穴と橋とあれやらこれやら -240ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【2】より続く。

 

 

 

 

予想しているべきだったかもしれないが、全く予想してなかった軽トラの登場。

 

 

 

 

 

 

この写真は、軽トラが通過していく前…だったかもしれない。遠くからゆっくり走ってくるので、抜かれるまで数分かかったからね。

 

 

いいところで軽トラが現れて…ってのはしばしば探索の素晴らしいアクセントになる(例えばこれとか)。この時もまさにそんな気持ちだったが、ただ一点、一応ここ「関係者以外立●●止」(笑)とゲートにあったのが気になった。

 

なので、軽トラがやってきた時には何か言われるかも…と覚悟しながら一礼したが、幸い何も言われず(ただ、ガン見されたけど・笑)に通過していった。ほっと一息。

 

しかし…と、軽トラを見送りながら考えた。「あの軽トラ、どこへ(どこまで)行くんだろう?」

 

 

 

この軽トラ団、以降また登場する。

 

 

 

 

 

 

 

 

7時14分、

ここまででもっとも広くなっているカーブがあり、

 

 

 

 

 

 

 

 

立ち上がった先で

おっと、先ほどの軽トラのおっちゃんたちが停まってるぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何を見てんのかな?と視線を移すと…

おおおっ!あれは航空写真で見て最初の目標物と捉えていた、対岸に残る建物だ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうそう、スクショはコチラ。

下のほうに…わかりますよね?

 

そしてこれを見れば、このあたりから対岸に道型が現れ始めるのに気づかれるだろう。そう、ついに扇谷は徳山ダム湖のバックウォーターを脱し、「いろんなもの」が出てくるのだ。いよいよキター!

 

 

 

 

 

 

 

 

対岸の建物をズームしてみたら、

うーん、倉庫か?住居ではないよなたぶん。思いのほか古くないぞ。

 

そして、これは帰って見返してから気づいたのだが、カーブミラーが立ってるな。あの場で気づけばさらにテンション上がっただろうが。

 

 

とりあえず、この場所の地形から、ストレートにあそこに向かうのは不可能。これまでの道のトレースを続ける。おっちゃんたちもいなくなったし、進軍再開。

 

結局あそこには行かなかったのかって?行きましたともさ。まあ最終話近くになるので、また後日。

 

 

 

 

 

 

 

 

で、ここだ。

先のスクショの状態と比べずともわかる。ここ、近年に壮絶に抜けたようだ。

 

この勾配を考えるに、元の路盤を高巻く形で道を付け直したと見える。さっきの広~いカーブは、工事事務所とか資材が置かれていた名残かと。

 

 

 

そもそもこの道、事前調査によればこの先そうそう奥まで続いているわけではない。非常に状態のいいこの道、わざわざこんなきれいに治すかね?いったい何のための道なんだろう?

 

改めて、ゲート脇にあった看板には、こう書いてあった(現場では完全に忘れてたが)。「公有地化事業による作業路改良及び作業路改良に伴う発生処理」と。それって、この現場のことなのか?

 

要は「作業路」ってことなんだが、知りたいのは「どういう作業のためなのか」ってことなんだが…まあさっぱりわからん。ちなみに、もちろん状況的に、徳山ダム完成後につけられた作業路に違いない。

 

 

 

 

 

 

 

さて、ここから再度、

対岸を見下ろしてみる。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして右のほう、

わかりますよね?

 

 

 

 

 

 

 

 

こうしてみると、

あの建物、けっこうキワキワで湛水域の上にいるんですな~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、大規模な補修個所を過ぎると、道は元の姿に戻ったが、多少「荒れ」のテイストが増えてきた。

 

こことか、

右から左へのヘアピン頂点から撮ったものだが、

 

 

 

 

 

 

 

洗い越しというよりは、もはや沢と一体化し、

本来の橋?カルバート?らしきものは破壊されていた。ここも道を付け直したみたいだな

 

 

 

 

 

 

 

 

これを過ぎると、

ようやく「本来はこのくらいでしょ」な路盤状態に。

 

いや、これでも十分すぎる。いかにここに至るまでの路盤状態がとびきり良かったか。おなかの弱いノートさんでも、余裕で進んでこれたであろう極上コンディションだった。

 

 

 

 

 

 

 

まもなく、

道は急勾配で下り始めた。帰りは辛そうだな…。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、7時26分。

…あっ。

 

 

 

 

【4】に続く。

 

 

 

【1】より続く。

 

 

ゲートインして2分。

まったくもって快適な道が続いている。

 

