が20mSVという基準を子どもたちに与えたことが、僕を本気にさせた。1mSVが20mSVに引き揚げられたことが僕の出発点です。今も子どもたちは被曝させられている。年間1mSVを超える地域に住まわされている理不尽が続いているんです。少しでも被曝を減らしたい。まずは、議員として調査の先頭に立ちたい。もちろん、被曝は福島だけの問題ではなく、東日本全体の問題だと考えています」
一方で、さらなる支援を呼びかけることも忘れなかった。
「これから、様々な妨害があるでしょう。議員になることが目的ではないんです。僕を潰そうという動きばかりが出てくることでしょう。これまでにない、茨の道が待っています。ますます援護射撃が必要です。皆でやらなきゃ闘えない。妨害をどのように切り抜けていうか。皆さん全員が政策秘書となってください」
報道陣の求めに応じてポーズをとる山本太郎さん。
しかし、「もう茨の道は始まっている」とすぐに表情
を引き締めた=東京都杉並区高円寺北
【「政治の原点」見た選挙戦】
「もはや市民運動の中にるだけでは物事は動かない」と立候補した選挙戦。昨年暮れの総選挙に続く国政選挙を「すごくつらい17日間だった」と振り返った。「正直、体力的にはきつかったです」。
右側頭部に出来た円形脱毛症は、みるみる大きくなった。殺害予告まで受けた。記録的猛暑の中、炎天下で30分に及ぶ街頭演説を、1日に10回こなしたこともあった。電車や車での移動の様子まで、「ツイキャス」と呼ばれるインターネットでの動画配信スタッフが密着した。東京選挙区での出馬には異論もあった。福島選挙区からの立候補を求める声もあった。実際、郡山市内の母親は「落選したとしても、自民党の森雅子さんをとことん追い詰めれば、自民党も有権者の声を無視できなくなるのではないか」と話していた。しかし、最後まで、情報拡散力のある東京での選挙戦、東京で被曝の存在を訴えることにこだわった。
選挙期間中「これぞどぶ板選挙だ、というものを見せつけてやりますよ」と話していた通り、インターネットを駆使した選挙運動を巧みに展開する一方で、駅前などで直接、有権者に語りかけることも忘れなかった。途中、新潟選挙区から立候補した森裕子さん(生活)の応援に現地まで駆け付けたことには反対意見もあったが「20mSV問題で一緒に闘ってくれた人だから」と押し切った。
「全員が個性的」と胸を張るボランティアスタッフが、支持の拡大に大きく貢献したことは言うまでもない。午後9時すぎにNHKが当選確実を報じると、選挙事務所に集まったボランティアスタッフを指し「あなたたちが勝ったんです」と真っ先に伝えた。
「つらかったけど、政治の原点を見たような気がします」
街頭演説でも「原発はいらない。電力は足りている」
と訴えた。「食品の安全基準が100ベクレルでは高
すぎる」と話すと、子連れの母親は大きくうなずいて
いた=JR蒲田駅西口で
【福島のお母さんたちの力も借りたい】
当選が決まり、支援者と抱き合う太郎さんの目は潤んでいるように見えた。しかし、本人は「グッときたけど、泣けなかったですよ。これから始まる茨の道を考えたらね」と冷静だった。選挙ではお決まりの「バンザイ」など、初めからする気もなかった。「就職先が見つかったのを喜んでいるようで、馬鹿っぽく見えますよね」。
どの会派に加わるのかなど、課題は山積している。「僕の発言を聞いて『うちに来い』と言う政党は無いんじゃないか」と笑う。脱原発や被曝を公言して俳優としての仕事を失った、自称「表現の自由を奪われた一人」。憲法改正にも着目している。「TPPでは誰も豊かにならない」とTPPにも明確に反対している。
「僕一人ではやっていけません。今が始まりであって、議員になるのが目的ではないんです。だから、皆さんも山本に投票して終わりではなく、どんどん僕のお尻を叩いて、力を貸してください。福島のお母さんたちの力も借りたい」
