2011年9月25日、第二次岐阜県探索。
この日のネタは、なぜかたくさん記事にしてる。時系列だと今回紹介するブツより前のだと上野トンネルと觀音橋、ちょい後に階段暗渠、さらに日帰隧道、丸山ダム骨材散布塔群、柏木隧道と。特別普段よりもネタ豊富って感じもしなかったけど、実は豊作な日だったのかも。
さて、事前に電子地図で見つけてめちゃめちゃ気になっていた隧道表記目指してやってきたここ、
岐阜県道387号下石笠原市之倉線の終点にほど近い、
多治見市市之倉町内。
県道はこのように橋(翆屏橋/すいびょうはしという風雅な名前だった)を渡って下っていくのだが、
橋の手前を
左へと進入する怪しい道がある。
この先に目指す隧道表記があるのだが…なんか雰囲気が…どう見ても。「割烹料理 四笑庵」なるお店の私道にしか見えないのだが…。
が、進入を抑止するものは何もない。人の気配もないので、ちょっと失礼…
してみたら。
隧道見えてきた!けど…何アレ!?
ちょーなにあれええェェエええ!!??
コレはおったまげた。そこにあったのはいわゆる草ヒロなんかではない、マジモンの流されてきた車だった。そういえば…と現場で思い出したのだが、この数日前に、台風による災害があったはず。
改めて調べてみたら、平成23年台風15号がそれで、多治見市では20日の16時35分までの1時間で76.0ミリの非常に激しい雨が観測された、とある。それにともない市内各所で水害が発生したのは当然で。
その5日後に見たこの車は、ほぼ間違いなくその水害で流されてきたものだっただろう。
人的被害では、多治見市においては死者は出なかったものの、行方不明者が2名、となっている。このソースは災害直後、22日の9時現在のものなので、最終的にはどうだったのかは定かでない。が、とりあえず現場では、この車に乗っていた人が無事であったことを祈らずにはいられなかった。
でもまあせっかく来たので、不謹慎かとは思いつつも観察。
ようやく車以外に意識を向ければ、フェンスで塞がれた廃隧道に見えたのが、実は開口していることに気づいた。
フェンスには流下物がビッシリと絡みつき、災害時にはこの隧道自体もまるで水路隧道のように濁流が流れ落ちたんじゃないだろうか?
洞内には入れそうだったが、なんとなくここからの進入は気持ちよくなかったしアカンことに思えたので、車で移動して反対側から攻めてみることにした。
ところでこの隧道、我らがバイブル「平成16年度道路施設現況調査」で調べたところ、該当するものはこれしか考えられない「ミタキトンネル」。
漢字は不明だが、そこに示されたスペックは、
延長18m、幅員1.6m、有効高1.8m。
場所が場所ならこのスペックの車道隧道もあるけど(笑)、ここはどう見ても歩行者用隧道だ。が、注目すべきはそこではなく、その建設年次。
なんと、
明治19年建設なんですと!
まさかの明治隧道がこんな感じに存在していいのか?そして明治生まれなら、「隧道」と呼ばねばならない、絶対に(笑)。
というわけで、ココ⇒http://www.its-mo.com/z-127095813-493592120-17.htmまで移動してきた。
左の県道からこのようなイカツイ分岐を進む。
2本連なった橋、その1本目から下流側を見下ろせば、
おお、凄い!
地図で見ればわかるが、コレたぶん人工的な掘抜き、一種の川廻しじゃないかと。
そして2本目の橋手前から見上げれば、
つづら折りの道形が手に取るように見えている!
アガるわ~コレ(笑)。あの先に隧道があるはずだ。
そのつづら折りあたりには、
やはり水害の爪跡が色濃く残っていた。
この感じだと、
「洞内を濁流が流れた」どころでなく、ドッバァ~~!!と噴出したレベルではなかろうか…(瀧汗)。
ここはその噴出口の真ん前。
そう、振り向けばそこに、
ミタキ隧道、西側坑口。
【後篇】に続く。