【ハンスト】瀬戸内寂聴が、澤地久枝が、子どもたちを守るために命をかける~経産省前テント広場
90歳の瀬戸内寂聴さんが、81歳の澤地久枝さんが、雨の中、命を削って原発反対を訴えた。2日、経産省前のテント広場で展開されているハンガーストライキに2人が参加。未来の子どもたちを守ろうと声をあげた。普段、メディアに報道されることの少ないテント広場は、〝大物〟登場に報道陣でにぎわった。ともに、未来を担う子どもたちを守ろうと、主治医の反対を振り切って参加した。5日には、国内の原発がすべて、停止する。これを機に原発のない日本にしようと、二人の女性は静かに、しかし力強く訴えた。
【こんなに酷い日本を残しては死ねない】
霞ヶ関の一角。経産省前に設けられたテントに、作家・僧侶の瀬戸内寂聴さん(90)はいた。一昨年に足を圧迫骨折した影響で、車いすに座っていた。
朝から激しい雨になるとの予報だったが、午前10時を過ぎても雨粒は落ちて来ない。
「私もあきらめていました。だから、朝起きて『えいっ』と念じたんです。雨を止める力はあるんですよ」
主治医に話せば反対されるのは分かっているから、内緒で京都から駆け付けた。法話などのスケジュールはぎっしり。この日は唯一、予定が入っていなかった。そこまでしてハンストに加わったのには、自分が動くことによってメディアに取り上げられ、若者たちに脱原発の意識を高めてもらいたいという思いがある。
「90歳のばあさんがこうしてテントに座ったら、マスコミは放っておかないでしょ。すると若者が報道を見る。若い人たちに、もっと原発の恐ろしさを知って欲しいんです。子どもとか孫の世代のことを考えると、こんなに酷い日本を残しては死ねません。今ほど酷い日本は無いと思います」
5日には、国内の全ての原発が停止するが、一方で大飯原発(福井県)の再稼働も着々と進められている。
寂聴さんは「再稼働しないと本当に思っていますか?」と集まった報道陣に逆取材。「今の政府のやり方を見ていたら、再稼働するんじゃないですかね。もっと『嫌だ』と言っていかなきゃなりません」
震災後、飯舘村の人々と語らう機会があった。その時の村民の顔つきや目つきが、いまだに脳裏から離れないという。
「このおしゃべりの私ですら、声をかけることができなかった。あの目、顔は怖かった。あまりに不幸で…。それくらい、彼らは酷い目に遭わされているんですよ」
福島の子どもたちを思うと、勢い、話は大手メディアの報道姿勢にまで及んだ。
多国籍軍によるイラク進攻の際、実際に現地を訪れて報道との違いを自身の目で確認した経験から「今回の原発事故でも、報道はまず疑ってかかっています。マスメディアはどうして本当のことを報道できないのか。まさに大本営発表を垂れ流した戦時下と同じではないか」。命をかけて福島を報じなさい、とも語った。
「一日くらい断食しても私は死にません、大丈夫」と笑顔を見せた寂聴さん。
「日本人は我慢することを美徳だと思っているが、言いたいことをもっと言うべきです。闘わなければいけません。私は、余生を原発にかけています」
経産省前テント広場でのハンガーストライキに
参加した瀬戸内寂聴さん。「今ほど酷い日本は
ない」と怒りを露わにした(左は鎌田慧さん)
【解決策の無いことが起きてしまった】
ノンフィクション作家・澤地久枝さん(81)は、これまでも度々、テント広場を訪れている。ハンストは前日の1日夕方から参加した。
「デモだけではなく行動したかった」
5日の全停止を機に、原発から完全に抜け出すと約束してほしい─。満州から日本に引き揚げてきた経験のある澤地さんにとって、原発事故で飼える故郷を失った人々の気持ちは痛いほど良く分かる。
「私には帰る日本があったけれど、原発でやられた人々には帰る希望がない。〝難民〟の気持ちは良く分かります。こんなこと、日本の歴史始まって以来のことです」
福島だけではない。東京だって、決して汚染されていないわけではないというのが持論だ。
「東京もやられています。海も汚された。魚を食べられない日がやがて来る。解決策の無いことが起きてしまったんです。起きてはならないことが起きてしまったんです。福島の人々は耐えるだけでなく、怒りの気持ちを持つことも大切です」と訴えた。
「今日はNYにいてそちらに行かれませんが、気持ちは皆さんと一緒です」。澤地さんは終始、坂本龍一さんからのメッセージを手にハンストに臨んだ。
「原発再稼働なんてまずできないんじゃないですか。国際的な監視の中で強行すれば、日本はどん底の国になってしまいます。それでも強行するのなら、女も男も一緒になって『何て馬鹿な事をするんだ』と声をあげるべきです」
昨年、膝を骨折し、脳梗塞も患った。主治医には当然、参加を反対された。それでも参加せずにはいられなかった。まさに命をかけた闘いなのだ。
坂本龍一さんのメッセージを手にハンストに
臨んだ澤地さん。「子どもの将来を考えて」
と訴えた
【続々と寄せられる〝健康被害〟】
「未来を孕む女たちのとつきとうかのテント村行動」の椎名千恵子さん(65)=福島市=は、断食を始めて二日目。「フラフラしている」と冗談交じりに話したが、「自分自身を命を意識する状況に追い込むことで、命を断つことで闘いたいんです」
瀬戸内さんら著名人が参加したことには「世間へのアピール度が全然違う。
ああいう方に来ていただくことで、世間に認知されます。私たちの励みにもなりますね」と喜んだ。
しかし一方で、無名の自分たちがいくら頑張ってもなかなか取材してもらえないジレンマもある。マイクを握ると福島の子どもたちへの思いが募り、涙が止まらなくなった。
「先日、商工会議所主催のキッズパレードがありました。沿道では2μSVも珍しくなく、高い場所では10μSVもあった。どうして、子どもたちを復興のシンボルとして駆り立てるのか。3.11を早く忘れさせたい人々が福島ではのさばっている。私たちは山下(俊一・福島県立医大副学長)に命を預けたつもりはありません」
医学的な立証は難しいが、椎名さんのもとには様々な〝健康被害〟の報告が届いている。鼻血、肩甲骨の痛み、目のくま…。
しかし、福島の医師の中には、甲状腺検査をあっさりと断る者もいるという。
「病院の診察室で放射能の話題を切り出したら、医師の背後で看護師が両手でバツを作るんです。先生が診てくれなくなる、と。これは本当の話です。これが福島の実情なんです。もっと記者の方々には肌で感じて欲しい。ジャーナリストの本分を全うして、福島を伝えて欲しい」
ジャーナリスト・鎌田慧さんをして「90歳のハンストは歴史的なこと」と言わしめたこの日のハンスト。その陰で、多くの無名な人々の闘いが続けられていることも、忘れてはいけない。
「お二人の参加は大変励みになる」と語った
椎名さん。「メディアは福島の現状を伝えて欲しい」
と、涙ながらに訴えた
(了)
現在進行形の被曝から子どもたちを守れ~ふくしま集団疎開裁判報告会