福島原発事故から28カ月。「脱被曝」を掲げる山本太郎参院議員が歩き始めた。
当選直後の記者会見では「みなさんで山本太郎
を成長させてほしい」と語った
(了)
【福島の部活動】子どもたちに被曝と背中合わせのプレーを強いるな~郡山市・開成山公園
【ここで生きて行くしかない】
「みんな、開成山公園の放射線量が高いのは分かっているさ。それなのに、こんな場所で部活動の大会をやるんだからね…」
7月12日午前7時前。既に汗ばむような気温のなか、2匹の柴犬を散歩させていた60代の男性が嘆くように言った。男性は、原発事故後も毎日欠かさず、開成山公園周辺を散歩しているという。「今日、午後にホールボデー(WBC=内部被曝検査)を受けに行くんだ。ここを毎日歩いているんだから、どれだけ被曝しているのか…。まあ被曝していたとしても、すぐに癌化するわけじゃないけどね」。男性はそう笑って去って行った。男性の横を、陸上部の女子高生がジョギングしていった。
数億円かけて改修された陸上競技場では、県内の中高生、大学生が集い「福島県陸上競技選手権大会」が開かれていた。競技場周辺には、各校が設置したテントが点在。空間線量が0.5-1.0μSVもあるような場所で、薄いシート一枚の上に10代の子どもたちが座っている。
「えっ?被曝?放射線量?えーっと…」。会津若松市から来たという女子高生に声をかけると、戸惑い気味に顔を見合わせた。彼女たちの気持ちを代弁するように、準備中の大会関係者が苦笑しながら話した。
「線量はどのくらいありますか?0.5-1.0?んー低線量被曝は…。まあ、我々はここで生きて行くしかないですから。ぜひ、大会も観て行ってくださいよ」
駐車場の一角で、大会に参加している女子高生が腰をかけていた。「ここに座ると被曝するよ。気を付けて」。私が声をかけると、女の子は戸惑いながら、こちらを見た。「ごめんね。この辺りは線量が高いから」。なぜか私は謝っていた。女の子は「分かりました」と頭を下げた。
(上)開成山陸上競技場は、除染が済んでも0.28μSV
(下)競技場の外は0.8μSVを超す地点も=郡山市
【放射線っスか?全く意識してないっス】
陸上競技場に隣接する野球場では、高校球児たちが甲子園を目指して戦っていた。
三振にヒットに、スタンドから大歓声があがる。手元の線量計は0.28μSV。被曝とは無縁でない野球応援だ。
須賀川市内の女性教諭は、選手たちのプレーを撮影しながら「野球場の周囲ってそんなに放射線量が高いんですか?」と驚いた。「子どもたちはこの日のために頑張ってきたのですから、非はありませんよね。福島県内には他にも球場があるんだから、何も線量の高い場所でやらなくても…。でも、聞いたことがあります。バス代などでお金がかかるから、あまり遠くでは試合はできないって」。子どもの命より金か。県高野連の関係者は慎重に言葉を選びながら話した。
「放射線量ですか?うーん…。まあ、その辺りは上の判断ですから…。まあ、事故が起きた頃より意識が低くなっていることは確かですね。うーん…」。
荷物番をしていた坊主頭の一年生に声をかけると、運動部らしいハキハキとした返事が返ってきた。
「放射線っスか?全く意識してないっス。事故の直後は意識しましたけど、原発も良くなってきたし考えないっス。周りの奴も同じっス」
得点のたびに悲鳴にも近い歓声に包まれるスタンド。子どもたちは、肌を刺すような強烈な陽射しから身を守ろうと必死だった。だが、放射線を避けようとする子どもは、1人もいなかった。
(上)甲子園出場をかけた熱戦が続く開成山野球
場。スタンドは0.28μSV
(下)開成山公園に接するバス通りでは、0.6μSV
を超した
【福島県民は野球もしてはいけないのか?】
わが子の応援にかけつけた白河市の母親は怒っていた。
