すぐに自宅に帰れると思っていた~会津若松市で暮らす大熊町民たち
雪降る会津若松市では、福島原発からほど近い大熊町から3千人以上が避難生活を送っている。数日もすれば我が家に帰れると着の身着のまま子の手を引いて逃げた町民はしかし、帰宅を許されることはなかった。若松市内に設けられた交流スペースには、「早く帰りたい」「甘えさせてほしい」など、町民の率直な想いがあふれている。3.11から1年が過ぎたが、避難者たちが心身ともに被曝をして、先の見えない生活の中で苦しんでいる様子がうかがえる。
【大きな我が家は宝物でした】
▽「家にすぐ帰れると思って避難しました。しかし家に帰れず、気持ちは3月11日のままかもしれません」
▽「原発事故から早9カ月、いろんな事がたくさんありました。家にすぐ帰れると思って、何も持たずに親子3人で家を出たのが我が家との最後でした。悲しいです。お金は無く苦しかったけれど、大きな我我が家は宝物でした」
大熊町民の想いが綴られた「絆ノート」
会津若松市役所近くにあるスーパーマーケットの一角。NPO法人が運営する交流スペース「ふるさと絆ステーション」は、市外から避難してきた人向けの情報提供の場だ。
同市には福島第一原発から20km圏内に位置する大熊町から3371人(2/29現在)が避難している。この数字は、福島県内に非難している町民の42%、県外へ向かった人も含めても約3割に達するだけに、どれだけ多いかが分かる。行政機能も移転してきているため、同町民に対する情報発信は特に手厚い。
そこに「絆ノート」と呼ばれる1冊のノートが置かれている。冒頭の言葉は、大熊町から避難してきた2人の女性が昨年12月11日に書き込んだものだ。2人目の女性は、夫が大工。その夫が仕事を休んで丹精込めて建てた自宅はしかし、原発事故による放射性物質拡散の影響をモロに受け、主を失ったままとなってしまっている。完成した後に生まれた次女は、父親が建ててくれた自宅での思い出も作れないまま、会津若松市に避難することとなってしまったのだ。
仮設住宅に暮らす60代の男性は嘆く。「何も持ち出すことなく自宅を離れ、地震の翌日にはバスで田村市へ向かった。その後、会津若松市に移った。大熊町では3世代で暮らしていたが、家族はバラバラになってしまった。多くの方に支えてもらっているが、見通しをはっきりと示してほしい。先が見えない」
「ふるさと絆ステーション」のメッセージボードには、女性と思われる文字で次のように書かれている。
「大熊はやさしい町、きれいな町でした…。
でも、会津もとてもやさしい。
甘えさせてください。せめて…」
避難者への応援のメッセージに混じって、
大熊町民がふるさとへの想いを込めたカードも
張られている
(了)
観光客の呼び戻しに懸命な会津若松市
白虎隊、戊辰戦争、鶴ヶ城…歴史と文化の街も、原発事故による放射性物質拡散の影響をモロに受けていた。赤瓦の改修工事が終わった鶴ヶ城は徐々に観光客が戻りつつあるが、外国人観光客は9割減と大幅に落ち込み、温泉街も大きな打撃を受けている。中通りや浜通りに比べれば比較的放射線量が低く、保養や避難にも利用されているが、現状では厳しい数字が並ぶ。来年のNHK大河ドラマの舞台となり撮影も始まっているだけに、関係者は「線量の高い地域とは分けて考えて欲しい」と集客に奔走している。
【外国人観光客は9割減】
「観光客は戻りつつあります。明るい兆しが見えてきたと言って良いのではないでしょうか。でも、まだまだですね。例年の水準には遠いです」
会津若松市観光課の職員は複雑な表情を見せた。
同課のまとめでは、赤瓦の大規模改修工事が終わった鶴ヶ城天守閣の入場者数は、震災直後の昨年4月に工事着工前の一昨年比50.1%を記録。観光客離れが進んでいた。しかし、秋以降は「復興応援ツアーなど団体客が徐々に来てくれるようになった」(同課)ため減少幅は縮まり、昨年12月の入場者数は、一昨年比86.8%にまで回復している。年間累計では一昨年比64.7%にとどまったが、街のシンボルだけに、ひとまずはホッとしている様子だ。
それでもなお、担当職員が慎重な姿勢を崩せないのは、他の施設が軒並み低調だったからだ。
県立博物館は、4-12の9カ月間の集計で昨年比37.6%減、白虎隊記念館や酒蔵歴史館など民間施設は同49.2%減、観光農園にいたっては、放射性物質拡散のあおりをモロに食らった格好で、同69.7%の減少。外国人観光客は、昨年のわずか1割程度しか訪れなかった。
日光市と同じく、修学旅行先としての利用も多い同市。例年だと福島県内の中通りや浜通りのほか、宮城県からも多くの子どもたちが訪れる。しかし、昨年は学校数ベースでほぼ半減。市の担当者は「歴史と文化の街として、今年も多くの学校に来ていただけるよう、お願いに回っている」と話すが、現段階では不透明だ。市内には「東山」「芦ノ牧」の両温泉街があるが、どちらも3割減。「厳しいのは事実です」(市職員)。この職員は慎重に言葉を選びながら「地震だけだったら、余震に対する不安や自粛ムードがひと段落したら観光客はもっと戻ってくれたとは思います」と話し、原発事故の影響の大きさをうかがわせた。
「会津若松市は、中通りなどと比べるとはるかに線量が低いです。『フクシマ』全てが高線量なわけではありません。分けて考えて欲しい」
会津若松駅前の空間線量は0.12μSV/h。文科省の測定では、県立博物館の放射線量は0.128μSV/hだった(12日19時現在)。
会津若松市のシンボル・鶴ヶ城。
復興応援ツアーなどで観光客は徐々に戻りつつ
あるという(昨年9月に撮影)
(了)
子や孫に原発の危険性を負わすな~郡山で福島県民大集会
寒風吹きすさぶ開成山野球場に、16000人の怒りが渦巻いた。悪夢の大震災から1年目となる11日、郡山市で開かれた県民大集会。最近になって「実はあの時…」と小出しにする政府や東電への不満や怒りが噴出した。集まった誰もが思った。原発さえなければ。そして、1年経った今でも深刻さが変わらない放射線被曝。「ただちに影響無い」から1年。集会に参加した福島県民の声を聴いた。
【風評被害ではない、実害だ】
「爆発事故が起きた直後は、放射性物質がどのように拡散しているのか、どこが線量が高くてどこが低いのか、人体に対してどの程度の悪影響を与えるのか、良く分からなかった」
