2011年9月25日、第二次岐阜県探索。この日のネタで記事にしているのは、時系列で上野トンネル、觀音橋、ミタキ隧道、階段暗渠、日帰隧道、白倉隧道、丸山ダム骨材散布塔群、柏木隧道などなど。
今宵ご紹介するのは、時系列では日帰隧道の前に通りすがった橋…なのだが、記事を書くにあたって改めて調べてみたら、その後あえなく架け替えされていた。なので自動的に追悼記事ということに…。
まずはこれ。
10t制限標識と左側親柱が目立つ、いかにも年代物の橋。場所はこちら。これは東詰より。
お名前は、
榮橋。
なぜか欄干に対して30度ほどオフセットしている。何かがぶつかってズレたにしては特に損傷がないし、不思議。
で、問題の?左側の親柱は、
このようなモノリス型。戦前の橋に散見されるやつだ。何らかの理由で、右側の親柱の上のものは失われてしまったのか?
お誕生日は、
昭和四年九月竣工。やはり昭和ひとケタ橋だった。
サイドぎみアングルでチラッと。
いや、カッコいい。
幅員も、架橋年代を考えれば堂々たるもの。
モノリス型の親柱が設えられていることからも、また橋名からも、重要な橋だったに違いない。
橋上から望む、下流側。
ちなみに川の名は妻木川。
欄干意匠も古めかしく、
あちこち、こんな状態。
考えてみれば、この時点でもう先は長くなかったようだ。
渡って西詰より。
こっちに至っては親柱は両方失われていて痛々しい。親柱を欠いた橋は、どこか間抜けた感が否めない…。
この訪問から後、2014年度には本橋の架け換え工事が着工。理由は「老朽化が進んだため」。なんも言えねぇ(笑)。
で、新橋は2018年4月1日に供用開始されたようで、とっくの昔にこの世から消えていたとは知らなんだ…。
で、ストビューから現在の橋を同じく西詰から。
橋の車道部幅員自体はほとんど変わってないことにちょっと驚いた。まあでも歩道部はしっかりと設置されているので、安全な橋になったと言える。
最後に、西詰からのサイド気味アングルで〆。
こうして記録を残しておいたことは良かったな。
この「歴年の老兵」感が改めて素敵だった。
こうした古い橋…特に戦前架橋の橋は、どんどん架け替えや修繕改修が進んでいる。以前もどっかで書いたが、引き続き一本でも多く記録していきたい。
…なんか、久々に橋記事を書いた気がする。実際ひと月近くぶりっすな。
以上。