【伊達市長選あす投開票】被曝回避策怠った仁志田市政の交代望む親たち
いまだ高濃度汚染が解消されない福島県伊達市。原発事故以降の市政を評価するか否かが問われる伊達市長選挙はあす26日、投開票だ。4人が立候補したが、3選を目指す現職の仁志田昇司氏(69)と市議の高橋一由氏(61)の事実上の一騎打ち。原発事故以来、子どもたちの被曝回避に奔走してきた市民は明確に「現職NO」を口にするが、一方で高橋氏への不安も小さくない。子どもたちに被曝を敷いてきた仁志田市政を市民は支持するのか。高橋氏のかじ取りで被曝回避が前進するのか。
【「子どもの血液検査」断った仁志田市長】
「選びようが無いんですよ。現職には入れたくない。でも有力対抗馬にもきな臭い噂が絶えない。完璧な候補者などいないことは承知の上ですが…」
50代の会社員男性は苦笑した。
阿武隈急行沿線に暮らす男性には、受験生の娘と年齢の離れた息子がいる。自宅は0.3μSv/h前後、さらに隣接する畑では0.5-0.6μSv/hに達するが、市からは年間積算放射線量が5mSv未満の「Cエリア」に指定され、除染は「雨どい直下の土を取り除いただけ」という。
これまで何度も、仁志田市長への面会を求めてきたが、すべて無視された。「市長への手紙」も書き、Cエリアの面的除染とすべての子どもたちの中長期的な保養を求めた。妻も、被曝の実態を把握するために子どもたちの血液や尿の検査を実施するよう訴えた。しかし市側から届いた返事には、こう書かれていた。「子どもに余計なストレスを与えるから行いません」。怒りを封じ込めるような男性の苦笑が、仁志田市政の無策を表している。
市長選告示2日前の1月17日付で郵送されてきた書類がある。「Cエリア除染調査票」。ホットスポットの除染しかしないことへの市民から不安の声が多く寄せられているとし、どのような除染を望むかアンケート調査をするという。差出人は放射能対策課だった。そもそも仁志田市長は昨年末、これ以上、除染を進めても効果は得られないと表明したばかり。「選挙が近づいた途端にこれだ」。男性は呆れる。
男性の元に最近、知人から一通のメールが届いた。「JAが、期日前投票で現職に入れるよう職員に指示を出している」。なりふり構わぬ仁志田陣営の必死さが垣間見える。男性は「これが組織票というものか…」とつぶやいた。
(上)現職を含む4人が立候補した伊達市長選挙
(中)「セシウムだけでなく、ストロンチウムやプル
トニウムも徹底的に除染する」と演説する高橋一
由候補
(下)高橋陣営は「徹底除染」「復興加速」などの
のぼりを作ったが、資金源を疑問視する声もある
【「徹底除染」強調する高橋候補】
保原町の高橋一由選挙事務所。「徹底除染!」「復興加速!」「変えよう伊達市」と書かれた緑色ののぼりが何本もはためいている。
バス通りに面した事務所前でマイクを握った高橋氏は、時折ドライバーに手を振りながら「住んでいる私たちが不安なのに復興などできるわけありません。徹底除染をやらずして企業も来ません。人口流入もありません。セシウムだけではありません。プルトニウムもストロンチウムも全て、徹底的に除染します」と支持を訴えた。
事務所で取材に応じた高橋氏は「いま、市民の間には市政に対する不信と被曝への不安が渦巻いています。除染をしても安全ではないかもしれない。でも、安心はしてもらえる。必ず徹底除染をやります。期待していただいて良いですよ」と語った。仁志田市長がこれまで、市民との直接対話を避けてきたことも批判した。
自宅が「Aエリア」(市の分類では「特定避難勧奨地点があるなど、市内では比較的高線量の地域」)に属するため、Cエリアに避難中の40代母親は「選択肢は高橋さんしかいないですよね。表土をはぐと言っているし…」と市長交代に期待を寄せる。
避難したことで、生活空間の放射線量は下がった。元の自宅周辺は除染で生じた汚染物の仮置き場が続々と造られ、生活圏を脅かすまでになってきた。生活圏の放射線量も1.0μSv/hを超す個所もある。それに比べれば環境は悪くないが、それでも子どもたちの通学路は0.3-0.4μSv/hもあることを確認している。
小学校までの道のりは、徒歩で片道数十分。感染症の流行もありマスクを着用するよう言い続けているが、子どもたちは「周りの子がしていないから」と嫌がるようになった。「毎日毎日吸い込んでいるかもしれない」との不安は消えない。それなのに除染の実績ばかりを国にアピールする仁志田市政を支持できるはずがない。
「もちろん、市長が交代しただけですべてが変わるとは考えていません。仁志田市長がやってきたことを変えるのは並大抵の努力では無いでしょう。だから、私たち市民もバックアップしないといけないと思う。子どもたちのためになるように、こちらがもっていかないといけませんね」
(上)(中)阿武隈急行が走る市中心部も、依然と
して0.4μSv/h前後と放射線量は低くない
(下)高濃度に汚染された小国地区では、0.5μSv
/hは低い方だ
【「市長の決断力」で除染が先行した?】
仁志田市政への批判は、都市部より郡部の方が強烈だ。「特定避難勧奨地点」にも指定された霊山町下小国築の住民は「ここらでは、誰に聞いても『現職以外ならだれでも良い』と答えるよ」と話す。集落を荒らすだけ荒らした勧奨地点制度。解除の際も「説明会を」と求めたが、市側は応じなかった。除染が終わったはずの小国小学校も、校舎に隣接する用水路は、いまだに1.0μSv/hを超す。
「でもね、3人も対抗馬が立候補したんでは批判票が割れてしまう。それに、大票田はやっぱり保原町。いくら霊山町などの郡部が束になって反対したとしても、都市部を抑えられたら負けちゃうよね」
伊達市は昨年10月16日、原子力規制委員会に「伊達市の除染について」と題した文書を提出。その中で「伊達市の除染が先行した理由」の一つに「仁志田市長の決断力」を挙げた。さらに「仮置き場へのかたくなな抵抗」があると指摘。「全体を見ている行政vs自分の家だけの住民」「年間1㍉の呪縛」などと表現し、暗に市民を批判している。
仁志田市政で本当に伊達市の子どもたちは守られるのか。今後の被曝回避策を占う伊達市長選は26日、投開票。
(了)
【34カ月目の福島はいま】汚染続く集落の怒り「原発事故は終わっていない」~伊達市・下小国
住民たちは怒っていた。都会では、掛け声は「復興」ばかり。6年後の五輪開催に東京が浮かれている間にも、住民たちの被曝は続く─。高濃度に汚染された伊達市霊山町下小国地区。いまだ1.0μSv/hの個所が点在する集落を歩くと、原発事故の収束など、言葉ばかりであることを実感させられる。
【孫との暮らし奪われたばっぱの怒り】
「市長選どころじゃないわよ、放射能で手一杯なの」
買い物帰りの初老の女性は、歩を止めて、吐き出すように話し始めた。
後悔ばかりが募る毎日。原発事故直後、宮城県内で被災した娘を自宅に一週間ほど招いたことが悔やまれてならないという。「放射能が降っていたなんて知らねえもの。娘は車の中で寝泊まりしていると言うからつい…。そしたら、わざわざ被曝させに呼んだようなものだっていうじゃないの。何てことをしてしまったんだろう」。
