先日のDAiNさんの記事を見て、思い出した橋などを…。
あちこちブラブラしながら、たまたま通りががりに
沈下橋を発見。
これは渡ってからの振り返り。4.0t制限標識がステキだ。川の名は木津川。場所コチラ→https://www.its-mo.com/z-124798456-490171643-14.htm
上野盆地は知る人ぞ知る沈下橋(潜水橋)の宝庫。近年数を減らしつつあるものの、依然として多くの現役沈下橋が存在しており、いくつかは記事にもしてきた(金橋、上川原橋、平田の沈下橋、旧・新居橋)。なので、沈下橋それ自体には驚かなかったけど…
いや~驚きだった(謎)。
上流側からのサイドぎみアングル。
ちょうど軽トラが通りかかって、サイズ感もわかりやすい。ちなみにこの橋、なかなか交通量は多い。
今改めてみると、上流側なのに水切りや桁覆いなど水流の減勢措置が見られないのが謎。それも気になるが、手前で見切れているおろろん教授、すでに重要な発見をなされたようで…?
わたくしもひと目見て気になっていた。
たもとに転がされていたこの石材。
ただこの時点では、まだ脳内でつながってはいなかった。
が、その直後!桁をよく観察して見ると…
…石やん!まさかの…
石桁やん!!
これは驚いた。わたくしの知る限り、沈下橋はコンクリート製だという固定観念があったのだが、まさかの石桁とは…。
しかし、極めて限定的なわたくしの経験値などたかが知れている。冒頭のDAiNさんの記事を拝見してようやく、そこまで珍しいモノだったということに気づいた次第。専門家であるDAiN先生がおっしゃるならば間違いない!
橋上から橋脚の下流側を見下ろすと、
横桁も石ですな~!
改修によって、橋脚の上に降りられるようになっている(いや、そんなつもりかどうかは知らんけど・笑)。
で、降りてみた(笑)。
落ちたら悲惨なことになるけど、ここからなら覗けるぞ!
あ―見えた。
アレはさっきサイドアングルで視認した、上流側の石桁ですな。
が…んん~??
写真手前の下流側はコンクリ桁になっているが、横桁(写真左端)は石製。逆に上流側は桁こそ石製だが、横桁(橋脚?)はコンクリ製。…なんだこれ?
元々はすべてが石製だったかどうかは不明だが、もしも桁が流出したり破損した後の補修としてコンクリ補修が行われた、と考えるのであれば。
桁って、一般的には上流側からまず影響を受けると思うのだが、なぜに下流側がコンクリになってる?上流側橋脚はコンクリに換えられてるのに。あるいは当初からある程度石とコンクリートのハイブリッドだったのだろうか?
とはいえ、コレは改めて今見ての疑問。当日はそんな見識も何もナッシン、おおー石桁だ!ってだけで喜んでいた。…再訪必要物件がまたひとつ(笑)。
渡って、正対。
橋上には地覆いもなにもない。
夜とかなかなか怖いが、端に反射鋲が取り付けられているのがせめてもの良心ってとこか(笑)。
この背後の土手に、
石仏がおられた。
なぜか橋のほうでなく、上流方向を見ておられる。何か意味があるのか…。
そして、その向こうに見える石碑が…
「上瀬橋架設紀念 大正三年五月竣工」
ここでお名前が判明したが、まさか大正橋梁だったなんて!と二度目の驚き。そして帰ってから調べてみて、この橋が土木学会選近代土木遺産に指定されていることを知った。どうやらこの橋には「高瀬橋」という別名もあるようで、その名前での登録なんだが、なんか単なる間違いくさい気もする…(笑)。
冒頭に書いたように上野盆地は沈下橋の宝庫なのだが、この上瀬橋はその嚆矢となる最初の橋なのだそうで、そのことと、さっき見たように「橋脚や桁に石材が確認できる」ことが、選定の理由となっているようだ。
沈下橋がほぼコンクリ製なのは、単純にその架橋時期がコンクリート全盛時代に入ってからのものがほとんどだから。このような、コンクリが普及しきる前の時代の沈下橋っていうのは、極めて貴重なものだったのですなあ…。
ちなみに、幾多の沈下橋で全国的に有名な高知県の四万十川、その中で最古を誇る一斗俵沈下橋は、昭和10年3月の架設。この上瀬橋よりも21年も後のことだ。
この紀念碑の、
位置がまた、イイね~。優しく見守る感じで。
これ以降、近くは何度か通ったものの再訪はなし。
今とか、ちょうどいい季節かもな~。
ここを離れて数分後に
比土の謎井水をハケーン。
以上、完結。