とりあえず、地理院地図に描かれている区間に関しては問題ない道だろうと航空写真から判断していたが、まさにそのとおり。

 

 

 

 

 

ちなみに探索に当たっては、事前にスマホでその航空写真モードを全行程分スクショしておいたものを適宜参照しながら歩いた。

 

参考までに、最初の区間のものはこれ。

谷を奥へと分け入る、明瞭な道型。完全に良好な道であることが見て取れるこれがこの通りの状態であると確信が持てたというわけだ。

 

 

 

 

 

なので、ここで早くも、足元をスイッチ。

悪い変化を想定して長靴でゲートインしていたが、

 

 

 

 

 

 

この感じならば、ありがたいことにそれは杞憂に終わりそうなので、

スニーカーに履き替えた。

 

どちらでスタートするにせよ、今回も門入~戸入アタックと同様に二足制で臨むことにしていた。

この先の懸念ポイントでどうとでも対応できるようにだ。

 

余談だがこのアディダスのスニーカー、本来はテニスシューズだったと思うんだけども、グリップが弱いので斜面をへつったりとか本格的な探索には全然向かないものの、とっても足になじんでいて平地では大変心地良く履ける。仁丹看板ハントなどの歩きまくりでも大いに活躍してくれた「戦友」である。

すでに相当にくたびれているので、普段履きとしてはもう退役しているのだが、逆にそれを生かして「足元がどうなってもいい時」のために車に積んである。この日これが登場したということはどういうことか?あれこれ想像してみてくだされ(笑)。

 

 

 

 

 

さて、

こんな洗い越しを過ぎて、ふと振り返れば、

 

 

 

 

 

 

遠ざかりゆく扇谷姫街道橋の姿。

この扇谷を遡上する道は「越前越え」と呼ばれた古道で、櫨原と山向こうの温見(ぬくみ)を結ぶ生活の道でもあったという。ホハレ峠を挟んだ門入と川上みたいな関係だといえるか。

 

その温見も昭和38年の「三八豪雪」をきっかけとして村人は離村、現在では無住となっている。諸行無常なり。

 

 

 

 

 

6時38分。航空写真で見て気になっていたポイントに到達した。これは振り返り気味に撮影。

先ほど貼ったスクショだと一番上のほう、作業道らしきものが分岐して九十九折りで上へと続いている様子が見て取れる。

 

しかしここはいったんスルー。全てをつつがなく終えた復路でこの上を見に行くことにし、まずは先を急ぐ。そう、先は長いぞ。クイックよ。ああ、わかってるともさ。(一人芝居)

 

 

 

 

 

さて、続く区間のスクショを貼っとく。

 

 

 

なんだかいろいろと写真は撮ってるんだが、ここはバシバシ割愛して飛ばそう。そう、これでも飛ばしてるのよ(笑)。

 

 

 

 

6時51分。進軍開始から30分ほど歩いたここで、

ググッと先が開ける気配。最初の大きな展開か!?上のスクショでいえば、真ん中よりちょい上のひときわタイトなヘアピンのとこだと思う。

 

 

 

 

 

 

それを立ち上がると…おおお!

遠くまでスカーンと見渡せる!

 

うれしくなると同時に、距離を見せつけられてウッともなった。まああらかじめわかって来てるので、ダメージはない(笑)。

 

ただこれ、実際に見えている範囲でも見た目の1.5倍ほどは距離があったと思う。なにしろ、谷をひとつひとつ忠実に巻きながらなので。

 

 

 

 

 

 

 

7時1分、そんな途中での一枚。

大きく曲がる扇谷、その鏡のような水面が美しかった。

 

 

 

 

 

 

ちなみに次なる区間のスクショでいえば、上の写真は

真ん中ちょい左下、山側へグッと入り込む手前あたりから撮ったものだ。

 

 

 

 

 

 

この谷を巻いての折り返しのところが、

非常に状態のいいこの道では唯一、リアルにヤバそうな場所だった。まとまった雨が降ったらザッと流れてしまいそうな。

 

 

 

 

 

 

7時5分。けっこう速足で歩いたので、四枚上の写真を反対のポジションから見るような場所まで来た。

ここで来た道を振り返って撮ったのだが、この時事件が!

 

 

何か遠くから、聞きなれた音が…?

これは…もしや…?

 

 

 

 

 

 

 

 

け、

軽トラ(しかも二台)キターーー!!

 

(それにしても、拡大しても軽トラがこんなサイズ。この茫洋とした距離感、伝わるだろうか?)

