福島から避難した15歳少女の手記。「原発の危険性に知らんぷりをするのは重い罪です」
原発事故以来、子どもたちの被曝回避のため奔走している佐藤幸子さん=福島市=が、まもなく16歳になる次女の手記を本紙に寄せた。「多くの人に読んでもらい、感想を聞きたい」と話すA子さんは、「原発の危険性が分かっていながら知らんぷりをする罪は、重い罪だ」と、われわれ大人に厳しく問いかける。あなたは、A子さんに何と声をかけますか?原発を今後も、容認しますか?福島原発事故はもう、過去の出来事ですか?
私は名前も知らない人に泣きながら謝られました。
「私たちのせいで、関係のないあなたたち福島の子どもが苦しむことになってごめんなさい」と。
私は何も声をかけることができませんでした。
つらくなかったと言えば嘘になります。
「福島に残る」と言えば悲しい顔をされます。
私は母のそんな顔を見たくありません。
福島に残ることは将来、病気になる確率が高くなり、結婚して子どもを産むことに抵抗を覚え、子どもを産めばその子どもが苦しむかもしれない。
100%とは言えませんが、少なくとも確率は高くなります。
この原因は3.11からの原発事故、そして放射能漏れ。
普段の生活で忘れることが多いです。
忘れて笑顔になって楽しい時間が過ごせます。
でも、「原発」や「放射能」、「被災」などの言葉を聞くと、どうしても笑顔を保つことができません。頭が痛くなります。胸が苦しくなります。
3.11までは原発がどこにあるのかさえ知らなかった私。
でも母は、チェルノブイリ事故があった時から、福島の原発もいつか事故か何か起きてしまうと予想していたそうです。その時、真っ先に山形の知り合いの家に避難させようと考えていたらしいです。
実際、爆発して次の日には山形に来ていました。
テレビなどでは、よく「2、3日で帰れると思っていたのに、いつになったら帰れるんだろう」という言葉も聞きましたが、全く同じです。
でも、原発が爆発したとニュースを聞いたあと外に出た時、寒気がし、鳥肌が立ちました。この時からうすうす気づいていたのかも知れません。もう、元の福島は無いと。
私は思うんです。
原発の危険性が分かっていながら知らんぷりをする。この罪は、直接かかわっている人と同じくらい、もしくはそれ以上の重い罪だと思います。
私もそうです。
危険だと知りながら逃げて、私を福島から離した母を憎み、今が楽しければ未来が真っ暗でもいい。そんな逃げるような考えをしていた私を、私は絶対に許しません。許せないんです。
この罪を忘れてはいけないと自分に言い聞かせます。
罪を背負っていかなければいけません。
でも、これでいいんです。
いつ病気になるか分からない。
産んだ子が健康な子どもじゃないかも知れない。
私は、そういうプレッシャーが無ければ行動できません。本当はプレッシャーが無くてもやるべきことをやらなければいけないのですが、少し頼らせてください。
やるべきことは、福島に残って、県民として福島を守ることではありません。
私は自分の健康を守ります。
そして、次の命が幸せになるように。その次の命も生まれて健康であるために、今の私が健康でなければいけません。
何の罪もない命を苦しませることは、やりたくありません。
私の罪は、2世、3世を守ることによって償います。
でないと、私が自然農の娘の意味がありません。
そして、福島を支えて戦ってくださっている方たちを一生敬い、感謝します。
でも、これは私だけの問題ではないです。世界の問題だと思います。
今、放射能は漏れ続けています。海にも流れています。少しだからなんて、見えないからなんて絶対に思ってはいけないんです。それほど危険なんです。
今、日本の技術で原発を作れるようになりました。私たちのせいで他国にも危険にさらすなんて、今の私にはどうしたら良いか分かりません。
私はいま、学園での悩み事といえば、これ以外ありません。
書きたいことが、これ以外ありません。
悩み事が少なくていいなと、自分でも思います。
なかなかスッキリしませんが、本当は、こんなことを書けば「同情してくれ」と言っているように聞こえるかも知れません。でも、かわいそうって思うなら、まず、今の現状を知ってもらいたいです。
話は変わって。
最近、「結婚したい、子どもが欲しい」という話を友達がしました。
私は、その場から逃げ出したかったです。
それから夕拝の先生の話。将来の子どもたちや母のことを考えて泣きたくなりました。
私の明るい未来があったとしても、2世、3世の明るい未来が見えなくて。
この話をしたくても、私は言葉にするのが苦手です。
それでも、未来の子どもが危ないということは知って欲しいです。
ここで、皆さんが聞いてくれるだけでもありがたいです。
この苦しみを消しちゃ駄目なものだなと、最近感じています。
(了)
(この手記は今年9月、高校の朝の礼拝でA子さんが行ったスピーチをA子さんが文字起こししたものです)
【映画A2-B-C】福島市で初上映会。29日は仙台~世界各国から寄せられる「フクシマを忘れない」
日本在住の米国人監督イアン・トーマス・アッシュさん(38)が取材したドキュメンタリー映画「A2-B-C」が28日夜、初めて福島で上映された。海外の映画祭で3つのグランプリに輝き、来春には全国ロードショーが予定されている。原発事故以来、福島の大人たちはどうやって子どもたちを被曝から守ろうと奔走してきたか。どんな壁にぶつかってきたか。密着取材で生々しく映し出される今の福島に、海外からは激励のメッセージが寄せられる。「出演した勇気は素晴らしい」「フクシマを忘れない」。現在進行形の原発事故。福島の母親たちの後ろで、世界の人々が見守っている。
【3つの海外映画祭でグランプリ】
世界各地からのメッセージがまとめられた映像が流されると、客席からはすすり泣く声も聞かれた。ロンドン(イギリス)、オークランド(ニュージーランド)、ボストン(アメリカ)、ワルシャワ(ポーランド)…。作品を観た観客から福島に寄せられたメッセージは、異口同音にわが子を守ろうと立ち上がった母親たちの勇気を称えていた。
ドイツ・フランクフルトでの映画祭で「ニッポンヴィジョンズ賞」を受賞して以来、イアン監督は世界各地で開かれる計19の映画祭に出品、グアム、ウクライナの映画祭でグランプリなどを受賞した。映画祭のたびに、イアン監督はカメラを手に観終わった観客の言葉を収録した。「あなたたちは正しい」「あなたたちの子どもは宝だ」「あなたは独りじゃない」「福島に寄り添います」「福島を決して忘れない」。多くの人が涙をこらえながら、福島への思いを語った。そしてそれは、わが子の被曝を回避しようと奔走している母親らの行動が間違っていないことを、改めて証明していた。
「ウクライナでグランプリを受賞できた意味は大きい。チェルノブイリを経験した土地ですから」とイアン監督。現地で耳にした言葉は忘れられないという。「『また起きてしまったのか』と言われました。『二度とチェルノブイリのような事故を起こさないために様々なことに取り組んでいるのに、また起きてしまったのか』と。将来、福島の人々が同じセリフを口にする事態にならないためにも、世界に発信していかなければならないのです」。
作品の中で、17歳の女子高校生が「福島はどんどん忘れられている」と語る。その言葉に、世界の人々から「私たちは忘れない」との言葉が寄せられる。同じ国に住む私たちはどうだろうか?原発事故は現在進行形なのだ。
作品にも登場する伊達市立小国小学校。除染は
終わったものの現在も、高い放射線量の中、子
どもたちは通学を強いられている
=2013年3月撮影