3月になれば、福島第一原発の爆発事故から丸3年。ともすれば、原発事故は過去の出来事のように考えてしまいがちだ。しかし、女性は「冗談じゃない。原発事故は終わっていないよ。東京の人は何も分かっていないから『あんぽ柿が出荷できるようになって良かったね』なんて手紙を寄越したりする。小国さ来てみろっていうの。低い所の放射線量ばかり測っていないで、小国の放射線量測ってみろって」。
そして、田畑の向こうに見える小国小学校を指さした。
「こんなに放射線量が高いのに、子どもを通わせてるんだよ。それも避難先からタクシーで。それなら移転して放射線量の低い土地で勉強させてあげれば良いじゃないの。なぜそれが出来ないの?もちろん、原発事故を起こしたのは伊達市ではないし、仁志田市長のせいではない。でも結局、市長は子どもを守らないじゃないの。さっさと移転して、校舎は年寄りのための施設にすれば良いのよ」
女性の怒りや哀しみはもっともだ。「私はね、孫に囲まれて楽しく暮らす老後の生活を夢見ていたの。でも、原発事故で息子も仙台に避難してしまった。うちだけじゃない。周りの家はみんなそう。残ったのは『ばっぱ』ばかり。泣くに泣けないわよ」。
女性は今にも泣き出しそうな表情で話すと、深々と頭を下げて自宅に帰って行った。
(上)小国小学校脇の用水路は、除染をしても1.0
μSv/hを超す
(中)水面凍る小国川沿いは今も高濃度汚染が続く
(下)国道115号に面した下小国中央集会所のモニ
タリングポストは約0.38μSv/hを表示していた
【取り戻した笑顔、格差解消へ続く闘い】
住民の分断と対立を生んだ「特定避難勧奨地点」。政府の原子力災害現地対策本部が2011年6月30日、下小国地区では50戸余りを指定。妊婦や幼い子どもがいる家庭は優先的に指定された。災害救助法に基づいて、避難を促すための金銭的補償や税、国民健康保険料の減免などの措置が講じられた。指定は2012年12月、「年間積算放射線量が20mSv以下になることが確実になった」として解除された。
しかし、指定の基準が「空間放射線量が3.2μSv/hで、年間積算積算放射線量が20mSvと推計される住宅」で、地域全体ではなく住宅ごとに放射線量を測定したうえでの戸別指定だったため、自宅周辺の放射線量が2μSv/hを上回っていても指定を受けられない住民が続出。酪農家のAさん宅もその一つだった。
自宅周辺の放射線量がわずかに3.2μSv/hに届かなかったとして、指定から外された。夫は何度も市役所に足を運んだが、訴えは聞き入れられなかった。指定を受けた近隣住民との軋轢も生じた。原乳や野菜の出荷に支障をきたしたとしてJAを通して賠償を受けたが、それも東電によって減額された。さらに賠償金が「所得」とみなされ、課税対象となったという。
「財物補償で所得が増えたということで、税金も国民健康保険料も増額されました。何だか、税金を支払うために働いているようなものです。賠償金を支払うが税金で取り戻す、そういう魂胆ではないかと勘繰りたくもなります」
不公平さを少しでも解消しようと、指定されなかった住民約1000人が集団が原子力損害賠償紛争解決センターに和解仲介を申し立てていたが(裁判外紛争解決手続き=ADR)、その和解案が昨年末、提示された。1人約150万円。指定を受けた住民も協力して、ようやくここまでたどり着いた。Aさんも「まだ決定ではないけれど、とりあえずは良かったですよ」と少しだけ頬を緩めた。
「和解が成立すれば、うちは家族3人だから450万円ほど。しかも課税されないというから良かったです。でもね、指定を受けられた家はお金に加えて様々な減免措置があったんです。うちらには無い。今回の和解案は、指定を受けられた家と同等の被害がうちらにもあったと認めたようなものでしょう?であれば、同じように減免措置を講じて欲しい」
特に心配なのは将来の孫たちの健康という。
「息子がこれから結婚して子どもができたら、医療費などで大変な思いをするかもしれない。今、目の前にある被曝も大変だけれど、将来の心配も私らはしなくてはいけないんですよ。だから、孫の世代のためにも、この家の放射線量が高かったという証明が欲しいです。指定を受けられた家は、指定が一つの証になる。でも、私らにはそれが無い。まだまだ、行政に訴え続けていくつもりです」
同じように被曝を強いられた住民を、わずかな数値の差で分断させた「特定避難勧奨地点制度」。Aさんは、かわいい仔牛の話になると目を細めた。表情は、以前より少し明るくなったように見えた。2年10カ月を経てのようやくの笑顔に、原発事故と歪んだ制度の罪の重さを実感させられた。
下小国地区には、除染で生じた汚染物の仮置き場
が続々と造られている。中には生活圏にほど近い
ものもある
【進む復興道路建設、進まぬ被曝回避】
柿の木の剪定をしていた男性。柿の実は誰にも食べられることなく、鮮やかなオレンジ色を放ったまま朽ちていく。「OKが出た梁川などと違って、ここのはセシウムが高いから。乾燥させた状態で30ベクレル未満ならあんぽ柿として出せるんだけどね、あと1、2年は駄目なんじゃないかな」。
別の畑では、木々を根元だけ残して切り落としている夫婦がいた。「ここはリンゴ畑だったんですよ。でも相馬市に抜ける高速道路(復興道路)のために土地を提供したんでね。ほら、あそこの畑も更地になってるでしょ?あそこには桃の木があったんですよ」
市長選挙が19日に告示され、下小国地区にも一部陣営が設置した「復興加速!」ののぼりがはためいている。復興と脱被曝は両輪となるべきだが、実際は復興ばかりが進められていく。先の男性は、脚立に腰掛けながら言った。「あれだけの原発事故があったんだ。1年や2年じゃそうは進まないよ。批判をするのは簡単さ。でも、実際には中間貯蔵施設設置のめども立っていない。簡単じゃないよね」。
男性は再び、枝を落とし始めた。小国川では、カモの群れが泳いでいる。手元の線量計は0.7μSv/hを超していた。
(了)
攻撃受ける反原発運動。千葉麗子さんは愛車破壊~新宿で「反原発へのいやがらせの歴史展part2」
反原発運動に携わる人々が受けてきた嫌がらせを展示する「反原発へのいやがらせ展Part2」が18日、東京・新宿中央公園内にある区民ギャラリー1階で始まった。昨年8月に続いて2回目。これまで、全国の原発反対運動の関係者が受けてきた嫌がらせが紹介されているほか、主催した海渡雄一弁護士や千葉麗子さんによるトークも行われた。千葉さんは、自身が受けた愛車破壊を初めて告白したうえで「脅しには屈しない」と語った。19日まで。入場無料。
【愛車にスプレーで「原発推進」】
「事件が起きたのは昨年、7月2日の朝でした」
まるで、封印を解くかのような〝告白〟だった。
学校へ送り出したはずの息子が息を切らせて帰ってきた。お弁当でも忘れたのかと振り返った千葉さんは、息子の言葉で事態を知る。「母ちゃん、やられてる!」。
駐車場に出ると、愛車の窓ガラスは粉々に割られ、タイヤはパンク。ボンネットには黒い油性スプレーで「原発推進」と殴り書きされていた。
福島原発事故以降、抗議集会などでマイクを握ることの多かった千葉さんは、いつしか反原発運動のシンボル的な存在になっていた。ツイッターなどでもストレートに「脱原発」「脱被曝」を訴えてきたことから、ありとあらゆる誹謗中傷を受けてきたという。
「それはそれは『千葉麗子死ね』など、いろいろ言われてきました。でも、こういう性格だし、いくら汚い言葉で罵っても響かないと考えたのではないでしょうか」