福島市の男性農協職員(55)は、1年前の混乱を振り返った。自身、兼業農家として稲作に従事しており、県の「安全宣言」に振り回された一人だ。
「昨年は好天にも恵まれ、米も桃も豊作だったんです。佐藤雄平知事が早々に安全宣言を出したおかげで、落ち込んでいた売れ行きも回復傾向を見せていました。それなのに、玄米から放射性セシウムが検出されてしまいましたからね。一気に価格は下落。他の農作物も影響を受けました。私が生産した米からも110ベクレル検出されましたが、精米して白米になったら9ベクレルにまで下がりました。しかしね、私は『風評被害』という言葉は使いません。これはれっきとした『実害』です」
郡山市在住の母親(40)は、小学3年生の娘を連れて集会に参加した。
「とにかく、子どもの命を守って欲しいという気持ちを分かって欲しくて来ました。県外避難は難しいけれど、学校には屋外での体育の授業には参加しないことは伝えてあります。ここで生きていく以上は、親が娘を守ってやらなければいけませんから」
二本松市から参加した男性(33)は、福島市内の薬局に勤務。「仕事も生活も、表面上は元に戻ったように見えるけれど、子どもを屋外で遊ばせられない、食べ物にも気を付けなければいけないなど、多くの人がストレスを感じています。僕らは、そういう人たちの健康を守らなければなりません」。
自身は未婚だが、職場の同僚は育児休暇を利用して会津地方に避難をした。その間に、自身の住む二本松市では生産された玄米から放射性セシウムが検出され「ショックだった」と振り返る。「ここに住み続けて良いものか悩みました。同僚も育休が明けて戻ってきましたしね。もし嫁さんや子どもがいたら、自分も違う行動をしたかもしれませんね」
午後2時46分、黙とうを捧げる男性
誰もが犠牲者の冥福を祈り、子どもの被曝回避を
願った
【線量計の周囲だけを懸命に除染】
福島原発から22km離れた南相馬市で、老舗の漬物加工業を営む男性(60)。山形県の避難先と自宅を行き来する合間を縫って、妻とともに集会に参加した。
「カレンダー上では、たしかに1年目の節目だけれど、私に言わせれば『節目』でも『けじめ』でも何でもない。何も変わっていないじゃないですか。大手メディアは『1年目だ』と騒ぎ立てるけれど、地域はすっかり分裂してしまったし…」
可愛い孫たちを、自宅に迎え入れることが叶わなくなった。「せめて孫たちが来られる地域に」と山形県内への避難を決意したが、家業を放置するわけにもいかない。避難先と自宅を往復する毎日を送りながら、南相馬市では安心も安全もないまま、時だけが進んでいくことに怒りを抑えることができなかった。
「南相馬は線量が低いかのようなイメージがあるようですが、モニタリングポストの周囲だけを懸命に除染している光景を私は見ました。真の実態を政府の人々に見てもらいたいですよ。報道ステーションで先日、100万ベクレルを超す値についての報道がありましたが、我が家はそこから数百メートルの場所にあります。そこを毎日、子どもたちがマスクをせずに自転車通学をしている様子を見ているのです。おかしいと思いませんか?」
そもそも、集会が開かれた開成山公園自体、福島県内でも有数のホットスポットとして知られている。本紙でも何度となく「封鎖せよ」と主張してきたが、この日も、急きょ開放された外野芝生席で2.0μSV/hを計測。隣接する弓道場では空間で1.0μSV/h、雨どい直下では11μSV/hもの値を記録した。除染が進んだと行政が喧伝するほど、放射線量は下がっていないのだ。
集会参加者で埋め尽くされた、開成山野球場の観客席。
県民アピールでは、賛同の拍手が響いた
【政治や経済でなく倫理的責任を重んじよう】
集会には、福島県内外から16000人が参加(主催者発表)。歌手の加藤登紀子さんが歌声を披露し「地震や津波は天災かもしれないけれど、原発事故は人災です。全国の原発を今すぐに止めなければ、この小さな島・ニッポンはどうなってしまうのか。原発を推進してきた人たちは、自分自身に問うて欲しい」と話し、再稼働を進める国の姿勢を批判した。
作家の大江健三郎さんは「原発事故が子どもたちに大きな影響を与えることを知りました」と静かに語り始めた。大江さんは「人間は、人間らしく生きることを妨げるような行動をとってはならないのです」とし「すべての原発を廃止すれば、将来にわたって子どもたちが放射能の被害に遭うことは絶対にないのです。今こそ、政治よりも経済よりも、倫理的責任を重んじようではありませんか」と呼びかけ、多くの拍手を浴びた。
集会の呼びかけ人である、「アウシュヴィッツ平和博物館」(http://www.am-j.or.jp/index2.htm )館長の小渕真理さん(55)=白河市在住=は、震災から1年目のこの日に大集会を開くことへの批判の声があることには、一定の理解を示す。そのうえで「もちろん、今日は鎮魂・復興の日です。しかし、このような〝法事〟を行わないためにも、原発をなくすというアクションを起こしたいのです。多くの子どもたちが命の危険にさらされているのだから、福島県内で、このような集会が1カ所も無いというのはあり得ません。今の命を大切にしたいと思い、開催することにしました」と話した。
参加者は集会後、開成山公園の周辺をデモ行進。「原発反対」「子どもたちを守ろう」「全額賠償を」などと書かれた横断幕やプラカードを掲げ、シュプレヒコールを繰り返した。
全原発の停止や子どもの被曝回避を訴えた
デモ行進
(了)
「屋外で遊びたい!」~心にも被曝した福島の子どもたちの叫びを聞け
福島の子どもたちが怒っている。悲しみの叫び声を上げている。大人たちは言っていたじゃないか、原発は安全だって。想定外の事故ってどういうこと?広い校庭で伸び伸びと遊ばせてよ。窓を開けて深呼吸させてよ。今年の夏はプールで泳げるの?いつになったら、福島県産の食べ物を味わっていいの?大きくなったらガンになっちゃうの?東京の人たちのための電力だったんでしょ?どうして私たちがこのような目に遭わなきゃならないの?本当の事を言ってよ…。3.11を翌日に控えた10日、福島県郡山市で原発問題のイベントが催され、現役中学教師が子どもたちの声を代弁して披露した。題して「子どもたちは訴える」。あなたは、子どもたちの声に胸を張って答えることができますか?