【「海外から発信してもらうしかない」】
イアン監督の密着取材に応じた伊達市の母親は、「あの時、日本はもう駄目だと思った」と涙ながらに振り返った。「新聞もテレビも雑誌も真実を伝えてくれない。だったら、もう海外から発信してもらうしかない。それをやってくれるのなら、家族で全面的に協力しようと思ったのです」。作品中、北海道からやってきた26歳の除染作業員は流暢な英語でインタビューに応じている。「これで福島がきれいになるとは思わない」「本当のことを全国の人が知ったら大変なことになる」と語る。
幼稚園児の女の子は、こわばった表情で甲状腺のエコー検査を受けた。伊達市や福島市の市会議員が、行政の対応の問題点を語る。顔を隠すことなく、大人も子どももカメラの前で今の福島を語る。どれもが、原発事故後の福島の姿。安倍首相が汚染水問題で「完全にコントロールできている」と高らかに語ろうとも、中通りにまで及んだ汚染は解消されていない。被曝の危険性は“風評”ではないのだ。ここには「おもてなし」も「倍返し」も「じぇじぇじぇ」も無縁の、先の見えない闘いがある。
(上)26歳の除染作業員は北海道出身。伊達市内
の民家除染に携わったが「もし、自分に子どもがい
たら、ここには住みたくない」と話した
(中)「ふくしま共同診療所」で甲状腺のエコー検査
を受ける女児(幼稚園児)
(下)伊達市の菅野喜明市議。「将来、子どもたち
に健康被害が出たら、市長の責任を問わなければ
ならない」と語る=いずれも「A2-B-C」より
【「“心配し過ぎ”の後悔の方がはるかに良い」】
「映画祭に参加するたびに『福島の人たちはどうすれば良いとイアンは思うか?』と尋ねられる。正直、私は分からない。のう胞が見つかったからといって、必ずしもガンになるとは言えない。でも、一つだけ言えることがある。後悔の仕方です。“やり過ぎ”、“心配し過ぎ”、“お金の使い過ぎ”の後悔の方が、“あの時もっとやっておけば良かった”、“なぜあの時やらなかったのか”という後悔より遥かに良いということです。違いますか?」
上映後、観客との質疑応答に参加したイアン監督がこう問いかけると、客席からは大きな拍手が起きた。年内は京都、神戸、広島、そしてニューデリー(インド)の映画祭へさらに出品する。来春には全国ロードショーも計画されている。一人でも多くの人に観てもらい、福島の現状を知って欲しい─。それが被曝回避に立ち上がることが間違いでないことの後押しになれば良い。そうイアン監督は考えている。
※29日の仙台上映会は10:30-13:00、19:00-21:00の2回。会場はせんだいメディアテーク7階 スタジオシアター。問い合わせは東北大学大学院情報科学研究科メディア文化論研究室090(4428)6345=坂田邦子講師=まで。
イアン・トーマス・アッシュ監督。ドイツやグアム、
ウクライナの映画祭でグランプリなどを受賞。「こ
の映画のヒーローはお母さんたちです」とあいさ
つした
(了)
「仮設住まいはあと何年?」「一日も早く代替地を!」~ふるさとを追われ3度目の冬迎える浪江町民
福島第一原発事故から、もうすぐ2年9カ月。全町民避難を強いられている浪江町の住民たちは、避難先での3度目の冬を迎えようとしている。先の見えない仮住まい。進まぬ新しい街づくり。23、24の両日、二本松駅前で開かれた「十日市祭」の会場で、町民たちの想いを聴いた。私たちは、なみえ焼きそば以外に浪江町の何を分かっているだろうか?
【早く土地を確保して『新しい浪江町』を】
「何も進まないというより、1年前と比べても状況は悪化していますよ。時間が経てば経つほど、町の人たちがまとまりにくくなっている。早く、いわき市にでも新しい土地を確保して、みんなが集まれるようにしないといけないですね」
政治家は、今になって「ふるさとに帰れない可能性」について言及し始めた。焼きそばを取り巻く華やかな状況とは違って光の見えない避難生活に「なぜ今ごろになってそんなことを言い出すのか。原発から15km内の土地を国が買い上げるという話も急に出てきたが、遅い。なぜ事故直後に町ごと移転を明言してくれなかったのか。10km以内の場所で、この先40年も廃炉作業が続くんですよ。そんな場所で誰が日常生活を送れますか?本当に酷い話ですよ」と憤る。
家族のためにいわき市内に自宅を購入し、自身は南相馬市で鉄工業を続けている。仕事柄、役場の職員と話す機会が多いが、町外へ住民票を転出させる住民が少しずつ増えているという。「子どもは保育所に、親は介護施設。避難先で公的サービスを利用しようとすると、どこも順番待ち。避難先の住民にならないと、待つこともできない。でも、そういった行政サービスも利用しないと仕事も再開できないのです」。ただでさえ、二本松市を中心に、福島県内各地に散ってしまった町民。「だからこそ、早く新しい町を」と訴える。
隣では、浪江町商工会の女性部が、すいとんを販売していた。誰もが「何も進まない。ずるずると3年近くが経ってしまった」と話した。「浪江町は原発立地地ではなく隣接地だから、つぶれちゃっても良いと偉い人たちは思っているんじゃないの?」とも。
「なぜ国は早い段階で戻れないと言ってくれなかったのか」。異口同音に耳にしたこの言葉が、ふるさとに戻れる期待をいたずらに抱かせた政治家や官僚の罪深さを物語っている。
もはや全国区になった「なみえ焼きそば」。だが、
浪江町民の避難生活は、先が見えないまま時間
だけが過ぎている
【仮設での3度目の越冬と国への不信感】
先の見えない避難生活。2200人以上が二本松市や福島市、本宮市などに点在する仮設住宅に入居している。二本松市内の仮設住宅での生活が続く男性(66)は「早く国に土地を買い上げてもらい、新しい土地での『浪江町』を始めたいよ」と語気を強めた。
バッグや人形、布草履などが、仮設住宅ごとに披露された作品展。それぞれにサークルが誕生していて、曜日ごとに活動日が決まっているという。ある女性は「こういうことでもしていないと、頭がボケてしまう」と作品を前に苦笑した。厳しい冬を前に、サークル活動はコミュニケーションの場でもあり、住民同士の安否確認の場にもなっている。
「仮設住宅は、あくまでも“仮設”。業者だって国から『しばらくの間だけ』としか説明されていないだろうから、壁も窓もちゃんとしていないものもある。場所にもよるけどね」
多くが避難所を転々とし、ようやく始まった仮設住宅暮らし。夏は暑く、冬は寒い。中通りには、浜通りには無かった積雪もある。入居当初は、風呂の追い炊きさえできなかった。「国は、あたかもしばらくすれば町に戻れるようなことを言い続けて来たけど、誰も戻れるなんて思っていないし、特に若い人たちは戻る気も無いだろう。それが今になって原発から15km圏内の土地を買い上げるなんて話が出てきた。どんどん町がバラバラになってしまう。一日も早く町ごと買い上げて欲しい」。作品展に集まった仮設住宅の入居者たちは一様にそう語った。
浪江町から飯舘村の親類宅を経て、現在は二本松市内の仮設住宅で暮らす30代の母親は「早く仮設を出たい」と表情を曇らせた。
「壁が薄いから、隣人の咳も良く聞こえる。夜遅くまで起きているらしく、テレビの音がずっと聞こえていて…。まとまったコミュニティなんか要らないから、早く落ち着いた生活を送りたい。それに、二本松市も放射線量は高いですし」
町ごと移転も、静かな落ち着いた生活も、いまだ叶わない。この先、何年“仮住まい”が続くかも分からない。
「俺たちが何か悪いことをしたか?」
先の男性の問いかけに、私はただ首を横に振るしかなかった。