時折、笑みを浮かべながら明るく話したが、当時の話になると涙があふれた。「多くの方に支えていただき、今でこそ笑って話せるようになりましたが、当時は怖かった。一番心配したのは、息子が殺されるんじゃないかということです。私はいい。でも、息子はきちんと守りたかった」。愛車を破壊されて数日後、今度はツイッターに「お前、毎週金曜日は18時から20時までは官邸前に行っているんだろう。その間、お前の息子1人だな、イヒヒヒ」と書き込まれたのだ。「母親の私の一番弱いところを陰湿に突いてくるやり口は許せない」と振り返る。
現在も警視庁による捜査は続いているが、犯人逮捕には至っていない。眠れぬ夜を幾晩、明かしただろう。車を目にしただけで吐き気に見舞われることもあった。それでも、事件を公にし、聴衆の前で話す決意をしたのには「同じような被害に遭っている人がいるんじゃないか」という思いがあったからだという。
「ここまでされて、それでもなお、皆さんは声をあげられますか?今回は、負けちゃいけないんだというメッセージを込めて発表しました。絶対に負けないぞと。私は脅しには屈しません」
昨年夏、愛車を破壊される嫌がらせを受けた千葉
麗子さん(中央)。ボンネットにはスプレーで「原発
推進」と殴り書きがされていた。「脅しには絶対に
屈しません」と力強く語った
=新宿区立区民ギャラリー
【運動を揶揄した「いろはカルタ」も】
会場では、海渡弁護士が「特筆すべき面白さがある」と語る、反原発活動を揶揄したいろはカルタも紹介されている。1993年夏に原子力資料情報室に贈られてきたというカルタは「いつまでもチェルノブイリじゃ人は飽き」「運動が取材されればただ嬉し」「生い立ちになぜかわけあり反原発」「誇張して怖がらせるのが僕らの手」などと、反原発運動を徹底的にこき下ろしている。「ものすごい時間と労力、費用がかかっているはずだ」と海渡弁護士。「言葉も巧みに使われており素人仕事ではないだろう。広告代理店に勤めているような人が、アルバイトで作ったのではないか。では費用は誰が負担したか。お金のある電力会社に違いない」と分析した。
「福島原発告訴団」などが、昨年9月以降に受けたサイバー攻撃も紹介。同告訴団には一晩で14万通もの「メール爆弾」が送り付けられ、活動に支障が出た。その後、全国で30を超す市民団体が同様の被害に遭っていることをスクープした朝日新聞社会部の須藤龍也記者は、トークで「日本で初めて市民団体が標的となったサイバー攻撃だ。1分間に最大で300通ものメールを送りつけるなど執拗な攻撃の意思が感じられる。『Tor(トーワ)システム』を使って発信元を短時間でドイツ・フランクフルトやアメリカ・ボストンに変えるなど、用意周到に綿密に準備されたものだろう」と話し、市民団体側の自衛を促した。
「原子力資料情報室」を設立した故・高木仁三郎
さんも嫌がらせを受けた1人。存命中に死亡をで
っち上げられたこともあった
【「ひるまず発言続けよう」と主催者】
「嫌がらせをする連中の狙いは、 反原発運動の内部をいがみ合わせて運動させなくすることです。実態を知ることによって、こういうものに動じないという我々の中での合意を作っていく必要があります」と主催した海渡弁護士。「萎縮してはいけません。ひるんではいけません。むしろ大らかに、どんどん発言していきましょう」と来場者に呼びかけた。
日本は民主主義社会だと、誰もが小学校で習う。日本には言論の自由、思想の自由があると。だが、原発政策に異を唱える人々は、常に嫌がらせの対象となってきた。運動に積極的に参加する人たちが、付きまとわれたり隠し撮りをされたり、自宅の電話番号を流布されたり、宅配の食品を大量注文されたりしてきた歴史が、会場には詰まっている。
さらに現代はネット社会。須藤記者も「サイバー攻撃は、技術さえあればかつての嫌がらせよりお金も手間もかからない。サイバー攻撃そのものがビジネスとなっている」と警鐘を鳴らす。
「福島原発告訴団」は昨年9月以降、一晩に14万
通ものメールを送りつけられるサイバー攻撃を受
けた
(了)
【都知事選2014】避難者支援や都内の土壌調査に取り組むと明言した宇都宮氏~脱原発だけじゃない
東京都知事選挙へいち早く立候補を表明していた前日弁連会長で弁護士の宇都宮健児氏(67)が14日夕、新宿区内で記者会見を開き、改めて細川護煕氏との「候補者一本化」を拒否。「脱原発」だけでなく「脱被曝」、さらに医療や福祉などについて公開の場での政策論争を呼びかけた。都知事選は23日に告示。2月9日投開票で実施される。都民が選択するのは細川氏か舛添要一氏か、はたまた宇都宮氏か。
【東京には福島から6600人が避難中】
挙手をする記者たちの口からは、示し合わせたように「細川氏との候補者一本化」に関する質問が相次いだ。宇都宮氏はいつも通りの穏やかな口調で、しかし時折、顔を紅潮させ、ぶぜんとした表情で答えて行く。私自身、このやり取りにうんざりしていた矢先、宇都宮氏が「『脱原発』だけが課題じゃない。いまだ7000人近い避難者が都内で生活しており、そういう方々ときちんと向き合っていかなければならないと考えています」と発言した。
福島県によると、ピーク時の6万2808人(2012年1月26日当時)より減ったものの、依然として4万8944人が福島県外に避難(2013年12月25日現在)。うち、約13.5%にあたる6598人が東京都を避難先としている。これは山形県の5870人、新潟県の4688人を上回り、全国一だ。とかく「脱原発」ばかりが注目されがちだが、被曝回避のための避難者受け入れ、そして東京自身の汚染・被曝への対応も重要な課題だ。この機を逃すまいと、私は2点、質問した。一つは受け入れている避難者支援を具体的にどう考えているか。二つ目は都内の汚染・被曝にはどう対応するか。
「例えば江東区の東雲住宅には多くの被災者が生活をしています。故郷に帰るに帰れないなか孤立死という事態まで起きている。原発事故による避難者の就労支援や生活再建。これにきちんと取り組んでいきたい」
「都内にも〝ホットスポット〟が存在し、お母さんたちが自主的に土壌調査などを行っているのは知っています。知事になったら、そういう調査を全面的に支援していきたい」
直接的な表現ではなかったものの、土壌調査にまで言及した点は評価できる。記者会見の話題は再び、「候補者一本化」に移っていた。
2011年10月、足立区内の小学校で約4μSv/hの
放射線量を計測。区は当該個所の表土を削り、学
校敷地内埋めた。東京にも放射性物質は飛来した
のだ。被曝は他人事ではない
【公開の場での政策論争を呼びかけ】
宇都宮氏が終始、強調したのは「『脱原発』だけが都政の課題ではない」という点。「候補者の一本化という話が選対にも届いているのは事実」としながらも、「知事選は都民の暮らし、幸せを守るための選挙なので、ワンイシューで行われるべきではない」と語った。さらに「政策論争がなされるべきで、いわゆる〝後出しジャンケン〟や〝人気投票〟であってはならない」と繰り返し、「水面下ではなく、公開の場で政策論争をしていきたい」と舛添、細川両候補に呼びかけた。
舛添氏に関しては、厚労相時代の言動を引合いに出し「庶民に冷たい政治家だ」と断じた。細川氏についても「総理大臣の時に原発政策を進めてきた人。橋下氏も脱原発を初めは口にしていた。果たして細川氏は貫けるのか」と疑問を投げかけた。そして「いずれにしても私の方が実行力はある」と胸を張った。
