民の声新聞 -26ページ目

国と東電に刑事罰を~1324人が福島地検に刑事告訴

福島原発事故から1年以上経っても被曝被害の刑事責任を問われないのは社会的に許されないとして、福島県民1324人が11日、国や東電役員らを業務上過失致傷罪に問うべく、福島地方検察庁に告訴状を提出した。現在進行形の被曝被害。子どもたちの被曝回避や避難支援もままならないまま、誰一人として刑事責任をとらないままに原発再稼働までが実行されようとしている現状に、ヒバクシャ・福島県民

らが〝待った〟をかけた


【検察官を突き動かすのは世論】

福島地検に告訴状を提出したのは、三春町の武藤類子さん(58)ら1324人。

被告訴人は、経産省安全保安院の寺坂信昭院長、原子力安全委員会の斑目春樹委員長、原子力委員会の近藤駿介委員長、文科省の板東久美子前生涯学習政策局長、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの山下俊一福島県立医科大学副学長、東京電力の勝俣恒久取締役会長や清水正孝前取締役社長ら、計33人。

耐震設計指針改定の際に具体的な津波対策を講じなかったとして業務上過失致傷罪(刑法211条)、SPEEDIを公表せず子どもたちの避難基準を年20mSVに改悪、安全宣言を繰り返して住民を避難させなかったとして、やはり同罪の適用を求めた。東電役員らに対しては、さらに「人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律」(公害罪)第3乗第2項を、法人としての東京電力株式会社にも公害罪を適用するよう求めている。

この日は告訴人のうち、約200人が訴状提出に参加。横断幕を掲げながら、福島市市民会館(同市霞町)から福島地方検察庁(同市狐塚)までをデモ行進。武藤さんや河合弘之弁護士(68)ら5人が代表して刑事捜査課の統括捜査官らに告訴状を手渡した。告訴団側は、今月中にも告訴人から寄せられた委任状や陳述書を提出する構え。捜査官らは「内容を審査して受理するか否かを決める」とし、告訴状の預かり証を交付した。河合弁護士は「正式に受理され捜査が始まるまでには最低、一年はかかるだろう。長い闘いになる」と見通しを語った。

告訴団は3月16日に結成。約3カ月間で1300人を超える賛同者を集めた。告訴団長の武藤さんは「どれだけの人が参加してくれるか心配だった。福島県民は黙っていないぞという、1300人以上の想いを無駄にしてはならない。原発事故の責任の所在を明らかにしないで、本当の福島復興はありません」と話した。

河合弁護士は「刑事責任追及を求める世論が一番重要。検察は世論を注視しながら捜査を進めるもの。告訴人がもっと増えれば、検察官を立件・起訴に突き動かす最大の力となる」として、賛同者を増やすよう呼びかけた。
民の声新聞-告訴団①
福島地検に向けて行進した告訴人たち。

約200人が訴状提出に同行した

=福島市霞町


【再稼働を論じるのは被曝の責任をとってからだ】

浪江町に生まれ育った男性(58)は「誰も責任をとっていないなんて許せない」と告訴人に加わった。

元大工。自宅も自ら建てた。巨大地震にも倒壊することなく耐えたが、翌12日に避難のため家を出て以来、一時帰宅で数回帰っただけになってしまった。しばらく横浜市内に避難していたが、現在は伊達市内の民間借り上げ住宅で母親と避難生活を送っている。

「野田首相や佐藤県知事、東電の幹部には『家の鍵を預けるから自由に使ってくれ』と言ってやりたい。町民は誰も、いずれ浪江町に帰って暮らせるなんて思っていないよ。線量計を持って一時帰宅すると、自宅周辺で軽く10μSVを超えるんだから。どうして嘘をつくのか。正直に汚染状況を話して責任をとってほしい」

自宅は雨漏りやネズミなどの糞ですっかり荒れ果てているという。「亡くなった父親の墓が町内にあるが、遺骨を移すのも簡単ではなく、どうしたものか悩んでいる。こうやって苦しんでいるのに、その責任もとらないまま大飯原発を動かそうとしているなんて、本当に許せないよ。とんでもないよ」と語気を強めた。

郡山市の男性は、孫の内部被曝を心配する日々。「生産者の苦しみは理解しているつもりだが、幼い孫がいるとつい、食べ物の産地に目が行ってしまう。原発事故がなければこんな思いをすることもなかった」と苦悩を吐露した。いわき市の主婦は事故直後、一カ月ほど新潟県に自主避難したが、夫の仕事の都合もあり、いわき市に戻った。「子どものことを考えると、福島に帰るのは怖くて仕方なかった。これは、原発事故という名の犯罪。責任を明確にしてほしい」と涙で言葉を詰まらせた。

「告訴状の提出日を今日にしたのは、やはり3.11を意識したからです」。団長という重責を引き受けた武藤類子さんにとって、この3カ月間は告訴人集めに奔走し続けた日々だった。当初、1000人を目標に県内各地を回ったが、300人以上も上回る賛同者が集まった。原発事故を機に避難と残留など不毛な対立が生じてしまったとして心を痛めてきた。

「今日は、私たちの行動を後押しするような晴れになった。刑事告発は、将来の子どもたちに対して責任を果たすだけでなく、バラバラにされてしまった福島県民の心を一つにつなぐきっかけにもなったらうれしい」と話した。
民の声新聞-告訴団④
会津若松市の男性は、被曝からわが子を守

ろうと必死に動いてきた。「このままうやむや

になってしまうのは絶対に許せない」

=福島市市民会館


【原子力村の常識は一般市民の非常識】

弁護団の一人、保田行雄弁護士(61)は「避難区域の策定や損害賠償といい原発再稼働といい、福島県民の意思が無視されたまま事態が動いている。経産省の原子力安全保安院は、薬害エイズ問題の沖の厚生省薬務局と同じ。専門家と呼ばれる人たちにしても薬害エイズ同様、いかにいい加減かは明白だ。山下俊一氏らに健康調査を行う資格はない。さっさと福島から去ってもらいたい」と糾弾した。

河合弁護士も「被曝を傷害と位置付けられるか、法律上の論点になることは承知の上。自殺なさった方々にしても、原発事故がなければ命を絶つことはなかったわけで、原発事故との因果関係は明らかだ。当時の国や東電の幹部らは、十分に刑事処分に値する」と述べた。