仮設住宅ごとの作品展。“商品”として販売でき
そうな立派な小物類が並べられた。先の見えな
い仮設住まい。「こういう物でも作っていないと頭
がボケてしまう」と入居者は苦笑した
【取材対応禁じられ罵声浴びた消防隊員】
「原発事故直後は、メディア対応をするなと上から命令されていました」
現在は、川内村を拠点に活動を続けている双葉地方広域市町村圏消防本部・司令補の男性は、当時の活動を収めた写真パネルを前に振り返った。震災前から「万一の時は残ってくれ」と東電に要請され、放射線防護に関する講習も定期的に受けてきた。消防署など全て目張りをし、30km圏内での活動を続けた。しかし、メディアでは東京消防庁の活動ばかりが報じられた。隊員たちは倉庫や駐車場で寄り添うように仮眠をとりながら活動を続けたが、住民には伝わらない。家族に会いに避難所を訪れた隊員が「東京消防庁はあんなに頑張っているのに、お前らは何をやっているんだ」と心無い罵声を浴びたこともあった。退職者が相次ぎ、120人以上いた隊員が、100人を割り込んだ時期も。
ここにきて、ようやくメディア対応が“解禁”となり、9月には、当時の活動が全国紙で大きく報じられた。「やっと報われた気持ちです。従来からの講習が生かされ、ホールボディカウンターでの検査でも、1人の被曝者を出さなかったことが、われわれの誇りです」
会場で歌声を披露した歌手の理恵子さん(24)は、18歳まで浪江町で育ち、現在は都内を中心にライヴ活動を続けている。
「ニュースで取り上げられる機会も少なくなった。東京ではどんどん、忘れられている。これからも歌を通して、浪江町の現状を伝えていきたい」
間もなく、浪江町にも原発事故から3度目の師走がやってくる。
(上)(中)請戸小学校の黒板には、派遣された自
衛隊員や機動隊員らが多くのメッセージを子ども
たちに書き残して行った
(下)原発対応に追われた消防隊員。しかし、その
活躍ぶりは当初、メディアで報じられることはなか
った
(了)
闘う〝つるりん和尚〟が怒りを込めて明かす福島市長選のウラと除染の実態~常円寺住職・阿部光裕さん
現職市長の惨敗で終わった福島市長選。除染の実績を掲げた瀬戸市政に、市民は「NO」を突き付けた。数字上は宅地除染が順調に進んでいるはずだが、現実には、依然として高濃度汚染が放置されている。福島市が抱える問題は何か?原発事故以降、一貫して行政と対峙し、市内の詳細な測定と除染を続けている常円寺の住職、阿部光裕さん(49)に語ってもらった。福島市内のホットスポットを巡りながら、阿部さんは言う。「次の4年間、真剣に取り組まないと手遅れになる。市内はホットスポットだらけですよ」。
【出馬辞退の裏に汚染放置への危機感】
10月15日、福島県庁の記者クラブで開かれた記者会見に阿部さんはいた。大内雄太市議(30)の市長選出馬会見に、後援会長として同席するためだった。席上、大内さんは「現職(瀬戸孝則氏)は汚染や被曝を無かったことにしようとしている」と批判。「自ら率先して通学路除染に汗を流す市長になりたい」と力強く語っていた。この時点で既に立候補を表明していた小林香氏に関しても「除染の方向性はあながち間違っていないが、彼では子どもを守ってくれない」と話していた。
しかし、事態は急転。同月30日、大内市議は会見を開き、出馬辞退を表明する。わずか二週間に何があったのか。阿部さんは「彼が言っていることを実現できなきゃ意味がないんです。次の4年間は相当真剣に取り組まないと、手遅れになってしまいます」。「告示前の段階で、既に〝反瀬戸票〟の名簿が3万は小林陣営にあった。こちらの票読みは、良くて2万。とても当選できる状況ではない。もし落選したら市議でもなくなり、向こう4年間は傍観者になってしまう。それで良いのか、と。現実として政策にできなかったらいくら理想を言っても意味がないわけです」と振り返る。
大内陣営は、出馬辞退と引き換えに小林陣営に政策協定の締結を迫った。「小林氏と2時間話したが、彼には何らビジョンが無かった。これは頼られる可能性が高いなと思った」(阿部住職)。福島県議の事務所で改めて話し合い、小林氏は、大内氏の政策を実現することを約束したという。だが、文書に残すか否かで小林陣営が紛糾。小林派の福島市議が反対した。結局。出馬辞退会見の直前、小林氏から直接、電話連絡が入ったことで政策協定が成立した。「紙面には残さないが、必ず約束する」。この瞬間、小林氏の当選はほぼ確実のものになったという。「大内君が退いたことがターニングポイントになった。これで、小林氏が明確なビジョンを提示しなくても良くなった。そういう意味では、大内君の辞退は有権者にとっては〝罪〟かもしれないね」(阿部住職)。選挙は、ダブルスコアを上回る小林氏の圧勝だった。
「大内君は悔しかったろう。私を恨んでいるかもしれない。だが、彼には才能があるが、若さを危惧する声があったのも事実。再び市議として地道にスキルを上げて、実行力を身につけて欲しい。将来、またチャンスはある。見捨てたわけでは無いですから」
「この先、結果的に小林市長の手柄になっても良い。被曝回避を実行できれば良いのです」と強調した阿部さん。それだけ、現在の福島市に危機感を抱いているのだ。
(上)常円寺住職の阿部光裕さん。「福島市内は
ホットスポットばかり」と行政の怠慢に憤る。福島
県警裏の駐車場には、知事公舎付近の側溝から
取り除かれた汚染土が放置されている
(下)大内雄太市議の市長選出馬会見にも出席。
「政策は実現できなければ意味が無い」と小林氏
と政策協定を結び、大内さんは出馬を辞退した
【「除染しても戻る」でなく「取り除けていない」】
福島市で行われてきた除染の何が問題なのか。阿部さんは大きなファイルを広げて「瀬戸市政では除染も仮置き場の設置も進まなかった」と話す。常円寺での除染作業で「どれだけ放射線量を下げられなかったか」を写真入りで詳細にまとめさせた資料だ。
「何カ月経っても除染作業が終わらない。はっぱをかけたら、しばらくして『終わりました』と言う。本当に終わったのか、と尋ねると、威勢の良さそうな現場監督が『終わりましたよ』と。じゃあ、俺が線量測るけどクビをかけても良いかと言ったら『良いっすよ』と答えた。しかし、彼の顔が青ざめるのに数分とかからなかったよ」
写真付きでまとめられた「下げられなかった報告書」。これが物語るのは「宅地除染をしても放射線量は戻る」は誤解で「そもそも除染業者が放射線量を下げられていない、線源を取り除けていない」ということだ。「放射線量の測定方法すらロクに分かっていないんだ。空間線量だけを測ったって、線源など特定できない。30㎝四方のメッシュで細やかに測定しないと。それでホットスポットや線源を特定し、そこから優先的に取り除く。馬鹿みたいに土を一斉に取り除いたって無駄な土が出るだけで、被曝回避にならない。最小限の土で最大の効果を出さないと駄目なんだよ」。
しかし福島市は、業者への発注数と完了数だけで進捗状況を市民に示し「除染は着実に進んでいる」とアピールしている。「これが福島市の実態だよ」と阿部さんは怒りを隠さない。
常円寺から車で数分走った場所に、阿部さんが仮置き場として市に提供した土地がある。広大な土地の一角にだけ、真っ黒いフレコンバッグが並べられている。向かって右側が市の除染で生じた汚染物。左側に阿部さんらが通学路で取り除いた汚染物。「見てごらん」と阿部さんがポールの先に取り付けた線量計をフレコンバッグに近づけると、市が搬入した汚染物では0.2μSv/hほど、しかし、阿部さんらが除染をした汚染物はけたたましい音とともに6μSv/hを超した。「生活圏にある汚染物を取り除いて、生活圏でない場所に移すのが除染でしょ?だったら、どのフレコンバッグも汚染度が高いはずだ。つまり、市の除染はただ取り除いているだけ。金の無駄遣い。湯水のように金を使って、取り除けていないんだ。許せないよね」。