会見では特定秘密保護法にも触れ、「脱原発は良いが、そういう面は(他の候補は)どうするのか」と述べた。記者からは「原発都民投票」に関する質問も出たが「住民投票は都民の権利。大切にしていきたい」と答えるにとどまった。
緊急会見を開いた宇都宮氏(右)。細川氏との候
補者一本化は一貫して拒否した
=東京都新宿区四谷
(了)
デモ行進って意味がある? 東京で被曝?~〝平成生まれ〟が語る「デモ」「教育」「被曝」
JR中央線・高円寺駅近くのライヴハウスに5日、9人の〝平成生まれ〟が集った。デモ行進、原発事故、教育…。とかく「いまの若い者は」と否定的に見られがちな若者たちが、それぞれのテーマで率直に語り合った。題して「減らず口会議」。〝大人〟たちには耳の痛い、しかし鋭い指摘が次々と飛び出した。
【デモは少数派?課題は関心喚起だけど…】
一通り自己紹介が終わると、さっそく意見交換が始まった。
最初のテーマは「デモ」。
21歳の女性は「2012年夏の脱原発デモに何回か参加したけれど、私の世代が全然いない。いたとしても〝活動家の娘〟だったり…。友達も行かない」。男性は「TPP反対デモに参加したことがある。でも一方で、デモ行進をしてもしょうがねえなあと思ってしまう自分がいるのも正直なところ。その日の予定をキャンセルしてまでデモに参加はしないだろうし…。自分も含めて、同世代の意識をどうやって高めていったらいいのだろう」と語った。
韓国から都内の大学に留学している男性(20)は「『デモの無い世界が一番平和だ』と知人に言われたが、そんなユートピアのような社会はあり得ないと思う。デモは賛成。社会について関心を持っている証だから」と肯定的な意見を口にしたが、別の男性は「デモはTVの中でしか知らない。本当にやっているのかどうかさえ分からない。デモ行進はマイノリティの人々がやっているイメージがある。でも、そんなことをして本当に意味があるのかと思ってしまいます。今まで、デモ行進をして政府の決定が覆ったことがあるのかな…」と首をかしげた。
これに対し、別の男性は「デモ行進しなければ何も変わらない。そもそも、参加者がマイノリティになっている時点で、日本は終わっているんじゃないかな」と反論。しかし、誰もが「どうすれば無関心の人々の関心を高めることができるか」という壁に直面する。男性は「デモではなく、身近な人に地道に話をしていくのが近道なんじゃないか」とも。21歳の女性は「いかにもアナーキストであるようなプラカードを手にして街を歩いても、道行く人々は自分の事として考えてくれないんですよね。たとえば脱原発デモにしても、なぜ原発が危険か、というところまでたどり着いていないんじゃないかと思います」と苦悩を語った。
別の女性は「友人から『デモって信号止めるし大声あげるし、秩序を乱す迷惑行為だ』と言われてしまった」と明かした。「その友人に、歌って踊るデモもあるんだよと教えてあげたら『真面目にやれよ』と怒られた。AKBの曲を歌いながら歩くデモがあっても良いと思うんだけど」。「デモに参加すると、親からすぐ『左翼だ』と言われてしまう」と明かした女性も。別の参加者は「じゃあ、どうすれば良いのだろう…」とつぶやいたが、それは傍聴席の〝昭和世代〟にとっても答えの出ない課題だ。
〝平成生まれ〟9人がデモや教育、原発事故に
ついて語り合った「減らず口会議」。〝昭和生まれ〟
の大人たちは、若者たちの発言に賛同する際は
「いいね」の札を掲げた=東京都杉並区
【見えぬ被曝への危機感と戸惑い】
都内の大学に通う1年生女子(18)は「大学4年間のテーマを『放射能と内部被曝』にしたい」と話した。「正直なところ、中学校や高校に通っている頃はテニスに没頭する毎日。政治や社会にあまり関心が無かった。変わったのは3.11以降です」。
「原発事故当初、何も知らない私は雨の中、テニスをしてしまっていました。かなりの被曝をしただろう思います。以前からもっと勉強していればよかったと後悔しています」と振り返る。この女性が危機感を持つきっかけに、先輩の死があった。「千葉県内に住んでいた1学年上の先輩が、脳出血で突然死してしまったんです。もちろん、原発事故による被曝が原因かどうかは分かりません。でも、被曝は血管をもろくするというし、脳出血が増えているとのデータもあると読んだ。先輩の死を無駄にしたくないんです」
韓国人留学生は「僕の周りの留学生は、大学の食堂で福島産の食材が使われていると絶対に食べません。寿司も駄目という雰囲気があり、海産物もあまり口にしません。ただ僕自身、東京で暮らしていて、食べ物以外のことで放射能の危険性を感じたことはありません」。20歳の女子大生は「食べ物には注意しているけれど、正直、実感がない。放射能は目に見えないものだし、何と言って良いか分からないな」と戸惑いの表情で語った。別の男性も「被曝に関しては知識が無いし分からない。インターネット上には多くの情報が飛び交っているけれど、何が正しいのかさっぱり分からない。それなら考えても仕方ないので、福島産の食べ物も食べています」と苦笑交じりに話した。
参加者で最年少、高校1年生の男子はこう強調した。
「安全な場所なんて無いんじゃないか。東京にもすごく多くの放射性物質が降り注いでいると思うし、海への汚染は世界的にヤバいと思う。でも何とも言えないです。多くの日本人はそれに気づいていないし、ここで生きていかなければならない…」
「いかに無関心な人々をデモ行進や抗議行動に参
加させるか」は、活動を続けている人々につきまと
う課題であり苦悩だ(上はふくしま集団疎開裁判の
仙台アクション、下は特定秘密保護法成立に反対
する国会前抗議行動)
【日本の教育は文句言わぬ人間育ててる】
「会議」では、日本の教育についても意見が出た。
男性は「日本の教育は『文句を言わない人間』を育てている」と発言。女性は「日本史も世界史も戦争の話ばかり。人類はずっと争い続けてきたのかと何とも言えない気持ちになった」と話した。高校生男子は「特定秘密保護法が成立しても、学校の先生は何も触れなかった。しゃべってはいけないのだろうけれど…」と振り返った。女子大生は「もっと自分の意見を発信できるような国語教育にしたらどうか。答えは一つじゃない」と提案。一方、高校球児として甲子園出場を目指してきたという男性は「協調性は大事。批判ばかりしていても何も進まない」と話した。
終盤、鋭い指摘が20歳の女性から出た。
「今日は知識の披露の場にしかなっていないと思う。分かっている人、興味のある人だけで同じことを繰り返しているだけ。どうやって内輪じゃなくするかが問題だ。インターネットも興味のある人としかつながらない。『伝えたい』というのはこちら側の勝手な思いで『あなたを助けたい』になっていないんじゃないかな。次回をやるにしても、毎回同じメンバーで同じ話をしてもしょうがない」
これには、傍聴席からも多くの「いいね」が上がった。無関心層をいかに振り向かせるか。昭和、平成の世代を超えた課題。多くの参加者が「とても意味のある会だった」と話しただけに、内輪受けで終わらせたくないという思いは当然だ。
主催した女性は「〝平成生まれ〟がこんなことを考えているんだ、と少しでも分かってもらえたら良いと思う。ぜひ次も開催したい」と話した。ぜひ継続して開いて欲しい。「俺らの未来、俺らが一番考えなきゃいけないんだ」と男子高校生が話したように。