【家のなかで遊ぶのは、もういやです】
「原発のせいで、校庭での体育の授業が少ししかできなくなった。放課後も遊べなくなった。福島県産の食べ物は食べなくなった。一カ月くらい、宮城県に避難しなければならなかった。将来、病気になったりしないか、とても心配だ」
(小学6年、夏希)
「イソジンを飲むと放射能の被曝を受けないと言われたから飲んだけれど、結局はガセネタだった」
(同、由基)
「学年で10人くらい転校してしまった!! さみしいです」
(中学1年、わか)
「クラスの友達には別れの言葉も言えずに、終業式前に東京に避難して来てしまいました。とても哀しいです。しばらくしてみんなから手紙が届きました。私の心の中には、みんなの『忘れないよ、一生つながっているよ』というささやきが響き渡っています。この先、私の身体に何が起こるか分かりません。私の想いは、実際に被曝をした人にしか分からないでしょう」
(小学5年、女子)
「はっきり言って、被曝の問題は僕にとっては日常化してしまった。今さら騒ぎ立てることではありません。ただ、原発事故の直後、東電が開いた記者会見には腹が立ちました。『想定外』なんて言葉は使わないで欲しいです」
(中学2年、男子)
「こんなに身近に原発があることも、それがどんなものなのかも、今まで知らなかった…。以前の日常生活がいかにありがたかったか、今は痛感しています」
「家のなかであそぶのは、もういやです」
会場には、子どもたちの直筆の言葉が張り出された
【身体だけでなく心にも被曝】
マイクを握ったのは、郡山市内で中学校教師をしている大山和子さん(55)。
教え子の作文だけでなく、知人の教師からも子どもたちの声を寄せてもらった。3/3、4には、郡山駅前で道行く若者に声を掛け、原発や被曝への想いを書いてもらった。「子どもたちは本当に怒っています。そして、大人が思っている以上に、真実を見抜く目を持っている。彼らの声には真摯に耳を傾けなければなりません」
「水泳が得意じゃないから、プールが使えなくなって良かった」と話す子どももいた。しかし、そんな子どもでも「外で思い切り遊びたい」と表情を曇らせるという。「やはり、それぞれに心の中に不安や悔しさを抱えているんです」
卒業式があるなど教師にとっては多忙な日々が続くが、3.11に向け、睡眠時間を削って準備を進めてきた。勤務先の中学校は、空間線量が毎時0.24~0.26μSV。「他校と比べるとたしかに低い線量、『もうこれだけ下がったのだから大丈夫だろう』という声も聞かれる。だが、下がったとはいえ現在のチェルノブイリと同じくらいと言われている値。決して安全な数字ではない。どうやって内部被曝を減らすかが課題です」
原発事故後、改めてヒロシマ、ナガサキの被曝者に関する本を読んだ。「これはフクシマの事だなと思った」。そして、子どもたちとともに被曝回避に奔走してきた1年間を、一人でも多くの人に語ろうと考えた。
「学校で当たり前に行われてきたことができません。花壇で草木を育てる、雪遊びをする、農業体験…。子どもたちは室内でゲームをする時間が増えたようです。学ぶ権利までもが奪われたのです」。体力、筋力の低下も心配だという。
身体だけでなく、心にも大きな被曝をした子どもたち。一週間ほどの保養プログラムに参加した子どもたちは大いに喜んだ。「どれだけサッカーをしても良いんだね」「プールにも入れるんだね」…。知人の小学校教師からは、警戒区域内から郡山市内に避難してきた子どもの話を聞いた。その子はいつも、猫の絵を描いていた。教師が尋ねると。その子は言ったという。「家に飼い猫を置いてきたまま逃げてきちゃったの。どうしているのかな…」。
別の小学校では、給食をやめ弁当を持参する児童が、周囲から冷たい視線を浴びた。牛乳を飲むのをやめていた男児が、とうとう周囲の無言のプレッシャーに耐えきれず「もう病気になってもいい。僕はみんなと同じ牛乳が飲みたい」と叫んだこともあった。
教え子たちの声を代弁した大山和子さん。
手前は、市を朗読した中学生たち
=郡山市労働福祉会館
【原発の危険性を教えるべきだったという後悔】
会に先立ち、地元の中学生3人が、原発事故に寄せて書いた詩を朗読した。
「あの日以来、私たちの生活は一変しました。屋外に出られない日々が続き、そのまま新学期を迎えました」
「原発事故直後、一番多く放射性物質が降り注いだ日のことを、母は今でも心配しています。私が被曝してしまったのではないか、と」
「マスクに手洗い、うがい。部活動は3時間まで。祖父が丹精込めて育てた野菜は、大人だけが食べるようになりました」
「そもそも福島原発は、都市部に電力を供給するための原発ではないか。なぜ、私たちがこんな目に遭わなければならないのだろうか」
次々に読み上げられるストレートな言葉に、来場者は息をのんだ。
さらに、「大人たちに言いたいこと」と題した作文が披露された。筆者は教師を目指す大学生。福島では長年、原発の危険性が口にされることは無かった。
「私たち子どもに、安全性を植え付けてきた大人に責任があります」
これを受けて大山教諭は、勤続30年以上のベテラン教師としての深い後悔の念を吐露した。
「本当のことを、きちんと分かりやすく教えて欲しいという子どももいるんです。私たち大人は、もっと早く原発の危険性を子どもたちに伝えるべきだったんです。自分自身、心のどこかで『そうは言っても、原発は爆発まではしないのではないか』という考えがあったと思います」
「子どもたちの未来のために、少しでも働くことができたら」と奔走する大山さん。最後に、子どもたちにエールを送って会を締めくくった。
「既に散見されるけれども、これからいろいろな差別が始まるんじゃないかと思う。でも、君たちは何も悪くない。胸を張って歩いてほしい。そして、万が一、差別的な仕打ちを受けたときには、このように言い返せるだけの力を備えて欲しい。『あなたたち、都会の人のために原発を造ったんですよ』と」
(了)
自主避難者を孤立させるな~東京・品川に新拠点開設
何の瑕疵もないのに福島にとどまった友人に罪悪感を募らせる。親や友人からは避難を反対され、マイホームの夢も断たれた。「政府の指示に拠らない避難」というだけで区別される自主避難者たち。被曝を避けて福島から逃げてきたという点は、政府の線引きとは無関係のはずだ。3日、東京都品川区に開設された「福島避難母子の会 in 関東」の事務所は、そんな孤独やストレスを抱える「自主避難者」に情報提供をし、お互いの交流を深める場。「てとて」と名付けられたネットワークの始動にあたり、実際に自主避難をしている父親や母親がマイクを握り、時に涙を流しながら1年間の苦しみ、悲しみ、ふるさとへの思いを吐露した。
【安全か分からないなら子どものために逃げる】
「お前は逃げられるから良いよな」
須賀川市から横浜市内に一家で避難している磯貝寛元さん(32)は、そんな言葉を浴びながら、ふるさと福島を後にした。
