初代・土場隧道 (廃) 【1】 (三重県熊野市神川町神上) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 
土場隧道西谷橋を前フリとしまして、いよいよ…。
 
 
念願の父ヶ谷アタックを明日に控えた2014年3月8日、小井隧道再訪に続いてやってきた、ココに。
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どこでしょ~か?
 
 
 
はい、このまま左へ90度転回しますと
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すでに紹介済み、土場隧道の西側坑口前であります。
 
ちなみにこの日のこれ以降のネタはむしおくりはし大峪隧道笛吹橋などなど。
 
 
 
今から向かうのは、この
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隧道の上部。
 
この上にあるらしいのよね、「アレ」が。

 

幸か不幸か、すでに先人であるよととさんとこでレポは見ている。よととさんと同じくわたくしも「廃道をゆく」に出ていた一枚の小さなモノクロ写真でここを知ったのだった。
 
 
身支度を整え、おもむろにアタック開始。
 
 
まずは、隧道脇の林道を少し進んだあたりから、適当に直登。ちなみに、戻りの時にはうっすらと踏み跡を見つけたが、この登り始めは完全にテキトーだった(笑)。
 
 
少し登ると、
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このような営林署マーク?の杭があった。
 
 
 
 
ここの直登、なかなかの勾配…ってか傾斜でね。
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なんとなくそれを感じていただけるかな?
 
 
 
 
そして、上を見上げると…
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あー、今や写真を見るだけで疲れる(笑)。
 
 
 
登攀時間9分、明らかな平場に出た。そこは広くなっており、石積みの擁壁なども見られた。そして
 
 
あった。アレがあった。
 
 
 
が、記事では当日の実際の動きを忠実に再現したいと思う。アレに続く平場はまだ辿れそうだったので、まずはそちらを追いかけてみたのだった。よって、写真はまだ出さな~い(笑)。
 
 
平場に登ったその場からの見下ろし。
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ちょっとわかりにくいが、現国道169号のほぼ直上で間違いないかと。

 
 
ここから、左手(上の写真だと右手)へと続く平場を追いかける。方向としては、奈良県下北山方面に。
 
 
 
さて…今さらながら平場とはもちろん、
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役目を終えた旧道。
 
この道が現役であった頃、国道であったのかどうかはわからない。もし現・土場隧道の供用まで使われていた道だとしたら(恐らくそうだろうが)、昭和30年代半ばには一線を退いた道、ってことになるだろう。
 
苔むしすぎでわかりにくいが、右側から続いているのは、谷積みの擁壁。旧道っつうか、もはや「遺跡」の風合いだ。
 
 
数分進んで、路肩から見下ろし。
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現国道との高低差は、こんな感じ。
 
路肩の土留めは、丸石練り積み。極めてしっかりしていた。谷積みよりは年代の古い丸石積みだけに。山側の擁壁は道自体の誕生よりも年代が下ってからの整備だったと思われる。
 
 
さらに少し進むと、
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予想していた事態が。
 
崖側に設置された人工物。これは現国道の落石防止ネットの最上部である。通常目にすることはまずないものの、この業界ではたまにお目にかかるやつ(笑)。
 
ちょうどこのあたりで、(写真は撮ってないが)山側に感じるモノがあった。上からの水を流す排水溝が埋まったらしき痕跡。コレは…
 
もしかして、あんじゃねぇ?
 
 
と、路外をのぞきこむと…
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やっぱりあったねぇ~石組水抜き暗渠
 
これは、密かに「あったらいいな~」と願っていた類いの遺構。思惑どおりに見つかって良かった!やはりこの道、なかなかの年代モノの香りがするぞ。
 
 
 
その内部は、
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もちろん石桁ビッシリ!
 
山側さえ掘り起こせば、今でも全然排水機能を果たすだろう。素晴らしいな~。ちなみにこの金属棒がなんなのかは不明。
 
 
 
さて、その少し先で
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道の幅がどんどん狭くなってきた!
 
正確に言えば、崖側が落石ネット設置に伴って削られてしまっているというところ。これもまたあるあるですなあ…。
 
 
 
 
さらに進むと、
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こんな状態に。でもまだ進める。
 
 
 
 
しかし、ついには…
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この状態に。
 
現道(左下に見えている)にガッツリと路肩を削られ、落石防護ネットの裏側に潜りこんでしまった。まだ進めそうに見えるかもしれないが、正面奥のあの場所で、道は潰えていた。
 
そして、この残された僅かな「道の痕跡」の真ん中に立っていたもの。
 
 
それは
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「三重県」と刻まれた境界杭。
 
勉強不足につき、こうした杭の正確な意味を理解しているわけじゃないが、ここが、名実ともにこの廃された旧道の「終わりの場所」だと宣言しているようだった。
 
つまりは、この旧道は現国道(数年内には旧道落ちするわけだが)との取り付きを完全に失っている、という状態。以前記事にした唐尾隧道旧道にも増して、その乖離っぷりは甚だしかった。
 
 
 
さて、旧道の限界点は確かめた。
 
 
 
お次は、いよいよ…。
 
 
 
【2】に続く。