「被曝?そんなこと言ったら、福島に住んでること自体が不安だよ。福島県民は野球もしてはいけないのか?家の中に閉じこもってろと言うのか?」
抑え気味の声だったが、表情は怒りに満ちていた。被曝、被曝と言うが、じゃあどうすれば良いのか。その目はしばらく私を睨み付け、そして地面を向いた。別の母親も「生活は、すっかり震災前に戻ってしまったよ。マスクもしない、洗濯物は屋外に干す…」と下を向いた。
息子が陸上部だという母親は「もちろん、こんな場所で走るなんて心配ですよ」と表情を曇らせた。「でもね、だからといって出場を拒否するわけにもいかない。今は大学に通うお姉ちゃんだって、高校周辺は放射線量が高かったけど通わざるを得なかったからね」。
郡山市内の母親が、ある高校球児の言葉を教えてくれた。
「ここにいたら被曝するのは分かってる。スライディングをしたら放射性物質を吸い込むことも知ってる。でも、僕はプロ野球選手になりたいんだ。本気だよ。だから、被曝のために夢をあきらめたくないんだ。被曝するかもしれない。でも、絶対にプロ野球選手になりたいんだ。だから、僕はヘッドスライディングをするよ」
(了)
【28カ月目の福島はいま】福島にとどまる側の論理~福島市・十六沼公園
街に子どもたちの歓声が戻ってきた。被曝の危険性が大幅に低減したわけではないのに━。飯坂温泉にほど近い福島市の十六沼公園で、原発事故から27カ月目の想いを親たちに尋ねた。なぜ、福島県外に避難せずにわが子を遊ばせるのか。被曝への考え方は十人十色。矛盾を抱えながらとどまる人々を批判するだけでは始まらない。「とどまる側の論理」にも耳を傾ける必要がある
【「騒いだってしょうがない」】
うんざりした表情は、暑さのせいか、質問のせいか。
スケートボードを楽しみに来た20代の男性は、言葉少なに言った。「福島市で仕事をしているから、ここに住まざるを得ない。子どものいる連中の中には避難したのいるけど、俺は独身だし」。
1歳女児の父親も、冷めた表情で言う。
「みんな騒がないですよね。まあ、騒いだってしょうがないっていうか…。一生付き合うしかないですからね、放射線とは。避難?難しいですね~。仕事がね」
除染が終わった十六沼公園。モニタリングポストの数値は0.151μSVを示していた。真新しい芝生に大型遊具「ぴょんぴょんドーム」が建設され、連日、多くの親子連れでにぎわっている。
もうすぐ2歳になるという息子と遊びに来ていた30代の父親は、息子に水分を与えながら「原発事故から2年…何となく時間が過ぎている感じですね。避難と言われてもね」と淡々と語った。「日々の生活で放射線を意識しないと言ったら嘘になります。でも、事故直後のように毎日考えていたら、ストレスばかり溜まってしまう。そんな状態では、ここでは生活できませんよ」。
猛暑の中、多くの親子連れでにぎわう十六沼公園
の「ぴょんぴょんドーム」。近くに設置されたモニタ
リングポストは0.151μSVだった
=福島市大笹生
【環境変えて子育てする自信無い】
「やっぱり意識しますよ、放射線のこと。しょうがないとは思えないですよね。何十年という単位のものですからね。自分一人だけだったら考えないと思うけど、この子がいますからね。将来、この子の身体に何かあったら…」。1歳を過ぎたばかりの娘の顔を見ながら、母親はそう言った。
しかし、一方で「県外避難は一度も考えたことがない」とも。
「ここには両親も友達もいるんです。環境を変えて子育てをしていく自信など、ありません」
わが子への健康被害は心配だが、県外避難はできない…。福島市役所近くで暮らす別の母親(28)も、「周囲は続々と避難しているけれど、やはりお金ですよね。母子避難ではなく、子どものためにも夫と一緒に暮らしたい。それはなかなか難しいです」と語った。