放射線を扱う仕事をしていたため、以前から50万円相当の線量計を自宅に所有していた。より正確な計測方法も知っていた。原発事故後、自宅の庭で毎時10μSV、室内にいても同1.2μSVを計測した。須賀川市役所の敷地内で市職員の計測に出くわしたこともあった。市職員の持つ線量計は毎時2μSV超だったが、自身の機器は同6μSV。職場の除染作業を監督したときは、最高で40μSVにも達した。「もう耐えられないな」。避難を決意するには十分だった。
「今回の放射線量が健康を害するのか否か、専門家によて意見が分かれている。危険か否か分からないのであれば、私は子どものためにより安全な方策をとるべきだと思ったんです」
妻の実家のある横浜市への避難を親に告げると、毎日のように反対された。長男が家を継ぐのが当たり前の風土。妻を説得して、ようやく実家での同居を始めたばかりで、同居が決まったとき、両親はたいそう喜んだという。
「私は実の親だからはっきりと者が言えるが、妻にとっては義理の両親と避難の話をするのは相当なストレスだったようです」
震災で、本宮市の職場は1億円を超える損害を受け、実家である須賀川市内の自宅も半壊。見積もられた修繕費は1000万円に上った。修繕費用として両親に配分された義援金はわずか68万円。東電からは「政府の指示によらない避難」ということで、親子3人で76万円(60+8+8)の賠償金支給が提示されている。現在の住まいは大家の善意で無償提供されているものの、以前の仕事は辞めてしまったため、預貯金を取り崩しながら仕事を探している毎日。家計は厳しいどころではない。
今月中にも、須賀川市でホールボディカウンターによる内部被曝検査を受ける予定だが、「せめて都心で検査を受けられれば。逃げているのに、なぜ帰って検査を受けなければならないのか」と行政の対応に注文をつける。「もう一人子どもが欲しいとも思うが、自分は相当の被曝をしていると思うから、妻は不安がっている」。2歳の息子の健康被害も心配だが、こんな複雑な胸中も明かした。
「将来、福島の子どもたちが他県の人と結婚できるのだろうか。私自身、息子が福島の女の子と結婚すると言い出したら、考えてしまうと思う」
未曽有の原発事故から、間もなく1年。世間に風化が広がっていることを肌で感じ、危機感を募らせている。「明日、あなたの身にも降りかかるかもしれないのです。このような事故が起きて、妻や子どもを逃がさなければならない状況に追い込まれる気持ちを想像して、私たちの身になって自主避難者たちの声に耳を傾けて欲しい」
「今の放射線量が安全か危険か分からないのなら、
親は子どものためにより安全な方策をとるべきだ」
と話した磯貝さん
【郡山に残った友人への罪悪感に苦しんだ日々】
突然、車中に鳴り響いた緊急地震速報が、平凡ながら幸せな生活を一変させた。
やっとのことで郡山市内の自宅アパートに戻ると、室内はぐちゃぐちゃ。生活できる状態ではなくなっていた。大きな家具が倒れ、割れた食器が散乱していた。その中には、夢のマイホームで使おうと購入していたおしゃれなグラスも含まれていた。
そこに追い打ちをかけた原発事故。
「ショックでした」
白土久子さん(35)は、一年前の悪夢を振り返る。自宅近くの友人宅のテレビに映し出されたのは、白煙を上げながら爆発する原子力発電所の姿だった。
新潟県の実家からは「安全なわけがない。すぐにこっちに逃げて来い」と電話が入った。夫の職場が全社員に自宅待機を命じたのを利用して、新潟へ避難した。しかし、同じ境遇の母親が周囲にいなかった。相談する相手がいない。これまで仲良く付き合ってきた郡山の友人にも連絡をとりづらい。日々、孤独感は増して行った。
「仲良かった友人にあいさつもできずに逃げた。自分は安全な土地にいるという『罪悪感』が強かったんです。だから、辛くても郡山に残った友人に電話もできなかった」
当時を思い出すと、涙があふれる。わが子を守るために避難するのは当然の行動。しかし、日に日に高まる罪悪感。こんな理不尽なことはない。当時の辛さを知っているからこそ、今後は、同じような孤独感にさいなまれている避難母子をサポートすることができる。
一方、単身、郡山に残った夫からの話も想像以上だった。「被曝を回避するためには、窓も開けられない、洗濯物も室外に干せない、マスクを着用しないと外出もできない…」。実は前年、マイホーム用にと購入した土地があった。ようやく実現しそうな夢のマイホーム。どれだけ悩んだか分からない。設計事務所の図面も完成し、あとは着工へ向けて契約書を交わすだけだった。
結局、工事契約は断念。さら地だけと借金と固定資産税だけが残った。
「原発事故さえなかったら、今ごろ、新居での生活を満喫していたことでしょうね。あのまま建てていたとしても、もしかしたら子どもへの健康被害は怒らないかもしれません。しかし、それは何年も経たないと分からない。その危険性を子どもに課すことはできませんでした。それに、コンクリートが汚染しているのではないかという懸念もありましたし」
夢破れた土地は売りに出しているが、買い手はついていない。
「このまま売れなければ、値段を下げていかざるを得ないと思います。大損ですよね。でも、私たちにとってはお金じゃないんですよね。楽しみにしていた生活が、すぐそこまで来ていたのですから。内装も食器も、いろいろ計画していたんですよ。今でも、新築中の住宅を目にすると、とても複雑な気分になります。今後、マイホームを手に入れることはできないでしょう。福島に戻ることもないでしょうね」
夫の転勤を機に、一家で都内に移り住んだ。二重家計が解消されたことがせめてもの救いだ。
放射性物質の拡散でマイホームの夢断たれた
白土さん。「仲良しだった友人にあいさつもでき
ないまま逃げたので連絡をとりにくい」と涙を流した
【初めて減少した自主避難者数】
「福島避難母子の会 in 関東」は昨年6月、情報の共有やストレス解消を目的に発足。七夕に開かれた一回目の集まりには5人の参加しかなかったが、現在は30人を超す避難者が登録をしている。今後は「避難・保養・住宅・雇用の情報を共有できるプラットホームになりたい」と、フリーペーパーの発行も検討されている。
会によると、2月22日現在、福島から県外に自主避難している人は6万2610人。もっとも多い避難先は山形県で、1万2998人。これまで自主避難者数は増加し続けてきたが、初めて減少したという。
会では「自主避難の精神的・経済的な難しさが表れている」として自主避難者数の減少を重視。新たな立法も含め、弁護士ら(福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク・サフラン http://saflan.jugem.jp/ )とも連携して支援を国に求めていく方針だ。
開設された事務所は、東京都品川区戸越5-14-17。マンションの一室を、支援者が無償提供した。水道光熱費だけの負担とはいえ決して安い金額ではなく、会はカンパを募っている。
最寄駅は東急大井町線「戸越公園」駅下車、5分。当面はスタッフの常駐体制が整わないため、訪れる前に留守番電話に吹き込むか、FAXを送信してほしいとのこと。
電話番号は03-3785-5666(電話・FAX共通)