 

 

 

 

 

【3】に続く。

 

 

【序】より続く。

 

 

 

5時50分、探索のベースとなるこちらに到着。場所はココ

ゼンリン地図にはまったく描かれていないが、【序】で示した通り扇谷姫街道橋西詰から扇谷右岸へと上る道があり、それを道なりに進むとここに着く。

 

ここは、櫨原望郷広場。

 

 

 

 

 

 

水没した旧徳山村の八集落には、それぞれ付近の高台に望郷広場と名付けられたスペースがあり、

このような望郷の碑が設置され、住民による碑文と

 

 

ありし日の集落の家並みを示す地図などが書かれている。

 

左下に「現在地」と書かれているので、少し右向きで国道417号ごしに見下ろす湖水の下に、櫨原集落が眠っているということか…。

 

 

 

これらを読み、湖水を眺め、一礼してから準備を始めた。前回の門入~戸入アタックでのミスはタイムマネジメントのお粗末さに尽きたことを痛感しているので、今回はキビキビと動くつもり…ではいる(前回は準備でダラダラと小一時間もかけてしまった)

 

 

 

 

 

 

 

 

準備をしながら、

見下ろす扇谷姫街道橋。その向こうには櫨原義徳隧道も。

 

先ほどあの橋の上から見た、分厚い霧のたちこめる扇谷。アタックに慎重になっているが故、少し心がざわついたが、まあこういう山間部では朝ってこんなもの。日が昇れば晴れてくるはずだ…。

 

 

そして慎重故に、道程についてできる範囲の下調べはしてあったので、今回は基本的にずっと「ちゃんとした道」(たとえ廃道であっても)を歩くことになりそうだとわかっていた。

なので、前回のように山中で道をロスト…みたいな心配はほぼないと考えていたが、別の懸念があった。そのため、装備をどうするかが考えどころだったが、そこを煮詰めずに来てしまった。

 

唯一「勢いで」来たがために残った懸念材料だったが…まあ、ここは原始的な解決策を採ることにした。この辺はまた数回後で(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

準備をし、忘れ物がないか点検し、すべて整った。

 

6時22分、進軍開始。ちなみにこの道、国道との取り付け路だ。

まず目指すのは、あのヘアピンの頂点。

 

 

 

 

 

 

 

 

そこにあるのは、

のっけからゲート。

 

もとより、これはもう完全に予想通り。最初っから歩くつもりで来ていたし、落胆はなかった…が、ご覧のように脇は甘いので、アシを持ってる方はまあ…ひと安心?(笑)

 

 

 

 

 

 

参考までに…これは帰りに撮ったものだが

一部の方に捧げる(笑)。

 

…これが役に立つのか、知らんけど。

 

 

 

 

 

 

 

ゲート内に立っていた看板は、こういう内容。

路線名などがわかるかと思ったが、そういう情報はなかった…つうか、正直よく見てなかった(笑)。気が逸っちゃって…。

 

 

 

 

 

 

かくして、

6時24分、ゲート・イン。

 

さあ待ってろ狂小屋!

 

 

 

 

 

【2】に続く。

 

 

2021年5月4日、ここ最近めっちゃ気になっていた場所へのアタックを勢いで敢行した、その記録を記事にしておく。その場所とは…旧徳山村某所。

 

 

 

今宵はまず、テンションを共有していただくため、つらつらと前説などを。

 

 

 


全村まるごと徳山ダム湖に没した…はずの旧徳山村域ではあるが、ダムの湛水域よりも標高の高いエリアは当然水没せずに残った。

そんな、旧徳山村八集落の中で唯一水没せずに残った門入とその先を探索したのが2019年9月に敢行した門入~戸入アタックだったわけだ。

 

 

 

 

 

で、今年の年明けごろに、何気なく旧徳山村周辺を古地図で見ていた。そこで…見つけてしまったんだな。

狂小屋。言うに事欠いて、キチガイゴヤ(読み方は調べて判明)

なんたる地名なんだこれは。

 

 

かつての旧徳山村村域には数々の独特な地名が存在した。その一部はダム完成後の付け替え道路に建造された橋やトンネル群に採り入れられて今に伝えられている(参考→徳山ダム管理署HPのこのページのだが、それらと比較しても群を抜いた破壊力を持つこの地名に、いたく興味をひかれた。

 

 

 

 

 

 

この狂小屋、どのあたりかというと、

赤が狂小屋。そして青は、水没した八集落の一つである櫨原(はぜはら)。現・国道417号の「櫨原義徳隧道」にその名を遺している。

 