昨年6月から法廷闘争が続いている「ふくしま集団疎開裁判」。全国から支援を受け注目されているが、一審の郡山地裁は訴えを却下、仙台高裁での争いに舞台は変わった。23日には、弁護団を率いている柳原敏夫弁護士と、意見書を書いた琉球大学の矢ヶ崎克馬名誉教授が都内で講演。福島の子どもたちを取り巻く環境の危険性を解説、裁判へのさらなる支援を呼びかけた。原発事故から1年が過ぎ、被曝への危機感が薄れ始めている福島にあって、裁判の長期化は決して得策ではない。この瞬間にも進行している子どもたちの被曝。一日も早い勝利に向けた想いを聞いた。
【半年に一度は甲状腺の検査を】
「福島の子どもたちが今もなお、放射性セシウムによる細胞切断を受け続けているんです」
たんぽぽ舎(東京都千代田区)を初めて訪れたという、琉球大学の矢ヶ崎克馬名誉教授は、静かに、しかし怒りに満ちた声で講演を始めた。
1986年のチェルノブイリ原発事故で被害を受けたウクライナ・ルギヌイ地区と福島・中通りが汚染状況が似ていることに着目。ウクライナでは、年間被曝線量が5mSV以上を「移住義務地域」、1~5mSVを「移住権利地域」を定めているが、ルギヌイ地区では両地域を合わせても面積の13%であるのに対し、福島市では実に33%、郡山市でもルギヌイ地区を上回る面積がこれにあたるという。
「チェルノブイリ周辺を調べることが福島の子どもたちの現状にたどり着く近道だと思ったが、予想以上だった。福島の方がむしろ、汚染は酷いと言っていい。しかし、日本政府は年間被曝限度量を20mSVに引き上げてしまった。日本人は原発事故が起きると他国より20倍、体力が増すのか?政府は国民の生命を守ろうとしていない。東電と政府の責任をいかに軽くするか、そればかり考えている」
ルギヌイ地区では事故後、感染症や新生児の先天性障害の増加、老化の早まりなどの影響が確認されたという。老化の進行に伴って寿命も短縮し、男性で15年、女性でも5-8年短くなったとのデータを紹介した。
今年2月に仙台高裁に提出した意見書では、福島県が1月に発表した甲状腺検査結果に触れ、警鐘を鳴らしている。同検査では、南相馬市、川俣町、浪江町、飯舘村の4市町村の子ども(18歳以下)3765人のうち、実に30.4%で5ミリ以下のしこりか20ミリ以下ののう胞(腫瘍)が見つかっている。
これに衝撃を受けた矢ヶ崎名誉教授は「私は大変な結果が出たと思う。〝ミスター100mSV〟山下大先生(山下俊一福島県立医科大学副学長)が『被曝の影響は何も出ていない。次の検査は2年後で良い』などと言っているが、とんでもない間違い。被曝が続いている以上、いずれ悪性腫瘍に変わる可能性もあるわけで、長くても半年に一回は検査をするべきだ」と強く批判した。
「電力がみんなが使うのだからある程度の犠牲はしょうがない、なんて受忍の強制ですよ。よくぞそんなことがずっとやられてきたなと思う」と講演をを締めくくった矢ヶ崎名誉教授。「福島の子どもたちを健康被害に遭わせないためにも、一緒に闘っていきましょう」と呼びかけた。
ふくしま集団疎開裁判では何度も意見書を提出
している
【来月、2週間かけて福島を調査】
在沖米軍が1995年、沖縄県・鳥島に1520発もの劣化ウラン弾を誤射する事件を機に、内部被曝に関する研究を始めたという矢ヶ崎さん。裁判の弁護団は「チェルノブイリと福島を科学的に結び付けてくれる、金鉱のような存在」と全幅の信頼を置く。
来月には、2週間かけて福島県内を回り、子どもたちを被曝から守るために何をするべきか、調査するという。「1.0μSV以下なら安全なんて言う人がいるんですか?驚きました。政府や行政から安全だと言われ続けているんですからね。そのつけが全部、住民に回されるのに…今や『被曝の危険』という言葉すら口にできない社会的プレッシャーが福島にはありますからね」とため息をついた。
国や行政が原発事故による健康被害を否定し続けるなか、矢ヶ崎さんのもとには各地から健康被害の報告が寄せられている。東京・町田市の5歳児は事故後、鼻血や下痢が頻発するようになり、時には25-30分間にわたって「水道の蛇口を前回にしたような」鼻血を出すほどだという。
アメリカでもチェルノブイリ事故直後、免疫低下が拡大、AIDSによる死者が急増したという。日本でも原爆投下の5年後から小児がんが増え始め、ピーク時には戦前の7倍にまで達した。その背景に、原爆によって拡散した放射性物質を口にした乳牛から作られたミルクの存在があるとの報告がある。それらを受け、矢ヶ崎名誉教授は「来年あたりからますます健康被害が現れると危惧している。長い闘いになるが、ICRP(国際放射線防護委員会)体制によって被曝が隠されることのないよう、子どもたちを守っていきたい」と話した。
依然として放射線量が高い郡山市。
市教委は「着実に線量は下がっている」と話すが、
1.0μSVを超す場所は少なくない
【「疑わしきは保護する」の予防原則で】
裁判は昨年6月24日、年間被曝線量が1mSV以下の安全な環境で教育を受けられるように行政の責任での集団疎開を求めて、郡山市内の小中学生14人が市を相手取って起こした。
一審の郡山地裁は昨年12月、野田首相が福島原発の「冷温停止宣言」をした日に、訴えを却下した。弁護団は線量などを科学的に分析して子どもたちの置かれている環境の危険性を唱えたが、郡山市はそれらをすべて「不知」(積極的に争わず、しかし相手の主張も認めない態度)として、科学論争に応じなかった。裁判所も矢ヶ崎名誉教授らの意見書は全て黙殺された。「挙げ句には、年100mSV以下なら問題ないという、審理では一度も議論になっていない主張を裁判長は持ち出して訴えを却下した。裁判のイロハを踏みにじる行為だ」(柳原敏夫弁護士)
争いの舞台は仙台高裁に移されが、郡山市は今月17日、反論の答弁書を提出した。
答弁書では、3割の子どもにしこりが見つかったという検査は、原発周辺自治体で郡山市より線量が高い、チェルノブイリ事故の場合は食品規制などが遅れた結果、甲状腺がんなどが増えた。今回は被曝防護のために様々な対処をしてきた、チェルノブイリ原発周辺で健康被害が広がったのは、過剰な避難によるストレスが原因とするロシア政府の報告書もある─などと反論しているという。これまで科学論争には応じなかった同市だが、答弁書では年間被曝量100mSVにも「危険性については十分な疫学的データが無い」と触れている。弁護団ではさらに内容を精査し、5/20の期限までに反論書を提出する。
柳原弁護士は、福島県内に広まりつつあるあきらめや放射線量への慣れについて「やはり、具体的な健康被害が続々と報告されないと実感されないのかもしれない。そもそもストレスやノイローゼが体調を崩すと言うが、赤ちゃんが放射性物質でノイローゼになるだろうか」と表情を曇らせた。「法廷闘争が長期化してしまっていることは、誠に不本意なこと。しかし、チェルノブイリ事故でも汚染マップが公表されるまでに5年もかかっている。のんびり構えるつもりはなく不本意だが、なるべく早く疎開を勝ち取りたい」と決意を示した。弁護団の立ち位置は「疑わしきは保護する」の予防原則。その言葉を胸に争いは続く。
〝ホットスポット〟開成山公園で遊ぶ女児。
原発事故から1年経ち、公園には子どもたちの
姿が見られるようになったが、線量は依然として
