僕は放射能のせいで転校させられた~伊達市の小学生が語る「被曝」と「別れ」 | 民の声新聞

僕は放射能のせいで転校させられた~伊達市の小学生が語る「被曝」と「別れ」

まだ9歳の少年は「放射能のせいだ」と下を向いた。高線量で知られる伊達市立小国小学校から苦渋の転校。涙をこらえた別れに、原発事故さえなければ、と悔しさが募る。8日から始まる新しい小学校生活を前に、少年が胸の内を語ってくれた。原発事故で、多くの子どもたちが被曝の危険にさらされ、不本意な別れを強いられてる現状を知って欲しい。


【上を向いて涙をこらえた別れのあいさつ】

慣れ親しんだ小国小学校の教室。黒板の前に立った少年(9)の頭は真っ白になってしまった。

「どうしよう。言葉が出てこない」

前日、担任の女性教諭から「明日、みんなの前でお別れのあいさつできるかい?」と尋ねられてから、何を言おうかいろいろと考えた。朝食を食べ終えてから、お母さんにも相談してみたんだ。だから大丈夫なはずだったんだけどな。困ったな…。

考えれば考えるほど、言葉が出てこない。鼻の奥がツンとしてきた。あふれてくるのは言葉ではなく涙。

「駄目だ。ここで僕が泣いてしまったら、みんなも悲しい気持ちになっちゃう。明るくバイバイしなきゃ」

そうだ、上を向こう。上を向けば涙はこぼれない。

必死にこらえながら、前日から考えていた別れの言葉を、クラスメートに伝えた。

「3年間ありがとう」

「残り少ないけれど、仲良くしようね」

それだけ言うのが精一杯だった。気付いたら、クラスメートも上を向いていた。誰もが幼い胸に抱いた怒りと疑問。「なぜ、僕たちは離れ離れにならなければいけないのだろう。原発事故さえなければ…」。

転校前の〝大役〟を終えた少年は、帰宅すると母親に告げた。

「お母さん、やっと言えたよ。僕、泣きそうで、どう言って良いのか分からなくなっちゃって時間がかかっちゃった」

母親は「よく頑張ったね」とだけ言うと、それ以上、何も言わなかった。いや、言えなかったのかもしれない。本当にこれで良かったのか。いまだに胸が痛む。
民の声新聞-転校①
民の声新聞-転校②
担任教諭をはじめ、クラスメートからは惜別のメッ

セージカードが1人1人の写真とともに寄せられた。

これからも大切な友達だ


【小国小の先生たちが被曝回避に努めてくれたら…】

母親にとっては苦渋の決断だった。

「小国小学校の先生たちが子どもたちの被曝回避に努めてくれれば、転校なんかさせなかったかもしれない」

実際、6歳と5歳の姉弟は、霊山町の幼稚園に通わせ続けた。駐車場で1.0μSVを超すなど放射線量の高さは心配だったが、それ以上に保育士たちが子どもたちのためにあらゆる手段を講じてくれたことがうれしかった。外遊び後は洋服を着替える、ブラッシングで身体に付着した放射性物質を落とした。遊具も業者に依頼して磨いた。小国小学校にはない、目に見える形での努力がそこにはあった。保護者の気持ちに沿ってくれるのが、本当にうれしかった。

「子どもなりにコミュニティはありますから、できれば引き離したくない。だからなおさら、小国小学校の先生たちには子どもたちのために頑張って欲しかったです」

本来なら、原発事故直後に県外避難を考えていた。だが、まだ7歳を過ぎたばかりの少年は、下小国地区から離れることを大泣きして嫌がった。そうしている間にも、自宅周辺や小国小学校の高濃度汚染が日に日に明らかになっていく。とにかく少しでも線量の低い場所にと、伊達市内の西部地区に避難。市の用意したタクシーで通学する日々が始まった。

「でも、この子が3年生になった頃から、自分でおかしいなと思うことを口にするようになったんです。『学校の辺りの砂を使って砂鉄の勉強をさせてはいけないよね』とか『低学年の子が雪に寝っころがっていたけど大丈夫なのかなぁ』とか。幼いながらも、自分の置かれている状況を理解してきたんだと思います」

持久走の練習は、母親の意向で休ませた。しかし、学校側は昇降口に少年を立たせて見学させた。少年の頭は混乱した。「放射能を浴びないために休んでいるのに、昇降口で見学していたら意味が無いじゃないか」。

お母さんが僕のためにしてくれていることを、学校の先生たちは全然やっていない。少年の胸の内の疑問符は大きくなるばかり。この機を逃すまいと転校を切り出した母親に、少年は泣くことも拒むこともしなかった。
民の声新聞-通学支援
避難先から伊達市の用意したタクシーで小国小

学校へ通い続けた少年。8日からは徒歩で20分

かけて新しい小学校に通う


【転校なんかしたくない】

「本当は、転校なんかしたくないんだ」

少年はポツリと言った。

新学期が近づくにつれて、緊張が増す。クラスメートとうまく話せるだろうか。早く仲良くなってみんなと遊びたい。「あーあ」と母親の前でため息をつくことも珍しくない。

母親は母親で、転校が実現しても安心することはできない。避難先は下小国地区との比較では放射線量は低いが、それでもまだまだ安心できる数値ではない。最寄駅前のモニタリングポストは、依然として0.3-0.4μSVを表示し続けている。

それに学校給食。伊達市は今月から、学校給食に市内産の米を使用する方針を決めている。親子にも押し寄せた「地産地消」の波。母親は、御飯と牛乳は自宅から持参させることにした。おかずだけは給食で出されるものを食べさせる。「子どもの社会は、皆と同じことをしていないと仲間外れにされてしまう面があるから難しい」。今後も食材の安全性について、行政を質して行くつもりだ。

「転校することになって腹が立たないかって?腹は立つよ。当たり前じゃん。放射能にね。放射能を作った人も馬鹿だね」

あまり多くを語らない少年が、唯一口にした怒り。「福島は除染なんかちっとも進んでいないのに、除染が進んでいると言っている馬鹿がいる」とも。まだ10歳にも達しない幼い子どもに被曝や別れを強いているのは、命よりカネを優先させている大人たちだ。これ以上、子どもたちに涙を流させてはいけない。


(了)