(了)
【0.3μSv/hは低い?】避難して初めて分かった、地元と県外とのギャップ~福島から兵庫へ
2人の子どもを連れて兵庫県に避難しているAさん(37)。わが子の外遊びや福島にとどまる友人との関係など、一時帰宅した福島市内の自宅で語ってもらった。明るくハキハキと話すAさんは、避難者に向けられる憐れみばかりの眼差しに戸惑いながらも、被曝や放射線量のとらえ方に福島県内外で大きく差があることに気付いたという。日ごとに強まる「放射能タブー」と行政の帰還政策…。自宅はようやく、除染が始まろうとしている。
【友人の前では出来ない「避難のすすめ」】
福島から県外に出ると、驚きの連続だった。
「ここ福島市では、0.2や0.3(μSv/h)は低い放射線量とのイメージになっている。でも、西日本でこの数値を口にするとものすごい反応が返ってきます。県外から見た福島と残っている人たちとのギャップは本当に大きいです」
福島市内の大手住宅会社に勤める夫の仕事は忙しくなる一方。支社の業績は全国2位という。土地を売り出せばすぐに買い手がつく。それは浜通りからの避難者であったり、県外の人であったり。決して汚染がなくなったわけではないのに空前の住宅建設ラッシュ。新居ではガーデニングを楽しみたい、と明るく話す購入者もいる。自宅にはほとんど寝に帰るだけのような日々を過ごす夫の話を聴くたびに、複雑な思いになるという。
避難せずに福島にとどまった友人から責められたこともあった。「あなたは外に出たから良いかも知れないけど…。残っている人の気持ちも考えてよ」。以来、避難を勧めるような発言は、絶対にしないように決めた。「福島では被曝の話なんて絶対に出来ませんよ。ムッとされてしまいます」。
震災がれきに対する見方も変わった。受け入れに反対する運動が全国で展開されているのをニュースで見たとき、当初はとてもショックを受け、傷ついたという。
「何で受け入れてくれないのだろう、と思いました。積極的に受け入れていた石原都知事(当時)が素晴らしいとも思った。でも保養プログラムに参加する中で、ようやく反対していた人たちの気持ちが分かりました。汚染地をこれ以上増やしてはいけない、福島の子どもを受け入れるための土地を汚してはいけないということだったんですね。でもこれは、福島を離れないと分からないことです。福島に残って生活していては、理解できないでしょうね」
しかし、一番の〝驚き〟は、何と言ってもわが子の外遊びだった。
「西日本では、外遊びが当たり前。砂遊びも普通にできます。普通のことが普通にできることに感動しました」
Aさんの自宅は年明けから宅地除染が始まる。
先日、放射線量の事前測定が行われた
【「屋外活動に戻す」コーチの言葉で決断】
「ラストチャンスだと思った」
Aさんが2人の子どもを連れて兵庫県内に避難したのは、2012年12月。福島県外へ避難しようとする人の民間借り上げ住宅の新規受け付けが、この年の12月28日をもって終了したからだ。
きっかけはいくつかあった。息子が所属していたフットサルチームは原発事故を機に室内で活動していたが、コーチが「年明け(2013年)から屋外に戻します」と言い出したのだ。しかし、異を唱える保護者は皆無。「屋外で運動させたくないから入ったのに、屋外でやるのでは参加させられない…」。サッカー好きの息子は、母親に激しく抗議したという。だが、福島市の汚染が決して軽くないことは、自宅駐車場の土を計測してもらったところ1kgあたり3万ベクレルだったことで分かっていた。
学校では、福島市で生産された米や野菜を給食に使うようになった。課外授業で地域の農家を訪れた際には、その場で皮ごと果物を食べたと帰宅した息子から聞かされ驚いた。「農家の方は『「福島の農産物はきちんと検査しているから日本一安全だ』と子どもたちに言ったそうです」。もはや限界だった。
「それまでは正直、避難までは考えていませんでした」と振り返る。北海道などいくつかの保養プログラムに子どもとともに参加してきたが、スタッフと意気投合できたとの理由で、兵庫県を選んだ。駅から徒歩3分のマンション。阪神大震災の被災者のために建設されたマンションが、築15年の時を経て福島県からの避難者を受け入れることになった。
Aさん宅周辺で行われた宅地除染。空にかかる虹
のように、子どもたちにとって良い住環境になって
欲しい…(写真はすべてAさん提供)
【つきまとう〝被災者像〟に戸惑いも】
常につきまとう〝被災者像〟に戸惑ったこともある。
「『福島から来た』と口にしただけで特別扱い。私たちはいつまで被災者なのかという思いもあります。リフレッシュしたくて県外に出たのに、やっぱり『福島』から逃れることもできないのか、と思ってしまうこともありますよ」。
行く先々で憐れみの言葉をかけられる。常に同情される存在。しかし実際には、夫と離れた二重生活でも、経済的に困窮しているわけではない。夫も避難には反対しなかった。「私も夫も宮城県出身。生まれも育ちも福島ではないから避難できているのかもしれません」。
福島市には7年ほど前、夫の転勤を機に移り住んだ。そろそろ異動かと話していた矢先の震災。人事はいったん白紙に戻された。
避難先の兵庫県では、市民団体の活動に参加。「子ども・被災者支援法」の具現化が遅々として進まない中、地元市議会への請願書提出にも携わった。一方で、同じように福島から避難してきた家族との出会いもあった。「反対を振り切るように出てきた人は、夫にも親にも頼れません。このままでは行き倒れてしまうのではないかという人もいる。そういう人たちこそ、支援を受けるべきなのです」。終始、明るく話すAさんは、時に〝被災者代表〟として話をするよう、避難先で求められることもある。そういうときは、人前で話すのは苦手な人、精神的に弱っている人の代弁をするよう心掛けているという。
冬休みを利用した一時帰宅に、避難先の人々は「え?福島に帰るの?」と驚かれたという。実際には自宅での滞在は数日だけ。あとは宮城県内の互いの実家を訪れる予定だ。
「こうやって帰ってくると、無関心さの広がりがよく分かります。それで良いのかな、と歯がゆい思いです」。正月が明けたら、原発事故から2年10カ月。
(了)
【これでいいのか郡山市議会】猛暑対策ならOK、被曝回避だとNO~遅きに失したエアコン賛成
郡山市議会が、教室へのエアコン設置を求めた請願を全会一致で採択した。これまでかたくなに反対してきた市議たちがあっさり賛成に回った背景には、4月の市長交代に加え、請願から「放射能」や「被曝」「空間線量」などの文言が外された〝裏事情〟があった。猛暑対策には反対せず、被曝回避には抵抗する議員たち。根性論まで持ち出してエアコン設置を拒み続けてきた市議会は結局、2年9カ月もの間、子どもたちに教室の窓を開けさせて被曝を強いてきた。遅きに失した請願採択を抗議を込めて紹介する。
【「放射能の文言無くありがたい」】
結果は「全会一致」だった。
郡山市議会12月定例会に提出された「郡山市立小中学校に対し、エアコン設置を求める請願書」。「福島県中小企業家同友会郡山支部女性部」と「公益社団法人郡山法人会女性部会」が5人の紹介議員を立てて提出。「二本松市内小中学校の各教室にエアコンが導入され、福島市、須賀川市でも各教室へのエアコン導入が検討されている」「郡山市内の子どもたちは猛暑の中、40℃近い教室で勉強している」として、公立小中学校へのエアコン設置を求めた。請願書には、1万6234人分の署名も添えられた。