高い
(了)
【13カ月目の福島は今】 郡山市の放射線量は本当に下がったのか
郡山市のホットスポット・開成山公園に、子どもたちが戻り始めた。わが子を連れてきた母親は、外遊びさせないことで子が抱くストレスを嫌がる。行政による除染が進んでいることを挙げる人や、中には「1.0μに達しなければ不安を感じない」と言う母親も。近くの短大に通う女子生徒は「今さら被曝を警戒しても手遅れ」と笑い、郡山市教委は「線量が着実に下がった」として、学校での屋外活動「3時間ルール」を解除した。共通するのは「いちいち気にしていたら生活できない」「この程度なら大丈夫」という想い。しかし、安心できるほど線量は下がっていない。開成山公園でわが子を遊ばせてはならない
【被曝回避よりストレス解消】
うれしそうに走り回る女の子。もうすぐ3歳。ベビーカーには、未曽有の原発事故をもたらした巨大地震のわずか30分前、昨年3月11日午後2時11分に生まれた弟が座っている。地震で断水し産湯につかれなかった弟だが、元気に1歳の誕生日を迎えた。二人を幸せそうに眺める母親(29)。本来ならのどかな春の風景だが、手元の線量計は0.7μSV前後を推移している。
「外遊びができないストレスよりも、公園で思い切り遊ばせたいんです」
母親は毅然と話した。県外避難を勧められたことは、一度や二度ではない。しかし、自分も夫も福島に生まれ育ち、頼れる親類もいない。「母子避難をしたら二重家計になる。そんな余裕はうちにはありません。いろいろと心配してくれるのはありがたいですけれど…」
別の30代の母親は、3人目を妊娠中。来月にも出産する予定だがマスクはしていない。
屋内型の施設に行ったが定休日で開成山公園に来たという。ここに来るのは震災以来初。2人の子どもを遊具で遊ばせながら、母親は話した。「普段はなるべく外に出さないようにはしていますよ。でも、暖かくなっていたし、30分くらいなら大丈夫じゃないですか。やっぱり屋外で遊ばせたいですよね。ストレスを溜めるのはかわいそうです。専門家も健康に影響無いって言ってるんでしょ?」
母親らがわが子を遊ばせる根拠として挙げた
除染効果を示す市の看板。しかし、実際には
書かれた数値ほど線量は低くない
=開成山公園
【0.55μSVに「線量下がった」と言う母親】
開成山大神宮では「桜まつり」が開催中。参道に屋台が並び、花見ムードに包まれている。
「被曝?1.0μSVにならなきゃ大丈夫じゃね?今さら注意したって手遅れだよね(笑)。気にしたって仕方ないし。親は心配しているみたいだけど…。昨年はお祭りできなかったんだから、楽しまないとね」
郡山女子短大生のグループは、一様にこう話した。彼女たちの関心は、被曝よりもっぱら屋台の焼きそば。歓声をあげながら、次々と屋台をはしごしていった。
「1.0μSV以下なら安心する」
偶然にも、開成山公園で出会った母親も、同じ言葉を口にした。手元の線量計は0.3μSVを超すと警報音が鳴る仕組みになっていると説明すると、「0.3μSVなんて相当低いのに」と驚いた表情をした。1年という時間の経過と小数点がもたらす慣れと錯覚。二本松市でも南相馬市でも、皆、同じように話していた。「0.9と聞くと、つい『あー低いな』と思ってしまう」。
開成山公園で母親は、「ほら、あんなに線量低くなったじゃないですか」と、近くのモニタリングポストを指さした。「低くない」と言う私を見て、彼女は首をかしげた。
赤く表示されていた線量は、0.55μSVだった。
開成山大神宮で開かれている「桜まつり」
女子短大生らは「1.0μSV以下なら大丈夫」
と笑った
【線量下がったと「3時間ルール」解除】
郡山市内の線量が着実に下がっているという認識は、市教委も同じだ。
原発事故以来、児童・生徒の被曝を回避しようと屋外活動を制限してきた「3時間ルール」を3月31日をもって解除したのだ。
市教委学校管理課は、解除の根拠を3つ挙げた。
①校庭表土など学校施設の除染が進み、どの学校も0.2μSVを下回っている。もっとも安全な場所の一つとして学校を位置づけられるようになった。
②昨年10月から今年2月にかけて、個人積算線量を3回調査したが、全ての子どもが1mSVを下回った。医師など専門家も、健康に影響を与える数値ではないとのことだった。
③周辺他市の動向も参考にした。
市教委によると、「3時間ルール」によって運動会を縮小したり、部活動ができなくなるなど、多くの弊害があったという。
「元々、学校生活の中で屋外活動が1日3時間を超すことはないんです。学校側も節度ある時間でやっていたわけですから。それに、解除したからといって突然、無制限になるわけではないんですから」
「子どもにとっては、学校行事は一生に一度しかありません。心の部分ということもあるんですよ」とも。
同課幹部は「あまり後ろ向きにとらえないで欲しい」と再三、強調した。
線量の低減を繰り返し口にする幹部。「依然として低くない」と言うと「そうは言っても、昨年の4月、5月の頃とは全然違うんですよ。子どもを取り巻く環境は着実に改善されているんです」と反論した。
別れ際、私は言った。
「解除するにしても、マスクの着用を徹底させるなど、子どもたちを守って欲しい」
すると、市教委幹部は議会答弁のような言葉を返してきた。
「マスク着用、手洗い・うがいの励行は、以前から呼びかけています」
(了)
【13カ月目の福島は今】 二本松市に「ほんとの空」が戻るのはいつか
「智恵子抄」で知られる高村智恵子が生まれ育った二本松市。福島原発から50km以上も離れたこの街もまた、依然として高い放射線量になす術もない。ある女性は家庭菜園の野菜作りをあきらめた。ある女性は息子夫婦への健康被害を案ずる。変わり果てたふるさと・二本松。原発さえなければ。田畑の広がる春の二本松市を歩いた。本当の復興にはあと何年かかるの?住民の問いかけに何も答えることができなかった。
【家庭菜園の長ネギは食べずに廃棄】
女性(63)の目は真っ赤だった。もう少しでこぼれ落ちそうになる涙。
手入れの行き届いた庭に入ると、線量計の数値は0.8-0.9μSVを示した。雨どい直下では2.5μSV。落ち葉が溜まった側溝では、4.0μSV近くにまで達した。室内に戻っても、0.25μSV前後。頭では分かってはいたが、実際に数値を目にした衝撃は大きかった。生まれ育った二本松市がどうしてこんなに放射性物質に汚染されてしまったのか。考えれば考えるほど、悲しみが募ってくる。
「今までこれが当たり前だと思って生きてきたけれど、原発事故を機に地場野菜を食べないようになって初めて、中通りの野菜って美味しいんだなって気づいたんです。お米もそう。福島って住みやすい土地なんですよね。特に二本松市のキュウリなんて、本当に美味しいんですから」。庭の一角を活用した家庭菜園には立派な長ネギが育っているが「食べずに捨ててしまいます。お友達に食べてもらうのが楽しみだったのに…。中通りの野菜はもう、食べられません」。