会のブログはhttp://hinanboshi.blog.fc2.com/
(了)
【修学旅行】日光ルポ・それでも教師は教え子を被曝旅行に向かわせるのか(下)
2日間にわたって日光市内を歩いて聞こえてきたのは、高線量地域という評価への怒りと、修学旅行生を失った場合の経済的損失への危機感だった。土産物店の経営者は、取材には応じたものの不快感を露わにした。市幹部は「海外旅行での被曝は良くて学校行事は駄目なのか」と、わが子を守ろうとする母親らの言動に疑問を投げかけた。年間宿泊者数の10分の1を修学旅行生が占めるこの街にとって、放射線量の問題はまさに「風評被害」と言いたいところ。だが、私が実際に線量計を手に歩いた東照宮周辺は、毎時0.2μSV前後を計測。決して手放しに安全とは言えない線量だった。経済原理を優先し、あえて日光を修学旅行先に選ぶ理由は無い。今は有事。教師は西への行き先変更を決断するべきだ
【決して低線量でない「二社一寺」】
晴れて暖かいとはいえ、至る所に雪がたくさん残る東照宮周辺。真冬の平日とあって年配の団体客や大学生のグループがちらほら。韓国など、外国からの観光客ともすれ違った。「東京から一番近い世界遺産」。平時であれば歴史情緒を味わうべきなのだろうが、手元のガイガーカウンターは毎時0.18μSV前後を示し続けている。「放射能ですか?ええっと、よく分かりません…」。共通拝観券売り場の女性は、放射線量の話題を持ち出すと表情を硬くした。彼女も高線量の「風評被害」に憤慨しているのだろうか。
世界遺産の登録されている「二社一寺」(二荒山神社、東照宮、輪王寺)では、MKS-05の警報音が鳴る毎時0.3μSVを超す地点は無かった。だが逆に、私が「危険水域」の目安としている0.13μSV(単純換算で年間被曝量が1mSVを超す)を下回ることも無い。どこに移動しても、軒並み毎時0.14μSV以上を計測した。場所によっては、0.20μSVを上回ることも。「三猿」で知られる「神厩」では0.14、「陽明門」で0.15、「鳴竜」で有名な「薬師堂」では0.16μSVだった。二荒山神社内の霊泉では0.18、徳川家光がまつられている大猷院入口のベンチで0.20、西参道の公衆トイレ前のベンチでは、0.27μSVに達した。これでも各自治体の教育委員会は安全上、問題ないと胸を張って言えるのだろうか。
輪王寺に向かう坂道には日光山の開祖と言われる
勝道上人像が建立されているが、地表1mで毎時0.2μSVだった
=日光市山内
【母親らの懸念を一蹴する市職員】
日光市の年間宿泊者数は330万人。日帰り客も含めると、1100万人が訪れる一大観光地。このうち、修学旅行と林間学校で訪れる児童・生徒は38万人。実に1割を占める重要なお客さん。日光市観光振興課幹部も「万が一、修学旅行での利用が無くなってしまったら、旅館や土産物店、飲食店は大打撃を受ける」と認める。
「町の名前が明らかになるだけで反響が大きい」という理由から自治体名は明かさなかったが、同市には今年に入り、神奈川県を中心に7つの市町から教委職員などが視察に訪れているという。
「われわれとしてはありのままをお話しするしかありません。正しい数値を見てもらって判断していただきたい。数値をねつ造することもありませんから。情報がなければ保護者は心配するでしょうから、こと細かにお知らせするしかないですね」と同幹部。しかし、この幹部は初めこそ謙虚な物言いだったが、徐々に本音が出始めた。
「ここに住んでいる人もいるのに…危ないというのはどういう根拠で言っているのでしょうかね。携帯型の線量計は誤差がありますから」
「日光の旅館業者には、50年間で培ったノウハウがあるんですよ。子どもの集団行動には何があるか分からないですからね。急に別の街に修学旅行に行っても、対応できないのではないですかね」
「この街で被曝するといっても、飛行機でアメリカへ行くときに被曝するよりも低いんじゃないですか?海外旅行をするのは良くて、学校行事で日光へ行くのは駄目って理解に苦しみますね。何が違うんですかね」
「修学旅行はたった一日二日の話でしょ?それで体内にどれだけ放射性物質が蓄積されるんですかね?ほとんど屋内で過ごすわけだし。そのくらい計算していただければ分かっていただけるはずなんですがね」
「0.10と0.18で何が違うのか。0.08μSVの差ですよ。『安全です』と言っても信じてもらえない」
「保護者の気持ちは分かる」と言いながら、日光への修学旅行を不安視する動きを明確にけん制した発言が続いた。まるで、母親たちが過剰反応しているとでも言いたげな様子だった。
「目で見えないですからね。放射性物質に色でも付いていれば良いのに…」
幹部はそう言って話を締めくくった。「平時ならともかく、有事にあえて日光に子どもたちを行かせられない」という私の発言には、わずかにうなずいただけだった。
日光市役所内に書き出された放射線量は0.11μSV。
しかし、私の計測では毎時0.22μSV。これも、市幹部
の言う「誤差」なのか…
【私たちは以前と変わらず暮らしている】
「新聞やテレビで問題無いって言っているんだ、大丈夫なんだろう」
土産物店の経営者は、客のいない店先で不機嫌そうに言った。
別の店では、年老いた女性が「子どもたちが来てくれないのではないか、と心配していたんですよ。でもね、線量が落ち着いてきて、中止されることもなくなったと聞いています。4月になれば、また子どもたちの姿が見られますね」と笑顔を見せた。
参道前でそば店を営む女性は「たった一日二日のこと。そんなに神経質にならなくても良いんじゃないですか?ぜひ納得して日光に来てほしい。私たちは以前と変わらず普通に暮らしていますから」と語った。接客業だけに顔は笑っていたが、視線は鋭かった。「うちの子にもマスクなんかさせていませんから」ときっぱり。ここで商売を営む人たちに、いくら正論を吐いても耳を貸すような状況にない。
昨年6月に開かれた、日光市議会。男性市議は「風評被害」の影響をこう表現した。
「風評被害が観光客の減少に追い打ちをかけています。やむなく休業、廃業するホテル、旅館等が相次ぎました」
別の女性市議は、市内の除染の必要性に言及しながらも「実際に危険だ、表土を入れ替えろということになると、では修学旅行生は来なくなってしまうのかということになってしまう」と、修学旅行離れへの懸念を語っている。
これに対し、斎藤文夫市長は「修学旅行等の誘致に向けた取り組みについては、事前視察の際に旅館組合や飲食店組合などと連携しをし、当市の安全性及び受け入れ態勢の充実についてPRを行ってきた」と胸を張った。
結局、この議会では訪れる子どもの被曝について語られることはなかった。
経済原理が優先される日光市。対して、わが子の健康被害を第一に心配する親たち。
私は、被曝回避を支持したい。
「情」や「絆」では被曝は回避できない。
有事の今こそ、日光は修学旅行先としてはふさわしくないと言わざるを得ない。
単純換算で年間被曝線量が1.2mSVに達する値
(了)