請願書には「放射能」はもちろん、「被曝」「空間線量」「除染」の文字は無い。「請願趣旨」は、わずか8行。シンプルに「猛暑」での学習環境の改善という観点からエアコンの設置を求めている。
討論を傍聴した市民によれば、「放射能という文言がないのはありがたい」と露骨に賛意を示す市議もいたという。「熱中症の報告は無い」との意見も出たが、結局、請願は採択された。高濃度汚染をもたらした原発事故から実に2年9カ月目での悲願成就だった。
「子どもたちにとって、請願が採択されたことは本当に良かった。でも、悔しいという思いもある。方法論というか、正攻法では駄目なんですね。これが政治…」
そう語るのは、郡山市の市民団体「3a!郡山(安全・安心アクション! in 郡山)」代表の野口時子さんだ。
2012年6月、郡山市議会に提出された請願。「子
どもに我慢させることも教育」という鬼畜のような
意見の前に不採択となった
【「我慢させるのも教育」と一蹴された昨夏】
公立学校へのエアコン設置を求める請願は原発事故以降、様々な団体が郡山市議会に提出してきた。被曝を避けるために教室の窓を閉めたいが、それでは真夏の教室内は40℃どころか50℃近い温度になってしまう。そういった非常事態下で湧き上がった声だった。
野口さん達も2012年6月19日、3人の市議を紹介議員として「小学校そして中学校へのエアコン設置を求める請願書」を提出。「一部の学校では昨年(2011年)冬頃から再び(空間線量が)上昇する傾向にある」「教室の窓を開放しての学校生活は、外部・内部被ばくを防止する見地から回避すべき」「昨年の夏は扇風機や葭簀(よしず)などを用いて暑さ対策を行ってたが、そもそも教室の窓を開放出来ない限り、その効果は限定的」として、郡山市内の小中学校の教室にエアコンを設置し、その費用弁償を東京電力に要求するよう求めた。
しかし、市議らの反応は冷ややかだった。
ある男性市議は「中心市街地の4校、いずれも300人以上の大規模校で現在、いずれの学校も暑くなればすべての戸をあけて授業を行っている。このことに対して、保護者からの苦情や申し立ての件数はゼロ」「保護者からエアコン設置を求めるという話は1件も上がってきていない」「エアコンを設置して欲しいという需要が私には感じられません」と請願を退けた。
別の男性市議も「扇風機とよしずで暑さ対策を図っていて、教室内の温度も2、3℃下げることができている」と請願に反対。さらに別の男性市議に至っては「要求だけに答えるのが愛情ではない、我慢をさせるのも教育の一環だ」「郡山の子どもたちの将来を考えた場合に、与えるだけ与えてはいけない。しっかりとした環境を整えれば、エアコンの設置はしなくてもいいのではないか」と否定的な意見を展開。結局、請願は賛成少数で不採択となった。
「3a!」代表の野口さん。「放射能」の文言が消え
た途端に請願が採択されたことに対し「悔しい。こ
れが政治か」と語った
【市議会は被曝回避より思惑】
野口さん自身が振り返るように、これまでの手法に対する批判もある。ある母親は「『放射能』や『被曝』の文言を外せばすんなり通ることは分かっていた。それならばなぜ、早い段階で今回のような請願を出せなかったのか。結局、そこにこだわるあまりに時間だけが過ぎてしまったではないか。それで子どもを守っていると言えるのか」と厳しく話す。
「早い段階で文言を変えたとしても否決されていた可能性は高いです」
請願に賛成してきた滝田春奈市議は、そう語る。
「当時の最大会派は、原正夫市長とベッタリ。市の方針が『扇風機と葭簀(よしず)』で固まっていたので、それに反するものには賛成しないのです。郡山市議会はそうやって動いています。党議拘束がきつい」
反対議員の翻意を促すのは議員の仕事、と自身も「再び大きな災害が起きて、夏場に学校が避難所になることもある」などと別の角度から賛成意見を述べたこともある。しかし、結果として変化をもたらしたのは市長の交代と地域の支持者らの声だったという。
「孫に怒られた、という議員もいます。『じいちゃん、あの教室で勉強してみな。議場には冷房は入っていないのかい?』と。そう言われてハッとしたそうです」
駒崎ゆき子市議も、被曝回避のためのエアコン設置を求めてきた1人。「本来は、どのような団体が提出したかではなく、請願の内容で賛否は話し合われるべきです。しかし、これまで請願を出してきたのは、いわば野党側の団体。しかし今回は地元経済界の婦人部という、与党側の人たちです。郡山市議会は、請願に対してはそういう意識が強い」と明かす。
「そもそも、被曝回避のためのエアコン設置が反対されると想定していなかった。非常事態なんですから」。蛇石郁子市議はこれまでの議論を振り返る。
「この街で子どもたちが根本的に守られているかと言えば疑問です。今回の請願には署名が添えられた。署名には少なからず各議員の支持者も加わっているわけで、再び反対すると支持者から『何で反対なんだ』と非難されてしまう。それが市議会の現実です。市民の常識が市議会の非常識であることもあるんです」
3人とも、異口同音に「あまりに遅い」と語った。子どもの被曝回避など念頭にない市議会での議論。今回の請願採択を「出来レース」と指摘する声もある。既に郡山市は国からの数十億の予算が確保できていて、市議らも反対する理由がないというのだ。
思惑で動くばかりの議員たちに、母親の言葉を突き付けたい。
「エアコン設置にこれだけ年月がかかったせいで、子どもたちの被曝は防げなかった」
(了)
【全国初の官民一体型避難受け入れ】ふくしま集団疎開裁判を経て「まつもと子ども留学」へ
安全な学習環境を求めて提訴した「ふくしま集団疎開裁判」が仙台高裁で却下されたのが今年4月。その後も支援団体は都心で街頭活動を行うなど地道な訴えを続けているが、「裁判だけを続けていても子どもたちを救えない」と、長野県松本市で官民一体となった避難受け入れ体制がスタートした。両者に共通するのは「一刻も早く子どもたちを福島県外へ」の願い。関係者は「今からでも遅くない」と避難を呼びかけている。
【ジレンマ抱えながら、それでも訴え続ける】
「福島の子どもたちを国の責任で逃がしましょう」
東京・銀座の数寄屋橋交差点。「ふくしま集団疎開裁判の会」ボランティアスタッフたちが、今でも福島県の汚染は解消されていないこと、一刻も早く子どもたちを逃がすべきだと道行く人々に訴えた。
クリスマスソングが流れる。恋人たちが手をつないで通り過ぎて行く。三連休初日の土曜日とあってJR有楽町周辺は多くの人出でにぎわったが、ビラを受け取らない人も多い。
「司法に訴えたって1人も救えていないじゃないか、と言われるとつらい」
男性の一人は言った。「ふくしま集団疎開裁判」は2011年6月、福島県郡山市の小中学生14人が原告となり、郡山市を相手取って安全な学習環境を求めて仮処分申請を申し立てた。
福島地裁郡山支部は同年12月、申し立てを却下。地裁は被曝の存在などについてほとんど正面から取り上げることはなかった。原告らは仙台高裁に上告。しかし、高裁も今年4月24日、申し立てを却下した。決定文の中で、裁判長は「低線量の放射線に間断なく晒されているものと認められる」「その生命・身体・健康に対する被害の発生が危惧される」としながらも、最終的には行政による避難の求めは却下した。