市長選出馬を辞退した大内市議とともに、福島市の除染の現実を目の当たりにしてきた。選挙戦に突入した途端に、瀬戸市長が国道沿いの目立つ場所の除染を始めたことも許せなかった。瀬戸市長が市内の各種団体の代表者に「俺の言うことを聞かないと協力しないぞ」と圧力をかけていることを耳にした時、旧態依然とした自民党的手法に「末期症状だ」と失望した。だからこそ、新しい小林市長に政策実現を約束させた。指揮を執るのは誰でも良い。子どもたちを被曝から守れれば良いのだ。
(上)阿部さんが市に提供している仮置き場。だが、
ほとんど搬入されていない上に、ブルーシートは強
風でめくれ上がったまま。「市職員は見にも来てい
ない証」と阿部さん
(下)阿部さんが市の搬入したフレコンバッグに線
量計を近づけると0.2μSv前後。阿部さんらが除
染したものでは6-10μSv。「つまり、市の除染は
除染になっていないのです」=福島市山口
【足の裏からの被曝を馬鹿にするな】
「事故なんかじゃない。私は一貫して『原発事件』と呼んでいる。誰も責任をとらずに終わらせてはいけないからですよ。事故ではない。事件なんだ」
大地震、そして大津波に端を発した放射性物質の拡散を振り返る時、阿部さんの語気は自然と強くなる。
福島市から伊達市を抜け、相馬市へ続く国道115号。国道から少し入った脇道の緩やかな坂道の一角に、雨水が流れ着く場所がある。アスファルトから、すっと横滑りさせるように雑草の生えている土に線量計を近づけると、激しい警報音とともに50μSv/hを超した。「私はね、何も大騒ぎしているわけではないんですよ。2年8カ月が経っても、いまだにこういう場所があるということなんです」。
阿武隈川に架かる文知摺橋。福島第三中学校の通学路としても使われ、信夫ヶ丘球場へ続く土手も、依然として高線量を発し続けている。阿部さんの線量計は13μSv/hを上回った。水素爆発以降、阿部さんは通学路を中心に地表真上の放射線量を測定し、除染を行ってきた。「『福島の子どもたちはほふく前進をしているのか』という批判があるなら、私は『では、福島の子どもたちは空を飛んでいるのか』と逆に聞きたい。足の裏からの被曝を馬鹿にするなと言いたいね」。「東北六魂祭」でも会場となった市立第二小学校の校門で5μSv/hを超すホットスポットを発見したが、腰の重い市役所は動かない。
小林新市長に約束させた、徹底した測定と除染。だがそれは、帰還の促進や避難の阻止につながらないのか。「決して、福島市にとどまらせるために除染をするのではないですよ。福島市から遠ざかる『防護』も、ここに残りつつ被曝を回避する『容認』も、どちらも悪ではない。ただ、このようなホットスポットが特別な場所ではない以上、選択を認めるためにも除染は必要なんです。現実に行動することが大事なんです。そうしないと、不信に陥っている人々に説明することができない」と阿部さんは話す。
「福島市民は愚痴っぽくなっている。騙されてきたことによる不幸です」。“失われた2年8カ月”を取り戻すため、「自分たちで動かないと安心は勝ち取れない」を合言葉に、今後も詳細な測定と除染を続けて行く。
(上)福島市山口の道路脇は、地表真上で50μSv
を超した
(下)阿武隈川に架かる文知摺橋。市立第三中学
校の通学路としても使われるが、線量計の数値は
13μSvを上回った
(了)
福島市長選も現職敗れる~新市長は「除染」強調も、子どもの被曝回避は語られなかった選挙戦
任期満了に伴う福島市長選は17日、現職市長の大敗で幕を閉じた。郡山、いわきに続く〝政権交代〟。しかし、選挙期間中、子どもたちの被曝回避は語られたか。結局、有権者は「とにかく瀬戸市長は嫌だ」の思いで投票しなかったか。自主避難者への支援策もほとんど話題に上らず、これから除染が加速することになるだろう。新しく市長に選ばれた小林香氏には、ぜひ子どもたちを被曝の危険から遠ざける視点を最優先に、市政にあたってほしい。
【〝敗北宣言〟聞けない支持者が続出】
月明かりがまぶしい夜。
現職・瀬戸孝則氏の選挙事務所は、まだ開票作業が始まったばかりだというのにお通夜のような雰囲気に包まれていた。目を真っ赤にする者、ハンカチを目頭にあてる者もいた。18時の投票締め切りからわずか1分後に、NHKが小林香氏に「当確」を打った。関係者の一人が「当確はマスコミが勝手に出しているだけですから。これからですよ」とハッパをかけるが、誰もが敗北感で一杯だった。
取材陣を締め出して、選対本部長があいさつをする。福島市選出の女性県議(自民党)も頭を下げて回った。自民・公明・社民相乗りの選挙戦。事務所内は、森まさ子大臣、根本匠大臣をはじめ、「応援する市議団」「自民党市議団」「社民党福島総支部」など、ありとあらゆる団体からの推薦状で埋め尽くされていた。しかし、それらは20時すぎには早々とはがされていった。
瀬戸氏は早々と〝敗北宣言〟を行い、事務所に姿はなかった。「そんなに差がついたの?候補者は中にいるのかな…」。あいさつに間に合わなかった支持者が続出したことが、後援会ですら予想しなかった大敗であることを表していた。終わってみれば4万票もの差がついていた。4年前、81%を超した得票率は、今回は30%にも満たなかった。片山さつき参院議員の応援など、中央政界からのテコ入れも、効果は無かった。
福島市長選。現職も新顔も「新しい福島市」を強
調したが、子どもたちの被曝回避への言及はほ
とんど無かった。瀬戸市長は除染の実績を強調
したが、市民は「NO」を突き付けた
【付きまとった〝瀬戸は逃げた〟】
原発事故直後、福島取材を始めた頃から、瀬戸孝則市長に対する評判は芳しくなかった。行く先々で批判を耳にしたが、もっとも多かったのが「原発事故後、福島県外へ逃げた」というものだった。瀬戸市長はことあるごとに、釈明に追われた。昨年4月には、「福島市長は山形市に避難し、毎日公用車で通っている」と講演会で話した神戸大学の教授に抗議をし、謝罪文をそのまま市のホームページに掲載する措置までとった。後援会の会合でも「私は毎日、福島市で対策本部の指揮をしておりました。また他市から通勤していた事実もございません」と否定した。しかし、最後まで〝真っ先に逃げた市長〟とのイメージを払しょくできなかった。それだけ、瀬戸市政に対する不満は、市民の間で蔓延していた。
「おばちゃん連中の評判がものすごく悪いんですわ」。そう話すのは、ベテランのタクシー運転手(60)。「やれ『2号さんと山形へ逃げた』だの『山形に家を建てた』だのとよく話していますね。もちろん、事実でないのかもしれない。単なる噂なのかもしれない。でもね、そのくらい心象が悪いということですよ。私は小林さんに投票しました」。
喫茶店経営者(64)も「瀬戸は逃げた、というところから始まっているんだよ」と話す。依然として汚染の影響が懸念されるなか、避難したくてもできない家庭に、瀬戸市政は冷たかった。〝地産地消〟の名の下に、学校給食に福島市産米を使うことを決めた。アンケートなどで保護者の意向を尋ねることもせす、会津産の使用を取りやめた。「側溝の除染が進まないのは仮置き場に対する市民の理解が低いからだ」と公然と語り、ベラルーシに市民視察団を派遣し、「福島市は安全」とのPRに努めた。