つまりは、櫨原から谷をさかのぼった奥地に存在したという狂小屋。最初の古地図をよく見ていただくと、そのさらに奥にも「作六ツシ(さくむつし)」という、これまたクセの強い名前の地名が書かれているのがわかると思う。

 

 

改めてウィキ先生で徳山村を調べると、沈んだ八集落に続いてこれらの地についても触れられていて、「(前略)このほか、揖斐川支流・扇谷上流の狂小屋(きちがいごや)、作六ツシ(さくむつし)に、出作り小屋(季節限定の作業小屋)が建てられていた。」と記述されている。要は集落というほどでなく、季節に応じて山仕事の小屋がかけられていた地、ということだ。

※このレベルの場所だったということだが、記事タイトルとしてはニュアンスをわかりやすくするため「廃村」とした。

 

 

 

 

 

 

いたく興味をひかれたわたくし、もはやダム湖で隔絶されて訪ねることもままならないんだろう…と思いながらも、念のため地理院地図を調べてみた。

 

すると…

櫨原義徳隧道を抜けて扇谷姫街道橋を渡った先から…扇谷右岸をさかのぼる道が描かれているではないの!

 

 

 

 

 

 

とは言え、狂小屋のはるか手前でふっつりと消えているから、やっぱ難しいのかな~と、地理院地図をスクロールしていくと、

道は描かれていないものの、扇谷上流域にはいくつかの建物表記が点在(赤マルはわたくしによる)していることが判明、がぜん前のめりになった。

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに上の地図中央右上、標高457m地点付近の川の出合周辺が狂小屋であるようで、そこには建物表記はない。

 

しかしながら、Google Mapの航空写真モードで狂小屋を見てみると…

明瞭な道型などが見えていて、しかも橋がある!

 

改めて航空写真モードで見ていくと、地理院地図で道が途切れた先も明瞭な道型が続いており、いくつか懸念される部分があるものの、徒歩でなら狂小屋まで行けそうだということがわかった。なんならその奥まで、作六ツシまでも。

 

 

 

 

 

 

 

最終的には、その作六ツシまでの道に見つけたものが決定打だった。

廃橋三連発。

ム湖の奥地に取り残された廃橋たち。行きたい。絶対に行って、見たい。

 

 

かくして、狂小屋(とその先も)アタックは喫緊の課題となった。あとは、いつ実行するかだけ。だったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

冒頭に「勢いで」と書いたが、決して無計画ではなかった。むしろその逆で、非常に慎重になっていた。なぜなら、以前からのお客様はご存じのとおり、先の門入~戸入アタックでわたくし最悪のミスをやらかしたから(注意喚起のため、恥ずかしながら内容はこれ

 

この苦い経験以降、いささか臆病かつ慎重になったわたくし、今回の探索も距離はそれなりにありそう、かつ先人の詳しい情報もなく、状況は未知。しかも因縁の旧徳山村ということで、そりゃあ慎重にもなる(笑)。

 

 

本来は植生の薄い春になったらと考えていたが、なんだかバタバタと忙しくてタイミングがなく、これはもう秋以降かな~、といったんあきらめモードだった。

しかし、直前まではっきりしなかったゴールデンウィーク休みの中日である5月4日がポッカリと空き、池郷アタックから二週間も経ってないにもかかわらず、なぜか奥様も快くOKしてくれた(だいぶポイント積み上げてたからな~・笑)

 

当地の天気予報はド晴天、この時期ならまだ植生も致命的ではないだろうし、日もそれなりに長いし、秋まで待つのも辛い。これは…いっちょやったるか!

 

 

 

 

 

 

 

そんな勢いで敢行したわけだが、

 

いざ当日、扇谷姫街道橋から上流側を眺めて…

えーと、晴天…なのよね?

 

 

 

 

 

 

 

もちろん信じたいが、分厚い霧がたちこめる扇谷上流方向を見て、やっちまったのか?とは思ったね(笑)。

 

 

ちっとばかり気持ちが揺らいだが、

そんなことは言っておれん。もうそこにアプローチ路が見えてきたからには。

 

 

 

 

 

長々と申し訳なし。ようやく

【1】に続く。

 

 

 

 

 

池郷川の連載が終わって大して経たんというのに、さらに長くなりそうなやつをおっぱじめようという…(笑)。でも、自分の中で鮮度が残ってるうちにやりたいので、踏み切った。

 

 

 

この看板に見覚えのある方は?

まあ、そういうことですよ。

 

 

 

 

なんやそれ…(笑)。

 

 

 

【序】に続く。