さらに「オリンパスの粉飾決算問題を見てください。あれよりも何万倍も大きな事件なのに、メンバーチェンジがない。東電の役員は、誰一人として刑事責任も財産的責任も問われていない。個人責任を追及せずして真の制度改革はないのです。彼らは厚顔無恥としか言いようがない。原子力村は常識では計り知れない。原子力村の常識はわれわれの非常識ですから」と、刑事責任を問われないまま関連会社に天下りしようとしている清水前社長らを批判。「野田首相は『国民の生活を守るため』と原発再稼働を決めたが、それならまず原発を止めることだ。後世にツケを残したくないのなら、原発を止めよ。まず脱原発を成し遂げてから、消費増税の議論をするべきだ。再び原発事故が起きてしまったら、日本の未来はありません」と語り「これだけの人数の福島県民が、地元福島で刑事告訴をしたことに意味がある。告訴人として立ち上がった誇りと自信を持って、さらに告訴人を増やしてほしい」と呼びかけた。

原発事故から15カ月。

ようやく直接の被害者たちが刑事処分を求めて立ち上がった。

二本松市出身で都内の大学に通う女子大生(21)は、まだ告訴人にはなっていないが告訴状提出には駆け付けた。

「私も告訴人になろうかな」
民の声新聞-告訴団③
被告訴人には、東京電力の勝俣会長や清水

前社長らの名前がずらりと並ぶ

(了)

【15カ月目の福島は今】復興に貢献したい~県外避難しない短大生の「選択」

18歳の女の子は福島に残った。県外避難という選択肢もあった。父親の仕事や祖母の介護という家庭の事情もあった。友人らが避難していくなかで孤独感にも襲われた。被曝を強いられる生活を彼女はなぜ、選んだのか。日々の暮らしに精一杯だった震災直後、現在進行形の被曝がもたらす不安、ふるさと復興へ貢献したいという願い…。福島にとどまって生きていく「選択」をした短大生に話を聞いた。


【仮設住宅でお年寄りと「がんばっぺ体操」】

「県外に逃げた方が、身体に良いことは分かっています。でも、私にはここでやるべきことがある。今でも日々、葛藤しています」

加藤朋栄さん(19)は福島市に生まれ育ち、桜の聖母短大英語学科に通う二年生。「がんばっぺ同好会」に所属し、福島市内の仮設住宅を回っている。先輩の作った「がんばっぺ体操」を披露したり、足湯を提供しながらお年寄りにマッサージを施したりして、交流と支援を続けている。

「宮代など県北地区の仮設住宅はすべて行きました。何気ない世間話をすることで、心が少しでもすっきりしてくれればうれしいです。農家だったお年寄りが、いかに農業を一生懸命やっていたか、誇らしげに自慢話をする時の表情がなんとも生き生きとしていて良いです」

仮設住宅の入居者には、冷蔵庫や洗濯機など「家電6点セット」が日赤経由で支給され、モノが比較的揃っている。各地からの支援物資も届いた。しかし生き甲斐が不足している、と加藤さんは感じた。

「部屋にこもりがちになっているお年寄りが多いです。生き甲斐が全く無くなってしまっている。モノではないんですよね」。せまい空間でもできる「がんばっぺ体操」は、身体を動かす機会の減ったお年寄りには好評という。
民の声新聞-桜の聖母短大
加藤さんの通う桜の聖母短大は福島市役所の

近く。原発事故から1年以上が経過した今でも、

決して放射線量は低くない

=福島市花園町


【高線量を知り始めて将来が不安に】

未曽有の巨大地震に遭ったのは、マイカーの運転中だった。急いで帰った自宅は倒壊こそ免れたものの、室内はあらゆる家具が倒れ、靴をはいたままでないと歩けない状態だった。

4月に予定されていた入学式は5月に延期された。自宅近くの高校の体育館は避難所になった。雪が降る中、電気も水道も止まった。数えきれないほど給水車の列に並んだ。気付けば、お年寄りのために重たいポリタンクを運んでいた。福島原発が爆発したことで自宅周辺の放射線量が急上昇していることを知ったのは、ずっと後になってからだった。

「確かに、テレビやラジオで放射線量の情報は流れていました。でも、今まで聞いたことも無い単位で、身体にどう影響するのか、どうすれば良いのかさっぱり分からない。第一、テレビでは『大丈夫、大丈夫』と盛んに言われていたんですから。それに、その日その日を生きるのに精一杯で、それどころではなかったですね」

「雨に濡れたら髪の毛が抜ける」。携帯電話には、真偽の判断がつかないチェーンメールが山のように届いた。自宅周辺から自家用車が次々と姿を消した。友人は県外へ避難していった。同じ短大へ入学が決まっていながら、それをやめてまで避難した友人もいた。それでも、どうすることもできなかった。職場で責任ある立場の父親は、福島を離れられない、家族バラバラでの避難はしたくない。祖母の介護はどうする…。様々な想いが交錯した。家族で何度も話し合った。両親は避難を勧めた。しかし、福島にとどまることを決めた。

「心のどこかで『そうは言っても大丈夫』という考えがあったのかもしれません。そりゃ、当時の高線量を知った時にはびっくりしました。初めて将来が不安になりました。やはり結婚もしたいし子どもも産みたい」

自分がこれまでどの程度被曝したか分からない。8月にようやく、ホールボディカウンターによる検査を受けることになった。原発事故から17カ月が経過して、やっと自分の数値と向き合うことができる。不安も多いが、やはり正確な情報が欲しいという。「これまで騙されてきたんじゃないかという思いはやはり、ありますから」
民の声新聞-福島競馬場
短大の周辺には競馬場もある。JRAは大規模な

除染を行い「安全」を強調して競馬を再開した。

しかし、放射線量は下がっていない

=福島市松浪町


【悩んだ末に選んだ「福島に残る」】

ふるさとの復興と自身の被曝。そのはざまで揺れながら、就職活動が始まった。

以前は通訳など英語を生かした職業に就きたいと考えていたが、震災を境に考えが大きく変わったという。

「県外での就職も考えないわけではありません。でも、自分にも何かこの街に貢献できるのではないかと「思うようになっています。福島にいることでしか勉強できないこともありますし。もちろん、葛藤は続きますけどね」

悩んだ末の、福島に残るという選択。

卒業するまでは、「がんばっぺ同好会」の一員として仮設住宅への訪問を続ける。

最近では、子どもたちを北海道や新潟・佐渡へ連れて行く保養プログラムにも参加するようになった。

県外の人から「元気?」「身体は大丈夫?」という言葉をかけられることには、辟易することもある。

福島での生活を続けることで身体への影響を楽観視できないことは、自分自身が一番良く分かっているから。

来月、二十歳になる。
民の声新聞-仮設住宅
「仮設住宅に暮らすお年寄りは生き甲斐を

失ってしまった」と加藤さんは話す

=福島市松川町

(了)