今年1月には、橋下徹大阪市長と面会した際「久しぶりに放射能から頭が離れまして、すっきりしているところでございます」と話し、批判を受けた。取材陣に発言の真意を問われ「毎日放射能に追っ掛けられているから、放射線量とか食品検査とか風評被害だとか賠償だとか、そんなことで頭がいっぱいですからね」と釈明にならない釈明をした。
告示日の10日、冷たい雨のなか行われた東日本
女性駅伝。コースとなった国道4号は依然として
0.5μSVを超している。だが、放射線量の低減や
被曝回避は市長選の争点とならなかった
【市民も語らなくなった『被曝回避』】
一週間の選挙戦。瀬戸氏も小林氏も「除染」を盛んにアピールしたが、子どもたちの被曝回避についてはほとんど語られなかった。それは実は、有権者の側も同じだ。
告示日に、市民会館内に設けられた屋内遊び場「さんどパーク」を訪ねた。1歳半になる男の子を遊ばせに来ていた20代の母親は「そういえば投票券届いていましたね。仕事もあるから投票には行かないかな。これといって投票したい人もいないし…」と関心がない様子。「現職市長ですか?特に不満はありません。被曝に関しても、晴れている日は外で遊ばせていますから」。30代の父親は、息子を抱きかかえながら「高校の先輩なので、瀬戸市長に投票せざるを得ないんですよ。何やら情勢は厳しいようですけどね」と話した。別の30代の母親は「被曝というか、『子育て』で投票する人を選びたい」と話した。
原発事故から2年8カ月。危険性は消え去ったわけでは無いのに、市民も行政も「早く除染を」で一致しているかのようだ。避難者への支援も語られない。
福島大学3年生の男子は、福島市に生まれ育った。投票は「家族と行くと思う」と話したが「現職市長の名前ですか?うーん…分かりません。誰に投票するかは…雰囲気かな」とも。これが実は、大半の市民の本音だったのかもしれない。政策面で特に変わり映えする内容の無い小林香氏が圧勝した背景には、結局「とにかく現職は嫌だ」との思いがある。瀬戸氏以外なら誰でも良かったのだ。
(了)
「がん検診啓発パンフレット」が浮き彫りにした行政の鈍感さ~郡山市保健所は原発事故との関連を否定
福島県郡山市の保健所が小学生に配った啓発パンフレット「最大の国民病-がんのおはなし」に批判の声が上がっている。保健所の担当者は「原発事故とは全く関係なく、がん検診の受診率を上げたかった」と戸惑いを隠せない様子だが、監修は〝安全派〟の中川恵一東大病院准教授。被曝への不安が未だ根強い中での「クラスの2人に1人はがんになる」との内容は、あまりにも親たちの感覚とはかけ離れており、鈍感だと言わざるを得ない。保健所には連日、問い合わせの電話が寄せられており、担当者は釈明に追われている。
【保健所の狙いは「がん検診受診率の向上」】
郡山市保健所地域保健課によると、啓発パンフレットは市内の公立小学校に通う全6年生に配布した。原発事故が起きる前年の2010年に初めて作成。当初から、東大医学部附属病院放射線科の中川恵一准教授がまとめたテキストを引用しているという。現在は、著作権の関係上、テキストをまとめた東京法規出版から市が内容を購入する形で作成している。
パンフレットは全8ページ。表紙から〝中川色〟が前面に押し出され、「将来クラスの2人に1人ががんになる!?」とし、がん細胞の解説、がんの種類、治療法、検診の大切さなどがイラストとともに盛り込まれている。6ページ目には「命には限りがあります」として「日本人のがんの知識は非常におそまつ」「人はいつか死ぬ」「生きてきて死ななかった人間は1人もいない」「人間の死亡率は100%」「限りある命を大切に生きよう」などと記している。
「とにかくがん検診の受診率を上げたいんです。6年生なら、自分でもある程度理解ができ、親にも読ませてくれるだろうと考えました。他自治体と比べても先駆的な取り組みで、良いことをしていると思っていたのですが…」と保健所の担当者。最新のデータでは、郡山市が行っているがん検診の受診率は、胃がんで23.9%、最も高い大腸がんでも27.2%にとどまっている。保健所としては、子どもと親の両方に受診を促す〝一挙両得〟を狙ったパンフレットなのだという。
郡山市保健所が市内の小学6年生に配った啓発
パンフレット「最大の国民病-がんのおはなし」。
表紙には「クラスの半分ががんを発症する」と描か
れ、裏表紙には「がんから身を守る8つの方法」が
書かれている
【治療中のがん患者からも怒りの声】
郡山市議の1人は、こう批判する。
「原発事故から2年8カ月という微妙な時期に、なぜこのような表現のパンフレットを配るのか?何か別の意図があると勘繰られても仕方ない」
この市議は、同僚市議とともに保健所や市教委を訪れ、配布の真意などを尋ねた。「本当にがん検診の受診率を上げたいのならば、『みんなで検診を受けましょう』と全面に打ち出せば良い。これでは逆に不安をあおっている」。同行した別の市議も「被曝の影響にとても敏感になっている子どももいて『どうせ僕はがんで死ぬんでしょ?』と話すそうです。だから、口に出さなくても心の中ではすごく心配している母親は多いんです」と話す。この市議の元には、現在がん治療中の患者から「がん患者の3人に1人が死ぬ、と書くなんて、がん患者を小馬鹿にしている」との声が寄せられたという。
ましてや、中川准教授は原発事故直後から「安全・安心キャンペーン」に積極的に寄与しているとして〝御用学者〟と揶揄されている。それだけに「子どもたちが将来、がんに罹っても『原発事故由来ではない』と思わせるためのパンフレットではないか」との声まで上がる。
市議らは「市教委も内容がおかしいと言っていた。そもそも、詳しく説明を聴かないと意図が分からないなんて、出し方が悪い。〝一挙両得〟には無理があり、4年間続けてきても受診率は上がっていないのが現実。子どもは子ども向け、親には親向けの検診啓発をするべきではないか」と話した。
原発事故によって撒き散らされた放射性物質。
わが子の健康に悪影響を及ぼさないか、不安を
抱く親は少なくない(下の写真は郡山市保健所の
モニタリングポスト)
【想定外だった被曝と絡めた反響】
「対応に追われる毎日です。原発とは全く関係なく、原発と結びつけた反響があるとは想定外でした。がんは不治の病ではない、早期発見で治せるということを分かって欲しいだけなんです」。パンフレットの存在がインターネット上で批判的に紹介されたことを機に、保健所には連日、郡山市内外から問い合わせの電話が寄せられているという。
だが、原発事故の影響で郡山市内にも依然として高濃度に汚染された場所が点在する現状を考えれば、自ずと子どもや親の不安に配慮することができたはず。もし、全く頭になかったのだとすれば、あまりにも市民感覚からはかけ離れた、鈍感な行政マンだと言わざるを得ない。保健所の担当者はさらに「インターネットのおかげで、市民がわれわれ行政よりも隣のおばさんの言葉を信用するようになってしまった」とネット批判を口にしたが、これも的外れな発想でしかない。
郡山市内の母親は「言いたいことは分かるが、なぜこの時期にこのような内容のパンフレットを配ったのか理解に苦しむ」と首をかしげた。いま、本当に必要なのは被曝による健康への影響を最小限に食い止めることだ。一般論としてのがん予防を、「クラスの2人に1人はがんになる」という言葉で子ども向けに行うことが喫緊の施策ではないだろう。
「避難したくてもできないのが現状」(郡山市議)。汚染に関する積極的な情報開示や福島県外への避難を支援してこなかった行政への不信感は、行政が考えている以上に高いことも再認識する必要がある。
(了)
「福島県産は食べたくない」は「風評被害」か?