先の男性は「この裁判は、子どもたちを安全な線量の場所へとりあえず避難させてくれという訴えなんです」とマイクを握った。別の女性は「なぜ経済大国ニッポンに、子どもたちを避難させることができないのか」と強い口調で訴えた。「私たち関東の人間こそ、福島の子どもたちを逃がすべきでなんです。原発の電力という恩恵だけを受けて、被曝は福島に押し付けると言うことで良いのでしょうか」と行き交う人々に呼びかけた。通りでは再び、ジングルベルが流れ始めていた。
東京・銀座の数寄屋橋交差点で行われた年内最
後のアピール。「今も年間1mSvを超す場所で子
どもたちは生活している」と訴えた
=東京都中央区
【「自由意思で逃げられる社会に」と母親】
ビラ配りをしていた1人、36歳の女性は福島県白河市内の施設にわが子を残し単身、都内に避難してきた。8歳と10歳の子どもは障害を抱え、一緒に避難するのは難しい。でも、自身の被曝は避けたい。夫もいわき市内の職場を離れることができない…。苦渋の選択だった。数寄屋橋交差点でのアクションには今回、初めて参加した。反応無く通り過ぎる人々に、自然と声も小さくなる。慣れないビラ配りだが、一生懸命に配った。
「母親として、何も働きかけないのはおかしいと思ったんです。うちの子と同じ施設を利用しているお母さんやお父さんたちも、安全な場所に疎開させたいと思っているはずです」
白河市は「政府の指示による避難」の対象地域ではない。2011年冬から始まった“自主避難”も、早3年目。その間、福島では避難が加速するどころか行政は大々的な「帰還キャンペーン」を展開し、福島県外への避難者が年々減っているとの報道ばかりが目立つ。
「国はもう福島は安全であるようなことを言っているけれど、果たしてそうでしょうか。福島の子どもたちには将来も未来もあります。住み慣れた土地を離れるのは嫌かも知れません。でも逃げたいという気持ちがあるのなら、自由意思で逃げられるようにする必要があると思うのです」
女性は「自由意思」という言葉に力を込めて話した。そして再び、ビラ配りに戻って行った。
クリスマスムード高まり銀座・数寄屋橋交差点。
多くの人が通り過ぎて行った。都心では福島原発
や被曝への関心は無くなってしまったのか
【「福島の子どもを守るのは国民の義務だ」】
その「自由意思」を受け止める環境づくりに取り組んでいるのが、長野県松本市のNPO法人「まつもと子ども留学基金」(植木宏理事長)だ。集団疎開裁判弁護団の1人、柳原敏夫弁護士も理事に加わった。松本市の全面協力を得て、小学校3年生から中学校3年生までの子どもを対象に、ひとまず10人の受け入れるべく準備を進めている。
「4月から準備を進めてきました。NPO法人と行政が一体となり、被曝回避のために福島の子どもたちを受け入れようとするのは、全国初の試みです。これを『松本モデル』として定着させ、全国に広めていきたいですね」と植木さん。自身、郡山市の出身。原発事故直後から妻子を松本市に避難させ、現在は家族全員で同市内で生活している。「僕がこちらに来たのは、受け入れ態勢を整えるためです」。
受け入れた子どもたちは市内で寮生活を送り、小学生は四賀小学校(生徒数160人)へ、中学生は会田中学校(同120人)へ通う。寮費は月3万円。教員免許を持つ男性と、福島県内で養護教諭として勤める女性が専従スタッフとなることが決まっている。
松本市の菅谷(すげのや)昭市長は17日に開かれた定例会見で、被曝回避のための避難受け入れを正式表明。「まさに国難。日本の子どもたちを、特に福島関連の子どもたちを皆で命を守ってあげるということは、国民の義務であり、大人の義務なんです」とし、「それぞれ皆さんお考えがありますから、こちらから強引にではなくて向こうからそういう気持ちがあれば、それを僕らがお受けするということ。(福島の)お母さん、お父さんたちが安心して子どもを預けられるという、そういう体制をきちんとしていきたい」と語った。
原発事故から2年9月が経過したが、植木さんは「避難に〝今さら〟はありません」と強調する。「避難しづらい状況もあるでしょう。しかし、福島で被曝をし続けるのは肉体的にも精神的にも悪影響を及ぼします。ぜひお子さんだけでも、留学という形で松本市に避難させてほしい」と語る。
※NPO法人「まつもと子ども留学基金」のホームページはhttp://www.kodomoryugaku-matsumoto.net/
(了)
【33カ月目の福島はいま】除染始まったが未だ仮置き場無し~汚染状態続く西郷村や天栄村
福島第一原発の爆発事故による放射性物質の拡散は、浜通りの20-30km圏内にとどまらず、60km離れた中通りにも及んでいる。そして、それは100kmもの距離がある西郷村にも。14日、同村や天栄村など今冬最初の積雪となった県南地域を回った。住民が「下手したらいわき市より高い」と言う通り、依然として0.3μSv/hを超す個所が点在している。西郷村では宅地除染が始まっているが、仮置き場への搬入は遅れていた。原発から100kmの村の、これが現実だ
【ようやく0.3μSv/hの天栄村】
一面の銀世界となった天栄村の天栄中学校。校庭の片隅に、白い雪で一層目立つ青いフレコンバッグが積み上げられていた。ようやく始まった学校内の除染。しかし、汚染物は子どもたちの生活圏外に運び出されることなく、サッカーのゴールポストからほど近い場所に保管されている。中学生と汚染物との〝同居〟だ。
須賀川除染組合の男性作業員は言う。
「私の担当は中学校ではなく宅地と道路ですが、除染する前の放射線量はせいぜい0.5μSv/hくらいで、そんなに高くはないですよ。それに、やれば下がりますから」
0.5μSv/hを「そんなに高くはない」と言う除染作業員。しかし、原発事故直後から1.0μSv/hを超すような数値であっても除染も避難勧告も行われてこなかった。春になれば丸3年。放射線量がもっと高かった頃、この地域では子どもたちの被曝回避がなされてこなかったことは忘れられている。
0.298μSv/h。
除染が行われていても、積雪による放射線の遮蔽効果があっても、校内に設置されたモニタリングポストの数値は決して低くは無い。通学路では、手元の線量計は0.35μSv/hに達した。単純換算で、年間の被曝線量が2mSvを超すレベル。だが、ここでは被曝や汚染について語られることは、ほとんど無い。
これが、天栄村の中学生が強いられている環境の現実なのである。
ようやく除染作業が始まった天栄中学校。しかし、
校内のモニタリングポストは依然として0.298μSv/h。
校門前の歩道では、手元の線量計は0.3μSv/h
を超した=岩瀬郡天栄村白子
【完成遅れる西郷村の仮置き場】
福島第一原発から100km近く離れた西郷村。宅地除染が本格化し、国道289号線(甲子道路)を会津方面に進むと、至る所で宅地除染が行われている。