大好きな庭仕事も戸惑いながらの毎日。高線量を意識するようになって、霞ケ城公園への散歩の機会も減った。自身に子はないが、隣家の幼子が避難せずに暮らしているのを見るにつけ、胸が痛む。「週末だけ、放射性物質を排出するために県外に保養に行っているようだけれど…」。
同市には浪江町から避難してきた人向けの仮設住宅が多数、設けられた。
「あの方々には帰る家が無い。それに比べれば私たちはまだ良い方かな、と。そうでも思わなければやってられません」
ペットのインコが彼女の悲しみを癒すように唇をつついた。
二本松駅からほど近い民家。
立派な庭では地上1mで0.8-0.9μSVだった
【せめて放射性物質に色が付いていたら】
「昔は職場で労組に加入していましたから、福島原発への反対運動にも参加しました。何回も行った。でも、事故が起きたらここまで被害が拡大するとまでは当時も思ってはいませんでした。結局は、無知でしたね…」
二本松市に住んで23年になるという女性(61)は言った。怒りのような後悔のような表情をにじませて。
大好きな庭仕事を終えて部屋に戻ると、線量計の数値が上がる。掃除機をかけたり、拭き掃除をしたりすると下がると言われて実践してみると、確かに下がった。しかし、何回やっても0.2μSVより下がることは無かった。
「完全防護をしての庭仕事、食材は県外から取り寄せる…。いくら頑張っても線量はちっとも下がらない。せめて放射性物質に色がついていれば。匂いがしたら」
気がかりなのは、離れて暮らす息子夫婦。福島県内で生活しているだけに、特にまだ若いお嫁さんの身体が心配でならない。「できることなら、海外にでも逃がしてあげたいくらいですよ。福島で生きていく以上は仕方ないとも思うし…。複雑です」
福島市に生まれ、郡山、二本松とずっと福島県で生活してきた。
自ら勉強会や反対運動に参加してきた福島原発によって、これだけの被曝が広がることになろうとは想像すらしなかった。
女性宅は、玄関先で0.8-0.9μSV。リュウノヒゲに線量計を近づけると1.5-1.7μSVにまで跳ね上がった。
「芝生もリュウノヒゲも駄目ね。業者に頼んで、除染をしようと考えています。やっぱり高いですね。全部、コンクリートで封じてしまいたい」
本当に封じ込めたいのは、息子夫婦への健康被害なのかも知れない。
東北本線沿いの農地は、軒並み高線量だった。
原発事故から1年以上が経った二本松市。原発
からの距離は50kmを超す
【賠償金も心の傷は癒せない】
文科省の調べでは、空間線量が0.2μSVを下回るのは118地点中わずか7地点にとどまる二本松市。
東北本線・二本松駅から杉田駅まで自転車で走ったが、0.3μSVに設定された線量計の警報音は鳴りっぱなし。ずっと0.6μSV辺りを推移した。局地的に1.0μSV近くにまで上昇することはあっても、著しく下がることは無かった。0.6μSVは「管理区域」とされる値だから、同市の多くの地域は本来、人が生活することさえ危険が伴うほどの高線量であるとも言える。実際、二本松駅近くの「市民交流センター」に設置されたモニタリングポストは、0.6μSVを上回っていた。近くを流れる川では、小学生が川遊びを楽しんでいた。とても外遊びができるような状態ではないが、下校途中の高校生たちも、マスク姿は皆無。この街に漂うのはあきらめなのか。
先の女性は、除染が済んだ公園で走り回る子どもたちを眺めながら「子どもが少なくなった街なんて、死んじゃった県よね」とつぶやいた。大がかりな除染が行われたことによって線量は下がった。だが、子どもたちが走り回る地下には、持って行き場の無い汚染土が眠る。〝同居〟に変わりは無い。
女性の銀行口座には、東電から早々に8万円の賠償金が振り込まれた。しかし、心の傷を癒す力を持ち合わせてはいなかった。
「お金じゃないんです。金額じゃない。数年で本当に復興できるの?できるわけないでしょう。数十年後、子どもたちの身に何も健康被害が起きていないことを本当に祈ります」
高村智恵子像は今日も、あの時のきれいな青空を求めて、安達太良山を指さしている。
JR二本松駅前で空を指さし続ける智恵子。
安達太良山に「本当の青空」が戻る日はいつか
(了)
【13カ月目の福島は今】 高線量とがれきと警戒区域解除~南相馬市
東を向けば津波の猛威がもたらした震災がれきの山。西を向けば人が住めるとは思えない高線量。そして警戒区域は解除された…。伝統行事「相馬野馬追」で知られる南相馬市。津波と被曝のダブルパンチに見舞われたこの街もまた、多くの苦悩を抱えていた。がれきの山しかなくなってしまった海の手、線量計の数値がぐんぐん上がる山の手を歩いた。そこには「復興」とは程遠い現実が広がっていた
【9頭の愛馬とともに残った老人】
老人は、降り出した雨も気にせず、いすに座りながら馬にえさを与えていた。
南相馬市原町区。
広い土地を利用して飼い始めた馬は、気付けば9頭に増えていた。
「わしは戦争で2回死んだ男。101歳になる」と笑う老人の自宅は、警戒区域の見直しで「居住制限区域」に指定された。しかし、避難する意思は全くない。「こいつらを置いて逃げられるか」と、家族や親類の言葉にも、耳を貸さないという。結局、家族も「おじいちゃんを独り、残すわけにはいかない」と、共に残ることを決めた。
「本人は良いけど、家族はたまったものではない」と親類の一人は苦笑した。「でもね、これも原発事故の一端なんです。世代によって、被曝への考え方があまりに違う」とも。ある地区では、20軒のうち3軒が年間積算線量が20mSVに達しないとみなされて、避難対象から外されたという。わずか0.2の差。避難した17世帯には、住まいや家電7点セットが用意された。残された一人が不満を口にすると、「そんなに電化製品をもらいたいのか」との誹謗中傷が聞こえてきたという。
老人の親類は怒りをぶちまけるように続けた。「桜井勝延市長は常々『市民を分断するな』と言っているけれど、現実にはこうしてどんどん分断されているんです。果たしてこれで、市民は守られますか?コミュニティは存続できますか?」
一心不乱にエサを食べる愛馬を、老人は目を細めて見守り続けた。
手元の線量計は1.2~1.4μSVと高い値を示していた。
「馬を置いては行かれない」と、かたくなに
避難を拒む101歳のお年寄りがいる。家族も
「おじいちゃんを置いては…」と残留を決めた
【山積みされたままの震災がれき】
見渡す限りの平地。整然と分別・整理された震災がれきに言葉を失う。
「かつての姿を知らない人からすれば、まるでこれから宅地造成をする土地のようでしょうね」
案内してくれた男性がうつむきながら言った。
「これでもだいぶ、片付いた方です。以前、私がここに来た時はまるで地獄絵図。絶句するというのは、ああいうことを指すのでしょうね」
巨大な鉄球で叩き潰したかのような乗用車の列。中には消防自動車もある。別の山は、自転車や鉄くず。さらに別の山はぬいぐるみなどの生活雑貨。何台ものクレーン車が、黙々と分別作業を続けている。私が新宿駅近くで右往左往していたころ、ここでは想像を絶する威力の津波が猛威を振るっていたのだ。