「買って応援」キャンペーンを進める国や福島県。福島県産が売れないのは「風評被害だ」とする一方、国の基準値「100ベクレル」を下回ってもなお、福島県産は食べたくないという消費者も少なくない。私は原発事故直後から、買わない消費者を責めるべきではないと考えている。食品検査をして基準値以下でも福島県産が買わないのは「風評被害」か?内部被曝を防ぎたいと考えるのはエゴか?過剰な心配か?福島市内で聞いた。
【現状は風評被害そのものだ】
福島交通飯坂線。終点の飯坂温泉駅の構内にある青果店。生産者を応援しようと、福島産の野菜や果物を並べている。二本松市在住の男性経営者(60)は、今でも忘れられない言葉がある。
「震災直後のことですよ。関東から来たというお客さんに声をかけたら『福島のものは買っちゃいけないって言われて来てるんだ』って平然と言われたんだよ。ムカッときたけど、いろいろな考えの人がいるんだから仕方ないね」
一番、心を痛めているのは、生産者の意欲が下がっていること。「国の基準値は100ベクレルだけど、福島では50ベクレルを超えたらJAが再検査をして、50ベクレル以下でないと流通させない。そこまでやっているのに、なお危ない危ないと言われる。まさに風評被害そのものじゃないか。他の都道府県の野菜だってゼロベクレルじゃないだろ?」
男性の怒りは徐々に高まっていった。店は浪江町出身の妻に任せ、取材に応じた。
「昔はね、飯坂温泉だって夏休みになれば子ども連れでにぎわったものだよ。震災直後と比べるとだいぶ観光客は戻ってきたけれど、それでも子ども連れは減ったね。きちんと実態を伝えない報道も悪いんだ」
怒りの矛先はメディアにも向けられた。だが、やはり最後は生産者への想いが口をついて出た。
「生産者が何をした?何も悪くない。生産者が事故を起こしたわけではないんだ。危ないと言われる野菜を作り続ける農家、地元の人ですら子どもに食べさせない現状…。本当に不幸だと思わないか」
私は、「福島産を買わない消費者を責めないで欲しい」と言うのが精一杯だった。
飯坂温泉駅構内の青果店。原発事故直後から、
地元の生産者を応援し続けている
【どちらの気持ちも理解できる】
飯坂温泉駅近くに60年続く老舗豆腐店を兄と営む男性(43)は「買いたくないという人の気持ちも分かります。これが逆の立場だったら、僕もそうしたでしょう」と理解を示した。
従来より、小売りより近隣の旅館などに卸すのが主。だが、旅館からの注文は激減した。「水が危ないと思われたのでしょう。うちの水は茂庭(摺上川ダム)から来ているんだけど、あそこは初めから放射線量が低いから。もちろん、ゼロではないんだけど…。どちらの気持ちも分かるだけに複雑ですね」。
福島市はいま、リンゴの最盛期。市街地から少し郊外に出ると、たわわに実った真っ赤なリンゴを目にする。市は2007年、「リンゴは市内の果樹栽培の中で最大の面積を有する重要な作物」として「ふくしまリンゴ」を商標登録したほどだ。
無人販売機で、農家の庭先で、袋詰めにされたリンゴが売られている。東北自動車道・吾妻パーキングエリアにも、リンゴのコーナーが出来ていた。「きちんと検査をしているし、リンゴも梨も表皮を削る除染をした。だから私は食べますよ」。PA近くに住む50代の女性は言った。
「やっぱり少しは風評被害があるのかな…。小さい子どもがいる家庭は食べさせていないしね。私は食べるけど、わが子に食べさせないのも仕方ないとは思う。難しいよね、いろいろな考え方の人がいるから」
福島市内の青果店。40代の男性経営者は、大きく手を振りながら取材を断った。「風評被害?県の仕事も請け負ってるし、いろいろとつながりがあるから。答えられない」。本音を語ることすら許されない。それもまた福島の現状だ。
福島市は、今まさにリンゴの最盛期。無人販売所
にも袋詰めされたリンゴが並ぶ
【被害者意識ばかり強く持つな】
「被害者意識ばかり強くしていては駄目ですよ。風評被害だととばかり言っていても前に進みません。現に、基準値を超えるセシウムは出ているわけだから」
ゼネコンでのサラリーマン生活をやめ、9年前に福島市内の立子山に燻製工房を開いた男性(59)。悔しい思いもたくさんあった。会津産以外はなるべく福島県外産を使うようにしているが、足元を見るよな業者がいた。「これまでより値段を高くしてきてね。この前より高いじゃないのって言ったら『嫌なら買わなくていいよ』って。そういう酷い業者もいるんだよ。もちろん、逆に応援してくれる業者もいるけどね」。
食品検査も楽ではない。たとえば鱒(マス)の燻製。検査をするには、1本600円の商品を15本程度無駄にしなければならない。検査のたびに9000円の損失。東電に補償を求めたが、あっさり拒否された。
「馬鹿らしいけど、検査だから仕方ない…。最近になって、切り刻まずに検査できるようになったのは本当にありがたいよ」
果樹農家の知人は、木の表皮を削る除染はしたものの、土の除染はしていない。長年かけて育てた土。掘り返せば根を傷める恐れもある。「もちろん、それも分かる。でも、これから何年もかけてセシウムが土深く浸透したらどうなる?それを根が吸い上げて実に蓄積される。それで基準値を超える数値が出たら、それこそアウトだよ。これからも農家を続けたいのなら、ある程度のリスクは負わないと駄目だよ」。
現実の汚染を認め、出来ることから取り組むべきだと繰り返す男性。「買って応援?買うばかりが応援じゃないからね。言葉で励ますのだって応援でしょう?福島のものを買わないからって責めるのはおかしいよ」。
(了)
【31カ月目の福島はいま】合言葉は「しょうがない」。福島市民は被曝を受忍しているのか?
福島第一原発から67km離れた福島刑務所周辺を歩いた。阿武隈川の支流・松川の河川敷を中心に市営団地も放射線量が高いが、住民の口からは「しょうがない」ばかりがついて出る。国や行政による〝安全安心キャンペーン〟が進められるなか、住民の不安は必然と内向きになり、ついには「騒いだってしょうがない」。福島市民は被曝を受忍したのだろうか。いや、そうではない。福島で暮らすには、被曝から目を逸らさざるを得ないのだ。
【騒いだってしょうがない】
福島駅東口から路線バスで20分ほど。阿武隈川の支流、松川が音をたてて流れ、市営住宅の団地が立ち並ぶ。近くには福島刑務所や福島少年鑑別所がある。
「騒いだってしょうがないよ。国策だしさ」
元自衛官の男性(79)は淡々と話した。小雨の降る中、台湾生まれのレクリエーション、木球(ウッドボール)を楽しんでいる。ゲートボールに似たこの競技、清水木球場では50人を超える会員がいるという。
「われわれ年寄りはなあ…。ただ、子どもはあまり外で遊ばなくなった。以前はこの辺りも1.5μSVくらいあったからね」
雨が強くなってきた。男性は茶色いボールを叩く。ボールはゲートをかすめて右にそれた。「うーむ」。首を傾げる男性。私が持参した線量計は0.8μSVに達していた。それを伝えると、男性は川向こうの市営住宅を指さし「小さい子どもは、やっぱり心配だな」と話したが、さすが元自衛官らしく、最後まで国や行政を批判する言葉は出なかった。
福島刑務所の白い壁沿いに歩く。手元の線量計は0.4μSVを下回らない。周囲は水田や畑が広がる田園地帯。近隣住民はもちろん、受刑者も被曝を強いられている。
バス停で路線バスの到着を待っていた30代の女性はマスクをしていた。
「放射線量が気にならないかって?私の自宅は別の地区ですから、ここの線量の高さは心配です。でも仕事だから通勤して来ないわけにはいかないし…」
(上)福島市内を横断するように流れる松川。阿
武隈川同様、河川敷は高濃度に汚染されている
(下)松川沿いの市営北沢又団地。0.8μSVを超
すほどに汚染された土地もある
