双六ダムより続く。
はい、これ前回の双六ダム写真。
実は記事には使わなかった写真だけど。
これをもっと引いて見ますと…
はい、こうなっておりますの。
新しそうに見えるこのトンネル、
扁額がないのだが、愛と信頼のQ地図様によれば、名称は「コウクラトンネル」(実際は漢字の名前なのかもしれないが)、完成年は1948年(S23年)となっている。
銘板はあるものの、
トンネル情報ではなく、災害防除工事のもの。
おそらくこの平成9年の工事で現在の姿になったのではないかと思われる。それ以前は、立地的にもっと香ばしい…素掘りとかだったかも。
で…一枚目と二枚目の写真をよく見ていただきたいのだが、現在はトンネルのコンクリポータルに潰されてしまっているものの、双六川に沿ってトンネルができる前の旧道が残っているように見える。そのうち現存している向こう半分がダムの管理道路となっているような?
まあどんな感じか見てみよう。
トンネル進入。
虚無の洞内。
照明もなく、
出口付近でグッと右に曲がっている。
そちらの鉄板の構図。
なんか歪に見えるのは、陽射しのせいだけではない。
このように、
洞内からS字カーブ状になっているのと、ダム管理道路との兼ね合いで、ポータルが斜めにスパッとカットされているためだ。
どんだけ斜めかというと…
このナイフエッジ感、なかなかのもんじゃないかね?
このS字カーブの感じも
伝わるかな?
伝わるかな?といえば、
ほらこれ、やっぱ旧道じゃないかね?どう見ても。
トンネルが1948年(昭和23年)完成なのに対し、双六ダムは1952(昭和27)年着工、翌年完成と、トンネルが先に存在していたようだ。
状況的には、雪崩などを避けるためにトンネルが作られ、残っていた旧道敷を利用して双六ダム工事が行われた感じか?で、平成9年の災害防除工事で旧道敷の半分が潰され、ダム管理道路も現在のようになった、とか。
いやまあ、いつものように単なる想像ですすいません。
このトンネルを抜けてさらに進んでいった奥地には、双六・金木戸森林鉄道の膨大な隧道群が道路転用されて残っているのだが、生半可な準備でアタックできるとこじゃないのはわかっていたため、ここで撤収。
またいつかの機会に…って、そんな機会あるのか。
体力は衰えていくばっかだから、
きつめのところは急がないといけないんだけどなあ…もう無理か(笑)。
以上。