32万都民の声を無視するな~石原都知事、都民投票条例案に反対明言

条例案には反対です─。静まり返った議場に、ひと際大きな石原慎太郎都知事の声が響き渡った。5日の都議会本会議で、石原都知事は「観念的でセンチメントな直接民主制は国を滅ぼす危険なことにもなりかねない」として、原発の是非を都民自ら決めようと直接請求された都門投票条例案に対し、明確な反対を表明した。32万もの署名集めに奔走した関係者は、石原都知事の発言を「想定内」としながらも、「決してセンチメントではない」と怒りを露わにする。条例案は請求代表人による意見陳述を経て、20日の本会議で議決される。


【直接民主制は国を滅ぼす危険がある】

29分間の本会議の大半が、石原都知事の所信表明に費やされた。

高齢のためか滑舌は悪いが、国を憂う〝石原節〟は健在。しきりに水を含み、国威発揚を説く。

中国を「シナ」と呼び、戦後日本を「アメリカ依存を抜け出せない自堕落な風潮」と斬ってみせた。現在の混迷した社会は「事なかれ主義を貫いてきた報い」だとして「東京こそが、国家のために行動を起こさなければならない」と高らかに宣言した。

尖閣諸島の購入に始まり、横田基地の軍民共用化、東京電力の経営透明化と話題は続くが、原発の是非を決める都民投票条例案への見解は出ない。

昨年に引き続き、今夏も節電を継続していくと述べた後、ようやく都民投票条例案の話になった。

「エネルギー問題は、国家の基盤を支える重要な要素。理性的な議論のもとに国が判断するべきだ」「原発の是非は冷静に判断されるべき」として、条例案には反対すると明確に表明した。住民投票によって原発の是非を決めようとする民意に対しては、「直接民主制は間接民主制を補完するものである」と一定の役割があることは認めた。しかし、「ただ観念的に是非のみを問い、その結果が錦の御旗のごとく力を持つならば、国を滅ぼす危険なことにもなりかねない」と斬り捨てた。

石原都知事の関心事は、尖閣諸島と東京五輪。都民投票など興味がない様子。

「日本国を復活させるには、東京五輪を絶対に招致しなければならない」

満足気に語り、第二回都議会定例会の所信表明は終わった。
民の声新聞-都議会本会議
傍聴者に配られた都議会本会議の資料。

「原発」都民投票には「国が責任をもって判断

するべき」などとして明確に反対している


【国に任せられないから都民が決める】

「ふざけるな、と言いたい。これまでの私たちの動きを何も知らないくせに」

傍聴席で石原都知事の所信表明を聞いた町田市の女性(48)は、語気を強めた。

「もちろん、原発反対の出発点は恐怖心です。でも、都民投票実現に向けて取り組んでくる中で、内部被曝の危険性など、いろいろと勉強してきました。それなのに、未だに私たちを『センチメント』などという言葉で表現するということは、聞く耳を持たないんだな、と思いました」

石原都知事は、原発の是非は「国が責任を持って判断すること」としたが、「国に任せられないから行動を起こしたんです。理解してもらえず本当に残念」と話した。

中野区の女性(34)も、「ちゃんと自分たちの問題として考えなければいけない」と都民投票運動に加わった一人。

石原都知事の演説を見届けて「国力増強を懸命に説いていたけど、原発に万一のことがあったら、それどころじゃないのに」と落胆した表情を見せた。

「彼はいつも『センチメント』と言うけれど、単純な是非論ではないと思います。都民投票が実現すれば、投票までの3カ月間にこれまで多くの都民が目にしなかったデータが出され、一人一人が勉強して決めることになります。観念的な投票ではありません」

彼女らの署名運動に一貫していたのは、「野田首相でも石原都知事でもなく、原発の是非は都民の意思で決めよう」との思いだった。1月初旬の段階で8万にも届かなかった署名は、その後一カ月足らずで32万にも達した。それらが全て、観念的でセンチメントな意思だというのか。

民の声新聞-都民投票署名
15歳ながら、精力的に署名活動に参加した

富樫さん(左)。現在も、都庁前での演説を続けて

いる=2011年12月、渋谷駅前で



【14日に請求代表人が意見陳述】

〝15歳の環境活動家〟富樫泰良さんは毎朝、都庁前で演説をし、都民投票条例への支持を呼び掛けている。直接請求に必要な署名を集めている間も、山本太郎さんらに混じって街頭に立ち、寒風吹きすさぶ中マイクを握った。母親が旧ソ連の出身で、幼い頃からチェルノブイリ原発事故の話を聞いて育った。それだけに「これから、負の遺産を背負うことになる子どもの一人として無関心ではいられなかった」と、都民投票実現に奔走してきた。

この日は都議会を傍聴。閉会後、議場の石原都知事に「条例成立に向けてしっかりお願いしますよ」と呼びかけたが、返事はなかったという。

「各会派の議員控室を回ったけれど、状況は厳しいですね。公明は完全に反対でした。しかし、ああいう発言をすることは分かっていたけれど、石原都知事は最低ですね」と悔しそうな表情で話した。

「防衛は国の問題」としながら、横田基地の軍民共用化では「必要とあらば、いつでも行動を起こし国を突き動かしていく」と、意欲満々の石原都知事。一方で、原発の是非は「国が判断すること」と、都民の意思を門前払いする構え。議場の議員に向かって「賢明な判断をお願いしたい」と語りかけた知事は、32万もの都民の声を無視しようとしている。14日の総務常任委員会では、首都大学東京の宮台真司教授(53)ら請求代表人が意見陳述する予定だ。

(了)

女が語る被曝と原発再稼働~「発信する女たち6.2集会」より

大飯原発を動かすなと、女たちの怒りが爆発した。2日、都内で開かれた「もう原発は動かさない!発信する女たち 6.2集会」では、文化人らが福島の被曝の現状や大飯原発再稼働に関して意見表明。第二部では、福島にとどまって生きる女性、福島から離れた女性らがそれぞれの想いを語った。進まない事故の収束、被曝への不安…。それらを無視するように着々と進められる原発の再稼働。男社会が推進してきた原発に対する怒りが渦巻いた。福島では今日も、子どもたちが被曝を強いられている。


【福島にとどまる選択、県外に離れる選択】

宇都宮大3年の小野寺真里さん(20)は、須賀川市出身。地元の短大に通っていたが、編入した。

原発事故直後、家族の勧めもあり只見町に数日間避難したが、友人が心配でもありすぐに自宅に戻った。当時は「自分だけ県外に出ることは申し訳ない」という気持ちもあったという。