海からかなり離れた住宅街にも、津波の傷跡は鮮明だった。消防団の拠点は、建物は辛うじて残っているものの、一階部分は完全に空洞になっていた。少し高台にある民家も、外から見てもはっきり分かるほど室内が波に洗われた。建てて数年と経っていないと思われる住宅にも、ブルーシートの応急処置。しかし、人の住んでいる様子はない。ガードレールも砂防林も、原型をとどめないほど変わり果てていた。
桜井市長は昨年6月、都内で開かれた講演会で「毎朝、震災がれきを見ながらジョギングをしている」と話した。それが亡くなった市民を弔うことになると。
しかし、復興を放射性物質が妨げる。
がれきの山の一角には、卒塔婆が立てられていた。
海岸線近くには、依然として震災がれきが
山のように積み上げられている。ぺちゃんこに
なった乗用車が津波の威力を物語る
【原発のせいですべてが台無しに】
南相馬市に生まれ育った男性(61)は、「賠償金なんて要らない、原発事故前の姿に戻してほしい」と憤った。
千葉県に嫁いだ娘は、妊娠を機に帰省し、実家で出産する段取りになっていた。それが叶わなかったばかりか、今や帰省しても被曝を回避するため実家には泊まらない。「確かに地震も津波も天災。でも、原発さえなければ…。あれのおかげで全てが駄目になってしまった」。
地元の農業高校では馬術部に所属した。野馬追の怖さも勇壮さも知り尽くしているが、地域の花見でも話題はやはり、被曝の問題だ。「そうはいっても、放射能は色も匂いも無い。肌がかゆくなるわけでもない。それに、小数点以下の数値にみんな、慣れてしまっている。心配している私が頭がおかしいみたいになってしまう」
震災直後には、山形市内の体育館で1カ月間、避難生活を送った。戻ってきた自宅は、雨漏りしていたこともあって、室内でも1μSV以上あった。それだけに「いま、声を上げるのはわれわれ大人の世代の責任だ」との思いが強い。
放射線量の発表の仕方にも不満が募る。
「こんなに広い街なのに、数値は基本的には一つしか出ない。幅をもたせて○○~○○と好評するべきだ」
「後で笑い話になるのはいいんです。今は大げさなくらいがちょうど良い。若い子たちが被曝するのは看過できないんですよ」
男性は都内で開かれた6万人集会にも、郡山市の県民大集会にも参加した。
「だって、それしかできないじゃないですか。ささやかな抗議行動ですよ」
(了)
【13カ月目の福島は今】「被曝花見」に興じるな~弁天山、花見山を歩く
「福島に桃源郷あり」と称された花見山公園に、今年も花見客が集まる。年配者を中心に、中には幼子を連れた若い夫婦も。見上げれば、その名に違わず美しい花が競演している。一見、のどかな春の日だが、手元の線量計は1.0μSV超。花を愛でる間にも確実に被曝は進んでいるのだ。厳しい冬が過ぎ、ようやく春が訪れた福島市。花見のメッカ・花見山公園と渡利地区のシンボル・弁天山を歩いた。そこで聞かれたのは、高線量への「慣れ」と「あきらめ」。福島市で生きていく以上は被曝も受け入れなければならないのか。子どもたちの〝道連れ〟もやむを得ないのか…。美しく彩り始めた花々とは対照的に、そこはまさに「被曝花見」だった
【梅干しが作れなくなった渡利地区】
「取材にでも来た?」
弁天山への道案内をしてくれたのは、会津から渡利へ嫁いできた60代の女性だった。
「ボランティアの方々が2回も除染をしてくれたけど、線量は下がらないね。県外に避難した方が良いのかもしれないけれど、この辺りは持ち家が多くてね。そうすると出るに出られないんだよ」
高線量地区として、すっかり全国区となってしまった渡利。道すがら、梅の木を伐採する光景に出くわした。
「うちもね、梅の木を切ったよ。この辺は梅干しとか梅酒に加工する家が多くてね。これだけ汚染されていると加工できないでしょ。だから切っちゃうんだよ。悲しいけれど仕方ないね」
お母さんに礼を言って山道を登る。途中、可憐なカタクリの花を撮影に来ていた老夫婦とすれ違った。
聞けば、福島競馬場近くの東浜地区に住んでいるとか。阿武隈川沿いの同地区も線量が高い。
「ボランティアが除染したのはここですか?TVでやってたな。しかし、効果は上がっているのかな
山頂に向かって整備された遊歩道を上がっていくが、手元の線量計は毎時1.0μSVを下らない。場所によっては毎時2μSV近くにまで達する地点も。やっとの思いで山頂にたどり着くと、先日の除染作業で生じた汚染落ち葉が山積みされていた。線量計を近づけると軽く4μSVを超える。福島市によると、従来通り「一般ごみと同じくごみ処理工場で燃やす」。せっかく除染しても線量が下がらないばかりか、燃やして放射性物質を拡散する愚。全国から募ったボランティアが2回にわたって除染をしたが、結局。、山頂のモニタリングポストは1.3μSVを超す数値を示していた。弁天山は早急に、立ち入り禁止にするべきだ。
ふもとの手打ちそば店従業員女性は言う。
「原発事故から1年が経ち、高線量には慣れてしまっています。渡利の小中学校は児童数は減っていますが、現実に避難となると難しいです。うちにも小中学生がいます。心配ではあるけれど…」
頂上の展望台でも毎時1.0μSVを超した弁天山。
これから美しい花が咲き誇るが、決して近づいて
はならない
【福島で生きることは、高線量を受忍することか】
弁天山からさらに東に歩を進めると、写真家・秋山庄太郎氏に「福島に桃源郷あり」と言わしめた花見山が広がる。遠くからでもきれいな色の花が確認できる。さすが、桃源郷といったところだ。
今年は長年の開放で傷んだ木々の養生目的で入山は禁止。花もまだ満開ではないが、好天に誘われて多くの観光客でにぎわっている。
遊歩道入口の売店で働く女性は言う。
「私もまだ40歳前ですから、放射線量が高いのは心配です。心配ですけど…。どうすることもできないですよね」
。この女性には二十歳になる子どもがいるが、お手上げといった様子で苦笑した。
別の売店の女性は、伊達市梁川町在住。「数値に慣れてしまっているんですよね。0.6だと『あ、1.0より低いんだ』って思ってしまうんです。本当は低くないんでしょうけど。線量が高いのであれば、なぜ国や県は住民を避難させないのでしょうか」と複雑な胸の内を明かした。
年配者が多いなか、ベビーカーなどで乳飲み子を連れた若い親の姿もあった。
ある老夫婦は、幼稚園児の孫を連れてうれしそうだった。男児が遊んでいた周辺は、手元の線量計でも毎時1.5μSVを超す高い値を示した。しかし、親は線量を気にする様子もなく子どもを遊ばせている。その光景を撮影していたアマチュアカメラマンの男性に声をかけると、50代の彼は堰を切ったように怒りを露わにした。
「福島で生きていくということは、線量の高さなんて気にしてはいられないんですよ。そりゃ、子どもにとって良くは無いでしょう。では、どうすれば良いんですか?避難したくてもできないのであれば、受け入れるしかないんですよ。悲しいですよ。あなたに分かりますか?この悲しみが」
吐き捨てるように言った彼が立ち去る。手元の線量計は、依然として警報音を鳴らしている。私はしばし、立ち尽くす。彼の言い分はきっと、多くの福島市民の想いだろう。しかし、やはり私は子どもたちの被曝を是認するわけにはいかない。憤然と立ち去る男性。楽しそうにはしゃぐ子ども。花の美しさとは裏腹に、高い放射線量が子どもたちを襲っているのは事実なのだ。