【修学旅行】日光ルポ・それでも教師は教え子を被曝旅行に向かわせるのか(上)
寒さ厳しい日光は、予想以上に線量が高かった。手にしたガイガーカウンターの数値は毎時0.2μSV前後を推移し、植え込みや雨どい直下では警報音が鳴り響いた。地元の人ですら「娘に健康被害が出ないか心配」と表情を曇らせる街。商店主は経済的損失への懸念を口にしつつも、被曝を心配する親たちへの理解も示す。それでも教師は教え子たちを向かわせるのか。日光東照宮周辺を実際に歩き、私は改めて教師たちに再考を促したい。有事の今こそ、日光への修学旅行は中止せよ。
【同じ親として気持ちは良く分かる】
「娘はモルモットのようなものですよ」
小学6年生の娘を持つ酒店主は、力なく自嘲気味に笑った。
娘にはマスクを着用させているものの「健康被害が出ないことを祈るしかない」と不安を口にした。
「市内には0.3μSVを超すようなホットスポットが何カ所もある。父母たちで学校周辺の側溝などを除染したけれど、果たしてどれだけ効果があったのか。福島では除染してもまた線量が上がっていると聞くし…」
線量が低い地域への避難を考えないわけではない。しかし「店を営んでいる以上、動くに動けない」と苦しい胸の内を明かした。「でもね、やっぱり俺は生まれ育った日光が好きなんですよね。だから離れられないんだなぁ」。
横須賀などの親たちが抱く日光修学旅行への不安は、同じ親として痛いほどよく分かる。しかし、修学旅行を頼りに生計を立てている旅館や土産物店のことを考えると、地元商店主の一人としてはそうも言っていられなくなる。
「もし、被曝を理由に修学旅行が一斉に中止されたら、宿泊業や物販業などの半分はつぶれてしまうでしょうね。それだけ、この街にとって修学旅行は大きい存在なんです。私も親だから気持ちは良く分かるんだけれど…」
この酒店の入り口での空間線量は、毎時0.16~0.18μSV(地上1m)だった。
東武日光駅。駅前の植え込み真上では、毎時0.3
μSVを超え警報音が鳴る場所も
=栃木県日光市
【あえて日光に子どもを連れて来ない】
駅から宿泊先に歩く間だけでも、土産物店の雨どい直下で毎時2μSV近い値が計測されたほか、日光警察署前の植え込みでは、毎時0.7~0.9μSVに達し、警報音が鳴り止むことは無かった。東武日光駅前の植え込みでも0.25μSV前後、場所によっては0.3μSVを上回った。日光では、交番勤務の警察官までもが「この辺りは宇都宮市に比べてほぼ倍の線量だよ」とさらりと言ってのけるほど、線量の高さは日常生活に入り込んでいる。
「私も逆の立場だったら、あえて日光に子どもを連れてくるようなことはしないと思いますよ」
そう話すのはペンション経営者。地元ローカルテレビ局が報じる放射線量が、栃木県内の他市より高いことは以前から知っている。修学旅行によるわが子の被曝を心配した親が、自ら線量計を手に修学旅行ルートを回る姿を目にすることもあるという。
「親子連れはめっきり減ってしまったし、地元の学校では体育の授業をなるべく屋外で行わないようにしている。福島原発が爆発事故を起こした時の風向きのせいで、日光市や那須塩原市は線量が高いようですね」
明日21日は、日光東照宮を計測する。
日光東照宮の近くには、東京都葛飾区立の日光林間学園がある。
バス通りに面した看板の前で、空間線量は毎時0.2μSVを超した
(了)
【330日目の福島はいま】ホットスポット郡山~開成山公園を封鎖せよ
これまで本紙で2度にわたって「封鎖せよ」と取り上げてきた郡山市のホットスポット・開成山公園。昨年のクリスマス以来、ほぼ2カ月ぶりに郡山駅から同公園までを線量計を手に歩いて往復したが、高線量は依然として変わらず。中でも、子どもが触りそうな公園の芝生、集合住宅の植え込み、雨どい直下、雪解け水が流れる低い土地では軒並み高い線量が計測された。時間の経過とともに「マヒしてきた」との声も聞かれる一方、2ケタの高線量が計測されることも珍しくない。汚染落ち葉のずさんな扱いも変わらぬまま。子どもたちの健康被害が危惧される
【放射能への感覚がマヒしてしまう】
「ちょっとすみません、何の音ですか?」
自転車で警ら中の若手警察官が不思議そうな表情で近づいてきた。
JR郡山駅から西に15分ほど歩いた麓山公園。「麓山の滝」前にある木製ベンチに置いた線量計は1.3~1.4μSV/hを示していた。MKS-05は0.3μSVを超えたら警報音が鳴る設定になっているから、東北本線を降りてからずっと電子音が鳴りっぱなしなのだ。
「はあ~、これはガイガーカウンターですか?今どのくらいですか?1.3?高いですね。この辺りと鶴見坦は高いんですよね」
興味深そうに線量計をのぞき込む警察官。マスク姿の私を見て「やっぱりマスクした方が良いんですかねぇ。ここで生活していると、感覚がマヒしてしまうんですよね」。仕事柄難しいんでしょうね、と水を向けると「そうですね」と笑顔を見せた。ぜひマスクを、と念を押して別れた。
「感覚がマヒしてきた」
福島取材を通じて、これまで何度も耳にした言葉だ。時間の経過とともに良くも悪くも生じている放射線量に対する「慣れ」。それに「もう、ウンザリ。放射能のことなんか考えたくない」という思いも加わって、この傾向はさらに強くなっているように感じる。実際、今回も線量計をピーピー鳴らしながら歩いていると、嘲笑気味にすれ違う人が何人かいた。しかし、「慣れた」「ウンザリ」とも言っていられない被曝の現実がここにはある。
「21世紀記念公園」内の「とんがりふれあい館」は、室内外で放射線量をモニタリングしている。建物の入り口に「現在の空間線量は毎時0.21μSV」と掲示されていたので、この建物の周囲は線量は高くないんだなと思って職員に確認したら「室内3カ所で測った平均です」とのこと。室外の空間線量は0.6~0.7を示していたが、眼前に広がる芝生にガイガーを近づけると一気に3~5μSV/hにまで跳ね上がった。ここは、昨年中に大規模な除染工事が行われた場所だ。空間線量が下がったという発表を受けて、少しずつ公園に子どもの姿が戻りつつある。危険だ。
このベンチに座って休んでいる間に1.3μSV
の被曝。単純換算で年10mSVを超すレベルだ
=麓山の滝
【除染は進まず、落ち葉も燃やす】
2カ月前に9.99μSV/hを計測した開成山弓道場。昨夏、復興の一助にとプロ野球・巨人戦が開催された開成山野球場に隣接している。当時、関係者は早急に対策を講じてもらうよう管理者である郡山市の担当部署に連絡する、とのことだった。しかし、今回同じ雨どい直下で12μSV/hを軽く超えた。これは、福島県の職員が言うように「24時間そこに居続けるわけではない」とはいえ、近づくにはあまりに危険なレベルだ。
「除染?いえ、何にもやっていません。役所に連絡は入っているはずなんだけれども、あれから何の対応もありませんでした。え?12?そんなに高いんですか?」