自分は被曝したのか、妊娠しても問題ないのか…。

事故から一年経っても不安は消えない。

「私も福島で子どもを産みたい。育てていきたい。でも…」。複雑な胸中を吐露した。

大学のある栃木県でも、那須や日光にホットスポットがあることを知り、乳幼児や妊産婦を支援するボランティア団体に加わった。

「将来、子どもに『お母さん、どうしてあの時、動いてくれなかったの?』と言われたくない。後悔したくないんです」

元ミス郡山の日塔マキさん(29)は、郡山市から千葉県に自主避難した。「家族や恋人を残して自分一人だけ避難したことが正しかったのか、今でも答えは出ていない」と話す。

昨年11月、福島の若い女性たち5人で「peach heart」を設立。千葉と郡山を行き来しながら、「女性たちが本音を言える場を作ろう」と奔走しているが、福島では被曝の話題を口にしにくい雰囲気があるという。

「友達同士でも被曝の不安を口にできない。家族や彼氏にも、本音が言えない。本音を言ってしまうと『どうしてネガティブなことを言うのか』と怒られてしまうからです」

家族会議の末、福島市にとどまる選択をしたのは、桜の聖母短大に通う加藤朋栄さん。同じ学科の友人たちと、仮設住宅支援を続けている。

高校時代の友人は皆、県外に避難していった。

「取り残された気分がした」

被曝の不安が募る日々。「原発事故直後、『大丈夫、大丈夫』と言われて給水車の列に並んでいた。それがどれほど危ないことだったのか、恐怖感は消えません。線量の高い花見山など、市内のモニタリングポストは少ないと思う。もっと増やして正確な数値が知りたいです」

ステージから「学生たちは復興に向けて頑張っています」と語りかけた加藤さん。「福島を忘れないでください。私たちは忘れられることを一番恐れています。今日の話を一人でもいいから身近な人に伝えてください」と頭を下げた。

自宅が福島第一原発から10km圏内にあるKさんは、「まったく先が見えない。5年先、10年先を想像することができない」「国は除染を進めようとしているが、無駄だ。仮に故郷に帰っても住めないことは、みな良く分かっている」と怒りを込めて話した。

Kさんが許せないのは、福島原発事故が何ら解決しないまま、自分たちの日常を取り戻せないまま原発再稼働が進められることだ。

「安全です、責任持ちますと言うのなら、国会を双葉郡に移転させてほしい。最低でも20年間は暮らしてほしい。それで何も健康被害が出なかったら、話に耳を傾けても良い」
民の声新聞-発信する女たち6.2集会
第二部では、福島出身・在住の女性たちが、

被曝に関する率直な思いを語った


【続出した原発再稼働への異論】

集会に先立ち、国際環境NGO「FoE Japan」の満田夏花さんが、「政府が避難区域を設定する基準は年20mSVのまま。チェルノブイリでは、年1mSVが避難の権利ゾーンで、国から経済的な支援を受けられた。多くの人が避難できないでいるのは、お金や仕事の問題があるからだ。避難した人も避難先で苦労している」と国の姿勢を批判。「福島県立医大副学長の山下俊一氏が、甲状腺検査のセカンドオピニオンを封じるような文書を出している。詳細な健康調査を行うべきだ」「野田首相は原発再稼働に動いているが、私は決して、野田首相に命や未来を預けたつもりはない」と話した。

法政大教授の田中優子さんは「日本から原発が無くなれば、核武装の可能性も無くなる。脱原発の運動は、核武装も含めた反核の運動に発展しないと意味がありません」。いわき市出身の講談師・神田香織さんは「どんなに強い愛情も放射能にはかなわない。ベラルーシでは、教師が親を説得して子どもたちを保養に出していたのに、福島の教育委員会は『放射能のことは言わないでください』と求めてくる。福島の人々がいかに耐えて、口にチャックをして生きているか」と怒り、保養の重要性を訴えた。

南相馬市を歩き続けている作家の渡辺一枝さんは、仮設住宅をまわった経験から「山は泣いているわな。寂しいな」というお年寄りの言葉を紹介。映画監督の坂田雅子さんは「原水爆実験で故郷を追われたマーシャル諸島の人々と、福島県民がダブって映る。再び後悔することのないよう、原発をやめるという決意をしましょう」と呼びかけ、社会学者の上野千鶴子さんは「私たちは、原発がなくても生活できることを証明した。原発が全停止した5月5日を歴史的な日にするか否かは、原発ゼロ社会を続けて行かれるかどうかにかかっている。私たちはまだ、勝ってはいないんですよ」と呼びかけた。
民の声新聞-加藤登紀子
急きょ、会場に駆け付けた歌手の加藤登紀子さん。

「大飯原発を止めなければいけない。家で昼寝を

しているわけにはいきません」と話した


【放射能は空気や大地、水を汚す】

司会を務めた橋本美香さん(32)は、震災後の福島をまだ、訪れていない。

自身、自ら命を絶った飯舘村の酪農家の心情を綴った曲「原発さえなければ」を歌っているが、身体への影響を考えると、どうしても足が向かわないという。

「原発について歌ったり語ったりしている以上、一度、この目で現地を見たいとは思っています。でもやはり、身体のことを考えると…葛藤の連続です」。先日も、郡山市での講演依頼を受けたが、悩んだ末に断った。

「今日は、避難した人、福島に残った人の想いを聴くことができて良かった。若い女性の言葉はグッときました。改めて、放射能は空気や大地、水を汚すんだな、と。安全を奪う原発は認めてはいけないんだなと思いました」

会場には、社民党の福島瑞穂党首(56)の姿もあった。

「大飯原発を再稼働させなくても、関西は絶対に電力不足にはなりません。利権、カネです。現在、亀井亜紀子さん(47)たちと、超党派の女性議員たちで官邸に殴り込みをかける計画を立てています」

福島原発事故から15カ月。

事故の責任を誰もとらず、収束も被曝回避も進まないまま、大飯原発は再稼働されようとしている。

福島県民の想いは無視されたままだ。
民の声新聞-橋本美香vs福島瑞穂
総合司会を務めた橋本美香さんと、社民党の

福島瑞穂党首

(了)


国や東電の刑事責任を問おう~来月、1000人で集団刑事告訴へ

福島原発事故に対する国や東電の刑事責任を問おうと、福島県内で集団告訴の準備が進んでいる。3月の告訴団結成以来、2カ月で告訴人は800人に達する勢いで、来月11日にも、1000人超の告訴人で福島地検に訴えを出す予定だ。訴えの根底あるのは「責任の所在を明確にしなければ、福島の復興はない」という思い。空を、海を、大地を汚しながら、そして、子どもたちに被曝を避難を強いておきながら刑事責任を問われない国や東電。福島の民は司法の場で厳しく追及する


民の声新聞-武藤類子

会見で、告訴団の動きについて説明する武藤さん。

「原発事故の責任は誰にあって、どこにあるのか」

=アクティブシニアセンター・アオウゼ


【原発事故の責任はどこにあるのか】

今月から始まった「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」定例会見の席上、武藤類子さん(三春町)は静かに、しかし、毅然と話した。

