【16カ月目の福島は今】 放射線量を気にしていたら生活できない~郡山市を歩く | 民の声新聞

【16カ月目の福島は今】 放射線量を気にしていたら生活できない~郡山市を歩く

原発事故から500日以上が経ち、福島で暮らす人々の放射線量への警戒感はかなり薄れた。いや、意識から取り除かないと生活していかれないのが実態。県外避難が一巡し、様々な事情で福島にとどまっている人々も、放射線量が高いことは分かっている。それでも福島で生きていくには、放射線による健康被害の懸念など無いものにしないといけないのだ。昨年から続けてきた郡山取材は2度目の夏を迎えた。郡山市民は放射線量に慣れたのではない。目をつぶることでようやく歩き出せているように映った。



【取り壊したガレージは2μSV超】

 郡山市役所の裏手に、広い農地がある。現在、立派に育っているのはサツマイモとキュウリ。ミョウガも作っていたが、放射性物質による汚染を懸念してやめてしまった。手入れもできず、伸び放題になってしまっている。畑の周辺は、手元の線量計で0.6-0.7μSV.。

 「0.7もあるのか…高いな。除染?そんなの何もやってないよ。行政の除染もない。第一、除染したところで取り除いた草や土を持って行く場所はあるの?ないでしょ?やりようがないよ」

 父親から農業を引き継いだ男性(52)が苦笑した。自身が小学生の頃は父親が酪農も手がけ、肉食用の牛や豚も飼われていた。「収穫した作物からは100ベクレルを超える放射性セシウムは検出されていない。出荷価格も安定してきた。事故直後は葉物がまるで駄目だったから」と話すが、先行きは不透明だ。

 原発事故後に取り壊したガレージのがれきを測定してもらったら、2μSV.を超していた。処分したくてもなかなか業者が見つからず、ようやく放射性物質を処理できる産廃業者に引き取ってもらえたという。

 降り注いだ放射性物質がこの先、どの程度の健康被害をもたらすのか、農地周辺の道路は子どもたちも通る。この先、何をすれば良いのか、何もしないまま半減期を待てば良いのか、さっぱり分からないことが漠然とした不安をかき立てる。

 農地の横に、道具小屋がある。

 「昨年は、トタン屋根からの雨水が溜まる辺りで5μSV.以上もあったんだ」と男性。指さす辺りに線量計をかざしてみると、1.3μSV.前後だった。「ああ、下がったね。何もしなくてもどんどん下がるものなんだね」。男性はうれしそうな顔を見せた。 

 5μSV.から1.3μSV.へ。そして小数点が持つ魔力。

 しかし、喜んだのもつかの間。1.3μSV.が決して低い数値でないことにすぐに気付いた。

 「やっぱり高いね…」
 猛暑が過ぎれば、収穫の秋がやってくる。

 農地の除染予定は、ない。
民の声新聞-郡山市①
郡山市役所近くのサツマイモ畑は、0.6-0.7μSV。

主は顔をしかめた。「除染なんかしてないよ。だっ

て、除染したところで汚染土の持って行き場がない

だろ?」


【放射線量の高さを意識したら息もできない】

 郡山市役所に隣接する市のこども総合支援センター「ニコニコこども館」には、吹き抜けを利用した屋内遊び場があり、子どもたちの歓声が響いている。県教職員の宿泊所だった施設を利用して、国のまちづくり高h金で2009年にオープン。雨天時の遊び場を、と屋内遊び場を設けた。市想定の3倍近いペースで利用者は伸び、今年6月8日には通算利用者が80万人を超した。「震災の影響はゼロではないだろうが、原発事故以前から多くの市民に利用してもらっていました」と郡山市こども部の担当者は話す。

 「放射線量?まったく気にしていません。もともと自然界に存在していたものでしょ?気になんかしていたらキリがありませんよ。我慢できない人は、とっくに避難したんじゃないですか?ここは涼しいから良く利用しています。この暑さじゃ熱中症になてしまいますからね。被曝回避のためではありません」
手作り弁当を持参してママ友と訪れていた20代の母親はきっぱりと言った。その言葉に、ママ友も大きくうなずいた。私を見る眼差しは、にらみつけるようでもあった。

 神奈川県茅ケ崎市出身の女性(33)は、2歳を過ぎた息子を遊ばせていた。

 放射線量に対する不安は、実は小さくない。

 昨年は、夫を郡山市に残し、茅ケ崎市の実家に母子避難をした。郡山に戻る日、地元の友人から「〝汚染地帯〟に帰るのか」「幼い息子だけでも茅ケ崎に置いていけ」と言われた。自分自身、新幹線を降りるとき、放射線量の高さを考えたら胸がドキドキしたことを良く覚えている。意識しないわけがない。

 「でもね、考え始めたら普通の生活が送れなくなってしまいますよ。呼吸さえできなくなってしまう。だから考えないようにしています…」

 夫は仕事の都合で郡山を離れるわけにはいかない。避難をするなら再び母子避難だが、「昨年、しばらく離れていたせいか、息子があまり夫になつかないんですよね」と、夫と子どもが離れ離れになることを思うと二の足を踏んでしまう。であれば、普通の生活を送ろうと考えた。移動は今まで通り自転車で。息子との散歩も今まで通り。それに、郡山には共通の悩みを抱えたママ友がいる…。

 「ママぁ」

 甘えん坊の息子が両手を広げて近づいてきた。よいしょと抱き上げる。「そろそろおうちに帰ろうか?」。息子にとってはここ郡山がふるさと。たとえ〝汚染地帯〟であっても。
民の声新聞-郡山市②
屋内遊び場で遊ぶ子どもたち。公園など屋外では

被曝の恐れがあるが、多くの母親が屋内遊び場を

利用している理由を「熱中症回避のため」と答えた

=ニコニコこども館

【郡山で生活していく以上、しょうがない】

 「原発事故から1年以上も経つと、感覚がマヒしてしまうのかな?」

 30代の父親は、息子と手をつなぎながら話した。厳しかった冬が過ぎ、暖かくなるにつれて子どもと外出する機会が増えた。

 「事故直後は、いろいろと考えましたよ。この子に健康被害は出ないのか、とかね。でも、最近は放射線量も落ち着いてきているし、ここで生活していく以上、しょうがないという部分もありますよね」

 開成山公園には、「除染を実施しました」と書かれた看板が至る所に設置されている。

 しかし、「開拓者の群像」前では依然として0.65μSV、バラ園に至っては1.1μSVを上回っている。JR郡山駅から開成山公園まで歩いたが、0.3μSVを下回ることはなく、公園に近づくにつれて放射線量は上がっていく傾向はこれまでと変わらない。

 進まない除染、放射線量を見なくなった大人たち…。一見すると、震災前と変わらない郡山の夏。しかし、確実に放射線は存在する。
民の声新聞-郡山市③
開成山公園内のバラ園。郡山市が除染を行った

が、7/23の計測では1.10μSV。依然として高線

量だ


(了)