前回も計測に立ち会った弓道場の利用者は、驚いた表情。一緒にいた男性が「俺たちはもう年だから、線量が高くたって問題ないよ」と口にしたが、その言葉が終わらないうちに別の女性が「だって高校生も利用するんだから、良くないよ」と制した。弓道場周辺は、空間線量でも1.0μSV/hを上回る。「やっぱり高いわね」。しかし、市はたまった汚染落ち葉の撤去もしていないという。
汚染落ち葉といえば、依然としてごみ袋に入れられた落ち葉が平然と道端に積み上げられている。
弁天池の脇に置いてあったごみ袋にガイガーを近づけると2.3μSV/hを示した。
「2.3ですか?高いね」と初老の作業員は神妙な表情をした。郡山市でも、放射性物質に汚染された落ち葉は、通常の可燃ごみとして焼却処分されている。「悪循環だよね。煙と一緒に撒き散らしているんだから」。しかし、一介の作業員には何をすることもできないよ、とでも言いたげな様子で、作業員は首をすくねた。
ちなみに、開成山公園内に積み上げられていた汚染落ち葉のごみ袋では、5.7μSV/hに達した。被曝を回避したければ落ち葉には近づかないこと。そして行政に、汚染落ち葉の焼却処分を中止するよう求めることだ。
ずさんな扱いが変わらない汚染落ち葉。
市民が焼却中止を求めない限り、ごみ焼却場
からの放射性物質拡散は続く
=開成山公園
【市民の通報が多く対応が追い付かない】
除染への予算が増える一方で、線量は下がっていない実態。郡山市議の駒崎ゆき子さんは嘆く。
「市当局は、『市民の計測で高い値が出たら、市に連絡してもらえればすぐに対応します』と市議会で答弁し、広報した。そうしたら、あまりに市民からの通報が多く寄せられてしまって対応し切れていないという。で、現在は応急処置として覆うなどの指導をしているらしいんです。どうしようもないでしょ」
まるで落語のような話。
こうやって行政が手をこまねいている間にも、多くの子どもたちがマスクもせずに被曝させられている。郡山駅から市役所まで伸びるバス通りは、0.5μSVから徐々に1.0μSV超まで高まっていく。それだけでなく、植え込みや側溝にはこれまでの放射性物質が溜まっていて高線量個所となっている。そこにごみ焼却場から降り注ぐ汚染落ち葉の焼却煙。
避難が難しいのであれば、行政に対し市民がもっと声をあげることだ。
このままの状態で郡山に住んでいては子どもは守れない。
せめて市は、開成山公園を封鎖して立ち入り禁止にするべきだ。
開成山野球場。地上1mの高さで毎時1.4μSV
を計測した
(了)
【330日目の福島はいま】被曝への不安と不信と戸惑いと
原発事故から11カ月が経過した福島県福島市。除染で生じた汚染土は、依然として校庭に仮埋めされたまま。雪の遮蔽効果によって空間線量は若干下がってはいるものの、雪が解ければ高線量の大地が姿を現すことに変わりはない。市は「避難せず残っている市民が圧倒的に多い以上、少しでも安全に暮らせる環境づくりをする」と除染を進める方針だが、先の見えない放射線被害に市民からは、「放射能の話題には辟易している」との声も聞かれる。福島で生きていくことを選択した人は、自己防衛を少しずつ始める。不安と困惑とが交錯する、原発から60km離れた町を歩いた。
【暫定基準値以下でも安心できない】
「いつまでこんな状態が続くのか」
13日、福島駅からほど近い野菜カフェ「はもる」で開かれた料理教室の参加者は嘆いた。
講師を務めた健康アドバイザー・高野律子さん(40)の指導で、福島市内の5人の女性が野菜を中心とした料理の作り方を教わった。高野さんは、この春に中学1年生と小学4年生になる2人の息子が0歳でアトピー性皮膚炎を患い、食生活による体質改善を研究してきた経験がある。
この日のレシピは玄米ご飯のほか高野豆腐のカツレツや、タマネギ汁、リンゴ・レーズン・サツマイモ煮。出来上がった料理を味わいながら、参加者は内部被曝への不安を口にした。
「専門家と呼ばれる人たちも意見が様々だし、本当は福島産を食べてしまいたい。やっぱり美味しいですから。でも、自己防衛のためには避けざるを得ない。本当に悔しいし、葛藤ばかりが続いている」
「福島産を食べても、結果としてガンを発症する確率は高まらないのかもしれない。でも、選べるのであれば、少しでも放射性物質を体内に取り込まない食材を使いたい。農家の方には大変申し訳ないけれど、暫定基準値を下回っているからといって、大丈夫という気分にはなれません」
気持ちを吐露しているうちに、この11カ月間への本音が口をつく。私たちは何も悪いことはしていない。原発事故さえなければ、こんな思いをせずに済んだのに…。言葉は勢い、強くなっていった。
ある女性は「線量に対するストレスが非常に強くなっている」と明かした。さらに、「東京でいくら会議を開いても、ここで生きている私たちの気持ちは分かりっこない。こんな言い方をしたら怒られるかもしれないが、政府や東電の幹部は福島で生活してみてほしい」「業者にとっては『除染バブル』なのだろう。何百億円も使って除染をいくら行っても、完全に放射性物質を取り除くことはできないのに」…。高野さんは、「ペクチンを多く含む味噌は、傷ついた小腸を修復する作用がある」と、味噌汁の効用を挙げた。
同店は、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」世話人の佐藤幸子さんが中心となって開設。西日本中心の食材を揃えている。「今回の事故を機に、野菜中心の食生活に戻してほしい」と佐藤さん。放射性物質に汚染されている心配の少ない関西や九州の「有機農業で栽培された元気ある野菜」(佐藤さん)を仕入れる。
福島の子どもたちに、安全な野菜を一つでも多く届けたい─。「はもる」は西日本の食材を提供する店でもあり、体内に取り込んでしまった放射性物質を少しでも体外に排出させる方法を伝える教室でもある。
案内チラシに書かれた佐藤さんの言葉は重い。
「この福島で生きていくためには、自分のことは自分で守るしかないのです」
店の外は毎時0.6~0.8μSV。葛藤やいらだちを抱えながら、自己防衛の輪は少しずつ広がっている。
「はもる」では、西日本の食材を買うことができる(下)
=福島市新町
【今さら危ないと言われても困る】
川岸に雪が残る阿武隈川で、ブラックバス釣りに興じる若者と出会った。
近くには下水処理場もあり、東浜や堀河地区は以前から線量の高い地域として知られている。
「ちょっとまだ時期が早かったですかね。釣果はさっぱりでした」
そう苦笑する青年の自宅は、すぐ近くだという。被曝への不安は無いのかと問う私に、彼は再び苦笑しながら話し始めた。
「もう一年近くも散々浴びましたからね。今さら危ないと言われてもね。いま、この辺はどのくらいの線量なんですか?どのくらいだったら危ないんですか?」
一通り説明すると、彼は土手を上りながら「あーそうですか」と遠くを見た。
「ここに住んでも大丈夫だとか、避難しないと危ないとか、いったい誰の言葉や数値を信じたら良いのでしょうかね」
この青年は無関心ではない。飛び交う放射能情報に辟易している様子でもある。実際、福島市には「広報誌に放射能情報は載せないで欲しい。通常の生活情報だけで十分」との声も寄せられているという。