「この間、福島県民はさまざまな困難を負ってきた。しかし、国や東電はどれだけの困難を負ってきたというのだ。原発事故の責任は誰にあって、どこにあるのか。それを明らかにしないで、福島の復興はありません。検察にきちんと調べていただきたい」

これまで県内7カ所での説明会だけでなく、石川、山形、京都、東京などで県外に避難した県民向けの説明会も開催。5/29現在、集計できているだけで764人が趣旨に賛同し、告訴人に名を連ねたという。「まだ集計していない郵送分も含めれば、800人は超えているはず」(事務局)。

今回の第一次告訴は県外避難をしている人も含んだ福島県民に限っているが、予定されている第二次告訴では、告訴人の範囲を全国に拡大。早ければ10月にも告訴状を提出したい考えだという。

3月の告訴団結成集会で、武藤さんはこう訴えた。

「どうして、東電の責任において除染は行われないのでしょうか?どうしてこれ程の事故を起こしながら、検察による取り調べが無いのでしょうか?どうして損害賠償請求を、東電が提示した書類に被害者が記入しなければならないのでしょうか?疑問と怒りが胸の奥から沸き上がって来ます」

民の怒りが込められた闘いが来月、司法の場で新たに始まる。


◇     ◇    ◇


告訴団に告訴人として加わりたい方は「福島原発告訴団」のブログ

http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/

から必要書類をダウンロード。

問い合わせは事務局

☎080-5739-7279まで
民の声新聞-駒山公園
1.5μSVを超える福島市・信夫山の駒山公園。

放射性物質の拡散に関し、誰も刑事責任を問われていない

(了)

【14カ月目の福島は今】 高線量の信夫山を歩く

かつて、関脇まで昇進した「信夫山」という名力士がいた。伊達市出身の信夫山関は昭和33年、横綱若乃花を破るなど、土俵を沸かせた。福島市の中心部に高くそびえる霊峰・信夫山は、しこ名にもなるほど象徴的な存在だ。しかし、今や市内でも有数の〝ホットスポット〟として、すっかり名が知られている。除染が進まないまま時間だけが過ぎていく信夫山を、線量計を手に登ってみた。


【1.3μSVを超す公園】

国道13号の信夫山トンネルを抜けたところで路線バスを降りると、車内で0.3μSV前後だった手元の線量計は0.8μSVを超す。

頭上には、東北新幹線の高架。

市街地から約3kmの地点。

眼前に信夫山がそびえる。

トンネルのすぐ脇に、小学校跡地を利用した「御山公園」がある。震災以降、利用されていないのか、すっかり草が伸びきってしまって荒れ放題。線量計の数値は一気に1.0μSVを超した。設置されているモニタリングポストは、1.3μSVを超えている。信夫山から雨水などと一緒に放射性物質が流れてくるのだろうか。前日の雷雨でぬかるんだ山道を上ったが、0.9μSVを下回ることはなかった。
民の声新聞-御山公園

国道沿いの御山公園。モニタリングポストの

数値は1.3μSVを超えていた=福島市清水


【木の実も山菜も食べられない…】

汗でびっしょりになりながら「七曲り」と名付けられた登山道を上る。ようやく舗装された道に出ると、農家が畑仕事をしていた。立派な長ネギが育っている。線量は少し下がって0.8μSV前後。ここで、福島市役所近くの自宅からウォーキングにきていた50代の女性と出会った。

「ビワとかウメとか、季節ごとにいろいろな木の実がなって、それを食べるのが本当に楽しみでした。信夫山は眺めも良いしね。山菜取りももう、出来なくなってしまった。子どもたちの遠足にも活用されていて、どんぐりとか松ぼっくりを拾ったり、お弁当を食べたりして楽しんでいたわよね。原発事故さえなければ…。福島って本当に素晴らしい街なんですよ。でも、自宅近くの道路で測ってもらったら4.4μSVもあった。すっかり汚染されてしまいました…」

ふるさと・福島への熱い想いは止まらない。そして、放射能汚染への怒りも。

女性とは、羽黒神社の入り口で別れた。

民の声新聞-信夫山の農家

立派な長ネギが育つ畑のそばでも0.7μSV超


【羽黒神社の大わらじも汚染】

舗装された道から再びぬかるんだ参道を上がり、ようやく羽黒神社に着いた。

ここには、五穀豊穣、無病息災などの祈りが込められた日本一の大わらじが奉納されている。

長さ12㍍、重さ2㌧のわらじは今年2月、100人の担ぎ手によって市内を練り歩き、奉納された。

しかし、手元の線量計は1.0μSVを超えた。参拝客の姿はほとんどないが、高濃度に汚染されてしまっている。地上から1㍍以上でも、1.0μSVを下回らない。信夫山の汚染は市民の間ではすっかり知られているが、ここに子どもを連れてくるのは危険だ。

帰路、立ち寄った駒山公園でも、モニタリングポストの値は1.5μSVを超していた。

そこでは、父親に連れられた女の子が楽しそうに遊んでいた。

さきほど出会った女性の言葉がふと、甦る。

「事故直後と比べたら、確かに線量は下がりました。でもね、今でも十分に高いんですよ。事故前は0.04μSV程度だったんでしょ?下がった下がった、安全だなんて言わないで欲しい」
民の声新聞-羽黒神社
大わらじが奉納されている羽黒神社。

境内は軽く1.0μSVを超えた

(了)

汚れちまった小鳥のオアシス~高線量の「福島市小鳥の森」

野鳥の楽園の危機だ。福島市内有数の里山「小鳥の森」は今や、市内随一の〝ホットスポット〟。山林の除染方法が確立しておらず、行政も本格的な除染に乗り出せずにいる。野鳥の鳴き声が奏でるハーモニーは、被曝への鎮魂歌か。決して子どもたたちを近づけてはならない高線量の森を、線量計を手に歩いた。汚されてしまった森で、再び子どもたちが野鳥観測をする日は来るのか