息子は1歳7カ月になった。「室内で遊ぶ時と比べて表情が全然違う」と、屋外で遊ばせるようになった。一方、内部被曝を避けるため、食材には気を付けているという。
「選ぶのは、福島県内産です。県外のものより、しっかり検査した県内産の方が安心かなって。数値を信じるしかないですよね」
今は動けないが、夫にはあることを伝えている。
「次に何かあったら、県外に逃げます。たとえば4号機に何か起きるとか…。もちろん、あってほしくないですけどね」
(上)猛暑のため、子どもたちは自然と噴水に足
が向く
(下)公園い隣接する鬼越山。登山道や展望所の
放射線量は0.5-0.6μSVに達する
【大好きなふるさとは捨てられない】
「進学で東京に出てみて、改めて福島の良さが分かりました。生まれ育った大好きなふるさと。なかなか捨てられるものではなりません」
24歳の母親は、元気に歩き回る息子(1歳6カ月)に目を細めながら言った。
放射線のことは日々、頭から離れない。「モニタリングポストはあくまで目安にすぎません。設置場所の値であって、周囲の地点がすべてその数値ではないでしょ」。屋外に出れば、子どもは土や石など、目に入ったものに手を伸ばす。
外部被曝だけではない。内部被曝も不安の種。「福島米は食べさせたくない」と言い切る。子どもばかりか、自分自身の被曝も心配だ。それでも…。県外避難には踏み切れない。
「福島で働こうと、東京から戻ってきた矢先の震災でした。避難した方が良いのは分かっています。でも、大好きな福島での就職が決まり、戻ってきた以上、そんな簡単にはいかないのです」
被曝の不安を抱えながら、始めたことがある。福島のPRに携わることだ。「農家が元気を無くして、
自分自身が福島の食材へ不安を抱きながら、一方で、生産者に貢献したいとPRをする。どこか、被曝の危険性を認識しながら汚染地にとどまることに通じる。
「とても矛盾していますよね」
彼女の言葉は今も、私の胸に突き刺さったままだ。
(了)
【参院選2013】被曝の危険性をストレートに訴える山本太郎の選挙戦~僕は〝本当の事を言う馬鹿〟
右側頭部に広がる円形脱毛症を隠すことなく、山本太郎は聴衆の前に立っていた。彼は「頑張ります」などとは言わない。」ストレートな表現で福島原発による被曝の危険性と政府の無策を訴える。そして若者たちに呼びかける。「国は君たちを守ることなど考えていない」━。自らを「本当の事を言う馬鹿」と言う山本さんの選挙運動に8日、同行した。彼の演説からは、子どもたちを被曝から守ろうという気概が伝わってくる。
【1歳児の母親「被曝を口にできる政治家いない」】
東京都世田谷区の小田急・経堂駅。
突き刺さるような陽射しの下、ベビーカーを押す母親(35)が、足を止めて演説聴き入っていた。
「いま、放射能とか内部被曝って恐ろしいほどタブーになってるじゃないですか。被曝をきちんと口にしてくれる政治家がいますか?私はこの子(1歳)のために西日本から食材を取り寄せています。東京だって被曝は他人事ではないです。だから、太郎さんの話には本当に共感しました。頑張って欲しいです」
山本太郎の演説は、選挙演説というより「脱原発」「脱被曝」演説だ。
「事故後、国や行政が行ってきたことは情報隠しです。福島第一原発の事故が小さいことにしないと原発を続けられないからです」
「皆さんは今でも、不条理を押し付けられているんですよ。食品は100ベクレルまでなら汚染していても安全と言っているなんて狂ってるんです。核種もセシウムしか調べていない」
「放射性廃棄物と同じレベルの食べ物を食べるのは大人だけではありません。子どもたちもです。しかも、子どもたちの身体は大人以上に影響を受けるんです」
「『ただちに影響ない』という言葉を忘れないでください。いずれ影響があるということです。本当の事を言っちゃったわけです」
「いま、国が与えているのは〝被曝の権利〟だけです。〝避難の権利〟ではない」