美しい花の競演が広がる花見山公園。福島
市内でも線量は高い地域だ
【2、3時間の観光なら大丈夫とい信じたい】
シャトルバス乗り場近くには、福島市観光協会が案内所を設置。日々の放射線量を掲示している。
暖かい陽射しに似つかわしいソフトクリームのポスター下に書かれたのは毎時1.23μSV。
「僕ですか?マスクしなくても平気っす」
20代と思しき男性はマスクもせず、訪れた人々の案内に精を出す。彼のいるプレハブ小屋に張り出された手書きの紙には、毎時1.65μSVという高い値が記されていた。
「僕たちとしては情報を公開して、あとは来る来ないは市民の方々の自己判断にお任せするということです」
その横を、ベビーカーを押しながら若い夫婦が通り過ぎた。
「飯坂町に住んでいるので、渡利地区の線量の高さは気にはなります。でも、2、3時間観光で来るだけなら大丈夫かなと思いました。そう思いたいです。思うしかないというか…」
20代前半の母親は話した。しかし、実際に遊歩道で計測された数値を伝えると「えっ、そんなに高いんですか?」と表情を曇らせた。そして続けた。「でも、ここで生活していく以上、ある程度は仕方ないですよね」
どの場面でも共通していた「仕方ない」「どうしようもない」というジレンマ。
一方で、この一年間聞かされてきた放射線量に対する歪んだ「慣れ」。
わずか一年前に原発事故など無かったかのような春の福島。
仕方ない、では子どもを被曝から守れない。
(了)
税金で安全をPRする時代は終わった~東海村・アトムワールド閉館
昭和30年代、神奈川県横須賀市との原子力施設誘致合戦に勝利した茨城県東海村。最寄駅の案内板では、今や「名所」と表される原子力施設の一角で、子どもたちへの安全PRの場として活用されてきた「アトムワールド」(東海展示館)が、31日をもって閉館。30余年の歴史に幕を閉じた。漫画や遊びの要素をふんだんに盛り込んで展開される「原子力の素晴らしさ」「未来のクリーンエネルギー」…。JAEA(日本原子力研究開発機構)の職員は言う。「税金を使って原子力施設の安全性をPRする時代は終わった」
【ウラン坊やとプルト君がガイド役】
JR常磐線、東海駅から東に30分。「動燃通り」と名付けられたバス通りを歩くと、突き当たりが独立行政法人・日本原子力研究開発機構(JAEA、旧動燃=動力炉・核燃料開発事業団)。警備員がにらみを効かせる一角に、東海展示館「アトムワールド」はあった。1981年3月の開館以来、多くの子どもたちを迎え入れ、未来のクリーンエネルギー「原子力」や「核燃料サイクル」をPRしてきた。
「パパすごいよ、こっち見て」
来館者がほとんどいない館内で、小学生の女の子が、つまらなそうに歩く父親の手を引いて駆け出した。指の先には「プル燃劇場」。プルト君が、ウラン坊やと共に高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)の構造を説明している。
「ウランはくりかえし利用できます」「プルトニウム燃料開発施設の安全性に十分配慮しています」「使用済燃料の再処理は、資源の乏しい日本にとって大切です」…
館内には、原子力エネルギーの素晴らしさ、安全性を説く言葉が並ぶ。
リスクには触れないばかりか、いかに自然界に放射線が飛び交っているかが強調されている展示も。
しかし、一カ所だけ電光掲示が消えて真っ暗になっているパネルがあった。
全国の原発運転状況のパネル。
ランプの消えた日本地図が、安全性をPRするはずの展示物の中で異様な存在感を示していた。
「地元の要請もあって建設しましたが、もはや税金を使って原子力施設の安全性をPRする時代では無くなったということなのでしょう」。JAEA職員はため息交じりに話した。
東海村では原子力施設までもが「名所」(上)
3/31をもって閉館したアトムワールド(下)
【多い日は400人もの来館者】
ロビーに掲示された色あせた新聞記事が、開館直後のにぎわいを報じていた。当時は、多い日で400人もの子どもたちが訪れたという。授業の一環でも活用されたようで、東海駅近くで開業している美容師は「この辺りの人は、一度は行ったことがあるんじゃないかな。ええ、私ももちろん、子どもの頃に行きましたよ」と笑顔で話した。
「東海展示館」というカタい名前は、一般公募で「アトムワールド」になった。「原子力の平和利用を推進する村」のシンボルのような存在になった。
順路の入口では、訪れた子どもたちからの感動と感謝が綴られた手紙が披露されていた。
「ウランや原子力発電など、いろいろよくわかりました」
この子たちは、一体何が「わかった」のだろう。
「パパすごいよ」と声をあげた女の子の脳裏には、何が刻み込まれただろう。
アトムワールドからほど近い「原子力科学館」(茨城原子力協議会)でも、1999年9月に起きたJCO臨界事故を風化させないようにと特別展示が設けられているが、同じ室内では放射線の有効活用、素晴らしさが説かれている。結局、この村では原子力は未来を創造する素晴らしいエネルギー源でしかない。
「感謝の言葉」が披露されている。すべてが
礼賛・絶賛だ
【展示館の運営費用を福島へ】
JAEA職員が解説した。
「私どもでは、これまでに使用済み核燃料の再処理で抽出したプルトニウムを液体の状態で保管しています。ウランはメーカーに払い下げます。保管しているプルトニウムの量は、少なくとも原爆10発分に匹敵します。もちろん、転用されないように純度を下げて、地下500m以上の深さに閉じ込めてあります。三重四重に遮蔽してあり、地下に行けば行くほど揺れは小さくなるので東日本大震災規模の地震が来ても大丈夫です。しかし、より安全性を高めるために早くガラス固化をして保管したいと考えています」
しかし、この職員も、福島原発事故を機に高まりつつある脱原発の機運は実感している。
「もんじゅとの連携がままならない中で、今回の原発事故。このまま原発再稼働が進まなければ、ここの施設も必要なくなるということでしょう。今回の閉館にしたって、ここでPRに使っている費用を福島の除染や廃炉に向けた費用に充てろとの政府・民主党の指示ですから。私どもの研究費用も削られました。多量のプルトニウムを安全に保管し続けなければならないですから、すぐにおしまい、という訳にはいきませんが…」
建物の外では、暖かい春の陽射しの中、役割を終えたウラン坊やとプルト君の着ぐるみが干されていた。館内では、閉館までまだあと1日あるのに、早くも展示物の撤去作業が始まっていた。「安全安心」を垂れ流す施設は、もう要らない。
もはや出番が無くなり〝干された〟プルト君(下)
(了)
避難者たちが「ふるさと福島」を語る~東京・八王子で交流会