【汚染された野鳥の楽園】

なんと素晴らしい森だろう。

ただし、放射線さえなければ。

都会の喧騒を忘れさせてくれる森。野鳥のさえずり。

福島競馬場の裏手。阿武隈川を超えた森。シジュウカラ、カワセミ、ホオジロ…。ここはまるで、野鳥の楽園だ。

しかし、手元の線量計は軽く、1.0μSVを超えている。

「ほらいま、渡り鳥のサンコウチョウが飛んでいきましたよ」

日本野鳥の会福島支部の男性が、図鑑を手に指さす。

「せっかく来たんだから、鳥の鳴き声も楽しんでいきなさいよ」という言葉に促されて一瞬、言葉を止める。すると、あちらこちらから野鳥のさえずりのハーモニーが響き渡る。

「被曝の心配さえなければ、こんなに素晴らしい森はありませんね」

と言うと、男性はうれしそうに、しかし、複雑そうな表情でうなずいた。

小学生を中心に、課外授業の場として活用されてきた森も、子どもたちの姿はない。

観察会など森が主催する行事は今年度も行われているものの、子どもへの被曝を考慮して積極的なPRは無し。授業の一環で、子どもたちが森に入ることもなくなった。

「小学生や幼稚園児がたくさん、来ていたんですけどね」と一眼レフカメラを手にした男性。広大な母なる森は今や、放射性物質に汚染された〝汚れたオアシス〟と化してしまった。
民の声新聞-小鳥の森
軒並み高線量の「小鳥の森」。市による本格的な

除染が進まないまま、汚染状態が続いている

=福島市山口


【森の除染、有効な方法は無し】

「市内の森では、最も汚染されてしまいました…」

福島市農政部農林整備課の担当者は、悲しそうな表情で話した。

52haの広大な里山は来年、開園30周年を迎える。今年3月まで日本野鳥の会が管理を請け負っていたが撤退。今年度からは、同会福島支部の会員を中心に組織された「野鳥の会ふくしま」が、指定管理者となった。森では野鳥だけでなく、タヌキやムササビ、イタチ、キツネやリス、ザリガニやオタマジャクシも確認されている。

震災以降、本格的な除染は行われていない。

「森の除染は究極のところ、はげ山のようにしてしまうしかないのではないかと思うんです。しかし、それでは、長年かけて野鳥などと築いてきた環境を壊してしまう。がけ崩れも起きやすくなる…。山林の有効な除染方法が無く、手をつけられずにいるんです」

森の一角には、市営の霊園があるが、墓地の除染も「今年度中に行う」との計画があるだけで、具体化していないという。

5/27には、野鳥の会の有志が除染の一環として落ち葉をかき集め、森の一角に仮置きしている。数十個のビニール袋に詰め込まれた落ち葉はブルーシートで覆われてはいるが、線量計を近づけると5.0μSVを超える高い値を計測した。福島市によると、落ち葉は可燃ごみとそて焼却され、生じた灰は焼却場内に保管されることになるという。

手のつけようがなく、すっかりお手上げの様子の市。

「野鳥たちも被曝していると思うと心が痛みますね」

市職員は、力なく語った。
民の声新聞-小鳥の森②

森の一角には、有志が行った〝除染〟で生じた

落ち葉などの入ったごみ袋がブルーシートで

覆われていた。線量計を近づけると5.0μSVを

超えた


【姪は子を連れ名古屋へ】

野鳥の観察に来ていた別の男性(53)=福島市=は、森の中腹のベンチに腰かけて子どもたちの健康被害への想いを語った。

自宅近くに、姪夫婦の新居が完成したのは、大震災の10日前だった。

揺れによる損壊はまぬかれたものの、幼稚園児ら2人の子どもを抱え、さらに妊娠していたため、姪は夫の実家である名古屋市に避難した。姪は名古屋で第三子を無事出産。時折、帰省するものの、3人の子どもへの悪影響を懸念して、すぐに名古屋へ帰るという。子どもには、福島産の食べ物は与えていない。

「親としては当然の行動ですよね。新築した自宅はきれいなまま建っているけれど、ここに住むことはないでしょうね。やはり、子どものことを考えたらね。私だって、福島産の野菜を食べてはいるけれど、何も『健康に影響はない』という言葉を鵜呑みにして食べているわけではありませんよ。腹を括って食べているんです」

つきあいのある農家からはこれまで、市場に流通させられない規格外の野菜を分けてもらっていたが、震災後は、農家の側が遠慮して持って来なくなったという。

天気予報通りに鳴り出した雷鳴を避けるように、市街地への道を急ぐと、まるで道案内をするようにシジュウカラが先導してくれた。

このシジュウカラも被曝しているのだろうか。

手元の線量計はやはり、1.0μSVを下回ることはなかった。

(了)

福島県高野連は球児の被曝回避に努めよ~開成山野球場より

東北大会、そして夏の甲子園に向けて、福島県内でも高校野球の地区大会が始まった。依然として放射線量の高い開成山野球場(郡山市)も会場の一つ。内野スタンドでは0.3μSVを超えた。選手だけではない、スタンドの女子チアリーダーも被曝をする。しかし、県高野連は「国や県が禁じていない」として大会を継続している。原発事故から1年以上が経過し、球場の線量測定すらしなくなった。「大会を目指している生徒の気持ちを考えて」と言う関係者。しかし、子どもの気持ちを尊重している間に、被曝は進んでしまう。

【0.3μSV超の中、応援する高校生】

「二回戦からこのカードはもったいない。事実上の決勝戦ですよ」

郡山市の〝ホットスポット〟開成山公園内の野球場では、東北大会の出場校を決める県大会が行われている。この日は、昨年まで5年続けて夏の甲子園に出場している聖光学院(伊達市)が登場。投手の良い県立光南(矢吹町)との対戦とあって、冷たい雨にもかかわらず、スタンドには多くの高校野球ファンが駆け付けた。

「県立光南は地元の子どもたちばかりのチームにもかかわらず強豪で、投手は複数のプロ球団から注目されているんだ…」

高校野球ファンの男性が、うれしそうに話す。しかし、球児の被曝の話になると、途端に言葉は出なくなった。「え? う~ん、それは…」。

バックネット裏の屋根がある観戦席では0.2μSVに達することはなかったが、聖光学院応援団が陣取る三塁側内野スタンドでは、0.3μSVを上回った。外野芝生席ではさらに線量は上がる。

勝利を見届けた聖光学院関係者は、満足そうに球場を後にした。しかし、高線量の球場で野球をすることに危険はないのか、と水を向ける露骨に嫌な顔をした。

「線量?被曝?まったく問題ないよ。きちんと線量測ってるわけだし、低いんだから」

だがしかし、福島県高野連は線量の測定など行っていない。
民の声新聞-聖光学院の応援席
小雨降る中行われた聖光学院vs光南高校の

試合。応援席では0.3μSVを超した

=郡山市・開成山野球場


【大会を中止する理由は無い】

福島県高野連が、球場で取材に応じた。

「文部科学省も県も屋外活動を禁じているわけではありません。福島県内の学校では、体育の授業も通常通り行われています。高校野球も部活動の一つであり、生徒の屋外活動の一つです。中止する理由はありません。国や県がやって良いと言っているんですから」