そして最後にこう締めくくる。
「山本太郎という本当のことを言う馬鹿を国会に送り込んでください。仕事をしない国会議員たちのケツを蹴飛ばさせてください」
小田急・経堂駅前で演説する山本太郎候補(左端)。
彼の主張は「脱原発」と「脱被曝」だ
=東京都世田谷区
【「国は若者を守ることなど考えていない」】
昨年12月の総選挙に続く、2度目の国政選挙出馬。なぜ、彼は国会議員を目指すのか。
「もはや、市民運動の中にいるだけでは物事は動かないんですよ。当選すればフリーパスで全国に行かれるし、国政調査権も与えられる。政治の中に入っていかないと駄目ですね。もちろん、当選できたらどこかの会派に入ることになるでしょう。まだ決めていないけれど、全部は無理だから、ある程度政策で一致できる会派を選びたい」
選挙は勝たなければ意味がない。ましてや、子どもたちの被曝回避を進めるのであればなおさらだ。それは山本太郎自身、よく分かっている。
「確かに、議席をとらないと意味がないですよね。手応えはかなり良いけれど、投票日までにどれだけ多くの人に会えるか、ですね。ぜひ、100万票を獲得して当選したい。〝しがらみのない100万票〟が背中を押してくれれば、政府も無視はできないでしょう」
山本さんは、道行く若者たちにも呼びかけた。
「どうぞ自由に写真を撮ってください。でも、僕の話を5分でいいから聴いて欲しい。被曝の話に無関係な人はいないのです。国が君たちを守ってくれるなんて幻想なんですよ。皆さんを守ることなんて、国はこれっぽっちも考えていない。どんどん切り捨てが始まっているんです」
彼の声が若者にどれだけ響いているか、正直なところ未知数ではある。実際、写真を楽しそうに撮っていた10代の女の子は、揃って「太郎さんが何を訴えているのか知りません」と笑った。駅周辺の店舗では、眉をひそめる店員の姿もあった。被曝回避策が重要かを都民にどれだけ浸透させることができるか、当選のカギはそこだろう。
「10代20代の皆さん、5分でいいから僕の話を聴
いてください」と呼びかけた山本さん。もはや選挙
運動というより「脱被曝運動」のような気迫だ
=小田急・成城学園前駅
【子どもを被曝から守るために国会へ】
総選挙時からボランティアスタッフとして参加している男性は「総選挙では嫌がらせや冷やかしもあったけど、今回はかなり減りましたね。かなり手応えは良い」と話す。山本さんも「今回は最初のネット選挙ですからね。写メをたくさん拡散してもらえば良い。これがどぶ板選挙だ、というものを見せつけてやりますよ」と力をこめる。
演説後、毎回のように写真撮影の長い列ができるが、それがどれだけ投票行動に結びつくか。山本さん自身「総選挙より、今回の方がヘビーですね。思った以上にヘビー。東京は範囲が広いし、訴えることも多い」と本音も漏らした。
総選挙時に出来たという円形脱毛症は大きくなる一方だが「まだ折り返してもいない。毎日がクライマックスのつもりで頑張りますよ。体調は万全です」と笑顔を見せた。
演説で「砧スタジオには良く来ました。でも今は仕事がありません。日本では電力について都合の悪いことを言うと仕事がなくなります」と自虐的に話した山本太郎さん。福島には数えきれないほど足を運んだ。「ふくしま集団疎開裁判」を支援するための郡山デモにも参加したこともある。
都民は、彼のような「本当の事を言う馬鹿」を国会に送り込むのか。審判の日は21日。
「写真撮って」と近づいてきた女の子たちと談笑
する山本さん。出馬の目的は子どもたちを被曝
から守ることだ=小田急・成城学園前駅
(了)
「あじさい小路」に見え隠れする被曝への本音と建前と葛藤~福島市・土合舘公園