「いろいろと、教えてくれてありがとう」。彼は頭を下げて釣り道具をかつぎ直した。
彼の横を、高校陸上部の女子部員が走りすぎていく。
手元のガイガーカウンターは依然として、毎時1.5~1.7μSVを示した。道端の土手に置いてみると、数値は軽く4μSVを突破した。近くの集合住宅では、雨どい直下で毎時9μSVを上回った。ほど近いJRA福島競馬場では、春の開催が予定されている。開催を中止し続ければ馬券発売や警備など雇用機会喪失の問題が生じるが、周囲の線量は、地上1mで1.0μSVを計測する地点もあり依然として高い。植え込みや雨どい直下では3.0~7.0μSVに達する地点もあり、開催には疑問が残る。
原発事故から11カ月経った福島市内。福島原発から約60kmのこの街では、市民の複雑に入り組んだ感情をあざ笑うように今日も、放射性物質が飛散している。
アスファルトの両脇に見える草むらは特に高線量(上)
春の開催再開に向けて工事が進められている福島競馬場。
周囲は依然として高線量だ(下)
=福島県福島市
(了)
まずは保養から始めよう~放射能からいのちを守る全国サミット②
「放射能からいのちを守る全国サミット」は12日、全国の避難者支援団体がテーブルを並べて相談会を行った。閑散とするのではないかという主催者側の不安も吹き飛ぶ盛況ぶりで、どの関係者も「話しすぎて喉が痛い」とうれしい悲鳴をあげるほど。どの相談者も、身を乗り出すように真剣に受け入れ先の様子を聞く。避難を口にするのがはばかれるような雰囲気の中、それでも内に秘めた被曝回避への思いを吐露した福島県民。避難への是非で対立構図が出来上がらないよう、関係者は慎重に避難へ誘導していく構え。まずは短期間の保養から始めようと呼びかけている
【喉が痛くなるほどの相談者】
どのテーブルも、相談者が途切れない。
ある人は子どもを連れて一緒にパンフレットを見ながら説明に聴き入った。ある人は子どもの被曝を回避したいという思いを切々と話した。会場は熱気であふれた。取材に訪れた海外メディアのクルーも驚くほどだった。
あるブースでは、4時間で17組の相談に乗った。
「当初は誰も来なかったらどうしようと心配していたが、想定外の人出に喉が痛くなった。一人で来なくて良かった」と苦笑した。別の団体関係者は20組以上と話をした。「熱い気持ちに胸が詰まった。何とかして役に立ちたいと思う。避難を口にすると親や兄弟との関係が悪くなるという話も聞いた。繊細な問題だと再認識させられた」と振り返った。別の参加者は「就労が何とかなれば、今すぐにでも家族を連れて行きたいと思っている人は多いと実感した」と雇用の重要性を指摘した。
話題の中心はやはり、春休みに保養を検討しているという相談。また、夏休みに長期避難を考えているという親もいたという。鹿児島の福島県人会「うつくしま福島の会」でも、約20件の相談を受けたが「春休みを利用して子どもを保養に行かせたい」という内容が多かったという。「福島出身者が福島県民を支援するのは、少しでも安心してもらえるのではないか」と関係者は話す。
会場の一角では、西日本で収穫された野菜が無料で配布され、あっという間に無くなった。「買って支援」キャンペーンのなか、被曝の恐れの少ない無農薬野菜を手にした福島県民の思いはいかばかりか。ある女性が担当者にこう話したという。「私の子どもにだけは福島の野菜は食べさせられない。今年も作付けをするようだが、米も無理」。安全な土地へ行きたい、安全な食べ物を手に入れたい─。当たり前のことが言いにくくなっているのもまた、福島の現実だ。
全国の避難者支援団体が一堂に会するとあって
多くの人が訪れた避難相談会
【福島に居ない時間から慣れて欲しい】
「みんな福島で暮らしたいんです。一斉に逃げることができれば気持ちの切り替えもできるが、それはできない。それならば、福島は汚れているから一時的に県外に行きましょうよと。ソフトランディングな手法として保養から慣れてもらおうというのが今回の狙いでした」
終了後の記者会見で、全国サミットの事務局長を務めた吉野裕之さんは話した。
原発事故から11カ月が経ち、それでもなお福島にとどまっている人々に対し、「避難しなければ危ない」と言うのはやめようと決めていた。今なお避難していないということは、頭の中に避難という選択肢は完全に無いことが明白だからだ。
「追い詰めたくないんですよ」と吉野さん。できるだけ多くの人に県外避難をしてほしいのは当然だ。しかし、それを声高に叫ぶことによって、避難する人としない人とが対立することも本意ではない。だから、全国の避難者支援団体には、なるべく保養のプログラムを用意してもらうよう頼んだ。
「まずは、福島に居ない時間というものに慣れてもらうことから始めたい。福島の人が怖がることなく避難者支援団体との接点を作れれば、やがては避難、移住も視野に入ってくる。その意味では、全国の皆さんの温かい感じが出せたのではないか」
相談会開催にあたっては、線量の高い地域を中心に折り込みチラシを配布した。問い合わせ先として吉野さんの携帯電話を記載したが、実際にかかってきたのは10件ほどだったため不安も大きかったという。
「来場者が少なかったらどうしようかと心配したけれど、本当に多くの人に来ていただいた。それだけ、避難や移住への想いを秘めているのだろう。僕たちも情報発信はまだまだ苦手だから、福島の人が言ってみたいと思うような、イメージが湧くような情報を発信していきたいんです」
記者会見にのぞんだ吉野さん(左から2人目)
「まずは福島を離れることから慣れて欲しい」
=ウィズ・もとまち
【保養によってセシウムは排出される】
全国サミットには、東京都の小児科医・山田真さん(70)も駆け付け、健康相談に乗った。
過去、6回の相談会に立ち会った山田医師。「昨年6月に開いた時はやや牧歌的な雰囲気だったが、7月の相談会は戒厳令でも敷かれたような状況だった。相談しに来たことが分かると地域でバッシングされるという。取材も受けたくないと言っていた」と振り返る。内容も、昨年の夏休み頃までは「引っ越した方が良いのだろうか」という相談が目立ったが、最近は少なくなってるという。今回は、渡利地区の高齢者がやり場のない怒りをぶつける場面もあった。「こんなに高線量の中で暮らしていて不安なのに、国は何もしてくれない」。最後は「自分がふがいないから子や孫が苦しんでいる」と自分を責めたという。
医師として「医学的に、ここ(福島)は子どもが安心して住める場所ではない」と断言するが、一方で「相談に来る福島県民もつらい。避難できないのだから避難しろと言っても仕方がない」と配慮も。そのうえで「1カ月単位で福島を離れれば、子どもは排出する力が強いからセシウムが減ることが分かっている。だから一週間でも週末だけでも、県外に保養をしに行く意味は大きい。もちろん、国や東電に本質的な解決を求めていく必要もある」と話し、短期間でも被曝の恐れの少ない土地へ行くことを勧めた。
東京から駆け付けた山田真医師。
「短期間でも福島を離れればセシウムは排出される」
と保養を勧めた
(了)