昨年はこの大会を中止。夏の県大会は、試合当日の早朝に球場内の放射線量を計測した。結局、試合開催の可否基準が3.8μSVと高く、中止された試合はなかった。しかし、今年は線量の測定すらしていない。

「昨年は確かにわれわれで線量の測定もしましたけれども、今年はやらなくて良いかなと。線量も下がってきていますし、県高野連として除染作業を行うということもありません。そのあたりは管理者の郡山市がやるでしょうから。白河グリーンスタジアムは芝生の全面張り替えをしています。おかげで、選手はだいぶ苦労しているようです」

県高野連は球児たちの健康被害を心配しないのか、被曝の危険は無いのか。

私の問いに大きくうなずくものの、明快な答えは無かった。

「国や県がやっては駄目だと言えばそれに従いますが…。生徒たちは、このような大会を目指して日々練習しています。放射線量が高いからといって大会を中止してしまえば、彼らのチャンスを奪うことになってしまう。ぜひ前向きに考えてください」

「前向きに」。屋外活動の3時間ルールを解除した郡山市教委も使った言葉だ。どうやらこの街は、「前向き」に考えるのがお好きなようだが、子どもたちの被曝をどうやって前向きに考えろと言うのか。
民の声新聞-光南高チア
負けてしまった県立光南のチアリーダーたちが

球場外に集まる。0.5μSVを超す線量の中、

傘もささずに被曝し続ける…
(了)

【14カ月目の福島は今】避難先の福島市もまた高線量~飯舘村民の苦悩

避難先も高線量─。飯舘村の人々は、そんなジレンマの中で仮設住宅での生活を続けている。福島市松川にある仮設住宅は、周辺の線量が非常に高く、敷地内でも0.4~0.5μSVの高い線量を計測した。それでも「ここで暮らすしかない」と暮らし続ける100人以上の村民。長く厳しかった厳冬を乗り越え迎えた二回目の春は、依然として先の見えない、被曝との闘い。福島市松川にある仮設住宅を訪れた。テレビも電子レンジも洗濯機も揃った仮設住宅だが、日々の被曝は続く。


【ばあちゃん、福島の野菜を食うなよ】

「本当に、お世話になりました。24日で失礼することになりました」

80歳を過ぎた女性は、朝方の曇天が嘘のような晴天の下、深々と頭を下げていた。

JR松川駅近くの松川工業団地(福島市)。飯舘村から避難している人々のための仮設住宅があり、女性も入居者の一人。あいさつをしていた相手は、仮設住宅の管理人だった。

飯舘村に生まれ育った女性は昨年末まで、東京や神奈川にある娘の嫁ぎ先に身を寄せた。村内の自宅の庭では、5や7μSVが当たり前のように計測された。

しかし、都会での生活になかなか馴染めなかった。

「いくら線量が高いと言っても、やっぱり福島にいる方が落ち着くわね」

昨年の7月から相馬市に住んでいる50代の息子からは、内部被曝を不安視する知らせが届いた。

「原発事故から1年たった今の方が、あの頃より内部被曝の線量が高いんですって。50歳を過ぎていても、やっぱり心配よね…。その息子に言われたわ。『ばあちゃん、いくら線量が低いと言っても、ホウレンソウとか福島の野菜を食べちゃダメだぞって』」

可愛い孫は、原発事故によって牧場で働く夢が破れた。昨春、大学を卒業し、双葉郡にある牧場で畜産の仕事に就くことが決まっていた孫。農業高校に進むなど、幼い頃からの夢が叶った矢先の事故だった。

「一緒に栃木県鹿沼市に避難したけど、震災直後はお酒ばかり呑んでいたわ。かわいそうに。鹿沼市で就職できることが決まったけれど…。牧場で働くことが夢だったのにね」

孫を想うと勢い、伏し目がちになる。

ツラかった仮設住宅での暮らしは間もなく、終わる。

日赤などから提供された家財道具は一通り揃ってはいるが、あくまで仮設住宅。真冬には、入浴している最中に湯が冷たくなっていった。

「もうね、こんな想いは誰にもさせたくないですよ」

女性はややうつむきながら、〝自宅〟に帰って行った。

今週末からは、相馬市での新生活が始まる。
民の声新聞-松川の仮設住宅
福島市松川の仮設住宅には、飯舘村から避難

している人々が入居している


【線量高くても、ここで暮らすしかない…】

文科省の発表によると、21日夜現在、飯舘村に23カ所ある測定地点のうち、一番放射線量の低い村役場でも0.9μSV超。11地点で2μSVを超えている。

だが、避難先である福島市松川も線量が高いのだ。

仮設住宅の近くには「松川工業第一」と「第二」の二つの比較的大きな公園があるが、どちらも地上1mの高さで軒並み1μSVを軽く超える。木製のベンチに座り、膝に線量計を乗せると1.3μSVだった。地面すれすれでは、2μSVを超すほどだ。小鳥が元気よく鳴いているが、公園に子どもの姿は無い。

「ここはそもそも、人が住むような場所じゃ無いんだよ」

仮設住宅の集会所に詰める役員が、嘆息交じりに話した。

「公園も含めて、この辺りの放射線量が高いことは分かっているよ。公園と仮設住宅が少し離れていると言ったって、空気に乗って飛んで来るんだから。福島の街中だって、同じことだわな。でも、ここで暮らすしかねえんだよ。俺たちは。ようやくここに落ち着いたんだから」

比較的、年齢層の高い仮設住宅。裏手の「交流ひろば」では、お年寄りたちがゲートボールに興じていた。時折、歓声があがる。「みんな楽しそうにやってるから観に来たのよ。部屋に閉じこもってばかりいても仕方ないから、こうして外で体を動かさないとね」と女性は笑った。

そしてまた、笑い声が起きる。一見、長閑な風景。しかし、彼らの胸の内に秘められた哀しみを想像すると胸が痛い。手元の線量計は、0.4μSVを示していた。

(了)

民の声新聞-松川工業第一公園
松川工業団地内の公園は、軒並み空間線量が

1μSVを超える=福島市

0.3μSVの中で生活する子どもたち~宮城県のホットスポット・丸森町を歩く

ガイガーカウンターの警報音が鳴る町は、福島だけではない。伊達市に隣接する宮城県丸森町も、福島原発の影響で放射線量の高い地域だ。文科省のまとめでは、町内2地点で0.3μSV/hを超える。自然豊かな町には、除染で生じた汚染土の保管先をめぐって町民の間に溝が生じていた。わが子を守ろうと奔走する母親に冷ややかな視線が浴びせられていた。そして、汚染土と〝同居〟しながら生活する子どもたち…。3.11以降、放射能汚染に翻弄され続けている丸森町を歩いた。


