【前篇】より続く。
では、入洞。
完全人道サイズの素掘り隧道。
トキメキますなあ…(笑)。
振り返り。
改めて見ると、この辺の天井…ヤバい?なんかボロボロ落ちてきそうに見える…。
対して、ここから奥は
安定しているように見える。
短い洞内は、すぐに核心へ。
先ほど進入を思い止まった、東側。
中から見るのもまた、
強烈な…。
おそらく災害当時、この隧道はまさに余水吐き状態だったのだろう。流れてくるモノたちが、まるで排水口に吸い込まれるごとく、この隧道に押し寄せてきた…そのように見える。件の自動車は、単に隧道より大きかったからここに引っかかっただけ、だと思う。
東側坑口付近の数mにだけ巻かれた波型ライナープレートによる補強。コレよく持ってイカれなかったもんやなぁ…。
予告篇で使ったこの写真。
なんか現世と常世のはざまのような…。
自動車を背にして、振り返り。
右側のデカイコンクリ塊は、どっから来たのか…。想像を絶するな…。
これは戻りの際、つづら折りから振り返った隧道西側坑口。
やはり隧道正面の石垣が破壊されている。
隧道からほとばしり出た濁流が滝となって…いや、もっと高い水圧で、ここから放たれたのだろうか…。
その落ち口が
ここら辺りだろう。やはり激しく破壊されている。
探訪時のタイミングによりとんでもないものを拝んでしまったが、明治19年建設だというミタキ隧道を擁するこの人道(現・遊歩道?)は、車道(県道)が開かれる以前の道だと思う。ここから西へと下っていくと、程なく愛岐道路(県道15号)に突き当たる。
そこから土岐川を挟んだ対岸に、国鉄中央本線が開業したのは1900(明治33)年。だが、そこに古虎渓駅が開業したのは、はるかに時代が下った1952(昭和27)年。なのに、そこへと渡る天ヶ橋が架けられたのは1926(大正15)年と、このあたりの時系列がよくわからないのだが(笑)、とにかくこの近辺ではダントツに古くから使われてきた道であり、隧道であったと思われる。
現在、ここの少し東には市之倉ハイランドなる住宅地がある。完全に名古屋への通勤圏内であり、その最寄り駅は古虎渓駅となるため、確実にこの道と隧道の利用者はいるはずだ…まあ大抵は車で駅まで送迎するだろうけど(笑)。
あれから…この隧道はどんなふうに変わっただろうか。あるいは変わってないだろうか。
以上、完結。