神明神社(岐阜県飛騨市神岡町和佐保) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2018年10月27日、悲報転じて北陸遠征の2日目。この日のネタで記事にしているのは茂住隧道、上今橋、双六の廃もの二題、コウクラトンネル、双六ダム、笠谷林道の名称不明隧道と笠谷水管橋、芋生茂橋。

今宵ご紹介するのは、時系列では上今橋と双六の廃ものの間、通りすがりに立ち寄った神社。

 

 

まずはこれ。

ノーマークだった旧橋があったので停まった、の図。場所はこちら。

 

 

 

 

その旧橋はこんな感じ。

思ったほど面白くなかった~。

 

 

 

 

かわりに、

そこにあった神社が風情豊かだったので、そっちへ行ってみた。鳥居は木製。くぐる前に撮るの忘れた。

 

 

 

 

石段を登ると


本殿?があった。

 

 

 

が、お隣に気になる建物がありますな?

こういう立地ではあまり見た覚えがない、煉瓦倉庫!

 

 

 

 

お参りを済ませてから、観察。

これは~。いいな。いいんだけど、年齢不詳だ。

 

煉瓦の色合いが、なんか軽やかな。これ古いのか?そうこまででもなさそうな?

 

 

 

 

倉庫って書いたけど、建物自体には何も書かれておらず、印象でそう思っただけ。

倉庫にしちゃ控えめサイズではある。

 

「岐阜県神社庁」ホームページによれば、この神明神社の由緒は以下のとおり。

「弘安年間以前の創祀。往古領主江馬小平太光盛武器を好み弘安年間相州鎌倉より鍛冶左ェ門尉信兼を招き寄せ、武器を打たす云々。然るに和佐保村の宮谷の水にて卸すれば刀色古事妙なり。故に宮谷に引き移り住む。其の水上に神明宮鎮座す。左ェ門尉謹みて朝夕当社へ参拝し又神前へ宝剣を奉る。その子孫数代当社を崇敬すと云う。その後天正十年江馬落城す。郷内大いに散乱たり。その節神前宝剣紛失せり。鍛冶左ェ門尉農となり、住居す。又後産子多数となり、村内厚く尊敬す。当社元和佐保字大森百四番に鎮座せしが、当社創立当時の関係の地に移転せんことを企画し昭和三年九月現地に移転を了す。」

 

…ということで、現在の場所に遷座されたのが昭和三年九月とのことなので、まずまずの確率でこの時に煉瓦倉庫?も建てられたのかと思われる。

 

しかし失われた宝剣とか、浪漫があるなあ。

 

 

 

 

人っ子一人いなかったけれど、

手入れの行き届いた、とても気持ちのいい神社でありました。

 

 

 

以上。