主催者は分かっていた。放射線量が決して低くないことも、子どもたちの身体に悪影響を及ぼす可能性があることも。一方で街の〝地盤沈下〟も重要課題…。6日に始まった福島市松川町の「あじさい小路」。会場となった土合舘公園では、イベント実施と被曝をめぐり本音と建前と葛藤が交錯していた。もはや外部被曝の心配はないと言い切る母親もいた。それでもやはり、私は言い続けたい。放射線量の高い土合舘公園で子どもたちが集まるようなイベントを開くべきではない。
【線量の高さは承知の上…萎縮していられない】
開会の式典を緊張気味に終えた松川町商工会の石井勝美会長(81)は、汗をぬぐいながら思わず本音を漏らした。
「放射線量にあきらめ半分、慣れ半分といったところかな」
会場では、「ふくしまの元気は松川から」の幟(のぼり)が風になびいていた。式典で、石井会長は「震災と原発事故で、地域経済はかつてない危機を迎えている。このイベントを実施することで元気な福島を一日も早く取り戻すことができると判断した」とあいさつした。しかし、その裏では、イベント開催に慎重な声もあったという。
「婦人部の中にね、そういう意見もありました。ここの放射線量が高いことは知っています。風評被害と言うけれど、そればかりではない。実害があることも分かっています。でも萎縮してはいけないと思うんです」
震災前は8日間も開催されていたイベントを2日間に短縮した。原発事故が収束しないなか、地域の恒例行事となったこのイベントまでもやめてしまったら…。石井会長の表情は、懇願しているようにも見えた。立場上、地域の活性化を掲げざるを得ない事情も良く分かる。しかし、やはり私は子どもたちも多く訪れるようなイベントを、高線量の公園で行うべきではないと主張したい。
商工会婦人部の女性にも、この想いをぶつけた。女性は少し表情を曇らせて、しばらく考えた後に言った。
「子どもたちを立ち入り禁止にしなければいけないほどの放射線量でしょうか。局所的に空間線量の高い個所はいくらでもあります。それを気にしていたら、ここでは生きていかれません。出て行くしかない」
(上)土合舘公園の中腹に設置されたモニタリング
ポストの数値は、0.7μSVを超していた
(下)散策路には、父親に連れられた小学生の姿も
=福島市松川町土合舘
【安全だとPRしながら除染に力注ぐ矛盾】
標高228.1メートル、5.5ヘクタールの土合舘公園。JR東北本線・福島駅から3つ目。松川駅から徒歩で30分ほどの小高い山に、4500株のアジサイが植えられている。昨年の猛暑が影響し、開花が遅れ気味とか。しかし、そんなことより、私はやはり放射線量と子どもたちへの悪影響が気になってしまう。散策路では、親に連れられた子どもの姿を多く見かけた。
50代の関係者は、匿名を条件に本音を語った。
「一方で『福島は安全ですよ』『危ないというのは風評被害なんですよ』と言いながら、他方で多額の費用をかけて除染を続けている。これは大いなる矛盾なんですよ」
「でもね、では現実問題として皆が県外に避難できますか?避難先で今と同じ生活レベルを保てますか?私も含めて、ここの人々はここで生まれ育った。先ほどの矛盾点も受け入れるしかないんです。今の放射線量が生きて行くうえで身体に良くないか分からないわけだし…」
式典で代読された瀬戸孝則福島市長のメッセージでは、やはり「風評被害を払拭」という文言が使われた。「復興を進めるためには、福島の元気な姿を発信していかなければならない」。男性は、行政による安全安心キャンペーンには疑問を抱きつつも、福島で生活していかざるを得ない葛藤もあると語った。
公園内では、地域住民で構成される「花案内人」たちが来場者のガイド役を務めた。花案内人の一人の女性は、語気を強めながら私に言った。
「伝えて下さい。ここでは『異常』が『普通』になってしまっている。こんな事故、前例が無いんだから私たちはモルモットですよ。皆、仕方なく心の中で折り合いをつけながら生活をしているんです」