=福島市北沢又上稲荷川原
【線量測ったってしょうがない】
松川沿いの住宅街。自宅を改装したそば店を夫とともに経営する60代の妻は「あきらめちゃってるんですよね」と苦笑した。「最初の頃は自宅周辺の放射線量を測っていましたが、最近はまったく数値は分からないです。まだ高いですか?まあ、測ってもしょうがないですからね…」。
福島市による除染は、まだこの地区では行われていない。「いずれは来るとは思うんですけどね。この辺りじゃ、放射能に関する話題はめっきりなくなりました」。原発事故から時間を経るにつれて募る、国や行政への不信感。11月に行われる市長選挙では、現職以外の候補者に投じようと考えている。「市長はすべてを話してはいないでしょう。パニックになるという理由で」。
漠然とした不安と不信感とあきらめが複雑に入り混じる。先日、住宅の新築現場を通ると、家主は福島県外からやってきた若い夫婦だった。福島市が被曝の危険性の無い安全だと思っているのか、と複雑な気持ちになったという。新しい仲間がやってきたのを手放しで喜べない自分がいた。
自営業をやめ、夫と二人でそば店を始めて12月で6年。震災後は営業どころではなかったが、海外に避難するという近所の人から「ぜひ食べてから行きたい」と求められたため、10日ほどで再開。最近では、せめて子どもたちの被曝回避に役立ちたいと、山形県川西町を定期的に訪れ、手伝っているという。廃校になった農業高校の分校を利用した「おもいで館」では、地元の農家との交流もあり、自身も訪れるのを楽しみにしている。
店を後にして、河川敷の公園い立ち寄ると、福島市役所の測定値が掲示されていた。0.98μSVだった。
(上)松川に面した明神運動公園は、福島市の測
定でも0.98μSV
(下)小雨の中、木球(ウッドボール)を楽しんでい
た男性。「起きてしまったものは騒いでも仕方ない
」と繰り返した
【汚染を気にしてもしょうがない】
自宅に隣接した畑で花を摘んでいた60代の女性。「家の外で0.4μSV、場所によっては10μSVあります。室内でも0.2μSVですよ。除染っていったって、いつになるか分からない。時々自分で測っているけど、でもね…気にしたってしょうがないでしょう」と苦笑交じりに話した。
雨脚が強まるなか、タマネギの苗を植えていた60代の男性も同様の言葉を口にした。「タマネギも長ネギも自分の家で食べるだけだからね。放射線量が高いと言っても大したことないでしょ?気にしてもしょうがないよ、ワッハッハ」。だが、その後にポツリとつぶやいた言葉が彼の本音なのだろうと思った。
「放射能のことは考えないようにしているよ」
周囲のリンゴ畑には、真っ赤なリンゴがたくさん実っていた。
この街で線量計を手に歩いているのは、私一人だった。
白く高い塀の外は、0.5-0.7μSVの高線量。福島
刑務所の受刑者も近隣住民も被曝を強いられている
(了)
【ふたばワールド2013】交錯する原発事故への想い~ふるさとへ戻れない人々と戻ってきた人々
福島県双葉郡の8自治体(大熊、双葉、浪江、葛尾、広野、楢葉、富岡、川内)で持ち回りで開かれていたイベントが19日、「ふたばワールド2013」として14年ぶりに復活。広野町の運動場に双葉郡が一堂に会した。だが、原発事故による避難が依然として続くなか、同じ双葉郡でも広野町や川内村のように帰還が進む地域と、浪江町や双葉町のように帰れない地域とでは状況が異なる。帰りたいけど帰れない、帰れる地域から帰還を─。交錯するふるさとへの想いを聴いた。
【原発事故前の浪江町に戻して欲しいだけ】
浪江町のブースに詰めていた町職員は、町民の気持ちを代弁するように静かに語った。「好きで避難しているわけではないんですよ。許可証が無いと自宅に戻れない。壊れているわけでもないのに住めない。許可証や身分証を持参せずにわが家へ行こうとして検問で止められ、警察官と激しくケンカをしたという話をたくさん聞きました」。
ネズミに荒らされたわが家。片付けても住めないわが家。一方で、インターネット上では「賠償金を貪るたかり」などと町民を中傷する書き込みも少なくない。それだけに、男性職員は「精神的苦痛に対する損害賠償を求めると、ともすれば生活費をもらっているように言われる。でもね、元に戻して欲しいだけなんです。それが浪江町民の素直な想いですよ」と強調した。
会場となった運動場の両脇には、福島県や復興庁などが日頃の取り組みをPRするブースを出した。東日本高速道路いわき管理事務所もその一つ。常磐道の除染・建設をパネルで説明。担当者は「環境省が行っている除染と自然低減で放射線量は下がっていく。2014年度中には浪江IC~南相馬ICが開通します」と話した。一方で、浪江IC~常磐富岡ICに関しては2015年度中の開通を目指しているのものの、放射線量が高く見通しは立っていいないのが実情。「常磐富岡ICを下りたら国道6号など一般道へ迂回することになるが、まだまだ放射線量が高い。最悪の場合、物流のトラックは中通りまで大きく迂回をしなければならなくなります」と、仙台方面への全面開通には汚染が立ちはだかる現実を口にした。
昼過ぎ、各ブースに佐藤雄平福島県知事が顔を出した。浪江町のブースでは、名物の「なみえ焼きそば」の模型をほおばるパフォーマンスもやってみせた。私が「浪江町は、再び町民が住めるようになるか?」と尋ねると、怪訝そうに名刺と私の顔を交互に見遣りながら、立てた人差し指を震わせて半ば怒ったように言った。
「浪江町に再び住めるようになるか?その条件整備を一生懸命にやっているんだよ。再び住めることを目指してやっているんだ」
(上)ステージで披露された踊り「相馬流山」
(下)浪江町のブースでは、原発事故前の行事の
写真が展示された
【除染をしても雨で再び線量上がる懸念】
「自宅の周囲は今なお、場所によっては85μSVもある。いや、100μSVを超えた個所もあった。そういう数値を見てしまうと、もう町に替えることはあきらめてしまいますよ。もちろん、自宅などの財産もあるわけだし、一縷の望みは捨ててはいないけれど…」
浪江町の伝統工芸・相馬大堀焼の関係者は表情を曇らせた。「そりゃ、県知事は『一生懸命やっている』と言うかもしれないけど、私の周囲でもそう言う人は増えていますよ。行政のアンケートでも帰らないと答える人が多くなっているよね」。
今後、本格化するであろう町内の除染にも懐疑的だ。
「川内村に住む友人は『除染をすれば一時的には放射線量が下がるが、雨が降れば再び上がってしまう』と言っていた。川内村でそうならば、浪江町でも同様でしょう。それに、東京五輪が正式決定した。工期は決まっているのだから、競技場などの建設で多くの作業員が必要となるでしょう。そうすれば、除染作業員が不足するのは明らかです」
会場の一角では「ふるさと〝ふたば〟の未来へのメッセージ」として、集まった人々の直筆のメッセージが貼り出されていた。ふるさとに、わが家に帰りたいという思いが全体的にあふれている。
「放射線量の高い地域の人は、いつか帰りたいと書いているし、広野町のように比較的線量の低い地域の人は、みんな戻っておいでと書く傾向がある。地域による違いが出ていますね」とスタッフ。実際、会場では放射線量や被曝の話題に明確に拒絶反応を示す人もいた。広野町からいわき市に避難している20代の女性はきっぱりと言った。
「私が広野町に戻らないのは、いわき市の方が何かと便利だから。被曝を心配しているからではありません。もういい加減、放射線量の話はやめてほしいです」
これも、原発事故が生んだ「分断」の一つなのか。
会場を訪れた佐藤雄平福島県知事。浪江町の
ブースでは、「なみえ焼きそば」の模型をほおば
るパフォーマンスも。避難生活を強いられている
双葉郡の人々の想いは知事の耳に届いているか?