【故郷を捨てて避難はできない】

福島駅から阿武隈急行線で約40分。改札口もない無人駅・富野で降りると、カエルの大合唱が広がっていた。ここはまだ、福島県伊達市。線路近くの水田では、男性がコシヒカリ用の肥料を散布していた。

「線量はどのくらいだ?0.27μSV?低くねえな。原発事故が起きる前は0.04μSVだったって言うんだから、やっぱり高いわな。他の地区に比べれば、低い方だけどよ」

乾いた水田の所々に、砂をまいたような個所がある。

「ゼオライトをまいたんだよ。本当に効くんだか分からないけど、何もしないわけにはいかねえから。昨年収穫した米は、2回測ったけれどND(不検出)だったよ。でもよ、福島の米は有名になっちまったから、誰も買わなくなっちまったな」

うつむきがちにそう言って、男性は再び、肥料を散布しに歩き始めた。

水田では、繁殖期を迎えたカエルが盛んに鳴いていた。

菜の花の間を縫うように走る「あぶきゅう」を見送り、阿武隈川沿いを歩く。線量計は0.3μSVを行ったり来たり。時折、警報音が鳴る。ウグイスやカワセミの鳴き声に包まれて一時間ほど歩いたか。橋を渡り、しばらくすると宮城県丸森町に入った。大きな看板を過ぎると、警報音は鳴りっぱなしになった。「兜岩」の辺りでは、0.5μSVに達した。2時間ほど歩き続け、ようやく、国のモニタリングポストが設置されている「耕野まちづくりセンター」に着いた。モニタリングポストの値は、0.35μSVを超えていた。

センターの女性スタッフが嘆息交じりに語る。

「この辺り一帯が、高い放射線量なのは誰もが知っています。ええ、0.3μSVを超えていますよね。でもね、ここで生まれ育った人たちばかりだから、避難するというわけにもいかないんですよ。故郷は捨てられないんです。反対に、他所から移って来られた方々は皆さん、町外に避難していきました」
民の声新聞-丸森町入口
兜橋を渡り、阿武隈川沿いにしばらく歩くと

宮城県丸森町に入る。手元の線量計は0.3μSV/h

を超えた


【児童との〝同居〟が続く汚染土】

丸森町立耕野小学校は、全校児童わずか15人の小さな小学校。過疎化の波を受け、児童数は減少。今年は6年生がいない。静かな学校だが、除染が行われた昨年6月から、校庭の一角にブルーシートで覆われた汚染土が置かれたままになっている。中間貯蔵施設が決まるまでの仮置きのはずだったが、原発事故から1年以上が経過した今でもまだ、搬出先は決まっていない。

除染は東北大の協力で実施された。作業によって生じる汚染土を極力減らすため、2㌢ほどの表土から放射性セシウムを吸着させた粘土質だけを分離して取り出す方式を採用。汚染土は埋めずにポリバケツに入れられ、校庭の一角に保管されている。除染によって最高で1.0μSV/hを超えていた空間線量は0.3-0.4にまで下がったが、依然として高い値が続いている。同校では昨夏も水泳の授業は通常通り行われた。今月は、運動会が予定されている。原発事故以降も、屋外活動の制限などは無い。体育館では、運動会で披露される和太鼓の練習が行われていた。

町教委によると、国が最終処理施設を造るまでの間、汚染土を保管する中間貯蔵施設を地域に設けようと地権者らと交渉を続けているが難航。学校外に搬出できるめどは立っていないという。

「何回か説明会を開いたが、最後は『何でウチの近くにそんなものを持って来るんだ』ということになってしまう。中には地権者も区長も了承したが、近隣住民の反対で立ち消えになったケースもあった。原発事故のおかげで、無用の対立が生まれてしまっている。国がリーダーシップをとって決めてくれないから、全部しわ寄せが下に来ている。住民の間に溝ができている地域もある。今まで平和に暮らしていたのに」(町教委幹部)
町は、今年度中にも2回目の除染を実施できるよう国に働きかけているが、やはり汚染土を校庭に保管することになる。保管されている汚染土の前には児童が近づかないよう看板が立てられているが、15人の子どもたちとの〝同居〟は続いたままだ。

民の声新聞-町立耕野小学校
丸森町立耕野小学校の一角に設けられた仮置場。

昨年6月の除染作業で出た汚染土がポリバケツに

入れられ保管されている。搬出先は決まっていない

=宮城県伊具郡丸森町


【被曝のリスクより心の傷を重視】

「子どもたちにマスク着用を奨励?果たして現在の線量が本当に子どもたちにとって危険なのか。そうやって大人たちが騒ぎ立てることの方が心に傷を負わせやしませんか?。誰が子どもにマスク着用を強要するというんですか?果たしてそれが、子どもを守ることになるのでしょうか」

ある学校関係者は、いら立ちを隠せない様子で話した。

被曝、被曝と言うがダイオキシンの方がよほど危険なのではないか、なぜ放射線ばかり取り上げるんだ、とも続けた。被曝リスクは当然、下げる努力はするが、ここで生活している以上ある程度の線量はしょうがない、避難することで人生がめちゃくちゃになることもある、とも。「せめてマスクを」という筆者の言葉には終始、首を傾げた。

町教委幹部も、同様の考えを口にした。

「被曝のリスクと心のリスクを比較してみると、心のリスクの方が高いのではないかと思うんです」
小学校生活は今しかない。小学校での水泳の授業も一生に一度。「もし、被曝の恐れがあるからといって水泳の授業を行わなかったら、泳げない子どもが出てきてしまうかもしれません」
水泳の授業や給食の食材に対して、被曝を不安視する声が母親らから上がったという。

「安全と安心は違う。安心の基準も個々に異なることも承知しています。では、ある子どもだけ水泳の授業に出ない、学校給食を食べないとします。その子はいじめの対象になりますよ。何であいつだけ弁当を持ってきているんだ、と。その時、子どもが受ける心の傷はどうしますか?。そもそも、プールの水にしたって、検査を行って放射性物質が検出されていないのだから、心配は要らないのです。それを、一部の母親は『水を飲んでしまったらどうする』『雨が降ったらどうする』と騒ぎ立てる…。専門家に言わせれば、空気中の放射性物質はもう、心配しなくて良いそうじゃないですか」

この町でもまた、わが子を守ろうと必死になる母親は、奇異な存在として扱われていた。町は独自に、中学生以下の子どもたち約2000人の甲状腺検査を実施する予算を組んだが、いくら検査を行っても、日常的な被曝を回避する取り組みをしなければ、何の意味も無い。

先の学校関係者は、こうも口にした。

「丸森町の線量が高いと言うけれど、私に言わせれば都会の方がよほど汚れていて危険ですよ」

(了)