彼女はもう一度、強調した。
「伝えてください」
(上)公園内の散策路は軒並み、0.4-0.5μSV
(下)地元のゆるキャラ「ももりん」と「八重たん」も
登場した。だが「ここは被曝するから危ないよ」と
は言ってくれない
【神経質になる方が身体に悪いと言う母親も】
土合舘公園近くの福島市立松陵中学校の校庭からは、少年野球の歓声が聴こえていた。
川俣町のチームと福島市のチームとの対戦。校舎脇に設置されたモニタリングポストは0.166μSVを示していた。
わが子の応援に来ていた40代の母親は「もう、空間線量を気にしていたらキリがないですよ」と話した。
原発事故直後、県外避難も検討した。しかし、2人の小学生が新しい環境になじめるかを考え、残ることを決めた。「幼子だけだったら避難を決断できていたでしょう。でも、2人が避難先で受けるであろうストレスを考えたら、その方が身体に悪いような気がして。今だって、空間線量が1.0μSVを超えなきゃいいなとは思っていますよ。でもね、そればかり考えて神経質になる方が余計に身体には悪いですから」。
保護者で通学路の除染も行った。だが、車が塚するだけでも放射線量が上がることに気付いた時、「山に囲まれている限り、除染で放射線量を下げるのは無理だ」との結論に達したという。「川俣も、山木屋以外は住めない数値ではない。外部被曝はもう、気にしなくて良いのではないかと思いますよ。土合舘公園いだって、長時間滞在しなければ大丈夫なんじゃないですか」
未曽有の大震災と原発事故から間もなく2年4カ月。これが〝折り合い〟なのか
(了)
「原発事故は終わっていない」~子どもたちは異常な環境下に置かれている、と描き続ける郡山の教師
福島の子どもたちが今なお、被曝の危険にさらされていることを知ってもらおうと、漫画を通して発信し続けている小学校教師が郡山市にいる。大塚久さん。校内除染などに取り組む一方で、子どもたちの置かれた異常な状況を描いた。「NOT YET OVER」と題された最新作は、原発事故以後の教室や子どもたちの様子、避難を決断した母親の葛藤が生々しく描かれている。大塚教諭が伝えたいこと。それは「原発事故、子どもたちの被曝は終わっていない」ということだ
【元に戻ったとは全く考えていない】
漫画は「抵抗の一つ」なのだという。
「私のような下っ端が吠えても、管理職は動かない。それだけ、文科省や市教委の力は強大です。かすかな抵抗ですが、私にできることはしていきたい」
2011年3月。震災直後の学校生活は「異常だった」と振り返る。「でも、2年以上経った今でも、元に戻ったとはこれっぽっちも考えていません」。「始めてしまって良いのか」と葛藤の中、一週間遅れで始まった新学期。一教師の葛藤は、「早く環境を整えて普段通りの授業を再開したい」という市教委の思惑の前に封じ込められた。
せめて被曝を回避しようと、学校は子どもたちに長袖、帽子、マスクでの登校を呼び掛けたが、教室内はサウナのような暑さ。窓を開けるわけにはいかず、しかし、用意されたのは扇風機とよしずだけ。母親らからエアコン設置を求める請願が市議会に提出されたが、再三にわたって退けられた。中には「我慢を覚えさせるのも教育のうち」と発言した議員もいた。新作では、熱中症で倒れる子どもの様子も描かれている。
手をこまねいてもいられないと、保護者の協力を得て校内の木々を伐採した。昨年夏には屋外プールの水泳授業が再開されたが、被曝の危険があると1割ほどの児童が泳がずに見学した。その子たちのために、PTAがプールしていたバザーなどの収益金を活用し、学校近くの屋内プールで水泳の授業を行った。
できることは何でもしたい─。漫画での発信も、その一つだった。
新作のタイトルは「NOT YET OVER」。子どもた
ちを取り巻く異常な環境が現在進行形であること