【広野町に戻ってきた2人の母親】
広野町の女性(40)は、被曝の不安を抱きながらも戻ってきた1人。自宅に戻る際、いわき市の友人から言われた言葉がショックだったと打ち明ける。「え?子どもがいるのに戻るの?」。
原発事故直後から、神奈川県横浜市にある夫の実家に3人の子どもと共に避難した。「何が何だか分からず、2、3日、居候すれば良いのかなと最初は思っていました」。だが、事態は日に日に深刻化。子どもを横浜市内の幼稚園や小学校に編入させた。気付けば〝居候〟は1年を超えていた。夫は、仕事があるため途中で自宅に戻り、週末だけ横浜を訪れた。
帰還のきっかけとなったのは、除染で放射線量が下がったとして、昨年の2学期から学校の授業が再開されたことだった。「家族がバラバラなのは良くないという判断もありました」。年度替わりとなる今年4月、広野町に戻ってきた。小学校3年、1年、幼稚園児の3人の息子は、徒歩で通学・通園している。特にマスクもしていない。
「子どもたちへの被曝の不安が無いかと聞かれれば、あります。郡山市に遊びに行くときなど、放射線量をつい調べてしまう自分がいる。0.3μSVに達しないとはいえ、横浜に比べれば高いですからね。でも、帰れる所から帰らないといけないとも思うんです」。
自宅に戻る「選択」を非難しないで欲しい、との思い。
別の30代の母親も、なみえ焼きそばの列にわが子と並びながら言った。
「昨年9月、いわき市内の仮設住宅から広野駅前の自宅に帰ってきました。子どもたちにとっては、やっぱり我が家の方が良いんですよ。被曝の心配もしていません。だって町がもう大丈夫って言っているんですから。あんまり、危ない危ないと言わないでください」
(上)(中)会場の一角に設けられたメッセージコー
ナー。避難を強いられている人々がふるさとへの
想いを綴った
(下)広野駅から会場まで、手元の線量計は0.2-
0.25μSVだった
(了)
【福島市長選】「子どもたちを守るため通学路を率先して除染する市長になる」~大内雄太市議が出馬表明
11月17日投開票の福島市長選挙に、30歳の福島市議・大内雄太(ゆうだい)さんが立候補を決意。15日の記者会見で正式発表した。原発事故後から通学路の除染ボランティアを続けてきた経験から「通学路は除染すれば必ず放射線量が下がる」と明言。自ら市長として汗をかきたいと語る。市民に寄り添い対話をしたいと学校給食の米についてもアンケートの実施を公約に掲げるが、一方で避難の支援には消極的。放射性廃棄物の焼却炉にも「排気はバグフィルターで安全なレベルに抑えられる」。子育て世代はどう判断するのか。
【「除染しても下がらない」は間違い】
福島県庁2階の記者クラブ。集まった報道陣を前に、大内市議は「3児の父が考える7つのビジョン」と題した公約を発表した。
①放射線と再生可能エネルギーの教育と観光都市をめざす
②様々な対話の機会を創出し、市民へ近く、聞く耳を持った福島市
③除染問題に率先して取り組む
④子どもから大人まで、みんなの健康を守る
⑤市民生活を元気に~「ママ手当て」
⑥安全・安心・攻めの農業を実現
⑦行政部門の構造改革を行い、市民の負担を減らすべき
公約の中心となるのは③の除染だ。大内市議は原発事故後、通学路の除染ボランティアを続けてきた。その経験も交え「福島市は県内で最も除染が進んでいるが、市民は『除染がなかなか進まない』と考えている。現・瀬戸孝則市長が取り組んでいる除染はあながち間違っていないと思うが、説明不足。市民の疑問に答えを示せていない。専門家の考え方と市民の不安は必ずしも一致しません」と語った。
さらに「通学路は除染すれば必ず放射線量が下がる。『除染をしても放射線量は下がらない』というのは、根拠のない間違い。実際に除染作業をしているのは福島県外の人が多く、市民は当事者意識が低いのはないか。自分たちで通学路除染をやってみて結果が出れば考え方も変わってくるだろう。まずは大人が率先して汗をかくべきです」と厳しい言葉も。
除染で生じた汚染物の仮置き場に関しても「住民とのリスクコミュニケーションができていない。放射線は遮へいできる、適正に保管できるという説明が市民になされていない」、「『除染の日』を制定したい。自分たちのできるところで除染のスピードを上げていきましょう」と有権者に呼びかけた。
福島市長選挙への立候補を正式表明した大内雄
太福島市議(右)。左は、後援会長の常圓寺・阿
部光裕住職=福島県庁
【門前払いされた「ここは危険」との訴え】
1983年1月、北海道小樽市出身の30歳。2009年から福島市で生活をしている。震災直後の2011年7月に行われた市議会議員選挙で初当選(1483票)。元は医療機器メーカーの放射線技術者だった。
市長選出馬の裏には、原発事故直後の悔しさがあった。当時、妻は2人目の子どもを妊娠中だったが、自宅周辺の放射線量は7μSVもあった。福島市役所を訪れ、職員に「ここは危険だ」と訴えたが、相手にされなかった。そこで一念発起して市議選に立候補した。「市議会でも、いくら政策提言をしても行政の長との根本的な考え方の違いの壁にぶち当たってきた」。
瀬戸市長については「汚染も被曝の危険も無いもの、過去のものにしようとしている」と批判。「福島県外から福島市に来て『普通に生活してるじゃん』と帰っていく人々が多い。皆さんは福島市の現状をどのように伝えますか?子どもたちにどのように説明しますか?説明できる土壌すらないではないですか。県都である福島市こそ、原発事故は収束していないと力強く言わなければいけないんです」と語った。原爆ドームのような施設の建設も提唱している。
除染と並んで重視しているのが市民との対話だ。現在、福島市は「地産地消」の名の下、学校給食に福島市産の米を使っているが、まずは保護者へのアンケートを実施したいという。「私は福島市産の米を使うな、とは言っていない。ただ、県の全袋検査では駄目。市民からの使わないで欲しいという陳情が市議会で否決されているが、まずはアンケートで保護者の意見を聴きたい」
子どもたちの保養は「すぐにでも実現可能。授業の一環として市が取り組むべき。県は十分な予算を確保しているのに使われていない」と積極的に取り組む姿勢を示した。一方で、自主避難者への支援に関しては「行政の長としては、出て行く人へのフォローは難しい」とも。定期的に山形県や新潟県を訪れて自主避難者の声を聴いているが、避難を後押しする政策は頭には無さそうだ。むしろ「ママ手当て(仮称)を地域振興券で支給し、ママと地域商店街を元気にするべきだ」と話す。
福島市中心部の宅地除染。大内市議は「少なく
とも通学路は、除染をすれば必ず放射線量は下
がる。大人が率先して汗をかくべきだ」と訴える
【子育て世代の投票を促したい】
今回の出馬には、若者の政治参加を促す狙いもある。
「若い人が立候補しているわけでなく、投票に行きたいと思えるような公約もない。子育て世代の保護者の目線で製作を訴えて、市民に諮ってもらいたい」。後援会長として会見に同席した住職の阿部光裕さんも「周囲からは『大内さんのような若い人が出てくれたことに意味がある』と喜ばれている」と話した。
自身も三児の父親。自分の子どもを守るだけなら今のまま、市議のままで良い。しかし、それでは他の市内の子どもたちを守れない。「私がなぜ出なきゃいけないのか、ということです」。議会改革の一環として定数削減を訴えていることから議員辞職はせず、欠員を生じさせることを選んだ。辞職に伴う補欠選挙の費用も考慮して自動失職の道を選んだという。
現時点で、現職も含め立候補予定者は4人。4年前の投票率は38.18%(8年前は53.86%)。瀬戸市長は7万2000票余を得て当選した。陣営は「3万票はとれるのではないか」と見込んでいる。
(了)