除染で生じた汚染物は、村内の国有地・芝原牧場が提供した20ヘクタールの土地を仮置き場として活用し、搬入するはずだった。仮置き場は早ければ夏、遅くても9月末には完成する計画だったが、今も汚染物は生活圏から動かせていない。自力で除染を行った「白河めぐみ園」(知的障害児入所施設)でも、敷地内に積み上げられた汚染物はブルーシートに覆われたまま。「仮置き場に動かせる目途は全くたっていません」と、女性職員も苦笑する。集会所の敷地内に真っ黒いシートで覆われた汚染物もそのまま。近所の酒店店主は「仮置き場が遅れてるから運び出せない。この辺りは下手したら浜通りよりも放射線量が高いけど、まだ除染の順番はまわって来ない」と話す。
工事関係者が明かす。「台風などの悪天候で工期は大幅に遅れています。ようやく遮水シートを敷けた段階で、その上にさらに土を敷き詰めて固めないと使えません」
通行証を確認するゲートを、次々とダンプカーが通って行く。ここからさらに数km、車でも10分ほどかかる場所に、仮置き場の建設地がある。完成するまでの間は、学校などの除染汚染物は村内の別の場所に仮仮置きされている。
郡山市の自宅から毎日通っているという男性警備員は「私の仕事も10月で終わる予定でしたが、延びました」と笑った。真冬を迎え、男性には除雪という新たな仕事が加わった。彼がここの仕事を離れる時、雪は解けているだろうか。
国道4号と東北自動車道が交差する付近の広場では、手元の線量計は0.4-0.7μSv/hを計測した。この広場も当然、除染対象になっているが、搬入先がない。そして村内では今日も、除染作業が行われる。
(上)「白河めぐみ園」の汚染物は、いまだに生活圏
から運び出せないまま3度目の冬を迎えた
=西白河郡西郷村大字小田倉字上上野原
(中)西郷村が建設中の仮置き場は悪天候などで完
成が遅れている。搬入は来年3月になりそうという
(下)村内には、持って行き場の無い除染汚染物が
至る所に一時保管されている
【県境でとどまらない放射性物質の拡散】
当然のことだが、放射性物質は20-30km圏内でとどまることはない。そして、県境を超えて周辺県へ拡散されたことも、ずっと言われ続けてきた。実際、西郷村と栃木県那須町の境に車を走らせてもらうと、0.3μSv/hに達した。
水郡線走る棚倉町。原発から72km離れた赤舘公園(城跡)のモニタリングポストは、0.23μSv/hを示していた。単純換算で、年1.6mSVに達するレベル。冬の間は閉鎖されているが、これまで汚染を理由に立ち入りが禁じられることなく、花見などに利用されている。ここから塙町、矢祭町を抜ければ茨城県だ。
西側に戻り、泉崎村へ。東北道を越えた太田川公民館では、モニタリングポストの数値は0.19-0.20μSv/h。近所の飼い犬が吠えているのを、庭先のおばあさんが笑顔でたしなめる。原発から73kmの長閑な村にも、放射性物質は降り注いだ。
(上)西郷村では、至る所で車道の脇に汚染物が
一時保管されている
(中)棚倉町・赤舘公園のモニタリングポスト。
0.230μSv/h
(下)泉崎村・太田川公民館のモニタリングポスト。
0.207μSv/h
(了)
【特定秘密保護法】「左翼でも革マル派でもありませんが反対です」~国会周辺に駆け付けた女性たち
7日夜、特定秘密保護法案の成立を阻止しようと国会議事堂周辺には多くの人々が駆け付け、思い思いに法案反対の声をあげた。革マル派、市民団体だけでなく、一般の、特に若い女性の姿が目立った。仕事帰りのサラリーマンやOLはなぜ、永田町に足を運んだのか?「法案に反対して国会周辺に駆け付けたのは一部の左翼団体」と決めつけている人たちに特に読んで欲しい、デモ参加者の声をまとめた。
【手作りのプラカード手に駆け付けた女性たち】
地下鉄半蔵門線・永田町駅の出口付近から丸ノ内線・国会議事堂前駅付近まで。国会議事堂裏手の歩道も多くの人々であふれかえっていた。車道から警察官がにらみを効かせる中、まるでイベント会場の警備員のように、市民団体メンバーらが車道に出ないよう呼びかける。私は正直、革マル派のような団体や、日頃から国会デモに参加しているような人々ばかりだと高をくくっていた。だが、すぐにそれが浅薄な先入観であったことを知る。
30代の女性は、音符やハートマークをあしらった「民の声を聞け!」を掲げながら、シュプレヒコールを繰り返した。20代の女性は、真っ赤な文字で「秘密保護法 反対」と殴り書きした紙を頭上に掲げていた。「ここに来るのに抵抗はありませんでした。ニュースで16歳の子が反対の声をあげているのを見たんです。それでいてもたってもいられなくなって…」
話を聴いている間にも、歩道には次々と人が押し寄せてくる。中には若いカップルもいた。歩道の端に陣取った革マル派の群れだけが、一昔前のスタイルを継承していた。
過激派でも左翼活動家でもない。和服姿から女子
高生まで、多くの若い女性が国会前に駆け付けた
=東京都千代田区永田町
【活動家だけが反対しているのではない】
東京都杉並区に住む女性は、歌手活動を通してメッセージを発信している21歳。「他人事じゃないです。自分の問題だと思いました。国会審議を黙って見ているわけにはいきません」と話した。
おじさんたちに囲まれながら、小柄な体で反対の声をあげた。「ここに来るのに抵抗なんて全くありませんでしたよ。こういう事態ですし。私のような普通の女の子もこうしてデモに来ている。一部の活動家だけが反対しているわけではありません」。
30代の女性は、赤色で大きくバツ印を書いたマスクをしていた。「右翼とか左翼とか、そういう問題ではなと思います。単純に怖いんです。どんどんきな臭くなっていく世の中が」。デモに参加するのは初めてではないが、「少しだけ関心が強いだけ。活動家ではありませんから」と苦笑した。
民衆の群れには、山本太郎参院議員の母親、乃布子さん(68)の姿もあった。その隣で一緒に声をあげていた女性は、静岡県から駆け付けていた。日頃、浜岡原発の廃炉を訴え、議事録を隅々まで読み込んで国や行政の動向をウォッチしているだけに、法案の成立には強い危機感を抱いている。
「今でさえ、既に情報の隠し方は巧妙になっています。これが成立してしまったら、モロに影響をうけることになるでしょう。ヤバいですよ」と表情を曇らせた。
さまざまなオリジナルのプラカードが掲げられた
国会前
【無関心は最大の罪】
午後11時半。「哀しいお知らせがあります」とマイクを持った男性が台の上から法案成立を告げると、やや少なくなった群衆から「ふざけるな」「恥を知れ」「採決は無効」などの怒号が飛び交った。反対のコールに加え、野党議員や与党議員の“造反”を後押しするコールも繰り返したが、及ばなかった。騒乱を防ごうと車道では警官隊が増強されたが、混乱はなかった。
アジテーションや太鼓の音が盛り上がるなか、終始、離れた場所から抗議行動を見つめる女性がいた。埼玉県から来たという30代。時折、大音量で伝わってくる声に首をかしげながら、それでも採決までその場を離れなかった。
「不謹慎かもしれないけど、今日は面白かった」と話して帰宅した女性。政治参加は、そういう思いがきっかけでも良いのかもしれない。「初めて来ました。ちょっと怖いけど、黙っていられません」という仕事帰りのOLもいた。スーツ姿の若いサラリーマンも、アジテーションに合わせて声を上げた。
報道によれば、安倍総理はデモ隊が去った朝を「嵐が去った」と表現したという。無関心は最大の罪だ。“一過性の嵐”に終わらせないためにも。
多くの民衆であふれかえった。参議院で法案が
採決されると、警官隊はさらに増強された
=2013.12.6、23:20すぎ
(了)