を描いている
【まだ終わっていない━NOT YET OVER】
大塚教諭は、郡山市出身の50歳。中学生の父親でもある。高校を卒業後に上京し、5年間、漫画家のアシスタントをしながらアニメーション制作会社でも働いた。携わった作品には、「クリィミーマミ」や「スプーンおばさん」「うる星やつら」などがあるという。その後、改めて大学を受験し、教員免許を取得。27歳から、福島で教師を続けている。
震災時は開成小学校で6年生の担任。現在は教務主任だ。前作「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか?」は、元はあさか開成高校演劇部顧問の佐藤茂紀教諭が書き下ろした作品。高線量の下、被曝と避難と学校生活とで揺れる高校生を描いている。佐藤さんと大塚さんが高校時代の同級生だったことから、「漫画という形でも発信したい」と大塚さんに漫画化の依頼があった。何度も舞台を観て描き上げた作品は、増刷分も含めて300部印刷。「売ることは初めから考えていなかった。最終的に捨てられても良いから手に取って欲しかった」と、大半を郡山市内で無料配布した。費用10万円は大塚さんのポケットマネーだった。
今回、描き上げた作品は「NOT YET OVER」。実体験をもとに、原発事故以後の小学生の様子を描いた。「震災や原発事故を思い出したくない、忘れたいという思いがあるだろう。私もそうかも知れない。自分への戒めの意味も込めて、まだ終わっていないんだというタイトルにしました」。一見すると、子どもたちは原発事故以前に戻ったように見える。だが、大塚さんは「今まで、子どもたちに『大丈夫だよ』とか『安全だよ』という言葉を言ったことはありません。依然として異常な環境に置かれているんだということを多くの人に伝えたい」と話す。「原発事故直後も、もし親や教師が禁止しなければ、子どもたちは無邪気に校庭で遊んでいたと思います。だからこそ、大人が守ってあげなければいけないんです。原発事故で、親や教師の重要性を再認識させられました」。
「子どもたちに『大丈夫だよ』とか『安全だよ』なん
て一度も言ったことは無い」と話す大塚教諭
=郡山市立開成小学校
【0.3μSVの中を通学する子どもたち】
原発事故以降、開成小学校では100人ほどの児童が避難などを理由に転校して行った。一方で、家庭訪問などの場で「ウチはもう大丈夫です。気にしていない」と口にする保護者が多くなってきた。「私にできることは、除染をし続けること。子どもたちを元気づけること。そして、漫画を描く〝かすかな抵抗〟です。職員会議で管理職に意見をしても煙たがられるだけ。自分が管理職になるつもりもない。下っ端でできることを続けて行きたい」と大塚さん。前作は、図書室にも3冊置き、子どもたちにも読まれたという。「『先生、絵が上手いね』というような反応ばかりです。でも、年齢を重ねて行く中で、漫画の内容を思い出してくれれば良いと思っています」。
最新作「NOT YET OVER」は、より多く印刷して福島県外の人々に読んでもらいたいという。「個人も含め、8組ほどのスポンサーが見つかりましたが、まだ資金が足りない。少額でも良いので、多くの方の支援をお願いしたい」と話す。
校内に設置されたモニタリングポストは0.125μSV。だが、通学路の放射線量は0.3μSVに達する。近隣で実施されている宅地除染も遮蔽した状態で作業されないため、汚染された砂ぼこりが通学途中の子どもたちに降りかかる。子どもたちを取り巻く「異常な環境」は、何一つ変わってはいないのだ。
制作費用の寄付に関する問い合わせは、大塚さん☎090-4315-4779まで。
300部を無料配布した前作。10万円の費用は自
己負担した。最新作は「福島県外の人に読んでほ
しい」と大塚教諭はスポンサーを探している
(了)