母親は、幼子の手を引きながら故郷を後にした。求職中の男性は、「死ぬときは浪江の土で眠りたい」と遠い故郷への想いを語った─。25日、東京・八王子市内で開かれた交流会「つながろう!八王子で!」で、福島県から避難している方々に胸の内を聞いた。原発さえなければ終わることなかった故郷での生活。原発事故さえなければ、親しい友人も住み慣れた自宅も失うことは無かった。避難者たちは静かに、しかし力強く話した。原発事故から1年。現在進行形の避難生活が、そこにはあった。
【あなたは良いね~胸を貫いた友人からの言葉】
温泉街として有名な福島市飯坂町に生まれ育った女性(29)は、原発事故当時、3人目の子をお腹に宿していた。被曝を避けようと行動したのは、必然だった。
震災から5日後、幼子2人の手を握り、慣れ親しんだ故郷を出た。
ナイジェリア国籍の夫が、都内で自動車輸入の仕事に就いていたことは幸いだった。
「仕事の関係で避難できない人は多いと思う。私は子どもがいたから敏感にならざるを得なかった」
武蔵野市内の都営住宅への入居が叶い、2年間の期間限定ながら、家賃負担の無い安住の地を得た。日赤から、家具6点セット(冷蔵庫、洗濯機、炊飯器、電子レンジ、テレビ、電気ポット)は支給された。だが、家賃以外の水道光熱費などはすべて自己負担。親戚は山形県内に母子避難をしている。二重家計の母子避難を強いられている多くの人を思うと、胸が痛い。
親しくしていた友人とは、すっかり疎遠になってしまった。50代の母親に避難を勧めても、電話を切られてしまうという。「あなたは避難できて良いね」という友人の言葉は鋭く胸を貫いたが、「避難したい気持ちがあることの裏返し。よほど動けない事情があるのだろう」と割り切ることにした。
「放射線量は落ち着いてなんかいないし、今からでもぜひ、県外に避難してほしい。でも、仕事などで避難できない人が多いことも分かります。せめて子どもたちだけでも…。週末の保養だけでも良いから始めて欲しい」
交流会の会場では、4歳の娘と2歳の息子が元気に走り回っていた。避難後に生まれた娘も7カ月になった。3人のわが子に囲まれながら、女性はつぶやいた。
「福島県民は、本当に『復興』を最優先に考えているのでしょうか。子どもの被曝回避が優先されるべきです。県は経済原理を優先して人口流出阻止に必死になっています。考えられません…」
福島市から都内に避難している女性。
「福島にとどまっている人が保養・避難できるよう、
環境づくりをしたい」と語る=八王子市内で
【月10万円の「精神的賠償」】
「3.11は、常磐線の車内にいました」
就職活動の真っ最中だった男性(35)は以来、浪江町の自宅に帰ることができなくなった。
北茨城市内からバスを乗り継ぎ、避難所を転々として移動すること3日、川俣町の体育館を利用した避難所で両親と合流できたのは、3/14になってからだった。
学校では、原発の存在も放射線についても教わることはなかった。
「子どもたちはきっと、何で避難しなければいけないんだろうと疑問に思っているでしょうね。自宅は原型をとどめているのに帰れないんだから」
仕事を求めて一念発起、昨秋から神奈川・相模原市内に移り住んだ。両親から自立するチャンスという想いもあったが、やはり福島での就職は難しいだろうとの考えもあった。
民間借り上げ住宅のため2年間は家賃負担は無いが、東電から「精神的賠償」として支払われる金は、わずか月10万円。生活費や就職活動費であっという間に消えてしまう。その金も、3カ月毎に書類が届き、そのたびに合意書などの書類を返送しないと振り込まれない。一回目の賠償請求では、それまでに支払われた仮払金や一時金が差し引かれたという。
「賠償と慰謝料は別物でしょう。東電は、本当に加害者意識があるのか。私たちを被害者だと考えているのか」
生まれ育った浪江町を「夏は涼しく、冬は暖かい。本当に住みやすい町」と表現する。
「やっぱり、死ぬときは浪江の土で眠りたい。そのためにも、本当に町がきれいになってから、全町民一斉に返して欲しい。分断しないで欲しい。きれいに戻っていないのに一部だけ戻したら、汚染された水を飲むようなことになってしまう。それでは意味がない。この想い、佐藤雄平知事に伝わるかな…」
八王子市内で開かれた避難者交流会。
来月は花見会を予定している
【交流会に来るとふるさとの話ができる】
交流会は「つながろう!八王子で!」(主宰・佐藤喜彦=http://blog.livedoor.jp/tsunahachi/ )が中心となり、昨年9月から毎月開いている。この日は、避難者や福島県出身者、ボランティアスタッフなど約30人が参加。会場には「福島民報」「福島民友」の地元紙や広報紙などが揃えられたほか、三万石から提供された「ままどおる」が並び、お茶を飲みながら会は進められた。午前中には、三多摩法律事務所の弁護士が無料相談会を開催。直接請求だけでなく「ADR」と呼ばれる紛争解決センターを介した損害賠償手続きについて説明した。
会場の一角では、「キュアイーストジャパン」(http://ameblo.jp/cureeastjapan/ )の整体師が無料でマッサージを提供。夫婦デュオ「ぷりずむぷくれDUO」(http://purizumu2.blog.so-net.ne.jp/ )の2人が、リコーダーで福島の民謡「相馬流山」などを演奏した。
八王子市内在住の男性(85)は、相馬市の出身。予科練に入り南鳥島の特攻隊に所属したが、出撃することなく終戦を迎えた。復員後は葛尾村などで教師をしていたが、30代で上京。国鉄や東芝などで勤めた。現在は、600坪の畑を色とりどりの花で飾っている。
「当時の仲間は、ほとんどが特攻隊で死んでしまった。ここに来ると故郷の話ができる」
来月の交流会は22日。八王子市明神団地自治会館で花見会が予定されている。
南相馬市への慰問を続けている夫婦
「ぷりずむぷくれDUO」も交流会に参加。
「相馬流れ山」などリコーダーの演奏を披露した
(了)
災害弱者をどう救うか~福島市の模索
高齢者や障害者などの「災害弱者」をどのように避難させケアするか、福島市の模索が続いている。市は震災前から「災害時要援護者登録制度」を設けていたが、昨年の震災時に有効に機能したか否か疑問視する声も先の市議会ではあった。住民が殺到し、混乱の極みと化した避難所では、若者でも心身に障害がなくてもケアが行き届かないのが実情。ましてやそこに放射性物質の拡散が加わったら…。災害弱者対策は福島だけの問題ではない。
【安否確認受けられなかった障害者】
市議会本会議で質問にたった市議が質した。
「7割もの障害者が、制度そのものを『知らなかった』と回答したアンケートもある。市はどのように周知しているのか。効果的な周知ができているのか」
制度、とは福島市が震災前から始めていた「災害時要援護者登録制度」のこと。登録者の情報は市だけでなく町内会や消防団、民生委員、社会福祉協議会、地域支援者などと共有され、平時から声を掛けたりすることで大規模災害時の支援につなげようとする試みだ。
在宅であり、避難が必要な際に家庭での対応が難しいなどの要件を満たした市民が対象。3/1現在、1万4695人(65歳以上の高齢者1万1102人、障害者3593人)が登録しているという。
