【17カ月目の福島は今】外遊びを再開した2回目の夏休み~保護者は諦めと葛藤と
【苦悩の末に孫を公園に連れ出した祖母】
少年は歓声をあげながら祖母の自転車を飛び下りた。
福島市の新浜公園。少年が一目散に向かったのは噴水池。
「あーあ、もうびしょびしょだ」。祖母が目を細める。少年は、水遊びが出来る喜びを全身で表すかのように水面を足で蹴ったり、両手で水をすくったりして遊んでいる。悲鳴とも歓声ともつかない声をあげながら走り回った。はち切れんばかりの笑顔。しかし、祖母の表情は複雑だった。
「自宅は信夫山の麓、福島テレビの近くです。あの辺りはまだまだ放射線量が高くて、今まであまりこの子を屋外には出さないようにしていたんです。通っている小学校の屋外プールも使わないくらいですから。でも、小学校1年生なりにストレスが溜まるんでしょうね。家の中で暴れるんですよ。手が付けられなくなってしまう。だから、時々こうやって遊ばせに来るんですよ。やっぱりうれしいんだね」
本当は連れて来たくはない。しかし、家の中では満足に身体を動かせない…。被曝の不安を抱えながらの外遊び。だからせめて、濡れるのは承知でTシャツを着せたまま遊ばせた。時間もなるべく短く。「この環境で上半身裸になるなんてとんでもないです。まったく、どうしてこんなことになってしまったのかね…。一人8万円のお金をもらったってしょうがない」。
孫のシャツがびしょ濡れになったのを機に、祖母は「おうちに帰ろう」と声をかけた。わずか十数分でも満足した表情の少年。再び祖母の自転車にまたがり「バイバイ」と手を振りながら自宅に帰った。
別の女性は、生後10カ月の孫をベビーカーに乗せていた。男の子は、真夏にしては涼しい風を受けてスヤスヤと眠っていた。
「初めて外に出したんですよ。中学生のお兄ちゃんは反対したんだけどね。『ばあちゃん、大丈夫か』って。でも、外の風が気持ちいいのかね、すっかり眠っちゃった。家では泣いてばかりなのに…」
その兄は、夏休みを利用して鹿児島県に保養に行った。小学5年生の妹はもうすぐ、北海道に保養に行く。嫁は、割高でも福島県外の食材しか使わない。被曝の懸念が無いはずがない。それでも、孫を屋外に出してあげたかった。嫁に叱られるのは承知の上だ。
「この子の将来が本当に心配。原発が憎いよ」。女性は険しい表情でそう言って、自宅に帰って行った。
公園の片隅に設置されたモニタリングポストの数値は0.2~0.3μSV。しかし、実際にはそんなに低い放射線量ではないことなど、この街では常識だ。
真夏の陽射しの下、水遊びを楽しむ少年。祖母は
「身体のためになるべく短時間で」と十数分ほどで
帰宅した=福島市新浜町
【危ない、だけでは何も前に進まない】
公園では、田村市の小学生たちがお弁当を食べていた。公民館の事業で、新聞社やヤクルト工場などを見学するプログラム。声をかけると、女の子たちが不思議そうな表情でこちらを見つめた。
「放射線量ですか?うーん、去年の夏休みは今よりもっと意識していたけれど、今年はもう全然、考えなくなりました。もう1年以上経ってるし、全然何とも無いし…」
子どもたちは、食事を済ませると遊具の周囲で歓声をげた。その姿を見守りながら、引率の田村市職員は言った。「当初は予定に無かったが、思いのほか涼しいのでここで昼食の時間にしました。短時間ですから。心配なさる方も多いけれど、昨年に比べれば放射線量はぐっと下がりましたからね。徐々に原発事故以前の姿に戻して行かないといけません。危ない危ない、だけでは何も進まないです」。
公務員の女性は原発事故前、この公園で娘を遊ばせながら近くの図書館で借りた本を読むのが楽しみの一つだった。被曝を避けようと昨年はやめていたが、1年ぶりに双子の娘と公園を訪れた。
「感覚がマヒしてしまったのか、自分の心をごまかしているのか…。この公園も一応、除染されたようですし。ここで生活している以上、仕方ないという部分もありますね」
小学生になって初めての夏休みを迎えた娘たちは、仲良く遊んでいる。「常に室内で遊ばせるのとこうやって外遊びをさせるのとどちらの方がリスクが高いのか良く分からないですね。避難した方が良いのだろうけれど、私も福島で働いているし、住宅ローンもまだ30年近く残っていますから。なかなか簡単にはできないですね」
そうやって話している間にも、次々と親子連れが入ってくる。街から子どもの姿が消えていた昨夏とは一変した今年の夏休み。ある母親は言った。「これでもまだ、少ない方ですよ。原発事故前はもっと多くの子どもたちが遊んでいましたから」。
職を追われた大臣の言葉通り、1年前は死んだような街だった福島市。こんなにも早く子どもたちの歓声を聞くことになろうとは想像だにしなかった。放射線量は依然として高い。時の流れとは本当に恐ろしい。
涼しい風を受けて眠っていた男の子は、祖母に
促されてようやく目を覚ました。「早く帰らないと
嫁に叱られる」と女性は苦笑交じりに家に向かった
【商店街を活気づけるのは子どもたち】
市中心部で開催された「福島七夕まつり」。色鮮やかな飾り付けの中に、「ぷりきゅあになりたい」「サッカー選手になりたい」など、子どもたちの夢が綴られた短冊が見える。その中にも「原発いらない。つつましい生活を取り戻そう」「一日も早く帰村できますように」「放射能に負けないぞ」などと、原発事故や被曝への大人たちの想いもあった。母の願いだろうか「早く砂場でたくさん遊べますように」「外でいっぱい遊べますように」「何事も無く元気に成長しますように」と書かれた短冊も。
長年、通りで靴店を経営する女性は「昨年は、本当に子どもたちの姿が無かった。今年の夏は、かなり戻ってきてくれてうれしい」と目を細めた。商店街の仲間との会話では、除染の話など被曝の話題が日常的に上る。現在の状況が、子どもたちの身体にとって決して好ましくないことなど良く分かっているつもりだ。それでも、やはり子どもの姿が通りに見られないのは寂しかった。
「古くから店をやっていた人が次々といなくなって、後ろ向きになっていたところにあの震災。商店街を活気づけてくれるのは、やはり子どもなんです」
別の店では、浜通りのワカメなど水産加工品が人気だったが、津波で軒並み仕入れ先が工場を流されてしまったという。停電で町中が薄暗かった震災直後、人通りのほとんど無かった昨夏を思うと、少しずつ街に戻ってきた子どもたちの姿はうれしいという。
「もちろん、被曝してほしくないし心配です。でもやっぱりうれしいんですよ。これでもまだ少ないですけどね」
近くの青果店では、最盛期を迎えた桃「あかつき」が一個400円で売られていた。
「昨年のように送り返されることはなくなったけれど、それでも、お中元の件数は原発事故前の半分です。安心して食べて欲しいです」と経営者。県による検査は一部をサンプリングしたもの。数値表記も無い。桃が終わると梨の季節がやってくる。
3日間にわたって開催された「福島七夕まつり」では、
母親の想いが綴られた短冊も多く見られた
(了)