健康福祉部長は「広報紙などで周知を図ってきた。アンケートを直接見ていないので何とも言えないが、どうしてそのような結果になってしまったのか…。今後も地域で支えあうネットワークづくりに努めたい」と困惑気味に答弁した。同市の高齢者人口は約7万人だから、登録者数はまだ1/6程度にとどまっているといえる。
「これでも、ようやく増えてきたんですよ。ああやって実際に震災を経験しないと自分の問題として考えにくいのかも知れませんね」と市職員。個人情報保護の意識が高まったことも、登録が伸びない一因ではないか、と分析してる。
この市議によれば、ある一人暮らしの障害者は既に登録を済ませたにも関わらず、昨年の震災では誰の安否確認も受けられなかったという。「この方は、発見されるまで暗闇の中で助けを待つしかなかったんですよ」と同市議。このような災害弱者を一人でも出さぬために設けられた制度。効果的な運用が求められる。
「災害時要援護者登録制度」のイメージ図
=ふくしま市政だより1月号より
【事務スタッフでの対応に不安】
福島市は今年2月、避難所での避難生活が困難な高齢者や障害者を収容するための「福祉避難所」を指定。特別養護老人ホームや身体障害者入所施設など38カ所が、震災時に災害弱者を受け入れることになった。たとえば人工肛門を装着した人が、長期間学校の体育館などの避難所で生活するのは難しい。そのような人を二次的な避難先として受け入れるのが目的だ。
しかし、すべての福祉避難所をフル活用しても、収容可能人数は534人。要援護者は1万4000人余が登録しているのだから、到底収まらない。
人材の課題も市議会では指摘された。
拠点的な福祉避難所として指定されている施設の一つに「身体障害者福祉センター 腰の浜会館」があるが、通常の運営は指定管理者に委託されており、常駐しているのは事務スタッフがほとんど。健康福祉部長は「福祉の専門家が駆け付けるので問題ないと考えている」と答弁したが、地獄絵図のような状況で、高齢者や障害者に十分なケアができるのか。不安が残る。
市にすれば、放射線対応もままならないのが実情で、災害弱者対策にまで手が回っていない様子。しかし、いつまた福島原発で大規模な放射性物質の拡散が起こるとも分からない。その時に高齢者や障害者が取り残されないよう、対策は急務だ。大規模災害に備え、全国各地での対応が必要だ
=ふくしま市政だより3月号
(了)
【福島はいま2012】苦悩続く除染~下げ止まる線量、悪徳商法も
福島原発の爆発事故から1年が経過してもなお、郡山市同様、放射線量が高い福島市。市側は、除染事業を地元業者の業績回復の起爆剤としたい考えだが、街を歩くと除染の限界が至る所にうかがえる。一方で、地元暴力団につながる企業が市民の不安感につけこんだ詐欺まがいの「除染商法」を展開しているとの情報も、行政には届いている。除染をすればきれいで安全な街が戻ってくるはずだったという想い。福島で生きていく以上、除染で少しでも放射線量を減らしたいという想い…。春まだ遠い弥生の福島市を歩いた。
【あと何回除染すれば良いのか】
阿武隈川のほど近く、福島競馬場の真裏にある福島交通本社。
多くの路線バスや高速バスが待機する中を縫うように歩くと、手にした線量計(MKS-05)の数値が上がる。側溝に近づいていくと、高さ1mでも2μSV/hを超す。濁った水面に近づけると、10μSV/hに達した。
ベテラン運転士が困惑気味に話す。
「昨年の夏に、全社員総出で除染作業をやったんですよ。7月20日頃だったかな。隅々まですべてやりましたよ、一日がかりでね。でも、またこうやって放射線量が上がっているわけでしょ。私らも、定期的に測っているから分かってますよ。これじゃ、我々としてはどうしようもないよね」
昨年の除染作業では、大量の汚染度が発生したが、産廃処理業者には引き取りを拒否されたという。
「相当、汚染されているのが分かっているわけだからね、業者だって持って行かないよね。で、仕方ないから、敷地内に穴を深く掘って埋めるしかない。とりあえず仮置きとか言ってるけれど、持って行く先なんか無いからね。どうしようもない」
除染をあと何度やれば放射性物質が無くなるのか。
汚染度はいつになったら別の場所に搬出できるのか。
ベテラン運転士の「どうしようもない」には、様々な想いが含まれている。
依然として線量が高い福島交通本社。ベテラン
社員も「昨年7月に除染をしたのに…」と困惑気味
=福島市東浜町
【競馬場周辺は依然として高線量】
市役所や競馬場が並ぶ国道4号沿いは、以前から放射線量が「下げ止まっている」(市職員)。
さらに進んだ阿武隈川の河川敷は軽く2μSV/h近くに達するし、市の下水道管理センター構内でも、軒並み1.5μSV/h前後を推移する(いずれも地上高1m)。
川沿いの住宅街、東浜地区は空間線量の高さは言うまでもないが、雨どいから流れ出た雨水や雪解け水に線量計を近づけると、やはり2μSV/hを計測する。
JRA(日本中央競馬会)が「市内でもトップクラスの除染作業ができた」と胸を張る福島競馬場だが、JRAの場内での計測では0.3μSV/h未満にとどまっているが、周辺道路では0.7~0.8μSV/hと依然として高い。正門入り口を背にして国道4号に再び戻ると、線量計の数値は1.0μSV/hに達していた。
近くに住む男性が表情を曇らせる。
「阿武隈川の河川敷が依然として高いということは、川の汚染もかなり心配ですね。さらにそこから流れゆく海も。魚介類を介した内部被曝には、今後は本当に注意しなければならないと思います」
JRAが「市内でもトップクラスの除染ができた」
と胸を張る福島競馬場。しかし、周辺の放射線量は
1.0μSV/h前後と依然として高いのが実情だ
【地元企業への除染発注を迫る市議】
13日午後に開かれた福島市議会本会議。一般質問に立った市議は除染作業に関して市側の方針を質したが、それは方法論や効果に関するものではなかった。地元経済の活性化と言う視点に立っていた。
「私も除染講習会を受講したが、一緒に受けた人たちは『何とか除染業務に参入したい』という想いが強かった。本来の請負業務が入らないからだ。そのあたりを、市はどのように考えているのか。今後も大企業に発注するつもりなのか」
福島市にとって、特に線量の高い渡利地区の除染は喫緊の課題。市側は「同地区は住宅が密集している場所もあり、周辺に放射性物質が飛散しないように注意するなど、業務遂行能力の観点からも大手企業の活用は不可欠。とはいえJV方式は変えないので、市内の企業が参入できるよう発注法域のより良いあり方を検討していきたい」と答弁した。結局議会でも、話題になるのは除染の本質ではなく、除染を取り巻く金の話だった。
市側はさらに、除染作業をめぐり詐欺まがいの商法が報告されていることも明らかにした。
「自宅周辺の放射線量を有料で計測、『線量が高い』といたずらに不安感をあおって高額な除染作業を契約するよう市民に迫ったと聞いている」。市職員によると、「市民から相談を受けまして、会社名を聞いてすぐに暴力団だと分かりました。線量が高いといっても、本当に数値が信用できるか分かりませんから。十分に注意してほしいです」
(了)







